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「左右完全対立思想」の愚かしさ

「東海アマ」ブログ記事の一節で、冒頭の「子供たち」は、ポルポト時代の子供たちのこと。
先にアマ氏の文章を載せてから批判的に考察する。

(以下引用)

子供達は、自分の両親でさえ平然と殺害するほど洗脳されてしまった。だから、若者たちを利権のために操作しようとするとき、どうやって洗脳するのか? がわかれば、世の中を自分たちの思い通りに操作できることになる。

 人情味豊かな思いやりのある人間にするためには、子供のうちに宮沢賢治の詩を暗誦させておけばよく、結果として犯罪の少ない素晴らしい社会になる。
 陰謀によって世界を支配するような人間性を育てるには、旧約聖書を暗誦させればよい。こんなことに気づいた日本の支配者たちがいた。
 それが岸信介・正力松太郎・笹川良一・中曽根康弘といった戦後日本を影から支配しようとした人たちで、彼らは国際勝共連合という組織を、韓国の文鮮明と協力して作った。
 それは、やがて「日本会議」という右翼思想統一組織に発展した。

(引用終わり)

この後に文鮮明のことなども出て来るが、それは置いておく。
「陰謀によって世界を支配するような人間性」の子供を育てる、という言葉自体が大きく的を外れているとも思うが(洗脳対象は、ただのロボットや奴隷的存在であり、「世界を支配するような」存在ではない)、それも置いておく。
問題は、右翼という存在を十把ひとからげにしていることだ。
私の認識では、笹川良一は一種の「国士」であり、「愛国者」であって、単なる「戦後日本を影から支配しようとした」人間ではない。日本の「左傾化」を憂えたという意味では右翼だが、右翼イコール悪党という認識は大間違いだろう。右翼にも左翼にもチンピラもいれば偉人もおり、悪人もおれば善人もいるわけだ。ただ、その行動の結果が「権力の集中」を呼び、それが日本に好結果をもたらすか、悪結果をもたらすかの違いだけだろう。
つまり、政治を「右左だけで単純に分ける」という思考そのものがアホなのである。
実際、戦後日本はアメリカ輸入の民主主義と自由主義で発展し、その結果、精神的に堕落して、社会は上級国民と下級国民に分裂した。前半は左翼的思考(社会主義的思考)による成功だし、後半は左翼的思考(自由主義)の暴走による倫理的破綻と「社会主義の放棄と社会の階級化」である。そのどこにも「右翼思想」は関係していない。当然、天皇とは何の関係もない。
ついでに言えば、社会主義と共産主義を混同すると、すべてが混乱する。つまり、「共産主義=悪」だから「左翼=悪」となってしまうのである。これもついでに言えば「左翼=リベラル」ではない。共産主義はリベラルの対極物である。つまり、全員が「共産(財産を共有する)」というルールに絶対的に従う意味では、桎梏の世界(非リベラル)なのである。一部の人間が世界の財産を独占するNWOは共産主義でも何でもない。強いて言えば広域奴隷制度思想だ。それに対して社会主義とは社会資本の一部を社会全体の福祉に使う(極端な資産の偏りの是正をする)という「自由性の高い」ルールなのだ。世間の大半の人が、この区別がついていない。まあ、初期社会主義の歴史を少し読めばいい。マルクスが否定した「空想的社会主義」こそが社会主義の本質なのであって、共産主義など害悪である以前に、まったく実現不可能な御伽噺なのである。一部の保守主義者による「リベラル=共産主義」というレッテル貼りが、すべてを混乱させている。(私自身は共産主義も「今の」リベラルも大嫌いである。)
右翼の話に戻る。笹川良一は、果たして「戦後日本を影から支配する」ことを望んだのか。では、彼の行なったあらゆる社会福祉事業は単なる宣伝で、その行為自体が悪辣で無価値だったと言うのか。そして、アニメ「一休さん」で子供に道徳や善行の大切さを教えたことも、「邪悪な洗脳行為」だったとでも言うのだろうか。競艇で金儲けしたのが悪い、と言うほど我々はギャンブル行為を完全に否定して生活を清らかに送っているのか。台風の夜に家族を集めて花札をした私の母は、子供を洗脳し、子供から金集めをしたかったのかwww








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全国への水道敷設からもはや50年以上。で、現在の水道管は。

水道水が飲める国、とされてきた日本の水道管は、今やこういう状態である。下水道ではなく、上水道の姿である。
軍備増強や国民への株式投資推奨などしている場合じゃないだろう。

(以下引用)



