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マスク社会と犯罪

好き嫌いで言えば私は小林よしのりは嫌いだし、その思想も偏見が多いと思うが、言いたいことをそのままストレートに言う勇気は評価している。そして、ここに書かれた「マスク問題」は、新コロを信じるか否定するかに関わらず、マスク社会の危険な側面を指摘していると思う。
まあ、私などはマスク社会のほうが、ヒゲを毎日剃らなくて済むし、女性なら化粧の手間がだいぶ省けて楽なのではないかと思う。それに、不細工な顔でも顔の下半分を隠せば、見た人に「実は美人(美男子)かもしれない」という幻想を与えて、社会の幸福度を少し上げるwww
今さら言うまでもないが、私は「新コロは詐欺」論者だし、「マスクには感染防御効果はゼロであるし、衛生にも悪い」と思っている。ただし、感染者が自分の呼気やくしゃみや咳によるウィルス(病原菌)拡散を防ぐ意味では、着ける意味はあると思う。つまり、マスクは「感染者の目印」「自己拘束」としてこそ意味があるのであり、健常者がマスクをする意味は(前に書いた、「犯罪的・詐欺的効用」以外はww)ゼロである。



(以下引用)

【安倍氏銃撃】小林よしのり氏が指摘する「マスク社会が犯人を助けてしまった側面」

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安倍氏銃撃に関し小林よしのり氏が見解を述べる

安倍氏銃撃に関し漫画家の小林よしのり氏が語る


写真8枚

 戦後初となる総理大臣経験者の暗殺事件がニッポン社会を大きく揺るがしている。なぜ悲劇が起きたのか、漫画家の小林よしのり氏が分析する。


 * * *
 事件の映像を見ると、犯人がマスクをしている。顔の表情に見える挙動不審感をSPも見抜けなかったのかもしれない。


 マスクをしていたら、口元がニヤついているのか、緊張でこわばっているのかも分からない。目つきで分かるといったって、表情はそれぞれのパーツの連動や全体のバランスで把握するものであって、目だけ出ていたところで、睨みつけているかどうかだって分かりはしないだろう。


 しかも、数多くいる聴衆がみんなマスク姿だ。誰が怪しいか、目星をつけるのは難しいに違いない。


 わしは「ゴー宣道場」というイベントをやっているが、聴衆はそこではマスクをしていないので、全体を見渡せば顔の表情でだいたい警戒度が分かる。わしを睨みつけるように見ている者がいれば、反発した感情を抱いているのかもしれないと気をつけるようにするし、警備の者たちもそれとなく警戒するようになる。


 マスクという覆面は、犯人にある種の自信を与えたことだろう。半分顔を覆うことで、本心を覆い隠し、周囲に溶け込めているという安心感があったはずだ。顔が出ていればそうはいかない。表情からバレるんじゃないかとビクビクしていたかもしれない。


 かつては顔を覆いたくても、誰もマスクなんかしていないから目立ってしまった。今は逆だ。マスクをしてさえいれば群衆に溶け込める。マスクが犯人を助けたのだ。


 ソーシャルディスタンスというものの問題点もある。犯人が撃った5メートルは「至近距離」だと報じられたが、コロナ禍で言われるソーシャルディスタンスは保ったことになる。我々は、杓子定規な距離の取り方を覚えたことで、臨機応変に間合いを感じて対応する術を失ってしまったのかもしれない。


 コロナが与えた社会的変化が、事件に与えた影響は案外大きいように思う。つまり、マスクはコロナウイルスも完全には防げないし、テロも防げないということだ。


 マスクが日本をおかしくしていることに、いいかげんみんな気付いたらどうだ。


※週刊ポスト2022年7月29日号


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はい、今テレビに出ている人間は90%安倍友

武井壮は、体の鍛え方や運動能力の上げ方についてはわりと理論派だと思う(良くは知らない)が、ここで言っていることは論理性がゼロである。実際は脳みそまで筋肉らしい。
Aという条件で成り立つことが、別のBという条件の下で成り立つとは限らない、というのは論理の初歩の初歩だろう。宗教詐欺にはめられるのと、勝手に投資して破産するのとではまるで状況が違うし、前者には恨む相手がたくさんいるが、後者はコメントにあるように完全に自己責任である。投資で失敗して誰かを恨んだら、それこそキチガイである。
まあ、現在テレビに出ている人間はたいていが脛に傷持つ身(権力者と癒着している)だから、自己防御の発言をしてもバレバレでかえってみっともなくなるのである。

(以下引用)



SnapCrab_NoName_2022-7-17_14-29-4_No-00

1: それでも動く名無し 2022/07/19(火) 10:49:15.87 ID:9K5T/FQz0
武井壮、山上容疑者の行動「理解できない」 自身の体験語り「僕も親が投資で財産失ったけど…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3512a5814fac8cd07b49add841a77cb9ac64c448

タレントの武井壮(49)が、19日放送のフジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」(月~金曜前8・00)に出演。安倍晋三元首相の銃撃事件で、殺人容疑で送検された無職山上徹也容疑者(41)について言及した。

