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所有権の起源


「泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。」

という言葉は、目から鱗が落ちるような気がする。我々は、自分のいる場所や時代の常識を「絶対的で普遍的なもの」と勘違いする傾向がある。
所有権というのは、その中でも根強いものだろう。我々は、それを原始時代から続く、あるいは文明の端緒から続く観念だと錯覚しがちだが、実は「権利」という観念すら古代には無かっただろう。物の蓄積が不可能だった時代には所有という観念も希薄だったはずだ。すべて、「今、その時その場にあるもの」を使用し、余裕があれば他者と共有するのが普通だったのではないか。だが、カネというものができ、「富の蓄積」が可能になったために、所有権という概念も発達したのだろう。土地など、所有するだけでは何も価値は無いのだから、アメリカインディアンが土地の価値を感じなかったのは当然だ。そして、白人に騙されてどんどん土地を失っていったのである。
大昔の中国の皇帝は後宮に美女を何千人も集めて「所有」し、その大半は一度も皇帝の顔を見ることすらないままに老いていったという。これが「所有権」の悲劇である。まあ、貧しい今の日本人なら、働きも何もせずに宮殿の中で死ぬまで遊んで暮らせるのだからむしろ幸福だろう、という見方もある。だがゲームもスマホも無い時代の話だ。待遇のいい家畜と言っていい。



大童 澄瞳 SumitoOwara @dennou319 11月30日

泥棒という罪でさえ必ずしも普遍的な考え方ではないのだ。これは最終的には神の話になったりとする古い哲学や社会学を読んだときに「ん」と思うのと同じだ。倫理の物差しも疑うべきとおもうのだが。


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