忍者ブログ

金がすべてに優先する社会

「株式日記と経済展望」の一部を転載する。
ここに引用されたのは、ブログタイトルから見て、右翼系ブログの記事だろうから、内容を鵜呑みにはできないが、書かれていることは、リアリティがある。視聴者を舐め切ったこの態度は、まさしくマスコミの本性を表している。そこが興味深いので転載するのである。

要するに、商売がすべてに優先する、ということである。当たり前と言えば当たり前の話なのだが、フジテレビは愛国心やモラルで仕事をするわけではない。韓流ブームを作って儲けようと思い、すでにその方向で動いているのだから、今更やめるわけにはいかないのである。そこには契約問題がからむ。今やめると膨大な違約金が発生するわけだ。デモ隊が騒ごうが、国民の大半が不快に思おうが、それにくらべたら大した問題ではないわけだ。

昔、アメリカで、ある自動車メーカーが新車を発売する直前に、その新車に欠陥があることが発見された。そこで経営陣はその欠陥で事故が起こった場合の裁判費用と、新車を発売中止にした場合の損害費用を計算し、前者の方が安上がりだと判断し、新車発売にゴーサインを出したという。もちろん、その欠陥で死亡事故が起こることも予測した上でのことだ。
商売というのはそういうものだ。何が利益であるかがすべてに優先されるのである。企業に利益を与えることが企業にとっての正義なのである。
モラル的問題で騒がれ、非難されても、「人の噂も七十五日」でじっとやりすごせば、忘れっぽい世間は忘れてくれるのである。


(以下引用)



◆やはりmy日本の桜庭氏はフジテレビ・創価学会・統一教会に監禁されてるか殺害されたか? 8月19日 怒りの74式戦車

ちなみにフジテレビの役員と話をした内容です。

私)最近、ネットで叩かれてますけど、韓国のドラマとK-POPとKARAについてはどうするんですか?

フジ役員)スポンサーさんからは結構言われてますが、人件費も確保しないと行けないので当分はこのままいきますよ、何せ途中でやめたら下請けの違約金が途方もない金額になってしまうので今年稼いだお金が今やめたら全部吹っ飛んでしまいますからね。

私)ネットですごい叩かれてますけどどうなんですか?

フジ役員)ほっとおけば収束しますよ、日本人は熱しやすく冷めやすいので。

私)でもこのままだと広告自体に影響してスポンサー離れが進むんじゃないんですか?

フジ役員)そんな事ありません。40台上の主婦層が購買対象になっているので韓国のドラマと昼ドラさえ流してその間にメインのスポンサーのCMを流しておけば問題ありませんからね。

私)なるほど、つまりインターネットとPC操作が出来ない主婦層と言う情報弱者をターゲットに抱えてる為、スポンサーとしては問題ないという事なんですね。

フジ役員)ええ、その通りです。問題はTOYOTAさんとかだと少しきついと思いますね。その辺については今度始まるネットテレビに捻じ込んで改善したいと思います。
それにTOYOTAさんは、上の方々が若者が何を求めているのか分かってませんからね、売れないのは当たり前という考えに今は至っているので問題はないですね。

私)fmfm、コールセンターにはそういう話は?

フジ役員)余計な事を周知すると派遣とかは、すぐにボロがでますからね、この前の映像もかねて電話対応についてはしっかりと対応する事にして、エスカレーションしますと承るだけ承って書類に関しては中間で処分する事にしています。

私)話は変わりますが、竹島と尖閣諸島に関してはマスメディアとしては報道しないんですか?

フジ役員)今、報道すると他のテレビ局と共同して作った韓流ブームが逆風で終ってしまいますからね。
K-POPやKARAの商品グッズの版権を子会社・孫会社でせっかく抑えたので稼ぐだけ稼げるまでは放送はしないですね。

私)パッシングされても?

フジ役員)しょせんネットユーザーなんて大した力ありませんからね(笑

私)そうですか、という事はしばらくはゴリ押し韓流ブームを流してK-POPとKARAが人気出てますよと摸造して放送してグッズを売れなくなったらポイと捨てるわけですか。

フジ役員)そうなります。芸能プロダクションのスターダストもK-POPとKARAのグッズ版権は持っていますので自分の所の芸能人が批判したらそれは、自分の働いてる会社の意向に逆らうわけですから解雇されても仕方ないですよね(笑

