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テロリストという幽霊たち


 一方、爆発現場は「にぎやかな地区に近いものの、特に何があるというわけでもない場所」(付近の住民)だった。テロだとすれば、なぜそんな場所が標的になったのか不可解な面もある。


というわけで、日本なら子供が花火遊びでもやっていてうっかり爆発事故でも起こしたんだろ、で片づけられる程度の事件(故意のいたずらなら「事故」ではなく「事件」となるわけだ。)ではないかwww
何が何でも「テロリスト」の存在を作り上げたいのが欧米政府と欧米マスコミである。



(以下引用)


不気味な緊張、街覆う=9・11後初テロに衝撃―国連総会中、前例ない大警戒・NY

時事通信 9月19日(月)21時34分配信

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 ニューヨークのマンハッタンで17日に29人が負傷した爆発事件は、繁華街の2カ所で爆発物をさく裂させる連続爆弾テロが企てられた可能性が出てきた。

 さらに同じ日、隣のニュージャージー州では開会直前のマラソン大会コース沿いでパイプ爆弾が爆発。中西部ミネソタ州でも刃物を持った男が8人を負傷させ、過激派組織「イスラム国」(IS)系メディアが「犯行声明」を出した。国連総会出席のため各国首脳がニューヨークに到着し始めた18日、米最大の街を不気味な緊張が覆った。

 ◇魅力的な標的
 連邦捜査局(FBI)は19日、今回の爆破事件に絡み、米国籍を持つアフガニスタン系のアフマド・カーン・ラハミ容疑者(28)を指名手配した。ただ、これまでのところ犯行声明などは出ておらず、犯行の動機や組織的背景の有無を含む詳細ははっきりしない。

 それでも、ニューヨークは「テロリストにとって最も『魅力的』な標的」(保安専門家)と言われてきた。経済や文化の世界的中心地で、その象徴が集中しているからだ。2001年の同時テロより後、証券取引所やタイムズスクエア、ブルックリン橋といった要所を狙ったテロが少なく見積もっても15件、未然に阻止されている。

 今回、死者こそ出なかったものの、ニューヨークが同時テロ後、初めてテロに見舞われた可能性がある。爆発物を使ったケースとしては、全米で見ても13年4月に3人が死亡、264人が負傷したボストン・マラソン爆弾テロ事件以来であり、ニューヨークの行政・治安関係者に与えた衝撃は小さくない。

 昨年来、フランスやベルギー、ドイツなど欧州各地でISに関連したとみられるテロが頻発。米当局もテロへの警戒を強めていた。元ニューヨーク市警のテロ担当官は取材に対し、「どこかの街でテロが起きるのは時間の問題と覚悟はしていたが、ニューヨークよりも警戒レベルの低い場所だと思っていた」と述べた。

 一方、爆発現場は「にぎやかな地区に近いものの、特に何があるというわけでもない場所」(付近の住民)だった。テロだとすれば、なぜそんな場所が標的になったのか不可解な面もある。

 ◇安倍首相も到着
 18日、安倍晋三首相やオバマ米大統領ら要人が続々とマンハッタンに到着した。「間もなく大統領の車列が通る。しばらく待って」。18日夜、爆発現場から約2.5キロ離れたビジネス街パークアベニューと53丁目通りの交差点。赤と青の目がくらむような灯火が点滅する中、主要ターミナルのグランドセントラル駅などに向かっていた何十人もの歩行者が急きょ、通り道をふさがれた。

 「ハイレベルウイーク」と呼ばれる国連総会新会期冒頭のこの時期、要人保護のため国連本部付近には毎年、厳重な警備が敷かれる。デブラシオ市長は事件を受け、過去最大規模の治安要員を配置すると説明。市警や州警察、保安官事務所など多数の緊急車両が主要道路の路肩を占拠した。 




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宋文州氏の「正義論」

宋文州氏のブログから転載。

「・・・あれ、もうそろそろ着くな。行きより帰りがえらい早かったな?」

「それはあなたが熱く語ったからよ・・・」(助手席にいる妻の声)
「・・・・・・」(後ろの娘が半分寝ている)

というのが面白い。だいたい、熱く語る言葉を他人は冷めて聞くものだww
だが、宋氏の「正義論」にはほぼ同意する。正義の大半は主観的なものであり、しばしばドグマ(狂信的信条)である。特に「アメリカの正義」について書かれた部分はまったく同感だ。
これを敷衍すれば「正義が地球を地獄にしている」と言えるのではないか。もちろん、これは「アメリカの正義」の「アメリカの」を意図的にカットして作った逆説的な言葉だが、日常的にも「自分は正しい」と思って行動している人間こそがはた迷惑な存在であることは多いような気がする。
「徳は中庸にあり」という言葉が私は好きなのだが、スローガンとしての「正義」は常に極端な行為や他者弾圧に結びつくことが多いように思う。

