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「天皇の原発特許」論の「論拠」なるもの

「天皇の原発特許」というアホ話のかなり初期の投稿だと思うが、最近やたらにこの手の「反天皇言説」がネットに流行っているので、その論拠らしいものを見るためにここに載せておく。
考察するのは面倒なので、右寄りの弁者らしい人物のコメント(表現は難があるが論理的だと思う。)を借りて考察代わりにしておく。キチガイの発言をまともに考えるとこちらの頭がおかしくなるからだ。
ちなみに、この引用文の筆者はその「原発特許」あるいは「原爆特許」の書類を自分の目で確認したとは書いていない。書かれたことは何の論理性もない、ただの推測だけである。昭和天皇のイギリス陸軍元帥の称号は、ただの名誉職だろう。名誉段位の類である。だいたいが、一国の君主が他国の陸軍を指揮するはずがない。柔道の名誉段位6段くらいの老人が2段の現役柔道家に勝てるはずもない。そもそも試合などしない。

私は天皇制の存続に自分の命を賭けているほどの尊皇主義者ではないが、日本という国の個性(伝統と文化と歴史)は天皇という存在が大きな土台になっていると思っている。天皇が存在しなくなれば、日本という国の個性は消滅すると思っている。竹中平蔵(だったか?)やホリエモン流の新自由主義で、伝統文化や、それに基づく文化に敬意を持たない趣味の悪い資本主義国になるだけだろう。
世間のチンピラが、天皇を罵れば自分が天皇より偉くなった気分になってこの種のアンチ天皇発言をするのは吐き気がする。私は右翼ではないし、社会主義者だが、論議はちゃんと明確な根拠と論理でやるものだ。
もちろん、大東亜戦争(この呼び方が一番実態に合っていると思う。)での昭和天皇の判断は間違っていたことが多いし、昭和天皇にはその「戦争責任」があっただろう。そして、あの戦争(実は国民のほとんどが戦争推進派という、帝国主義時代の話なのだが)で自分の身内や知人を失った人たちが天皇を恨む気持ちも理解はできる。しかし、現代の人間がなぜ単なる「象徴天皇制」すら否定するのか、そこが分からない。天皇を庶民に引きずりおろして何が嬉しいのか。何の利益があるのか。

(以下引用)

書いてもええか?米国の原発特許所有者が東京にいる
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/261.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2015 年 3 月 12 日 06:08:19: VssSC.kx7zq3c
 


米国の原発特許の所有者が東京にいる。


まずは特許が先願主義であることをご留意頂きたい。


1951年、原子力発電特許は、世界初の高速増殖炉の実験を成功させた米国が権利を有する。
ただし、その原子力発電の発明は、1945年の原爆実験の成果なくして導き出せるものではなかった。
そのため、1945年の核兵器特許所有者は、米国が核兵器特許を失効するまでの期間、原子力発電特許にまで権利が及ぶことになる。


さて、核兵器特許はどのようにして成立したのか――建物も無い、農地も無い、無人の砂漠で核爆発をさせただけでは、兵器としての破壊力や殺傷能力を実証することはできないわけだ。
そこで、原爆を、どのようにして兵器として科学的に実証することができたのか、振返ってみたいと思う。そこに関わった国や代表者が核兵器特許の所有者だからだ。



【1】建物や農地や人がいる生活圏への原爆投下に協力した者:日本軍の中枢


・動画 NHK放送『原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報』2011年8月6日
http://www.dailymotion.com/video/xkev97_%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B-%E6%B4%BB-%E3%81%84-%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%A5%B5%E7%A7%98%E6%83%85%E5%A0%B1_shortfilms
文字起こし)ナレーター「原爆投下の5時間前に、原爆機接近の情報を軍の中枢がつかんでいたという新たな事実。」


・NHK>NHKスペシャル>放送内容>歴史・紀行>原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2011/0806/
コピペ)空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。



【2】原爆投下の直後(終戦前)から治療はせず殺傷記録をとった者:日本の科学者1300名
   被曝者を使った人体実験をした者:東京大学
   それらを原爆報告書として米国に提出した代表者:昭和天皇


 ・動画 NHK放送『封印された原爆報告書』2010年8月6日
 http://www.dailymotion.com/video/xkca1f_%E5%B0%81%E5%8D%B0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_news
 文字起こし)
米国公文書館スタッフ(字幕)「これが日本の科学者たちが作成した原爆報告書です」
ナレーター「17000人の〈中略〉子供たちが、原爆の殺傷能力を確かめるためのサンプルとされたのです。」
ナレーター「山村さんが命じられたのは、被爆者を使ったある実験でした。〈中略〉山村さんたちは、こうした治療とは関係のない検査を、毎日行っていました。調べられることは全て行うのが、調査の方針だったと言います。」