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女性こそが「LGBT運動は女性の権利を阻害する」と知るべき

「大摩邇」から転載。ザウルス氏らしい皮肉に満ちた記事で、ミソジニー臭い匂いもある。女性が怒りで味噌死に(どんな死に方かは知らん)しそうだ。
なお、私はフェミニスト(本来の意味の、政治的男女同権論者、女性の権利拡張論者)だが、LGBT運動が大嫌いな人間である。人間としてのホモやレズはまったく嫌いでも何でもない。それぞれの趣味嗜好の問題であり、勝手にすればいい。トランスジェンダーが一番性質が悪いと思う。性自認で性別をするということを悪用している連中ばかりだ。それを許容するLGBT運動は糞である。


(以下引用)

LGBT 面白い! 慌てる女性、 ガンバレー!

ザウルスの法則さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/7f65471dcab0ee33488e9036809c8445
<転載開始>

2023-05-20 


LGBT 面白い! 慌てる女性、 ガンバレー!


 


性に関わる問題は、常に既存の観念・イメージに囚われた不合理な面がある。


男性・女性」 という観念・イメージに囚われずに、物事を判断できる人間は、現実には稀れである。ふつうの人間は、多かれ少なかれ、「男らしさ・女らしさ」 といった伝統的なジェンダー観念 に囚われたまま生きている。



その 「男らしさ・女らしさ」 というジェンダー観念 が、客観的かつ科学的な根拠をまったく欠いたものであることに気づいた人間が、一般社会に対して 「挑発的な行動」 をとることは、ある意味で自然なことなのである。(^-^) 


そういう人間が出てくるほうが、正常な社会と言えるかもしれない。「ふつうのひと」 がうろたえるような挑発事象が日常的に起こる社会のほうが、国際標準からしたら、むしろ普通であるとも言える。(^-^)


そういった、「ジェンダー挑発」 は、これから増える一方であろう。うろたえるのは、中高年層、そして、女性一般であるかもしれない。(^-^)


 


 



 


 


 



 


 


 



 


 


 



 


 


 


 



 


 


 


 



 


 


 




<転載終了> 

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「広島サミットは失敗」というより、茶番劇

「徽宗皇帝のブログ」に載せるべき記事だが、あちらは数を載せすぎたので、ここに載せる。まあ、記事中の発言はすべて正論である。大手新聞は、こうした発言をきちんと取り上げるだろうか?

(以下引用)

被爆者サーロー節子さん、広島サミットは「失敗」


配信

中国新聞デジタル

記者会見でサミットを振り返るサーローさん



(引用2)朝日新聞は少しは良心が残っているようだ。単なる見せかけでも偽善でも、善は善である。最近、コピーが途中で切れることが多い。今回のもそうである。

元広島市長「岸田首相、ヒロシマを利用するな」 核抑止力維持に憤り

朝日新聞社 によるストーリー • 昨日 20:30





元広島市長の平岡敬さん=2023年5月21日午後1時58分、広島市中区、大滝哲彰撮影© 朝日新聞社

 G7広島サミットが閉幕した。最終日にはウクライナのゼレンスキー大統領が参加するセッションも開かれたが、1991年から2期8年にわたって広島市長を務めた平岡敬さん(95)は憤りを隠さない。


     ◇


 岸田(文雄)首相が、ヒロシマの願いを踏みにじった。そんなサミットだったと考えます。


 サミットでは、米英仏という核保有国と日本をはじめとする米国の「核の傘」の下にある国々が、広島という地に集まり、核軍縮や不拡散といった軍事面が主に議論されました。


 しかし、本来は核が人間に与えた悲惨さを考えるべきです。核を全否定し、平和構築に向けた議論をすべきでした。


 加えて、19日に合意された「広島ビジョン」では、核抑止力維持の重要性が強調されました。

 戦後一貫して核と戦争を否定してきた広島が、その舞台として利用された形です。


 核兵器禁止条約に署名・批准した国と地域に「広島が核を許容した」と思われてしまう。こうした国々は広島を見ているのです。今後、広島が信用されなくなり、ものを言えなくなります。


 だからこそ、議長国である日本の岸田首相は、とても罪深いと言わざるを得ません。


 ウクライナのゼレンスキー大統領が招かれました。これは、いかにも政治的なパフォーマンスです。中国とロシアに対して、西側諸国の結束をアピールしたいという狙いが透けて見えます。