下の記事で「富」を正義より上位に置いている部分は少し引っかかるが、「富」を「利(利益)」に置き換えたら、実は「義は利の和である」(墨子の言葉だが、私流の解釈では、「世の中の全員の利益の調和点となることが正義である」ということ。個々人の利益は他人の利益と相反することが多いが、その調和するところ、妥協点が正義と見做せる、ということだ。)というのと近い内容になるのではないか。


(以下引用)

娘の質問に答えて

今年から私の四人の子供全員が米国の高校や中学校で学ぶことになりました。暇になった私達夫婦は、旅行を兼ねて子供たちを訪ねることにしました。

高三の長女を車に乗せて買い物に行っていた時です。後部座席で宿題をしていた彼女が突然「パパ、正義についてどう思いますか?」と聞いてきました。どうも学校の宿題が某哲学者の本を読んで感想を書くことだったようです。その哲学者は「金銭や権力から独立した普遍的な正義が存在する」と主張しています。

普段から正義についてまじめに考えたことはないのですが、「普遍的な正義が存在する」との言葉に自分の神経が強く刺激され、とうとう子供に熱く語る羽目になりました。

「その哲学者はきっと苦労したことのない人か、経験の浅い若者だと思う。パパはいろいろな国のいろいろな文化背景や宗教を持つ人と会って、彼らはそれぞれ自分の正義感を持つことを知っている。個人的に付き合うと滅多に悪い人はいないが、同じ問題に対して自分の正義感から出した結論はまるで違う。つまり、現実としては普遍的な正義は存在しない。人々はよく自分の正義こそ普遍性があると信じたがる。」

「正義感が強いほどタチが悪い場合がよくある。他人のことを否定し、現実や事実を無視する、あるいは自分の信念に沿うように現実と事実を解釈する。」

「例えば今進行中の米国の大統領選挙。クリントンとトランプに対して大半の米国人が反感を持っているのにも関わらず、この二人のどちらかを大統領にしなければならない。米国の政治システムは世界で最も進んだシステムであるかのように、米国のエリートは信じているが、それは米国が一番強く一番豊かだから、そう信じられてきただけだ。戦後の歴代米国大統領が、その米国の民主主義が世界にとって普遍的な正義だと思い込んで、その政治システムが合わない国々にも強引に押し付けた結果、イラクやシリアの悲劇が起きている。」

「パパからみれば、正義でも悪でも道具に過ぎず、目的ではない。人々が生活の中で正義を考えた場面は少ないはず。豊かな生活をすることが最も重要な目的だろう。自由があって貧しい生活をするシステムは自由に貧乏になるシステムだ。逆に豊かになることは、それなりの自由がないと無理である。したがって、目的は正義ではなく、豊かさに置いたほうがわかりやすい。豊かであることは物凄く発信力がある、豊かな社会のシステムが自然に魅力的になり、人々から『正義』であるように感じられるはず。」

「人々が権力者と戦うのは正義のためではない。より良い生活をするためだ。戦って勝利した人々から新たなリーダーやシステムが誕生するが、多くの場合、結局同じことをするようになる。」

「米国人のほとんどは世界中から移民してきた人達だ。歴史も文化も中国や日本などと比較すればないに等しい。だから特殊な正義が多い。たとえば『銃所持の自由』はその一つの典型だ。政府も統治も行き届かないこの大地にやってきてインディアンから土地を奪って自分を守るのは自分だけであった。これは数千年前から土地をきちんと所有して丁寧に耕してきた中国では考えられない状況だ。そんな特殊な略奪歴史に始まった銃所持は歴史の長い国から見れば明らかに異常であり、人々の生命を危険に晒すシステムだ。政府も警察も法廷も整備された今、個人が銃を所持しなくても、個人の権利は十分に守られる。廃止すればいいのに、米国の正義によって未だに強く守られている。」

「この正義は明らかに陳腐化したもので、ライフル協会などの利権団体の道具になっているが、米国に文句を言う国はいない。なぜならばこれまでの米国は一番豊かで強かったからだ。もし米国よりも豊かで強い国が現れたら、米国の正義の多くは疑われるだろう。」

「・・・あれ、もうそろそろ着くな。行きより帰りがえらい早かったな?」

「それはあなたが熱く語ったからよ・・・」(助手席にいる妻の声)
「・・・・・・」(後ろの娘が半分寝ている)

住宅街の玄関先にはトランプの看板が目立って、なぜかクリントンのものは見つかりません。

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誰も見ないところで誠実に活動する人々

「IWJ (independent webb journal)」から転載。
記事の所在は孔徳秋水氏のツィッターで知った。こういう記事までちゃんと読んでいるところが偉い。IWJもいい報道をしているし、宇都宮健児氏もいい活動をしている。
こういう人々を「地の塩」と言うのだろう。
マスコミが取り上げる馬鹿騒ぎばかりにしか目が行かない国民は恥じるべきである。まあ、私も自分では何も活動せず、知った風に論評ばかりしている低劣な人間だが、表に出る資質が無いのだから、仕方が無い。せめて、頌(しょう。賞賛)すべきは頌し、非難すべきは非難することで少しでも社会悪を正したいのである。



