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沖縄の風





いやはや、画像がくっついたり、画像コメントの位置が逆になったり、面倒だが、携帯画面だとわけのわからない画像が拡大できるのは助かる。まあ、自分のファイルに秘蔵すればいいだけだが、読む人にも多少の気分は伝わるだろうから、今後も時々は画像を添付する。ただし、何のために載せた画像なのか、筆者以外には分からない内容になるとは思う。べつに芸術的な意味はない。ただ、空や雲や風景を適当に切り取っただけだ。その風景も、名所でも何でもない。
さて、私はずっと田舎に帰っているわけだが、もはや両親もこの世にいない以上、田舎と言うよりは「生まれ育った場所」や「長い間過ごした思い出の場所」と言う方が適切だろう。
で、久しぶりに帰ってきて、何よりも良かったのは、「自然の風」である。
沖縄は暑いと思っている人が多いだろうが、昨日今日の最高気温は京都が35度くらい、沖縄は31度くらいである。しかもその31度が暑いかというと、そうでもないのだ。もちろん、日向は暑い。しかし、物陰や木陰に入ると、実に爽快な気温なのだ。そこに風でも吹いてくれば、その気持ち良さは最高だ。
時々、スコール的な雨が降ったりするが、そういう場合は濡れればいい。雨が過ぎたら、自然に乾く。そういう自然を体感するのが、沖縄を味わうということだ。首里城だの南部戦跡だのよりも、普通の町を歩き、時々空を見上げて雲の姿を楽しみ、腹が減れば小さな食堂に入って沖縄ソバを食い、オリオンビールを飲むのがいいだろう。

画像を最後に貼るつもりが、勝手に最初に載ってしまった。こういう画面構成を自由自在にできるまでには時間がかかりそうである。
例によって意味無し画像であるが、沖縄の空だ。




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思い出の場所

娘からブログへの画像の載せ方を習ったので、試験的に、昨日携帯で撮った写真を掲載する。この写真でそこがどこか分かる人はほとんどいないとは思う。どうでもいいような写真である。しかし、私にとっては思い出の場所だ。
近況については、この実験の後で、気が向いたら書こうかと思う。






この坂を下ってずっと小学校まで通ったが、もちろん昔は舗装などされていなかった。






築60年近い古いビルで、背後から撮ったもの。この家で私は小学生時代を過ごした。




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ブログ中断の挨拶と「梅ちゃん」感想まとめ

この頃は毎日2回投稿して、そのうち1回は「梅ちゃん先生」感想になっていたが、今日はしばらくお別れする挨拶である。と言っても、ただの夏休みだ。しばらく田舎に帰るので、ブログも中断されると思う。まあ、パソコンは持って帰るつもりだが、うまく接続されるかどうか。下手をしたら数週間の中断になるかもしれない。
と言うわけで、ブログ更新が途絶えていても、死んだり刑務所に入ったりしているわけでは(多分)ないので、ご心配なく。
挨拶だけでは素気ないので、例によって「梅ちゃん先生」感想を少し書いておく。
まあ、「梅ちゃん先生」は面白かった。通常の意味では最低、最悪のドラマだが、「悪口を言う楽しみ」「他人の悪口を聞く(読む)楽しむ」をこれほど与えてくれるドラマは稀有だろう。
「2ちゃんねる」に生息する連中の気持ちが少し分かった気がする。あれも他人の悪口を言う快感、自分の知性を誇る快感、自虐の快感という病的神経の解放の場だと私は思っている。つまり、私もそういう現代人の一人であるようだ。仙人などとはおこがましい、と少し反省している。

