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「いらないもの」を切り捨てる社会

「内田樹の研究室」から転載。
実は、この文章から触発されて50行ほどの文章を書いてあったが、パソコンの操作ミスで消してしまった。(追記:実は書きかけ状態で投稿してしまった、というのが正しい。ひとつ前にすでにUPされていた。それで、下の「傑作論文だったのに」が嘘であることもばれてしまった。(笑)まあ、既に人目に触れたからには、今更削除することもないだろう。内田樹の文章は同じなので、同じのを二度読まされたと怒る人には謝っておく。しかし、これは重要な文章なのだから、何度読んでもいいのだよ。)
それは、「近代合理主義とは切り捨て主義である」ことと、「切り捨てによって我々の生活は精神的に貧困になっている」という趣旨の文章だったが、まあ、下の引用文章でもその趣旨の想像はつくだろう。
私の文章は傑作論文だったのに(笑)、残念だ。
題名だけでも書いておくと「捨てない技術」というものである。(追記:これも嘘であった。そうつけようかな、と思っているうちに、うっかり別題のまま投稿ボタンを押したのだ。)


(以下引用)


『七人の侍』の組織論




どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。
これはなかなか興味深い問いである。
前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。
その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。
どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。
あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。
必ずいる。
全員が標準的なアチーブメントをする集団などというものは存在しない。
存在する意味がないから、「作ろう」と思っても作れない。
あらゆる集団はその成員の標準的なアチーブメントに及ばない「マイナーメンバー」を含んでいる。
幼児や老人や病人や障害者は集団内では支援を与えることより、支援を受けることの方が多い。
けれども、これらの「マイナーメンバー」を支援するときに、「自分は損をしている」というふうに考える人間には共同体に参加する資格がない。
あらゆる人間はかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人となり、心身に傷を負う。
だから、集団のすべての構成員は時間差をともなった「私の変容態」である。
それゆえに集団において他者を支援するということは、「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援することに他ならない。
過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できることを喜びとすること。
そのような想像力を用いることのできない人間には共同体を形成することはできない。
申し訳ないが、コレクティブ・ハウスというコンセプトはたぶん成功しないだろうと申し上げる。
それはそこに参加する人間の「現時点での利便性」にもとづいて選択された共同体だからである。
そこには「歴史を貫いて維持しなければならない共同体」の統合軸がない。
共同体に蓄積された資産を「次世代への贈り物」であると考えることのできない集団は短期的に崩壊する。
「では、どんな共同体なら生き延びられるのですか?」と重ねて質問があったので、ちょっと考えてから、こうお答えした。
教育のための共同体、医療や介護のための共同体、それから宗教の共同体くらいでしょうか。
とっさの返事にしては、なかなか適切だったように思う。
これら三つの共同体はどれも共通した特徴を持っている。
それは「構成員のうち、もっとも非力なもの」を統合の軸にしているということである。
教育共同体は若く非力な人々に知識や技芸を伝授し、成熟に導くためのものである。医療共同体は病み、傷ついた人々を支援するためのものである。信仰共同体は隣人を慰め癒すためのものである。
そのような共同体だけが永続性を持ちうる。
集団成員のうちの相対的に有力なものに優先的に資源が配分されるような「弱肉強食」共同体は長くは続かない(いずれお互いの喉笛を掻き切りあうようになる)。
集団成員のうちのヴォリュームゾーンである「標準的な能力をもつ成員」の利便を最優先に配慮する「平凡」共同体も、やはり長くは続かない(全員が均質化・規格化して多様性を失ったシステムは環境変化に適応できない)。
もっとも耐性の強い共同体とは、「成員中のもっとも弱いもの」を育て、癒し、支援することを目的とする共同体である。
そういう共同体がいちばんタフで、いちばんパフォーマンスが高い。
これは私の経験的確信である。
それゆえ、組織はそのパフォーマンスを上げようと思ったら、成員中に「非力なもの」を意図的に組み込み、それを全員が育て、癒し、支援するという力動的なかたちで編成されるべきなのである。
その好個の事例が『七人の侍』における勝四郎の果たした役割である。
この七人の集団は考えられる限り最小の数で構成された「高機能集団」である。
その構成員はまず「リーダー勘兵衛」(志村喬)、「サブリーダー五郎兵衛」(稲葉義男)、「イエスマン七郎次」(加東大介)。7名中の3名が「リーダーが実現しようとしているプロジェクトに100%の支持を寄せるもの」である。この比率は必須。
「イエスマン」はリーダーのすべての指示に理非を問わずに従い、サブリーダーは「リーダーが見落としている必要なこと」を黙って片づける。
その他に「斬り込み隊長久藏」(宮口精二)と「トリックスター菊千代」(三船敏郎)もなくてはならない存在である。
自律的・遊撃的な動きをするが、リーダーのプランをただちに実現できるだけの能力をもった「斬り込み隊長」の重要性はすぐにわかるが、「トリックスター」の組織的重要性はあまり理解されていない。
