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他人に酒を注がせる奴

私もコメント48にまったく同意。
幼児じゃあるまいし、自分の酒くらい自分で注げよ、と思う。それさえ面倒ならグラスを口まで運んで貰えwww 「いい子でちゅね、はい、お口あーんして」www
実際、女が傍に付く飲み屋だと、大の大人が女に口までつまみを運んでもらっている。馬鹿の極みである。当人は恥ずかしくないのだろうか。
言うまでもなく、飲み会で上司が部下や新人に酒を注がせるのは「権力の確認と誇示」のためだろうし、接待で接待先の相手に酒を注ぐのは阿諛追従である。
まさに、日本的悪習の代表だろう。下層階級の「お殿様」たち。




上司「あのさぁ!なんで酒注がねえの?」 新入社員「はい?」 上司「酒無いのわかる?」
元スレ:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1499418713/
1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:11:53.751 ID:KKFBtvvtF0707.net
 
新入社員「はあ…」

飲み会にて
なんだこれ、これがゆとりってやつか…



3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:12:25.653 ID:Y/d//4hwa0707.net
新入社員でゆとりっていくつだよ


6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:13:14.278 ID:q1vUjEBRa0707.net
上司ってか先輩だろ
自分で酒も注げないゴミゆとりは

 
7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:13:14.362 ID:EBezYuYd00707.net
気がきかないやつは出世できんわ

 
11 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:14:34.722 ID:OU25VhyL00707.net
酒くらい自分のペースで飲めよ

 
12 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:14:39.110 ID:qarlCecO00707.net
は?何その昭和臭 

 
15 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:15:40.227 ID:XF6YE954d0707.net
その場合は頭から飲ませてやると喜ぶぞ

 


24 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:25:33.621 ID:4TDnviMG00707.net
そういうこと言う人には半分減るたびに注ぎ続けて飲ませ続ける
 
25 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:26:07.058 ID:e7fkPQPZp0707.net
俺が上司になったら絶対自分で注ぐわ
このクソ習慣に終止符を打つ


26 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:26:57.762 ID:tAhmbHbt00707.net
(´・ω・`)報・連・相を大事にね!
結果↓
(´・ω・`)うるせえ!今俺は忙しいんだ!見れば分かるだろ!
_人人人_
> 報告 <
 ̄^Y^Y^Y ̄
       (´・ω・`)あぁん?そんなこと俺に言ってどうすんだ!馬鹿かお前!
          _人人人_
          > 連絡 <
           ̄^Y^Y^Y ̄
 (´・ω・`)なんで今頃になって言ってくるんだ!自分で蒔いた種だ自分で何とかしろ!!
    _人人人_
    > 相談 <
     ̄^Y^Y^Y ̄


27 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:28:04.276 ID:NZsKdvuSd0707.net
そもそも報連相は報告連絡相談がやりやすい環境を作るために上司が動くことで…
いやなんでもないっす

 
32 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:33:40.071 ID:t5YsYeeb00707.net
>>27
そもそもを知らないやつが多すぎだよな
報連相をしましょうじゃなくて報連相をし易い職場環境を作りましょうってのが本来の目的やったのに
 
 
28 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:31:29.446 ID:BBMmVZSJ00707.net
新入社員「なんでお前の酒注がなきゃいけないんだ^^そもそもそれモラハラだよね?」

 
29 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:32:33.738 ID:8PzjeJ4Jr0707.net
>>28
上司「うるせぇぞモルボル口開くな」

 
30 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:33:19.648 ID:tAhmbHbt00707.net
>>28
コミュ障のお前にそんなこと言える度胸ねーだろいい加減にしろ


33 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 18:34:10.034 ID:QfEv8+Vwr0707.net
つかもう飲みたくないのに注がれるのが一番嫌だから絶対つがせないわ




 
48 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/07/07(金) 20:17:10.372 ID:u71Aw7mMa0707.net
これ本当に疑問なんだけどついでもらうのって何が嬉しいの?
自分で飲みたいものを飲みたいペースで飲む方が良くない?



