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戦争という最大の愚行

ウクライナ戦争の教訓は、「戦争ほどの愚行はない」ということだ。
私が前々から言っている、「国土が侵略されたら即座に降伏するのが最善の策だ」ということをこれほど明確に証明した戦争は空前のことだろう。で、それが絶後ではないだろうと(残念ながら)私は推測する。

ウクライナへのロシアの「特別軍事作戦」が始まった時に、ウクライナが即時降伏していたとして、国民にとって何か不利益なことがあったか? しかもその時にはロシアは「停戦交渉」を求めていたのである。それをキエフ政府が拒否して戦闘が始まったわけだ。その後も何度か交渉の機会はあったが、その度にキエフ政府(その背後の英米政府)が停戦交渉自体を拒否してきた。その結果がウクライナの現在の惨状だ。
さて、それと比べて、戦争開始直後にウクライナが降伏していた場合、どうであっただろうか。

もともとウクライナとロシアは兄弟国家であり、文化も近いしロシア語話者も多い。東部地区と西部地区の違いはあっても、ロシアがウクライナをたとえ併合してもウクライナ国民にとっての不利益はほとんど無く、むしろ、盛運に向かいつつあるロシアの一部としてその恩恵を得られたのではないか。つまり、ロシアとの停戦を拒否したのは単にキエフ政権とそのネオナチグループと米英政府の利益のためだったのである。ここで、私が毎度言う「政府と国家は別だ」という話になる。
政府とは、正常でインチキの無い民主主義的手続き(選挙)で選ばれない限り、「上級国民や外国勢の所有物となる」のである。繰り返すが、「政府=国家」ではないし、「政府=国民」ではまったく無い。政府による決定が一般国民にとって害悪であるという事例は数えきれないほどあり、日常茶飯事と言っていい。日本も同様だ、ということに賛成する人は多いのではないか?

さて、ここでモデル思考によって戦争とはどういうものか、考えてみよう。

A国とB国が戦争をして、両者の戦力通りに戦争が推移し、A国の国民の9割が死亡して、B国の10割が死亡して戦争が終わったとしよう。(通常はそこに行く前に戦争は終わるが、ここではモデル的に考察する。)すると、A国はAB両国の国土を手に入れるが、その国土は現在の兵器の破壊能力からして両国の国土のインフラをほとんど破壊し、土地の生産能力も極限まで下がっているだろう。で、その広大な土地を、誰が耕し、誰が工場を作り、誰が働くのか。A国の残った1割とはつまり「上級国民」である。彼らが百姓仕事をし、工員として働くのか? よそから他国民を輸入して働かせるか。それなら、死んだAB両国の国民はこの戦争で得たのは墓穴だけ、となる。

これが、私が戦争とは最大の愚行であるという所以である。

DSの地球人口削減計画は(自分たちを削減対象に含めず、下級国民だけを削減すると妄想している点で)これによく似ている。いかにも西洋人的、あるいはユダヤ的思考である。

(追記)今読んだ「東海アマブログ」の中に面白い引用があったので孫引き転載する。

 戦死を免れた司馬は、旧日本軍の愚行を舌鋒鋭く非難する。保阪正康氏は、司馬の著書を引用しながら次のように綴る。
 〈「こんなばかなことを国家の規模でやった。軍人を含めた官僚が戦争をしたのですが、いったい大正から昭和までの間に、愛国心のあった人間は、官僚や軍人の中にどれだけいたのでしょうか。

 むろん戦場で死ぬことは『愛国的』であります。しかし、戦場で潔く死ぬことだけが、愛国心を発揮することではないのです。(略)愛国心はナショナリズムとも違います。ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。
 (略)愛国心、あるいは愛国者とは、もっと高い次元のものだと思うのです。そういう人が、はたして官僚たちの中にいたのか、非常に疑問であります」(『「昭和」という国家』、日本放送出版協会、1998年)

 つまり司馬は、あの戦争に至るプロセスに呆れていて、ああいう道をまっしぐらに突き進んだ国の指導者の愚かさを冷たい目で見つめていると言えるのではないか。〉(『世代の昭和史』46~47ページ)

 愚かな戦争に突き進んだ日本の過ちを、司馬は作家ならではの絶妙な表現で喝破する。
 〈「日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。

 この魔法はどこから来たのでしょうか。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も現れ、太平洋戦争も現れた。世界中の国々を相手に戦争をするということになりました」(同)

 その上で司馬は、もし織田信長のような人物がいたら、戦争など考えもしなかったであろうと言っている。なぜなら彼にはリアリズムがあったと指摘するのである。結局この国は、「国というものを博打場の賭けの対象にするひとびと」がいたというのである。
 そういうタイプが愛国者を気取っていたという。それが魔法使いの魔法にかけられた人々の心理だったのである。〉(『世代の昭和史』47~48ページ)

  東條英機と山本五十六…あまりにも対照的な姿
 太平洋戦争の指揮を執り、大正世代の兵士や軍属を200万人も戦死させたのは、明治17年(1884年)生まれの東條英機を中心とする体制だ。
 同い年の生まれには、戦後に内閣総理大臣を務めた石橋湛山、政治家の三木武吉もいる。海軍の山本にしても、石橋や三木にしても、東條ほど好戦的な人物ではなかった。

 彼らとは対照的に、東條英機はイケイケドンドンで太平洋戦争に突き進む。慨嘆すべきことに、日露戦争(1904~05年)当時に陸軍士官学校在学中だった東條は、本格的な戦闘体験がないまま日本軍の最高指揮官に就いてしまった。保阪正康氏は、東條の発想の特徴を5点にまとめる。

 (1)軍人は職業ではない。「神(天皇)」に仕える神兵である。
 (2)臣民はすべからく天皇に帰一する存在である。
 (3)軍事は国家の主体であり、この動きに意見を挟むことは許されない。
 (4)国益とは戦争によって拡大され、戦争によって守られる。
 (5)妥協は敗北であり、敗北は国家衰退の源である。〉(『世代の昭和史』56ページ)

 〈東條のような戦場体験のない、軍官僚として机の上で戦争を考えていた軍人は、かなり歪んだ命令を出すことが立証されている。要はなぜ東條のような軍官僚が政権を握って、あのような時代をつくったのかが検証される必要がある。〉(『世代の昭和史』57ページ)

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