 「僕も自分の親が投資で財産を失ってしまって、破産して、そこから自分で人生を立てようと思って小学校時代から努力し始めた。世の中で何か生きるすべはないか、というふうに探して、自分の人生を何とか守ってきた」と自分の経験を明かし「失敗したからと言って、原因となった人を撃ち殺してやろうなんて気持ちにはなったことがないから、正直、彼の起こした行動は全く理解できない。シンプルな殺人事件としか僕には思えなくて、事件の裏にある理由を“仕方ない”と受け止めることは僕にはできない」と語った。

2: それでも動く名無し 2022/07/19(火) 10:49:42.38 ID:fXtfKO4M0
そういう問題じゃない

6: それでも動く名無し 2022/07/19(火) 10:50:13.00 ID:oHBqpbVQM
投資は自己責任だけど宗教はなあ

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岸信介はいつの時点でCIAのスパイになったのか

私が常々言うように、「神戸だいすき」さんは軽薄・軽信の傾向が凄いと私は思っているが、下の記事は、丸ごと信じると 危険だと思うが、私に思いがけない考えを生む契機にもなったので、転載する。ただし、書かれた内容のほとんどは、「陰謀論(本当は真実論)」に詳しい人なら誰でも知っていることに、怪しげな情報を少し混ぜたもので、読む価値があるとも、読む危険性が大きいとも判断しにくい。まあ、自分の頭がある人なら大丈夫だろう。
先に、その「思いがけない考え」から書けば、岸元総理が、巣鴨刑務所から釈放されたのは、彼が前からCIAのスパイだったからか、あるいは釈放の条件としてスパイになることを承知したからか、という問題のことである。仮に、戦争前から岸がCIAのスパイだったとしたら、岸以外のスパイも政界や陸海軍の上位層に存在していたとも考えられる。実際、山本五十六も米国のスパイだったという説もあるほどだ。
そうなると、日米戦争や、それ以前の日中戦争の意味はまるで変ってきて、「米国に操縦され、やらされた戦争だ」ということになる。いや、米国と英国の共同作戦かもしれない。
もちろん、それで日本が「侵略戦争」を行った罪が消えるわけではないが、一方的に日本だけが断罪されるいわれはなく、また東京裁判が茶番劇だったということになる。まあ、保守層界隈では昔から言われていたことだが、その根拠を「岸が米国のスパイだった」ことに結び付けている論説は無いようだ。つまり、保守界隈でのタブーだったのだろう。
「怪しげな情報」は、「天皇のゴールド」という奴である。と同時に、敗戦後も天皇が政治に権力を持っていた、という説である。つまり「象徴天皇制」は虚偽だという説だ。その説の根拠がどういうところにあるのか、私の人生の中で、そういう関係の情報に接したことはゼロなので、これはまったく信じがたい説なのだが、一応、そのまま載せておく

(以下引用)


緊急!! | 安倍晋三暗殺事件に広がる底なし沼 その1
〜統一教会、KCIA、CIAの暗躍の真相〜


ここに書かれていることは、
統一教会が、単なる宗教団体ではなくCIAの謀略の下につくられたこと


よくある新興宗教の発祥物語のように、ある日「マリア様が現れた」とか、呪文をずっと唱えていたら、神力が備わったというものではなく、

世界支配のために、CIAと、KCIAが、結託してそだてた。日本では岸信介が、音頭をとって進展させたということです。」

文鮮明は、マインドコントロールの天才なんですね。(以下、抜粋)


──まずそこを理解しないといけないんですね。ただのCIAの操り人形ではなかったと。



ジェームズ 文鮮明は諜報員として超優秀だったのです。1954年にソウルで統一教会を立ち上げると韓国国内で問題を起こしながらも徴兵拒否のみで釈放されるというのを繰り返し、59年には日本に進出します。なお、ウィロビーはCIAの黎明期の関係者でもあるので、統一教会の運営はCIAが後に受け継いだ形になります。

 この時、安倍さんの祖父の岸信介首相(当時)と文鮮明が懇意になるわけで、いま盛んに言われている「岸さんの渋谷区南平台の隣というか敷地内に統一教会の日本の本部があった」「そこで岸信介は何度も講演した」といったズブズブの仲になるわけです。

この時に動いたのはCIAなのです。ご存知のように岸信介はCIAのエージェントで、CIAに協力することで絞首刑を逃れ、巣鴨プリズンから出られたわけです。文鮮明もずっとCIAが世話してきたエージェントですから岸信介と文鮮明をつないだのは究極にはCIAでした。そして、朴政権発足後は韓国を反共の砦とするため、KCIAと文鮮明をつないだのです。アメリカ議会の報告書では「金鍾泌KCIA部長が1961年に統一教会を政治工作の目的のために設立した」とありますが、これはCIAの関与の痕跡を消すと同時に韓国人の「ウリナリ」(愛国心)をくすぐる高等なディスインフォメーションです。



──ということは、統一教会の本当のバックはCIAなんですね。


ジェームズ いえ、統一教会はアメリカと韓国の合作という言い方のほうが正しいでしょう。もちろん力関係では、圧倒的にアメリカの方が上ですが、双方に反共主義という共通点があったので合作に至ったわけです。つまり、暫定的な同盟関係です。基本的に諜報機関は外部者を信用しません。これは同盟国間の諜報機関の関係においてもいえます。これはあとでお話ししますが、統一教会とKCIAは数年後にアメリカを乗っ取ろうとしますから(笑)。



──どういうことですか!? アメリカを裏切ったのですか?