(以下引用)



小選挙区で3百万円「世界一高い選挙供託金は廃止!」 米、独はゼロ、英8万円、「お金がない国民を立候補できなくさせている供託金の違憲性を問う」供託金違憲裁判 第一回口頭弁論報告会 2016.9.16

記事公開日:2016.9.16地域: 動画

 「衆参の小選挙区で300万円、比例代表選挙の場合は600万円。アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマーク、スイス、ロシアなど供託金がゼロの国も少なくない中、日本の選挙供託金は極端に高い。これは、収入、財産に余裕のない者の被選挙権を実質的に奪うものであり、『両議院の議員及びその選挙人の資格は』『財産または収入によって差別してはならない』と定めた憲法44条に違反している」


 宇都宮健児氏をはじめとする弁護団が提訴した「選挙供託金違憲訴訟」の第一回口頭弁論が、2016年9月16日に東京地方裁判所で行われた。



 定員42人の傍聴席は満席となり、法廷に入りきれない傍聴希望者もいた。


 原告訴訟代理人の宇都宮氏は意見陳述で、「選挙権に関する『一票の格差問題』に関しては、司法の積極的な判断で、国会を動かしつつある」と指摘した上で、「政治の劣化を防ぎ健全な議会制民主主義を維持するためにも、裁判所は本件訴訟において、司法本来の役割を果たして、懸命な判断をされることを強く要望する」と訴えた。


 第2回公判は11月25日午前10時より開かれる予定。



■ハイライト


  • タイトル 世界一高い選挙供託金の廃止を! 供託金違憲裁判 第1回裁判 口頭弁論後の報告会
  • 日時 2016年9月16日(金)13:45頃〜
  • 場所 弁護士会館(東京都千代田区
  • 告知 希望のまち東京をつくる会Facebook

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底辺への教育は無駄?

「混沌堂主人雑記」から転載。
元記事は読んでいなかったのだが、面白い記事である。もっとも、コメントを全部読むのもなかなか大変だ。その中で特に気に入ったのは

中卒だけど毎日楽しい


というもので、ああ、素晴らしいな、と思う。毎日楽しいのなら、これこそ最高の人生だろう。こういう人間、こういう生き方はどんな哲学者よりもどんな宗教家よりも上だ、と私は思う。

と言っても、私が「底辺への教育は無駄」論者に賛成しているわけではまったくない。
無駄と言うなら、高等教育こそが無駄の最たるものであり、中でも東大は無駄どころか日本の諸悪の根源ではないか、と思っている。大学など全部無くして専門学校にしたらいい。物理専門学校、数学専門学校、医療専門学校、法律専門学校などだ。師範学校というのも復活したらいい。教師を作るための学校だ。

教育は底辺(誰でもスタートラインでは知的に底辺だ。)のためにこそ必要であり、初等教育こそが一番大事なのだ。高校以降は独学でもいいのである。

公立図書館があり、ネットがあるのだから、それらを利用すればどんな知の巨人にでもなれる。

「学校」は「人生と社会と人間と、人類の文化(の見取り図)を知るところ」であり、「人間性と視野を広げるために最適の場所」なのであって、勉強などは本来はその機能の一部でしかない。大学入試のためにしか意義が存在しないような高校がどれほど多いことか。




(以下引用)

はい論破。ネトウヨこそもっと教育すべきだったかな・・

ネットゲリラ より

上記文抜粋
・・・・・・
安部総理!はい論破!

野次馬 (2016年9月16日 01:07) | コメント(14)
アタマの悪い貧乏人の子供は、教えてもムダなので、金持ちだけが勉強すればいいよ、という話なんだが、それをやったのがイギリスですね。階級社会で、貧乏人はビートルズになるしか出世の途がない。日本でも、江戸時代にはそういう社会だった。勉強するのは武士階級だけ。町人や農民なんて、知ったこっちゃない。ただ、日本ではみんなその嘘に気がついていて、民間でも熱心に教育をした。寺子屋とか、アレは公立の存在ではない。