 ・NHKエンタープライズ>ドキュメンタリー > 歴史・戦争 > NHKスペシャル 封印された原爆報告書
 http://www.nhk-ep.com/products/detail/h16026AA
 コピペ)アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。調査は国を代表する医師や科学者らが参加し、終戦直後から2年にわたって行われた。



【3】原爆の殺傷記録の報告者となった昭和天皇は、実は敗戦国の君主ではなく、正規兵としての英国陸軍元帥(Field-Marshal)であった


 ・英国の官報 ロンドンガゼット1930年6月27日付け 英国陸軍省War Office 発表
 https://www.thegazette.co.uk/London/issue/33619/page/4028  ⇦右下 (画像添付)


  ・London Gazette
  Wikipedia
  http://en.wikipedia.org/wiki/The_London_Gazette


  ・Field Marshal
  http://ejje.weblio.jp/content/field+marshal


  ・War Office 
  http://ejje.weblio.jp/content/war+office



【4】太平洋戦争勃発の翌年1942年1月14日、英国の大手新聞タイムズが、昭和天皇は英国の陸軍元帥のリストから除名の必要無しという英国陸軍省事務官のコメントを掲載していた
 ・The Times (添付)
 http://www.thetimes.co.uk/tto/archive/



◆以上により、第二次世界大戦中の日本軍の中枢が空襲警報発令を差し止めて生活圏への原爆投下を許し、戦時中から原爆の殺傷記録を日本の科学者に取らせ、それを戦後も引き継いで提出したことがわかる。
ただし、終戦直後から軍の中枢は極東軍事裁判にかけられ、裁判に掛けられなかったのは昭和天皇であった。


 ・国会図書館>大日本帝国憲法>第11条
 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html




コメント
 











09. ワシか?ワシは羊やw 2015年3月13日 13:44:37 : f.Twdr7rGx6sA AKEGfZak26
アホなのか? ん? あほだろお前w

そもそもこの手の情報の出どころが!英米中からとか自体真実とらえる
お前の脳を疑うわいw この国はお前ら左翼を含めのうのうとスパイ工作
できる環境下であるならなおさらだろバぁカ。
スパイつーのは情報を盗むだけじゃないぞ、誤情報をあざとく流布したり
ましてや捏造までするもんだ。


もし仮に天皇家が英米と繋がっていて(暗躍していて)情報がズボズボの戦後から
現在のままであるわけがない、てかその状態にさせないだろうがバぁカww


今日のような、スパイ天国の日本である状態で出てくる情報は虚偽捏造が常識つーもんだよ諸君ども。


昭和先帝にしても今上陛下にしても、莫大な財をどこで私用につかうんだ?
銀座で飲み歩く情報のただの一つでもあるのか?私用に財を築く辻褄がそもそも
破綻してんだよバァカ。


俗が下手な勘ぐりすなよ腐れアカが。


阿修羅!お前がもしもこの国元首だったらがお前の考えなんだよ。
ここに書かれてる世界がお前自身なんだぜ!


お前が邪だから魔にそそのかされんのだと知れ。


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頭の良さと「幸福度」

たまたま目についただけの記事だが、案外面白く、少しイソップ物語風の寓話の味がある。「兎と亀」の類だ。ただ、記事タイトルはダメダメで、「親孝行」は話の大筋ではないだろう。どちらの人生行路が幸福だったか、という話である。
山本周五郎の小説にも、頭のいい、才気のある人間がその才気のために人生に失敗する話が多い。頭の良さとか才能は必ずしも幸福を招くわけではない。良く例に出すが、芥川龍之介や太宰治は一種の天才性を持っていたが、彼らの実人生は(人間関係において)実につまらないものだった。頭が良すぎるのは、周囲と合わないから当然そうなりがちなのである。ただし、逆は必ずしも真ならずであり、単に性格が悪いから(狷介固陋という言葉もあるが)孤立している者も多いwww ヤンキー的人種はだいたい仲間が多いが、単に似たような馬鹿が群れているだけということもある。まあ、幸福か不幸かはすべて物差しの問題だ。何を基準にするかである。


(以下引用)

「秀才で東京に行った兄」と「ロクに勉強せず地元に残った弟」 親孝行はどっち?