私)そうですか.....今日はどうもありがとうございました。

フジ役員)いえいえ、それではまたよろしくお願いします。

拍手

PR

金に支配された社会から脱するには

「毎日崖っぷち」から転載。
これまでの崖っぷちブログの総括とともに、現在の日本の状況を総括している。
「独りファシズム」のyukino氏もそうだが、崖っぷち社長もこの社会の上も下も知っている人間で、だからこそ社会の実態が良く見えるのだろう。そして、だからこそその発言は常に、聞くに値する。学者先生などの発言は、それに比べたら現実のデフォルメされたモデル像について論じて現実を論じたつもりになっているだけだ。

要するに、我々は金に支配された社会の、奴隷にすぎない、というのが崖っぷち社長の言っていることで、ではその金を支配しているのは誰かというと、金があれば何もしなくても利益が出せるという金融システムを考えた連中、いわずとしれたあの連中だ。そして、その金の支配のあからさまな現われの一例が、「原子力村」であることが、多くの人の目に明らかになったのだが、しかし、それがこの社会全体の根本システムの問題であると思っていない人も多い。それが無意識的奴隷であり、この社会に洗脳されたB層である。
こうした社会の害悪が福島原発事故の形で露呈したわけだが、ではそれをどうすれば変えることができるか。崖っぷち社長は、金をばらまく事がその解決策(の一つ?)だと言う。確かに、それはラジカルな(根源的な、過激な)解決策ではあるが、社会システムを崩壊させるほどのばらまきをすることは、まずありえない。ならば、金に支配されない生活を自ら作るしかない、というわけで、おそらく自給自足生活をする、あるいは小さな自給自足経済圏(コミュニティ)を作ることがその解決策になるかと思う。これは国家的に言えば鎖国政策である。
と、彼の主張を私は理解している。その理解が不正確であるかもしれないが、まあ、80%は正しい理解だろう。そして、もちろん、全面的に彼の言葉に同意する。


(以下引用)

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。
人間、やはり基本的な生活の安定が重要だってことだ。

思えば、おいらも20代中盤くらいまでは、生活にそれほど困ったことはない。
むしろ、実家の商売がうまく行ってたときは、人並み以上にいい思いをさせてもらってたんじゃないかと思うね。
飛び抜けてたわけではないが、わりといいところのボンボンだったからな。

で、それ以降がどうであるかと言えば、稼いでも稼いでも右から左どころか借金返済やら訴訟費用やらに吸い取られ、数週間規模の断食やら、ガスや電気すらない場所への逃亡生活やら、余裕なんて皆無の生活を続けてきたし、まあ、いまだって似たようなもんだ。

こんな両極端な生活を経験すると、本当に世の中の本質がハッキリと見える。
持つ者、持たざる者の差というのは、結局、衣食を中心とした生活の安定感にあるのだ。

逆の言い方をすれば、このブログでも何度も取り上げているように、食料、エネルギー、水の三大要素、つけ加えるなら資源などもそうだが、これらを確保することが重要だということだ。

そして、いまの時代、これらのキーになっているのが、まさにゼニというものである。
持っているゼニの量、稼ぎ出すゼニの残高が、生活を安定感を左右するのだ。
これは、誰がなんと言おうと、現代社会の現実そのものだ。

前にも書いたことだが、実力主義なんてのも、言ってみれば人間をゼニというモノサシで測っているだけのことである(血縁、コネがらみももちろん同様にカネを生み出す価値があると言える)。
さらに言えば、ゼニを基準にした人間の価値を高めるために必要なのが学歴のようなものであり、それを獲得するためにもまたゼニが必要とされる。
そして、ゼニというモノサシを行使するのは、そのゼニを大量に持っている人間か、ゼニというモノサシで高い価値を示された使用人のどっちかということになる。

すべてをシンプルに考えれば、こういう当たり前の現実が見えるのだ。
誰がなんと言おうと、現代社会はゼニによって牛耳られているのである。

言うまでもなく、いまのおいらはゼニなんて持ってない。
もちろん、ゼニを基準にして高く評価されるようなものもなにもない。
そもそも、そんなシステムに組み込まれて、完全なゼニの奴隷になるのなんかゴメンだと思ってるけどな。

いま、そんなゼニの奴隷の姿があちこちで見られるではないか。
原発推進の組織なんて、まさにそれだろ?
福島のガキどもにいろいろ突っ込まれてるシーンがニュースに出ていたが、あの連中が無能だからそうなったわけでは決してない。
ゼニによる生活の安定を崩したくないからこそ、あのように情けない姿で言い訳並べるような仕事をせざるを得ないだけのことだ。