 さらに、G7首脳との間では、軍事的な支援の強化が約束されました。「広島選出」を強調する岸田首相は、戦争を是認し、激化させることを広島の地で許したことになります。


 核を否定し、平和を訴えてきたヒロシマを、これ以上利用するなと言いたいです。


 広島を舞台にしてウクライナ戦争を議論するならば、一日も早い停戦と戦後復興について話し合われるべきでした。


 中国とロシアを非難するだけでは、緊張が高まるだけです。いかに対話をするか、和解のシグナルを発信する必要があります。


 戦争の種をなくし、平和を構築する。それが、岸田首相をはじめとするG7首脳たちに求められていることです。(聞き手・大滝哲彰)




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「力」信仰の社会で言辞がまともな意味を持ちうるか

前の記事の補足的記事で、アメリカと銃(武器・武装主義)の関係に興味の無い人のほうが多いだろう。しかし、アメリカ人の世界的な戦争関与にはアメリカ人のメンタルも関係していると思う。つまり、力こそ正義という思想である。弱者が軽蔑される社会だ。で、その力とは、銃であり、金力である。スポーツも、アメフトのような「パワー重視」スポーツが人気になる。映画の中では暴力が美化される。言論は詐欺(自己正当化)のためにしか用いられない。そういう社会で民主主義が可能なはずがないだろう。
銃による被害者は、結局「弱者」としか見られないのである。被害者になること自体が弱者の証明であり、恥なのだ。ただし、裁判に訴えて巨額の賠償金を得たら、勝者になり、賞賛される。

(以下引用)

数字で見る「米国における銃乱射事件の実態」

>> 関連記事「規制・流通・発生場所――米国で多発する銃乱射、その背景は」はこちら

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世界中で米国より多くの銃乱射事件が発生する国はない。あまりにもありふれた米国の現実の一部を紹介する。

銃乱射事件は主に米国の現象

2016年の研究によれば、1966年から2012年にかけて起きた世界の銃乱射事件の約3分の1が米国で発生した。この研究では「銃乱射」について、下記の米連邦捜査局(FBI)の定義を使っている。研究は292件の事件について調査し、このうちの90件が米国で起きたことが分かった。言い換えれば、米国の人口は世界の5%だが、そこで全ての公共の場で発生した銃乱射事件の31%が起きているということだ。

「銃乱射事件」の件数は定義の仕方によって変わる

政府は単独のカテゴリーとして「銃乱射」を定義したことがない。そのため、どの非公式な定義を使うかによって集計は大きく変化する。銃による暴力について情報収集を行っているウェブサイト「ガン・バイオレンス・アーカイブ」によれば、「銃乱射事件」は4人以上の死傷者が出た事件を指す。この数には銃撃犯も含まれる可能性がある。この定義によれば、2016年は最初の164日間に136件の銃乱射事件が発生していることになる。

政府が採用するいくつかの用語の使い方を見てみよう。連邦法では、3人以上の死者が出た事件を「大量殺人」と定義している。FBIが2013年まで使っていた、一般的に受け入れられている定義では、4人以上の死者が出た銃撃事件を指す。議会の報告書では、ギャングが関連した事件や家庭内の事件は除かれる場合があり、そこでは「犠牲者を無差別に選んだ銃撃犯」に力点が置かれる。これに基づくと、全ての集計はひとけたにまで減る。

米国で過去10年に起きた最も死者数の多い銃撃事件

今回のオーランドの銃乱射事件は米国史上で最も死者数の多い銃撃事件だった(死者49人)。2007年に起きたバージニア工科大銃乱射事件(死者32人)や2012年のサンディフック小学校銃乱射事件(死者27人)から10年と離れていない。実際、1949年までさかのぼった死者数上位30件の銃撃事件のうち16件が過去10年のうちに起こっている。

学校か仕事場にいる場合、銃乱射事件で死亡する可能性が高くなる

2013年のデータによれば、銃乱射事件の10件中7件が学校や職場で起きていた。米国で最も知られている銃乱射事件は、サンディフック小学校やコロンバイン高校、バージニア工科大、サンバーナディノのインランド・リージョナル・センターなどで起きている。海外ではこうした事件は基本的に軍事施設の近くで起きている。

銃撃犯の多くは自殺するか殺されている

「アクティブ・シューター」による銃撃事件の約70%は銃撃犯が死亡して終わる。「アクティブ」というのは法執行機関や市民の対応が事件の結果に影響を及ぼす可能性がある側面を示している。

