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自ら屠殺場の家畜となる人間

いや、私のような隠者が、スーパーモデルになど関心は無いのだが、この記事は、世間の人間がいかに「自分の頭」を使っていないかという例にしたいだけである。
脂肪というのは、いわば臨時の必要に備えて体が蓄積する栄養分である。中年以降、体を動かすことが少なくなると、脂肪が無駄に増えていくのはご存じの通りだ。
で、脂肪というのは高い温度で融解するが、普通は、つまり常温では流動性の無い、準固体(「ゲル状」と言ったか)とでも言うような存在であるのは、料理などでラード(豚脂)やヘット(牛脂)を使った経験のある人はよく知っているだろう。で、それを「凍らす」というのはどういうことか、私には想像もつかないのだが、体内の脂肪が凍るとすれば、それが自然排出されないのは当然であり、体にメスを入れて切り出す作業になるのも当然だろう。で、切り出された跡が空洞になるのだから、自然な体型ではなくなるのも当然かと思う。まあ、人間が屠殺場の豚や牛になるような手術である。別の方法の脂肪除去の手術(脂肪吸引手術など)もあると思うが、脂肪を冷凍することで何かメリットがあるとは思えない。まあ、医者の作業が捗るというメリットがあるかもしれないが、それは患者のメリットではないだろう。医者の作業が楽という観点から見たら、相手が死体であるほうが楽である。(ただし、腐敗死体は別の話。)
そういう手術をすると言うか、自分で志願して手術される「勇気」は凄いな、と思うが、暴勇と言うべきだろう。このスーパーモデルの話は、神風特攻隊の乗員を自ら志願して、自分が死んだらそれを恨むような話である。つまり、「特攻」の意味を知らずに志願するようなものだ。(そういう特攻隊員はいなかったはずである。つまり、自ら志願した者は、自分が死ぬのは承知の上だ。)ただし、一種の医療詐欺の告発の契機になったという意味では意義が無いこともない。馬鹿であるのは確かだが。偶然だが名前どおり、一種の「反脂肪冷凍手術」のevangelist(宣教師)になったわけである。

(以下引用)



 
 







© よろず~ニュース

モデルのリンダ・エヴァンジェリスタ(57)がクールスカルプティングに関して起こした訴訟が合意に達した。脂肪を凍らせて排出する痩身術で体型が完全に変わってしまったと訴えていた。6年ぶりにフェンディのモデルとしてカメラの前にも復帰し、これからの人生への期待をインスタグラムに綴っている。


「クールスカルプティングに関する訴訟の決着がついて喜んでいる。友人や家族と一緒に自分の人生の新たな章を迎えることを楽しみにしているし、もうこの問題は水に流そうと思う。連絡をくれて応援してくれた皆には本当に感謝している」


1990年代に世界で最も著名なスーパーモデルの1人として活躍したリンダは、昨年9月に同施術によって酷いトラブルに見舞われたことを告白していた。「今日過去5年間にわたり苦しみ、自分の中に閉まっていた過ちを正すため私は大きな一歩を踏み出す。同僚が仕事で輝く中、なぜ私は活動していないのかを不思議に思っていたフォロワーの皆、ゼルティックのクールスカルプティングで、謳い文句とは正反対の結果となり私の体は残酷に変形してしまった」「私の脂肪細胞は増加している、減少じゃなくね。痛みを伴う、失敗した矯正手術を2回受けたにも関わらず永久に変形してしまった。メディアが伝える、『(本人と)認識できない』レベルまで」


そして起こることは稀なものの同施術の重大な副作用についてリンダは言及している、「逆説的過形成、もしくはPAHが私に起こった。その施術を受ける前に知らされていなかったリスクね。PAHは私の生計を壊しただけじゃなく、重度のうつ、強い悲しみ、どん底の自己嫌悪をもたらした。その過程で私は引きこもりになった。訴訟を通して、自分の恥を取り除き、この話を公にする」「こんな生活に疲労困憊。あたまを高くして堂々と家のドアから出たい。もう以前の自分のようには見えないけど」


低温脂肪分解のブランド名として知られるクールスカルプティングは体形矯正として知られており、ヘルスケア企業アラガンの子会社ゼルティックがライセンスを発行、装置を提供しており、アメリカの食品医薬品局から認可されている。


