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東海アマ氏の「近未来予測」

東海アマ氏の最新記事の後半で、あまりにアホな内容なので、逆に保存する価値がありそうだ。
まあ、アマ氏が来年(と言うより近いうちに)死ぬというのは、アマ氏の健康状態から簡単に予測できることで、別に予知能力の問題ではないだろうし、来年日本で大量死があるのは、日中戦争に日本政府が突き進んでいるのとワクチン後遺症から簡単に予測できることだ。つまり、単に赤か白のどちらに賭けるかというギャンブルで、それに勝ったら、「予言者」たちはカネ儲けができるだけの話である。

(以下引用)

 ところで、私には、子供の頃からなぜか未来が朧気に見える不思議な能力があった。
 例えば、私が中津川に移住するときも、1年も前から移住してコンテナハウスに住むビジョンが見えていた。
 また2011年、大震災の前に、私は凍結路でスリップ事故を起こすビジョンも鮮明に見えて、細部までまったく同じ展開になった。

 さらに、私は、目の前にいる人が何も話さなくとも、考えていることが言葉として聞こえるという特技もあった。
 私が未来を予知するとき、多くは、未来に起きる感情の変化を先取り体験するというものだった。
 たぶん、私の心のどこかが「アガステアの葉」とつながっているのだと思った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%91%89

 ただし、一度、私が青いバイクに乗って、後ろから幅寄せしてきた大型トラックに巻き込まれて後輪で潰される鮮明なビジョンが見えたのだが、失った自動二輪免許を再取得していたときだったので、ただちに中断したところ、たくさんの予知のうち、これだけが実現しなかった。覚悟していたのだが……。
 実現しない「予知」もあるのだと思った。

 2011年大震災の前、私は友人と福島の横向温泉や新野地温泉で過ごしていたのだが、自炊棟で凍結にスリップして尾骶骨を骨折したりして、散々な目に遭った。思えば、これが大震災の予知だったような気がする。
 そして、帰宅して凍結路でスリップ事故を起こし、永久に治らない鎖骨骨折を起こしたのが2月中旬だった。
 私は大震災の前兆である「清姫の帯」を病院で見た。

 巨大震災のような事態は、私のような、わずかな予知能力しか持たない者にも甚大な前兆体験を課すのだと思った。
 このとき、震災前に関東東北を旅行したとき、私は人々の表情に違和感を覚えていた。
 なんとなく影の薄い人たちが大勢歩いていたのだ。
 未来のない人々は、社会に対峙する気迫が感じられないのだ。

 私にもはっきりと語ることはできないが、これから死を迎えることを予感した人々には独特の雰囲気がある。
 以下、それに触れたサイトを紹介してみよう。

 死期が近い人の特徴とは? スピリチュアルなサインを解説 2023.10.12
 https://woman.mynavi.jp/article/231012-11/

 上のリンクに書かれている要素を挙げてみよう。
 
(1)自分の物や人間関係を整理し始める
 (2)疎遠になっていた人に連絡をする
 (3)優しくなる
 (4)独り言が多くなる
 (5)手のひらを見つめるようになる

 なるほどと納得できるものがある。私も昨年末から自分のゴミ屋敷の整理を始めた。
 そして人間関係に区切りをつけ、孤独になるようにした。
 これは私だけなのかもしれないが、昨年から、滅多矢鱈に過去を激しく悔いるようになっている。幼い頃から何十年もだ。自分の愚行が恥ずかしくてたまらない。
 「優しくなった」のも、事実かも知れない。

 だが、相変わらず誹謗中傷を繰り返すクズが書き込んでくるので怒りは収まらない。20年前に何千回もの嫌がらせを行った豊郷町の山本というクズ障害者も、再び嫌がらせの電話を私に対して再開している。
 たぶん、こいつらもこの世から消されるのだと私は予感している。
 そして今、私は、大震災前と同じように、街中と出会う人に違和感を感じ始めている。
 もしかしたら、再び大勢の人がこの世から消えてしまうような予感がしているのだ。

 実は、ネット界隈では、今年や来年の大量死を予言するコンテンツが激増している。
 多くが、来年、日本の人口の7割以上が死んでしまうと予言しているのだ。なかには、信頼性が高いと評判の、たつき諒の予言もある。
 https://bunshun.jp/articles/-/58981

 https://www.youtube.com/watch?v=TvlUfG8oEfk&ab_channel=%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E6%8E%A2%E6%B1%82%E6%A9%9F%E9%96%A2

