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ワクチンパスポートは「死ぬか奴隷として生きるか」の選択

苫米地英人のツィートを転載。
水面下では、既にワクチンパスポート実施は決定しているということで、今後は全国民の選別と奴隷化が待っている。
場合によっては、企業に「ワクチンパスポートを持たない人間は店や施設内に入れるな、何も売るな」という通達が出る可能性もある。
つまり、「お上に従わない人間は死ね」ということになる。
「1984」や「風光る」の世界がこういう形で来るとは私は予想もしていなかった。
ワクチン接種した人間もそのほとんどは子孫を残せず、しかも短命で死ぬことになる。生き残るのは「ワクチンを接種しなくても生きられる(不自由無く生活できる)上級国民だけ」ということになるだろう。確か、国会議員のほとんどはワクチン無接種のはずである。あるいは、接種していてもプラセボワクチンだろう。




(以下引用)


国会開いてないのにやること前提、開発発注済みはなぜ? RTワクチンパスの本名表記は選択制に デジタル庁 sankei.com/article/202110 より


(夢人追記)「阿修羅」から転載。これが明日の日本の姿である。


「海外事情 生の声」 (中村篤史 2021/10/19)
https://note.com/nakamuraclinic/n/ndf5ba7d24259


60代女性


「長らくメルボルンに住んでしましたが、今年になって、日本に逃げるように帰ってきました。ビクトリア州は本当にひどい状況で、“人権がない”と言っても過言ではありません。マスク着用は当然として、夜間の外出は禁止。ロックダウンは極めて厳重で、基本は一日中家にステイホーム。散歩は1日1時間だけ。行けるのは家から半径5㎞以内で、この散歩は、本当に「散歩」でなくてはいけません。つまり、立ち止まったり座ったりしてはいけません。バカみたいな話ですけど、本当です。
オーストラリアには30年住みました。当然愛着があります。死ぬまでここに、と思っていました。でも、もう住み続けることはできません。
ロックダウンが続いて、精神的に耐えられなくなってきたんです。


しかし日本に帰国するのも大変でした。おかしいと思いませんか?入国をブロックするなら分かる。でも、出国することにさえ厳重なんです。学生ビザで住んでいるような人はともかく、私のような永住権のある人は、出国に際しても政府にお伺いを立てないといけません。日本に家があったので、家の固定資産税の書類とか提出して、やっと出国の許可が出ました。理由のない出国申請は許可されません。移動の自由がないんです。


ビクトリア州は知事の独裁国家です。ワクチンは当然強制です。学校にはワクチンを打たないと出席できません。出席どころか、校内に入ることさえ許されません。一般庶民だけではありません。州の議員さえワクチンを接種していないと議会に参加できない。ワクチン忌避の議員特権なんてありません。
知事は住民相手に「お前たちに人権はない」と堂々と言っています。去年10月からコロナ対策を名目に知事が全権を掌握したんですね。おかげで生活は無茶苦茶です。メルボルンは、現在世界最長のロックダウンを継続中です。


息子がシドニーにいますが、オーストラリア人と結婚して家庭を持っています。夫婦そろってワクチン肯定派です。コロナワクチンの危険性を説明しましたが、全然分かってもらえませんでした。彼ら夫婦は当然打ちましたし、恐らく二人の子供(私にとっては孫ですが)も打つだろうと思います。幼い孫にあの危険なワクチンが打たれるかと思うと、何とも無念で。。。


そういうこともあって、精神のコントロールができなくなってきました。
コロナの始まる前、メルボルンはすばらしい街でした。世界一暮らしやすい街と言われていて、旅行者も多かった。多分、そのすばらしさのせいで、ターゲットにされたんだと思います。メルボルンを抑えれば他の州も追随するだろう、と。
知り合いから聞いた話ですが、彼、身内を病院で亡くしたんですね。そのとき医者から「今から死亡診断書を書きますが、コロナで死んだことにすれば40万円支払われます。どうされますか?」と持ち掛けられたそうです。そういう話が実際にあるんです。
本当、デタラメばかりです。PCR検査を受けに行くと4万5千円もらえます。陽性になれば2週間隔離されますが、その間15万円もらえます。ビクトリアではこういう「コロナ対策」のために8億のお金が動いていると聞きました。
マスコミ報道ではICUは満床だっていうんですけど、実はガラガラですよ。知#てる人は当然知っている。信じてるのはテレビしか情報源がない人だけです。