リンダは1990年代に銀座ジュエリー・マキのCMにも出演していた。


(BANG Media International/よろず~ニュース)







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「台湾有事」は、米国が煽っているだけ

「神戸だいすき」ブログのコメント欄だが、ブログ主の「台湾有事はない」という、単なる感覚的発言について、常連コメンターらしき人々が、かなり有益な意見や情報を書き込んでいて、コメント欄のあるブログというのも悪くないな、草の根的な賢者の言葉が聞ける、と感じる。まあ、私のブログにコメント欄をつけたら、私の悪口だらけになるだろうから、そのあたりはブログ主の人徳かもしれない。

「台湾有事はない」というのは、普通に考えてもそういう結論になるだろう。中国に何のメリットもないからだ。すでに台湾と中国は民間レベルの経済的連帯がある以上、武力で台湾を征服する何の意味も無い。東海アマ氏みたいに「中国人の精神構造」がどうこうというオカルト的な意見は愚論の最たるものだと私は思うが、粘着的気質の彼は、知識は多いし文章自体は詳しくしつこく書くので、それが一部の人には「理論的だ」「物事を良く知っている」と見える可能性はある。

理屈(屁理屈)というのは、実は「結論」が先にあって、その結論に合う(合いそうな)「事実」を無理やりに探して、くっつけているだけにすぎないことが多い。橋下徹の理屈など、その最たるものだと思うが、世間の多くの人は「橋下は頭がよい、弁が立つ」という印象を受けるわけである。
一見科学の衣をかぶった屁理屈でも世界を動かせるのは、地球温暖化詐欺や新コロ詐欺で明白である。と言うのは、科学的屁理屈も、「仮説→検証→仮説の正しさの確認」から生まれたという体裁を採っているからである。その「検証」が実にいい加減なものであることは、自分で情報を精査して、自分で考えれば普通の人間でも分かるのだが、普通の人は生活に追われているので「自分で考える」余裕がない。だから、マスコミに出る怪しげな「専門家」の言葉を鵜呑みにしてしまうのである。で、馬鹿ほど口が軽いから、テレビで「専門家」が言ったことを周囲の人間にペラペラ喋り、無意識的に「折伏(つまり洗脳)」してしまうわけだ。賢明な人間は事実が確認されるまで口を開かないから、馬鹿の言説があっと言う間に世間を支配する。

一日に8時間も働いて、残りの時間を政治問題の検証に使うというのはほとんどの人には無理だろう。仕事で疲れた頭を癒すために、パチンコをやるか、テレビを見るか、漫画を読むくらいだと思う。その中で、漫画を読むのはマシな部類である。漫画は天才的な頭脳の人間が問題を精査し、熟考して描いていることが多いのである。しかも、娯楽性を重視しているので、読むのに苦痛が無い。高校以上の学校に行くより、手塚治虫の全作品を読破したほうが頭脳のためには有益だろう。もちろん、手塚治虫以降の漫画家にもたくさんの天才はいる。現代でもたくさんいる。ただし、天才的な人間でも政治問題に関しては凡人以下の作家もたくさんいる。

なお、引用コメントの取捨選択はしていない。最後の「啓蒙家(凄いHNである。世間の人間はみな、無知の闇に覆われている愚人で、自分はその蒙を啓(ひら)く賢明な人間だ」と自称しているわけだ。)」氏のコメントは中国と戦争する気マンマンの愚劣なコメントだと思うが、そのまま載せる。


(以下引用)

コメント

    • 1. 別ノ橘 輝一楓ノ匠 
    • 2022年08月07日 08:52
    • 中國軍が、実力で台湾島封鎖をし続ければ、それだけで、実効支配は、完了です。