結局、なにが問題かと言えば、なんかのキッカケで爪弾きにされたら、その瞬間に生活の安定というものを失う経済情勢にある。
安定のために自分を奴隷にしている人間たちからすれば、それ以上の恐怖はないのだろう。

これでわかることだが、経済を疲弊させると選択肢がなくなる。
これは、原発に限らず、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化することに繋がるわけ。
ひとりの人間として反発したいことがあったとしても、失うものが大きすぎて従わざるを得なくなるからな。

勘のいい人ならそれだけでわかるだろ?
いまの経済疲弊、つまり、デフレというのは、持たざる奴隷の上に、持ったつもりになってる奴隷組織を作り出し、ヒエラルキーと利権の固定化を目指すためのものでもあるのだ。

だからさんざん書いてきたんだけどな。
我々が注目すべきは、カネを牛耳ってるヤツらであると。
官僚? マスコミ? アメリカ? 経団連? いやいや、この連中は所詮呑み込まれた手下でしかない。

本当の敵がナニモノなのか、それは正直わからない。
わかってることは、金融というそのシステムを作り出し、いまもそれをガッチリ握ってる連中だということだ。
ていうか、敵が誰であるかなんてどうでもいいことで、この誰かさんたちの思惑をぶち壊すような、防衛手段を取ればいいことだ。

こいつらがなにを一番嫌がるかって、そりゃあ、個人やローカルの社会が、金融システムやそれに篭絡された組織の言うことを聞かなくなることだ。
だからこそ、市中にカネを山ほどバラ蒔けと主張してきたわけだ。
単なる経済問題ではなく、あらゆる人間に選択肢を与えることによって、利権の固定化をぶち壊せるような話でもあるのだからな。

その動きを止めているのが、要するに財政再建やら借金問題のようなプロパガンダだし、公務員改革のような官僚と一般国民の分断工作でもある。
気づいてない人が大半なんだが、これらの「倫理安売り工作」って、結局は世の中にカネに関する妬みを広げ、さらなる経済の縮小と利権の拡大をもたらすものでしかなく、国民が自分で自分の首を締めるような行為でしかないんだけどな。

いまのうちに認識したほうがいいと思うね。
自覚があるかどうかはともかくとして、みんな自然とゼニをモノサシに物事を考えているのだよ。
べつに悪いことでもなんでもないし、現代の通貨経済では当たり前のことだがな。

まあ、問題は、このカネカネ社会にも、構造的欠陥というか、金融屋連中が最初から狙ってたスクラップ&ビルドの流れが迫っているということだ。

この両面から物事を考えれば、自然と次にどうするべきなのかわかる。
とにかく、自活という防衛手段を整えなければならないからな。

そんな自覚はかなり前からあったのだが、それが現実的になってきた数年前になっても、オレという人間は動くに動けず、のんきに雑誌や書籍なんぞを作って過ごしていた。
そもそも、先立つものもなにもなく、アイデアもなにもなかったからな。

それが大きく変わるのは、師匠・飯山一郎に、どういうわけか引きずり込まれることになったからだな。
これはまったく冗談でもなんでもないのだが、それまで先生のページは基本政治系のページと思ってたし、乳酸菌の話を聞いても「ヨーグルト?」としか思ってなかったどうしようもなく無知な人間だった。
実はまったくグルンバ&乳酸菌の知識のない時点で、先生から「オレの仕事手伝え!」って話になったんだよね。

それから1週間くらいかけて、原稿の仕事やってる合間に先生のページのほとんどを読んで、ああ、なるほどなあと思ったんだよ。
そしたら、出版の仕事なんかどうでもよくなったというか、少なくとも、いまの業界事情じゃやりたいことやろうと思ってもムリだし、いっちょやってやるかって気になったというわけ。

なんともありがたいことに、先生のおかげで、おいらのブログで書いてきたことが絵空事ではなくなった。
油由来の農業も、薬漬けの養殖業も、経済の事情であることは知ってたけど、それを完全に断言できるようになったからな。

とはいえ、それだけだったら、決していまの距離感にはなってなかったと思う。
本人にも面と向かって直接言ってることだが、先生は本当に人が悪いし、つき合えばつき合うほど、こっちも人が悪くなる(笑)。
あのお方は学者なんかじゃなくて、間違いなく生粋の商売人だからな。

