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当麻の晋三

「逝きし世の面影」記事の一部だが、大麻を「当麻」と何度も誤記しているのが面白いので載せておく。これは、伊勢谷友介逮捕の背後に安倍晋三がいるという暗喩かwww (漫画ファンなら萩尾望都の初期の傑作で古典的名作「トーマの心臓」は知っているだろう。なお、「当麻」は「当麻蹴速」で有名な姓で、蹴速は相撲取りの元祖のような存在だが、昔はキックボクシングのように蹴りも許されていたから「蹴るのが速い」奴で「蹴速」という名前が当てられたのだろう。)

(以下引用)

当麻だけなら8~9割は起訴猶予(大山鳴動で小ネズミが一匹)
 
国会で『桜を見る会』疑惑(日本国首相の安倍晋三が選挙区の山口県の有権者を数百人も買収した露骨すぎる公職選挙法違反事件)の真っ最中の今年始まるNHK大河ドラマの準主役(斎藤道三の娘の濃姫)の人気女優の沢尻エリカ逮捕では世論形成で一番影響力が大きい日本中の映像メディア(テレビのワイドショー)のハイジャックが起きている。
 
今回の摩訶不思議な安部辞任劇でも当麻で俳優が逮捕され、しかも逮捕したのが麻薬関係ではなく沢尻エリカ逮捕と同じ暴力団対応の組織(5課)だった。大麻の毒性はタバコの毒性よりも低いとの説もあり、欧米先進国では合法化が進んでいるし薬物犯罪に厳しい我が日本国でも8割以上は起訴猶予で裁判にならない。(★注、沢口エリカの場合は合成麻薬が見つかったように、当麻自体では無くゲートドラッグとして大麻の吸引が心配されている)
 
去年末の沢尻エリカ逮捕とは違い、今回の俳優の伊勢谷友介容疑者が大麻を所持していて逮捕された事件では一気にメディアの関心が薄れている風に見える。(★注、もし逮捕容疑が当麻だけに限定されると、大騒ぎしたメディアの側が大恥をかくことになると心配したのか)
それなら何故、当麻吸引だけの子ネズミをわざわざ泣く子も黙る警視庁5課の猛者たちが逮捕したかの謎ですが、俳優の伊勢谷友介容疑者は新コロ騒動の政府対応に批判的なノーベル賞学者の本庶祐のように自民党政府(安倍晋三首相)のモリ加計や桜を見る会の不祥事をツイッターに書いていた。(★注、世界的な権威や信用力が高いノーベル賞学者でも政府が気に入らないなら叩かれる。それなら、人気があっても何の権威も信用もない俳優風情は叩き放題)

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利他「主義」は存在しない

私は東海アマ氏の「利他主義」という言葉が大嫌いなのだが、それは、人間(動物)の本能の基本は自己愛だと思うからだ。それが自己保存本能でもある。つまり、自分自身を守るのが生きる原点だということだ。そうでなくて自然の中に生きることは不可能だろう。
だが、人間は文化と文明を生み出し、そこから他者は自分と同等の生きる価値を持っていると認識するようになった。だが、それは「利他主義」ではない。いわば「平等主義」であり、私が最近重要な観念と考えている「フェアネス(公平)」の観念だ。この観念が人間の文化や文明を生み出したのではないかと私は考えているが、それは「利他主義」とはまったく違う。
「利他主義」が本当に存在するなら、たとえばカルネアデスの板のような状況において、まったく見知らぬ他人にその板を渡し、自分は海に沈むことを選ばねばならない。そうであって初めて「利他主義」という言葉が言えるだろう。
人類の歴史において、自己犠牲的行為は無数にあっただろう。しかし、それは利他主義という思想ではなく、「自分よりも、自分の愛する存在のために我が身を捨てる」行為であったはずだ。
利他主義という言葉には、私はまったく荘厳さも真剣さも感じられない。軽薄な「頭の中で作った観念」としか思えない。
なお、山本太郎は善行を苦とせず行う稀な人間だと思うが、彼の行動は「博愛」であって、利他主義とは違うと思う。つまり、他人の苦を自分の苦と感じる稀な人格からの行動であって、主義などという「外付け」の思想ではないだろう。