ジェームズ 裏切るというか調子に乗ってしまったというのが正解でしょう。ここがある意味、韓国人の凄いところで一度の成功体験で何でもできると思ってしまうんです。そして、その成功体験というのが日本での活動です。岸信介という政界のトップに食い込んだ彼らは霊感商法で年間数十億円の収入を日本人から吸い上げ、その金を使ってさらに政財界に献金して日本を裏から乗っ取っていったのです。


──そうみたいですね。岸さんだけでなく安倍晋太郎さん、中曽根康弘さん、金丸信さん、福田赳夫さんといった派閥の領袖が根こそぎ、統一教会の金に目がくらんで転んでますよね。でも、なぜですか? これぐらいの大物であれば、ほかにも献金してくれる人はいくらでもいたでしょうに。



ジェームズ ですから、そこにCIAが絡んだ意味があるのです。ちなみに今挙げられた政治家は全て朝鮮系で、CIAの対日工作は朝鮮系国会議員を非常に重要視していました。メルマガでも書きましたが、岸信介も李氏朝鮮系ですので。

アメリカは占領時代後半から憲法改正と再軍備を日本に強く要請していました。しかし、吉田茂首相が陸軍が暴走するかもしれないと言ってずっと拒否してきたのです。吉田茂は普通の日本人でしたので、彼の態度は当時の日本ではごく正論でありましたが、業を煮やしたアメリカは反吉田派の筆頭であった鳩山一郎(のちに吉田民主党から離脱し、日本自由党を結党)、岸信介に肩入れし、吉田派から政権を奪います。ところが、鳩山一郎は首相になった途端親ソとなり、怒ったアメリカは「天の声解散」をさせます。



ですから、反吉田派は伝統的に改憲及び再軍備を主張する派閥を形成し、これが安倍さんが率いていた清和会になっていくのです。一方、吉田派は現在、岸田首相がトップの宏池会へとつながっていきます。いまや派閥はもう関係ないという人がいますが、吉田派=宏池会、反吉田派=清和会という大まかな流れぐらいは頭に入れておいてください。



──日本の政治には2つの大きな流れがあったんですね。



ジェームズ そうです。アメリカは伝統的に反吉田派を推していました。ただし、日本の主流派は吉田派です。メルマガでも書きましたが、吉田派の宏池会は天皇家がバックについていました。天皇家がバックにつくということは天皇家が管理していた豊富な“天皇のゴールド”を使うことが可能だったのです。

岸と統一教会の仲を決定的にしたのは安保闘争です。
岸は笹川良一や児玉に頼んで右翼、ヤクザ、旧軍人ら4万人を集めます。この時、岸は彼らの活動資金として8億円を用意したと言われています。
(8億円は、統一教会から出た?)




──完全に韓国の新興宗教と日本の右翼の合作ですね。(国際勝共連合)



ジェームズ この辺は完全にKCIAのオペレーションで、ここに乗っかってしまった日本の右翼は次第に親韓国、親米、反共になって染まっていくのです。



──日本の右翼になぜ、朝鮮系の匂いがするのかと思ったらそういうことだったんですね。



ジェームズ コリアンが右翼になってしまったんです。昔の右翼は頭山満、内田良平など西南戦争で没落した九州の武士階級が始めたことなんです。自由民権運動などに反対して武士の名誉を明治の日本でどうやって守り抜くかで発展していったのが玄洋社と黒龍会です。彼らが目指した道というのが玄洋社は国内で活動し、黒竜会は海外で大陸浪人になって日本の諜報活動をしながら御国に尽くすというものでした。

ジェームズ 日本の政治の裏側には戦後の早い段階でKCIAが統一教会を隠れ蓑に浸透してしまったということです。これはかなり深刻な問題で、日本会議等の似非右翼が台頭する原因になりました。


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コロナウィルスに対応できるワクチンを作ることは不可能

まあ、ウィルスの存在自体が疑問視もされてはいるが、仮に存在するという前提で言えば、インフルエンザ(ウィルス)は毎年変異するのでワクチンははっきりと無効(対応ワクチンを作るのは不可能)であり、対応する薬も存在しない、というのは確かだろう。
だが、幸いなことに風邪でもインフルエンザでも、よほどの老人でないかぎり、死に至る病ではない。それどころか、数日安静に寝ていれば確実に治り、後遺症もない「安全な病気」である。(嘔吐などでの脱水には水よりスポーツドリンクが有効だと思う。つまり、水分だけでなく体から失われたミネラルや塩分も補給する必要がある。これは熱中症も同じ。アフリカでの幼児や小児の死亡率が劇的に改善されたのは、スポーツドリンクの投与という簡単な手段が抜群の効果を示したからだという。)「安全な病気」だからこそ人類と共存できたとも言える。その「安全な病気」が突然、感染症第二類という凶悪な分類にされたのが新コロ詐欺のすべてだ。
現実にも、新コロワクチンが効果があるという統計はひとつも無いはずだ。むしろ、ワクチンの害悪性が非常に大きいこともよく知られつつある。だが、政府はまだワクチンを止めない。


(以下「大摩邇」記事の一部を引用)


私は栄養士ですが、学生時代に公衆衛生学の講義で「突然変異しやすいRNAウイルス(コロナとか)にワクチンや薬は無意味」と医学博士の先生に教わりました。 病院や医療関係者は何故?それがわからないのか…?