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死者を忘れること、思い続けること

「紙屋研究所」から転載。
「研究所」の名のとおり、筆者の紙屋高雪氏は、読書の仕方や現実問題(PTA問題、自治会問題など)への対処の姿勢が研究者的である。問題は何か、を明確にし、その問題に関する資料や材料を集め、分析し、そこから問題の解決の道筋を探る。
私のように、自分の生理に合わない対象は最初から敬遠する、という態度では、戦争文学など読めないから、物の見方や精神が浅薄になるのは避けられない。「火垂るの墓」を見たのも、あの作品が公開されて10年以上も経ってからだったと思う。それも、娘が読んでいた「恋愛ラボ」という女子中学生学園ものコミックを読んで私もファンになり、その中で主人公たちが「火垂るの墓」のDVDを見て大泣きする描写が面白かったから、やっと観る気になったのである。名作であった。だが、二度と見たくない名作であった。
こういう「心をえぐる作品」を観たり読んだりするには「精神的な体力」が要る。戦争をアクション物としてではなく、人間のドラマとして描いたものを観るには、要するに「目の前に描かれる悲惨」に耐える精神力や気力が必要なのである。それを「他人事」「どうせ作り事」として平然として見ている、という神経もまた正常な(何が正常かはさておき)人間のそれではない。

多くの若者が「この世界の片隅に」について、興味は惹かれながら、戦時下の庶民を描いたものだと聞いて「火垂るの墓」のようなものだろう、と想像して二の足を踏む、というのはある意味健全な心理だと思う。だが、あの戦争で起こったことが何だったのかを知るために、その踏み出し難い一歩を踏み出すのは、自分自身の精神の拡張のために非常に有益なことであり、そして、あの映画を見て、原作を読むという経験は、それ自体、「楽しい」経験でもある。その「楽しさ」は、けっしてあの戦争の死者を冒涜するものではない。むしろ、その経験を通じて、あの戦争の多くの死者たちは現代によみがえり、そして未来につながっていく。永遠に死なない存在になるのである。






(以下引用)

2017-02-05 戦争世代を超える厳密さ 『線』

古処誠二『線』Add StarMOGURAmaruMOGURAmaru





線 (角川文庫) 引き続き、『この世界の片隅に』から関心を広げて、戦争小説を読んでいる。先に古処誠二『死んでも負けない』を挙げたが、同じ古処の『線』を読む。


 アジア・太平洋戦争における南方戦線、開戦当初の時期での、現在のパプア・ニューギニアでの旧日本軍によるポートモレスビー攻略を描いた小説である。


 ◯話の短編がまとめられたオムニバス形式で、主人公がすべて違う。そして、掲載の順番と戦争の時系列がだいたい一致している。

飢餓マラリアのイメージ

 本作を読んで戦争(ポートモレスビー攻略戦)の印象は、補給と輸送が困難を極め、ひたすらマラリアと戦傷に悩まされた戦争であったのだなあということである。最終話近くの状況、包囲された日本軍のいた地域全体に処理されない死体、糞便、泥水が溢れ、その中を飢え・病気・負傷に苦しむ生者がいるという、まさに生き地獄のイメージが強く残った。


 初めは死んだ兵を、穴を掘って埋めたが、やがてただ片付けられ積み上げられるだけになり、ついにはそれさえもされなくなって、セブリ(小屋)に死体が放置されるだけになっていく。


思えば、ギルワ中央地区の守備は都合五旬にも及び、知らぬうちに正月も過ぎていた。その間、隊は兵力と体力を落とし続け、今や野戦病院の森全体が死体に覆われていた。(「お守り」/古処『線』所収、kindle2884/3276)



形を保った病棟がかえって残酷な印象を強めてならなかった。壁はなく、原住民の住居に倣って高床を張っただけの小屋である。それは傷病兵を救うつもりでいたとの言い訳にも思え、見つめるほどに長谷川は虚しさを感じた。病棟の床に横たわった人影は微動だにせず雨を受けていた。マラリアにもがいて転げ落ちたのか、その周囲にも人影が折り重なっていた。目をそらした先には無数のセブリが見え、そのすべてに死体が蝟集していた。病院勤務者が死者を埋めていたのはわずかな間だけで、墓標を立てられた患者も限られている。埋葬の力すら捻出できなくなると死体は野積みされるようになり、その余裕もなくなると放置されてきた。(「お守り」2927/3276)