(追記)私がなぜ東海アマ氏の「利他主義」という言葉にこだわるのかと言えば、それが東海アマ氏の中心思想と思われるのに、それがまったく土台の無いアホ思想であるのが残念だからだ。東海アマ氏の鋭い知性やこれまでの反原発などでの戦いを深く尊敬するだけにその土台があまりに弱いのは、人々の氏への評価を大きく下げかねないのが残念だからだ。言葉は思想の器である。言葉を疎かにした思想は脆弱になるしかない。


(以下引用)


 私も50年代生まれなので、「アフター団塊世代」だ。
 この世代の特徴といえば、めったやたらに子供の数が多かったため、学校に行っても、机も椅子も不足しているから、遅れてゆくと「立ちんぼ授業」を受けねばならなかったほどだ。二人机に三人掛けなんて常識だった。
 1学級に60名なんてザラだった。私の世代ですら、1学級50名近かったのだ。ちなみに、今では30名でも多い方ではないだろうか?

 こんなに子供たちが過密だと何が起きるかというと、序列付けがひどくなる。当時は、まだ戦前の「末は博士か大臣か」という権威主義の価値観が色濃く残っていた時代だったので、教師も親たちも、子供たちに序列をつけて上に這い上がる競争をさせるのが大好きだった。

 もう幼稚園や小学校、中学校を通じて、序列一本槍の教育システムで、何にでも点数をつけて、子供同士でコンプレックスを持たせて競争させるのが教育であると、大人たちも教師たちも、みんな勘違いさせられていたのだ。

 そうして、子供自身も、いつでも自分は全体の何番目かなどと序列を気にかけて、上にゆけば褒められるし、下に落ちれば貶されるし、序列をカサに着て、威張りまくってみたり、序列の低い同級生を小馬鹿にしてみたりと、見栄張りばかりで、人間関係に優しさが失われていった時代だ。

 知的障害のある子供が一般学級に入れば、イジメの標的になるので、この頃には「特殊学級」というのが作られていた。それでも、クラス最下位の子供は、侮蔑され徹底的にイジメられた。
 人々の関心事は、人間の序列ばかりに目が向けられ、わけても学歴で人間を評価する悪しき伝統が定着したのもこの頃だろう。

 こうして、「序列こそ人生の価値」と洗脳された子供たちが、大量に世間に出てくることになった。
 一番序列の上が天皇で、次は東大卒、それから公立大卒、私立大ときて、高卒、中卒は、社会の恥であるかのように思い込まされた人々が、日本社会の中核となり、バブル時代を生み出していったのだ。

 私の通った小中学校は、名古屋市中村区の大門という歓楽街に近かったから、ここで生計をたてるヤクザが非常に多かった。また日本社会の差別システムによって底辺に追いやられた在日朝鮮人の街でもあった。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

 こんなヤクザの世界にも、序列価値観が押し寄せていて、学校で白い目で見られる劣等感をバネに、学校内イジメ勢力の主役だったし、ヤクザ同士の見栄の張り合いも大変なものだった。
 私は、国鉄勢力だったが、学校でどれだけイジメられたか分からない。今でも同窓会など行きたくない。
 当時、私を一番虐めたYは、あるとき殺人で無期懲役判決を受けたと新聞に出ていた。生徒会長にまでなったO組長の息子は、「二丁拳銃のO」とヤクザ世界で異名をとるほどの有名人だったが、人妻との恋愛が元で、飛び降り自殺した。

 後に、バブル時代に「研修」と称して、社員を街頭に立たせて、自分がどれだけアホか、延々と懺悔させたりした人間疎外の会社経営者も、この団塊世代ではないだろうか?
 凄まじい競争に弄ばれた世代ではあるが、それは日本社会全体の競争力を引き上げていたのも事実だ。
 戦後、日本社会のイノベーションの大半は、この世代がもたらしたものだ。
 
 だが、競争に明け暮れた世代は、自分の評価ばかりを気にする姑息な価値観に洗脳された世代でもある。人に対する優しさを見失った者が多かった。
 人が多すぎると、やはりどうしても、自分の序列と評価ばかり大切にしたがる輩が増えてくるものだ。今の70才代前半がそうだ。