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性的自由と資本主義

別ブログに書いた記事だが、ここでも考えてみたい。
「女性の性的自由のパラドックス」
とは、女性が自分の体をカネで売ることで「自分は(相手がカネを出す)価値のある存在だ」という自信を持つという、引用文中の援交少女の心理に反して、援助交際を重ねるごとに彼女の「総体的な人格的価値」が低下していく、ということを私は考えていたようだ。この思想はまさに父権主義的というか、封建主義的思想かもしれないが、男の多くは、自分が恋愛したいと思う相手の男性経験が多いことをけっして喜ばないのではないか。もちろん、昔の男性の中には芸者や女郎と結婚した男も多かっただろうが、現代の男性のほうが、性的にはむしろ寛容さは少ない気がする。性的経験の豊富な素人女性を昔は「公衆便所」と言ったものである。誰でも使用可だから、あまり価値は高くないわけだ。無料だから価値が高くないわけではない。「椿姫」の昔から高級娼婦との恋愛はドラマにもなったが、それはそういう恋愛が希少だったからではないか。
まあ、この点に関しては、私も内田樹に同意して「身体の道具化」は、危険だ、と見る。性交そのものが危険だからこそ、昔は従軍慰安婦は性病検査を徹底したのである。だが、今では素人女性の間で梅毒が拡大しているらしい。カネを払えば殺人鬼でもお客さんだ、ということもある。まあ売春以外に職業能力が無い精神薄弱女性以外は、やらないほうがいい仕事だろう。


(以下自己引用)

精神の資本主義とセックスワーク



或る種のフェミニズム運動における「セックスワーク擁護論」に関する内田樹の論考の一部である。長いので、面白く感じた部分だけ転載する。論理的には他の部分のほうが明晰だが、この部分に女性の「性的自由」のパラドックス(それは「肉体の道具化」から生じている)が指摘されていて面白いからだ。内田の論自体には、まだ不十分な印象があるが、それがなぜかは「現代倫理学」の一部としていずれ考察したい。
売春を実行中の女性が客を軽蔑している、という視点は非常に重要だと思う。これは、女を買う男自身も自己軽蔑をしているのである。つまり、「欲望の動物」としての猿のような自分のどこにも、売春の場では高貴性が無いからだ。しかし、それは売春をする女性が客を見下げる資格があるというわけではない。性欲があるのは男も女も同じであり、性交の場ではどちらも動物なのである。つまり、「カネを払う」ことで、男は自分が相手より下の存在であるとされるわけだ。まさに、資本主義化された精神の一面だろう。

(以下引用)


4・
 上野千鶴子は小倉千加子との対談で、売春は女性にとって貴重な自己決定機会であるという議論を展開している。


「小倉:そしたら上野さんは、援助交際する女の子の気持ちも分かりませんか?
上野:わからないことはない。ただではやらせないという点で立派な自己決定だと思います。しかも個人的に交渉能力を持っていて、第三者の管理がないわけだから。(・・・) 援交を実際にやっていた女の子の話を聞いたことがあるんですが、みごとな発言をしていました。男から金をとるのはなぜか。『金を払ってない間は、私はあなたのものではないよ』ということをはっきりさせるためだ、と。(・・・)『私はあなたの所有物でない』ことを思い知らせるために金を取るんだ、と彼女は言うんです。」 (上野千鶴子、小倉千加子、『ザ・フェミニズム』、筑摩書房、2002年、231頁)