トリックスターとは「二つの領域にまたがって生きるもの」のことである。それゆえ秩序紊乱者という役割を果たすと同時に、まさに静態的秩序をかきみだすことによって、それまでつながりをもたなかった二つの界域を「ブリッジ」することができるのである。
菊千代は「農民であり、かつ侍である」というその二重性によって、絶えず勘兵衛たちの「武士的秩序」を掻き乱す。だが、それと同時に外見は微温的な農民たちの残忍なエゴイズムを自身のふるまいを通じて開示することによって、農民と侍のあいだの「リアルな連帯」を基礎づける。
七人の侍のうち、もっとも重要な、そして、現代においてもっとも理解されていないのが、林田平八(千秋実)と岡本勝四郎(木村功)の役割である。
平八は五郎兵衛がリクルートしてくるのだが、五郎兵衛は自分がみつけてきた「まきわり流を少々」という平八をこう紹介する。
「腕はまず、中の下。しかし、正直な面白い男でな。その男と話していると気が開ける。苦しい時には重宝な男と思うが。」
五郎兵衛の人事の妙諦は「苦しいとき」を想定して人事を起こしていることにある。
私たちは人を採用するとき、組織が「右肩上がり」に成長してゆく「晴天型モデル」を無意識のうちに前提にして、スキルや知識や資格の高いものを採用しようとする。
だが、企業の経営をしたことのある人間なら誰でも知っていることだが(「麻雀をしたことがある人間なら」と言い換えてもよい)、組織の運動はその生存期間の過半を「悪天候」のうちで過ごすものである。
組織人の真価は後退戦においてしばしば発揮される。
勢いに乗って勝つことは難しいことではない。
勝機に恵まれれば、小才のある人間なら誰でも勝てる。
しかし、敗退局面で適切な判断を下して、破局的崩壊を食い止め、生き延びることのできるものを生き延びさせ、救うべきものを救い出すことはきわめてむずかしい。
「苦しいとき」においてその能力が際だつような人間を採用するという発想は「攻めの経営」というようなことをうれしげに語っているビジネスマンにはまず宿らないものである。
けれども、実際に長く生きてきてわかったことは、敗退局面で「救えるものを救う」ということは、勝ちに乗じて「取れるものを取る」ことよりもはるかに困難であり、高い人間的能力を要求するということである。
そして、たいていの場合、さまざまの戦いのあとに私たちの手元に残るのはそのようにして「救われたもの」だけなのである。
勝四郎の役割が何であるかは、もうここまで書いたからおわかりいただけたであろう。
彼は「残る六人全員によって教育されるもの」という受け身のポジションに位置づけられることで、この集団のpoint de capiton (クッションの結び目)となっている。
どんなことがあっても勝四郎を死なせてはならない。
これがこの集団が「農民を野伏せりから救う」というミッション以上に重きを置いている「隠されたミッション」である。
なぜなら、勝四郎にはこの集団の未来が託されているからである。
彼を一人前の侍に成長させること。そのことの重要性については、この六人が(他の点ではいろいろ意見が食い違うにもかかわらず)唯一合意している。
それは自分のスキルや知識を彼のうちに「遺贈」することによって、おのれのエクスペンダブルな人生の意味が語り継がれることを彼らが夢見ているからである。
勝四郎の存在意義は『マッドマックス2』におけるブーメランを操る野生児フェラル・キッドの説話的機能と相同的である。
『マッドマックス2』のラストシーンでは、夕陽を背に浴びて道路に立ち尽くすマックスのショットに、キッドのナレーションが入る。「私はその後、北の部族のリーダーとなった。年老いた今では昔の記憶はもはやおぼろげである。けれども、あのとき荒野に立ち尽くしていたマックスの姿だけは決して忘れない」
これは実はキッドのナレーションではない。
マックスが荒野に立ち尽くしたときに、「自分が死んだあとに長く語り継がれている自分についての伝説」を想像的に先取りしたものを「幻聴」しているのである。
なぜなら、「そうでもしなけりゃ、やってられない」からである。
車は壊すは、片足は折るわ、片目はつぶれるわ、ガソリンはないわ、食い物はないわ状態で荒野に放置されたマックスが「次の一歩」を歩み出すためには、「荒野にすっくと立ち尽くすヒーローについての物語」を語り継ぐであろう「次世代」を先取りする想像力が不可欠なのである。
同じ仕掛けは『マッド・マックス・サンダードーム』でも繰り返されている。
マックスのあの異常なバイタリティを担保しているのは、この「幻聴」能力だったのである。
知らなかったでしょ(私も今まで気づかなかったけど)。
『七人の侍』に話を戻すと、勝四郎は(フェラル・キッドと同じく)、六人の侍が死んだあとに、彼らについての「伝説を語り継ぐ者」という機能を先取り的に賦与されているのである。
それゆえ、勝四郎が生き残り、末永く「侍たちのこと」を回想してもらうということは、六人にとって「こんなところで犬死にするリスク」を冒すために譲れない条件だったのである。
勘兵衛はそれを洞察したからこそ、勝四郎を仲間に加えることを許した。
それはこの戦いで「たぶん我々はみな死ぬだろう」と勘兵衛が思っていたからである。
侍だから戦いで死ぬのは構わない。だが、できるものなら最高のパフォーマンスを発揮した上で死にたい。そのための条件を考えて、勘兵衛はこの七人を選んだのである。
話をいきなり現代に戻すが、当今の企業の人事担当者の中には「平八」と「勝四郎」の重要性どころか、「菊千代」の重要性さえ理解していない人間が多い(というかほとんどそうか)。
リーダーとイエスマンと斬り込み隊長だけで「効率的な」組織を作ろうとしている経営者がマジョリティである。
そういう時代に就活をしなければならない学生たちがほんとうに気の毒である。
もっとも集団のパフォーマンスを高めるのは「若く、非力な」成員を全員で「支援し、育て、未来に繋ぐ」という仕組みをビルトインさせたシステムであるという「当たり前」のことをビジネスマンたちは忘れている。