 戦闘で死ぬ、という状況は、もちろんそれ自体許され難い不幸であろうが、戦争や軍隊においてはそれを「名誉の戦死」として「讃え」、「言祝ぐ」、たくさんの「尊厳」の装置が用意されている。


 他方で、ここで描かれたような餓死、感染症などによる病死、戦傷をもとにした病死、精神錯乱による自殺的戦死といった状況では、「尊厳」がことごとく奪われる。


 同時並行で『黒い雨』を再読しているのだが、死者の「数」という点でも、「尊厳のない死」という点でも、似たものを感じた。


 こんなことが数千、数万の規模で起きれば、民族として「もう戦争などは2度とすまい」と思うのは当然だろうと感じる。


 『黒い雨』に書かれた、


戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。(2523/4872)


というのは、まぎれもない民族の実感であったろう。憲法9条による軍隊も持たず戦争もしないという革命的な思想は、(たとえそれが国連軍の到来を当初想定していたかもしれないにせよ、そういうものとしては受け取られず、)「無抵抗で侵略されて占領されてもいいから、戦争だけはやめておこう。自衛戦争だってまっぴら御免だ」という国民実感に支えられたものだったはずだ。


 ぼくはそのことについて、まず思いを馳せた。

人間の普遍を浮かび上がらせるために

 しかし、古処の本作は、そういうことを言いたい小説ではない。いや、そういうふうに受け取ってもらっても別にかまわないが、そこに狭めた小説ではない、とおそらく古処ならいうであろう。知らないけど。




 言い方をかえよう。


 (作者の意図としては)「悲惨」を描こうとした小説ではない、ということだ。


 それぞれの短編を読めばわかるが、短編ごとにテーマが違う。


 例えば、兵士ではない「軍属」や「人夫」が登場する。


 あるいは、「義勇軍」として台湾高砂族が頼りにされる話もある。


 あるいは、マラリア患者と戦傷兵は同じ傷病兵であるにもかかわらず、周囲の扱いや自尊感情が違い、そこに差別や抑圧が生じる。


 こうした、人間集団の中に生じる矛盾や対立、葛藤が普遍的な問題として取り扱われ、そこに小説という形式を古処が選ぶ必然が浮かび上がっている。

戦病兵と戦傷兵の差

 今例に挙げたマラリア患者=病兵と、戦闘による負傷を受けた者=傷兵は、ぼくらは「傷病兵」とひとくくりに考えるが、そこには違いあった、というのが古処の指摘である。


昨夜の上等兵が饒舌だったのも、戦傷は名誉で戦病は不名誉という不文律があるからだった。(「蜘蛛の糸」2119/3276)



自分がどこでどう傷ついたかを戦傷者の多くは語った。声は不必要に大きく、暗に後送の優先権を主張していた。敵機の爆弾か機銃弾による負傷が多い中では、戦闘による銃創を追った者は最も鼻が高い。濠州ヘイトの撃ち合いを詳細に語る兵隊ふたりにいたっては他を睥睨するような顔をしていた。(「蜘蛛の糸」2154/3276)


 この短編を読むと、致命的な傷を受けない戦傷で「殊勲甲・乙」を得たものは、郷里で店を開けるような小金を得ることができ、その資力をあてにするヨメ=女もゲットできるということになる。


 ユージン・B・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』では、名誉とカネを得つつ必死の戦場を離脱できる戦傷を「百万ドルの負傷」と呼んでいたが、同じであろう。ただスレッジの叙述より、古処の小説はさらにその優遇ぶり、差別ぶりの描写が微に入り細に入りしている。


 しかし、実際に傷病兵を後送する、数少ない船が着くと、この状況は一変してしまう。ここの味わいは小説そのものを読んでほしいが、タイトルの通り「蜘蛛の糸」を比喩ではなく現実の問題として突きつけられる。


