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性愛としてのカマ掘りと衆道は同じか

「混沌堂主人雑記(旧題)」から部分転載。
「逝きし世の面影」氏(宗純氏)の意見にすべて賛同するわけではないが、記事内容が面白いので転載した。混沌堂主人氏による「神道・儒教・仏教」の性愛対応方針分類も面白い。
基本的に、なぜ同性愛がタブー視されたかというと、杉田水脈ではないが「生産性が無い」(笑)つまり、子孫が残せず家系が断絶し、国家が衰退するからだろう。つまり、LGBT運動は「地球人口削減計画」に非常にマッチしているわけである。
で、私は「衆道=ホモ(性愛)」という短絡的な見方には与しない。少なくとも武士の世界での衆道は、「戦場で命を共にする相手」、運命共同体的な意味合いがあったのではないか、と思っている。だから、衆道相手が殺された場合には敵討ちをするわけである。つまり、「ルパン三世」のルパンと次元や五右衛門はホモか、という話である。



(以下引用)
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
欧米キリスト教文化圏とは大きく違っていた、日本の武士の最も大事な心得としての「衆道」(ホモの恋愛観)
『美徳か…罪か… 実録!仇討ちクロニクル』2015年1月15日(木) ABC(朝日放送)
時代劇の金字塔「必殺仕事人」をはじめ、仇討ちをテーマにした物語に心を揺さぶられる日本人は多い。小説や映画の題材にもなる仇討ちはフィクションが多いと思われがちだが、数々の書物に実話として残されている。
明治時代に禁止されるまでは、幕府によって公認され、称賛される行動でもあったのだ。記録に残っているだけで129件あり、武士が名誉を守るものから親の仇までさまざまだが、ドラマとは異なり、実際の仇討ちの成功率は5パーセントにも満たなかったという。
それでも無念を晴らすため、すべてを捨て、自らの人生を仇討ちに捧げた人たちがいた。
そこに隠された意外な実像を解説してくれるのが、歴史学者の氏家幹人先生。国立公文書館に勤務し、様々な江戸の本を執筆する氏家先生が、普通の時代劇では描かれない江戸時代の真実を紹介する。
仇討ちは江戸幕府も公認していたが、むやみに認めていたわけではなく、秩序を守るため、いくつものルールや作法が定められ、それによって、最低限の“負の連鎖”を禁じていたという。
仇討ちの理由で当時、一番多かったのが「衆道敵討ち」である。驚くべき作法としては指名制の仇討ち「差腹」(切腹)の仰天の内容とは!?
(抜粋)
出演者
ハイヒール(モモコ)筒井康隆、江川達也、たむらけんじ ブラックマヨネーズ(小杉・吉田)
阪井あゆみ 八塚彩美(ABCアナウンサー)
ゲストブレーン 氏家 幹人(うじいえ みきと)
江戸時代、最も多かった仇討ちは男同士の痴情のもつれからくる『衆道仇討ち』だった
今の日本でも一番知られている江戸時代の十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1802年にかけて初刷り)は弥次喜多道中の言葉まで定着しているが、そもそもの弥次郎兵衛と喜多八は旦那と若衆のホモ関係が『駆け落ち』して、江戸・神田八丁堀に同棲していたのが話の始まりだった。
ホモのカップルが退屈しのぎに江戸から京まで徒歩旅行するのが十返舎一九の東海道中膝栗毛の筋書きである。ホモが一般的だった江戸時代とは違い、150年前の王政復古後はキリスト教道徳によって弥次喜多がホモのカップルだった事実は不都合なので隠蔽される。
★注、 元々ホモ(衆道)は公家など上流階級だけの特殊な風俗だった。ところが室町時代以後は武士のたしなみとなり、江戸時代には裕福な町人まで広まって一般化する。
『日本の「武士道」の本質とは「衆道」(ホモ友だちの恋愛)の心得だったとのオチ』
300年前の武士道の『葉隠』(1716年ごろ)では武士における衆道は、命がけの『最高のもの』とされた。
男色の心得として「互いに想う相手は一生にただひとりだけ」「相手を何度も取り替えるなどは言語道断」「そのためには5年は付き合ってみて、よく相手の人間性を見極めるべき」。