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「不要なもの」は本当に不要か

「内田樹の研究室」の今日の記事が面白いので、全文転載する。
少し前から、近代合理主義の欠陥、つまり「重要部分だけを残し、それ以外の細部を切り捨てることで目的に最短距離で達する」という考え方が、現代人の生活がどんどん不幸になっている根本原因なのではないか、と考えているが、それは内田樹の考え方に触発されたものかもしれない。もっとも彼はそれを近代合理主義のせいだとは言っていないが。

少しだけ説明する。たとえば、我々が一瞥で見ている情景は膨大な情報を含んだアナログなものである。ところが、我々はその中から、自分に必要な情報だけを選択し、それ以外は意識から切り捨てる。たとえば、時計が今何時である、というような情報だ。その時、時計自体の色も形も、その背後の壁も部屋の様子もすべて無視されることになる。
別の例。人間関係でいえば、「この人間は自分にとって利益となる相手」だと思えば、その人との関係だけを継続し、それ以外の人間とはおざなりな付き合いだけをする。
現代人の生活とはそういうものである。だが、それによって切り捨てられたすべては、実は我々の生活を豊饒にする可能性を持っていたのではないだろうか。
そして、そういう「効率性」と「合理性」が生活習慣となると、それ以外の生活方法は自然に不可能になっていくのである。
今日は暇だから自然でも眺めよう、などと思っても、「すべてを無目的に見る」ということは、ほんの数分もできなくなるのである。
これは些細な例だが、こうした「切り捨て」は個人のみならず社会全体を貧相なものにし、見かけの豊かさとは逆に、空しい社会を作っていくのではないだろうか。