「経済格差は知能の格差」「知能は遺伝の影響強く受ける」 橘玲氏の記事が物議、日本の教育政策はムダなのか
「文芸春秋」(10月号)に掲載された記事、「言ってはいけない格差の真実」を巡って議論が起きている。
筆者は作家の橘玲氏。「知識社会においては、経済格差は知能の格差だ」と主張している。
橘氏は記事で、自身の著作『言ってはいけない残酷すぎる真実』(新潮新書)から引用し、「知能の遺伝率はきわだって高く、論理的推論能力は68%、一般知能(IQ)は77%。知能は7~8割は遺伝するといえる」と説明。近年では成長とともに遺伝の影響が変化することがわかってきており、IQの面では幼児期から思春期にかけ、成長に従って遺伝の影響が強くなっていくという。
そのため、小さい頃に教育を施しても、「ヘッドスタートによる学力の向上は一時的なもの」であり、思春期のころには教育投資の効果はほとんどなくなってしまう、とする。
こうした根拠から橘氏は、日本の教育政策の効果に疑問の呈する。
「ミャンマーやカンボジアのような新興国で、これまで教育の恩恵を受けたことがない子どもたちに初等・中等教育を提供することに大きな価値があるが、日本やアメリカのような先進国で、ばらまき的な教育投資を続けることがどれほどの政策効果を持つかは疑わしい」

実際、エリートの家庭、家系からも屑は出る。アベシンゾーを見よ。必ず一定数の屑が出るんだから、その分はどっかから補充しなきゃならない。幸いにも、貧乏人のDQNから秀才が生まれる事もある。それで何とか補充が効いて、前世代のアベレージを次世代でも保てるわけです。下から上がって来る途を閉ざしてしまうと、エリートばかりだった筈の集団が次第に劣化して行く。そういや「イギリス病」なんて名前もあったなw

・・・・・・中略・・・

専門家「貧乏な子供は遺伝子レベルで学力低いから国は教育投資するな」 、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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べんきょうは したいやつだけ すればいい
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親は両方一ッ橋卒業だし、母の父親は医者
親父の従兄弟は某大手企業の取締役

俺は偏差値すら存在しない高校卒業
最近ニート卒業して就職したが頭が悪すぎてなにしてんのかよくわからない
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↑安心した。
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グーグルが作った人材採用アルゴリズムによると
学歴と入社後の仕事の良し悪しに相関関係がないらしい。
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↑Fランと東大に差がないとかいうわけじゃないからな
Google採用試験突破できるのが前提だから東大と京大に差はないくらいなもんで
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DQNが産んだガキが軒並みクルクルパーという現実
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超絶アホを多少アホくらいにするのが義務教育だからそれでいい
最初から全員がエリートになれるなんて誰も思っていない
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エタ・非人 復活?
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教育投資に無駄は無い。
現代人が勝手な思い込みで庶民は文盲が当然と思っていた江戸時代に実は庶民の子も寺子屋で読み書き算盤を普通に習得していたから明治時代のスタートダッシュが出来た。
エリートへの先端教育もあるべきだしそこから優秀な教育者・研究者・指導者も生まれるがボトムレンジを底上げしないと国は滅びるし底上げすれば国は栄える、
国が栄えると書くと左翼の阿呆は発狂するが国が栄えるとは国民が栄えるという事だ。
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義務教育と偏差値60以上の公立高校、国立大学の全てはタダ
これくらいはした方がええと思う
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つ劣悪遺伝子排除法
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数学王のフリードリヒ・ガウスがただの大工職人の子供だったのに、崩壊しかかっている新自由主義に媚びをうる国際情勢の小説を売る作家ってだけで底が知れる
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金持ちの息子でも本当頭悪いのいるよな
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貧乏人でも頭良いのはいる
割合の問題だろね
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じゃあ俺たち兄弟は突然変異かなw
俺なんか父親に ●学歴じゃ生きていけないぞ!手に職つけるのが一番!絶対に食うに困らないぞ!●って言われて
育ったわ。
小学校の時の家庭訪問なんか、先生の前で正座しちゃて、●先生!いつもお世話になってます!コイツ、俺に似て馬鹿でどうしようもなくてw コイツのこと、見捨てないで下さいね先生w 生意気なことしたらぶっ飛ばして構わないんでw● って、20歳代後半の若い先生にペコペコしてたよw
前にも似たスレに書いたけど。