2018年1月16日 16:00 マネーポストWEB


優秀な兄と平凡だった弟、それぞれの人生(イメージ)

「とても勉強ができたため、地元を離れて東京に行った兄」と「ロクに勉強しなかったため、地元に残った弟」は、どちらが親孝行なのか? 東北地方出身の男性・Aさん(40歳)は、このお正月、久々に実家に帰省して、突きつけられた現実に愕然としたという。


 Aさんは弟との2人兄弟。Aさんは学業優秀で、県下トップの県立高校に進学し、そこでも抜群の成績を残して、都内の名門私立大学に推薦で入学した。Aさんは文武両道を貫き、高校時代には部活でインターハイにも出場。両親にとってまさに自慢の息子だった。


 一方の弟は、小学生時代から勉強が大嫌いだった。中学までは兄と同じく地元の公立校に通ったが、弟が選んだ高校は、不良の巣窟となっていた工業高校。運動でも兄に敵わなかった弟は、勉強もせず、運動もせず、もっぱら釣りに没頭する日々を送った。


 Aさんはその後も順調に“表通り”を歩き続けた。成人式では、新成人代表としてスピーチを行い、大学卒業後は不動産関係の会社に就職。その後、2度転職を重ね、現在は名前を知らない人はいない超一流企業でバリバリと働いている。一方の弟は高校卒業後、両親のコネをフルに活用して地元のメーカーに就職。工場勤務で日夜汗を流している。


 20代後半までは、Aさんが帰省すると両親は大喜びし、周囲にもAさんのことを自慢していたようだった。しかし弟が結婚したことで、徐々にパワーバランスが変わり始める。Aさんが語る。


「弟の結婚式に出た時に、『弟が先に結婚するなんて…』と、人生で初めて父親に批判めいたことを言われたんです。ただ、弟は24歳で結婚して、当時自分は27歳。田舎ではともかく、東京の自分の周りで27歳で結婚するのはかなり早い方だったので、その時は『田舎と東京は違うから』と言い返したんです」


 しかしその後、Aさんは仕事が充実し、転職をしたことなどもあって、40歳の今に至るまで結婚していない。弟には、すでに3人の子どもがいる。

兄の収入は弟の倍以上あるが……

 そんなAさんが昨年末に帰省すると、Aさんは兄弟のポジションが完全に“逆転”していることに気付かされたという。


「実家に帰ると、両親は私が乗る列車を確認して、必ず最寄り駅まで迎えに来てくれたのですが、今回はそれがなく、こたつに入ったまま『あー、お帰り』というだけだったんです。その時は、『両親も年をとったから仕方ない』と思ったのですが、その後も全然私に話題がふられることはなく、話題はもっぱら孫のことでした。そこでふと気がついたんです。弟と自分と、結局どちらが親孝行なのか、そして“勝ち組”なのかと。


 多分、私の収入は弟の倍以上あると思います。けれども、住まいは賃貸で車もなく、家族もいません。正直、貯金もあまりありません。弟は、10年ほど前に一軒家を買っていて、車も2台あります。


 私は毎日、通勤ラッシュに揉まれて1時間近くかけて会社に通っていますが、弟の通勤時間は車で15分程度。私は毎日12時間近く会社にいて、平日に夕飯を自宅で食べることはありませんが、弟は毎晩自宅で家族と晩御飯を食べています。


 私は週末は2週に1回は出勤、そうでない時は、土曜は昼過ぎまで寝ていて、その後もテレビやインターネットを見てゴロゴロ。日曜も映画に行くぐらいです。一方、弟は3人の子どもとキャッチボールをしたり、釣りをしたり、ショッピングセンターに行ったりしています。


 弟は、私の『東京ドームのイエローモンキーのコンサートに行った』『渋谷で○○(有名アイドル)を見た』といった話に、『いいなぁ~、東京は』『やっぱり東京で働いてる兄貴はすげぇなー』と言ってくれるのですが、私から見れば、弟の生活が羨ましくて仕方ありません。


 実は今回、実家に帰る前、『そろそろ結婚しないのか?』とか『良い子がいるんだが……』など、両親から結婚のことについて色々言われるのではないかと身構えていたんです。でもそれは取り越し苦労でした。両親はほとんど私に対する関心を失っており、帰る時も『頑張れ』『元気でね』と言うだけでした。両親が、地元に残り、孫を連れて頻繁に遊びに来てくれる弟を可愛がるのは当たり前なのですが、私は居場所を失ったようで、少し寂しかったです」