日本に帰ってきてよかったと思います。本当に、心底、よかった。
先生、ブログで「日本人は全員マスクで、ほとんどの人がワクチンを打ってしまった」って嘆いておられますけど、日本は全然マシですよ。マスク未着用や夜間外出に対して罰金が科されることはありませんし、ワクチン接種のプレッシャーもそれほどひどくありません。まだしも自由が保たれています。でもオーストラリアではワクチン未接種者に自由はありません。
たとえばシドニーでは、こないだロックダウンが解除されて外でビールが飲めるようになりましたが、これは接種者限定です。接種のQRコードがないとコーヒーのテイクアウトさえできません。ヨーロッパなら72時以内の陰性証明とか、ワクチンをぎりぎり回避する方法がありますが、オーストラリアはワクチン一択です。No Jab, No Job.で、ワクチンを打たないと失業します。罰金刑だと50万円とかですが、みんなお金がないので、おとなしく打ちます。打たない場合は、未接種者を収容するための施設が本当に作られています。
田舎の人って割と冷静で、「ワクチンなんて必要ないから打たない」という人が多いんですけど、そういう人のところには軍隊が戸別訪問します。「打たないと子供を引き離すぞ」って。そういう権限が付与されてるんです。PCR検査を受けたところで、陽性なら収容所にぶち込まれて帰って来れなくなる。
あの国には人権がありません。これは比喩的な意味ではなくて、文字通りの意味です。オーストラリアは英国女王の支配下にあって、イギリス連邦の6つの州のうちの一つですが、州の憲法には「人権」の記載がありません。正確には一応あるのですが、例外規定ばかりで、事実上、死文化しています。裁判を起こして人権どうのこうのと騒いでも無駄です。
先生は今、国を相手に裁判しているとのことですが、そういうことができるだけ、日本は全然恵まれています。
今のオーストラリアは、地獄です。私の大好きなオーストラリアが急激に壊れていくのを見るのが、私には耐えられませんでした。
先生、私の精神状態がおかしくなった理由が、だんだん分かってきましたか?(笑)」



40代女性


「日本で看護師になってから、海外に渡って20年。今はアメリカの病院で働いています。
私の州では、ワクチンを打たせるプレッシャーがごいんです。私の勤める病院では、ほとんど全員が受けました。打ちたくない人はみんな辞職していきました。結局職場で受けてないのは、私ともう一人だけです。
私も辞めようかと思ったけど、何だか悔しくて。だから、ぎりぎりまで戦いたい。戦った末に、首になるなり辞職するなりしようかなって。


プレッシャーは7月頃から強くなってきました。当初は、医学的理由とか思想的な理由で接種を拒否することが認められていました。でもだんだん厳しくなってきました。アレルギーでもギランバレーでも妊娠してても授乳しててもワクチン受けろ、という感じです。
私、本当にアレルギーなんですが、担当医からは「診断書は書けない」と言われました。アレルギーの専門医からは「心配するな。受けても大丈夫」と言れました。自己免疫疾患になる可能性もあると言うと、「考え過ぎだ」と。
やってることが憲法的に明らかにおかしいんです。ここまで無理やり打たせようとする理由がまったく理解できません。ひとり、私の意見に同意してくれた産業医がいます。彼はこう言いました。
「君の言ってることは分かるよ。健康上の理由で受けられないのに、それでも強制するなんて、明らかにフェアじゃない。でも、あまりにも上からの力が強い。私にはどうしてあげることもできない」


私が住んでいるのは、バリバリの左翼の州なんです。ビルゲイツのお膝元だけあって、ほとんど全員がコロナ脳です。アメリカの真ん中の州、テキサスとか、あとフロリダでは、病院スタッフに強制接種しようとしたところ、あまりにも多くのスタッフがやめたせいで病院業務が回らなくなり、結果、強制がなくなりました。でも私の州ではそういうことは望めません。みんな素直に、あるいは圧力に屈して、打ってしまうんです。


私、コロナ病棟で勤務していました。それでたくさんのコロナ患者を見ましたが、みんな太っていますよ。「太ってる」と言っても、日本人が想像するレベルの肥満ではありません。150㎏とか200㎏とかの肥満です。コロナで亡くなるのは、こういう人です。ここまで不摂生した人が、コロナで亡くなるんです。健康的な人も含めて全員接種させるって、明らかに異常です。


