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神とは何か

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。
神とは何か、と言えば、私は、人間一人ひとりの中にある「神性(divinity)」のことだ、と考えている。もちろん、人間の中には「悪魔性」もある。いずれにせよ、神とは自分の外部にあるものではない。
世界の創造者としての神を信仰し、その教えとされる様々な教義に縛られ、他の宗教やその信者、他民族を「悪魔(「satan」は「敵」が原義だと言う。)」として攻撃し、殲滅しようと図るなど、それこそ、悪魔的所業である。これが旧約聖書における「神」と、その教えに従う民族の所業であった。キリストはその教えを変え、(自分は神の子だから、その資格があると称した。)「汝の敵を愛せ」と真逆の道を教えた。その結果、彼は十字架上で殺されたが、その教えは「新約」として世界に広まった。だが、ローマ教会の手でその教えは「新約聖書」の内容とは甚だしく異なるものに変えられ、再び「敵を殲滅せよ」の教えとなった。
だが、こうした話は、別の文章(「革命者キリスト」)の中で書いたことだ。
今は、「神とは誰の心の中にもある「神性」のことだ」と言っておく。
ケンシロウに救われた子供が彼を「神様」と言ったのは、正しい。


(以下引用)


”神様”とは…
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日没が”一日の終わり”であるユダヤの仕来りでは…当然のごとく…




日没が、”次の日の始まり”となる…





同様に、24日の日没から25日の日没までが”クリスマス”である。





「きよしこの夜」のイメージで、ついついこの日がイエスの誕生日のように思ってしまうが、馬小屋で生まれたわけだから、本当は夏だったとされる…




もともとあった”冬至”の祭りに、「キリストが死んでから三日後に”復活”した」という言い伝えを重ねあわせ、冬至の三日後に”キリストのミサ”を行うようになったのが、どうやら真相らしい…




また”クリスマス”といえば、”サンタクロース”だが、これを”サータン”、”クロノス”と読み替えるといずれも土星を意味するローマ神話の神様の名となる。




西洋占星術でも、冬至からの一か月は”山羊座”であり、守護星は土星であるから、ぴったり一致しているのは、おもしろい。




イエスが、ユダヤ人であったというのは、宗教改革のマルティン=ルターが、それに言及し、不快感を述べていることから、少なくともそのころから広く一般的な認識だったらしい…




ルターは、「悪魔的なユダヤ教」を嫌悪して、改宗を強要して拒否され、以来、ユダヤ教をずっと敵視していた。今日と同じような”反ユダヤ主義”が、もうこのころからあったわけである。




また一方、中東では青い目のイエスの肖像画があるという話もあってか、実は白人だったという説もあり、当ブログでも紹介したことがある。





何が本当のことかはよくわからないが、”真理”、”真実”というのは、もう少し明確なものだろうと思う。




たとえば、”神”とは何か…




何をもって”神”と呼ぶべきなのか…




”完全”…”全知全能”…”真善美”…”万物の創造主”…





そうした”属性”をもち…人々が崇拝したり、賛美したくなるもの…





少なくとも、そうしたものを人々は”神”として奉り、崇めている例が多い…





だが、そういう”神”の多くは”アイドル”…、つまり”偶像”とも呼ばれるものであり…




実はもっとも”不信心”な行為で、”御法度”なのである。





いつぞや、キリスト教をセールスしにきたおばちゃんに…




「あなたはなぜ神を信じるのか?」と尋ねたら…




「神様がこの世界をおつくりになったから」などと答えていた。





私に言わせれば、これは”偶像崇拝”の典型であり、邪教にほかならぬものだと思っている。





だいたい、「神が創造主」というのは旧約聖書の話で、キリストの教えのポイントではない。




ヨハネの福音書に「神は言葉である」という記述があるように、キリストが”神”とされるのは、彼が世界を創造したからではなく、真実の教えを述べ、人類に教えたからであろう。





人々が、その教えに従い実践すれば、まさにキリストの述べた”神の国”が実現する。




そのとき確かにキリストは、キリスト的世界を創造した”創造神”だったことが証明されるだろう。





人は、どういうときに”神様”を認め、その姿をそこにみるのだろうか…




次のエピソードが、その問いに答えてくれる…






常に恵まれない者、絶望の中にある者のことを忘れず、その者たちとともにある…




それがイエスの人生だったし、教えであった…





イエスが、創造主かどうかなんてどうでもいい…





彼の生き様、彼の求めた真実こそが”神”そのものなのであり…




我らが、それにしたがうかどうか…のみなのである…





したがうもしたがわないも”自由”…





ただ、我らがその教えを実践し、”神の国”を実現できたなら…




先にも述べたように、キリストが”創造主”だったことが改めて証明されるのである。


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