 ただ皮肉なことに、弟はAさんのことを大変自慢に思っており、子どもたちに「兄貴みたいに勉強して、東京の大学に行け」と言っているそうだ。



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日本の新しい社会システムへの道(2)*中仕切り

また、長い間が空いてしまった「思考課題」だが、別に急ぐ旅ではないから、ゆっくりと考察していく。
極端に難しい問題を解決するのに、ふたつの方法があって、これはどちらも根本は同じだが、やり方が違う。根本が同じというのは、どちらも「問題そのものを消す」方法だからだ。
ひとつは「暴力的に問題を無くす」もうひとつは「問題の自然消滅を待つ」で、後者は多くの人が意識的・無意識的に採っている方法である。前者はアレクサンダー大王の「ゴルディアスの結び目」のように英雄視されることもあるが、ヒトラーの「ユダヤ人問題解決法」のように永久的な悪名となることもある。私はだいたい後者の方法(問題の自然消滅を待つ)を採る。世の中のほとんどの事は、机の引き出しの底の書類のように、どんどん時間の経過で見向きもされなくなるのである。つまり、我々の生活はそういう些事をまるで国家の命運を決める大問題のように大騒ぎしているわけだ。そういう意味では私は(親近感があるせいか)岸田的「その場しのぎ」手法をあまり悪く思えないのである。もちろん、政治では、時間の無駄のために多くの人命が失われ、多くの人が困窮し、不幸になるので、庶民生活と同一視はできない。

さて、前回の考察からだいぶ時間が空いたので、問題自体を再度載せておく。で、4の考察の一部も載せる。

(以下自己引用)

1:少子化問題の解決法
2:高齢社会の諸問題とその解決法
3:生産年齢人口減少とその解決法
4:日本の貧困化の解決法

この中で一番重要なのは4の「日本の貧困化の解決法」だろう。それも基本は簡単なのであって、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』をやめればいい」だけだ。ただ、それだけだと経済自体の活性化や進歩はあまり無いだろうから、そこから考えてみる。


(引用終わり)

自己引用の中で、4の考察の一部を載せたのは、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』」が、安倍元総理の死で政治的問題とされ、安倍的手法も批判対象となる可能性が出てきたからだ。もちろん、統一教会への協力だけでなく、米国政府への「兵器購入」などの形での献金、あるいは「思いやり予算」などの献金、あるいは米軍基地の存在そのものによる米国への「奉仕活動」など、統一教会と同じことである。要は、その事実を日本国民が意識し、問題化するかどうかだけである。今のままだと統一教会だけが問題視され、安倍的な「売国」自体は意図的にスルーされそうな気配がある。
私は共産主義は好まない(というか、非現実的なファンタジーだと思っている)が、「勝共連合」的な思想や活動が世界を毒してきたことに比べれば、その害悪の度は比較にならないとも思っている。ウクライナ戦争も土台には勝共連合的な「ロシア嫌悪」「ロシア恐怖」があるわけだ。統一教会と勝共連合は同じ盾の表と裏というか、シャム双生児なのである。だが、本題から離れすぎた。本題に戻る。と言いたいが、長くなりすぎたので、この一文はここで終わり、全考察の「中仕切り」としておく。と思ったが、思いついたことだけ追記する。

2の「高齢化社会の諸問題とその解決法」については、偶然だが、このすぐ前の記事でその方向性を示している。言い方には難があるが、「老廃人間(痴呆高齢者)処理法」を検討することだ。この「処理」は安楽死から老人ホームの改革、あるいは老齢年金の増額や高齢者の家族への金銭的援助など、残酷な印象のものから完全に福祉政策的なものまで含んでいる。まあ、私としては「国立老人ホーム」を作り、入所を望む老人(ボケ老人については家族の希望次第で。)は無料で入所できるようにするのがベストだと思う。介護職は「公務員」になるわけである。それくらいのカネは、政府の無駄遣いをやめれば簡単に捻出できるだろう。「処理」という言葉が難ありだろうから「対策」でもいい。「痴呆高齢者対策法」である。「痴呆」がダメなら、お好きなように。


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高齢者を必ず待つ「ボケ」という運命

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、優れたドキュメンタリーであり、ある意味では、人生そのものを俯瞰したような文学性と哲学性を感じる。
ただし、「認知症」を「病気」だとする最近の傾向には私は反対である。「病気」なら治るはずだが、認知症は基本的に回復不可能だ。それなら「病気」ではない。認知症と言われているのは、高齢で自然死する人間を必ず待っている「ボケ」という「運命」だろう。もちろん、「認知症」という言葉が広まったのは、「ボケ」を「運命」であり「回復不可能だ」という事実から目を背けさせる慰安効果があるからだと思う。その「効果」を否定する気はないが、しかし事実から目を背けることは、悪い事態を悪いままで放置することである。
私が同感したコメントをふたつ、後に載せる。「人間廃棄物処理法」は残酷に聞こえるだろうが、家族のボケ老人介護があまりに困難で、犠牲が大きすぎるなら、こういう法律を作って「処理」することも必要だと思う。まあ、施設に入れて、死ぬまで養うのもいいが、それも「処理」のひとつとして問題ないと思う。そこに税金を使うのもいいだろう。安倍が海外に撒き散らした何百兆円のカネで、いや、その10分の1で即座に実行できた話である。言うまでもないが「人間廃棄物」というどぎつい言葉は、現実を直視させる効果があるが、法律名としてはそのままでは使えない言葉である。ふたつ目のコメントは、「ボケ」は当人にとっては不幸だとは限らない、ということである。5歳児の精神世界は不幸だけだろうか。