わからん人も大勢いるかもしれんが、それがいいんだよ。
まあ、確かに、広州での共同生活中、何回か何十回か、寝首かいてやろうかと思ったことはあったかもしれんが、こっちがなにも成し遂げてないうちにそんなことしてもしょうがないからね(笑)。
それがなんであるかはここには書かない…っていうか、あんまり書くと反撃が怖いからやめとくわ。

ていうか、師弟関係なんてのは、父親と息子みたいなもんで、ライバルの始まりみたいなもんだからな。
先生が「中国やるぞ!」というなら、「こっちは中東だ!」ってのもあるし、「日本はもうダメだ!」と言われたら、「じゃあ、オレがなんとかしたる!」ってのもあるしな。
まあ、いまのところ、こっちはぜんぜんうまくいってないので、エラそうなことはなんも言えんのだけどな。

どことは言わないが、師弟関係が宗教みたいになってるところがあるが、おいらはそういう関係には興味ないのだ。
しつこいようだが、まったくの別人格だし、政治経済に限らず主張内容も違いが結構あるが、当たり前のことだと思ってる。
「やりたい放題、商売しろ!」と事実上放置されてるいまの関係だからこそ、うまいことやれると思うんだよね。

というわけで、あたくしは飯山一郎の弟子ではあるが、飯山信者でも飯山教広報担当でもないから、そのへん勘違いのないように(よく聞かれるから書いてみた(笑))。

やや話がそれたが、日本はまだまだやるべきことが多数あるし、そのアイデアを持っている人は、官僚機構にも政界にも民間にも実は結構いる(この間、いろんな方面から、関東・東北復興事業を提案してきたからよくわかるんだけどな)。
それを実現するためには、とにかく金融経済の支配力を弱めるしかない。

いま問題になっているポスト菅についても同様で、政策の方向性こそが重要なのだ。
そして、ここで公言した政策を絶対に守らせるように、我々が圧力をかけていくことも重要だ。

前から書いていることだが、表裏はともかく、小沢一郎が権力を握ればそれだけでいいというものではない。
小沢一郎にしろ、ほかの人間にしろ、それは国民からすれば、自分たちの得になる政策を進めるためのコマであり、手段のひとつでしかない。

菅直人の記事でも書いたことだが、菅直人を引きずり降ろせると安心している場合じゃないのだ。
あくまでも、我々にとって都合のいい政策を実現させるのが目的であり、菅降ろしや小沢復権は単なる手段であり、目的ではまったくない。
ただ信者でいてもダメで、徹底的に応援するのはもちろん、妙な方向に流れないように監視も続けなければならない。

おいらが現在の小沢一郎を支持している最大の理由は、カネのめぐりがよくなる政策を出しているからだ。
ネット言論では、小沢が権力を握ることで既得権益を脅かされるからこそ抵抗が激しいという議論がされているが、その最大のものこそ、デフレ利権ではないかとおいらは考えている。
しつこいようだが、カネを持っている連中、もしくは、カネを使える立場にある連中の利権を強化できるのが、デフレが持っている力のひとつだからな。

このように、極論でもなんでもなく、すべてはゼニの問題、というのがおいらの基本的な主張だ。
ゼニを素直に見ることによって、政治も政策も利権も構造がわかりやすくなるしな。

この視点で見ていると、いま起こっていることもだいたいの説明がつくんだよね。
だから、おいらはその時々の事象にはあんまり興味がないというか、感情的に乗せられてしまった過去の反省から、あくまでもその動機をゼニ視点で探るという書き方をしてきた。
まあ、そうすると、毎回毎回同じことを書くことになっちまったりするんだよね(汗)。

やっとのことであのクソ菅政権も終わる。
いい方向に行くのか、かえって悪くなるのか、予断を許さない状況ではあるがね。
果たして、関東・東北復興事業など、日本の環境や食料生産を改善する計画が再始動となるか、さもなければ、自分たちの生活防衛に集中するしかなくなるのか…。
正直、どうなるかまるでわからんが、いずれにしても、ブログなんて書いてる場合じゃなくなりそうな気がするんだよな。
なんとも悩ましいねえ。

拍手

除染作業の利権化と一般人排除

前の記事に関連して「東海アマ」ツィッターから転載。東海アマ本人のツィートではなく、他の人のリツィートらしい。どうもツィッターというのはよく分からん。
それはともかく、すでに放射能の除染作業が利権化しているのには驚いた。いや、驚くほうが馬鹿か。すべて金が動くところは利権が発生するのがこの世界の常だ。とくにお役所を通すとすべて利権化する。