銃規制の議論が盛んになると、銃器に対する需要も高まる

銃器販売のための身元調査の件数に関するFBIのデータは需要のパターンに関して多くのことを教えてくれそうだ。こうしたパターンは世間の注目を集める銃乱射事件の直後、銃規制についての公共の場での議論が盛んになったときに上昇する傾向がある。最近、身元調査の件数が最高を記録したのは、月別では2015年12月のサンバーナディノの事件後だった。しかし、16年は15年の記録を上回るペースで推移している。

事実、米国人は他国の市民よりも多くの銃を保有している

スイスに拠点を置く銃器関連の情報センター「スモール・アームズ・サーベイ」の2007年の調査によれば、米国市民は約2億7000万丁の銃を保有している。これは、インドネシア国民全員に1丁ずつ銃を持たせてもまだ余りが出る量だ。そして、1人当たりの銃器の数としては米国が1位だ。そしてまた、米国の銃乱射事件の半数以上で、銃撃犯は2丁以上の銃器を保有していた。世界的に見ると、銃撃犯はたいてい銃を1丁しか持っていない。

結果として、銃器ビジネスは栄える

銃器への需要が急増すると、銃器の販売業者とメーカーのビジネスも栄える。スミス&ウェッソンの株価は2015年のサンバーナディノ銃乱射事件の後で急騰した。実際、過去8年間の株価の動きは、アップルやグーグルのような人気のIT企業の株価よりも劇的な割合で上昇した。

※本ページは、2016年06月13日時点のCNN.comの「US home to nearly a third of world's mass shootings」を翻訳し、掲載しています。

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コナンを超える幼児名探偵

まあ、民間人の銃所持可能という社会自体がキチガイ社会なのだが、この事件は面白い。発砲した幼児は、ある意味、自分の家庭を救ったのではないか。母親のほうは、まあ、天罰とでも思えばいい。男なら誰でも家に入れていいというものではない。
記事の下にある「息子を撃った84歳男性、11歳孫に撃たれ死亡」というのも面白い。家庭内銃撃戦www
ついでに書いておくが、市民図書館から借りてきたパーネル・ホールという作家の「ソフトボイルド」探偵小説「撃たれると痛い(原題は「Shot」)」は、なかなかの傑作で、銃で撃たれることのショックをかなりきちんと書いている。たいていの人は、自分自身が撃たれた経験がないから平気で銃所持に賛成しているのだと思う。私は、「ジョン・ウィック」(冒頭30分くらいしか見ていないが)のような、銃弾が無数に飛び交いながら、主人公にはまったく当たらないし、当たっても平気であるような映画が大嫌いである。全米ライフル協会賛助作品かwww

(以下引用)




by ライブドアニュース編集部

ざっくり言うと

  • 米イリノイ州で3歳の幼児が銃を1発撃ち、大人2人が負傷した
  • うち1人は幼児の母親で、もう1人は母親と友人関係にある男とのこと
  • いずれも命に別条はなく、男は殺人容疑の指名手配犯と判明して逮捕された


3歳児が発砲して2人けが、負傷者の1人は指名手配犯 米



米イリノイ州で、3歳児が発砲して2人が負傷した/WTHR



(CNN)米イリノイ州ラファイエット市内で3歳の幼児が銃を発砲し、大人2人が負傷した。捜査当局によると、負傷者の1人は指名手配犯と判明して逮捕された。


ラファイエット警察の当局者がCNNに語ったところによると、市内のアパートで18日、幼児が銃を1発撃ち、銃弾を受けた2人が負傷した。いずれも命に別条はなかった。


警官らは負傷者2人が手当てを受けていた病院に出動した。1人は幼児の母親で、もう1人は母親と友人関係にある市内在住の男(23)。この男は、イリノイ州の警察に殺人容疑で指名手配されていたことが分かり、その場で逮捕された。


幼児が銃を手にした経緯や、銃の種類は公表されていない。


外部サイト


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「一般常識ではないカタカナ語の使用」というインテリの悪習慣