 たつき諒の予言は、2024年7月に、フィリピン南沖で巨大な地殻変動が起きて、日本列島に高さ300メートルの大津波が押し寄せ、半数以上が死ぬ。
 その後遺症で生き残った人々も、次々に斃れてゆく。
 これについては、巨大隕石が落ちるという説もあるが、NASAは承認していないようだ。

 私は海抜400mに住んでいるので、津波は免れるかもしれないが、その後の大気汚染やインフラ崩壊などを生き延びるのは不可能だと考えている。
 中国の黄砂でさえ死にそうになっているのに、津波の巻き上げた粉塵に、肺線維症の私が耐える自信はまるでない。

 まあ、日本人の大半が死んでしまうという予言は、出口王仁三郎や日月神示が繰り返し語っていることが有名だ。いずれも3分という表現が共通している。
 
 出口王仁三郎の死の直前(1947年)、吉岡温泉で話された最後の予言について 2022年09月15日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5967194.html

 また、プーチンが再び核使用を恫喝に使用しはじめた。
  プーチン大統領 “国家存続の危機なら核兵器使用を辞さず” 2024年3月14日 NHK
  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240314/k10014389961000.html

 私はプーチンが、やがて暗殺され、その後に、はるかに残酷な国家主義者がプーチンの大ロシア主義による侵略を受け継ぐと考えてきた。彼が戦略核を使用するのだと。
 それは習近平も同じだ。習も暗殺を免れないだろうが、その後に出てくる新たな指導者は、習に輪をかけた強硬な侵略主義者だろうと予想している。

 プーチンは、自らが暗殺されたとき、自動的に西側諸国に報復する「死の手」というシステムを配備しているといわれる。
 
 理由の如何を問わず、プーチンの死とともに、日本を含む「敵国」に1600発の核ミサイルが発射される「死の手システム」 2022年03月09日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5902117.html

 これはサルマトという水爆兵器で、数メガトンの水爆ミサイルが10本も組み合わさったミサイルが、着弾地から四方八方に再発射される。トータルで40メガトンという地球上最悪の核兵器である。
 もちろん狙いは日本列島である。

 実は2022年2月のウクライナ軍事侵攻の、最初の標的は実は日本だったのだ。安倍晋三がプーチンに無条件で一兆円を献上したので、それで日本を破壊する予定らしかったが、ウクライナが優先された。
 
〝日本攻撃〟プーチン大統領が計画との衝撃情報 ロシア諜報機関の内通者から発覚 信憑性は「背後にいる米国を見据えていたのでは」畔蒜氏 2022.12/8
  https://www.zakzak.co.jp/article/20221208-ZPPHLUHFKZNNTBJZJK2S2F77HU/

 ロシアがプーチン死後も、日本に対する敵対侵略計画を諦めないことは確実で、むしろプーチン死後に激化すると考えるべきだ。
 このとき、日本でたつき諒が予言したような凄まじい災厄に見舞われれば、それを奇貨として、ロシアや中国が日本を軍事侵攻する可能性が小さくない。

 そんなわけで、私自身も2025年の死を予告され、そして大勢の、それも数千万とか億の単位の人々が、2025年に死ぬ運命であるとするなら、今、街を歩いている人たちの表情に、大きな違和感を感じるのは当然なことだ。

 上の方の「死ぬ人の特徴」を見ていると、死ぬ運命を持った人は、なんとなく影が薄くなり、そして優しくなる。
 生きているうちに、何か残しておきたい、自分の軌跡を整理したいとか考えるわけだ。
 みんな、多かれ少なかれ予知能力を持っているからだ。

 あなたは、もしかして今、優しくなっていないか?