(以下引用)


nishikura2010 NISIKURAKIYOSHI
tokaiamaがリツイート
南相馬ではとんでもない事が起きている。ある除染専門家集団がボランティアで除染をしているところに東電系の除染会社が除染作業の利権を囲い込もうとして、妨害工作に出ている。小学校のプールの除染作業現場テントに建設用重機機が突進してきたりする。しかしこれらが報道されることはない。
8月16日

拍手

シジュフォスの労働も永久運動の動力にできる

「種蒔きジャーナル」の小出浩章助教授発言を書き起こした文章である。
原発事故問題は、「たねまき」ではなく、「玉ねぎ」の皮むきのように剥いても剥いても何も出てこない状態だが、土壌の「除染」にしても、剥がした表土を処理する方法がなく、結局はまたどこかに山積みしているだけである。要するに、放射性廃棄物の処理方法など無い、ということだ。まさかすべての汚染土壌を地下数百メートルのところに埋める作業をするわけにもいかない。それに、本文中にも書かれているように、汚染された森林の土壌など、剥がすこともできないだろう。森林にブルドーザーが入れるわけがないのだから。ならば手作業でやるか、という話だ。
したがって、本気で福島原発事故の処理をするならば、これは膨大な雇用機会が生まれることになる。今の大不況を克服する一大産業が生まれることになるわけで、その金を日銀の紙幣大増刷で補填すれば、一気にデフレも克服され、円高も是正されることになる。
すべてハッピー、ハッピーという話なのだが、まあ政府にはそれをやる意志も頭も無いだろうな。


(以下引用)

千葉「あと小出先生、あのー、国はですね、緊急時避難準備区域の解除にともなって、除染、放射性物質の除去をするという風に言ってるんですけれど も。これ学校などの場合は、校庭の土を取り除くというようなことで、まあ、ある程度分かるかなって気がするんですけど。福島県って山や森の多い県ですの で。例えば森林の除染とかってできるんでしょうか」

小出「できません。ですから、今千葉さんおっしゃったように学校の校庭とかですね、そういうところはもちろん、むしろやらなければいけない、のです けれども。そうでない場所。森林とか、えー田畑とかですね、そういうところの除染などもう出来る道理がないのであって。えー、あたかも除染ができるかに、のように言うことそのことがまずは間違えています」

千葉「はあー。いや、でも除染が出来ないということになったらですね、」

小出「はい」

千葉「えーそこはどうしていったらいいんでしょうか」

小出「えー、もう被曝を覚悟でそこに戻るか、あるいはやはり1年間に1ミリシーベルトという基準を守って、そこにはもう戻らずにそこを捨てるか、ど ちらかの選択をする以外にないと思います。で戻る場合には、最低限子どもの被曝は少なくしなければいけないので、えー、校庭とか、幼稚園の園庭とか、子ど もが遊ぶ場所だけはとにかく徹底的に除染をすると。土を剥いだりですね、側溝とか会所(※?)の泥を上げるとか、そういう作業は必須だと思います。」

千葉「ふうーん。でも、やっぱり森林のように除染が出来ないっていう場所は確実に残っていくわけですか」

小出「要するに、そうです。広範に残ると思います。」

千葉「はあ……。じゃあ例えば学校の除染、土をよけたりとかいって除染ができるような場所でも、その、よけた後の土の処分方法なんてのは決まってないわけですね」

小出「そうです」

千葉「で、広い地域でするってことになると、またかなり大量に汚染物質できるとおもうんですけれども」

小出「はい」

千葉「これはもう本当にどう処理していったらいいんでしょうか」

小出「そうです。除染という言葉を私たち使いますけれども。えー、決して放射性物質そのものがなくなるわけではありません。どこか別のところに移す ということしか私たちはできない、わけで。えー例えば、初めの頃に郡山市がですね、学校の校庭の土を剥ぎとって、市の処分場に捨てに行ったところ処分場周辺のかたがたが嫌だと言って断ったのですね。それでしょうがなくて、また、校庭に持ち帰って山積みしたということがありましたけれども。えーそんなことは 本当はしてはいけない、のです。剥ぎ取った土は本当はどこか、えー、人々が触れないようなところに持って行って集めてそこに埋める。あるいはお守りをする ということをしなければいけない、筈だと、思います。えーではそれをいったいどこにするのかと、いうことになってしまうと本当にどうしていいかわからな いという状態に私自身もあります」

千葉「ふうーーん。そんな状態のまま色々物事が進められていて、除染も語られているということなんですね。」

小出「そうです。でも私自身は学校の、校庭の土とかそれは必ず剥ぎとれと私は言っていますので。やらなければいけないと思います。やった後のでは汚染した土をどうするのかというところで、ほんとうに難しい問題だ、が、まだ残るということですね。」