日本のサイトもチェックしてます。ヤフーニュースとか、コメント欄が意外にまともなことに驚きました。プロパガンダに洗脳されてない人がけっこういるんだな、と。
先生、信じられないかもしれませんが、アメリカの医療従事者って、本当、何も知りませんよ。単純にコロナ脳で、VAERSの存在も知りません。英語ができるからといって情報に通じているかというと、全然そうじゃありません。
それで何の抵抗もなくワクチン打っちゃうんですね。うちの病院でも1月から医療者に接種が始まりましたが、接種した医者のひとりが、ALSにかかりました。ワクチンに含まれるプリオンのせいだと思います。
あと、子宮内膜癌になった人もいますし、妊娠してたのに打って赤ちゃんが流れた人もいます。夜勤の男性が仕事中に倒れてコードブルーが発令されたこともありました。
でも、こういうのが全部ワクチンのせいなんだってことに、みんな気付いてないんです。


私の州は、中国共産党みたいになっています。これを日本の友人に伝えても、意味が分からないようで、皆ポカンとした顔をします。
アメリカは壊れつつあります。医療費、無茶苦茶ですよ。レントゲンを撮るだけで2万円とかします。しかも保険がきいて2万です。病院に一泊するとなれば、一般病棟で50万、ICUだと1千万とか。この国、大丈夫かなって思います。
コカインとか薬物に対する罪が軽くなってきて、風紀が一層乱れています。西海岸とかワクチンに積極的な州は明らかに壊れつつある印象です。
私の病院にも、ドラッグ中毒の患者がよく運ばれてきます。運ばれてきたら、病院としては対応しないといけない。いろんな薬を投与したり処置をして、ものすごい金額の治療費になる。でもそういうドラッグ中毒の人って頭おかしいから、黙って病院を出ていくお金は当然払わない。誰が治療費を払うのかというと、税金です。国の財政が破綻しないのが不思議なくらいです。


この国の医療は腐ってる、と私が確信した瞬間があります。それは、移植待ちの患者が、ワクチン未接種を理由に待機リストから外されたことを知ったときです。そのときに気付きました。こんなの、人助けでも何でもない。単なる嫌がらせじゃないか、と。
私、自分の権利を守るために、今戦っているんですが、何だか気持ちが揺らいできました。
仮に、ワクチンを打たないまま病院で働き続ける権利を勝ち得たとしても、私はきっと苦しくなると思う。病気の人を助けるために看護師になりました。ワクチンを打ってないからという、それだけの理由で医療を与えない。そういうスタンスの病院で勤することは、私には耐えられないと思います。
最近、日本に帰ることを考え始めています。アメリカで20年の青春を過ごしました。十分楽しい経験をさせてもらったかな、と。
先生、コロナ禍の日本のことで何かと悲観的なことを書いておられますけど、日本は全然マシなほうですよ」


------(引用ここまで)-----------------------------------


海外のワクチン・ファシズムのひどさに唖然としますが、
日本が同じようになるのも時間の問題かも知れませんね。



(関連情報)


「無抵抗の市民を殴る蹴る オーストラリア警察の極悪非道ぶりがすごい」
(拙稿 2021/9/27)
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/441.html


「箝口令が敷かれていたオーストラリアの看護師たちが内部告発グループを結成 
COVID-19ワクチンによる傷害事件の病院で起きている実態を明らかにする (あかいひぐま)」
(拙稿 2021/10/5)
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/482.html


「[これはひどい] 未接種者の診察や看護を拒否する医療関係者たち」
(拙稿 2021/10/10)
http://www.asyura2.com/21/iryo7/msg/506.html  




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熱血暴力教師

竹熊健太郎のツィートである。
動画を見ると、男女平等に殴っているようだwww
殴った後で笑顔で生徒に接しているところがサイコパスである。生徒が殴り返せよ。暴力には暴力で対抗していい。

(以下引用)

私の中学時代の教師がこんな感じだった。70年代前半の千葉県。
引用ツイート
VANC Dominity@配信者
@D32ty
·
金八先生 ACE. #VALORANT
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「原罪という思想の発生機序」

以下、「原罪という思想の発生機序」である。
数字は前回の「モーセ篇」からの続き。

7)「モーセ」は、言わばユダヤ民族の「父」であり、ユダヤ民族は「父殺し」をしたわけである。そして、「唯一神」と「父」のイメージは重なっている。(夢人注:旧約聖書でも「父」は子供に祝福を与え、あるいは呪いを与える存在である。)