 上野は知識人であるから「政治的に正しいこと」を言うことを義務だと感じている。だから、ここで上野は売春を単に「容認する」にとどまらず、それが端的な「父権制批判」の「みごとな」実践であることをほめ称えることになる。自分が容認するものである以上、それは「政治的に正しい」ものでなければならない。それは上野の意思というより、上野が採用した「論理の経済」の要請するところである。
 たしかに売春こそ父権制批判の冒険的実践の一部であるとみなすならば、フェミニスト廃娼論をとらえたピットフォールは回避できる。しかし、「政治的な正しさ」を求めるあまり上野は売春をあまりに「単純な」フレームの中に閉じ込めてしまってはいないか。
ここのわずか数行で上野が売春について用いているキーワードをそのまま書き出すとその「単純さ」の理由が分かる。
「自己決定」「交渉能力」「第三者」「管理」「金」「金」「所有物」「金」。
 これが上野の用いたキーワードである。ご覧の通り、ここで上野はビジネスターム「だけ」を使って売春を論じている。上野にとって、売春はとりあえず「金」の問題なのである。「金」と「商品」の交換に際して、「売り手」が「買い手」や「問屋」に収奪されなければ、 それは父権制的収奪構造への「みごとな」批判的実践となるだろう。
 たしかに話はすっきりしてはいる。だが、すっきり「しすぎて」はいないだろうか。
 ここでは売春について私たちが考慮しなければならない面倒な問題が看過されている。
それは「身体」の問題である。
 売春する人間の「身体」はここでは単なる「商品」とみなされている。だが、身体を換金商品とみなし、そこから最大のベネフィットを引き出すのが賢明な生き方であるとするのは、私たちの時代における「ドミナントなイデオロギー」であり、上野が批判している当の父権制を基礎づけているものであることを忘れてもらっては困る。
 私たちの時代においてさしあたり支配的な身体観は「身体は脳の欲望を実現するための道具である」というものである。
 耳たぶや唇や舌にピアス穴を開けるのも、肌に針でタトゥーを入れるのも、見ず知らずの人間の性器を体内に迎え入れるのも、身体的には不快な経験のはずである。そのような行為が「快感」としてあるいは「政治的に正しい」実践として感知されるのは、脳がそう感じるように命じているからである。身体が先鋭な美意識やラディカルな政治的立場の表象として、あるいは「金」と交換できる商品として利用できると脳が思っているからである。
「金」をほしがるのは脳である。当たり前のことだが、身体は「金」を求めない。
 身体が求めるのはもっとフィジカルなものである。やさしい手で触れられること、響きのよい言葉で語りかけられること、静かに休息すること、美味しいものを食べること、肌触りのよい服を着ること・・・身体は「金」とも「政治的正しさ」とも関係のない水準でそういう望みをひかえめに告げる。だが、脳はたいていの場合それを無視して、「金」や「政治」や「権力」や「情報」や「威信」を優先的に配慮する。
 私は脳による身体のこのような中枢的な支配を「身体の政治的使用」と呼んでいる。
 上野が援交少女において「自己決定」と名づけて賞賛しているのは、この少女の脳がその身体を、彼女の政治的意見を記号的に表象し、経済的欲望を実現する手段として、独占的排他的に使用している事況である。少女はたしかにおのれの性的身体の独占使用権を「男たち」から奪還しただろう。しかし、それは身体に配慮し、そこから発信される微弱な身体信号に耳を傾け、自分の身体がほんとうに欲していることは何かを聴き取るためではなく、身体を「中間搾取ぬきで」100%利己的に搾取するためである。収奪者が代わっただけで、身体が脳に道具的に利用されているというあり方には何の変化も起こっていない。
 セックスワーク論は売春の現場においては、売春婦の生身の身体を具体的でフィジカルな暴力からどうやって保護するかという緊急の課題に応えるべく語りだされたもののはずなのだが、それを「売春は正しい」という理説に接合しようとすると、とたんに「生身の身体」は「道具」の水準に貶められる。
「金を払っていないあいだはあなたのものではないよ」と宣言することは、「金をはらっているあいだはあなたのものだ」ということに他ならない。だが、それは世界娼婦会議の売春婦たちが望んでいる、「金をはらっているあいだも、はらっていないあいだも」、売春が違法であろうと合法であろうと、人間の身体に対しては無条件にそれに固有の尊厳を認められるべきだという考え方とはずいぶん狙っているところが違うような気がする。


5・
 身体を道具視した視座からのセックスワーク論は、上野に限らず、身体を政治的な権力の相克の場とみなすフーコー・クローンの知識人に共通のものだ。次の事例はその適例である。売春容認の立場を鮮明にしている宮台真司のインタビューに対して、東大生にして売春婦でもある女性は売春の「効用」を次のように熱く語っている。


 「いろいろ経験したけど、自分の選択が正しかったと今でも思います。ボロボロになっちゃったから始めたことだったけれど、いろんな男の人が見れたし、今まで信じてきたタテマエの世界とは違う、本音の現実も分かったし。あと、半年も医者とかカウンセラーとかに通って直らなかったのに、売春で直ったんですよ。(・・・)少なくとも私にとって、精神科は魂に悪かったけれど、売春は魂に良かった。(・・・)私は絶対後悔しない。誇りを売っているわけでもないし、自分を貶めているのでもない。むしろ私は誇りを回復したし、ときには優越感さえ持てるようになったんですから。」 (宮台真司編『〈性の自己決定〉原論』、紀伊国屋書店、1998年、279頁)


 彼女の言う「誇り」や「優越感」はやや特殊な含意を持っている。というのは、この大学生売春婦が「優越感を感じた」のは次のようなプロセスを経てのことだからだ。


 「オヤジがすごくほめてくれて。体のパーツとかですけど。それでなんか、いい感じになって。今までずっと『自分はダメじゃん』とか思っていたのが、いろいろほめられて。(・・・) 最近になればなるほど優越感を味わえるようになって、それが得たくて。オヤジが『キミのこと好きになっちゃったんだよ』とか、『キミは会ったことのない素晴らしい女性だ』とか・・・。まあ・・・いい気分になっちゃいました。(・・・) オヤジは内面とか関係なく、私の体しか見てないわけじゃないですか。『気持ち悪いんだよ、このハゲ』とか思っているのも知らずに、『キミは最高だよ』とか言ってる(笑)。」(同書、276-7頁)