      台湾島からの工業製品輸出に支障が出ています。さらに中国軍による、臨検等も実行すれば効果満点でしょう。

      日本軍は、兵員に対するワクチン接種のおかげで、戦える能力は低下中です。戦えない無能な軍隊になりつつあります。出兵は無理ですよ。
    • 2. おもいつき 
    • 2022年08月07日 10:44
    • 同感です
      <報道レベルで>
      2022年1月4日 ワシントン・ポスト
      2023年に下院議長を退任しハキーム・ジェフリーズ議員が有力候補に。
      選出されれば、彼は下院初めてのアフリカ系アメリカ人議長となる。
      July 21, 2022 フィナンシャルタイムズ
      台湾訪問 ジョー・バイデン大統領は、米国防総省は反対したと述べた。
      <噂レベル>
      July 29 Ezra A. Cohen d from Shadow of Ezra  Milley将軍。不名誉な辞任・解任・退任となるでしょう。
      台湾では妖婆ペロシと呼ばれている。
      韓国で大統領と面会できず。

      ペロシの卒業旅行の一人芝居で、アメリカ国家として事を構える余裕はないと思います。
    • 3. 明珠 
    • 2022年08月07日 12:06
    • 台湾有事はないとする論者は、結構いて
      かなり信憑性のあることを書いていますね。

      ただ、私は、日本のインフラはアメリカに握られていて(コントロールされていて)
      日本のインフラが少し不安定になる可能性があるという各論者の指摘は
      やはり否定できないと思っています。

      しかし、個人的に特別な用意や準備をするほどの金銭はなく
      事態を観察し見守るのみです。
    • 4. みるみる 
    • 2022年08月07日 16:23
    • 8/7-その1 K.Gさんからの最新情報 前半
      https://wisdomkeeper.livedoor.blog/lite/
      非常に興味深い情報を提供。この紛争は中国にいる一人の女性によって仕組まれたことで、この女性は既に死んでいるからです。

      彼女(ペロシ)は台湾にある世界的なマイクロチップ施設(TSMC半導体工場)を支配することになると思い込んでいました。彼女は白痴のように立ったまま台湾政府と多くの約束をしました。彼女は世界の半導体を支配するつもりでした。そして彼女は台湾政府に「あなた方は私のビジネスパートナーになりますよ。そして世界の半導体供給を牛耳ることになるわ。私は半導体の女王よ。」と豪語していたのではないかと想像できます。彼女は傲慢ですから。
      この2週間で多くの非常に重要な協定が失効しました。
    • 5. 一言 
    • 2022年08月08日 04:31
    •  蔡英文もムーニーつまり法輪功なのだろう。ま、勝共連合の一員、邪教の一員だろう。アメリカは大統領不在でブリンケンが代行しているぐらいだから、話し合えるはずもない。中国を撃滅せよと言っても誰も従うはずもない。空母ロナルドレーガンが近づいたら前方にチャイナの駆逐艦が多数待ち受けている。
       ま、最初は無数の漁船が台湾を取り巻く。タンカーとLNG船の周りをうろちょろして邪魔をする。備蓄が一か月しかないから、一か月で台湾軍は無力になる。そこで、総統を追い払って解放軍の進駐を受け入れるか、それとも北京ー台北の高速鉄道を受け入れて、自治を続けるかの選択が待つ。
       日本は何もしないほうが良い。敵国条項は死んでいるわけではない。それを根拠に中露の攻撃を受けるなどになってはいけない。
    • 6. 神戸だいすき 
    • 2022年08月08日 04:45
    • ほらね、このブログは、コメント欄がすごい
    • 7. 啓蒙家 
    • 2022年08月09日 21:50
    • 日本に軍隊が復活するまで、有事は待って欲しいな。

