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いちご畑は永遠に

壺斎散人という人の「知の快楽」というサイト(主に哲学関係の文章が多いようだが、詩も好きなようで、私に嗜好が少し似ているが、学識が私とは天と地ほど違う。もちろん、私が地である。)に載っていたビートルズの「ストロベリーフィールズフォーエバー」の散人氏による訳である。なかなか上手い訳だと思う。
ただ、最初の一節「Let me take you down」を「君を忘れないよ」としたのはどうだろうか。直訳で、「君を(木から)降ろさせておくれ」でいいのではないか。つまり、この二人は木登り遊びをしていた少年と少女である。そして、その少年(語り手)はこれから少年院(孤児院か?)に行くわけだ。

(以下引用)


ストロベリーフィールズ・フォーエヴァーStrawberry Fields Forever:ビートルズ歌詞の和訳



  君を忘れないよ でももういかなきゃ ストロベリーフィールズに
  すべては夢 本物はなにもない
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー 

  目を閉じて何も見なければ人生は容易だ
  一人前になるのは難しいけれど何とかなるさ 
  気にすることはないさ

  君を忘れないよ でももういかなきゃ ストロベリーフィールズに
  すべては夢 本物はなにもない
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー 

  ぼくは誰ともうまく行かなかったけれど仕方がないさ
  多分波長が合わなかったんだ 仕方ないさ
  気にすることはないさ

  君を忘れないよ でももういかなきゃ ストロベリーフィールズに
  すべては夢 本物はなにもない
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー 

  いつだってぼくが悪かったのさ 夢のようだけど
  そうだよぼくが悪かったんだよ くやしいけど
  認めたくはないけどね

  君を忘れないよ でももういかなきゃ ストロベリーフィールズに
  すべては夢 本物はなにもない
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー 
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー
  ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー


ビートルズが1967年にリリースした14枚目のオリジナルシングル。アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録された。

歌詞は難解だが、ストロベリーフィールズが孤児院の名だとわかれば、腑に落ちるところがある。この歌は、孤児院に送られる少年の孤独な気持ちを歌ったもののようなのだ。

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「れいわ新選組」と山本太郎が今やるべきこと

「castibg vote」は、賛否同数の時に議長の投じる一票が原義のようだ。つまり、「キャスティングボートを握る」とは、そういう存在になることである。「ボート」は「boat」ではなく「 vote」だ。
非常に極端な場合を考えたら、たった一人の議員でも、政策の決定権を握る場合もありうるわけである。それが5人くらいもいたら、大きな存在だろう。で、れいわ新選組はとりあえずそのくらいの議員数はあったと思う。これは、次の選挙で与野党が同数くらいになった場合は重要な存在になる。
従って、れいわ新選組がやるべきことは「民衆啓蒙」であると私は思う。常に啓蒙活動をやり続け、議論を起こすことである。そして野党支持者全体の数を増やすことだ。
自公維新の悪政への批判は当然だが、既存メディア自体(ほぼ全体)が敵であるという前提に立たねばならない。とすれば、絶対に必要なのは、何より「自前のメディア」を持つことだろう。メディアと言っても、ユーチューブの利用でいい。それも複数持つのがいい。議員全員がユーチューバーになり、毎回ゲストを迎えて対談すればいい。これは自民党の西田昌司議員のものなどが参考になる。
共産党と交渉し、合同してお互いの党名を変更するのも「あり」だろう。(毎度言うが、共産党は政党としての骨太さはあると思うが、現体制の頭が時代に合わないと思う。)
いや、極端な話、「参政党」などの「新右翼」政党との合併があってもいいと思う。それこそが、下の記事で飛鳥氏の言う「妥協」ではないか。そもそも山本太郎もれいわ新選組も左翼政党でも何でもないのだから。(反与党を「左翼」扱いするのが日本のマスコミでありネット言論であるだけだ。)
なお、私は「れいわ新選組」という党名はダメダメだと最初からこのブログで言っている。元祖の新選組自体が単なる立身出世願望から生まれたテロリスト集団でしかなく、時流に逆らって滅びた存在という縁起の悪い名前だからだ。「れいわ」と時代を限定したのもダメだろう。
まずは山本太郎と大石あき子(だったか?)のコンビでユーチューブを始めたらどうか。大石議員は可愛いから、アシスタントに適役である。山本太郎の喋りの上手さは、お墨付きありだろうが、早口すぎるので、視聴者の頭の回転に合わせて喋ることが大事だと思う。ゲストには右翼や保守主義者の論客も招いて議論するといい。議論に負けることを怖れる必要はない。既に、既成メディアの弾圧を受けているのだから、これ以上政治的に不利になることはない。