まあ、下記記事はそういう風に考えを発展させてくれる文章だ。少し前の「生活保護叩き」の根本点に関連する話でもある。



(以下引用)


『七人の侍』の組織論




どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。
これはなかなか興味深い問いである。
前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。
その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。
どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。
あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。
必ずいる。
全員が標準的なアチーブメントをする集団などというものは存在しない。
存在する意味がないから、「作ろう」と思っても作れない。
あらゆる集団はその成員の標準的なアチーブメントに及ばない「マイナーメンバー」を含んでいる。
幼児や老人や病人や障害者は集団内では支援を与えることより、支援を受けることの方が多い。
けれども、これらの「マイナーメンバー」を支援するときに、「自分は損をしている」というふうに考える人間には共同体に参加する資格がない。
あらゆる人間はかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人となり、心身に傷を負う。
だから、集団のすべての構成員は時間差をともなった「私の変容態」である。
それゆえに集団において他者を支援するということは、「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援することに他ならない。
過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できることを喜びとすること。
そのような想像力を用いることのできない人間には共同体を形成することはできない。
申し訳ないが、コレクティブ・ハウスというコンセプトはたぶん成功しないだろうと申し上げる。
それはそこに参加する人間の「現時点での利便性」にもとづいて選択された共同体だからである。
そこには「歴史を貫いて維持しなければならない共同体」の統合軸がない。
共同体に蓄積された資産を「次世代への贈り物」であると考えることのできない集団は短期的に崩壊する。
「では、どんな共同体なら生き延びられるのですか?」と重ねて質問があったので、ちょっと考えてから、こうお答えした。
教育のための共同体、医療や介護のための共同体、それから宗教の共同体くらいでしょうか。
とっさの返事にしては、なかなか適切だったように思う。
これら三つの共同体はどれも共通した特徴を持っている。
それは「構成員のうち、もっとも非力なもの」を統合の軸にしているということである。
教育共同体は若く非力な人々に知識や技芸を伝授し、成熟に導くためのものである。医療共同体は病み、傷ついた人々を支援するためのものである。信仰共同体は隣人を慰め癒すためのものである。
そのような共同体だけが永続性を持ちうる。
集団成員のうちの相対的に有力なものに優先的に資源が配分されるような「弱肉強食」共同体は長くは続かない(いずれお互いの喉笛を掻き切りあうようになる)。
集団成員のうちのヴォリュームゾーンである「標準的な能力をもつ成員」の利便を最優先に配慮する「平凡」共同体も、やはり長くは続かない(全員が均質化・規格化して多様性を失ったシステムは環境変化に適応できない)。
もっとも耐性の強い共同体とは、「成員中のもっとも弱いもの」を育て、癒し、支援することを目的とする共同体である。
そういう共同体がいちばんタフで、いちばんパフォーマンスが高い。
これは私の経験的確信である。
それゆえ、組織はそのパフォーマンスを上げようと思ったら、成員中に「非力なもの」を意図的に組み込み、それを全員が育て、癒し、支援するという力動的なかたちで編成されるべきなのである。
その好個の事例が『七人の侍』における勝四郎の果たした役割である。
この七人の集団は考えられる限り最小の数で構成された「高機能集団」である。
その構成員はまず「リーダー勘兵衛」(志村喬)、「サブリーダー五郎兵衛」(稲葉義男)、「イエスマン七郎次」(加東大介)。7名中の3名が「リーダーが実現しようとしているプロジェクトに100%の支持を寄せるもの」である。この比率は必須。
「イエスマン」はリーダーのすべての指示に理非を問わずに従い、サブリーダーは「リーダーが見落としている必要なこと」を黙って片づける。
その他に「斬り込み隊長久藏」(宮口精二)と「トリックスター菊千代」(三船敏郎)もなくてはならない存在である。
自律的・遊撃的な動きをするが、リーダーのプランをただちに実現できるだけの能力をもった「斬り込み隊長」の重要性はすぐにわかるが、「トリックスター」の組織的重要性はあまり理解されていない。
トリックスターとは「二つの領域にまたがって生きるもの」のことである。それゆえ秩序紊乱者という役割を果たすと同時に、まさに静態的秩序をかきみだすことによって、それまでつながりをもたなかった二つの界域を「ブリッジ」することができるのである。
菊千代は「農民であり、かつ侍である」というその二重性によって、絶えず勘兵衛たちの「武士的秩序」を掻き乱す。だが、それと同時に外見は微温的な農民たちの残忍なエゴイズムを自身のふるまいを通じて開示することによって、農民と侍のあいだの「リアルな連帯」を基礎づける。
七人の侍のうち、もっとも重要な、そして、現代においてもっとも理解されていないのが、林田平八(千秋実)と岡本勝四郎(木村功)の役割である。
平八は五郎兵衛がリクルートしてくるのだが、五郎兵衛は自分がみつけてきた「まきわり流を少々」という平八をこう紹介する。
「腕はまず、中の下。しかし、正直な面白い男でな。その男と話していると気が開ける。苦しい時には重宝な男と思うが。」
五郎兵衛の人事の妙諦は「苦しいとき」を想定して人事を起こしていることにある。
私たちは人を採用するとき、組織が「右肩上がり」に成長してゆく「晴天型モデル」を無意識のうちに前提にして、スキルや知識や資格の高いものを採用しようとする。
だが、企業の経営をしたことのある人間なら誰でも知っていることだが(「麻雀をしたことがある人間なら」と言い換えてもよい)、組織の運動はその生存期間の過半を「悪天候」のうちで過ごすものである。
組織人の真価は後退戦においてしばしば発揮される。
勢いに乗って勝つことは難しいことではない。
勝機に恵まれれば、小才のある人間なら誰でも勝てる。
しかし、敗退局面で適切な判断を下して、破局的崩壊を食い止め、生き延びることのできるものを生き延びさせ、救うべきものを救い出すことはきわめてむずかしい。
「苦しいとき」においてその能力が際だつような人間を採用するという発想は「攻めの経営」というようなことをうれしげに語っているビジネスマンにはまず宿らないものである。
けれども、実際に長く生きてきてわかったことは、敗退局面で「救えるものを救う」ということは、勝ちに乗じて「取れるものを取る」ことよりもはるかに困難であり、高い人間的能力を要求するということである。
そして、たいていの場合、さまざまの戦いのあとに私たちの手元に残るのはそのようにして「救われたもの」だけなのである。
勝四郎の役割が何であるかは、もうここまで書いたからおわかりいただけたであろう。
彼は「残る六人全員によって教育されるもの」という受け身のポジションに位置づけられることで、この集団のpoint de capiton (クッションの結び目)となっている。
どんなことがあっても勝四郎を死なせてはならない。
これがこの集団が「農民を野伏せりから救う」というミッション以上に重きを置いている「隠されたミッション」である。
なぜなら、勝四郎にはこの集団の未来が託されているからである。
彼を一人前の侍に成長させること。そのことの重要性については、この六人が(他の点ではいろいろ意見が食い違うにもかかわらず)唯一合意している。
それは自分のスキルや知識を彼のうちに「遺贈」することによって、おのれのエクスペンダブルな人生の意味が語り継がれることを彼らが夢見ているからである。
勝四郎の存在意義は『マッドマックス2』におけるブーメランを操る野生児フェラル・キッドの説話的機能と相同的である。
『マッドマックス2』のラストシーンでは、夕陽を背に浴びて道路に立ち尽くすマックスのショットに、キッドのナレーションが入る。「私はその後、北の部族のリーダーとなった。年老いた今では昔の記憶はもはやおぼろげである。けれども、あのとき荒野に立ち尽くしていたマックスの姿だけは決して忘れない」
これは実はキッドのナレーションではない。
マックスが荒野に立ち尽くしたときに、「自分が死んだあとに長く語り継がれている自分についての伝説」を想像的に先取りしたものを「幻聴」しているのである。
なぜなら、「そうでもしなけりゃ、やってられない」からである。
車は壊すは、片足は折るわ、片目はつぶれるわ、ガソリンはないわ、食い物はないわ状態で荒野に放置されたマックスが「次の一歩」を歩み出すためには、「荒野にすっくと立ち尽くすヒーローについての物語」を語り継ぐであろう「次世代」を先取りする想像力が不可欠なのである。
同じ仕掛けは『マッド・マックス・サンダードーム』でも繰り返されている。
マックスのあの異常なバイタリティを担保しているのは、この「幻聴」能力だったのである。
知らなかったでしょ(私も今まで気づかなかったけど)。
『七人の侍』に話を戻すと、勝四郎は(フェラル・キッドと同じく)、六人の侍が死んだあとに、彼らについての「伝説を語り継ぐ者」という機能を先取り的に賦与されているのである。
それゆえ、勝四郎が生き残り、末永く「侍たちのこと」を回想してもらうということは、六人にとって「こんなところで犬死にするリスク」を冒すために譲れない条件だったのである。
勘兵衛はそれを洞察したからこそ、勝四郎を仲間に加えることを許した。
それはこの戦いで「たぶん我々はみな死ぬだろう」と勘兵衛が思っていたからである。
侍だから戦いで死ぬのは構わない。だが、できるものなら最高のパフォーマンスを発揮した上で死にたい。そのための条件を考えて、勘兵衛はこの七人を選んだのである。
話をいきなり現代に戻すが、当今の企業の人事担当者の中には「平八」と「勝四郎」の重要性どころか、「菊千代」の重要性さえ理解していない人間が多い(というかほとんどそうか)。
リーダーとイエスマンと斬り込み隊長だけで「効率的な」組織を作ろうとしている経営者がマジョリティである。
そういう時代に就活をしなければならない学生たちがほんとうに気の毒である。
もっとも集団のパフォーマンスを高めるのは「若く、非力な」成員を全員で「支援し、育て、未来に繋ぐ」という仕組みをビルトインさせたシステムであるという「当たり前」のことをビジネスマンたちは忘れている。