父親・・・・・土木型枠職人(中卒)
母親・・・・・美容院の雇われ美容員(専門卒)
長男・・・・・地元の公立高校 ⇒ 働きながら2浪して東京大学理学部 ⇒ 日本銀行
次男・・・・・地元の公立高校 ⇒ 現役で新潟大学医学部 ⇒ 医局勤め
長女・・・・・地元の公立高校 ⇒ 現役で東京大学理学部 ⇒ マッキンゼー
俺・・・・・・・地元の公立高校 ⇒ 東京理科大学(奨学金) ⇒ ITメー子
何故か俺だけ理科大w
近所の人とか、この両親からなんで東大生が?みたいな感じであからさまに不思議がってるw
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うちは貧乏からそこそこ金持ちに成り上がった家庭だけど
おいらアホのまんま
計算障害LDだし
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別に知能が高くなくてもサイコパスみたいに他人のことを考えれない人間なら
現代社会では金持ちになれるだろ
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前に病院でお金持ちと貧乏の赤ちゃんの取り違えがあって、その赤ちゃんがおっさんになってから病院を訴えてたな
書くの面倒だからググってね
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↑60年前の赤ちゃん取り違え事件か
あれの恐ろしさはどんなに良い環境で育てても心の賤しさ貧しさはどうしようもなかった
この点に尽きるわ
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子供の教育が無駄だと?馬鹿なこと言ってんじゃねーよ
老人の医療費のほうが圧倒的に無駄じゃねーかw
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頭悪い記事だな
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身分制の復活くるな
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遺伝はするけど、それを100%遺伝のせいにするのも間違ってる。
環境を考慮しないのは片手落ち。
こういう白黒で結論してるヤツは頭悪いよ。
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ジョン万次郎とかすげえよな
大学首席卒業、事業成功
漂流しなかったら一生ただの漁師
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この人の本読んでるとこだけどさ、この理論で行くと>>1のミャンマーカンボジアは貧乏だから遺伝ってことになる。
投資するだけムダってことになるね。
日本は金持ちだから投資分だけ底上げできることになる。
隔世遺伝は説明してないし。
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↑その通り、橘氏の論理は破綻しているね
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「めんどくせぇ...」←これにつきる
何かにつけて面倒くさがる人は、何やってもダメ人間。遺伝子以前に考える事を放棄してるので、頑張って乗り越える努力する感情が皆無なので何もしない→貧乏人
親をダメな理由にするなら、早いうちに現実を見させて目を覚ませ無かったのがダメ
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しかし、とうとうこういうこと言うやつが出てきたんだな。
上流はみんな分かってたけど口には出さなかった代わりに、結婚相手をよく吟味してたんだよな。
バカと貧乏は遺伝ということをよく知ってるのだろう。
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子供に必要なことを教えないってのは貧困層にはあるかもな
「アタシに教えてくれる人がいなかったのに教えるのはムカツク」とでも思ってるのか
子供の将来に関心がないのか
よくわからないが
勉強にも変な思い込みがあって子供が素直に勉強できる教育をしないんだよ
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あんまり知識与えると能力以上のプライド持つようになるからな
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おいらの出た韮山高校は、進学校とはいえ、東大の現役合格者は、せいぜい年に二、三人です。おいらの同級生では、熱海の板前の息子が合格していたw ヤツは、文化祭で自作のホバークラフト飛ばそうとして事故を起こして、片腕を切断するという災難にも遭っていたんだがw まぁ、でもだいたいにおいて、韮山高校出身者の子供は、やはり韮山高校です。ここら辺では、私立の進学校はありません。

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野口英世 はい論破
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つ 安部総理
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知能が低いから教育が必要だと思う俺はバカなの?
逆に知能が高くて高収入の家庭の子なら教育必要ないよね?だって馬鹿でも周りがチヤホヤして支えてくれるから(笑)
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だからこそ投資する必要があるんじゃないの?
そういう底辺から底上げしていくべきなんじゃないの?
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知能はある程度遺伝する
だがある程度でしかない
人間、というより生物にとって重要なのは「多様性」でしかない
多様性だけが正義
知能が低いはずの群体の中に、全体を飛躍させるものが突如現れたりする
それが生物界のダイナミズムなので
無駄だから教育投資するな、は経済的な論理でしかない 実にさもしい
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遺伝というよりは愚かな親の生きかたを見て学習し、それをトレースするサイクルから抜け出れないだけだろ。
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かといって底辺が決して這い上がれないような待遇の差をつけるとどうせ頑張ったとこで無理と腐る層が出て治安の悪化に繋がるからな
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学力と知能は比例しない
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あんま考えたことなかったけど
確かに初等教育で詰まったやつにとって中等教育は地獄だろうな
それであんなに偏差値の低い高校は荒れてて現業職は大卒を憎悪してるのか
かわいそうに
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たとえ馬鹿でも金持ってりゃそこそこの人間になれる。
たとえ頭良くても金がなきゃ人間すらなれない
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昔の農民なんて計算もできないはな垂ればっかりたったけど今はかけ算もできるし漢字まで書ける
池沼だってひらがな書けるし足し算もできる
教育は必要
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うちの田舎がこんな議論してるわ
頭いい奴、順応性ある奴は都会に出て戻って来ない
せっかく教育投資したのに還元されないんだと
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↑そもそも、戻ってきたくても職場が無い
東大卒が地元の市役所を受けて回るのは普通だからな
東大卒でも市役所しか行くところが無いんだ
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いやお猿さん無勉で放り出しても
教育するからこそ多少はマシになるんですしおすし
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>>1
世界中で取替え子事件が起こってて
これは否定されてる
頭わるすぎだぞ
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貧乏人が怒るんだろうけど貧乏人はなんで自分が貧乏か考え無いからなぁ
それに30代前半で気が付いた子供は伸びる
学力もあるけど周りの環境が一番だ
周りが派遣ばっかりだと生活丸ごとそうなるし周りが独立してれば考えだけはそうなる
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東京都民の平均年収が623万なんだが
東大卒の平均年収が729万
慶応卒の平均年収が629万
で都民全体の平均年収とほとんど大差がないのが事実だぞ。