(以下「反戦な家づくり」から引用)




民主主義はいのちを守る妥協の技術(れいわ新選組への手紙)

1339年から1453年まで、実に120年ちかくにわたって、イギリスとフランスは戦争していました。いわゆる100年戦争です。
その後も、イギリスでは30年間のバラ戦争、フランスは60年間も神聖ローマ帝国と戦争を続けています。
それが一段落したかと思ったら、1618年から1659年までいわゆる30年戦争で、ヨーロッパ大戦がくり広げられます。
ざっくり言えば、14世紀から17世紀まで、ずっ~と戦争をしていたわけです。
今の日本にあてはめると、赤穂浪士が討ち入りしていた時代から今日まで、ずっと戦争をしているようなもんです。
どんなに国内がぐちゃちゃになったか、想像を絶します。
しかも、この時代の戦争は、王家の継承権をめぐる争いで、民衆にとってはいかなる意味においても何の利益もないのです。
この血塗られた300年間が、英仏を民主主義の魁(さきがけ)としたことに無関係なわけがありません。
17世紀において、国民の国家という概念が生まれ、啓蒙思想、社会契約論、そして民主主義が生まれます。
300年にわたる戦争への恨みと、ボロボロになった社会でなんとかして生き延びるための知恵、それは妥協です。
自分にとっての正義をどこまでも振りかざせば、何百年も戦争が続いてしまう。それをしないためには、妥協をするしかない。どうにかして落とし所をみつける妥協の技術。戦争でボロボロになるよりは、悔しいけれど妥協を納得するための技術。それこそが民主主義だったのです。
■戦後民主主義という幻想
ところが、日本においては、民主主義は全く違う形で根付いてしまいました。
米国様にいただいた「戦後民主主義」です。
最低最悪の侵略と敗戦から、血と涙で自ら民主主義をつくり出すかわりに、安直に「戦後民主主義」をプレゼントされてしまった日本。そのせいで、日本における民主主義は「生きるための苦渋の選択」「命を守る妥協の技術」ではなく、ほんわかした理想の姿として舞い降りてしまったのです。
それを信じ込んだ「革新」と、そのカラクリを知っている「保守」が、見せかけの対立構造を作る55年体制において、万年野党と自民党独裁が続きます。
そんな民主主義幻想と表裏一体の自民党独裁を壊したのが、小沢一郎です。
彼は、常々「日本に民主主義を根付かせる」と言い続ける民主主義原理主義であると同時に、民主主義の本質を理解していました。
決して理想ではなく、よりよい明日にするための妥協の技術としての民主主義をなんとか実現しようとし、ついに2009年の政権交代までこぎ着けます。
しかし、かれのプロパガンダの拙さという恨みも残しつつ、オザワイズムはほとんんど理解されることなく、民主党執行部の変節と裏切りにより、民主主義は幻想の彼方へ追いやられ、万年野党と自民党独裁の時代が舞い戻ってしまいました。
■れいわ新選組
日本における民主主義革命が崩壊した2012年以降、唯一の希望は山本太郎によるれいわ新選組の立ち上げでした。
小沢一郎を師とあおぎ、ともに自由党の共同代表をつとめた山本太郎は、小沢の説く本来の民主主義を理解していました。
私自身が太郎さんをウォッチし、ときに直接話をした実感から、それは間違いないと思います。
だから、2019年のれいわ新選組立ち上げには、無謀だと思いながらも大いに期待し、自分でもできるだけのことはやりました。
結果、220万票を獲得。大躍進ではあるけれども、目標の2/3という微妙な結果になります。
れいわ新選組の迷走は、ここから始まった、と私は見ています。
政治にも人生にも絶望していた人が、れいわ新選組に期待して立ち上がった2019年のれいわ新選組一揆は、私自身が身をもって体感したので、ウソではないと分かります。
その一方で、3年間で3度の国政選挙を経ても、その220万人から一歩も広がっていないことも事実です。
