唯一会話が成立するとしたら、お互いにテレビが基準で生きていて、毎日テレビにかじりついている人同士です。
「テレビでこう言ってたよ!」
「あ!それ観た観た!」
みたいな。
テレビを観ていない私と会話なんて成り立つわけがない。
別にどちらが優れているとかそういう話ではないのですが、何か話すごとに「そういえばテレビではこう言ってましたけどね!」と言われたら、
当人にとってそれは疑いようのない正解なわけですから、私は常に「そうなのですか!教えてくれてありがとうございます!」以外言いようがないわけです。
わざわざ「テレビの話なんてせず、あなた自身の意見を聞かせてください」とか言ったらそれこそ面倒くさいヤツになりますし、私自身もそんな偉そうな事を言える立場でもないわけで。
テレビが言っている事柄に対して、私の中に確たる情報や考えを持っている場合にも「テレビではそう言っているかもしれませんが、私はこのように思います」と言ったら変わり者や陰謀論者に思われてしまうし、角が立ちますよね。
何よりそうした日常会話の中で毎回確たる情報や考えを持っているわけでもないので、いちいち主観で意見を述べたとしても、
そもそも相手だってテレビ以外の情報や考えを持っていないのだから「別に議論したくて話したわけではないのに・・・」と、頭が真っ白になってしまうだけです。
今回はどうでも良い会話ですが、ポンコツワクチンの時も、コロナの時も、同じでしたからね。
人生や生命に関わる重要な話ですらテレビが基準になるのだから、これらの人は何かについて真剣に意見を交わすことをしないのではなく、出来ないのだなと察しました。
ちなみにこれはテレビだけに限らず、SNSだけを信じ切っている人も同様です。
〇〇が言ってたから間違いない
というスタンスで言われたら、もう何も言いようがありません。
つまり、真実なんて誰にも分からないのに、相手の言葉が入る隙間が無くなった状態というのが危険なのだなと思います。
だからテレビ民はテレビに騙されるし、SNS民はSNS上のデマに騙される。
そしてどちら側にも偏った人は一定数いて、我こそは真実を知っている、と信じ切るわけで。
人間同士のコミュニケーションってこんなに難しい事だったのだなと、分断が進む世界になり改めて実感します。
こうして年月とともに皆が孤独化していく傾向にあるのは、疑いようのない事だと私は思いました。