「東海アマ」ブログ記事で、記事前半は個人的な話なので省略する。後半は医療界の「欺瞞の歴史」のようなもので、まあ、欺瞞ではなく錯誤だとも言えるが、その錯誤の事実を隠してきたと言うか、堂々と呆れた「医療方針の路線変更」をしてきたことのほうが凄い。
普通のビジネスでそういう行為をしたら、完全に「あいつは信用ならない奴だ」とされて見放されるだろうが、なぜか医療界ではそれがまかり通ってきたのである。
それは、患者側が圧倒的に知識の壁にさえぎられていて、「疑問を持つこと」すら不可能だったからだろう。しかし、今はネットで素人でもかなりの科学知識や医学知識を調べることができる。それによって「専門家」の仮面が剥がれ落ちようとしているのである。新コロ騒ぎはその代表的事例である。
*「創傷」の「創」に「きず」の意味があることを、漢和辞典を調べて初めて知った。「傷」を「創(つく)る」とは変な熟語だな、と思って調べたのである。なるほど、物事の創造とは、既成のものに「刀(りっとう)」で打ち込むこと、傷を与えることだったのだwww
医療界に切り込んで傷(創傷)を与えることで、まともな医療が創造されるかもしれない。
(以下引用)
それから、私は子供の頃から急性膀胱炎以来、軽度の腎不全が続いていた。痛風もそのせいだ。長じて、酒とつまみのせいで痛風腎に近い状態になり、腎機能が低下したまま今に至っている。
ところが、腎不全の治療プロトコルは、「安静第一」で、激務は禁止されていた。
だが、私は1990年に日本百名山を完登するなど、登山に狂いまくっていた。
腎不全の治療プロトコルに反した人生だったが、とりあえず終末を迎えようとしているのだが、実は、「安静第一」のプロトコルが大きな間違いで、腎不全は運動によって改善するという新たな指針が作られている。
2022年12月14日 腎不全の運動制限、今と昔でこんなに違います
新しい腎不全の治療プロトコルは、安静にせずに、運動によって全身の循環を高め、腎臓への血流を増やすことで、腎機能の自主的な回復を促すというものだ。
医療界のこれまでのプロトコルは真っ赤なウソだったのだ。
もっとも代表的な医学プロトコルの巨大な過誤は、一般の創傷治療で、「消毒ありき」という常識だったものが、今では「消毒せず、洗浄だけで幹部を密封して放置する」というものに代わっている。
我々が子供の頃、怪我をすれば消毒というウソの知識で、赤チンやヨーチン、オキシフルに頼っていた治療方法は、すべて無意味なものだった。
この新たな「湿潤療法」の普及によって、日本の医薬品産業にも巨大な影響が押し寄せ、赤チンは消えてしまった。
つまり、医学は権威をひけらかしながら、ウソばかり押しつけてきたのだ。
最大のウソは「癌治療」だった。
癌治療の大半が、癌を悪化させていたことをとりあげた著書や論文は多い。
たとえば、20年前まで、癌患者末期では、抗がん剤によって食欲がないことで大半の患者が栄養失調に陥り、癌よりも栄養不良で死ぬことが多かった。
今では、癌患者には抗がん剤よりも栄養療法の方が大切になっている。適切な体力によって免疫力を向上させることの方が、抗がん剤よりも大切だったのだ。
また腎不全と同じで、運動によって循環を高めることの方が、抗がん剤よりも治療効果が大きかったのだが、医師は、それでは医療の価値が下がると思い込んで、そうした考えを否定してきた。
実は、癌患者には「自然治癒」の実例が多数ある。
ポイントは、自然界で癌細胞を本当にやっつけてくれているのは、放射線でも化学抗がん剤でもなく、実は、自身の免疫作用だった。
そこで自然治癒の実例を調べてみると、癌患者が創傷や他の病気によって免疫力を向上させたとき、一緒に癌細胞もやっつけて癌細胞が消失してしまったケースが多数報告された。
昔から、「痛風患者が癌にならない」と噂されてきたが、その本質は、痛風患者は全身の関節で炎症を起こしていて、普通人の何倍もの免疫物質を産生していることが関係しているのかもしれない。
こうして考えると、癌の本当の治療法は、体内の免疫を上げることであって、そのために、他の病気や怪我が役に立ったりする場合があるということだ。
ところが、癌の免疫療法は丸山ワクチン以来、たくさん出現しているのだが、一向に普及しない。
最大の理由は、医師が「治してやった」と言いにくいことや、製薬企業が利権を享受できないことに尽きる。