ハッキリ言えば、れいわ新選組の戦略ミスと言わざるを得ません。
ここからは、れいわ新選組支持者の皆さんから袋だたきにされるかも知れませんが、それでもれいわ新選組と山本太郎に期待するからこそ、書き続けます。
れいわ新選組の迷走と戦略ミスは、220万を失いたくないばかりに、次の一歩に進んでいけないということです。
自由党から独立したことで、澎湃(ほうはい)と湧き上がってきた220万人の支持者は、ある意味で「純粋れいわ新選組」であり、妥協を許さない「れいわ新選組の理想」を支持する人々です。
れいわ新選組が「共闘」とか「妥協」のような素振りを見せるやいなや、愛想を尽かして去ってきかねません。
れいわ新選組と山本太郎は、220万人を守ることを優先してしまいます。
いつ実現できるのかわからない理想を掲げ、政権交代という言葉はいつの間にか霧散消滅し、その純粋理想主義についてきてくれる220万人に支持されるための政党になっていきます。
しかし、多くの有権者は現実的です。
政権取れる可能性の全く見えない政党の言うことには、なかなか耳を貸してはくれません。
220万の壁を大きく越えられないのは、必然なのです。
■れいわ新選組が躍進するためには
政党が躍進するためには、大きく三つの要素があると考えています。
ひとつは、多くの人に支持される政策を掲げること
ふたつは、それが実現できるかも、というリアリティを感じさせること
みっつめには、キャスティングボートをにぎること
れいわ新選組は、ひとつめは微調整で十分です。
決定的に欠けているのが、二つ目と、三つ目です。
政策のリアリティとは、すなわち政権交代のリアリティです。
いい政策であるほど、政権交代しなければ実現しないことは、有権者は痛いほど分かっています。
「れいわ新選組を支持しない有権者はバカだ」的な議論もれいわ新選組支持者の間に見られますが、バカはっどっちだと自省する必要があります。
あのフランス革命の時代でも、政権を握ったのは「平原派」別名「沼沢派」というどっちつかずの中道派を獲得した勢力なのです。
ゆるゆるの中道派を罵倒し、ダメな野党と罵っているだけでは、政権は握れません。
少しでも自前の政策を貫きつつ、なんとかして中道派を獲得すること、少なくとも全力でその努力をしていることを、有権者に見せること、それが、今れいわ新選組に求められることです。
キャスティングボートは、より妥協の度合いが大きくなります。
政策実現にむけてという意味では、まだ今のれいわ新選組は小さすぎてキャスティングボートも握ることはできません。
それでも、それぞれの政策や、それぞれの選挙区など、個別事情の中ではそういう重みをもって交渉できる場面はゼロではありません。
少々妥協してでも実をとる。政権交代に近づける。
今のれいわ新選組には、そういう意識がまったく感じられません。
根拠なしの「がんばれば勝てる」は 神風特攻隊の精神です。
今のれいわ新選組を見ていると、そのような危なっかしさを感じざるを得ません。
■ガス抜きではない本当の民主主義を
「国会のパフォーマンスでガス抜きではダメなんだ」、と言って山本太郎はれいわ新選組を立ち上げたはずです。
その根本に立ち戻ってもらいたい。
220万の支持者に、民主主義とは何なのか、本当に人々を救うためにはどうすべきなのか、怖がらず、諦めず語りかけ、ともに学ぶことが、れいわ新選組と山本太郎に求められている。私はそう考えます。
再度言います。民主主義は、膨大な人類の血をもって生み出された妥協の方法です。命を守るための技術です。理想でも正義でもありません。
だからこそ、危機に瀕するかけがえのない命を守れる可能性があるのです。
絵に描いた餅は、誰の命も救うことはできません。
このまま220万人の仮想都市の城壁の中で生き延びるのではなく、理想を高く掲げつつ、大胆に現実世界に突き進んでもらいたい。
太郎さん、2000万人にむかってダイブしませんか。