(以下引用)

2018-05-23

父は72歳の5歳児になった

父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。


2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。


母は介護家事仕事疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中カバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。


父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理日曜大工植物の世話が好きで、グルメワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。


認知症タンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶能力の衰退も、人格活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自ルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的認知症の症状だ。


父は毎日カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。


父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。


父は毎日ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本ドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。


父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からいからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からいから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受け手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からいからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。


ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。


父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力無自覚で、物事因果感情の律し方も分からず、大人監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。


実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ認知症とはそういう病気だ。


父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。



  • 人間廃棄物処理法ほしい



  • お父さんは、今まで背負っていたり、演じていたりした様々な役割を一つ一つ下ろし とても個別性のある、一人の「人間」になっていっているのだと思う。     お父さんの姿は5歳児の...




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異常気象と地軸の変化の関係の可能性を井口博士も言及

近年の異常気象の多発の原因は地球温暖化ではなく、地軸のズレのせいだ、という説は私がかなり前から言っているのだが、井口博士もその可能性を認めているようなので、先生に褒められた小学生みたいに気持ちがいい。私は中学生レベルの理科も大半は理解できない人間だが、理解できた知識を元に論理的に考える姿勢はあるつもりなので、一般人の科学の理解度としてはマシな部類かもしれない。
なお、日本が赤道より南になるのはさすがに膨大な年月がかかるだろうと私は思っているが、地軸のずれ、つまり地球の回転軸の傾きの変化が地球全体の気候に及ぼす影響は、傾きの変化が5度程度でも相当なものになるだろうと私は思っている。
まあ、たとえ北半球と南半球がひっくり返っても、別に人類は滅亡しない。変化に合わせて生活習慣を変えればいいだけだ。人為的に地球人口を9割減らそうというキチガイ連中のほうが、よほど人類にとって危険である。

(以下「大摩邇」から引用)
ところで、
なぜ線状降雨帯が東北にかかっているのか?
これに関して、今年は季節が1ヶ月早まっているという印象を多くの人が感じているはずだ。
ここ阿南でもそうで、すでにこの辺はちょっと前から、つまり、7月末から秋の気配になっている。
早場米も出荷され始めている。
例年なら8月中旬以降に稲刈りが始まるが、今年はかなり早い。
つまり、季節が速く過ぎ去っている。
この原因として一番驚くべき説は、だいぶ前に私がメモしているように、地球の地軸がずれたというものである。
2011年3月11日の東日本大震災の原爆3連発のために、地軸がずれて、我が国は南へ下がったのである。
問題は、地球にはこれといった摩擦がないため、地軸が一旦ズレ始めるとずっと少しずつ地球は回転し続ける。
こうして、最終的には我が国は赤道を超え、さらに南下し、南半球まで移動するというわけだ。
いまはかつての台湾のあたりに我が国が位置するという可能性がある。
はたしてこれは本当か?
本当に地軸がずれ、日本の緯度が南下しているのかどうかは物理的な測定をすればわかることだろう。
少なくとも、線状降雨帯の位置は明らかに昨年より随分高緯度にある。
あるいは、地軸のズレではなく、エルニーニョとラニーニャの変化のせいだという可能性もある。
今年はラニーニャであるため、昨年のエルニーニョの年とは異なるという可能性がある。
はたして真実はいずこに?
いずれにせよ、豪雨に注意してほしい。

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嘘と真実

お盆の起源についての前回の記事についてのザウルス氏のブログのコメント欄での問答も紳士的な議論で面白い。ただし、私は、信仰についてはザウルス氏のように頭から否定するのもどうかと思う。迷信でも、その迷信によって救われている人間もいるし、真実でもその真実が人を絶望させることもある。
などと宗教擁護的なことを言うと、カルトをどうするか、という問題が出てきて、これは対策が困難である。まあ、金銭的被害や奴隷的使役などの「実害があるか」どうかが鍵だろう。