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生きることと死ぬこと

「縛り首の木」という西部劇映画があって、マーティ・ロビンスという歌手(素晴らしい歌唱力で、声に独特のビブラートがある)がその主題歌を歌っているのだが、その中に

To really live, you (must)almost die

という一節がある。括弧に入れたのは、意味の上では必要だろうな、と私には思えるが、耳ではそう聞こえない語句だ。それにmustとalmostが連続するのは耳障りであるから、省いたのだろう。(訂正:toが「する~ために」の意味なら、「真に生きるために、君はほとんど死ぬ(死にかかる)」となるので、mustは必要が無い。)
で、私はこのフレーズが好きなのだが、そういう生き方はまったく私とは無縁のものだ。もちろん、仏教にも「大死一番」とか「百尺竿頭一歩を進む」とかあるが、それは精神的なものだ。現実に「本当に生きるには、ほとんど死ぬ必要がある」という生き方などできるものではない。
まあ、西部劇では常に死が目の前にあるからこそ、そのドラマ性で昔は好まれたわけだ。べつにSFXを使わなくても高度なスリルやサスペンスが作れたのである。日本の時代劇も近い、と言うか、大衆小説や映画の時代劇は、実はあれは元々は西部劇を日本化したものなのである。
黒澤明の「用心棒」に至っては、西部劇どころか、原作(原案)はダシール・ハメットのハードボイルド小説である。(「血の収穫」らしいが、「町の名はコークスクリュー」という作品だ、という説もあるようだ。)
で、「縛り首の木」は、ユーチューブで歌の背景として映画のダイジェストが流れるが、私自身はこの映画を見たことはない。見たくてたまらないが、西部劇は不人気だから、ネットテレビの映画でもなかなかそういうマイナー作品は見られない。
その主題歌の別の一節に、「黄金を求めて来た男が、そこを去る時には彼はもはや黄金を必要としなかった(He needs no gold)」とあるが、これが私には謎である。世の中で黄金(カネ)を必要としないのは、死者(死体)か、お釈迦様のように悟った人間だろう。ゴールドラッシュの時に黄金を求めて来た者の中には死体になった者も多いだろうが、果たして、この場合はどちらなのか。なお、主演はゲーリー・クーパーであるが、彼は縛り首には(なりかかるが)ならないようだ。

 生きるか死ぬかと言えば、「ハムレット」の「To be ,or not to be.That's the question」を「生か死か、それが問題だ」としたのは名訳だと思うが、この元のセリフには無数の日本語訳があって、「to be」を「生きること(生)」としたのは誤訳である可能性もあるようだ。その前の部分を私は知らないというか、読んだのが大昔なので覚えていないが、仮に、その前に書かれた部分が実母の不貞への疑惑や父王の不審死へのハムレットの懐疑なら、この「to be ,or not to be」は「(母の不貞は)(父の暗殺は)事実か否か(その出来事は存在したか、しなかったか)」になるわけだ。これはbeの本義である「存在する」に近い訳だが、さて劇の流れはどう書かれていたか。

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ウクライナ軍、自国の原発を再度砲撃

ウクライナ戦争は世界も飽きて、と言うより、「キエフ政府の正体と、彼らがやってきたこと」が世界中にバレて、マスコミ報道がほとんどゼロに近くなっているが、戦争はもちろん続いているわけで、キエフ政府は「(自国内の)原発攻撃」という無茶苦茶な作戦に出ているようだ。当然、それを「ロシアがやった攻撃だ」ということにするつもりだろう。それによる自国民の核汚染被害など、頭から無視である。

(以下「スプートニク」から転載)

ウクライナ、ザポリージャ原発を再び砲撃=ロシア国防省

ザポリージャ原子力発電所 - Sputnik 日本, 1920, 08.08.2022
ウクライナ軍は7日、ザポリージャ原発に砲撃を行った。ロシア国防省報道官のイーゴリ・コナシェンコフ中将が8日に発表した。
ロシア国防省の発表によると「7日、ゼレンスキー政権により、ヘルソン州およびザポリージャ州における人道的大惨事を起こすためにザポリージャ原発のエネルギーインフラ施設で新たな核テロ行為が行われた」という。
砲撃の結果、ザポリージャ州およびヘルソン州に電力を供給する送電線が損害を受けた。ザポリージャ原発では高電圧となりプラント開閉装置に煙が発生。それを受けて保護システムが作動し、停電となった。
到着した消防員により消煙作業は完了。また原発異常稼働を防止するため、5号炉および6号炉の出力が低減された。国防省が伝えた。
ウクライナ南部ザポリージャ州行政長はこれより前、国際原子力機関(IAEA)はザポリージャ原発への砲撃を阻止するための措置を講じていないと非難した。
関連記事
国連事務局 政治的理由でIAEA使節団をザポリージャ原発に派遣することを阻止=ロシア外務省
ウクライナ、20日にザポリージャ原発を4回攻撃

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立憲はまず党内の大掃除をすることで範を見せ、自民を追い込め