千葉「ふうーーん。はい、わかりました。どうもありがとうございました」

小出「いいえ。ありがとうございました」



拍手

教養の今昔

miyasan bot という、おそらく宮崎駿の発言を集めたツィッターから転載。どうもこのbotというのはよくわからないが、断片的発言には著作権はない、という発想で作られた、「他人の褌で相撲をとる」ツィッターだろうか。まあ、私のブログも半分は他の記事の引用だが、半分はそれに関する私自身の考察だ。どうも、他人の発言の引用をするだけのbotというシステムには私はなじめそうもないが、まあ、立派な人のいい発言を拾って拡散するのは悪いことではない。

下記発言は、べつに珍しいことを言っているわけではないが、現代の反教養主義への批判として聞く価値がある。
しかし、我々の若いころの教養は、権威や体制によって認可された教養しか選択肢がなかったのであり、したがって世の中の真実を知ることはほとんど不可能だった。だから、その専門分野では完璧な教養人が、社会的な事実に関しては完璧に無知で無能であることも多かったのである。現在はインターネットの存在により、かつては秘匿されていた情報が一般に流出することが多くなり、ある意味では今の中学生や高校生の方が、今の大人たちより精神年齢は高い面もあると私は思っている。これもまた「知は力なり」なのだが、宮崎駿氏の考える教養とは、おそらく大きく異なるだろう。


(以下引用)


miyasan_bot 宮さん(宮崎駿)bot
学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。
8月16日

拍手

日本の役人と研究者

勝川俊雄という大学の先生のブログから転載。
日本の役人のやり方がはっきりと出ていて面白いので引用する。「外部委員なんて不名誉職」という勝川氏のフレーズは痛烈だ。

この人はなかなかの硬骨漢で、日本の漁業の未来を憂えて「持続可能な漁業」を推進しようとしているのだが、日本の「根こそぎ」漁業の現場や、それにおもねるお役所にかなり苛立っているようだ。お役所というところは一般国民には冷たいが、業者とは半分癒着し合ったような仲だから、業者への規制は抜け穴だらけであったりする。そもそも漁業権というもの自体が不思議なもので、なぜあのような既得権益が一部の人間にだけ許されているのか疑問に思う人も多いだろう。
漁師や漁協が言うように「俺たちが海や川を守ってきた」という面もあるにはあるだろうが、乱獲によって海産資源を滅亡させるのもまた彼らである。いわゆる「混獲」によって無駄に捕獲されて海に投棄される魚や海洋生物は、漁獲高の三分の一に相当する量だという話もある。そして、おそらくそのほとんどは死ぬわけだろう。
福島原発の汚染水が海に流れ込んだために、魚類や貝類などの放射能汚染が懸念されているが、勝川先生によれば、福島近辺の海流は親潮と黒潮がぶつかり、太平洋方面に流れていくので、近海の汚染は少ないようだ。また、遠洋に海流が出た後は、希釈によって放射能濃度はかなり低くなるとのこと。まあ、どの程度から安全なのかはおそらく専門家でも断言はできないとは思うが、近海の海産物を買う人間はかなり少なくなるはずだ。東日本の漁業は津波と原発事故から当分は復旧できないだろう。この機会に、これまで当然視されてきた「既得権」関係も含め、日本の第一次産業を見直すべきではないだろうか。もっとも、それが「外資による日本支配」にならないように注意する必要はあるが。


(以下引用)