 

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高齢者の「死因」判断の困難さ

混沌堂主人のブログでしばしば転載されるrakitarou氏のブログ記事で、お医者さんが本業らしい。
老衰や「死因」とは何かについて、素人では知らない知識が得られるので、有益な記事だろう。
この記事でも、(私が前に書いたのと同じように)お医者さん自身が超高齢者への「救命医療」の馬鹿馬鹿しさ、有害さを書いている。
簡単な話、老衰で死にかかっている患者に心臓マッサージをし、人工呼吸器を付けて、意識不明のまま数時間命を延ばして、病院や医者の「治療報酬」が高くなる以外に何かメリットがあるか?
仮に意識があったとして、人工呼吸器を咽喉から突っ込まれる苦痛に、何か意味があるか? 


(以下引用)コピーした記事の半分しか掲載されていない。容量を減らされたようだ。

老衰で死ぬということ

2023-12-30 18:17:55 | 医療

病院で亡くなった人の死亡診断書とカルテのチェックを10年以上続けていると、全科にわたる疾患の知識と共に、法医学的な知識も豊富になってきます。長期にわたって入院した患者さんが亡くなる場合は、老衰が死因になることは多くない(ゼロではない)のですが、ほぼ心肺停止で搬送された高齢者の方は死亡診断書の死因に老衰が記載されることも多くあります。80台後半以上の方が疾病でなく老衰で亡くなるのは、保健医療においては喜ばしい事で理想は全てのお年寄りが老衰で亡くなる事とも言えます。


 


死亡診断書の記載は医師でないとできませんが、厚労省の定める「記載の手引き」があり、それに従って記載する必要があります。死因については全ての患者が心停止、呼吸停止で亡くなるので「心不全」「呼吸不全」が直接死因になりますが、必ずその原因が明らかであれば原因を記載し、厚労省の統計に表れるのは原因となった死因の方です。集中治療室で、多臓器不全で亡くなる方の原因は、熱中症であったり、術後感染であったり、ウイルス肺炎であったりするので、主たる死因は多臓器不全でもその原因の記載は別になります。「老衰」は亡くなった状況から原因となる疾患が明らかでなく、高齢でだんだん食事や水分が摂れなくなって衰弱して亡くなった経過が明らかであれば死因とされます。まったく元気で食事もされて活動していた方が突然亡くなった場合は、肺梗塞や不整脈、心筋梗塞などが除外されると「不詳の内因死」と診断されます。


 


死因のチェックをしていると、救急外来などで、心肺停止で搬送されて亡くなった方や、院内で急変して亡くなった患者さんの死因が「診断書の記載は誤りだ」と気づく場合も時々あります。それは直接死因と死亡に影響した疾患が別であったり、心肺停止で搬送された人の死亡時CT(Autopsy Imaging AI)や血液検査の読み間違えによるものによるのですが、若い医師たちにとって、夜間に通常の救急外来もやりながら死亡診断書も記載するという状況では完全を期する事は不可能とも言えるので仕方ありません。死因に「誤嚥性肺炎」とあってもどう見ても「老衰」だろうということもあり、血糖値7(通常は70以上)で低血糖が死因だという事もあります。血清カリウムは死後上昇するのですが、腎不全を合併して上昇していた場合は高カリウムが死因になりえます。出血がないのにヘモグロビンが3(通常は10以上)であれば明らかに貧血が死因であり、白血球なども減っていれば再生不良性貧血であるし、それらが正常であればウイルス疾患などを契機とした赤芽球癆を考える必要があります。AIで生前に気づかれなかった全身リンパ節が腫脹したリンパ腫が見つかることもあります。


 


事件性が明らかでなければ、既に葬儀も済ませた患者さんの家族に「死因が違いますよ」と連絡することはありませんが、診断書を記載した若い医師たちには後学のために連絡しています。そのような中、私の母がこの年末に「老衰」で他界しました。認知症もあり、家の近くの施設に入所して世話をしてもらっていたのですが、1か月ほど前から食事が摂れなくなり、量を減らしたり、易消化食にしたりしていたのですが、いよいよ危ないですと連絡があり、嘱託医にもあらかじめ施設看取りの承諾を得ていたので極めてスムーズに老衰による安らかな死を迎えることができました。亡くなることが予想されていた場合は、心臓が止まった時に医師が看取りをする必要などなく、翌朝診断書に記載すれば良いことになっています。しかし看取りの承諾が家族から得られていないと、救急車を要請してルーカスと呼ばれる餅つき機の様な人工心マッサージ機を装着されて救急病院に搬送されることになります。せっかく安らかに老衰死を迎えたのに、人生の最期に機械に心マッサージをされて気管挿管されたうえ無理やり蘇生される(ほぼそのまま亡くなる経過を取ります)事になります。老衰死は「大往生」であり、遺族はお祝いをして天国に送り出す事が亡くなった家族への最大の供養と言えます。老衰を迎えるお年寄りを持つ家族の方は是非「看取り」をしてもらえるようにかかりつけの医師にあらかじめお願いをしておく事をお勧めします。