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愛することと「愛を求める」こと

先に孔徳秋水氏の言葉を引用しておく。なかなかの名言である。非常に当たり前のことを言っているのだが、なぜかこれまで誰も言わなかったことである。

(以下引用)


「愛を求める」行為は、


 


相手に「タダでよこせ」とおねだりする行為であり、


 


「カツアゲ」と大差ないのです。


 




(以下考察)

ホリエモンが、「何でもカネで買える。愛もカネで買える」と言ったことがあって、それは「愛」ではなく単なる肉体か奉仕作業の購入だろう、と思うのだが、あの臭そうな男に「百万円やるから俺を愛せ」と言われて愛する女性がいるのだろうか。純粋に愛するなら、カネを貰わなくても愛するだろうし、相手を不愉快に思うなら、百万円貰っても(寝ることはしても)愛することはできないだろう。むしろ、「百万円やる」と言われたら侮辱だと思うのではないか。
まあ、何とかいう成金の恋人になって捨てられてタレント生命を失った女性タレントもいたが、あれは「カネで体を売った」のか、それとも本気で愛したのか。後者なら、気の毒な話である。男のほうは相手を単なるブランド物の女体としか見ていなかったわけで、女性の側からは、愛とは奉仕であることを示す話になったようだ。そこで損得勘定をするのがビジネスマン、ビジネスウーマンで、この場合、男はビジネス的に性交、いや成功し、女は完全に失敗したわけである。

さて、「愛を求める」という、不思議な行為について考えてみる。「愛を求める」とは「私を愛しろ」と要求する行為だが、そういうことができるのは、凄い精神だな、と思う。
それは相手に愛されるに足る特質や長所が自分にある、という前提、確信があってのことなのか。それとも、「自分は相手より上だから、それを要求する権利がある」という判断なのか。それとも「自分には何もないけど、愛してほしい」ということなのか。たとえば、自分の価値がゼロで、相手の価値が100の場合、「それでも自分を愛してほしい」と思う精神は、なかなかの勇者の精神だ。
相手の「愛」が、乞食への施しのようなものでも、愛されればいいのだろうか。(まあ、そういうのもあってもまったくおかしくはないのだが。たとえば、三島由紀夫の「綾の鼓」のように、醜く貧しい老人が絶世の美女に恋をしたような状況である。)だが、その「施し」は、本当に愛かと言えば、そうではないだろう。愛される要素がゼロの相手に愛を施す場合、それは慈善行為であって、恋愛ではない。ここまで語ってきた「愛」は恋愛の話なのである。