北海道ブロックの資源評価外部委員をクビになった
o 2010-05-26 (水)
o 日記

水研センターの委託事業である、北海道ブロックの資源評価の外部委員というのを2004年からやっている。北海道の資源評価(スケトウダラ、ホッケなど)について、専門的な視点からアドバイスするのが役目だ。水研センターの上の方の意向で、「今年からは来ないでくれ」ということになった。その背景について説明しよう。
水研センターは、今回の事業仕分けの対象にもなった、水産庁の天下り先である。ただ、一般的な天下り法人とは違い、水研センターには、研究組織としての実態がある。水研センターは、北海道から沖縄まで、日本全国に拠点を持ち、日本の水産研究をリードしてきた由緒正しい組織なのだ。農水省由来の理事たちは、月給80万円で役所に都合が悪い研究をしているものがいないか監視しているわけだ。理事の経歴を一切書いていないのは、やましいからだろうね。(事情により一部削除、詳しくはコメント欄を参照)
研究機関である水研センターでは、水産庁の意向は絶対だ。上司の許可がないと論文も発表できない。中間管理職が水産庁の意向にそぐわない研究はないかと常に目をひかされて(引用者注:光らせて?)いる。「論文を書いたのだけど、上司に止められて、投稿できなかった」とかいう話を、しばしば耳にするのだけど、同じ研究者として胸が痛む。苦労して論文書いても、発表できないリスクがあるので、もめそうなテーマは誰も選ばなくなる。結果として、養殖だとか、産卵場探しだとか、海洋環境で魚が減っただとかいう研究ばかりに人が集まり、資源のことをやる人間はほとんどいない。社会からは、もめそうなテーマほど、科学が求められているのだけど、社会的要請に背を向けているわけだ(まあ、これは大学も同じだけどね)。
その水研センターが、水産資源の評価業務を一手に引き受けている。日本の大学で、資源をやっているところは、ほとんど無いので、水研センターがやるのは仕方がないのだけど、当然、水産庁の意向が色濃く反映される。マイワシだのサバだのは、TAC(引用者注:漁獲枠)を設定していること自体が非常識なほど資源が減っているのだけど、あり得ない量の漁獲枠が設定されている。最初に業界の意向ありきの資源評価になっているのだ。資源評価の担当者が、まず、業界と打ち合わせをするって、常識的に考えておかしいだろ。
国が設定する漁獲枠(TAC)は、科学者が推定した生物学的許容漁獲量(ABC)を大幅に超過していた。この問題をメディアでしつこく指摘したので、水産庁は去年からTACとABCを等しくする方針を示した。これ自体は良いことなんだけど、業界の言い値であったTACを本来のABCまで下げるのではなく、資源評価に介入し、業界意向に沿ってABCを上げているのが実情だ。
毎年、決定したABCを報告する全国評価会議というのがある。ちょうど東京にいたから、冷やかしで出席をしたんだけど、酷かったね。マイワシは、普通の国ならとっくに禁漁にしているような低水準なんだけど、資源を回復させようとしていない。「増えた分は根こそぎ獲っちまえ」というスタンスで ABCを決めていた。俺は次のように質問をした。
俺「昔(TACとABCが乖離していた時代)は、資源回復を目標にしてABCを設定し ていたが、なぜ回復させない方針に変わったのか?」
水研担当者「水産庁の中期的管理方針で、資源量を現状維持にせよとあるので、それに従ってABCを決定した」
俺「中期的管理方針でマイワシは回復させなくても良いということだが、それはどのような生物学的根拠に基づいているのか?」
水研担当者「わかりません」
水産庁担当者「この場では即答できないが、水産政策審議会の議事録をみれば解る」
というようなやりとりがあった。ABCを決める方針について、最終的な会議でだれも説明できない。こんなの、資源評価じゃないだろう。でもって、水産政策 審議会の議事録を隅から隅まで探したけど、そんな記述はどこにもない。マイワシのABCはなんの説明責任も果たしていないのである。
「TACとABCの乖離を無くしました」と水産庁は威張っているけど、そんなのそもそも当たり前。さらに、近年は、ABCへの行政の介入が増えているので、実態は何一つ変わっていないどころか、悪くなっているかもしれない。そんななかで、現在もTACがABCを大幅に上回っている魚種が一つだけある。スケトウダラだ。その理由は、北海道にはうるさい外部委員がいて、水産庁資源管理課の思い通りにABCを操作できなかったからである。
http://katukawa.com/2006/08/post_29.html
http://katukawa.com/2006/08/post_30.html
役所にとって、外部委員というのは、自分たちの方針にお墨付きをあたえて、素人を黙らせるための道具にすぎない。その道具に、自分たちの方針をひっくり返されたら、おもしろくないわけだ。理由を付けて排除をしようとするのは当然だろう。以前も「勝川を辞めさせろ」と上から圧力がかかったことがあった。そのときは、俺も必死だったし、いろいろあって続投をすることになった。当時の北海道ブロック会議では、俺一人が突っ張っている状況だったから、俺が抜けたら資源評価が骨抜きにされるという危機感があった。
今は、かなり状況が違う。漁業とは独立した音響資源調査も軌道に乗り、魚がいないということは漁業者も納得済みだ。研究者にも、資源評価の場として、ちゃんとした数字を出そうという意識が育っている。他の外部委員も、俺以上にびしっと言ってくれるようになった。俺がいなくなっても、北海道ブロックの資源評価はグダグダにならないと信じているので、今回は、安心して、辞めさせられることができる。
今後は、北海道ブロック以外のABCを批判していくつもりなので、外部委員を辞めるタイミングとしては悪くない。そもそも、外部委員なんて不名誉職であり、解任された方がかえってハクがつくというものだ。