 上野が挙げた援交少女とこの学生売春婦に共通するのは、いずれも自分を「買う男」を見下すことによって、「相対的な」誇りや優越感を得ているということである。彼女たちは彼女たちの身体を買うために金を払う男たちが、彼女たち自身よりも卑しく低劣な人間であるという事実から人格的な「浮力」を得ている。
 しかし、これは人格の基礎づけとしてはあまりに脆弱だし退廃的なものだ。私たちが知っている古典的な例はニーチェの「超人」である。ご存知のとおり、ニーチェの「超人」は実定的な概念ではない。それは自分のそばにいる人間が「猿にしか見えない」精神状態のことを指している。だから「超人」は「笑うべき猿」、「奴隷」であるところの「賤民」を手もとに置いて、絶えずそれを嘲罵することを日課としたのである。何かを激しく嫌うあまり、そこから離れたいと切望する情動をニーチェは「距離のパトス」と呼んだ。その嫌悪感だけが人間「自己超克の熱情」を供与する。だから、「超人」へ向かう志向を賦活するためには、醜悪な「サル」がつねに傍らに居合わせて、嫌悪感をかき立ててくれることが不可欠となる。
 上野の紹介する「みごとな」援交少女と宮台の紹介する「誇り高い」売春婦に共通するのは、買春する男たちが女性の身体を換金可能な「所有物」や観賞用「パーツ」としてのみ眺める「サル」であることから彼女たちが利益を得ているということである。ニーチェの「超人」と同じく、彼女たちもまた男たちが永遠に愚劣な存在のままであり続けることを切望している。それは言い換えれば、父権制社会とその支配的な性イデオロギーの永続を切望するということである。
 この学生売春婦は性を「権力関係」のタームで語り、上野の「援交少女」は「商取引」のタームで性を語る。「権力関係」も「商取引」も短期的には「ゼロサムゲーム」であり、ゲームの相手が自分より弱く愚かな人間であることはゲームの主体にとって好ましいことである。だから、彼女たちが相対的「弱者」をゲームのパートナーとして選び続けるのは合理的なことである。しかし、彼女たちは、長期的に帳面をつけると、「自分とかかわる人間がつねに自分より愚鈍で低劣であること」によって失われるものは、得られるものより多いということに気づいていない。
 宮台によれば、「昨今の日本では、買う男の世代が若くなればなるほど、金を出さない限りセックスの相手を見つけられない性的弱者の割合が増える傾向にある。」 女性が「ただではやらせない」ようになり、そのせいで男性が「金を出さない限りセックスの相手をみつけられない」という状況になれば、たしかに性的身体という「闘技場」における男の権力は相対的に「弱く」なり、性交場面において女性におのれのわびしい性幻想を投射する「オヤジ」の姿はいっそう醜悪なものとなるだろう。当然それによって「今まで信じてきたタテマエの世界」の欺瞞性が暴露される機会が増大することにもなるだろう。だから、性的身体を「権力」の相克の場とみなす知識人たちが、売春機会(に限らず、あらゆる形態での性交機会)の増大に対して好意的であることは論理のしからしむるところなのである。
 しかし、私は依然として、この戦略的見通しにあまり共感することができない。
「自分より卑しい人間」を軽蔑し憎むことで得られる相対的な「浮力」は期待されるほどには当てにできないものだからだ。仮にもし今週一回の売春によってこの学生売春婦の優越感が担保されているとしても、加齢とともに「体のパーツ」の審美的価値が減価し、「オヤジ」の賛辞を得る機会が少なくなると、遠からず彼女は「餌場」を移動しなければならなくなる。他人を軽蔑することで優越感を得ようと望むものは、つねに「自分より卑しい人間が安定的かつ大量に供給されるような場所」への移動を繰り返す他ない。
「東電OL殺人事件」の被害者女性がなぜ最後は円山町の路上で一回2000円に値段を切り下げてまで一日四人の売春ノルマに精勤したのか、その理由はおそらく本人にもうまく説明できなかっただろう。私たちが知っているのはこの女性が「学歴」と「金」に深い固着を有していたということ、つまりその性的身体のすみずみまでがドミナントなイデオロギーで満たされた「身体を持たない」人間だったらしいということだけである。
 
 これらの事例から私たちが言えることは、売春を自己決定の、あるいは自己実現の、あるいは自己救済のための機会であるとみなす人々は、そこで売り買いされている当の身体には発言権を認めていないということである。身体には(その身体の「所有者」でさえ侵すことの許されない)固有の尊厳が備わっており、それは換金されたり、記号化されたり、道具化されたりすることによって繰り返し侵され、汚されるという考え方は、売る彼女たちにも買う男たちにも、そして彼女たちの功利的身体観を支持する知識人たちにもひとしく欠落している。性的身体はこの人々にとってほとんど無感覚的な、神経の通わない「パーツ」として観念されており、すべすべしたプラスチックのような性的身体という「テーブル」の上で、「権力闘争」のカードだけが忙しく飛び交っている。だが、この絵柄は私たちの社会の権力関係と商取引のつつましいミニチュア以外の何ものでもないように私には思われる。権力闘争の場で「権力とは何か?」が問われないように、経済活動の場で「貨幣とは何か?」が問われないように、性的身体が売り買いされる場では「身体とは何か?」という問いだけが誰によっても口にされないのである。