「内田樹の研究室」記事で、記事の末尾だが、内田のこの「今後の政局予想」はかなり的を射ていると思う。特に、野党(主に立憲)が先に党内の「統一関係議員」を離党、あるいは議員辞職させることで、自民を追い込むというのは抜群の案である。もっとも、数の少ない立憲だから、議員数が半分以下に減ったりしてwww しかし、それをやらないとますますジリ貧になると断言できる。つまり、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ。


(以下引用)


- 自民党は今、蜂の巣をつついたような大騒ぎでしょうね。


内田 でしょうね。内閣はとりあえず「様子見」だと思います。岸田さんは今のところは国葬で安倍派に対する配慮を示していますが、いずれ安倍派が内紛で分裂すれば、安倍派を優先的に配慮する必要もなくなってくる。それ以前に「統一教会と癒着していた議員」と「癒着していなかった議員」の間に対立が出てくると思います。「癒着していなかった議員」にしてみたらひとしなみに「自民党議員は...」と責められることは「痛くもない腹を探られる」わけですから、「誰がクロかはっきりさせてくれ」という気分になる。一方のブラックやグレーの議員たちはうっかり癒着を認めて謝罪などすると「じゃあ、議員辞職して責任を取れ」という話になりかねない。それだと解党的な危機になりかねない。だから執行部としても、そこまでは追いつめられない。「癒着議員」をなんとか「謝罪」させて、かつ「責任を取らせないで済ませる」ためにはどうしたらいいのか、それを今党執行部では頭を悩ましていると思いますよ。


- 既にそういう状況が起きているのでは? 落としどころがないわけで、程度ものによっては議員辞職しなきゃいけないですから。

内田 「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですから、癒着していた議員たちが100人くらい全員一斉に記者会見して、そこで最敬礼して謝罪するというのがたぶん一番傷が少ない解決法だと思います。それは「全員の足並みが揃うまでは謝罪しない」ということですが、全員の足並みが揃うことなんかあり得ない。だから、最終的には、誰一人謝罪しないままぐずぐずにするつもりだと思います。


- 野党にも若干いるみたいです。立憲にも数人いたとか・・・。


内田 野党が先に「癒着議員」に詰め腹を切らせて、離党なり、議員辞職なりさせたら、自民党に対してはこのあと一気に優位に立てます。でも、その政治判断が出来ないとしたら、そこが今の立憲のダメなところですね。


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野次馬氏、ワクチン推進派から反ワクチン派に鞍替え?

私は国語力だけで大学まで行った(卒業はしていない)人間なので、読解力はある方だと思うのだが、野次馬氏のこの記事は意味が分からない。と言うより、記事の意図が分からない。
確か、野次馬氏はワクチン推進派で、反ワクチン派を散々馬鹿にしていたと思うので、この記事も同じ趣旨なのかと思うが、どう考えてもそうは読めない。突然、反ワクチンに宗派替えしたようにしか読めないのだが、どうなのだろうか。
いや、宗派替えしてもいいのだが、それならそうと、明確に謝らないと、自民党代議士、安倍派(統一教会派)と同じ、居直りになる。
で、コメントを書き込んでいる人間がまた新しいHNの人物で、常連コメント欄が伏魔殿化というか、統一教会御殿(鮮鶴何とか)みたいであるwww
念のために言えば、新コロワクチンは遺伝子ワクチンなので、元の体ではなくなる。新コロワクチンで死んだ人はたくさんいるし、障害を持った人もたくさんいる。ブラジルの大統領は、世界の首脳の中で、新コロ詐欺、ワクチン詐欺に抵抗した数少ない偉い人である。アフリカにも4人ほどいたが、全員暗殺されている。


(以下引用)
| コメント(3)

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コメント(3)


という事は遺伝子ワクチンで絶滅危惧種に変身すれば、多くの生き物が救われことに・・・



そんなことよりも北京原人だ
某方面の名コピペを転載しときます


タクヤさんは初めから保険の対象外だった可能性が微レ存?