ホモ相手が人間として信用できないような浮気者だったら、付き合う価値がないので断固として別れるべきだと説き、怒鳴りつけてもまとわりついてくるようであれば、「切り捨つべし。」と断言する『葉隠』は、武士道の教本というよりも、ホモの情死の教本でもあった。(十返舎一九の『東海道中膝栗毛』と同じ原理で『葉隠』からもホモの情死『衆道仇討ち』の事実は不都合なので隠蔽される)
支配階級(エリート)だけの『特別な道楽』だった同性愛(ホモ)
『原本は英語だった胡散臭い「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり]の葉隠精神』
佐賀藩士・山本常朝によって口述された『葉隠』の武士道書から消された本当の意味とは、『武士道と云ふは「衆道」(ホモ)と見つけたり』だったが、あまりにも欧米一神教徒(キリスト教道徳)に対して不都合なので、明治の知識人である新渡戸稲造は丸ごと封印して誤魔化したらしい。(そもそも『武士道』とは、新渡戸稲造は欧米の騎士道精神に対する日本における宗教的教育の欠落に 突き当たって、苦し紛れに葉隠の『武士道』を英語で書いて欧米人に説明したものを、後に日本語に翻訳して世間に広まった)
『LGBT(性同一性障害)に対する善良ではあるが愚かな日本人(非一神教徒)の根本的な勘違い』
スイスのジュネーブで開かれている世界保健機関(WHO)の総会(2019年05月25日)で、「国際疾病分類」改定版(ICD-11)が了承され、性同一性障害が「精神障害」の分類から除外され、「性の健康に関連する状態」という分類の中の「Gender Incongruence(性別不合)」に変更されることになりました。これにより、出生時に割り当てられた性別への違和が「病気」や「障害」ではないと宣言されることになりました。ICD-11は、2022年1月1日から効力を発します。
今年5月25日に『WHOが性同一性障害などLGBTを「精神障害」の分類から除外しました』とは、今までホモなど性同一性障害(LGBT)を国連が病気だと断定していた(もし、病気なら→必然的に『治療の対象』になる)のですよ。
しかも、『WHOがホモを「精神障害」の分類から除外』が正式に発効するのは3年先の2022年1月1日から。それなら現時点で国連(世界保健機関 WHO)の定義では『ホモは病気』である。
そもそもホモなどWHOが性同一性障害などLGBTを『精神障害』から外そうと動き出したのは1990年代に入ってからの全く新しい運動なのです。 
それ以前はアメリカ・カルフォルニア州バークレー在住の映画評論家町山智浩がTBSラジオ『たまむすび』で紹介したキリスト教福音派映画『ある少年の告白』にあるように、一方的に『同性愛は病気だ』と認定されて強制的な治療の対象である。
(★注、一部の州では禁止されているが、非人道的な『ゲイの矯正セラピー』は今でもアメリカでは多くの州で行われている)
もっと分かり易く『一言』でいえばLGBTとは『お前はダメだ。地獄に落ちるぞ!』とのキリスト教の宗教運動(ルターから500年ぶりの宗教改革もどき?)の一環だったらしい。(一神教世界では宗教と政治とは一体不可分、常に密接な関係にある)それなら、LGBT(性同一性障害)云々ですが、これは 一神教徒が1%以下の我が日本国とは全く無関係な話だったのである。 
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抜粋終わり
ふと思ったのが、儒学では明確に「同性愛は禁止」って無いと思う。
ただ「同性婚はダメ。子孫を作らないので、親不孝」ってなる。
てなると、もともと日本は、
神道{同性愛・同性婚などどうでもいい}
儒学{同性愛はどうでもいい。同性婚は子供ができないので、ダメ}
仏教{そもそも性愛がアウトが出家。在家は不倫は絶対ダメ。ほかは知らんがな}ってなる。
>もっと分かり易く『一言』でいえばLGBTとは『お前はダメだ。地獄に落ちるぞ!』とのキリスト教の宗教運動(ルターから500年ぶりの宗教改革もどき?)の一環だったらしい。(一神教世界では宗教と政治とは一体不可分、常に密接な関係にある)それなら、LGBT(性同一性障害)云々ですが、これは 一神教徒が1%以下の我が日本国とは全く無関係な話だったのである。 
だよな。
子供さえ作り育てたら、好きにしろ。って東アジアの基本。

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