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自分の思い通りに生きること

「マドモワゼル愛」さんのブログの今日の日記に素晴らしいことが書かれているので、転載する。
私は(愛さんには申し訳ないが)星占いなどはまったく信じていないが、占いというもの自体は有益だと思っている。それは、人が迷う時、あるいは自分自身の思考の枠の中に閉じ込められて打開の道を見つけられない時に、占いの言葉で新しい思案や発想が生まれたり、あるいは新しい道に踏み出す勇気やきっかけを与えられることがあるからだ。
要するに、「思考のガイド」の一つ、発想法のアイテムとして占いを使えばいいのである。通常の「マインドマップ」などの方法だと、思考素材が自分自身の通常の思考の内部に限定されているので、飛躍的発想は生みにくい。そこに「異物」を投入すると思考に飛躍性が生まれるわけだ。占いもその一つと考えればいい。ただし、占いを絶対視する人間には、こうした占いの使用法は不可能だ。
さて、マドモワゼル愛さんは、占い師としてというより、優れた見識を持った人間として私は高く評価している。世界政治や経済の見方が、優れているのだ。
そして、ここでは人生の生き方についても素晴らしい言葉を書いている。

ほとんどの人間の人生は、実はそのほとんどの時間を他人のために生きている。特に仕事はそうだ。労働というものは基本的に自分の時間を金のために切り売りすることであり、社会の中で生きるためには、それは仕方がないのだが、それが人の心をどんどんすさませる。ひどい場合には仕事のストレスから自殺したりする。
しかし、労働と遊びは実は行為自体は同じものである。プロ野球選手はシーズンオフにはゴルフをするが、そのゴルフは彼らには遊びだ。しかし、プロゴルファーにとってゴルフは仕事である。同じ行為が一方では遊びになり、一方では仕事になる。
はたして仕事とは何なのか。
会社経営者は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。だが、私などから見れば、これほど楽しい遊びはないだろうな、と思う。モノポリーをして遊ぶより、大会社を経営する方が楽しいに決まっている。
各都市の市長は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。それがつらいなら、やめればいいではないか。その後を継ぎたい人は無数にいる。
本当に仕事と言えるのは、苦痛に耐えることが絶対的に付随している活動だ。つまり、世間一般の社会の中下位の人々がやっている仕事こそが仕事なのだ。
もちろん、社会のお偉方にも「責任逃れ」とか「恫喝」とか「演技」とか、いろいろ仕事はあるだろうが、それで何億円もの報酬が貰えるのだからいいではないか。その辺のホームレスを東電や関電の社長や会長にしたほうが、よほど誠実な会社経営をするのではないか。
いや、話が脱線した。
本題に戻ろう。「仕事」とは苦痛を伴うのがお約束なのだが、生きるためには仕事をするしかない。それならば、せめて自分のやりたい事をやる、というのが賢い生き方というものである。しかし、たいていの人間は賢くないから、「他人のために生きる」ような仕事を選んでしまう。
もちろん、仕事とは世間の需要に応えるためのものだから、すべて「他人のため」という面はある。問題は、自分のやっていることにまったく充実感が得られないような仕事を、それ以外の仕事を選べるにも関わらず選んでしまう、という場合だ。
そこで、これから人生に本格的にスタートする若者は、いや、人生に悩んでいる人なら誰でも下のマドモワゼル愛さんの文章を熟読するとよい。自分の今後の生き方について、大きな手がかりと勇気を与えられるだろう。

(以下引用)


小学生の低学年の頃、「路傍の石」という小説が映画化されて学校で見に行きましたが、丁稚奉公の主人公がひどくいじめられるのが、我慢できず、私は映画館からの帰り道に「あんなところ出て行けばいいんだ。死んだっていいじゃないか」と、ぶつぶつ言っていたことをよく覚えている。友人たちは、「かわいそう、、、かわいそう」と言っているので、さらに腹が立って「死んだって、出て行った方がいいんだよ」と。

私自身、何の実力も実績もないのに、強い独立心と希望があるだけだったが、それでも何とかやってこれて、思ったことがある。

人は独自性で生きて行った方が、本当は苦労もなく、うまく行く、、、ということである。

普通は逆に思う人が多い。何かやりたいけど、安定しないし、自信がないと。しかしそれは嘘である。一般の道にこそ危険があり、罠があり、罠にはめられたことさえ気づけなくされている。

人はなぜ違った顔、形で生れてくるのだろう。それはその人の独自性を天や地が求めているからだ。
なので、独自性を生かして生きて行こうとすると、必ず、その人のための人生が切り開かれていく。そこには、安全も、報酬も、未来もすべてがセットされて用意されている。

こんな簡単な開運法はない。

勝手にやりなさい。本当はそれでいいのだと思う。どうせ、人のため、、とか、家族のため、、、とか言い出すと、結局は何ひとつ責任のとれない人生に逆になる。

いやいやながら安定を求めたところで、安定が得られる道理もないのだし。

勝手にやれば、エネルギーがわいてくる。やることがすべて楽しくなる。自分がやったことだから、潔く責任も取れる。楽しくやるからなぜか伸びる。

もちろん、勝手にやってうまく行かない場合も多いが、その際にはそれは勉強になる。次のステップに生きてくる。

要するにいいことづくめ。

みなが楽しく勝手にやっていけば、自然な秩序が生まれて行く。みんなが勝ってにやったらバラバラになってしまうというのは嘘。それは、人を強制して使うことで良い思いをしているサイドからの価値観でしかない。

強制された秩序は収容所的な秩序で、そんなものは、社会にとっての害悪ですらある。

とにかく時代の変化には勢いがついています。その際に、重要なポイントは、独自性にあります。あなたが自分の独自性で行動していく、と決意したときから、あなたの本当の運命の星が働くようになっていく。

独自性がホロスコープであり、独自性を拒否した者には、星は何も語りかけてはくれない。運命学のこうした基本を、これまで語って来なかった責任は私たち運命学者にもある。

あなたはあなたひとりだけの表現、独自性の表現のために生れてきた。その表現の中に多くのギフトもぎっしりと詰まっているのです。それを見ないで年老い、死んでしまうのではあまりにもったいない。
星はあなたのために配置され、あなたのために働こうといつでも用意して待っているのです。



(付録)

今、小田嶋隆のツィッターを見ていたら、先ほど私が書いた記事に縁のある部分があったので、コピーしておく。
そうですか、「日曜大工が趣味の大工さん」もいますか……。


(以下引用2)



小田嶋 隆‏@tako_ashi

大工の趣味が日曜大工だというのは実はよくある話だと思うが。









18時間 小田嶋 隆‏@tako_ashi

不可思議なのは、ギャラの出る原稿の仕事から逃避するためにやっていることが、ギャラの出ないテキストを書くことだったりすることです。じゃあカネが嫌いなのかというと、カネは欲しい。要するに私は義務ということが嫌いなのかもしれない。








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で、あんたになぜそう言う資格があるの?

「東海アマ」ツィッターから転載。
なるほど、こういう形でのデモ妨害(デモ操作)というのもあったのか。集まった人々はそのアナウンスを本当だと信じ込んで解散したかもしれない。実際にその女は「主催者」の一部かもしれないが、このデモはほとんど自然発生的に拡大してきたデモであり、主催者などというものは今や意味を持たないはずだ。少なくとも、その女には、そんなことを言う権利はない。警察の無線を使ったところなど、非常に魚臭い。(「fishy」の直訳ね)
今後のデモでは、こういう妨害行為にもあらかじめ気をつけておく必要がありそうだ。
あの在特会対策の「笑点のテーマ」みたいな秀抜な案がほしいね。
(知らない人はユーチューブなどで調べればいい)
ついでに言うと、ネット有名人の中には、デモなど無駄だと言っている人間がいるようだが、それって誰だろう。まあ、ネット有名人にもいろいろいるけど、自分の狭い頭の中での考えを絶対視しないほうがいい。デモであれ何であれ、現実に行動することは、ネットで妄想を書き散らかすほど簡単なことではない。もちろん、これは自分をも含めた話である。



(以下引用)



YUKARI(*''*)(さよなら原発)‏@YUKARING1222

デモの主催者という女が警察無線を使って『10万人集まっても原発は止まりません。危ないから帰ってください』と言ったとか。みんな怒ってる。その女性だれ?