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世界が「陽キャ」だけという地獄

これもフェミニズムの思想の一種になるのか知らないが、太宰治が「家庭(の幸福)は諸悪の根源」みたいなことを言っていた気もする。まあ、太宰というのは一種の異常性格だから(作品は天才だが)、その言葉をあまり真面目に受け取るのも馬鹿らしいが、芥川龍之介も「河童」で、非常に厭世的なことを書いている。作家で厭世的でない人間のほうがむしろ少数派か。現実生活(社会)に満足できないから小説で鬱憤を晴らすという面もありそうだ。厭世哲学者も多いが、やはり社会不適応者だろう。で、彼ら「社会不適応者」は今の流行語で言えば、「発達障害」とされるわけである。つまり、社交性の無い人間は人にあらず、というのが現代の思想である。さて、太宰も芥川もニーチェもショーペンハウエルもすべて不要という「健康な社会」は天国なのだろうか。何だか、山上たつひこの「光る風」の、全員が同じ思想だから同じ顔、という風景を思い出す。
ちなみに、芥川の「河童」の中では、臨月の妊婦の腹部に小さなマイクと聴診器を当て、胎児に「生まれる意志」があるかどうかを医者が質問する。そして、胎児が、両親の経済状態やら遺伝的資質やらを考慮して「生まれないことにします」と答えると、医者が陰部に胎児を消去する薬を注射して消すわけである。これで、「親ガチャ」失敗という悲劇は無くなるwww ギャンブル出産の人間より文化的で、ビル・ゲイツあたりが喜びそうな思想である。

(以下引用)

2: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:00:41.98 ID:bVxRG6Z80




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3: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:01:09.39 ID:K8jC+IZs0
それはsou



4: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:01:15.29 ID:flb0oF7Zx
親とは(哲学)



6: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:01:46.45 ID:vEIlu5Ira
反出生主義しか勝たん



7: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:01:54.73 ID:WjkdZBxdd




8: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:02:06.00 ID:LxSG/ffFd
強い



9: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:02:14.70 ID:vIuhP/v1a
反出生主義とかいうネットのおもちゃ



10: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:03:24.27 ID:XpKBW92Pa
初めてフェミに論破されてしまった
悔しい



11: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:04:01.96 ID:0/gizb3AM
なにが彼女をここまで歪ませたのか

なんJらーみたいな男が多いからやろね世の中



12: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:04:14.57 ID:fZfbVdHu0
反出生主義は別に生まれたく無かったと1人で思ってたらエエのに、何で周りに毒吐くんやろうな



13: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2022/05/02(月) 18:04:23.43 ID:C77V7wUe0
親の定義づけは子供を産んでからでは?

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「安倍晋三」とは何者だったか

「賀茂川耕助(ビル・トッテン)のブログ」記事で、安倍元総理に関しては私とは異なる意見だが「外国人」的視点の意見として参考になるだろう。ちなみに、賀茂川氏は会社経営者であり、経営者は小泉・安倍新自由主義で「労働者の給与を低く抑えることができた」ので、自民党支持者がほとんどだと推定できる。つまり、「経営者(特に経団連とその補助組織の「連合」)が労働者の敵」という、19世紀的な情けない状況が、新自由主義で生まれたわけだ。
引用文の安部に対する評価は田中宇に似ている。田中は欧米マスコミに親近しているから、見方が似てくるのだろう。
まあ、庶民から見れば、政治を私物化し、国民生活を最大に悪化させた国賊という評価だけである。つまり、皇居前の松の木の枝にぶら下げるべきところを、山上義士が射殺してくれて(安倍もムッソリーニのような惨めな死に方をせず、お互いに)万々歳、ということだ。次は小泉元総理と竹中と経団連会長あたり、覚悟したほうがいいwww ついでに森元総理とか菅(ガースーの方ね)元総理とか、下手をしたら、現役閣僚とかもね。河野太郎とか小泉進次郎は、この難局で閣僚ポストにいなくて運が良かったようだ。何しろ、「無敵の人」をあまりに大量に作り出したのだから、テロが大流行してもおかしくない。
ということで、この文章はテロの勧めではなく、政治家や経営者への忠告なので、逮捕しないでねwww 諫言は耳に痛く、甘言は耳に快いのである。

(以下引用)外国人視点では「歴史修正主義」というのがかなり「悪人ポイント」が高いようである。我々日本人としては、「日本人の罪悪感」を軽減してくれるのだから、嘘でも気持ちいいわけだ。況やネトウヨをや。