 人間が共同する、ということは、共同することが総員の利益にもなり、生き延びる率が高まるからこそ可能なのであって、そこに不純な秩序が入り込めばたちまちその共同は崩壊してしまう、ということがわかる。名誉性の大きい戦傷兵は優先されるが、名誉性の小さい戦病兵は後回しにされる、というルールは人間の生存にとってなんの合理性も有しない。



戦史における通俗的理解のディティールを塗り直す

 もう一つ。当然、戦争についての小説、なかんずくアジア・太平洋戦争の現実を描いた小説でもある。その時にこの小説が果たす役割は、「戦史における通俗的理解のディティールを塗り直す」ということだろう。


 「神は細部に宿る」という言葉をここに適用すれば、そのような具体的な箇所を、戦後数十年たって生まれた作家が調べなおした史実をもとに、再構成し直すことで、これまでの戦争理解が具体的な生々しさの中で覆される…ということになるはずである。




 例えば、前にも紹介したが「戦友」という言葉は、「同じ部隊に属して生活をともにし、戦闘に従事する仲間。戦場でともに戦った友」(『デジタル大辞泉』)と普通は理解されているが、古処は、


厳密には、兵営において寝台が隣り合う初年兵と二年兵を戦友といった。語意としては相棒に近かったが、ようは新兵とその世話役の古兵である。(「糊塗」504/3276)


という知識の塗り替えをやっている。


 しかもその後の短編で


支那での戦いが四年にもなろうかというご時世で、戦友という言葉の意味も単純化していた。(「たてがみ」1915/3276)


として、この言葉がすでに戦争中に単純化を始めていった経緯までを書いている。大西巨人などは、この「単純化」された「戦友」を使っている。いわば、戦時を詳細に描いた現役経験者よりも詳しく書こうとしているのだ。




 「一銭五厘」もそうである。


 兵隊はハガキ1枚で召集されるので、兵士のコストはハガキの値段であった一銭五厘しかなく、兵器や軍馬の方のがはるかに貴重だった、というのは、現代でもよく知られた話だし、経験者が往時を語る際に「昔は兵隊の命は一銭五厘といってな……」のように語られたものである。


 大西『神聖喜劇』にもこのくだりはある。主人公の天敵である軍曹が次のように叫ぶ。


お前達のような消耗品は一枚二銭のはがきでなんぼでも代わりが来るが兵器は、小銃は、二銭じゃ出来んからな(大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博『神聖喜劇』第1巻、幻冬舎、p.98)


 ところが、古処は、この「常識」にあえて突っかかる。


兵隊を指して言われる一銭五厘の値段は、往年の郵便葉書から来ていた。奇妙といえば奇妙だった。召集令状が葉書であるはずもなく、かつ現役徴集の者もいる。入営間の給料や恩給をも考えると全てが不適切だった。しょせん、もののはずみで誰かが口にしたところが定着した慣用句でしかない。(「たてがみ」1880/3276)


 兵隊のコストは、単純に考えても給料や食費、恩給が含まれているのだから、召集のためのコストだけではあるまい、というのは、その通りである。これはぼくも一度考えたことがある。


 ここで古処が塗り直している知識は、むしろそこではなく、召集令状が葉書ではなく、封書で来ているという事実であろう。

当事者の経験主義を超えるために

 『死んでも負けない』の感想でも書いたが、古処は、戦争末期の記録や資料を膨大にあたり、当時を再現している。ひょっとすると戦争経験者を超えるかもしれない厳密さでディティールを作り上げていく。


 これは『この世界の片隅に』でも同様の精神が発揮されている問題でもある。


 事件や時代の当事者の経験というものは、たしかに強い。


 だけども、それは絶対だろうか。


 ぼく一個をふりかえっても、必ずしもそうとは言えない。


 例えば町内会やPTAの活動経験をぼくはもつが、その経験がかえって一面的な町内会やPTA像を作り上げてしまうこともある。町内会やPTAは、調べるほどに全国で多様な姿をしていて、普遍的な姿を描くことは実はかなり困難なことだ。というか、うかつに一般化できないところがある。