(以下引用)
習合とも言えるのでは? (ji)
2018-08-14 18:34:19
お釈迦様は、確か輪廻転生を否定してましたと私も記憶しています。

なので、先祖供養にまつわるもの全てが後付けの物だと私も思います。

しかし、中国大陸に仏教が伝わった際に人民に受け入れやすくする為に道教などの要素を取り入れたのも納得できます。
土着の物と渡来の物が習合するのは、宗教だけでなく、あらゆる物がそうだと思います。

時代が経てば、時流に合わせて教えの解釈や後付けのモノが加わるのではないでしょうか。
大乗仏教も上座部仏教、チベット仏教も、その時代や地域に馴染むために発生したとも考えられると思います。

例えば、般若心経も元は中国で作られたとも言われているそうです。
空の概念を道教の無で表現しようとした解釈もあるそうです。
また、お釈迦様はマントラを否定していたそうですが、般若心経は思いっきり呪文を讃えています。
だからと言って、般若心経は偽物と言えるでしょうか?
それらが本当だったとしても、般若心経の価値は変わりないと思います。

時代と共に全ての物は変化していきます。これが正しい正しくないは、確かに研究としては面白いですが、一概に否定するのは良くないと私は思います。
事実、それを信仰し頼ってきた人たちがいますので。
ji さま (ザウルス)
2018-08-14 18:46:52
「事実、それを信仰し頼ってきた人たちがいますので」 という理由で 「否定するのは良くない」  というのなら、オウム真理教だって、信仰して頼ってきた人はいるんじゃないでしょうか?

けっきょくあなたの主張は 「何でもアリでしょ」 と言っているだけのように聞こえます。

ありがとうございます (ji)
2018-08-14 18:53:27
確かに、おっしゃる通りです。
信仰している人がいるから否定してはならないというのは、良く有りませんでした。

洗脳されている人は、それを信仰しているわけですから。
ji さま (ザウルス)
2018-08-14 19:19:38
あなたのようにさっと、ご自分の非を認めることができるひとは世の中には決して多くないと思います。敬意を表します。

つまり、信じている人がいるのなら、そこには何か真実があるはずだ、とはかぎらないということです。
この記事で明らかにしたように、いつの時代にも自分たちの利益や権力のために大衆を騙そうとする人間はいるのです。

宗教家(スピリチュアルリーダー)のような知識階級はつねに言葉 (プロパガンダ) によってひとを支配し、操ろうとするものです。それは1500年前でも現代でも同じです。わたしはそういったプロパガンダに対して警鐘を鳴らしたいだけです。
ありがとうございます (ji)
2018-08-14 19:32:04
カラマーゾフの兄弟の大審問官を思い出しました。

権力者は勿論ですが、多くの人間は現状が変化する事に酷く拒否反応を示します。
現状に慣らさせ、それが普通だと常識だと洗脳し、いざ真実を突き付けられても、真実を受け入れられない状態にする。

勉強になりました。
Unknown (コメット)
2018-08-14 20:34:31
仏教教典の原典は釈迦存命当時の北インドの民衆が話していたパーリ語で書かれているが、玄奘その他が訳した仏教教典は当然、中国語で書かれている。中国ではこの漢訳仏典を当然、中国語発音で読む。読経は一般民衆が分かるようにその国の言葉で行われるべきであり、タイではタイ語訳が使われる。ところが日本では漢訳を音読みして読経するので、一般民衆は意味が分からない。最初から庶民に有り難がってもらうため、わざといやがらせしているとしか思えない。私はザウルス様のように文献の追求は出来ていないが、日本仏教は胡散臭いと前から思っていた。一時、中村元氏その他の本に凝ったことがあるが、膨大な仏典の中で、お釈迦様のお言葉を原型通り残している事がほぼ確実なのは、岩波文庫に収められている法句教(真理の言葉、感興の言葉?)ぐらいかもしれないと読んだような気がする。早起きすると今でもチェンマイの人々は托鉢に回る僧侶の読経を聞いて、お布施をしているのを見るにつけ、日本より仏教が一般民衆の生活の中に生きていると感じる。
コメット さま (ザウルス)
2018-08-14 21:02:08
「ところが日本では漢訳を音読みして読経するので、一般民衆は意味が分からない。最初から庶民に有り難がってもらうため、わざといやがらせしているとしか思えない。」   ・・・ まさに我が意を得たり、です。

日本の仏教では、もはやブッダの主張や思想はどうでもよく、ブッダという当時絶大な人気を誇っていたスーパースターの “威光と権威” を利用しているだけなので、ブッダの本当のメッセージを伝える必要はほとんど無かったのです。大衆操作するために “ブッダ・ブランド” を利用していただけなのです。

