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「天皇制民主主義」の構想

「天皇制民主主義(仮称)」というものを私は考えているのだが、それは天皇に「国会議決の拒否権」を与えることである。

現在のように、国会が国民の意思に反することを平気でどんどん決定しているなら、それは民主主義ではないし、そもそも、本当の民主主義なら、選挙で公約したことを反古にすることは「国家反逆罪」であり、また選挙で触れていないことを議決する場合はいちいち国民投票にかけるべきだろう。選挙で当選したら何でも好き勝手に決めていい、というのは民主主義ではないし、代議制というのはそういうことを許すなら民主主義と対立することになる。で、実際、今の日本では民主主義が崩壊しているわけである。

私のアイデアでは、政治体制全体は現在のままでほとんどいい。つまり「三権分立」で、国会と内閣と司法が三すくみで権力の腐敗を防止するシステムだ。しかし、これがまったく機能していないことも誰もが知っていることだ。立法も司法も行政(内閣)に支配され、内閣トップは人事権によって官僚全体を強圧的に支配している。つまり内閣トップによる独裁政治である。その内閣トップの選び方もインチキくさい。
要するに、代議制を取るかぎり民主主義の形骸化は防げない。しかし、直接民主制は、国民全体の知的レベルが幼児レベルでは成立しない。となれば、民主主義だけに延々と期待すること自体が間違っている、ということだ。

そこで、生まれつき「帝王学」と共に生きてきたというか、「国家の健全な存立が自らの存立基盤である存在」である「天皇」というものを、活かす方法が最初に書いた、「天皇に国会議決の拒否権を与えること」である。
ただし、それは最終決定ではない。天皇が「ノー」を言ったことにより、国民は当該問題について真剣に考え、国会と天皇のどちらが正しいのか判断し、それを「国民投票」にかけるのである。
その結果、国会が負ければ、国会は解散総選挙であり、内閣も自動的に解散である。まあ、内閣自体が消滅しては困ることもあるだろうから、野党による臨時内閣を作る規定をしておけばいい。
そして、天皇が負ければ、別に何もペナルティは無くてもいい。それでいちいち退位などしていれば面倒である。もちろん、自主的に退位してもいい。
事は天皇としての名誉に関わる以上、国民や日本国に害を為す悪辣な法案に対して天皇は「ノー」と言うだろう、と私は期待するのである。それでこそ日本国民統合の象徴としての天皇である。資本家の操り人形の政治家とは格(人間のレベル)が違う。

まあ、こういう「国会議決への否定権」を天皇以外の誰かに持たせてもいいが、「日本国の運命」を天皇以上に真剣に考える人はいないのではないか、と私は思う。




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