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統制と孤立、どちらが良いか

「大摩邇」所載の生チョコぽん酢氏の記事で、面白い内容だが、結論(記事タイトル)には同感しない。テレビの場合とSNSの場合はかなり違うのではないか。
テレビは明らかにDSによる統制が厳重だが、SNSはそれが不完全であり、しかも、SNSをやる人間は既に「テレビ(や新聞)への不信感」があり、それはSNSへの不信感(と言うより「信頼感が限定的である」)をも最初から持っているわけだ。
と言うことは、ぽん酢氏の言うような、「すべてが分断化された社会になる」のではなく、誰もが健全な懐疑心や批判力を持った社会になる、というのが私の見方である。まあ、それを「分断だ」と言うこともできるだろうが、それこそ「当たり前」の「健全な」話である。
これまでテレビや新聞が「絆」だ何だと騒いでいたほうが異常だったのであり、多くの人が言うように「絆」とは動物や奴隷を拘束する手段だったのである。(拘束された集団のほうが強いのは、高校野球、いやスポーツ界、いや、軍隊や宗教組織などたいていの組織を見ても分かるのだが、それは個性や個人的思考・欲望、つまり健全な自我を犠牲にしての話だ。ただし、統制されているほうが幸福だ、というのは宗教組織などを見てもよくあることだし、統制の無い社会は存続不可能である。つまり、結局は個人の意識の問題だ。我々は常に自分の頭脳の中では何からも自由でありうる。)

(以下引用)

分断した社会ではいづれ全員孤独になりそう

 


こんにちは!生チョコぽん酢です。

朝晩はかなり冷えますね。


 


ストーブを出したり冬用の寝具に変えたりと大忙しです。



寒いと言えば、今年の夏ってかなり暑かったじゃないですか。

搬送中にご家族の方と世間話をしていた時のことなのですが、暑いですねぇなんて話していたら娘さんがこんなことを聞いてきました。

娘「ほんと暑いですねぇ。今年の冬はどうなんですかね?

私「何となくですけど、夏が暑い時って冬が寒くなるイメージがあるんですよね

私は特に深い意味もなく、自身の感覚の話をしたのですよ。

それで後日、再び通院でご利用頂いた時に娘さんはこう言うのです。

娘「テレビで言ってたのですが今年の冬は暖冬らしいですよ!

え?あ、そうなのですか。

これ文章だとトーンが伝わらないのですが、割と鼻につく言い方だったのですね。

別にどうでもいい話なのですが、どうでもよくないですか?(←意味不明)

私は何となく自分の感覚を言ったわけですが、それに対して娘さんはテレビで暖冬になると言っていたからあなたは間違っていますよと、あえて伝えてきたわけです。

本当に些細なことなのですが、これが日本人なのだなぁと思わされた一件でした。

テレビは常に正しい事を言っているから、テレビと違うことを言っている人には「テレビと違う事を言っているよ」と指摘してあげる、みたいな。

もちろん悪意が無い事は理解しているのですが、そんなことを基準に会話をされたら、会話が成立しないのですよ。



唯一会話が成立するとしたら、お互いにテレビが基準で生きていて、毎日テレビにかじりついている人同士です。

テレビでこう言ってたよ!

あ!それ観た観た!

みたいな。

テレビを観ていない私と会話なんて成り立つわけがない。

別にどちらが優れているとかそういう話ではないのですが、何か話すごとに「そういえばテレビではこう言ってましたけどね!」と言われたら、

当人にとってそれは疑いようのない正解なわけですから、私は常に「そうなのですか!教えてくれてありがとうございます!」以外言いようがないわけです。

わざわざ「テレビの話なんてせず、あなた自身の意見を聞かせてください」とか言ったらそれこそ面倒くさいヤツになりますし、私自身もそんな偉そうな事を言える立場でもないわけで。

テレビが言っている事柄に対して、私の中に確たる情報や考えを持っている場合にも「テレビではそう言っているかもしれませんが、私はこのように思います」と言ったら変わり者や陰謀論者に思われてしまうし、角が立ちますよね。

何よりそうした日常会話の中で毎回確たる情報や考えを持っているわけでもないので、いちいち主観で意見を述べたとしても、


 


そもそも相手だってテレビ以外の情報や考えを持っていないのだから「別に議論したくて話したわけではないのに・・・」と、頭が真っ白になってしまうだけです。


今回はどうでも良い会話ですが、ポンコツワクチンの時も、コロナの時も、同じでしたからね。

人生や生命に関わる重要な話ですらテレビが基準になるのだから、これらの人は何かについて真剣に意見を交わすことをしないのではなく、出来ないのだなと察しました。

ちなみにこれはテレビだけに限らず、SNSだけを信じ切っている人も同様です。

〇〇が言ってたから間違いない

というスタンスで言われたら、もう何も言いようがありません。

つまり、真実なんて誰にも分からないのに、相手の言葉が入る隙間が無くなった状態というのが危険なのだなと思います。

だからテレビ民はテレビに騙されるし、SNS民はSNS上のデマに騙される。

そしてどちら側にも偏った人は一定数いて、我こそは真実を知っている、と信じ切るわけで。

人間同士のコミュニケーションってこんなに難しい事だったのだなと、分断が進む世界になり改めて実感します。


 

こうして年月とともに皆が孤独化していく傾向にあるのは、疑いようのない事だと私は思いました。


 


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それだけで人生は生きるに値します。

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