子供の頃から受験勉強やって4年間大学に通ってこれじゃ
もっと他の分野へ投資したほうがいいだろと思う。
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俺的には後天的な環境要因が大きいと思う
ドカタの家にはデスク環境がない
テレビがある
んでその子供もデスクワークできない生物に育ってる

そもそもそれが染色体の作用の結果だって言うんだろうけど
う~ん
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↑親がアル中で勉強してると妨害してきたりな
仕方ないので空き地で蚊に刺されながら勉強したり
本当に酷かった
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目的が分かってないな。人間はいらない
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そんなに大げさに知能が遺伝が言わなくても AIが人間の知能に追いついたら 個人の知能なんてどうでもよくなるよ
そもそも殆どの人間に知能なんて期待されなくなる
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中卒だけど毎日楽しい
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裕福層と貧困層、それぞれの子供の脳容量比べたら、貧困層の子が少なかった的な話があったな
子供の頃からの教育と食生活の影響だったっけ?
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けっきょく東大のクソたちをたくさん見てると
ノーベル賞とか社会的成果を出すやつ以外は
高学歴なんて不要だろうと思う
中程度でいいから、人間性のマシなやつのほうが社会の役に立つ
つまりノーベル賞を排出できない東大に税を使うのは無駄
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少数精鋭じゃなくて、
アベレージで平均が高かったことが日本の強みなんだけどねえ
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まあ過去最高の総理が小卒田中角栄の時点でお察しだろ
日本の文系高学歴なんてたいした意味はない
小賢しいの指標ととらえたほうが正しそうだ
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子孫をどれくらい遡れば、劣化DNAが確定できるの?
それを証明してからにして。
単に現代の親の生活水準で決めてるだけなんじゃない?
それは知能ではなく教育環境の影響が遥かに大きい。
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同じ遺伝子の兄弟でも
バカと利口なのがいるだろ
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格差の分、ゲンナマよこせ
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まああれだ
ペーパーテストだけの選抜なんて
よっぽどバランスとれた人間以外は、暗記だけ得意なアスペ度の高さを測ってるだけだもんな
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後の劣等遺伝子排除法である
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F欄の大学生。貧乏親から無理やりいかされてやる気なしワロス
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こいつ安倍晋三にケンカ売ってるぜw
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塾に通ってもFランにしか行けない奴らに失礼だろ
そいつらのお陰でメシを食べて行けるクズもいるんだぞ
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遺伝より環境だろ。家で両親が、「本を読まない」「机がない」「勉強しない」という家庭では、いくら子供を叱責してもムダ。子供は親を見て育つ。



・・・・・・
・・・・・
抜粋終わり

>けっきょく東大のクソたちをたくさん見てると
ノーベル賞とか社会的成果を出すやつ以外は
高学歴なんて不要だろうと思う
中程度でいいから、人間性のマシなやつのほうが社会の役に立つ
つまりノーベル賞を排出できない東大に税を使うのは無駄

意外と、この方が正しいのかもしれない。

底辺を底上げした方が、練磨もしない・徳も積まないエリートを飼うほど、国家は悠長にできない。

今の日本を見ると、この意見のほうが正しいかな。


お読みくださりありがとうございます。

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異物排除の歴史

日本人は単独では優秀な人が多いですが、組織で動くと理念や観念論が優先されて合理的な意見を圧殺し、結果として成り行き任せのデタラメな判断を取り続けた歴史だと思います。


これは日本の近代史(さすがに弥生時代以降の歴史ではないだろう。まあ、稲作が始まったころから「組織」は始まったと大雑把に言えるとは思うが。)の本質を見事に喝破しているのではないだろうか。
そして、これからの組織は、「異物」や「例外」をメカニズム的に受容し、プラスにする工夫が必要なのだと思う。

全体の空気に支配され、「捕虜になる日本人兵士は存在しない」というありえない前提(ドグマ)で物事を進めるから、戦争に負けたりするわけだ。これは軍隊だけのことではない。

「柔構造の組織」というのは、かなり前から言う人はいたと思うが、それを個別の組織や体制に組み込む、現実的工夫がほしい。
いや、その前に、日本社会が異常なまでの「異物排除社会」であるという認識が一般に共有され、反省されることが必要だろう。

「和の社会」「絆」

は、逆に言えば、その集団・組織以外のものや、集団内の異物の排除を伴っていないだろうか。



(以下引用)




                 さんへの返信

  1. . 本当にその通りですね。日本人は単独では優秀な人が多いですが、組織で動くと理念や観念論が優先されて合理的な意見を圧殺し、結果として成り行き任せのデタラメな判断を取り続けた歴史だと思います。
  2.     
  1.  
    1. 自決出来ずに捕虜になった時点で「日本人ではなくなる」ので、日本兵は秘密をなんでも喋る極めて従順な捕虜だったらしいですね。脱走して日本側に逃げても、どうせ軍法会議で死刑ですから。
    2.     