有能な修正主義者の死


by b


昨夜、自作の銃を持った何者かが、日本の元首相、安倍晋三を殺害した。


安倍晋三は家訓を守り、日本の帝国主義者であった。2013年にピーター・リーは彼について{1}こう書いている。


神話:安倍晋三は、世界とアジアの民主主義国が“航行の自由”というような普遍的価値の名の下に中国に立ち向かい、アジアの平和と繁栄の共有に貢献するチームの主要メンバーである。


   現実:安倍晋三は修正主義の国粋主義者である。中国との摩擦を利用して、日本の国益を追求し、日本を中華人民共和国(PRC)とのゼロサム経済方程式の右側に置き、地域覇権国家としての日本の行動の独立性を最大化する、できれば平和的に、しかしもしそうでなければ・・・。


    欧米メディアの使命:忠実な読者のために、心地よい神話と不穏な現実との間の認知的不協和を管理すること。


    課題:安倍首相として12月26日に靖国神社参拝したことを説明する。


安倍の祖父を含む第二次世界大戦の最も恐ろしいA級戦犯の何人かは靖国神社に埋葬されている。この神社と付属の博物館は、ほとんどの日本の政治家にとって立ち入り禁止の場所である。しかし安倍が目立つように参拝したのは、彼がそこに葬られている人たちの思想を受け継いでいるからだ。


安倍の歴史修正主義の核心は、1930年代から1940年代にかけて、中国や朝鮮半島の盗賊がはびこる地域が日本の統治を要求していたということだけでなく、アジアの虐げられた民衆がイギリス植民地主義やアメリカ帝国主義と闘う、その陣頭に大日本帝国が立っていたというものだ。言い換えれば、第二次世界大戦の本当の戦争犯罪は、アメリカの日本への侵略であった。アメリカ、日本に対するその道徳的卓越性の自負、さらには中国や韓国は被害者として美徳を主張しているというのが安倍首相の靖国参拝の狙いだった。


軍国主義や特に中国や南北朝鮮との紛争をさらに進めながら、一方でロシアと仲良くするという彼の政策はそのイデオロギーから生まれている。


安倍晋三の最後の首相在任期間は8年続いた。日本の首相は1年以上在任することはめずらしいのでこれは驚異的な長さである。安倍晋三のように長く政治的に生き残るには特別な資質が必要なのだ。


日本では銃犯罪は極めて稀である。年に数十件起こるが、そのほとんどは日本のマフィア、ヤクザの対立グループ間のものである。


日本の警察は、殺した犯人を「単独犯」と断定するだろう。たしかにそうかもしれないが、この事件から利益を得る者がいることは確かである。ウィリアム・ペセックは『アジア・タイムズ』にこう書いている{2}。


この攻撃の動機と長期的な意味を評価することは不可能だが、ひとつの政治的ダイナミズムが変化した可能性がある。岸田文雄首相(3)は、10月の就任から1年を過ぎても留任する余地が大きくなったかもしれない。


  安倍陣営は否定しているが、東京では、2020年9月に退陣した安倍首相が3度目の首相就任に挑戦するのではないかという話題で持ちきりだった。安倍首相はまず2006年から2007年まで首相を務め、その後2012年から2020年まで首相を務めた。


    安倍首相は辞任後、舞台裏のキングメーカー的な役割を担っていた。安倍首相は岸田氏がプーチン率いるロシアとのデタント(緊張緩和)に向けての安倍首相お得意の努力を後退させたことに不満だったという憶測が飛び交っている。


    安倍首相はまた、岸田氏がアジア第2位の経済大国である日本をようやく改革すると約束したことが気に入らなかったとも言われている。それはいわゆる「アベノミクス」が日本をより活気のある道に導くことに失敗したという意味だからだ{4}。


  日本の首相は12ヶ月以上続くことはあまりない。安倍首相の8年間はその例外だった。岸田氏は、自民党の権力者である安倍氏に肩入れする必要はないと言うことができる。今週の日曜日の参議院選挙で、岸田氏は派閥をより強く支配することになり、過去の指導者の影から抜け出すことができるだろう。


岸田氏の政策はそれ以外はほとんど安倍首相と同じである。彼は、海外に力を誇示できる強い軍国主義的な日本を望んでいる。米国は反中国政策に協力することで、それをさらに推し進めようとしている。しかし、米国が何を望んでいるのかを注意する必要がある。


日本はかなりの量のウランとプルトニウムを貯蔵しているため、潜在的な核保有国である{5}。


日本は高感度分離プルトニウムを47.8トン保有しており、そのうち10.8トンは日本に貯蔵していて、それは核弾頭1350発分に相当する。このほか日本は研究炉用の高濃縮ウラン(HEU)を約1.2トン保有している。


このような物質を扱うノウハウを日本は持っている。危機的状況下ではすぐに核爆弾を作ることができる{6}。日本は宇宙開発によって長距離輸送手段を持っている。修正主義者の日本がひとたび解き放たれれば、近隣諸国だけでなく、米国自身にとっても危険となる。


中国も南北朝鮮も、有能な修正主義者である安倍晋三がいなくなってほっとしていることだろう。


彼の遺灰はどこの神社に埋葬されるのだろうか。




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