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風の中の鳥 33

第三十二章 二つの愛

 どうも言い訳ばかり多くて申し訳ないが、前章で作者がジャンヌを殺してしまったことについて一言言っておこう。
 「王冠を戴く頭に眠りなし」とかいう意味の言葉をシェークスピアが言っているが、国王と同様に、王妃の座も危険極まりないものなのである。いや、王妃の権力は自分の力ではなく、国王に依存した力であるから、その危険性はいっそう大きい。国王の寵愛が冷めれば王妃の座を追放され、あるいは殺されてしまうことは珍しくない。
 それよりも危険なのは、他の国王夫人、側室らの策謀、暗殺である。特に皇太子継承問題が絡むと、血で血を洗う抗争になることも珍しくない。国王夫人というものは、我が子を次期国王にするためなら、現国王、つまり自分の夫を暗殺することも厭わないのが普通である。なぜなら、女にも権力欲はあるが、国王を支配するのは難しい。しかし、我が子を通してなら自在に権力を行使できるからだ。ライバルである他の夫人たちやその子供の命を奪うことなど、ありふれすぎていて歴史の本に書く価値さえないくらいである。もちろん、正夫人が側室への寵を妬んで側室を殺した話も珍しくない。中国では、嫉妬のあまり、前国王の愛妾の手足を斬り、便所の汚物槽に住まわせて「人豚」と呼んで笑い物にしたというすさまじい話もある。(頭でしか物事を考えない現代の人間には、そのすさまじさをイメージすることも難しいだろうが、たまには、自分をその状態に置いて想像してみるが良い)
 ジャンヌの死について、フリードもマリカの手によるものではないかと疑わないでもなかったが、その頃にはフリードのジャンヌへの愛も冷め、無関心になっていたので、深い追求はしなかったのであった。人間の恋愛感情など、そんなものである。強い恋愛感情というものも、相手との肉体関係が出来るまでの話であり、もしも恋愛感情を永続させたいなら、恋愛が成就したその瞬間に死ぬしかない。いや、成就する直前で死ぬのがベストだろう。多くの結婚生活では、結婚とともに、恋愛感情は無くなり、もっと穏やかな夫婦愛に移行していくのが普通である。特に女性の中には、それを不満に思い、もっとドラマチックで刺激的な不倫に走る向きも多いようだが、性愛などというものの刺激は、短期間しか続かないものであり、次から次へと相手を変える以外には、刺激を維持する手段はない。それによって傷つけられる人間関係の被害の大きさを考えれば、不倫は「やむなく」するものであり、自分から求めてするものではない。(旧約聖書の雅歌に曰く、「愛の自ずから起こるまでは、呼び、かつ覚ますことなかれ」と。)
夫婦の愛は、肉体関係とは別の愛情であり、子供への愛と同じような家族愛である。家族への愛は、しばしば、自分自身への愛以上に強いものであり、多くの家庭の父親のように、家族のためにはどのような自己犠牲も厭わない人間も多い。しかも、恋愛は相手への幻想の上に成り立つものであるのに対し、家族愛は、相手の長所も欠点もありのままに見た上で愛する愛である。恋愛がロマン主義的、幻想的愛なら、これは自然主義、リアリズムの愛だ。もっとも、幻想は現実以上に力強いもので、美的観点からは価値がある場合も無いではない。
 こんなお喋りばかりしていると、話の方がおろそかになるが、フリードの栄達は行き着くところまで行き着いており、普通なら、後は没落を語るしかない。話がそのように進みそうなので、作者としてもこの後は、実はあまり書くのに気乗りはしないのだ。
 だが、人間の上昇は、物質的、社会的なものばかりとは限らない。ジャン・ヴァル・ジャンのように、悲惨の中に死にながらも、精神的な栄光に包まれるというエンディングも考えられるし、マルキ・ド・サドの「虚栄の塔」の主人公ロドリグのように、神との壮大な対決をする、という手もある。まあ、多分、そのどちらにもなりそうもないが、フリードが風に乗ってこのままどこまでも飛んで行くのか、それとも風に吹き落とされるのか、もう少し見守っていただきたい。

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