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集団悪

「バカ国民帝国日本の滅亡」から抜粋転載。
ここでの「差別」論や「集団・個人」論には同感はしないが、示唆的だと思うので、そこから自分の考えをまとめてみたい。
特に異論があるのは「集団・個人」論のほうで、そこにある

個人主義は、合理的である。


 一方、集団主義は非合理的だ。

という断定は、どういう根拠に基づいているのか分からないし、自分自身の体験から言っても正しいとは思えない。
私は集団というものが本質的に持っている「集団悪」が大嫌いなのだが、それを不合理だと思ったことは一度も無いのである。そもそも合理・不合理とは何なのか。

集団の基本的命題(使命)は、「その集団の存続と成長」だろう。ならば、集団の存続と成長のために為す悪は合理そのものなのではないか。
つまり、ここには「合理」=「正しいこと」のような錯覚がある。もちろん、ここでの「正しいこと」の中に、また「論理的に正しいこと」と「倫理的に正しいこと」の混同もあるはずだ。

さて、集団の基本的命題が「その集団の存続と成長」であるなら、その邪魔になる他集団や、集団内の異分子は「敵対存在」となり、排除される。これが集団が本質的に持つ「集団悪」だ、と私は考えるわけだ。たとえば学校にとっては生徒が敵であったり教師が敵であったり父兄が敵であったりする。もちろん、他の競争校も敵である。
これは少しも「不合理」ではないが、もちろん「嫌なこと」である。人は個人であるときには容易に善人でありうるが、集団に関わるとほとんど悪行を為すことになる。積極的な悪行は為さなくても、目の前の悪行に対して「見て見ぬふり」をする人間がほとんどだ。これはいじめ問題などでおなじみの光景だろう。

「人は孤独であるとき高貴であり、他人とともにいるとき卑しい」

誰の言葉だったか失念したが、この言葉が正しいと思われるのは、我々は他人とともにいる時、ほとんど常に「本当の自分自身ではない」からである。外面を飾り、心にもない言動をする。そんな人間はある種の卑しさを持っているとは言えるわけだ。他人に媚びているのである。
もっとも、モリエールの「ミザントロープ(人間嫌い)」の主人公のようにあらゆる人間に絶望して世間から離れる人間が賞賛すべき存在というわけでもない。要は、そこがそんな場所でも「随所に主となる」ことができるかどうかだろう。


(以下引用)


さて、また『寄生獣ミギー 悪魔の言葉』から、引いてみたいと思います…


 


 


【差別はなぜ生まれるのか】


 


個々を集団としてとらえるところから、差別は生まれる。


 


何かトラブルがあったとき、それは個別のものだ。


 


しかし、受けた不快は、相手から、その人が所属する集団に広げられる。


 


同時に感情も、嫌悪から軽蔑に変わり、凝り固まる。


 


この拡大と固定化が、差別の正体といえる。


 


そこには中身はない。恐ろしいほど空っぽだ。


 


差別する人は、得体のしれない憑き物に憑りつかれている。


 


彼らは対象の人間すべてに、言うに言われぬいとわしい特徴をみつけだす。


 


しかし、それは憑依によって吊り上り歪んだ目にせいにすぎない。


 


 


日本人の「集団主義」というのは、「和の精神」などではなく、「差別の精神」なのです。


 


何かといえば徒党を組んで、敵を設定してはキイキイと叫んで攻撃を始める…


 


「倭の精神」と呼ぶべきでしょう…


 


 


上の差別の定義は必ずしも十分ではない気がしますが、


 


権力が人民を分断して、統治のために差別を生み出し、利用するときは、


 


必ずこの集団分けをやっています。


 


「集団への帰属意識」…それを差別に変えていくのです…


 


 


とりわけ、日本人を観察していますと、犬やサルレベルの”群れ意識”の人が大半です。


 


人間と言うより、動物に近い人が多数というのが、現実の日本人です。


 


 


”群れ”から独立した”個”としての”自分”のない人がとても多い…


 


 


からっぽで、のっぺらぼうの民族と言えましょう…


 


太宰が『人間失格』で描いておりました…


 


ここに対応する記述も、前著にありますので、引いてみましょう…


 


 


【正直に生きたければ群れるな】


 


個人をなにより尊重する欧米の個人主義を、日本人はどうしても理解できない。


 


それは企業などにみられるように、集団主義であるからだ。


 


 


個人主義は、合理的である。


 


一方、集団主義は非合理的だ。


 


 


とりわけ、日本の組織には、年功序列や先輩後輩といった


 


欧米人には理解できない原理が根本にある。


 


 


個人の考えを煮詰めてゆき、合理的になればなるほど、


 


集団になじめなくなるのは当然といえる。


 