拍手

一部の者が悪魔を受け入れ、周囲の全員が破滅する

「JBプレス」から転載。記事の後半は国際問題なのでカットした。
まず、東日本大震災と福島原発事故の後始末と現地の人々の生活立て直しが政治の真っ先にやるべきことのはずだが、それをまったくやらないどころか首吊りの足を引っ張るような「消費税増税」や「生活保護削減陰謀」に血道を上げているのが今の政治だ。これでTPPにも参加となれば、日本は外資に食い散らかされて国民の大半は貧困のどん底に陥るだろう。
まずは被災地の現状をマスコミが伝えることが一番大事である。というのは、いくらネットに真実の一部が流れても、それを見る人の数があまりに少なくて、政治的なエンジンになりえないからだ。
もう一つの問題は、被災地においてさえ、まだ権力の抑圧があって、政府批判や東電批判の声を上げることができない、という状況だ。
東電や原発のおかげでみんなが食べていける。それに文句を言う奴はけしからん、という抑圧によって、おおっぴらに文句は言えないのである。これは米軍基地所在地でこれまでずっと続いてきた抑圧の構造だ。
金というのは恐ろしい。人間を悪魔に変え、無情なロボットに変える。原発を地元に受け入れた県や町は、そういう「金の支配」をも同時に受け入れたのである。


(以下引用)


神戸発:オ政論

1週間に1人が命を絶っている原発被災地の現実
家と職を失い心が荒む人々が安心して定住できる場を

2012.06.29(金)


福島1区の前衆議院議員・亀岡よしたみ氏を電話ゲストに迎えた今回の『中山泰秀のやすトラダムス』(Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)。

 マスメディアでは報じられない被災地の現状を伝える亀岡氏のリポートを中心に、中山氏が、軍事面・科学技術面で活発な動きを見せる中国の動向などを解説した。

一時帰宅後、首つり自殺したスーパーの経営者


中山 東日本大震災発生から早1年以上が経ちますが、被災地の現状はいかがですか。
亀岡 復興に向けてだいぶ進んでいるように思われていますけれど、実際は全く逆なんです。
 福島では、原発事故で設定されていた避難区域が解除されたことで、皮肉にも生きる希望をなくす方が増えてしまったのが現状なんです。
中山 先日、亀岡さんとたまたま東京でお会いした時に聞いて非常に驚いたのですが、亀岡さんの地元である福島では1週間に1人ものペースで自殺が起きているというのは本当ですか。
亀岡 先週も南相馬市で自殺者が出ましたし、もう毎週1人が亡くなっているような状況です。
 浪江町ではこんなことがありました。スーパーを経営する夫婦が一時帰宅した際、ご主人が途中で姿を消したそうです。慌てて奥さんが通報し、捜索したところ倉庫で首をつって亡くなっているのが消防団員に発見された。
 背景を説明すると、一時帰宅してその方が経営するスーパーに帰ると、冷蔵庫や商品棚に腐った食品がこびり付いており、サビが酷くて使用できる状態ではなかった。自宅はカビだらけでとても住める状態じゃない。しかし、震災前に設備投資した借金だけは通帳から引き落とされていく・・・。
 その現実を目の当たりにしたご主人は、「月10万円支給される見舞金だけでは生活できない。再建も無理だ」と悲観してしまった。それが原因で思い詰めたのかどうかは定かではありませんが、結果として自殺に至ってしまいました。
 避難区域の解除はありがたいことですが、無理やり避難させて立ち入り禁止にしておきながら、ある日突然帰宅を許可されて帰された方々の気持ちを政府は分かっていないと思います。
中山 そんな状況にあるというニュースを被災地から離れた私たちが目にすることはほとんどありません。本当にショックです。そんな中、平野(達男)復興相が山形を訪れ、避難生活を続ける住民と意見交換を行ったと報じられましたが、どう思いますか。
亀岡 自宅に帰れない苦しみを抱える方、ようやく帰宅して酷い状況を見てしまった方の心は、誰にも救いようがないんです。
 だからせめてインフラ整備事業を進め、住環境を整えた上で帰宅許可を出すのが最低限の責任だと思います。平野復興相は真面目に一生懸命やってくれる方かもしれませんが、本当に今やるべきことをきっちりやってほしい。でなければ皆、明日からの希望が見えませんよ。


被災者の反発を呼ぶ「仮の町」構想

中山 先ほど話に出た見舞金というのは、東電から支払われるものですよね。それは年齢に関係なく支給されるのですか。
亀岡 そうです。年齢に関係なく1人月10万円ずつ支払われます。しかし、問題点もあります。例えば、アルバイトをして3万円の収入を得たとします。その場合、収入額を報告する義務があり、報告すると3万円分を差し引いた7万円が支給されるのです。
 つまり働いた分だけ減らされるわけですから、何もせずに満額もらった方がいいということになりますよね。だから誰も働く意欲がなくなってしまうのです。
中山 そんな状況では、仮設住宅に住む方々の経済的な自立も遠のいてしまいますね。
亀岡 仮設住宅への入居から1年以上が経ちますが、今、入居者たちの心が荒み始めています。南相馬市では一人暮らしの孤独死が増えていて、早急に手を打たなければならない問題になっている。
 この現実を少しでも多くの方に知ってもらわなければ、もっと犠牲者が増えてしまう可能性は高いと思います。
中山 今、被災地が最も望んでいる支援のあり方は何でしょうか。
亀岡 生活基盤が第一ですから、まずはきちんとした住宅に住みたいという思いがあります。
 その時に大切なのは、自分たちが今まで生活していたコミュニティ、つまり近隣の人たちがいてくれるという安心感を持てることです。ですから我々としては、ニュータウン設立のための支援をしていただきたいと思っています。
 避難住民が別の自治体に一時集団移住して生活拠点をつくる「仮の町」構想が検討されていますが、この「仮の町」という名前を皆嫌がっている。ニュータウンなら新しい夢を追えるけれど、仮の町では仮設住宅と変わらないじゃないか、と。
 だからニュータウンで一戸建て、しかもコミュニティがある中で次なる生活設計の夢を描きたいというのが皆の願いです。
 ただ、これは国が企画・立案しない限り実現しませんから、まずは国を変えなければならない。国に対して我々が提言することを、一緒になって力を合わせてやってもらえるとありがたいですね。
中山 このままいくと国政ではまた政権交代が起こる可能性が高いですが、次の政権を担う政治指導者は被災地対策を優先的に進めるべきだと思います。
亀岡 政治というのは本来、地に足を着けてしっかりと国民生活を見てくれるものであるはずです。本当に困っている国民がいるのだからまずそこに目を向けてほしい。原発再稼働の問題も大事かもしれませんが、その前に原発で困っている多くの国民がいることを理解してもらいたいですね。