 「経験主義」というのは、たいていは仕事や活動の進め方などを我流でやることをさすけれども、戦争小説や創作にも当然同じ問題は現れる。


 細かくは、細部の事実が不正確なものとして積み上がる問題として現れるだろうけども、それだけなく、自分が経験した体験に一面的にとらわれて戦争観を構築してしまうことは、戦争世代にこそあった危険かもしれない。


 古処のような戦後世代は、普遍的な戦争現象を、事実を積み上げていく中で迫ろうとしている。




 ただし、事実を積み上げれば普遍的なものに迫れるかといえば、必ずしもそうとは限らない。もっと大きな理論、直観、本質規定が事態の核心をざっくりつかむこともある。


 この辺りのバランスが難しいところで、だからこそ、方法が一義的に定まらない、創作物(小説・映画・マンガ……)の面白さがある。




余談:標準語にひっかかる

 以下は余談。


 本作を読んでいて、どうにも違和感が残ったのは、言葉の問題であった。古処はほとんど方言を使わない。ドラマ「新選組!」を演じた香取慎吾を見ているとどうしてもあの近藤勇トランクスを履いている気がしてならない、という評を読んだことがあるが、標準語を中心に構成された本作を読んでいると、どうしても現代の自衛隊員がやり取りをしているような錯覚を覚えてしまう。


 まず、ぼくが大西巨人神聖喜劇』の影響を受けすぎているせいでもあろう。対馬の部隊に所属した主人公をとりまく「戦友」たち、とりわけの会話の多くは北部九州の方言でつづられている。


 『この世界の片隅に』や『父と暮らせば』も方言丸出しである。


 もっと若い頃、ぼくはこういう方言で書かれた文体を疎ましく思ったものだったが、今は違う。声を出して朗読するさいには、少なくとも北部九州の方言と広島弁に関しては、方言で書かれた会話体を読みたいと体が欲するほどになってしまった。


 古処は、うかつに標準語で書いているのではない。


 そのことは、作品の中で、意識的に方言を用いる登場人物が出てくるところがあるからだ(「豚の顔を見た日」「お守り」)。


 たぶん、『神聖喜劇』では新兵の教育が描かれていて、それは北部九州から対馬に集められたという事情が大きく関わっているのではないか。海外に派兵された部隊は、全国からの混成になるために、標準語で話すことが多かったのでは……というのがぼくの推察だが、当たっているかどうかわからない。



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目的意識の無い人間は大学に行く必要なし

「スカイヲーカー」さんのブログから転載。
大学の授業料が年間100万円として、4年間で400万円。それだけのカネを払う価値のある授業をしている大学はあるだろうか。特に、文系学部など、行く価値があるとも思えないのだが、それでも行きたいという高校生は多い。今の時代に大学出の肩書がどの程度役に立つかも疑問だが、大卒を採用条件とする大企業は多いのだろう。だが、その大企業自体、「5年生存率」はどの程度あるのだろうか。公務員になりたければ、高卒でなる道もある。司法試験など、実は大卒でなくても受けられる。いや、高校すら、何かを学ぶ目的なら、行く必要があるのかどうかも疑問だが、「友達作り」や「思い出作り」のためになら、行く意味もあるだろう。
要するに、本気で学びたければ、いくらでも自分で学ぶことはできるのだ。そのための手段は、今の時代、いくらでもあるだろう。大学に「遊ぶために行く」目的ならば、年間100万円の授業料は高すぎる。


(以下引用)



20:47  

授業料払えないのに大学に行くな。

今出川5






















「大学生の2人に1人が借りている奨学金。しかし、「返したくても返せない」若者が急増!自己破産した件数は1万件にのぼる。非正規の仕事や正社員でも年収200万円など、若者の雇用環境は厳しい。さらに本人が自己破産した後にも待ち受ける悲劇―身元保証人になった親に請求がいくため、親も破産するケースまで相次いでいる。」