医療問題の本質は、医師が利権に依存する体質にあることが、はっきりと分かるのだ。
普通のビジネスでそういう行為をしたら、完全に「あいつは信用ならない奴だ」とされて見放されるだろうが、なぜか医療界ではそれがまかり通ってきたのである。
それは、患者側が圧倒的に知識の壁にさえぎられていて、「疑問を持つこと」すら不可能だったからだろう。しかし、今はネットで素人でもかなりの科学知識や医学知識を調べることができる。それによって「専門家」の仮面が剥がれ落ちようとしているのである。新コロ騒ぎはその代表的事例である。
*「創傷」の「創」に「きず」の意味があることを、漢和辞典を調べて初めて知った。「傷」を「創(つく)る」とは変な熟語だな、と思って調べたのである。なるほど、物事の創造とは、既成のものに「刀(りっとう)」で打ち込むこと、傷を与えることだったのだwww
医療界に切り込んで傷(創傷)を与えることで、まともな医療が創造されるかもしれない。
(以下引用)
それから、私は子供の頃から急性膀胱炎以来、軽度の腎不全が続いていた。痛風もそのせいだ。長じて、酒とつまみのせいで痛風腎に近い状態になり、腎機能が低下したまま今に至っている。
ところが、腎不全の治療プロトコルは、「安静第一」で、激務は禁止されていた。
だが、私は1990年に日本百名山を完登するなど、登山に狂いまくっていた。
腎不全の治療プロトコルに反した人生だったが、とりあえず終末を迎えようとしているのだが、実は、「安静第一」のプロトコルが大きな間違いで、腎不全は運動によって改善するという新たな指針が作られている。
2022年12月14日 腎不全の運動制限、今と昔でこんなに違います
新しい腎不全の治療プロトコルは、安静にせずに、運動によって全身の循環を高め、腎臓への血流を増やすことで、腎機能の自主的な回復を促すというものだ。
医療界のこれまでのプロトコルは真っ赤なウソだったのだ。
もっとも代表的な医学プロトコルの巨大な過誤は、一般の創傷治療で、「消毒ありき」という常識だったものが、今では「消毒せず、洗浄だけで幹部を密封して放置する」というものに代わっている。
我々が子供の頃、怪我をすれば消毒というウソの知識で、赤チンやヨーチン、オキシフルに頼っていた治療方法は、すべて無意味なものだった。
この新たな「湿潤療法」の普及によって、日本の医薬品産業にも巨大な影響が押し寄せ、赤チンは消えてしまった。
つまり、医学は権威をひけらかしながら、ウソばかり押しつけてきたのだ。
最大のウソは「癌治療」だった。
癌治療の大半が、癌を悪化させていたことをとりあげた著書や論文は多い。
たとえば、20年前まで、癌患者末期では、抗がん剤によって食欲がないことで大半の患者が栄養失調に陥り、癌よりも栄養不良で死ぬことが多かった。
今では、癌患者には抗がん剤よりも栄養療法の方が大切になっている。適切な体力によって免疫力を向上させることの方が、抗がん剤よりも大切だったのだ。
また腎不全と同じで、運動によって循環を高めることの方が、抗がん剤よりも治療効果が大きかったのだが、医師は、それでは医療の価値が下がると思い込んで、そうした考えを否定してきた。
実は、癌患者には「自然治癒」の実例が多数ある。
ポイントは、自然界で癌細胞を本当にやっつけてくれているのは、放射線でも化学抗がん剤でもなく、実は、自身の免疫作用だった。
そこで自然治癒の実例を調べてみると、癌患者が創傷や他の病気によって免疫力を向上させたとき、一緒に癌細胞もやっつけて癌細胞が消失してしまったケースが多数報告された。
昔から、「痛風患者が癌にならない」と噂されてきたが、その本質は、痛風患者は全身の関節で炎症を起こしていて、普通人の何倍もの免疫物質を産生していることが関係しているのかもしれない。
こうして考えると、癌の本当の治療法は、体内の免疫を上げることであって、そのために、他の病気や怪我が役に立ったりする場合があるということだ。
ところが、癌の免疫療法は丸山ワクチン以来、たくさん出現しているのだが、一向に普及しない。
最大の理由は、医師が「治してやった」と言いにくいことや、製薬企業が利権を享受できないことに尽きる。
医療問題の本質は、医師が利権に依存する体質にあることが、はっきりと分かるのだ。
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