自分たち僧侶集団の繁栄のために仏教という言説体系をうまく利用していただけなのです。そして、実質的にはそれは今日でもそのまま続いているのです。

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「お盆」と「盂蘭盆経」

「大摩邇」所載の「ザウルスの法則」から一部分を転載。
これに続く部分では中国人に対するヘイト思想が書かれており、単なる偏見としか思えないので載せない。
ここに書かれた中にも偏見はあるだろうが、一応は学説や原典で確かめ、自分自身の頭で考えた内容だろうし、聞くべきところはあると思う。少なくとも、所与の状況をすべて疑問無しに受け入れるという家畜的態度よりははるかにいいと思う。
ただし、古来の社会的慣習については、周囲との摩擦を生まないために、「信じないが従う」という態度もひとつの理性的行為だと私は思っている。

(以下引用)



この“7月15日の盂蘭盆供養” は明らかに “仏教儀式” であり、その拠りどころは 「盂蘭盆経」(うらぼんぎょう) という仏典である。この仏典が当時日本に入っていたことは年表の 「659年」 からも疑い得ない。この仏典の伝来なしには、日本で盆供養は始まらなかったであろう。



 


この経典は釈迦の十大弟子の一人である目連と釈迦とのやりとりというかたちで “7月15日の盂蘭盆供養” の重要性を説くものである。


 当時の宮廷では 「盂蘭盆経」 に書いてある通り、律儀に7月15日に供養を始めたのである。つまり、この仏典は 「供養のマニュアル」 でもあったのだ。


 


しかし、日本において仏教が “葬式仏教” として成立していくうえでほとんど決定的な拠りどころとなっているこの 「盂蘭盆経」 という仏典は、実は中国で捏造されたものである疑いがあるようだ。 


ふーむ。それでは、飛鳥時代の天皇や聖徳太子や貴族たちが軒並みハマってしまったらしいその仏典、 「盂蘭盆経」 の全文をとにかく見てみようではないか。そんなに長いものではない。


 


「盂蘭盆経」 (全) 漢文和文対訳


 


 


上の「盂蘭盆経」をざっと見たら、


本論:「(2) “お盆” に見る 中国産 “産地偽装” 仏教に騙される日本人」  に進む



(2)“お盆” に見る 「中国産 “産地偽装” 仏教」 に騙される日本人

2020-08-15 16:50:05 | 歴史、考古学

(2) “お盆” に見る 「中国産 “産地偽装” 仏教」 に騙される日本人


  


 


「盂蘭盆経」 (全) 漢文和文対訳


 


すでに上記の 「盂蘭盆経」 はお読み頂いたことと思う。



 


いかがであろうか?


この捏造された文書は日本では、インドから中国に伝わって “漢訳” された “仏典” として約1500年間ほとんど疑われずに崇められ、読経されてきた。しかし今日、文献学的には偽経(偽造の経典)とみなされている。


 


 


21世紀の今日現在でも、特にお盆の時期には、この 「盂蘭盆経」  は、「お盆」 の由来、拠りどころとして日本の津々浦々のお寺の住職の法話で言及されたり、引用されたりしていることであろう。



実際、日本の仏教の僧侶がお盆に先祖供養の 「お勤め」 をして金銭物品を受け取る理由と根拠は、ほぼ1500年間、まさにこの 「盂蘭盆経」 という仏典の “絶対的権威” だったのである。


“日本の葬式仏教の拠って立つ土台” と言ってもいいくらいの確固不抜の “理論的根拠” であり、かつ “マニュアル” だった のである。


何しろ当の仏典の中でお釈迦様が死者への供養の仕方を、日付から盆に載せる食べ物まで懇切丁寧にこと細かに指示しているのだ。


しかし、その “周到なマニュアル的性格” こそ、インドのオリジナルの仏典らしくない怪しい点なのである。


 


しかし、葬式仏教にとって自らの存在意義、そして仏教学的根拠と思われていた当の最重要の経典が、今日の宗教学者や文献学者からは “偽経=捏造=フェイク” とみなされ、これはすでに “定説” となっている。


 


そして、これに対する有力な反論、つまり 「いや、そんなことはない、これはやっぱり本物だ!」 という反論は、仏教界でも歴史学界でも情けないことに皆無なのである。


 


おそらく、日本の “葬式仏教という業界” では、僧侶が 「盂蘭盆経は “偽経” である」 と口に出して言うことはずっと “暗黙のタブー” になっているに違いない。このタブーを破ることは、“業界の崩壊” につながりかねないだろう。


或る程度の知的レベルの住職たちは、この潜在的な問題に気づいているはずである。そして 「盂蘭盆経」 への不用意な言及が場合によっては藪蛇(やぶへび)になる危険性も考慮していることだろう。


 


この事例は何を意味するのか?