授業料の支払いもできないのに、授業料の高い大学に行くな。

勉強はいつでもどこでも一人でできる。

勉強するのに、今時カネはかからない。

貧乏人は大学など行く必要なし。

中学出てすぐ働け。





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本物の専門家

  1. 私はよく専門家の悪口を書いているが、もちろん専門家(特に漫画家やアニメ制作者)の素晴らしさ、偉大さは、凡人の遠く及ばない巨大な山脈のようなものだと思い、尊敬している。尊敬しないのは口先だけで世間を渡る連中である。経済界にもそうした詐欺師まがいの人間もたくさんいるから、概して経済人は尊敬しない。下の記事は、そうした専門家のファインプレーと、素人の目には見えない仕事内容の深さを示している。基礎部分を作るのに膨大なコスト(時間的コスト、労力的コスト、金銭的コスト)をかけているというのが、まさに専門家と小器用な素人を分ける部分だろう。


               
  2. 博多駅前の陥没事故見て建物の基礎ってここまで深く打ち込まれてるのか、そりゃ建ち始めるまでに時間かかるわけやわと思ったのと、 セブンイレブンの入店マットと登りの生命力に謎の感動を覚えた
  3. 1,811件のリツイート 1,057 いいね
    1. 博多の道路陥没事故、地下鉄工事が原因だったのか。そしてその工事の作業員が、このままだと陥没すると判断し警察に通報、通行規制が行われ、その後陥没・・・奇跡の死傷者0ではなく、優秀な危機管理能力のなせた業だったのな。問題は起こる時は起こる、その時にどう動くか・・・その如実な例だね。
    2. 37,266件のリツイート 21,888 いいね

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この門を入る者、一切の希望を捨てよ

後は米大統領選の結果待ちだが、どちらが大統領になっても、「やっぱりTPPは推進します」となったりしてwww
いよいよ日本は「新自由主義地獄」への崖を転がり落ちたようだ。




(以下引用)




TPP法案、賛成多数で可決 特別委、抗議の中採決強行

2016年11月4日20時50分



 環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と関連法案は4日の衆院TPP特別委員会で、自民、公明、日本維新の会の賛成多数で可決された。TPPをめぐる「強行採決」発言など、失言を重ねた山本有二農林水産相の辞任を求める民進、共産両党が採決は拙速だとして抗議するなか、与党が強行した。


 地球温暖化対策の新たな国際ルール「パリ協定」の承認案の採決が予定されていた同日の衆院本会議は、「遺憾の意を表して中止する」(佐藤勉・衆院議院運営委員長)として開かれず、承認は先送りされた。政府・与党は8日にパリ協定の承認とともに、TPP承認案・関連法案の衆院通過を目指す。民進党は山本氏の不信任決議案の提出も検討しており、対立は激しさを増している。


 4日の特別委は、与党側が民進など野党側と審議日程の調整がつかないまま、委員会採決に向け、午後から締めくくり総括質疑を実施。山本氏は「先日の私の不用意な発言によりまして、再び皆様に大変、ご迷惑をおかけいたしましたことを心からおわびを申し上げます。また発言につきまして、謹んで撤回をさせて頂きます」と謝罪。質疑で「職責を全うする」と答え、辞任は否定した。


 これに対して、民進、共産議員は、合意のない状態での委員会開会に反発し、退席。質疑の終了直前、委員会室に戻り、「強行採決反対!」などと書いた紙を手に、塩谷立委員長を囲んで抗議。採決は騒然としたなかで行われた。


 民進の蓮舫代表は採決後、記者団に「数があると何でもできるんだということを、まさに自ら行っている」と与党側の対応を批判。不信任決議案の提出が「視野に入っている」と強調した。


 臨時国会の会期は今月30日までだが、混乱が長引く可能性があり、政府・与党は会期延長を視野に入れざるを得なくなっている。


 山本氏は先月18日の佐藤議運委員長のパーティーで「強行採決するかどうかは佐藤勉さんが決める」と述べ、その後、国会で謝罪。今月1日の自民党議員のパーティーでも自らの発言について「冗談」と発言。参加していたJA関係者には「農林省農水省)に来て頂ければ何かいいことがあるかもしれません」と利益誘導とも取られかねない発言をしていた。