 そして、その子供たちの世代も、「第二次ベビーブーム」となり、やはり一学年50人というすし詰め教育体制で、何もかも競争の価値観を迫られた。
 しかし、この世代は、戦後バブルが崩壊し、ロストジェネレーションを思い知らされる世代となった。

 正社員の道を閉ざされ、必死になってバイトや派遣で生き抜いていても、大不況がくれば、真っ先に企業を追い出され、普段の貢献など、何一つ評価されないまま、公園でのホームレス生活を強要されたのだ。
 みんな40歳代になっても、正社員の安定した生活は許されず、もちろん結婚もできず、派遣先を渡り鳥のように駆け回って、あげく何かあれば捨てられる悲哀の人生を強いられている。

 だが、そんな苦悩の世代のなかから、山本太郎や須藤元気が出てきた。
 また、ちょうど社会的差別から、芸能界スポーツ界に向かうしかなかった在日者と同じように、芸能人、スポーツ人になった者も多く、実力者が揃っている。
 http://sedainet.web.fc2.com/dankaijryumeijin.html

 私は、地を這うような苦悩を強いられてきた、このロスジェネ世代こそ、新しい日本の救世主になるだろうと確信している。彼らは、いわれのない差別に苦しんできたから、自分が差別者になることもないだろう。
 また、人間の序列が、どれほど無意味なものかを思い知らされた世代なのだ。本当の人間性と実力だけを頼りに、新しい世界を作り出す主役になってくれるだろう。

 そもそも、繰り返し書いてきたとおり、「心豊かな良き社会」の正体は、「利他主義」を人生観の基礎に置いた人々の作り出す社会なのだ。
 我々が幼い頃から経験されられた、たくさんの子供たちに序列をつけて選別する「競争社会」は、他人を踏みつけて自分だけが特権階級を手に入れる徹底した利己主義を生むことしかできない。

 団塊世代も、アフター団塊世代も、物心ついたときから競争に晒され、社会に出ても、競争に追い立てられ、自分のことにしか関心を持てないように薫陶された世代なのだ。 いいかえれば、「利己主義」でなければ生きられない時代だったともいえよう。

 だが、団塊ジュニア世代=ロスジェネ世代は違う。理不尽で辛い目に遭い、不条理を押しつけられ耐え忍んできた世代なのだ。
 だから、苦悩の底から、「利他主義」に生きることの大切さを学んでいる。
 利他主義でなければ、まともな、良き社会は作れないことを、身をもって知っている世代だ。

 私は、日本中で起きている震災や台風禍で、すぐに駆けつけてくれる人たちの多くが、ロスジェネ世代であるような気がしている。
 金儲けしか知らない世代に「無償の愛」が分かるはずがない。何ものも得ずに、他人に優しくできるのは、自分自身が辛酸をなめて、利他主義が新しい世界を作り出すことを知っている人々だと思う。

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西側ジャーナリズム(ユダ金ジャーナリズム)だけを信じる馬鹿

東海アマ氏などのお好きな話題である、中国での「ウィグル人弾圧」問題だが、この話が広められた意図を「櫻井ジャーナル」氏は「一帯一路構想」の邪魔だと説明していて、なるほど、と理解した。物事には意図があるわけで、西側ジャーナリズムがなぜ中国の辺境の「人権問題」をうるさく言うのか、理解できた。
他国の内政問題より、西側内部の人権問題やインド(宗主はイギリス)の人権問題を西側ジャーナリズムはまず糾弾すべきではないか。自分の家が火事だのに、他家の悪口を言ってどうする。

(以下引用)


 本ブログでは繰り返し書いてきたが、2014年にオバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行、香港では反中国を仕掛けた。その年を境にして中国とアメリカとの関係は悪化、同時に中国とロシアが接近して戦略的な同盟関係を結んだ。そして前面に押し出されたのが中国の一帯一路(または帯路構想)だ。



 陸のシルクロードと海のシルクロードで交易を盛んにし、世界を安定化させようという計画だ。中国から見て海のシルクロードの出発点が東シナ海から南シナ海にかけての海域であり、陸のシルクロードは新疆ウイグル自治区からアフガニスタンの近くを通り、ヨーロッパへ向かう。中国が100万人以上のウイグル系住民を「再教育キャンプ」で拘束していると宣伝し始めた背景のひとつはここにある。その話の証拠は示されていない。



