前回記事のエリュアールの詩についての補足だが、私は「自由」というものを主義にも信仰にもしないが、心の底で希求しているのは確かだ。
だが、自由とは基本的に「何かからの自由(解放)」であり、究極の自由は、あらゆる関係からの解放、つまり、家族、友人、社会、国家すべてからの解放になり、絶対の孤独になるだろう。現代社会は、そういう人間(「家族からの自由」への隠れた願望が非婚化の原因のひとつだろう。)の集合になりつつあると思う。他者と利益でつながるか、愛情でつながるか、利益からも愛情からも「自由」でいたいのか。
Ah look at all the lonly people (「エリナー・リグビー」より)
I am a rock, I am an island (「アイ・アム・ア・ロック」より)
(蛇足:「島」の英単語を忘れて、探すのに苦労した。発音しない「s」があるのが厄介なのである。「iceland」「ireland」と混同する。)
だが、自由とは基本的に「何かからの自由(解放)」であり、究極の自由は、あらゆる関係からの解放、つまり、家族、友人、社会、国家すべてからの解放になり、絶対の孤独になるだろう。現代社会は、そういう人間(「家族からの自由」への隠れた願望が非婚化の原因のひとつだろう。)の集合になりつつあると思う。他者と利益でつながるか、愛情でつながるか、利益からも愛情からも「自由」でいたいのか。
Ah look at all the lonly people (「エリナー・リグビー」より)
I am a rock, I am an island (「アイ・アム・ア・ロック」より)
(蛇足:「島」の英単語を忘れて、探すのに苦労した。発音しない「s」があるのが厄介なのである。「iceland」「ireland」と混同する。)
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