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党中党という奇策

いやいや、いろいろと出てくるものだ。小沢は、民主党離党はしばらく保留し、新会派を作ることで「党中党」として活動していくらしい。面白いではないか。これで現在の民主党中枢部とはっきり一線を画しつつ、自民党らの狙う民主党分裂を避けることができるわけで、ある意味現段階での「満点答案」ではないだろうか。やはり政治のプロは素人考えの上を行っている、という感じである。
外野席にいる素人は無責任に「新党を早く作れ」などと叫んでいるが、さて、それが何を利することになるのか。「慌てる乞食は貰いが少ない」という言葉もある。ここは落ち着いて状況の推移を見守るのがよいだろう。そして、常に、「本当の敵は国内ではなく、国外にいる」こと、軽挙妄動は敵を利することになることを忘れないことである。
もっとも、日本国民全体の現状への怒りと、国民が何を本当に望んでいるかを示すことは、一番大事なことである。「彼ら」が一番気にしているのはそこなのである。いざとなれば、どんな権力でも、自分の生命を投げ出した「本気の行動」には勝てないからだ。
「命もいらぬ、名もいらぬ。そういう人は始末におえぬものである。しかし、始末におえぬ人でないと大きな仕事はできないものだ」
西郷隆盛はそういう趣旨の言葉を言っている。今の国会にも「始末におえぬ人」はいるだろうし、庶民の中にも、あるいは高級官僚の中にさえもいると私は信じている。

(以下引用)

小沢系43人、会派離脱願提出へ…首相揺さぶり
読売新聞 6月28日(木)3時2分配信

 民主党の小沢一郎元代表が、衆院の民主党会派を離脱して新会派の結成を検討していることが27日、わかった。

 消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革関連法案の衆院採決で反対票を投じた同党議員のうち、小沢氏含め43人が参加する見通しとなっている。小沢氏は29日にも民主党に会派離脱願を提出したい考えだが、党執行部は容認しないとみられる。

 小沢氏は28日に民主党の輿石幹事長と会談し、新会派結成の意向を伝える方針だ。会派離脱が認められない場合でも、新党結成を求める若手議員を納得させ、グループの結束を保つことが可能と判断しているとみられる。新会派が認められれば、民主党に所属しながら「党中党」として野田首相や党執行部を揺さぶり、離党・新党結成の時期を見極める時間を確保できる利点もある。


・会派とは(ウィキペディアによる)

衆議院・参議院の各院内では、理念や政策を共有する議員が集まって院内会派を作り、議会活動を共に行う。会派の所属議員数によって、委員会の議席数や、発言・質問の時間配分、法案提出権などが左右されるため、政党とは違ったメンバーで構成されることもある。院内の構成単位はあくまでも会派であり、政党ではない。無所属で当選した人が政党会派に参加したり、無所属同士で便宜的に会派を結成することもある。衆参両院とも、慣例により議長と副議長は会派を離脱することになっている。
なお、所属議員が1人だけの会派(俗に一人会派-いちにんかいは、ひとりかいは-という)は制度上認められず無所属(参議院にあっては「各派に属しない議員」)扱いとなる。ただし、当該無所属議員の所属する政党等が政治資金規正法上の政治団体に該当する場合は、国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する法律(昭和28年法律第52号)の適用に限り会派と同等とみなされ、一人会派に対しても立法事務費が支給される。

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誰かがあなたや私の代わりに働いている

「暗黒夜考」の引用記事を転載。
おそらく、「暗黒夜考」は有名ブログの一つかと思うので、転載する必要は無いのかもしれないが、こういう情報は国民のできるだけ多くが知るべきだと思うので、拡散の一助となろうというわけだ。
記事の解説は不要だろう。福島原発は修復も事故の収束も不可能だということだ。そういう状況を政府は知った上で大飯原発再稼働を決めたわけである。
歌手の誰かではないが、「原発事故よりは停電がまし」だと思うのが当たり前の感覚だと思うのだが、原発村の住人は御用評論家に御用タレント、御用知識人、ネット右翼を総動員して原発再稼働を強行した。
こうなると、ぜひイスラエルにスタックスネットを使って、原発事故をもう一度起こしてもらうしかなさそうだ。馬鹿は死ななきゃ治らない、と言うが、日本人の馬鹿さ加減も死ねば多分治るのだろうから。
憎まれ口をもう一つ言おう。熱中症で死ぬのは、その大半は本人や周囲の不注意だろう。不可抗力の熱中症など、あるのか? まあ、学校などでは夏の暑い盛りに生徒にマラソンなどやらせる基地外校長などがいそうな気もするが。
もちろん、原発修理の作業員などなら最初から熱中症覚悟の作業だろう。原発推進派、原発擁護派のみなさん、まず福島での原発修理作業を自分でやってから発言しなさい。

(以下引用)


(転載開始)

◆福島第一の悲劇は終わらない!(1)
 2012年06月26日10時57分 アサ芸プラス

福島第一原発の事故発生から465日が経過した。野田総理は昨年12月に「収束」を宣言し、世間の関心も薄れているが、4号機の危機的状況、食の安全性、住人たちの悲鳴‥‥いまだその悲劇は終わっていない。現場作業員たちの声とともに「現在の福島」の真実を明かす。

○現場作業員座談会

「1年前と比べて寝床も食事もセコくなった」

「もし原子炉の海側を見たら国民は驚愕する」
 
ニュースで大きく報じられることは少なくなったが、福島第一原発での復旧作業は1年以上も前からずっと、粛々と続いている。放射能が舞う最前線で戦い続ける原発作業員3人が現場の真実、東電の高慢な対応を告発する!