 この話はアメリカ政府を後ろ盾とする中国人権擁護者ネットワークとキリスト教原理主義者のエイドリアン・ゼンズの主張に基づいている。センズは「神の導き」で反中国活動を行っていると公言していた人物で、彼がシニア・フェローだった「共産主義の犠牲者記念基金」は1993年にアメリカ政府が設立した組織。その前身はナショナル虜囚国委員会だ。この委員会で中心的な役割を果たした人物はレフ・ドビリアンスキーやヤロスラフ・ステツコというウクライナのファシスト。ふたりとも世界反共連盟につながっていた。

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人を殺す任務の人間が他の犯罪をしないはずがあるか

日本兵が中国や南方で何をやったか、終戦当時からよく知られていたことで、それを描いた漫画や小説や映画もたくさんある。兵士の中には戦場での悪行(強姦・略奪・民間人殺人)を帰国後自慢話にする人間も多かったのである。慰安所など、兵士の好き勝手な現地民強姦を低減する意図で作られたものだというのも明白な事実で、慰安所や慰安婦の存在まで否定する無知無恥の馬鹿ネトウヨなどその図々しさに吐き気がする。

(以下引用)

5,000mAh
@mahjp2100
私も半藤一利の本でこの事実を知った時あまりの衝撃で夜寝れなかったな。 陸軍省が密かに行った、中国帰還兵からの聞き取り調査(1939年2月)。 ・戦場で一番楽しいのは掠奪。上官も黙認 ・上官から強姦を教わった。金払って解決か、もしくは強姦後に殺す ・日本兵はみんな殺人強盗強姦の犯罪をしてる
引用ツイート
Sonota
@yuandundun
·
半藤一利(石川達三「生きている兵隊」解説) ”昭和14年2月に作成された陸軍省秘密文書第404号「事変地ヨリ帰還ノ軍隊、軍人ノ状況」の一部をここに引用したい(原文は片かな) 「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で、上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから、思う存分掠奪するものもあった」

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女性虐待国家へのフェミニズムの沈黙

記事タイトルだけ読んだ段階で「インドの事件かな」と思ったが、バングラデシュだった。私にはインドとバングラデシュの文化的相違が分からない。同じように身分制社会だろうか。まあ、女性差別が極端にひどい社会だろうとは推測できる。
コメントの中にあるが、人権団体やフェミニスト団体はこうした特殊社会の女性虐待問題についてはまったく無関心なのだが、なぜなのか。(私はインドなどは「見えない英連邦」の一国だと思っている。だから、白人主体の人権団体はインドの事件には口を拭っているのだろう。)

(以下引用)

【悲報】校長を訴えた女の子、焼き殺される


「校長に体を触られた」と訴えた女子学生、焼き殺される バングラデシュ

バングラデシュのヌスラト・ジャハン・ラフィさんは、学校で灯油をかけられ、火をつけられた。 その2週間ほど前、ヌスラトさんは校長による性的加害行為を届け出たばかりだった。



https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47972162




4: 2019/04/19(金) 11:43:54.99


勇気ある性暴力の告発と、火をつけられてから5日後の死と、その間に起きたことの全てが、バングラデシュ国民の心を引き寄せた。そして、南アジアのこの保守的な国で、性暴力の被害者がどれだけ弱い立場にいるかに注目が集まった。



 



7: 2019/04/19(金) 11:44:11.54


ヌスラトさんは、首都ダッカの南約160キロにある小さな町フェニの出身で、当時19歳だった。 イスラム教の学校、マドラサで勉学に励んでいた。

3月27日に校長室に呼ばれ、校長に不適切な方法で繰り返し体を触られたとヌスラトさんは話した。 事態がそれ以上悪化する前に、校長室から走って逃げたという。



 



10: 2019/04/19(金) 11:44:37.69


バングラデシュでは、少女や若い女性たちはセクハラや性虐待に遭っても、社会や家族から辱めを受けることを恐れ、黙っている場合が多い。

ヌスラトさんがそうした女性たちと違ったのは、単に声を上げただけでなく、虐待を受けたとされる日に、家族の協力を得て警察に行ったことだ。



 



