寺田寅彦の文章の一節だが、
問題をつかまえ、そうしてその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である
というのは面白い。これは、頭の中に無数の「権威的学説」が固定されると、それらの学説から抜け落ちている「事実」そのものに気づく能力が無くなるのではないだろうか。ある意味、熟練によって精神がダル(怠惰)に、鈍感になるのである。
学説や理論というのは常に、アナログ(連続的)な現実からデジタル(切断的)な細部を抜き出してつなぎ合わせた「フィクション」なのである。
(以下引用)
誰であったか西洋の大家の言ったように、「問題をつかまえ、そうしてその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である。年を取ってからはただその問題を守り立て、仕上げをかけるばかりだ」というのは、どうも多くの場合に本当らしい。それで誰でも、年の若い学生時代から何でも彼 でも沢山 に遠慮なく惜気 なく「問題の仕入れ」をしておく方がよくはないかという気がする。それにははじめからあまり一つの問題にのみ執着して他の事に盲目になるのも考えものではないかと思うのである。
問題をつかまえ、そうしてその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である
というのは面白い。これは、頭の中に無数の「権威的学説」が固定されると、それらの学説から抜け落ちている「事実」そのものに気づく能力が無くなるのではないだろうか。ある意味、熟練によって精神がダル(怠惰)に、鈍感になるのである。
学説や理論というのは常に、アナログ(連続的)な現実からデジタル(切断的)な細部を抜き出してつなぎ合わせた「フィクション」なのである。
(以下引用)
誰であったか西洋の大家の言ったように、「問題をつかまえ、そうしてその鍵をつかむのは年の若いときの仕事である。年を取ってからはただその問題を守り立て、仕上げをかけるばかりだ」というのは、どうも多くの場合に本当らしい。それで誰でも、年の若い学生時代から何でも
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