もっとも、この考察は愛を経済的に捉えすぎているのであり、「愛は盲目である」という昔からの俚諺もあるので、この論考自体が愚論ではあるだろう。まあ、冗談論文である。



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一滴の露の中にも宇宙はある

一昨日図書館から借りた本のうちの「悲しみよこんにちわ」がなかなか面白くて読書継続中だが、昨日は同じ日に借りた恩田陸の「チョコレートコスモス」という500ページもの長編小説を何の気なしに読んでみたら、あまりに面白くて、昨日から今朝にかけて(寝ている時間を除いてだが)読破してしまった。実は、私は恩田陸という作家はさほど好みの作家ではない。ホラー系統の作品が多いイメージだからだが、作家的力量は現役作家の中でも最高級のレベルだろうとは思っている。
サガンの200ページ足らずの小説を読むのに数日かけているのに、恩田陸の500ページの小説を6時間くらいで読んでしまうのは、両者の小説的性質が違うからだろう。サガンのものは、映画的詩情を味わいながら読むもので、恩田陸のこれは、「ガラスの仮面」を一気読みするようなものだ。つまり、後者は「小説エンジン」(読者を先へ先へと引っ張る力)が強烈なのである。
なぜ「ガラスの仮面」を引き合いに出したかというと、これが演劇の世界を扱い、演劇世界でのライバルとの戦いと友情を描いているからである。正直言うと、作中での演劇的課題の難問性は、解答不可能であり、それへの回答(正解)も私のようなひねくれものには「はたして、それが本当に正解と言えるのか」という疑問を持たされはするが、まあ、演劇にはまったく無知な素人なのだから、細部細部の描写の面白さを楽しめばよい。演劇的難問とその解答・回答というのは「ガラスの仮面」でも何度も出てきて、その回答(正解)に読者が首をひねるのも、同じだろう。
まあ、要するに、面白さ抜群の小説であるが、個人で買う資力の無い人は、近くの図書館で探してみることをお勧めする。欠点は「チョコレートコスモス」というタイトルが意味不明(最後に説明される)で、たいていの人は魅力を感じないだろうということと、装丁が「ホラー小説」的であることだ。内容と完全に乖離した装丁で、これは装丁者が小説内容を知らないで作ったか、あるいは出版社が「恩田陸=ホラー小説」という定番扱いで売ろうとした出版戦略のミスだろう。正直言って、手元に置きたくない装丁である。装丁者は平野甲賀という、有名な人だ。

(以下引用)書評を見てみると、「ガラスの仮面」を引き合いに出している人が多かった。やはりそう思う人がほとんどなのだろう。演劇の世界の話だからではなく、「演劇バトル」の話だからではないか。なお、「蜜蜂と遠雷」という作品のことを言っている人も多い。


『蜜蜂と遠雷』の演劇版というイメージ。でも出版されたのはこの本が先なので、『蜜蜂と遠雷』は『チョコレートコスモス』の進化版といったところでしょうか。演劇は殆ど観たことはなく、全くの素人なので理解しづらいところはありましたが、オーディションで初心者の飛鳥が人気俳優の響子と共演する場面は感動ものでした。やっぱり恩田さんは表現が上手い…物語に吸い込まれてしまいます。オーディションの演題となった『開いた窓』や『欲望という名の電車』の内容を知っていればもっと楽しめたのかな。飛鳥のその後がとても気になりました。


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医師が処方する危険な薬

長い記事で画像も多いので、かなり省略する。気になる人は元記事参照のこと。

(以下「大摩邇」から引用)

薬で病気になる理由

ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n5a462aa7787e
<転載開始>

50代女性
「10年ほど前に血栓症と言われて、それ以来ワーファリン(抗凝固薬)とアトルバスタチン(コレステロール降下薬)を飲んでいます。あと胃薬も。
でも最近こういう薬が体に悪いと知って、それで主治医に薬をやめたいと言いました。すると、「やめるといろいろ病気になるけど覚悟の上か?」と聞かれて、怖くなって「やっぱり続けます」と。
と言ったものの、やっぱりやめたいんです。どうにか上手にやめる方法はないでしょうか。
コレステロールは放っておくと200いくつとか高くて、家族性高コレステロール血症だと言われています。「そのせいで血栓ができやすいんだ」と。
子供のときから虚弱でした。頭痛持ちで、風邪を引けばすぐ薬を飲むようなタイプ。抗生剤とか痛み止めとか、今でこそ極力使わないようにしてますけど、若いときは遠慮なく飲んでいました。
毎年職場の検診で心電図の異常を指摘されたり、おまけにLDLも高かったりするので、ワーファリンとスタチンだけは仕方がないのかなという思いもありますが、何とかなりますか?」