で、「梅ちゃん先生」批判コメントを読んでいて気がついたことを少し書く。
1)松岡先生、大好評だったこと。:コメントの中に松岡の退場を悲しむ声、再登場を期待する声が非常に多いのが目についた。これは日本人の健全さの現れだろう。つまり、真面目、誠実、素朴、思いやりという性格は多くの人に好まれるということだ。簡単に言えばジェームス・スチュアートのキャラクターである。このキャラクターはハリウッドからも日本のテレビドラマや映画からも長い間姿を消していたが、その久しぶりの復活が松岡というキャラだったのである。で、このキャラはほとんど全国民的な共感を得たのだが、ところが制作陣はそういう宝箱を掘り当てながら、それをあっさり捨て去るという愚行をした。そこからこのドラマの転落が始まり、批判が急上昇したのである。
2)南果歩(梅母)が異常なほど嫌われていること。:主人公の梅ちゃん、こと堀北マキ(漢字は知らん)も嫌われているが、それよりもコメントでの梅母嫌悪の声は驚くほど多い。なぜなのか、男性である私には理解できないのだが、女性からはとにかく嫌われているようだ。私はこういう「可愛いお母さん」は好きなのだけどね。色白であることまで文句を言われて「白塗り母」とか悪口の言われ放題で可哀相なほどだ。祖母役の倍賞美津子も大不評で、どちらにも共通しているのは「男に好かれそうな女は女に嫌われる」ということかと思う。べつに彼女たちのせいではなく、脚本と演出のせいなのだが、半分は彼女たちの容姿のせいでもあると私は睨んでいる。倍賞さんなど、あの年にしては色気がありすぎだから、女性に憎まれたのではないか。前の朝ドラの主人公は、少なくとも男好きのする女優ではないから女性には大好評だったのかと思う。あのドラマを評価する男は、ドラマを評価しているのであって、主演女優を女として好き、というわけではないだろう。はっきり言ってブスだしね。女はブスな女優を好む、というのは定説だ。まあ、オードリー・ヘップバーンやマリリン・モンローのレベルになると女優というよりは美女の象徴だから、女も彼女たちを好きだと言えるようになるわけだ。男だってイケメン男優は嫌いだろう、と言うかもしれないが、少なくとも私はそうでもない。まあ、私はルーファス・シーウェルやルパート・エヴェレット、仲代達矢、若手なら城田優などをいい顔だと思う人間だから、そういうのはイケメンではない、というなら話は別だ。ジャニーズ系の軽薄な顔は大嫌いである。
3)視聴者のドラマを見る目は鋭く厳しいこと。:世間の人間は、政治的にはB層が多いかもしれないが、それは教育とマスコミによる洗脳の結果であって、知性的には優れた人間が多い。むしろ社会の上にいる人間たちよりも、無名の庶民の中にこそ知的に優れた人間が、ごく普通に隠れ住んでいるのではないか。

以上である。

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福島原発事故の再考察のために

今日の「徽宗皇帝のブログ」の補足として、「マスコミに載らない海外記事」のアンソニー・ホールの記事を全文転載する。長い記事なので、本当は福島原発事故に関する部分だけにまとめたかったが、今日は日曜日だから、この程度の長さなら読む余裕はある人が多いだろう。
特に解説は無用だと思うが、この記事を載せた意図は、世界の人間は福島原発事故をどう見ているか、ということを知らせたかったからだ。まあ、たいていの読者にとっては釈迦に説法かもしれないが、この記事をまだ知らなかった人には利益があるだろう。


(以下引用)*元記事には放射能被害者(幼児)などの悲惨な写真などもあったが、こちらのブログでは画像はコピーできないので、それは自動的に省略になる。まあ、休日の朝から放射能障害による奇形児の写真は見たくはないだろう。


福島第一: 原子力発電所から核兵器第一へ




2012年6月13日


Veterans Today


Anthony Hall



“我々の世界は、これまで想像されたことのなかった危機に直面している… 解放された原子の力が我々の思考方法以外のあらゆるものを変えてしまった為、我々は未曾有の大惨事へと押し流されつつある”

アルベルト・アインシュタイン、Bulletin of Atomic Scientists(原子力科学者会報)、1946年5月


アルベルト・アインシュタインの警告と福島第一原発の不吉な運命


福島原子力第一発電所における大災害は、危険性が減るどころか、益々増しているという悪い知らせが順次広がりつつある中、アルベルト・アインシュタインの言葉が思い起こされる。伝説的物理学者アインシュタインは、その要員が1945年に広島と長崎に投下された最初の原子爆弾を設計し、製造した、マンハッタン計画が起動するのを手助けしたことを想起願いたい。1939年のアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト宛の手紙で、もしアメリカ合州国が、核兵器の破壊的潜在力を利用する競争に参加して、勝利しなければ、ドイツはほぼ確実にそうするだろうとアインシュタインは警告した。


マンハッタン計画は、ドワイト・D・アイゼンハワーが後に“軍産複合体”と表現した、アメリカ政府と営利目的の大企業が結びつく協力による研究開発R&Dの主な原型となった。日本とドイツとイタリアが提携する枢軸国を打ち破ることを狙ったこの壮大なイニシアチブにアインシュタイン自身は直接参加はしなかった。20世紀で最も偶像的な思想家の一人だった彼は、他の物理学者達や科学技術者達が、アインシュタイン理論の多くを核兵器製造に応用するのを傍観者としてながめていた。


広島と長崎の原爆による破壊のみならず、東京や他の幾つかの大都会への大規模絨毯爆撃によって、日本が灰塵と帰した後、アインシュタインは彼の恐れと懸念を公表した。様々な翻訳や言い換えをされてきた有名な一節で、アインシュタインはこう述べている。“我々の世界は、これまで決して想定されなかったような危機に直面している…解き放たれた原子力が、我々の思考方法を除くあらゆるものを変えてしまったので、我々は未曾有の大惨事へと押し流されつつある。”