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歴史教育は学習者にとっては謎だらけ

学校で習う歴史は、出来事だけが書かれていて、その「意味」はまったく書かれていない。まあ、数学や科学同様の、いや、それ以上の暗記科目である。ただ、事実そのものの面白さがあるので、理系科目ほど不人気教科ではないだけだろう。(もちろん、理系好きもいるが。)

で、市民図書館から借りてきた、子供向けの世界史の本(漫画のような挿絵入り)を読んで、私が長い間意味を理解しかねていた、ナポレオンのエジプト遠征の意味が分かり、ついでに、ナポレオンが「革命の簒奪者」であることを明快に意味するブリュメール18日のクーデターのことも初めて知った。
もうひとつ、ナポレオンの諸国との戦争では、彼が「革命の守護神」と思われていたため、各国の民衆から食糧などの支援があり、そのため軍隊の荷物が少なくて済んだために、彼の電撃的進軍が可能だった、という、「理系的」な理解が可能になったのが、この読書の功徳だった。子供向けの「学習本」というのは、大人にこそ有益なようだ。
ただし、歴史的人物の美化、英雄化が多く、また、米大陸での白人によるインディアン虐殺と略奪などにはまったく触れていないのは、実は米政府による日本統治の厳しい検閲が裏にあったのだと思う。

ナポレオンのエジプト遠征とは、要は、イギリスとの海戦を避けた、ナポレオン自身による「楽な戦争」の選択だったということだ。当時のエジプトは、マルムーク(戦争奴隷)の支配する、烏合の衆地方政府、軍隊だったわけである。奴隷というのは上との戦争(反乱)では凄い力を見せるが、横(他国)との戦争では、「戦争の意味がない(国が滅びても、それ以前の奴隷状態に戻るだけだ)」から、弱いのである。楽な戦争だと分かっていたから、学者などをたくさん引き連れての遊覧旅行でもあったわけだ。だから、フランス国内の情勢が怪しくなると、エジプトを放り投げて少数だけで帰国し、ブリュメール18日のクーデターで国を奪ったわけだ。

ついでに言うと、ロゼッタストーンには、実は三か国語(三種類の文字)で同じ文章が書かれてあるらしく、そのひとつであるギリシャ語が読めれば、他の象形文字などを解読する大きな手掛かりになったわけで、ロゼッタストーン解読は、さほどの偉業でもないわけである。

文末が「わけだ、わけだ」だらけだが、解けた謎が多いので、そうなったわけである。

念のために言えば、私はナポレオンの「ナポレオン法典」編纂事業は人類に対する大きな貢献だと思っているし、彼が諸国に対してフランスを防衛した戦争での軍人としての能力と貢献は評価している。しかし、彼が自分自身を守り、その権力を高めるためにやった後半生の愚劣な戦争はまったく彼の価値を下げるものだと思う。つまり、戦争マニアの彼は、ギャンブルの辞め時を知らなかったのである。もっとも、「戦争は民主主義国家では遂行困難である」というのが戦争の基本定理だろう。戦争で勝利する国は「一時的独裁国家(全体主義国家)」になる必要があるのである。

これもついでに書いておく。「簒奪」は普通の国語辞書には出てこない。歴史学特有語と言うべきだろう。私の言う「革命の簒奪者」とは、共和国指導者の地位の簒奪者の意味である。

簒奪(さんだつ)とは、本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。 あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。 ないしそれを批判的に表現した語。 本来その地位につくべきでない人物が武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要するという意味合いが含まれる。


(追記)「暗黒事件」(岩波文庫 水野亮訳 上巻48P)

