例によって調べないまま書くが、「ロープウェイ」とはrope wayだと思うのだが、それなら筆者(紙屋氏)の最初に考えていた通り「ロープウェイ」でいいのではないか。wayを「ウエー」と発音するのは中学生でもいないだろう。しかも、「ウェー」でもなく、ご丁寧に「ウエー」である。これだと「エー」も初めの「ウ」と切り離して、それぞれ単独音として「う・えー」と発音する必要があるだろうwww way of lifeを「ウエー・オブ・ライフ」と発音するか?
まあ、お役人の考えることだから、ミスが無いように無いようにして、かえっておかしなことになる。
大阪の俚諺に「選んでカスをつかむ」というのがあると筒井康隆の文章で読んだことがあるが、それに似ているか?
(以下「紙屋研究所」より引用)
福岡市の高島市長が博多駅からロープウエーを港までつくるのが「私の夢」と語った件。
ところでぼくはこれを「ロープウェイ」と最初書いたんだけど、マスコミはどれも「ロープウエー」だった。
どういう基準なんだと思っていたら、『公用文の書き表し方の基準(資料集)』という本があり、その中に「外来語の表記」という内閣告示があった。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19910628002/k19910628002.html
この告示ではくどいほど、“これが正しいとかそういうんじゃないからねっ!”とことわっている。
ま、そういう前提の上でだけども、国語化している外来語の表記は、「第1表」にまとめていて、
- 「シェ」「ジェ」(例:シェード ジェット)
- 「チェ」(例:チェーン)
- 「ツァ」「ツェ」「ツォ」(例:コンツェルン)
- 「ティ」「ディ」(例:ボランティア)
- 「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」(例:ファイル)
- 「デュ」(例:プロデューサー)
になっている。つまりまあ簡単にいえば、このあたり(第1表に示したもの)まではそのまま表記していいんじゃね? という基準なのだ。
これに対して「第2表」では、まあそう書くけども、やっぱり「第1表」の範囲にしといてよね、というのをつけている。「イェ」とか「ヴァ」「ヴィ」とかだ。
この「第2表」の中に「ウェ」が入っている。
そしてそこには「注」がついている。
注1 一般的には,「ウイ」「ウエ」「ウオ」と書くことができる。
〔例〕 ウイスキー ウイット ウエディングケーキ ウエハース ストップウオッチ
この原則で「ロープウェイ」ではなく「ロープウエー」になっているのだ。
そして同じように「ウェイ」ではなく「ウエー」になっているのも、ここに
3 長音は,原則として長音符号「ー」を用いて書く。
とあるからだ。
ちなみにそのロープウエーが通る地域は福岡市の公式文書では「ウオーターフロント」なのだが、ぼくは「ウォーターフロント」と書いていた。
これも上記の原則から来ている。
もちろんこれは「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための『外来語の表記」のよりどころ』」(前掲内閣告示)であって、国民に強要するものでもないし、さっきも言った通り「これが正しい」って話でもない。

かなり前(宇宙ブームなどまったくない頃)相模原の某国立組織で直接開発してる方と話したことがあるが、まあ海外行ったり来たりのすごい経歴だけでなく、頭の切れ味と話の面白さは最高でしたね。
優秀を絵にかいたような人でしたが、別に宇宙を目指すというのではなく彼の能力を本当に必要とする場所があまたあり、知らないうちにそのポジションにつかざるをえなかったということのようです。
さて、エロ動画のDMMがスポンサーのチンポコロケットを墜落させた会社の開発陣はどうなのかとみてみたら、社長が東工大の就職失敗組(ここの学生はみんな苦労しているらしい。がその時点で任に非ずです)でブタエモンに直接勧誘されて出鱈目ロケット会社に入ったんですな。
で、満足にプロジェクトを進めたこともないまま社長就任。その間、割とまとも協力企業が逃げちゃってます。まあ典型的な、アホIT屋の立ち上げた詐欺商売です。
こいつらの虚言癖と無教養、自信過剰は大体まともな技術開発にたどり着けない。自動運転やテスラ炎上自動車の類の、投資詐欺の目くらましなんですなあ。
隼を飛ばした糸川博士も、最初はペンシルロケットからスタートして技術的な集積をし、国産ロケットまでは数十年かかっています。
航空工学の実務、苛烈な軍事開発で手腕を振るった人でさえそうで、ホームセンターで買ってきたものでロケット飛ばすというこの会社のようなでたらめぶりでは永遠にロケットは飛ばないでしょう。
ここはスレッドにもありますが、技術レベルは低下しているわけで、ロケットのような形をした燃料満載の危険物が自分のところに飛んでくるかもしれませんから発射は見に行かないほうがいいと思いますね。
まあ投資詐欺の商材は数知れずということです。