「シロクマの屑籠」というブログ記事の末尾で、筆者は精神分析医か精神科医だと思う。ゲームやアニメも好きなようだ。
下の記事はひろゆきというカリスマ弁論家と一般人のネットリテラシーを論じたもので、なかなか面白く思って読んでいたら、最後の節で、「サバルタン」という聞きなれないカタカナ語が出てきて面食らった。そもそも、これが英語なのかフランス語なのか、その他の言語かも分からないし、文脈から意味を推定するという作業も何だか癪に障る。何で、そんな面倒な作業を読み手に押し付けるのだという憤慨である。まあ、「お前は俺の読者として想定していない」という、書き手からの拒絶のサインだ、とも考えられるが、そこまでは非常に分かりやすい内容だったので、この一語で突然、目の前のドアを閉められたわけである。単純に「知的気取り(カッコつけ)」のためのカタカナ語だという気はするが、それとも、日本人の中で「サバルタン」というカタカナ語を知らないのは私だけなのだろうか。サバイバルともサルタンともサルバルサンとも関係は無いよなあ。そんなに、一般に熟知された言葉か? ちなみに、サルバルサンは梅毒の特効薬で、末尾は「酸」ではない。
一応、言っておくが、こうしたカタカナ語の使用は百害あって一利なし、とまでは言わないが、害のほうがはるかに多いと私は思っている。一般人があまり知らないカタカナ語を使うなら、原語で書くべきである。それなら調べようもある。まあ、単なる知的気取りである、と私は思っている。インテリ層の唾棄すべき悪習慣である。あるいは、ゲーム界あたりでは常識の言葉なのかもしれない。
これも一応言っておくが、文脈から推定するなら、サバルタンは「有象無象」という感じではないだろうか。もっと限定的に「知的劣等者」「無知蒙昧な輩」かもしれない。あるいは、それを象徴するような人名の可能性もある。

(以下引用)

結局彼等はサバルタンのままでしかない

 
インターネットが完全に普及し、誰でも情報発信ができる時代が到来したとは、よく言われることだった。実際、シェアや「いいね」機能をとおして、何も書けない人でもインターネット上のオピニオンやメンションに vote できる時代になったという点では、確かに情報発信は万人に開かれた、のだろう。
 
他方、あまりにもインターネットが普及し、そこにアメリカ大統領やらイーロンマスクやらひろゆきさんやらがひしめいている状況となった結果、インターネットは影響力争奪戦の戦場となり、カリスマや雄弁家の草刈り場になり果ててもいる。カリスマや雄弁家が間近に感じられる今の環境のなかで、彼等の劣化コピーとならないこと、誰かの意見ではなく自分自身の意見を持つことは、本当は難しいはずである。だとしたら。
 
だとしたら、ネットのカリスマや雄弁家に出会ったことで何かを言えるようになったと感じている人は、結局、もの言えぬ人々のままなのではないか。彼等が何かを言っているつもりでいて、実はカリスマや雄弁家のスピーカーになり果ててしまっているとしたら、結局彼ら自身は物言わぬ人々のままでしかない。なまじ、カリスマや雄弁家が間近に感じられるものだから、自分自身の意見とカリスマや雄弁家の意見の境界は曖昧になりやすい。リテラシーが乏しければ、そうした傾向に拍車もかかろう。
 
弁論術も含め、リテラシーとは、自己主張していくためのツールとして必要不可欠なわけだけど、そのリテラシーが欠如している限り、SNSがあろうとも、自分の意見を代弁してくれている誰かの追っかけをやろうと、結局自己主張は困難なのだと思う。のみならず、リテラシーが欠如しているからこそ、カリスマや雄弁家の巧みな弁舌から自分の意見を守ることも難しい。そうやって、タイトルしか読めない人やタイトルすら読めない人がネットのカリスマや雄弁家に浸食されているのが、ここ十数年の間にできあがったインターネットの風景だと思う。
 
もしそうだとしたら、「大衆の声」に相当するものは今、どこで聞こえるのだろうか。いや、そもそも大衆とここで言われる人々に、声や意見は持ち得るのだろうか。インターネットをとおして影響力が刈り取られまくっている現在の環境下で、自分自身であること、自分の意見を持つことはどこまで可能だろうか。それは他人に問うだけでなく、自分自身にも問わなければならないことだ。たとえば私がここに書いてあることだって、冒頭の小山さんの影響下にあって書いたものと疑ってかからなければならない。
 
ネットに限らずだが、このメディア全盛の時代、緊密に人と人とが繋がり合った時代において、声とは、いったい誰のものなのだろう? そして自分の意見とは?
 


(夢人追記)気になる人のために、一応調べてみた。まあ、私の推定は正解ではないが、大きく外れてもいなかったようだ。要するにインテリ用語である。
ちなみに、少し意味は違うが、「無告の民」という言葉もある。サバルタンよりは分かりやすい。


四字熟語無告之民
読み方むこくのたみ
意味貧しい人や老人、孤児などの弱者のこと。
苦しみを訴える相手や手段が存在しない人たちのことから。
「無告」は苦しみを訴える相手が誰もいないこと。

サバルタン

  

[subaltern]

2015/03





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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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