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米国大手マスコミ、トランプ優勢を報道

すべてがユダ金ジャーナルである米国大手マスコミの一つ、ワシントンポストがトランプ逆転の記事を書いた(正確には、ABCテレビが報道した)のが少し興味深い。まあ、どちらに転んでもいいように、ということで、「1%のリード」としているところがせこいwww しかし、ユダ金自体がクリントンに見切りをつけた、という可能性も無いではない。トランプが大統領になろうが、どうせカネで転ぶ、という考えもあるのではないかwww


(以下引用)

【米大統領選】世論調査でトランプ氏がクリントン氏を逆転 Eメール問題が影響

BuzzFeed Japan 11/1(火) 21:05配信

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米大統領選の共和党候補者トランプ氏の支持率が、民主党候補者のクリントン氏を追い抜いた。【BuzzFeed Japan / 鈴木貫太郎】

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米大手紙ワシントンポストとABCテレビが11月1日に公表した民間世論調査によると、トランプ氏の支持率が46%でクリントン氏(45%)を1ポイント上回った。

ABCニュースは、「クリントン氏の支持層で、投票する意欲が下がっている」と指摘。クリントン氏の私用メール問題でFBIによる再捜査が決まったことが影響したとみられる。


ABCニュースによると、過去の大統領選では、1週間前の世論調査で劣勢に立たされた候補者が勝利したケースもある。

2012年はオバマ大統領の支持率が48%で、共和党候補のロムニー氏の49%を下回った。2004年でも民主党候補のケリー氏が1ポイント差でブッシュ氏を上回っていたが、選挙では敗れた。

調査は、10月27日~10月30日に有権者1128人を対象に実施された。

大統領選投票日は11月8日。

トランプ氏がこのまま支持を伸ばし、大統領選に勝利するのだろうか。



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「土人」発言者のゲス心理

「土人警官」www
まるで、「認知に困難をきたす症状」を「認知症」と言うような命名だ。「ひとを馬鹿と言うほうが馬鹿なんだぞ~」という子供の口喧嘩www

まあ、機動隊員が関西右翼のトモダチであるというのはよく分かる。だいいち関西のお偉い知事からして右翼だから当然だwww(ここでは本物の右翼との区別はしないことにする。いちいち面倒だwww)


まあ、土人という「差別用語」は植民地宗主国(あるいは白人や疑似白人、精神的白人、自分たちが世界の中心だという頭の悪い中華思想人間)に通有のもので、宗主国の最下層の人間まで、自分は「土人」よりは上の存在だ、と自惚れているわけである。沖縄はいい加減独立しないと永遠に土人と言われ続けるよ。中央から見て地理的辺境にいるだけで永遠に土人扱いだ。独立すれば、もはや辺境ではない。
シンガポールが自立できるのだから、沖縄もその気になれば独立してやっていけないことはないだろう。要するに、搾取されている部分が目立たないから「宗主国」の恩恵が大きく見えすぎ、独立をためらっているだけではないか。これは日米関係の縮図だ。


(夢人追記)タイムリーなツイートと画像があったので追記しておく。ついでに言うが、これからは本土政官界の要人と面会する時は「沖縄土人の翁長です」と自己紹介することを翁長知事にお勧めする。これは真面目な提案だ。それによって本土政官界の保守派の深層意識や、その正体をさらけ出すとともに、他者から「土人」と言われる攻撃を無効化できる。


            

昭和18年の「ヨイ土人」の表象。「日の丸」持たないやつは悪い「  」ということでしょうね。:「愛国イロハカルタ」財団法人日本少国民文化協会制定 財団法人日本玩具統制協会発行 昭和18年12月10日発行


土人警官と犯罪ウヨク

| コメント(9)

16102101.jpg

例の土人警官なんだが、犯罪ウヨクとして有名な「チーム関西」のお仲間だそうでw 満面の笑みで、チーム関西を迎える土人警官の姿が、チーム関西がYou Tubeにあげた映像から確認できます。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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