8)ユダヤ民族は「神に選ばれた民族」であるにも関わらず、他民族にしばしば征服され、不幸な境遇を経験した。「神」のユダヤ民族へのこの対応にはユダヤ民族の何かの「罪」が存在するはずである。罪があるから「処罰」があるのでなければ理不尽である。その「罪」は何か、と考えた時に、大昔のユダヤ民族は「父殺し」すなわちユダヤ人を生み出した「神」に等しい存在である「モーセ」を殺したことが思い出され、その罪悪感が深層心理の中に生まれた。これが「原罪」観念の最初の芽生えである。


9)イエスという人物がユダヤ民族の歴史に登場し、そのイエスは「罪なくして」殺された。その言行はまさに「モーセ」の思想と同一であった。つまり、イエスはモーセの精神的な子供であり、ユダヤ民族の「モーセ殺し」は繰り返されたのである。

10)「被害者(夢人注:イエスのこと)が罪なくしていけにえとなったというのは、明らかにある歪曲を含む考え方であり、論理的には理解しがたいものである」(フロイト「同書」より)「いったいどうして、殺人の罪のない者が、みずから死を迎えることで、殺人者(夢人注:ユダヤ民族のこと)の罪をひきうけることができるというのだろうか」(同書)

11)「キリスト教」という新しい思想、すなわちパウロが旗振りをした「ユダヤ教の改革」は「表向きは、父なる神との和解のために行われたとされているが、実際には父なる神を王座から追放し、亡きものとすることであった。」(同書)「ユダヤ教は父の宗教であったが、キリスト教は息子の宗教になった。古い父なる神はキリストの背後に退き、息子であるキリストが父の位置についた」(同書)

12)「パウロはユダヤ教を発展させるとともに、ユダヤ教を破壊することになった。パウロがこれに成功したのは何よりも、救済という観念を作り出して、人類(夢人注:キリスト教発生当時の救済の対象は「ユダヤ民族」だけだが、過去の歴史での「父殺し」の潜在的罪悪感はすべての民族にある、というのがフロイトの思想であるようだ。)の罪の意識を鎮めることができたことによる」(同書)


以上、フロイトによる「原罪という観念の発生機序」であるが、もちろん、私の主観による読み取りであり、かなり歪曲されたものだ。









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「モーセ」とユダヤ民族の宗教

フロイトの「原罪論」だが、引用ではなく、私流の要約(歪曲ww)で書いておく。

1)ユダヤ民族をエジプトから脱出させた指導者がいた。それを「モーセ」と呼んでおく。
2)彼はエジプトの一神教である「太陽神」思想(エジプトでは短期間で滅びた思想である)の持ち主だった。(ユダヤでは、モーセの死後に、他部族の火の神ヤハウェの名を借りて、ヤハウェを創造神とする一神教思想に変更されて継承された)
4)ユダヤ民族の「一神教」の祖である「モーセ」はある時点でユダヤ民族によって殺された。(夢人注:理由は不明だが、民族の感情を逆なでする何かがあったのだろう。モーセ自身はユダヤ人ではなくエジプト人だった可能性が高い。)
5)「モーセ」の死後、「出エジプト」の最大の功労者であり、「一神教の祖」であるモーセの事業の偉大さを顕彰する声が高まり、ユダヤの神官たちは彼を「旧約聖書」の主人公としてユダヤ教を作り上げた。つまり、旧約聖書の中の様々な「統治ルール」はモーセの作ではなく、神官を中心としたユダヤ支配層の作である。(夢人注:だから、「世界宗教」としては無意味な「割礼」などの「民族的風習」がたくさんルール化されている。)
6)「モーセ」の思想をフロイトはこう3点に要約している。
 A:神(唯一神)のみを信じること。(全的に帰依すること)
 B:神を儀礼や供儀(犠牲を供えること)によって崇拝してはならない。
 C:真理と正義のうちに生きること。
(夢人注:これは、「モーセ」だけでなく、フロイトも言うように旧約の預言者たちの思想である。また、フロイトは言っていないが、明白にはるか後年に出現するイエスの思想でもある。)
(夢人注:つまり、旧約聖書という矛盾の塊は、モーセと呼ばれた人物の思想と、モーセ以後の神官たちが付け加えた膨大な箇所と、ユダヤの伝承や伝説の矛盾がそのまま集成されたからだということだ。)

以下、イエスの出現とパウロによるキリスト教の創造、「原罪」思想の誕生の経過は次回に回す。


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過去記事の発掘と日干し

別ブログの昔の記事を自己引用。
たまたま読んで、今でも考えは変わっていないし、放っておくと地中に埋もれるだけなので、少し日干しするために外に出したわけだ。

(以下引用)