16: 2019/04/19(金) 11:45:07.42


ヌスラトさんは地元の警察署に届け出た。
深い傷を負った経験を思い起こすのにふさわしい、安全な環境が用意されるべきだった。 だが実際には、ヌスラトさんがつらい経験を語るのを、担当の警察官は携帯電話で動画に録画した。

動画に映っているヌスラトさんは、見るからに動揺し、両手で顔を隠そうとしていた。 警察官はヌスラトさんの訴えに「大したことじゃない」と言い、両手を顔からどけるよう命じた。

この動画は後日、地元メディアに流出した。



 



28: 2019/04/19(金) 11:46:14.61


ヌスラトさんは小さな町の出身で、保守的な家庭で育ち、宗教系の学校に進んだ。

ヌスラトさんのような立場の少女がセクハラを訴え出れば、それなりの不利益が自分の身に及ぶ可能性がある。

被害者なのに、地域の人から非難されたり、直接またはウェブ上で嫌がらせを受けたり、場合によっては暴力を受けることもある。

ヌスラトさんはのちに、この全部を経験することになる。



 



36: 2019/04/19(金) 11:46:51.94


ヌスラトさんが3月27日に警察に被害届を出すと、警察は校長を逮捕した。そこから事態が悪化する。人々が通りに集まり、校長の釈放を求めたのだ。

この抗議行動は男子学生2人が呼びかけたもので、地元の政治家も参加したと言われている。

集まった人々はヌスラトさんを責め始めた。
家族は、娘の身の安全が心配になったと話す。



 



47: 2019/04/19(金) 11:48:00.54


それでもヌスラトさんは、性暴力があったとされる日から11日後の4月6日、登校して期末試験を受けた。

「妹を学校に連れて行き、自分も学校の敷地に入ろうとしたが、制止されて入れなかった」と、兄のマフムデュル・ハサン・ノマンさんは話す。

「もし制止されていなければ、妹にあのようなことは起こらなかったはずだ」と彼は言う。

ヌスラトさんの証言によると、女子学生の1人が、友達が殴られているからとヌスラトさんを屋上に連れて行った。

屋上に着くと、ブルカを被った4~5人がヌスラトさんを取り囲み、校長への訴えを取り下げるよう迫った。

ヌスラトさんが拒否すると、火をつけたという。



522: 2019/04/19(金) 12:23:46.64


>>47
ブルカを被るのは女やろ、火をつけたのも女か?



537: 2019/04/19(金) 12:24:48.34


>>522
えぇ…
女さんサイドは現状に不満を持ってるのかと思いきやそうでもないんか



552: 2019/04/19(金) 12:26:04.11


>>537
逆らったら自分が焼き殺される側になるからな 体制に迎合しとけばかりそめの安全は得られるし



55: 2019/04/19(金) 11:48:51.56


警察捜査局のバナジ・クマル・マジュムデル局長は、犯人らは「自殺に見せかけようと」したものの、犯人らが現場を逃げた後にヌスラトさんが救出されたため、その企ては失敗したと話した。

ヌスラトさんは亡くなる直前、証言を残すことができたのだ。

マジュムデル氏はBBCベンガル語の取材に、「犯人の1人が両手でヌスラトさんの頭を押さえつけていたため、灯油が頭にかからず、焼けなかった」と説明した。





62: 2019/04/19(金) 11:49:28.37


しかし、ヌスラトさんが地元の病院に運び込まれた際、やけどは全身の8割に及んでいた。 地元病院ではやけどの治療ができず、ヌスラトさんはダッカ医大病院に送られた。

救急車の中で、ヌスラトさんは自分が助からないかもしれないと思い、きようだいの携帯電話に証言を録音した。

「先生が私に触った。命が尽きるまでこの犯罪と戦う」。録音でヌスラトさんは、そう言っている。



19: 2019/04/19(金) 11:45:23.43


なお人権団体は金にならないのでだんまりな模様



50: 2019/04/19(金) 11:48:18.96


フェミさんは今こそ立ち上がれよ

バングラデシュでもインドでも行って男女平等を叫ぼう!


