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人は動くものに目を惹かれる

死につつある人と心電図モニターのどちらを見るべきか、の是非は別として、両者があると、思わずモニターを見てしまうという行動が心理学的に興味深い。
好意的に受け取れば、「愛する人間の死の瞬間を見たくない」、つまり、その相手との永遠の別れを拒否したい気持ちの無意識的な表れだと考えられないこともない。あるいは、「心電図の波の停止」という「死の確実な知らせ」を見るという珍しい機会を見逃したくない、という無意識の表れかもしれない。いつ心臓が止まったか、心電図を見る以外には知りようがないからだ。仮に後者だとしても、それはべつに責めるようなことだとは思わない。人間の行動の多くは無意識的なものだし、それは(当人に責任があるとは言えず)他人が裁けるようなものではないだろうからだ。そういう意味ではキチガイや酔っ払いの行為を法が免罪するという、法律の素人には謎の法律も、理屈に合わないこともないだろうが、そうすると、実は法の裁ける範囲は物凄く狭いのかもしれない。

(夢人注)上の部分で言っているのは、「刑法39条」問題である。仮に私が麻薬中毒で幻覚状態の時に殺人を犯したら、これは「心神喪失者の行為は罰しない」ということで無罪になるのだろうか。あるいは、麻薬使用の罪に問われるだけで、殺人については無罪なのだろうか。酔っぱらって人を殴り殺したら、「心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する」に当たるのだろうか。それとも、下の刑法はキチガイだけの特権だろうか。


(心神喪失及び心神耗弱)


第39条
  1. 心神喪失者の行為は、罰しない。
  2. 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

まあ、ごく単純に、目の前の「ほとんど動きのない存在」と、「絶えず動き続け、その停止が近づいているもの」のふたつだと、後者につい目が行くだけだと思う。
仮に、医者が「家族に見守られながら旅立ってほしい」と望むなら、(私も、そうあるべきだろうとは思う。)モニターを、家族の目から見えない角度にすればいいだけではないか。家族がモニターを見たいと希望したら見せればいい。「ただし、モニターを見てると、ご臨終のご様子は見えませんよ」と注意すれば、より親切だろう。
さんがリツイート

人が亡くなるときに心電図モニターがあると、家族は患者さんではなくモニターを見つめてしまう。

患者さんには、本当の意味で、家族に「見守られながら」旅立って欲しい。

だから、最後の最後の数分間にはモニターを止める。見極めは難しいが、できないことはない。

超ベテラン内科医の言葉。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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