ワーファリンは飲んではいけない薬の代表格です(というか、飲んでもいい薬というのは基本的にありません)。


画像

ワーファリンは1930年代に干し草から単離され、1948年に殺鼠剤として販売されました。もちろん今でも売っています。


 

殺鼠剤として開発されてから10年も経たない1954年、同じ物質が抗凝固薬として認可されることになりました。
まず、素朴な感覚を大事にしてください。「飲んだネズミが死ぬ薬が、人間に無害である理屈があるだろうか?」と。医者は患者に薬を飲ませようとしてあれやこれやと理屈を言いますが、この素朴な直感のほうが正しいことが多いものですよ。

ワーファリンはどのようにして抗凝固作用を発揮するのか?
体内には凝固因子(Ⅱ、Ⅶ、Ⅸ、Ⅹ)というのがあって、これは医学部で必ず習います。国家試験にもよく出るので、医学生はこの凝固因子を「肉納豆」(2、9、7、10)とゴロ合わせで覚えているものです。
これらの凝固因子は皆、分子構造のなかにグルタミン酸を含んでいます。このグルタミン酸基に対して、γグルタミルカルボキシラーゼという酵素が作用して、カルボキシル基をくっつける。この反応をGla化といいます。
活性のない凝固因子はGla化されることで初めて活性を得て、凝固作用を持ちます。このGla化には、ビタミンKが電子供与基として関わっています。




電子を供与したビタミンK(酸化型ビタミンK)を、再び還元するのがビタミンK還元酵素ですが、ワーファリンはこの酵素の働きをブロックします。
つまり、ワーファリンを飲んでいると、体内では還元型ビタミンKがどんどん減少していく。要するに、ビタミンK欠乏状態になります。するとどうなるか?
実はGla化されるのは凝固因子だけではありません。オステオカルシンという骨の代謝に重要なタンパク質もGla化されることで活性を持ちます。これは骨芽細胞から分泌されるタンパク質で、骨形成、血糖値安定、筋肉増強、記憶力増強など、いろんな作用がある。逆にいうと、ワーファリンを飲んでビタミン欠乏状態になりGla化が進まない、つまり、オステオカルシンが活性化されない状態が続くと、カルシウムを骨に定着させることができなくて骨粗鬆症になり、血糖値が乱れて糖尿病になり、筋肉がやせて認知力も低下する、という具合にろくでもないことになります。また、骨にとりこまれなかったカルシウムはプラークとして動脈の内壁に沈着して動脈硬化を促進することになる。
プラークが沈着して内壁が固くなり細くなった血管は、当然血栓がつまるリスクが増加する。


画像

ここには、要素還元主義に陥った医者の愚かしさがよく出ています。
医者は血栓症の患者に対して「ワーファリンは血栓予防薬です。これを飲んで、同じことがまた起こらないようにしましょう」などと言って服薬指導する。局所的な説明としては正しい。しかし全体としてみると間違っている。医学って本当、こういうことばかりですよ。


あと、スタチンも飲んではいけません。これについてはすでに過去記事で何度もお伝えしました。ただ、このビタミンKという文脈でいうと、実はワーファリンだけではなく、スタチンもビタミンKを減少させます