「ときどき休みます」という穏やかな「私生活ブログ」から転載。
私生活ブログとは、今私が名付けたもので、身辺雑記ブログと言う方がいいかもしれない。まあ、筆者が好感の持てる人物である場合にのみ存在の許されるブログだ。
その一方、私のブログなどは、下記記事にある「他人の悪口」「言い訳」「時事問題」ばっかりで、書いている人間の人間性が嫌われても仕方がないな、というものだ。
しかし、村上春樹や堀井憲一郎は、なぜ「他人の悪口を書くな」と言っているのだろう。そりゃあ、社会的有名人だからさ、という答えがすぐに返ってくる。彼らにとって他人の悪口は百害あって一利無し、である。あの精神科医の香山リカも、小出ブームに関して、社会批判をする人々全体を、自分が社会に受け入れられていないルサンチマン(恨みつらみ)からだ、と批判しただけで、逆批判を浴び、一辺でそれまでに築いた地位を失いそうになった。不特定多数の人間を批判しただけでこうなのだから、特定人間への悪口がどんなに危険かはわかるだろう。
それでも、私のこのブログは、多分他人の悪口をこれからもたくさん書くだろう。なぜって、私は無名であり、匿名性に隠れて他人の悪口を言うことが好きだからだ。まあ、その匿名性も本当は脆いものだろうが。
それに、私の悪口とは、「社会批判」であり、社会批判こそが社会を改善すると私は信じているからだ。
まあ、村上春樹の「エッセイ三原則」は、ただの処世術である。



(以下引用)


歯医者さんへ。前回から少し間が空いた。先生からあと2回くらいだと言われる。ようやく出口が見えてきた。主にポッドキャストなどで聴いてる、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』の火曜日パートナーの神足裕司さんが、くも膜下出血で入院中。その代役で出演している堀井憲一郎さんが、『いますぐ書け、の文章法』という自著を紹介していた。興味があったのでさっそく読んでみた。(以下ネタバレ)どんなことが書いてあったかというと、いちばん書きたい結論を真っ先に書けということだった。その伝でいくと、まずタイトルの「いますぐ書け」ということが堀井さんのいちばん書きたいことなのだ。四の五の言わずにともかくすぐ書け、と。そうは言っても、なかなかうまく書けない。困った。うまく書きたいと思うなら、うまく書きたいと思わなければいい、と堀井さんは続ける。これについてはおいおいもう少し具体的な説明がある。




この本を通じて大前提となる心構えはこういうことだ。読んでいる人のことをいつも考えて書け。


アマチュアの人が文章を書いてるときに設定してる読者は「きちんと読んでくれる読者」ですね。自分の意図に沿って読んでくれて、好意的な同調をしてくれる読者。それは読者とは言わない。自分の考えの反射でしかない。(p20引用)


そうとう耳が痛い話だ。ではそのためにどうするか。僕が気になったことをいくつか拾って箇条書きしてみる。

  • 悪口を書くのは難しい。だからやめたほうがいい。
  • 自分が書いた文章にタイトルをつけてみるといい。タイトルをつけにくいものは、悪い文章である。
  • 文章はあくまでも個人から発するもので、それは自分の話である。借り物の時事問題やたいして詳しくもない社会問題などはやめておけ。
  • 「独断と偏見によれば」という単語を使わない。そういう当たり前の弁解をしない。
  • いま持っているもので戦え。慌てて辞書を引いたりしてふだん使わない難しい言葉を使うな。
  • 読み手を特定しろ。身の周りのごく個人的な知人に読んでもらうことを想定する。
  • スポーツと同じで、上達したい人は理論ばかり捏ねくってないでさっさと体を動かせ(つまり書け)

あと、より細かい方法として、漢字を減らせ、すぐ改行しろ、「ぼくが」「わたしが」という冒頭の一人称をやめる、文末の「思う」もやめる、などということも書いてあった。まったく、やめておけがことごとく僕に当てはまり、いずれも頷けるものばかりだった。まあでもここまで指摘されても実践は難しい。つまりそれはどこかで「うまく書きたい」と思うからだ。「うまく書きたいと思わなければいい」ほど難しいことはないのだ。本当の意味でそれは、読んでくれる人のこと真剣に考えてない、からなのだろう。う~ん、マイッタ。