05 ) 名無しさん
[2008/04/27(日) 17:25]
多分だけどGYM-Kの俊だと思う。指名したことはないが、店の
ファイルで顔写真見たことある。現代人っぽくないというか、
大昔に生息していた北○原○みたいでした。



ワクチン打って、ワニになるは半分嘘で半分本当だろうと思います。
それを踏まえて、ワタシはワクチンを打ちます。


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「民主国家」という幻想

まあ、精神科医というのは、現実政治の実態や哲学や論理学とは無縁だなあ、と思うような記事だが、政治と民主主義について考察するいい起動装置にはなる。(長い記事なので、新コロ関係の記述は省略する。)

上で「論理学」というのは数学と言ってもいい。つまり「極限」の思考法だ。数学の土台にはこの思考法がある。たとえば「直線や線分には太さがない」というのもそれだ。太さのある線分が存在すると仮定したら、その線分は「四角形」と見做せる、というのも極限的思考である。縦が1mmで横が1Kmでも、それを四角形(長方形)と見做すのである。

「5人を救うために1人を犠牲にする」と言うから話が曖昧になる。「100人のうち51人を救うために49人を犠牲にしてもいいか」というのが、民主主義の土台である「多数決」への一大詰問である。しかも、そこには数字だけしか表面化していない。ここで「質」の問題を入れると話ははるかに難しくなるが、その分、より現実に近くなる。それは「51人の糞野郎の悪党を救うために49人の善人(聖人や天使のような人々)を犠牲にしてもいいか」という問題だ。で、それでいい、というのが「多数決」であり、それに基づく「民主主義」であり、「現実政治」なのである。ついでに言えば、この「多数決」の票はカネで買えるし、マスコミで誘導できるのである。言うまでもないが、世界で真の民主主義が機能している国は存在しない、というのが私の考えだ。
要するに、民主主義が可能なほど国民の教養水準と現実知識と思考力・判断力が熟成しないと民主主義(名ばかりの民主国家以外)は存在しえない、ということである。まあ、早くても22世紀に実現できるかなあ、とは思うが、ウクライナ戦争や新コロ詐欺や地球温暖化詐欺の欺瞞性の経験で、世界全体の理性は向上しているので、案外早くなるかもしれない。


(以下「シロクマの屑籠」から転載)

新型コロナ対策というトロッコ問題と民主国家の責任問題を考えていたらわけがわからなくなった

走るトロッコに乗った5人を見捨てるのか。それともトロッコを止めるために待避線へと進路を切り替え、そこにいる1人がトロッコに轢かれて犠牲になるのはやむなしとするのか?
そもそもそういう選択を迫ること自体がひどいとか色々なことが言われがちだけれど、この問題を正面きって考えることは哲学領域では重要なことだと考えられ、たくさんの論者が考察していると聞く。それはそうなのだろう。
 
問題は、私たちは哲学領域で考察しているわけでも、哲学者なわけでもない、ということだ。哲学者はトロッコ問題に考察をもって挑めばいい。しかし私たちまでトロッコ問題を考えるよう迫られ、考えないのは人間失格だと言われてしまったらまあその、困る。そもそも、そんな選択を迫る前になんとかすれば良かったじゃないかと言いたくなるのが非-哲学者の心情だろう。
 
ところが新型コロナウイルス感染症によって、私たちはトロッコ問題を回避不能な選択として迫られ続けているのではないだろうか。もちろんここでの選択は、トロッコをどうするかではなく感染症対策だし、決定の段を下すのは医療や政治の偉い人ではある。けれども私たちだって本当は、人々の行動選択や世間の雰囲気をとおして、間接的には感染症対策の決定に影響をおよぼしているはずだ。ことの真っ最中に国政選挙が行われたとなれば尚更である。
 
そうやって私たちだって、少なくとも間接的には誰かの命が助かるかわりに誰かの命が削られたり失われたりする、そういったたぐいの選択をしてきたのだとしたら? で、それは医療や政治の偉い人の責任であると同時に、民主国家においては私たちの責任でもあるとしたら?
 