拍手

10秒で正しい判断をしないと2億円の請求

「ゲンダイネット」から転載。
私は、こういう自然災害時の責任者の判断は裁判になじまないと思う。つまり、裁判にかけるべきではない、ということだ。誰がこういう場合に、とっさに正しい判断ができるだろうか。できたとしても、それはただ偶然的な幸運で、結果的に正しい判断になっただけではないか。そして、結果的に間違った判断をしたことになれば、裁判にかけられ、2億円という法外な賠償金を請求される。どこの世界に、2億円を払える幼稚園経営者がいるか。
子供を亡くした親は可哀そうではある。だが、家族を亡くした人は無数にいるが、それが国や地方自治体を相手に裁判を起こすだろうか。明らかな国の過失である福島原発避難被害についても、住民はまだ裁判に訴えていない。その理由は、相手が個人なら裁判で勝つ可能性が高いが、国家(政府)相手では勝つ可能性がほとんど無いからだ。
こういう状況で、幼稚園に対して裁判に訴えるのは、弱い者いじめに近いと私は思う。金の取れる相手から取ろう、というだけだ。子供を亡くした親への同情があるから、誰も表だってはそれを批判はしないが、おそらく彼らに対して、悪口を連ねた手紙やメールがこれから殺到すると思うし、逆に私のこのブログにも「子供を亡くした親を批判する血も涙も無い人間だ」という批判が来るだろう。
被害者ならすべて善だということもないし、被害者の行動がすべて正しく、どういう行動を取っても許されるということもない。
私がそういう渡部昇一や曽野綾子みたいなクズ保守派的発言をするなど、普通なら考えられないが、この件に関しては、それが正直な感想である。


(以下引用)

東日本大震災 気になる裁判の火種
【政治・経済】 2011年8月11日 掲載


宮城県で園児の遺族が提訴

 東日本大震災の犠牲者をめぐってついに裁判が持ち上がった。宮城県石巻市の日和幼稚園の園児の遺族が、同園を相手に民事訴訟を起こしたのだ。
 遺族側の主張では地震発生から約15分後の3月11日午後3時ごろ、幼稚園は送迎バスに園児5人を乗せて帰宅させ、その途中、津波に巻き込まれて全員が死亡。犠牲者のうち4人(5~6歳)の遺族が、幼稚園の対応に問題があったとして計2億6680万円の賠償金を求めている。
「この幼稚園では“一刻も早く園児を保護者に返そう”と、2台のバスに子供たちを分乗させて出発。犠牲になった子供たちのバスは沿岸部に向かい、横転したうえに火災に巻き込まれた。一方、もう1台のバスは津波が来ると聞いて幼稚園に引き返したため全員無事でした」(地元関係者)
 今回の大震災ではほかにも裁判の火種になりそうな悲劇が起きている。
 そのひとつが福島第1原発で作業員2人が死亡した事故。地震直後、現場の当直長から4号機タービン建屋を点検するよう指示され、建屋の地下で津波の犠牲になった。津波警報が発令されていたのに2人を避難させなかった理由を、東電広報部は「屋内作業を制限するルールがなかった」と説明する。
 もうひとつ気になるのが岩手県大槌町の役場で起きた事故だ。地震直後に加藤宏暉町長が災害対策会議を招集。役場の駐車場に25~30人の職員が机やイスを持ち出して用意しているところを津波が襲い、加藤町長ほか職員・臨時職員40人が犠牲になった。地震警報が発令されているのに避難より会議を優先したとみられ、ある報道では遺族の一部が「いまだに公式な説明がないのはおかしい」と怒りをぶちまけている。
 何が原因だったのか。岩手県に問い合わせてみたが、「大槌町役場の津波事故についてはまだ事実を把握していません。避難を優先させるのは今後の課題ととらえてますが……」(総務部総合防災室)とはっきりしない回答だった。
「日和幼稚園の訴訟に触発されて、全国で裁判が起きる可能性は高い。再発防止のためにも法廷で真相を究明し、現場の判断が正しかったかを追及するべきです」(防災コンサルタント)
 まずは日和幼稚園の裁判に注目だ。
.

拍手

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
25 26 27 28

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析