以下、ご登場いただくA氏、B氏、C氏は、他県からF1(福島第一原発)まで復旧作業に駆けつけている、いずれも40代以上の職人たちである。

A 俺は去年もF1に入って仕事をしたんだけど、今年また親会社から話が回ってきてね。久々に来てみたら、東電社員の態度がガラリと変わっていてビックリしたよ。

B そうだよな。震災から日がたっていない1年ぐらい前は、東電も叩かれまくっていたからか、俺たち作業員に対する接し方も優しかったもんな。

A 現地に入ると、まず「受入教育」があるじゃない。そこで、放射線量を測定する機械を選ばされるんだけど、2種類あって、タバコみたいにポケットに入れるタイプと首からヒモでかけるタイプ。「どっちにしますか?」って言われたんだけど、聞き返したら、「どっちなの!」ってムスッとされた。以前は丁寧に対応してくれたのに‥‥。

C こっちは危険な現場で作業して、向こうは安全な場所にいて説明するだけなんだから、せめて敬意は払ってほしいですよね。

B しかも、安全なんか考えていないのか、やってることがズサンすぎる。原発で働くには、最初に教育を受けたあと試験を受けるんだけど、試験に落ちたら合格するまで翌日、翌々日と、同じ問題を受け続ければいいだけ。

A そうそう。それにひどい時には、答案を持って行ったヤツが東電の社員から「ここ間違ってますよ」だって。言われた本人は、机に戻って書き直して提出してたよ(笑)。

C 確かに、安全確保が目的のルールも、きちんと守られていないですよね。本来、雨が降ったり、風速1㍍以上だと作業は中止と決められているのに、雨ガッパ着用でおかまいなしに作業させられますもんね。

A そもそも安全の意識どころか、警戒が緩いよな。だから作業者証と入構証をアカの他人が持ってたって、余裕で待機所に入れる。チェックなんてないようなもんだから。

C そうですよね。

B 安全なんか考えてるわけないと思えてくる。足場を組む作業をしているグループの人に聞いた話だけど、足場に使う資材が木板で、草とかキノコが生えてたって(笑)。そんなの資材じゃなくてゴミだよ。

C 僕も聞きましたよ。曲がった部品や、期限の切れた資材を使ってるって。でも、この話には伏線があって、噂では東電が元請けのゼネコンに支払いをしてないって言うんです。だからゼネコンも、よそでは使わない資材を持って来てると。

A そんな状況だと思うな。だって去年に比べて全体的にセコくなってるもん。去年は、わりといい温泉旅館に泊めてもらったけど今年あてがわれたところはひどかった。雨漏りはするし、エアコンは効かない、蚊取り線香をたくと、信じられないぐらい大量に虫が死ぬんだから。


○「ホームレス」も雇われている

B 作業員に対するもてなしだってひどいよな。去年は作業終わりでパンや米、カレーや丼物なんかのレトルト食材がいくらでもそろっていて自由に食べられた。でも今年は、すごいちっちゃいオニギリか、カツサンドを1人1個食えるかどうかなんだから。

A 熱中症対策だってそうだよ。アメ玉とポカリスエットだけ。こっちは放射能と向き合ってるから、全面マスクして防護服を着てるわけよ。現場に出たらマスクは取れないから、最初にアメを舐めさせられて、途中、水分補給はできないって、何だよそれ(笑)。

B それだけいいかげんだから、作業員の募集も頭数だけいればいいって形で、ヘンなのがいっぱい働きに来てるよな。

C ホームレスみたいな人ですよね。

B みたいなじゃないよ。あれ、ホームレスだよ。とにかく人を集めろって言われたんだろうな。でも技術がないから、やっていることはゴミ拾いやスコップで穴を掘るだけ。去年は原発で働けば、「1日10万円稼げる」みたいなことが言われたけど‥‥。

A そんなわけないよ。実際は日給5000円程度のケースもあったって。それでも、ホームレスは寝泊まりできるだけでうれしいから、文句を言わない。

B しかも、ワンカップ酒がタダで飲めるし。風呂には入らないで、酒だけ飲んでる人も多かったな。さすがに、前借りを要求したヤツは断られてたけど(笑)。

C 誰がホームレスの人かはすぐわかりますよね。臭いんですよ、防護服が。防護服は防護マスクのフィルター以外は使い回しですから、彼らが使ったあとは臭くて、臭くて‥‥。

B そんなことより、現場にはもっと秘密がある。

C そうですね。報道陣に公開されているところはよく見えるところから撮らせているだけであって、もし海側から原子炉を見たら国民は驚愕でしょう。

A だよな。1号機なんか世間が思っているより、むき出しの内部はガチャガチャだもん。

B その海側は、去年よりテトラポッドが2倍以上高くなった。もちろん、津波対策なんだろうけど、海側からの映像をマスコミに撮られたくないのでは、と勘ぐっちゃうよ。

C そんなのばっかりですよね。あと最近聞いた話では、ためていた汚染水を処理する施設を建設し始めたそうです。これまでに汚染水をためたタンクは何千って数だから、もう限界なんでしょう。だからといって、慌てて造った施設で、汚染水を海に戻せるぐらいキレイに浄化処理ができるのかは疑問ですよね。できるなら前からやっていたでしょうし。

A いずれにせよ、東電はボーナスなんかもらってる場合じゃないわな。社員の末端まで、本当に原発の現場をわかってるのかね。

B わかってないだろうね?。

C でしょうね

(転載終了)

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