「権利といふことになれば、」と、公証人のグレヴァンはいつた。「ブールボン王朝の方は、ボナパルトが霧月18日に共和国に対して陰謀を企てる権利を持ってゐた以上に、ボナパルトに対する不穏計画を立てたり進めたり実行したりする権利があるね。ボナパルトは共和国を母として生まれた子供のくせに母親を暗殺したのだし、ブールボン王家の方はもとゐた家に戻りたいといふ、ただそれだけの話なんだから」

(以下引用)

ブリュメール18日のクーデタ

1799年、ナポレオンが総裁政府から実権を奪ったクーデタ。一般にこれによってフランス革命は終わりを告げたとされる。

 1799年11月、ナポレオンが決行した総裁政府を打倒したクーデター(政変)。ナポレオンは統領政府の第一統領となり、独裁権力樹立の第一歩となり、同時にこれによってフランス革命は終わったとされる。ブリュメールとは革命暦の霧月のことで、ブリュメール18日は現行暦では11月9日に当たる。
 先月にエジプト遠征から急きょ帰ったナポレオンは、総裁の一人シェイエス、警察大臣フーシェとクーデタを計画、元老議会でアナーキストの蜂起計画をでっち上げて防衛のために両院をサンクルーに移す事を提案、認めさせる。10日、軍隊の駐屯するサンクルーのオランジェリで五百人議会開催、議長はナポレオンの弟リュシアン。「独裁者を倒せ!」という議員の怒号に対し、兵士を議場に動員、議会を解散させ、臨時の三人の統領政府(執政政府)を樹立、憲法改正の審議入りを宣言した。三人の統領とはナポレオン、シェイエス、ロジェ=デュコ。こうして、民衆の圧力に依って体制が替わるという「革命」は終わり、軍事クーデタで政体が変更される事となった。

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高雅な風景と俗な思索

昨日と今日の朝(未明)の散歩は、わりと暖かで風も無かったので、街路を通って海岸道路に出るコースを歩いたのだが、夜明けの海はやはりきれいである。この風景を見られない人が気の毒だ。
だが、街路を歩くコースだと、なぜか想念があまり高尚なというか、哲学的あるいは文学的なもののにならない。これは、周りの風景が家々だからかもしれない。今朝の散歩でも、BGMとしては頭の中で「椰子の実」の歌詞が延々と流れていたが、それ以上の発展性が無い。(なぜ「椰子の実」かというと、海岸に出ることが決まっていたからだろう。椰子の実は、遥かな南の島から長い旅を経て伊良子崎かどこかの海岸に流れ寄るのである。)

で、散歩の帰り道はこの海沿いの田舎町の街路や家々の間の畑や草っ原の傍を通るのだが、この町は空き地が多い。根が吝嗇な私は、そういう、「利用されていない」土地や居住放棄家屋を見ると、「勿体ないなあ」と思うのが常だ。まあ、金持ちだから平気で土地や家を放っているのだろうから、他人がどうこういう立場ではないが、私が資産家なら、この町のそういう土地をすべて買っておく。何しろ、最高の観光環境・居住環境にある土地なのだから、いずれ値上がりするのは確かだし、小金持ちなら自分自身の隠居地に最適だ。まあ、2000万円もあれば、土地と家を買って整備リフォームし、残りのカネで死ぬまで優雅に(ただし、贅沢なしだが)暮らせるのではないか。
その計算もしたのだが、私は土地の相場を知らないので、ここには書かない。ただ、最近は100万円で、十分に快適に暮らせるプレハブハウスがあるようだから、それを2軒買って、一軒は書斎兼応接間兼倉庫兼必要時の宿泊所、あるいは学生相手の安い貸間にするのもいいのではないか。

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子供の読書、大人の読書

私が市民図書館から借りて来る本の中には、子供のころ読んだ本も含まれたりする。つまり、子供の頭では理解できなかった部分が、大人(まあ、年寄りだが)の今なら理解できることもあるからだ。あるいは、子供のころには何とも思わなかった部分を面白く思うこともある。つまり、名作文学は、子供の本も含め、一生、何度も読み返す価値があるというわけだ。