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作家の年齢と作品

会社勤めをしていた間、小説を「読む」(眼界に文字を通過させるのではなく書かれたことを考えながら読むのである。)心の余裕がほとんど無かったので、会社勤めをやめた今、本を読むのが二番目の娯楽である。一番の娯楽は考えることそのものだが、その思考は浮遊思考であるので、考えるというよりは妄念というべきか。
さて、昨日、市民図書館から借りてきて読んでいる途中の本が、フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちわ」で、そういう、男が手にするのも恥ずかしい本を堂々と借りることができるのも、下層階級爺の強みだ。これが上級国民だと、外聞を恥じてそういう行動もできないだろう。で、この本を読んでいると、なるほど世界的ベストセラーになるのも頷ける作品で、これを18歳(17歳?)で書いたのは凄いが、逆に言えば、18歳でしか書けない作品だとも思える。
一般に女性は早熟だと思うが、わずか18歳でこれほどの人間心理洞察ができたのは凄い。フランスは、男でもアルチュール・ランボーやレイモン・ラディゲのように早熟の天才が生まれる国のようで、その原因は、私の推測だと「目上や年上の人間への畏敬や畏怖の念をまったく持っていないから」だろうと思う。つまり、「思考の足かせ」が無いから、現実がありのままに見えるのである。ついでに言えば、思想性の強い本を若いころから読むのも「思考の足かせ」になる。

ただし、18歳の「天才」がその後偉大な作家になった例は無いようだ。つまり、18歳で書いた「傑作」は、18歳だから書けたということもあり、その後の成長は保証しないどころか、むしろ年齢とともに才能が逓減するのではないか、と思う。

これも単なる推測だが、フランス人が「上の存在」への畏敬や畏怖の念を持たなくなったのは、フランス革命を経験したためだろうと思う。つまり、自分たちを抑えつけ縛り付ける存在(王侯貴族や封建的社会制度)が、まったく尊敬にも畏怖にも値しない屑だったということを経験し、それが国民精神になったのだと思う。これは「平等」ではなく「対等」の精神だろう。つまり、外的条件に関わらず、精神においては相手と同じ平面で対峙する精神である。


(以下引用)

悲しみよこんにちは

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

悲しみよこんにちは』(かなしみよこんにちは、フランス語Bonjour Tristesse ボンジュール・トリステス)は、1954年に発表されたフランス作家フランソワーズ・サガン小説。サガンが18歳のときに出版された処女作である。題名はポール・エリュアールの詩「直接の生命」の一節から採られている。17歳の少女セシルがコート・ダジュールの別荘で過ごす一夏を描く。22か国で翻訳され、世界的なベストセラーとなった。ル・モンド20世紀の100冊の1つに数えられる。


日本へは 1955 年に朝吹登水子の翻訳により紹介され[1]、2008 年には河野万里子による新訳が発表された[2]


1957年に映画化され、ジーン・セバーグがセシルを演じた(映画『悲しみよこんにちは』参照)。その際の短い髪型が流行し「セシルカット」と呼ばれブームになった。


また、日本では、1967年に舞台を那須高原に置き換えた、梓英子主演のテレビドラマが制作されている。

あらすじ[編集]

18歳になるヒロインのセシルとやもめである父のレエモン、その愛人のエルザはコート・ダジュールの別荘で夏を過ごしていた。セシルは近くの別荘に滞在している大学生のシリルと恋仲になる。そんな彼らの別荘に亡き母の友人のアンヌがやってくる。アンヌは聡明で美しく、セシルもアンヌを慕う。だが、アンヌと父が再婚する気配を見せ始めると、アンヌは母親然としてセシルに勉強のことやシリルのことについて厳しく接し始める。セシルは今までの父との気楽な生活が変わってしまったり、父をアンヌに取られるのではないかという懸念に駆られ、アンヌに対して反感を抱くようになる。やがて、葛藤の末にセシルは父とアンヌの再婚を阻止する計画を思いつき、シリルと父の愛人だったエルザを巻き込んで実行に移す。アンヌは自殺とも事故とも取れる死に方をする。

登場人物[編集]

セシル(Cécile)
天真爛漫な17歳の少女。
レエモン(Raymond)
セシルの父。画家で放蕩な男。
エルザ(Elsa)
レエモンの愛人。物語の前半でレエモンと別れた。
アンヌ(Anne)
セシルの亡き母の友人。セシルの良き相談相手でもある。
シリル(Cyril)
レエモンの別荘の近くの家に滞在する青年。