自身に正直な生き方を貫こうとすれば、群れから離れざるを得ない。


 


 


生まれながらの畜生民族である日本人が家畜から人間になるためには、


 


檻を破って外に出るだけではダメである。


 


 


畜生の習性を”超越”して、人間になる必要がある…


 


 


これを仏教では「彼岸に渡る」と言うのである…



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「この世界の片隅に」

映画がヒットしてほしいのはもちろんだが、原作の漫画ももっと多くの人に読まれてほしい作品である。戦時中を舞台にした作品と聞くと「火垂るの墓」のような悲惨なドラマを想像して最初から敬遠する人は多いと思うが、この作品が描くのは「人が生きて平凡な生活を送れることの幸せ」なのである。戦争は、その幸福を奪う理不尽な存在として現れてくるだけだ。
原作の漫画の良さは、頭のいい人たちが語ってくれているが、一つだけ言いたいのは、全体に流れるほのぼのとしたユーモアと上品な笑いである。幸福な日常は戦時にもあった、ということが、凡百の戦争映画や戦争漫画、戦争小説では描かれていない。この作品はその幸福を描くことによって、逆に戦争の非人道性を浮かび上がらせてくるのである。
読んでいて、思わず微笑んでしまう、「楽しい」作品であり、そして悲しい作品なのだ。


(以下引用)


主演声優を務めたのんも登壇。生きることの大切さを描く「この世界の片隅に」完成披露舞台挨拶

2016年09月09日 19:04配信
主演声優を務めたのんも登壇。生きることの大切さを描く「この世界の片隅に」完成披露舞台挨拶

左から片渕須直監督、のんさん、こうの史代さん



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9月9日(金)、スペースFS汐留で劇場アニメ「この世界の片隅に」の完成披露舞台挨拶が行われました。


本作は、こうの史代さんの同名漫画をアニメーション映画にしたもので、激化していく戦中の広島県呉市を舞台に明るく前向きに生きる主人公・すずを中心に描いた作品。監督は映画「マイマイ新子と千年の魔法」やテレビアニメ「BLACK LAGOON」などを手がけた片渕須直さん。2015年に行われたクラウドファウンディングで3000人以上が参加し、制作決定に至ったことも話題になりました。


舞台挨拶には片渕監督とすずを演じる女優の のんさん、そして原作者のこうの史代さんが出席。


片渕監督は、原作を読んだ時に、自分の手で映像化させたいという強い思いを抱いたことを振り返り、「6年間いろいろなことがあり、やっと完成しました。クラウドファウンディングでもたくさんの方に協力いただいたこと、感謝しています」とコメント。


また、「マイマイ新子」で昭和30年の山口県を描いたことを踏まえ「昭和30年ならまだ実感としてわかったんですが、昭和20年がどのような時代だったのかというのは未知のものでした。ただ、今と同じ時間の流れの中に昭和20年があったということを自分たちなりに残しておきたい、捉えたいという思いがありました」と、制作にあたった強い想いを明かしました。


本作で声優初挑戦・アニメーション作品初主演となった のんさんは「戦争がすぐ隣りにある。この作品を見て、普通の生活が大切なんだと改めて思いました」と感想を述べ、また自身が演じたすずに対しては「ぼーっとしてるけど、実は気が強くてパワフルなところに共感しています」と共通点を挙げました。


片渕監督は「アフレコでは、のんちゃんからはたくさん質問をもらいました」と振り返ると、のんさんも「何でも質問させてもらいました、すみません」と笑顔で小さく謝罪。それに対し片渕監督は「いえ、質問の答えを考えていくうちに、自分もすずや作品の本質を改めて捉え直す事ができたんです」と返し、「それはエンディング映像に活かすことができました」と打ち明けました。


こうのさんは「映画化のお願いを片渕監督から手紙でもらいました。うれしくてその手紙はしばらく枕の下に入れていました」と笑顔で述懐。片渕監督も、のんさんへオファーした際の返事をメールで本人からもらったそうで「心のこもった丁寧な文章で、プリントアウトして、懐にずっと入れていました」と嬉しそうに告白しました。


最後のあいさつでは、のんさんが「普通の生活をして、生きるということ。そのことの大切さを思って、涙が溢れてくるような素敵な作品。ご家族で見ていただけたらなと思います」とコメントし舞台挨拶を締めくくりました。【取材・文=細川洋平】





■劇場アニメ「この世界の片隅に」


2016年10月 テアトル新宿他で公開


スタッフ:原作…こうの史代(「この世界の片隅に」双葉社刊)/監督・脚本…片渕須直/キャラクターデザイン…松原秀典/プロデューサー…丸山正雄・真木太郎/アニメーション制作…MAPPA/プロデュース…GENCO/配給…東京テアトル/後援…呉市・広島市/製作:「この世界の片隅に」製作委員会



リンク:「この世界の片隅に」公式サイト


    公式twitterアカウント・@konosekai_movie


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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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