興味の無い人には何とも思われないことを面白く感じることもある。たとえば、R・L・スチーブンソンの「宝島」の創作が、実は一枚の絵から始まったという話なども面白い。子供がよく冒険物語の地図を書いて遊ぶ、あれである。スチーブンソンの再婚した相手の連れ子と一緒に遊び半分で描いた、宝島の地図を見ているうちに、物語がどんどんできていったという。その地図で見ると、縦6マイル、横3マイルくらいの大きさの小島で、南の湾は「骸骨島」という島を囲んでいる。問題は、日本の子供には、このマイルという単位がイメージできないことだろう。
それよりも大きな発見が私にはあり、それは「タール」についての注釈である。こう書いてある。「タールは、石炭、木材などを乾留してつくる黒色の液体で、船の塗装に用いられる」
まあ、子供には語釈など読まない者が多いだろうし、これを読んでも何とも思わないだろう。しかし、あなた、大人のあなたは「乾留」とはどういうものか知っているか? 私は知っているような気もしたが、念のために調べた。すると、例の便利な「百科語辞典」には、「固体有機物を、空気を遮断して加熱し、分解する操作。石炭から石炭ガスやアンモニア、タール、コークスなどを得ること」と説明している。さらに「コークス」を調べると、「石炭を高温で乾留して揮発力を除いた灰黒色、多孔質の固体。発熱量が大きく燃料として重要」云々とある。これでかなり利口になった気がするというか、知識が増えた(石炭が揮発性があるとは初めて知った)のが嬉しいが、そこで気が付いたのが、「コールタール」とは、「コール」が石炭の意味の英語だから、「石炭由来のタール」ということだろう、ということだ。つまり、最初の「石炭、木材を乾留して」の説明にあるように、木材由来のタールもあるから、わざわざタールの種類を分けたのだろう。これで、「コールタール」という、頭の中に何十年も眠っていた、自分でも気づかない謎がひとつ解決されたわけである。


また、たとえば、私は「ラストモヒカン(モヒカン族の最後)」の小説をこの前、やはり児童図書のコーナーで見つけて借りて読んだのだが、その作者フェニモア・クーパーへの言及がスチーブンソンの「宝島」の序文の中にあり、英文学、特に児童文学におけるクーパーの存在感の大きさを再確認したのだが、そういうのも、「大人としての読書」のメリットだろう。英語圏外の子供では「クーパーって誰?」としかならないと思う。ちなみに、「ラストモヒカン」は、プーシキンの「大尉の娘」と似た雰囲気のある(状況が似ている)、面白い冒険小説である。ユーモア性やキャラの造形はプーシキンの方がかなり上だが。「大尉の娘」の雰囲気はジョン・フォードの「黄色いリボン」あたりに近いか。案外、ジョン・フォードは「大尉の娘」の西部劇への換骨奪胎をしたのかもしれない。

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エリート論と、「権威と権力」の問題の考察

思考は(主に論理的思考の場合だが)言葉で形成されるのが原則だから、問題が混迷化した時(しそうな場合)は言葉の定義に帰れ、というのが私の思考手法だ。
そこで、「徽宗皇帝のブログ」で予告した、エリートとは何か、「権威と権力」の違いは何か、という問題を考察するのにも、まずそこから出発するのが簡単でもあるし、間違いも少ないだろうということで、辞書を引いてみる。

エリートとは何か、ということに関して、中学生向けの英和辞書では

elite 《フランス語より》選ばれた(えり抜きの)人々、エリート、精鋭

と簡単に書かれている。まあ、この言葉がフランス語由来であることと、「エリート」という言葉がすでに日本語化していることが分かるが、説明が簡単すぎるのは中学生向け辞書の限界だろう。
そこで、少し詳しい「ザ・スーパー・アンカー」英和辞書で調べてみる。(どちらの辞書も、古書店で安いから買っただけだ。)すると、さすがに詳しくて、こう補注がある。

日本語の「エリート」よりもさらに精選された特権階級の意味が強く、しばしば軽蔑的な意味を持つ

まさに、我々下級国民が上級国民に持つ感情を明快に書いている。

そこで、今度は、「権威」と「権力」の相違を考えてみる。これは上記の「エリート」論と通底しているのである。ただし、ここでは辞書は引かないで、まず私の考えから書く。この両者(権威と権力)は明確に異なる、というのが私の基本的な思想的立場だ。
それを明らかにするために、具体例を考えてみよう。

