アイザック氏の指摘は頷けるが、本来そこには「哲学」というのがあるはずで、その哲学が無力だから宗教の代わりになっていないし、また哲学は哲学で、人に有益な影響だけを与えるとも限らない。
ある意味、日本人の事大主義も事なかれ主義も拝金主義も無責任主義も、「邪悪な哲学」だとも言える。それらは、「自分の人生をより良く生きたい」という素朴な考えから生まれ、「そのためには(自分が一番大事なのだから)他人はどうなってもいい」という利己主義によって邪悪化するわけである。
宗教のいいところは、そういう邪悪さが「聖賢の言葉や教え」によって(利己主義というのは動物の本能である「自己保存本能」に立脚しているだけに根治はできないが)信仰者の納得の上で一応排除されることだが、それが「この宗教を信じない連中は敵である」となると、いっぺんに邪悪化する。
なお、そのうち「近代の病としての『生きがい』信仰」というテーマで記事を書いてみる予定なので、備忘のため記しておく。要するに、近代人はほとんどみな精神病(生きがい病)だという内容だ。
ある意味、日本人の事大主義も事なかれ主義も拝金主義も無責任主義も、「邪悪な哲学」だとも言える。それらは、「自分の人生をより良く生きたい」という素朴な考えから生まれ、「そのためには(自分が一番大事なのだから)他人はどうなってもいい」という利己主義によって邪悪化するわけである。
宗教のいいところは、そういう邪悪さが「聖賢の言葉や教え」によって(利己主義というのは動物の本能である「自己保存本能」に立脚しているだけに根治はできないが)信仰者の納得の上で一応排除されることだが、それが「この宗教を信じない連中は敵である」となると、いっぺんに邪悪化する。
なお、そのうち「近代の病としての『生きがい』信仰」というテーマで記事を書いてみる予定なので、備忘のため記しておく。要するに、近代人はほとんどみな精神病(生きがい病)だという内容だ。
PR