改編作品[編集]

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譲れない戦い

少年漫画(バトル物)によくある「譲れない戦い」(笑)だが、どちらも譲らないとどちらもアウトである。

(以下引用)


1: キネオスポリア(大阪府) [US] 2023/08/17(木) 11:56:07.48 ID:Qg4kbjtL0
救急車と消防車が衝突 緊急走行中に けが人なし
https://news.yahoo.co.jp/articles/aeecf52442e31cab4d603a7070542d5b107e52b4

キャプチャ

東京・練馬区で、緊急走行中の救急車と消防車が衝突する事故があった。

練馬区豊玉中の交差点で16日、「救急車と消防車がぶつかった」と通報があった。

警視庁によると、救急車は患者を乗せていて、消防車も現場に向かう途中だった。

この事故によるけが人はなく、救急車に乗っていた患者は別の救急車で病院に搬送されたという。
3: ゲマティモナス(熊本県) [ニダ] 2023/08/17(木) 12:00:34.87 ID:jFWqAYnE0
ムズいな
人が乗ってるなら救急車優先か
4: 放線菌(ジパング) [CO] 2023/08/17(木) 12:00:47.02 ID:umI3I2n80
譲れないものがあったんだろ
6: アシドバクテリウム(茸) [US] 2023/08/17(木) 12:02:38.15 ID:lUdOsjOt0
パトカーとならまだわかるけど身内で何やってんだかな
8: ヒドロゲノフィルス(千葉県) [ニダ] 2023/08/17(木) 12:09:51.21 ID:9ue8Rd8E0
こういう場合ってどっちが譲るもんなんだろう
7: デスルフォバクター(茸) [US] 2023/08/17(木) 12:09:40.44 ID:5fIld+s70
両方とも緊急車両だと道交法的な優先順位は無く(警察庁の見解)、特に取り決め等は無いとの事(消防庁の見解)
10: ゲマティモナス(熊本県) [ニダ] 2023/08/17(木) 12:10:57.17 ID:jFWqAYnE0
>>7
そうなんだー
でも決めといた方がいいのでは
25: デスルフォバクター(茸) [US] 2023/08/17(木) 12:23:54.07 ID:5fIld+s70
>>10
その場の交通状況によって現場で柔軟に対応しろって事らしい
赤信号で突っ込む方は徐行してる筈だから青信号の方を先に行かせる等々
13: クトノモナス(東京都) [US] 2023/08/17(木) 12:12:53.02 ID:rkxcLqcc0
これは盲点w
19: プランクトミセス(光) [IN] 2023/08/17(木) 12:19:17.51 ID:d7cO5Gqj0
とんちかな?
31: フィンブリイモナス(SB-Android) [US] 2023/08/17(木) 12:28:11.96 ID:U+m2dlQB0
左方優先しかないだろ
43: テルムス(ジパング) [PL] 2023/08/17(木) 13:24:42.10 ID:2CX2GZi40
信号のある交差点だから青信号の方が優先だよ
47: デスルファルクルス(富山県) [IT] 2023/08/17(木) 13:47:46.41 ID:XUGI6n+y0
救急車が、搬送者乗せてるなら無理はしてないはずなんで、消防車が突っ込んでブツケたんだろうな
50: ミクロコックス(東京都) [US] 2023/08/17(木) 13:55:00.31 ID:mXIiT9iE0
>>47
救急車のフロント部分が破損してたよ

56: テルモアナエロバクター(東京都) [GB] 2023/08/17(木) 14:10:51.37 ID:Fb8xRrpv0
お互いのサイレンで気づかなかったんか?
66: ニトロスピラ(ジパング) [GB] 2023/08/17(木) 14:50:16.99 ID:bPPG0j7t0
譲れない戦いだな

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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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