と、ここまで書いてきて、同じような話をつい最近なにかで読んだなあと考えたら、村上春樹さんのエッセイ『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』を思い出した。あの中にも、悪口を書かない、言いわけを書かない、時事問題は避ける、という村上さんが守っているエッセイを書く上での三原則みたいなものが紹介されていて、僕はなるほどなあ、と納得したばかりだった。そら、もう忘れていた。なお、堀井さんの場合も村上さんの場合もそれぞれ、ここで僕が大まかに箇条書きしたものなど鵜呑みにせず、実践してみたい方は是非実物を手に取ってくださいね。

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片目の国では両目の人間は異端となる

まあ、民主主義というのは、国民の6割が馬鹿なら馬鹿の大将(馬鹿とは限らない。だいたいズル賢い)が支配する国になる、ということだから。
昔は「賢い人」は尊敬されたが、今は憎まれる。つまり、「自分たちが馬鹿にされている」と馬鹿たちは思うからだ。馬鹿の自我や自惚れが途方もなく拡大したのが現代である。
その原因のひとつは「地頭の良さ」という概念だろう。昔は学歴が頭の良さの証明書だったが、今は「テレビに出て馬鹿な発言をして笑わせる人間のほうが本当は頭が良い」となっているわけだ。もちろん、どちらも単に程度問題にすぎない。学歴のある馬鹿もいるが、地頭は良いが無知無教養でまともな判断ができない「政治的には馬鹿」(そういう人物の政治的発言は社会的害悪になることが多い。)もいる。地頭の良さと見做されているのは単に「笑いの反射神経が良い」だけという面が大きい。


(以下引用)


・賢い小難しい言葉を用いるのは負け ・論理を必要とすると負け ・批判しようとすると負け ・長い文章を必要とすると負け ・人間に期待すると負け ひたすら感覚や気持ちややってる感が重要
引用ツイート
建築エコノミスト森山高至
@mori_arch_econo
·
返信先: @mori_arch_econoさん, @C4Dbeginnerさん
それが、N国であり一部の維新のバカ戦略&下衆戦略である。 民主主義の多数決の選挙において大衆対策をおこなった場合に、 「民衆より突出した能力を強調する賢がり戦略」VS「オマエらとの共感を醸すバカ下衆戦略」では、 かならず下衆側が勝ってしまうのである。 なぜなら大多数が勝つ制度だから。


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ユダヤ民族と一神教

「人間モーセと一神教」(光文社文庫)から抜粋。この前の部分に「民族の神の変更」の件が書かれている。「唯一神」はもともとエジプトで一時期信仰対象となった太陽神崇拝の宗教らしい。それが出エジプト後にユダヤ人が(モーセによって)採用した経緯があるようだ。興味深い箇所がたくさんあるので、引用が長くなりすぎて、一番面白い「原罪」の起源、あるいは原罪という奇妙な思想がどういう「理屈」で生まれたのか、フロイトが見事に解き明かした部分はまたいつか紹介する。

(以下引用)色字は夢人による強調。

ところが運命はユダヤの民にさまざまな困難な試練と苦痛な経験を与えたのだった。このためユダヤの神は厳格で冷たく、陰鬱な神となったのである。ヤハウェはすべての国とすべての民族を支配する普遍的な神という性格を維持していたが、この神を崇拝する民がエジプト人からユダヤ人に変わったために、ユダヤ人こそがこの神の選んだ民であるということになった。この民は特別な義務を負う代わりに、最後には特別な報いをうけることができるとされていた。
ユダヤ人にとっては、全能の神に選ばれた民でありながら、不幸な運命のもとで悲しむべき経験をしなければならないという事実は、うけいれることが困難だったに違いない。しかし迷うことはできないのであり、神への不信を封じるために、みずからの罪悪感を強めて、最後には「極めがたい神意」というものを思いついたのである。(…略…)神がアッシリア、バビロニア、ペルシアなどのような暴虐な民族を次々と登場させ、ユダヤの民を屈服させ、虐待したことは不思議と思えただろう。(…略…)
ユダヤ教に一神教がはいりこみ、この一神教がキリスト教のうちにも維持されたという事実ほど明白なプロセスは、宗教史においてはほかに例をみないほどである。(…略…)
さしあたりは、一神教という理念が誕生するにあたっては、ファラオによる世界支配がきっかけとなったと考えておこう。そしてこの理念はエジプトの土地を離れて、別の民によって引き継がれた。この民族は長い潜伏期ののちにこの理念を貴重な財産として大切にするようになったのである。そしてこの理念のもとでユダヤ人は自分たちが選ばれた民であるという誇りを抱くことで、民族としての生命を永らえることができたのである。


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酔生夢人
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趣味:
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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