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精神的奴隷は習慣から始まる

私がアニメなどを見ていて一番違和感を感じるのが、こういう「(合掌して)いただきます・ごちそうさま」の場面である。ひどい場合には異世界アニメでも一人で飯を食う場合にもやっている。いったい、どの世界の風習だよ。誰も見ていないし聞いていないぞ。
ということを前に書いたことがあるが、私以外でこれを批判した人間を初めて見て、少し嬉しい。
前にも書いたが、これは小学校の給食で行われて伝統化した新しい風習だと思う。つまり、「一斉に食事を開始する」合図である。社畜的奴隷の風習だ。そんな糞風習は小学校で終わりにしろ。家庭にまで持ち込むな。

まあ、誰かが言っていた「自発的隷従」である。


(以下引用)

2025-03-26

合掌して「いただきます」「ごちそうさま」なんてのはごく新しい「作られた伝統」だが、まあ何年までが新しくて何年からが「本物の伝統」かなどという線引きは不可能だし不毛なので、その観点から批判はしないでおく。


で、それは誰に向けた挙措なのか?


料理を作ってくれた人、振る舞ってくれている本人が眼の前にいるのならその人に向かってゴチになります意味でなんらか挨拶するのは自然だが、人に向かって合掌の礼をするのは日本の習慣としてはむしろ違和感がある。


あるいは「生命いただきます」の意味で食物に向けての礼だという説明もある。その解釈でいくなら振る舞ってくれた人への仁義は省略して構わないことになる。


そして「ごちそうさま」は誰に言ってるのか。まあ振る舞ってくれた人にだろう。一人で愛妻弁当食ってる時はどうするか。妻の顔を思い浮かべつつ唱えるのか。そんな芝居じみたことやってるやつ居るか?


コンビニ弁当場合は。作ってくれた食品工場の人にでも言うのか。自製の場合自分に?なんかテキトーだよな。


何より食べる前は命に感謝みたいなしおらしいことを言ってたはずが、腹が膨れたらその件はどこかに行ってしまっている。間抜けな話。


いただきます/ごちそうさまに対する答礼もはっきりしない。「お粗末様」というのがあるが、いのち感謝からするととんでもない話だ。語の響きもきたならしい。


ことほどさように「合掌・いただきます・ごちそうさま」はまだぜんぜんディテールが固まってない。機械的に行うのが人としての当然の義務みたいなことを言ってるやつは自分では何も考えられないただのアホである


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