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涅槃とは何か

前回記事で「所有の意義」について書いたが、その反対に「所有否定思想」である「般若心経」のことも書いておく。般若心経の末尾は大要、こういうことだ。

「無所得(無所有)のゆえに、心にわだかまりがない。
わだかまりがないゆえに、恐怖もない。
すべての転倒(した思想)や夢想を離れ
最終的には涅槃に至る」

というものだ。つまり、すべての悩みの元は「所有」にある、ということで、これはこれで正しい思想だと思う。ところが、その(無所得・無所有の)最終結果は「涅槃(心の平和)」であるが、涅槃とは実は「死」でもあるわけだ。寂滅為楽である。しかし、本当に寂滅して為楽となるか? 「楽」も寂滅するのが本当の寂滅だろう。つまり、悟り、心の平和というのは実は「生きながらの死」でもある、となるわけであるwww  まあ、生悟りくらいが本当は望ましい状態なのではないか。つまり、森鴎外の「かのように」主義だ。「~であるかのように」ふるまうことがメリットならば、そうすればいいわけである。その場その場で適当な思想を選べばいいのである。何も(真偽も不明な)ひとつの思想に殉ずることはない。
ついでに言えば、森鴎外の臨終の言葉は「ふん、馬鹿馬鹿しい」だったらしいww 知の超人、森鴎外の最後の言葉がこれである、というのが面白い。ある意味、「あまり真剣に人生に悩むな」と言っているようだ。恐怖や悩みの本質は、その対象ではなく、恐怖することや悩むことという(自ら選択した)行為そのものだ、とも言えそうである。
世の中にはまったく恐怖感を持たない者や悩みを持たない「脳天気」な人間もいるのであり、それこそが(何も考えてはいないだろうが)賢明な生き方だろう。もちろん、それは「動物の類だ」と排斥する人々もいるだろうが、悩んだから偉いとはなるはずがない。考えることと悩むことは別の話である。




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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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