 


人の顔が見えるのにトロッコのレバーを引けるのも、それはそれで恐ろしいのだけど

 
「民主国家において、感染症対策にはトロッコ問題的側面がある」と気づいてみると、私などは、なんと恐ろしい意志決定だろうと怖気づいてしまう。しかし民主国家としての年季が違う欧米諸国をみる限り、たぶん、彼らはそれをやってきているのだろう。欧米諸国が日本よりデモクラシーの意識が高いという通説に基づくなら、欧米諸国の人々は、トロッコ問題的側面があるとわかったうえで日本よりもずっと早くコロナによる自粛を緩和し、沢山の人が新型コロナウイルス感染症にやられる状況を甘受してきたってことになる。たとえ、そこにうまくいく/うまくいかないといった目算があり、その目算の当たりはずれがあるとしてもだ。
 
たとえばスウェーデンのコロナ政策は透明性が高い議論がなされている、と往時には盛んに報じられたものだ。透明性が高い議論が行われるってことは民主国家として褒められることのはずだし、少なくともなし崩し的に決定がなされるよりは好ましいはずだろう。しかしその透明性が高いと報じられた議論の結果として、2021年のスウェーデン人はコロナにさんざんにやられた。透明性が高い議論、民主国家として(たぶん日本に比べて)優れた意思決定の果てにそれが起こったのだとしたら、スウェーデンの人々は、自分たちがトロッコのレバーを引いたというその感触を自覚していたのだろうか?
 
こちらの東京新聞の記事を読む限り、スウェーデンの人々といえども、醒めた目でトロッコのレバーを引いていたとは言い切れないようにみえる。Aを選んでもBを選んでも誰かが助かって誰かが犠牲になるとわかっている選択を、醒めきった意識でやってのけるのはスウェーデンの人々にだって簡単ではないのだろう。たとえ民主国家の取り決めとしてそうなっているとしても、人間は、哲学命題の水準で実地の選択肢をそう簡単には選べない。
 
もちろん数字だけを見ていればそれができるかもしれないし、数字だけを見て判断しなければならない場面もあるかもしれない。そう考えると、各方面の偉い人に課せられた責務の大きさは知れない。しかし、身内に高齢者がいる人、職場で基礎疾患のある人を診ている人、経営の厳しい観光業やサービス業の身内のいる人、ひと夏をコロナに潰された子どものいる人、等々が、トロッコのレバーを引けるとはちょっと思えない。つまり人の顔が見えるのにトロッコのレバーを引くのはめちゃくちゃ難しいように思える。ポジショントークや自己中心的な動機に基づいて、やれ、自粛しろ、自粛やめろと主張するほうがある面においてよほどマトモではないだろうか。たとえそれが、民主国家の主体としてふさわしくないとしても。
 
感染症対策に限らず、本当は、民主国家のさまざまな決定にトロッコ問題的側面があり、たいていの選択肢が誰かを救うと同時に誰かを救えない、そういった性格のものだとしたら、民主国家の主体としての私たちは、それを醒めきった意識でいちいち決定できるものなのか。また仮に決定すべきだとして、決定するのが人間的だと言えるのか? 人間が哲学命題の水準でデザインされているならそうかもしれないが、きっと人間は哲学命題の水準でデザインされていないから、それって非人間的ではないかと思わずにいられない。だとしても、独裁を否定し、民主国家のていのもと私たちがそれをやっていかなければならず、意識していかなければならず、責任を負うていかなければならないとしたら、なんと難しいのだろう……と思う。
 

 
それとも実際には他の民主国家でも「おれたちは雰囲気で民主国家をやっている」のが実態であり、本当はそれぐらいでちょうど良いってことなんだろうか? そのあたりもあまりわからない。
 
新型コロナウイルス感染症をとおして、私は、民主国家とその責任の所在にトロッコ問題がくっついていることを次第に意識するようになった。だけど本件に限らず、民主国家が有限のリソースを振り分ける際にはトロッコ問題的要素は常についてまわっているはずなのだった。そして戦争が起こる/起こらないといった極端な状況下では、感染症対策よりも鋭利な決断を迫られるかもしれない。
 
こうやって考えているうちに、こうした決定と責任のプロセスが正気とは思えなくなってきた。しかし正気とは思えなくても民主国家の主体たるもの、それを引き受けるのが筋なのかもしれない。人の顔が見えるのにトロッコのレバーを醒めきった意識で引くのは私には正気とは思えないから、私だったら人の顔を思い出しながら引いてしまうだろう。で、その総体として民主国家の意志決定がなされていく……という風に考えたくもなる。どうあれ、責任を医療や政治の偉い人だけに帰するわけにはいかないはずだ。
 

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