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自由な決定という重荷

前に書いた適菜収の「小林秀雄の警告」の中に、オルテガ・イ・ガセットの言葉の引用があり、それはこういうものだ。(下線部は原文では傍点)

「生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚することである」(「大衆の反逆」より)

「自由な決定」を「強制されている」というのが面白い。矛盾概念を結び付けた、ただの言葉遊びにも聞こえるが、我々の生の実相を示しているようにも思える。
ちなみに、上記の言葉の前には、こういう文章がある

「われわれは一つの軌道を課せられるかわりに、いくつもの軌道を与えられ、したがって選択することを余儀なくされているのである。われわれの生の状況とは、なんと驚くべき状況であろうか」

実際、我々は個々の事態を前にして、決断において常に不自由な自分を感じるのだが、それが本当に不自由かと言うと、実はどういう決定をしても自由なのである。ただ、その決定の結果責任を自分が負わねばならないことが言い知れぬ不安と恐怖を与えるだけのことだろう。
その不安と恐怖は自由であることの必然的結果である。だから、それらの決定は自由でありながら、感情としては「うむを言わさぬ強制」と言える。

その心的メカニズムの結果はどうなるか。

我々にとって自由は重荷だから、誰かにその自由を肩代わりしてほしく思う。それがどんな悪党だろうが馬鹿だろうが構わないくらいだ。そして、その「自由の委任」の結果が思わしくなければ、我々は「あいつに騙された」と騒ぎ立てるわけだ。読んだことは無いが、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」とはそういうことではないかと推測する。

私は、実存主義の本を読んだことも無いが、オルテガ・イ・ガセットの上記の言葉は実存主義的な印象を受ける。実存主義とは何かと言えば、それは「我々の生の意味は何か」ということを問う哲学であり、その答えに意味があるのではなく、問い自体に意味があった哲学だと私は思っている。それが何千万人もの人間が戦争の災禍で死んだ第二次大戦後の世界で大きな影響を持ったのも、戦争の膨大かつ不条理な死を目の前にして多くの人々が「我々の生の意味は何か」ということを痛切に考えたからだと思う。

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ワクチンで「遺伝子組み換え人間」製作の壮大な実験

新コロワクチンについては私も深い疑念を持っているが、政府が法的に強制接種を命じたら、それを拒否できるだろうか。いや、先の短い寿命の私はどうでもいいが、若い世代が気の毒である。まあ、それ(毒物注入)で偶然に超健康体の新人類が誕生する可能性があるなら構わないかwww


(以下引用)

学びラウンジ

今回の騒動において、危険なウイルスが市中に蔓延しているというイメージが作られています。マスコミでは、連日このウイルスに関連するニュースが流され、市中ではマスク姿、三密を避ける、ビニールパーティションの光景が当たり前になっています。しかし、本当に危険なウイルスが、そこらへんに飛び交っているのでしょうか。しかし、危険なウイルスが、どのくらい生活環境中にいるのかについては誰も計測していません。飛沫中のウイルスも、だれも実際に計測していません。それにも拘わらず、多くの人がマスクをしているのは、危険なウイルスから身を守るという保身的な行動かも知れません。PCR陽性に反応しているのは、危険なウイルスであるという証明もされていません。マスコミの煽り報道による社会の同調的な圧力が、危険な社会を演出させているようです。  しかし、現在開発中の遺伝子組み換えワクチンの方は、ウイルスそのものよりも、危険性が高いと考えられます。遺伝子を組み替えた、いわば生きたウイルスを筋肉内に直接入れて、この組み換えウイルスを筋肉細胞内で増殖させようというわけです。一般に気道感染症のウイルスは、上皮細胞という体の表面を覆っている細胞に入り込もうとします。しかし、通常は粘膜免疫により、その侵入を阻止しています。遺伝子組み換えワクチンの方は、この生体防御バリアを突き破って、筋肉内にウイルスを直接入れるわけですから、私たちの免疫系もおそらく混乱するでしょう。しかも、自然界には存在しない遺伝子組み換えウイルスです。どの程度増殖して、どのくらいの期間体内で増殖するのか、あるいは体内のどこに移動するのかなど、やってみないとわからないことがたくさんあります。まさに壮大なモルモット計画です。自然界にいるウイルスなら、その性質は予測することが出来ます。今まで共存関係にあったウイルスなら、特に問題視する必要もありません。このように、問題があるのかもわからないウイルスがいることを問題にして、遺伝子組み換えウイルスを国民全員に接種させるのは、大変に危険なことではないでしょうか。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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