 


はっきり言おう。


 


ある国民が、何百年も何千年も騙され続けていることがあるということだ。


 



 


あなただけではない。 あの聖徳太子も騙されたのである。 斉明天皇も、持統天皇も、聖武天皇も、清少納言も騙されたのである。現代のザウルスの場合は 「何かヘンだぞ」 と思ってちょっと調べたら、真実がすぐに出てきたのである。一般常識とアカデミズムの情報較差は、ネット時代では素人でもその気になれば簡単に乗り越えられるのだ。


 


ふつうの日本人は、いくらネット時代になっても、自分で確かめようとしないので、皆ずっと騙され続けているのだ。これほどまでに何百年も何千年も騙されていても気がつかないのは日本人だけではないだろう。教育水準の低いアジア、アフリカ、南米の国々では普通のことであろう。


 


 


実際、この記事で客観的な証拠を挙げてこれだけきちんと説明しても、「まさかそんなわけないだろ」 と思いながら真実を受け入れることに躊躇する日本人の方が圧倒的に多いであろう。ここまで読んできているあなたはどうであろうか?


 


ザウルスは歯に衣(きぬ)着せずに客観的な事実を証拠とともに伝えるが、世間一般ではそうではない。この日本という国では、主張の内容が特定の産業や職業集団の利権を脅かす可能性がある場合は、ふつうは多少気を使って、目立った発表を差し控えるとか、表現を曖昧にするとか、なるべく断定を避ける表現にするとかして “忖度” をしているのだ。


なので、そうした “忖度環境” にあっては重要な事実が世間のほんのごく一部のひとには知られていても、無知で無関心な一般大衆には何百年も何千年も気づかれないということが実際に起こり得るのである。


 


ここまで言っても、まだ半信半疑のひとが圧倒的に多いであろう。そういうひとたちのために、さらに以下に、別の角度からの証拠を提示しよう。


 



 


釈迦の助言 にしたがい、7月15日” に仏教の僧侶に “供養” してもらった おかげで 目連の “母親” はその 罪を赦された” というのがこの “偽経” のストーリーではなかったか?


 


「盂蘭盆経」 (全) 漢文和文対訳


 



 


一皮むけば、“道教と儒教のてんこ盛り” ではないか?


 


ここまで見てくれば、もう明らかであろう。仏教伝来以来、葬式仏教の盤石の基礎であったこの 「盂蘭盆経」 は、6世紀の中国の僧の手になる “産地偽装” の “フェイク仏典” だったのである。


当時すでに行われていた 道教の死者供養の伝統 と 儒教の“孝”の精神 を、仏陀の優秀な弟子の話というでっちあげの仏典に巧妙に織り込んだのである。そうやって、中国の土着信仰(道教、儒教)を当時圧倒的な人気を博していた仏教の装いで無知な大衆にスムーズに受け入れさせようとしたのである。


そもそも “先祖供養” という要素は、インドで生まれた仏教には皆無である。“先祖崇拝“ という観念は、インドの原始仏教の “輪廻転生” の思想とまったく相容れない。


 


要するに、この偽作者の本当の目的は、ブッダの本来の教えを広めるためではないのだ。単に自分の属する僧侶集団の利益と繁栄のためである。だからこそ平気でブッダの教えとは無関係の話をでっちあげることができたのである。


当時すでに “伝説のスピリチュアルスーパースター” として絶大な人気を誇っていた ブッダ・ブランド” を利用しない手は無かったのである



ブッダのストーリーの “スピンオフ” を手持ちの材料(道教、儒教)ででっちあげ、無知な大衆を騙して引き込むのはたやすいことだったのだ。


経典を書けるというだけで当時はたいへんな知識階級に属しているわけで、そうした人間にとって、文字を読むことも書くこともできない人々をいかに大衆操作するかが一大関心事だったはずである。


 


しかし、6世紀のこの仏典の偽作者は、まさか自分の “でっちあげ” が日本にまで渡って、やがては 日本の葬式仏教の繁栄の礎(いしずえ)になろうとは夢にも思わなかったに違いない。


 


けっきょく、この捏造された仏典には、仏陀の教えなどかけらもないのだ。しかし、聖徳太子もこれが仏陀の本当の教えだと信じて疑わなかったであろう。 


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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