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天皇の「戦争責任」問題

歴史観、あるいは歴史哲学の話になるので、思想問題としてここで考察してみる。
「混沌堂主人」の次の発言だが、氏はこの思想を延々と書き続けている。
まあ、日本人が飢えて死滅するのは、当然の結末なのです。
天皇廃止OR天皇家根絶 という、日本人が「過去の受容」が無い限りに。
つまり、この思想が氏にとって最重要の思想だということだろう。で、その布教のためには、原爆地上起爆説とか、原爆特許は天皇が持っているとか、天皇は(イギリス軍の何かの階級に任ぜられているから)イギリスの手下であるとか、いろいろ書いている。すべて愚論だと思うが、一番の問題である、「天皇の存在は日本にとって最大の害悪である」という考えの是非を考察しよう。

第一にというか、根本問題として、日本人の「過去の受容」は必ず「天皇廃止or天皇家断絶」とならねばならないのか。まあ、氏がいつも言う、「日本人の無責任体質の根源は天皇という存在にある」という主張だが、その論拠は、太平洋戦争での天皇責任問題だろう。
氏は、「天皇は戦争の責任を取っていない」という説だが、これは氏の主観的判断だろう。私は、昭和天皇が在位のまま、「神格的天皇」から「人間天皇」となり、さらに日本国憲法下で「象徴天皇」となったことが、最良の「責任の取り方」だったと思う。それが、米国とGHQの「合理的判断」だったのであり、あの時点で「天皇廃絶」あるいは「天皇死刑」となっていたら、日本はとんでもない「アモラル(無道徳)社会」になっていただろうと私には思える。「天皇でさえ殺してよい、それなら、一般人の命など、虫けら同然であり、いくら殺してもいい」、という精神が日本人に芽生え、瀰漫した可能性が高いと私はと思う。(あるいは、すべてを他人のせいにする「他責思考」の瀰漫)
神道は滅び、仏教もまた戦争協力宗教であった以上、韓国のようにキリスト教でも輸入するか? 宗教や権威を背景にしない道徳が、天皇処刑で生まれた可能性より、私はとんでもない無道徳社会になった可能性が高いと思う。つまり、「人間天皇」になったとはいえ、天皇という「象徴」が憲法で保障されることで、日本人は国民的アイデンティティを保持できた、というのが私の考えであり、それは「人間はすべて平等だ」という欺瞞的思想には反するだろうが、天皇という存在の「不平等性」こそが、現実の現実性をすべての国民に示す暗黙の教訓になっていた、あるいはなっていると思う。

さらに、より重要なのは、ある意味では「天皇が許されたことで、日本人全体が許され、精神的負担を持たなくて済んだ」のだ。神格的天皇の象徴天皇化で、日本人の「禊が済んだ」とも言える。これが、当時の天皇と国民の「精神的一体化」から推測できることだ。(その極度な形である「天皇神格化」に私が反対であるのは言うまでもないだろう。天皇神格化が日本人神格化となり、とんでもない夜郎自大な悪質行動に結びつくからだ。これがアジア侵略での日本軍の行動に明白に表れている。つまり、ここでは、あくまで敗戦時の話をしているのである。)

あの戦争で家族や親しい人を失った人間は日本に無数にいる。だからこそ、私は「絶対的平和主義」者なのである。だが、それと天皇問題はまったく別のことだ。一国の支配者は、政治的に誤った判断をすることもある。では、その判断の誤りの責任は、どう取るか。戦争という重大事なら、「国民が彼を死刑にすることで責任を取らせる」か。これは、イタリアのムッソリーニに国民がやったことだ。で、ファシスト党員がすべて殺害されたとは私は聞いていない。つまり、大多数の「戦争責任者」は上手く逃げたわけである。どの国も同じことだ。そもそも、なぜ敗戦国の元首だけが戦争責任を問われるのか。勝てば官軍で、勝利国のすべての戦争犯罪は許されるのか。

天皇の戦争責任問題というのが、しばしば自分を戦勝国や被害者の立場に置いて、元首ひとりに責任を押し付ける論法のように私は思うのである。そもそも、その「被害者」たちは、戦争の時には自ら進んで戦争に協力し、あるいは戦争で金儲けをした一族だったりする。

あえて暴論を言えば、私は「あの戦争での敗戦は、日本国民にとって史上最大の幸運だった」と思っている。少なくとも、現代の日本人の生活の向上や精神的向上は、あの敗戦の結果なのである。ただし、その結果としての「日本の属国化」は、日本国民が大きな反対運動を起こすべきだが、それもまた別の話だ。私は、あの戦争で死んだ人々は気の毒だと思うが、戦後に生まれた世代は、戦後復興の恩恵をもの凄く受けており、それは元をたどれば「敗戦の結果」なのである。
なまじ勝っていたら、それこそ日本は既に滅亡していただろう。
となると、「敗戦責任とは何か」という話になるわけだ。

まあ、蛇足になるが、要するに、「戦争責任論」のほとんどは、実は「敗戦責任論」でしかなく、勝っていればすべて許されたという、馬鹿馬鹿しい議論だ、ということだ。しかも、私は「日本はあの戦争では敗戦して良かった」という思想なのだ。
もちろん、最初から戦争などしないのが一番である。その点では昭和天皇にも大きな「戦争責任」はある、と思ってはいるが、天皇に判断ミスをさせる無数の問題(アメリカによる戦争への誘導工作や日本軍部の愚かさ)があったことは、多くの話がある。
あなたが天皇だったら、あの時正しい判断ができたか? それを天皇に求めるのは、それこそ「天皇は神でなければならない」に等しい天皇神格化思想だろう。 で、世の「戦争責任論」が実は「敗戦責任論」という愚論であるのは上に長々と書いた通りである。




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