大金持ち、政治家、天皇

の三者である。

あるいは、大金持ちと天皇の二者だけでもいい。

そうすると、この前者には権力はあるが権威はゼロであり、後者には権力はゼロだが権威はある、とたいていの人は思う、あるいは感じるのではないか。
もちろん、天皇嫌いの人には通用しない言い分だろうが、現代社会では天皇以外に「権威」的存在を私は今のところ想像できないのだから仕方がない。あるいは、少し前の医者や学者には権威があったかもしれないが、それも新コロ騒動で地に落ちたのではないか。ちなみに、政治家も医者や学者と同類だが、やや権力に近く権威には遠い印象だろう。(今の世ではほぼ権威ゼロと言うべきか)
で、天皇には権力はゼロだ、という私の発言に異論を持つ人もいるとは多いが、これは明確に日本国憲法で「天皇には政治権力は無い」と規定されているのである。政治的発言さえ封じられているに等しいのだから、あるいは一般国民以上に、(あるいは以下に)「政治権力」が無いとすら言える。

さて、では「権威とは何か」という問題だが、それは「威厳とは何か、それは何から生じるか」というのとほぼ等しい問題だろう。
その答えを先に言うなら、それは「人格や立場から生じる威圧感、その人への尊敬の念」で、「立場からも生じる以上、それは権力に等しいのではないか」という反論を招くとは思うが、その背後に「人格がある」というのが絶対的な条件なのである。
ただし、一般的には、その圧力(威圧感)は演技や見かけで産むこともできる(できた)し、歴史上の為政者たちは豪華な衣装や、群臣をひれ伏させることで、その権威を演出してきたのである。だが、見る目のある者は、そうした「演出による権威」を嘲笑してきたはずだ。
簡単な例で言えば、裁判官が被告より高い席に座ることも、権威の演出である。要するに「お前は下、私は上」という、立場(裁く立場、裁かれる立場)の簡単な視覚化だ。

話が長くなるので、この辺で終わりにするが、いずれまたこの問題を論じることになると思う。一番肝心の「権威の背後には人格的高みが必要」という問題は、宿題だ。
ダライ・ラマが、少年への無理やりキス事件でその権威を大きく下落させた事件を覚えている人も多いだろう。それだけでも、「権威には人格力が必須」というのが分かるのではないか。







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思いがけない「日常の謎」

北村薫と言えば「日常の謎」、まあ、そういう言い方をしているかどうかは知らないが、日常生活の中で遭遇した些細な謎を作品の中心にした推理小説の代表的作家だが、その北村薫の「中野のお父さん」という、わりと新しいシリーズらしき作品の一篇を読んでいたら、作者が謎にしたわけでもなさそうな部分で、奇妙な謎に出くわしてしまった。
作中の主人公である若い女性編集者(美希)とその同僚女性(ゆかり)の服装を描写した部分で、こう書かれている。

ゆかりは冷房対策のカーディガンを脱ぎ、いかにも編集者らしい大きなバッグにしまう。下はネイビーのワンピースだ。美希もジャケットを脱いで手に持った。こちらの下は黒のチュニック。








さて、どこが謎かと言うと、これは私が女性のファッションに無知なだけかとも思うのだが、「ネイビーのワンピース」というのが謎なのである。
私の世代だと、「ブルー、ネイビーブルー、私の彼は~♪」という歌を思い出すから、「ネイビーブルー」なら服に関係がありそうだと思うのだが、ここでは「ネイビー」と書かれている。それなら「海軍」にしかならないのではないか。まさか「海軍のワンピース」ではあるまい。今どき、海軍にも女性兵士がいるのかもしれないが、「ワンピース」は着ないだろう。すると、「ネイビーのワンピース」とは何だろうか。あるいは、「ネイビー」というブランドでもあるのか。
まあ、「チュニック」も分からない(古代ローマのチュニックしか想像できない)が、ジャケットの下に着ているのだから、「貫頭衣」の現代版みたいなもの、と想像すればすむ。しかし、「ネイビーのワンピース」は謎である。



一応、英和辞書を調べてみると、navyの3番目に 3=navy blueとあり、navyだけでもnavy blueを意味するようだ。しかし、現代の人間で、navy blueを知っている若者(特に女性)はあまりいないのではないか。ちなみに、navy blueは濃紺色で、イギリス海軍の制服の色と説明されている。




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