アルベルト・アインシュタインは、人の思考方法は、内なる宇宙の分子構造から放射される莫大なエネルギー源を取り出すことによって世界にもたらされる変化に適応するようにはできないと懸念していた。



実験室としての日本


1945年以後、そして、日本で稼働中の一番古い原子力発電所を破壊した、相互に連結した危機の連鎖反応を、津波が起動させた日、2011年3月11日以前の時期に、アインシュタインが予測した大惨事の予告のようなものは多数あった。この局所的な出来事が、危機の初期段階の現在では想像することすら困難な形で世界を変換してしまい、我々が知っている日本を何らかの形で終わらせてしまう国家的、地域的、世界的連鎖反応に拡大してゆくという証拠は日々増大している。


この変換の方向と質は、科学探求やテクノロジー革新の先達にによってもたらされた思考方法を、私たちがその変換に適応できるかどうかに大いに依存している。内なる宇宙の中に深く入り込み、分子構造の物質から放出される不安定なエネルギー源を取り出するという方向に進むことを決めたことによって、我々の文明はアインシュタインの予言に我々を直面させる形で変えられてしまった。


日本の東海岸にあった、40年を経た古い設備は、福島第一原発が破壊された時点では、核技術のバーチャル博物館だった。6基のGEマークI原子炉の設計は、アメリカ海軍の最初の原子力潜水艦用に1950年代初期に開発された発電装置を流用したものだった。


津波が襲った時、これら年代物のGE原子炉の一基、3号炉には最新世代のプルトニウムを混ぜたアレバのMOX燃料棒が満たされていた。巨大な爆発によって、原子爆弾の基本原料プルトニウム同位体が500種ほどの放射性核種の中に混じって、現在、大気、海、地下水へと拡散されるようになり、福島第一原発は世界最大で最も恐ろしい核兵器へと転換した。


日本語で「だいいち」というのは「一番」を意味している。福島だいに、福島第二原子力発電所も、福島第一より更に11キロ東京に近い太平洋岸に位置している。福島第二も3/11には大きく損傷した。現在日本の54の原子力発電所の一基を除く全てが完全に停止している。



日本の原子力災害の全貌に関する極めて重要な情報は、依然として国民に知らされていないと疑うあらゆる理由が存在する。日本の原発インフラに対する生命を脅かす被害は、福島第一では終わらない。嘘、秘密主義、軍事的な基盤で悪名高い業界に対する国民の信頼の欠如と、信用できる規制の欠如が、決意を活性化し、地学的に世界で最も不安定な地域の一つにある原子力電力網を二度と再稼働すべきではないと要求する動きを、日本国内でも、世界中でも強めている。


津波の危険を伴う日本での地震頻度と激しさが大きくなっているという証拠の増大により、そもそも決して建設されるべきではなかった原子力施設の恒久的廃炉の為の議論の緊急性は増している。この不安定な地域の下に横たわる構造プレートの中で、何らかの基本的な変化が起きているように思われる。


福島の大災害は、いまだ初期段階にすぎない


福島大災害の最悪な事態は、過去というよりは、将来に起きるという認識が増大することにより、アインシュタインの見方の適切さは、はっきり浮き彫りになっている。実際、アインシュタイン警告の予言的な特質は、日本で放射能を放出している福島第一原子力発電所で、一体何がこれほどまずいことになったのかということの恐ろしい影響に含意に、余りに多くの政府、マスコミ、学界、そしてとりわけ、資金潤沢な原子力産業の心臓部が、適切に対処しそこねていることに、くっきりと反映されている。


古い時代遅れの感覚ゆえに、この未曾有の出来事の一体化において増殖する脅威を、官僚が認識し損ねたことは、極めて重要な言外の意味がある。福島第一原発で行われていること、更に重要なのは、そこで行われていないことが、解き放された原子の力が、我々の古い思考方法以外のあらゆるものを変えてしまったというアルベルト・アインシュタインの極めて重要な見解を、悲劇的なまでに例証しているのだ。




福島大災害の本質の正しい認識を阻んでいる主な障害の起源は、1950年代のプロパガンダ・ミームにまでさかのぼる。1953年末、アメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの国連における“平和のための原子力”演説で始まった、このプロパガンダ・ミームは、原子力産業内部の二重の区画と完全に関係を断つことを狙っていた。


原子力産業の民生部門とされるものは、優勢な軍事部門とは全く別物だと世界中の人々はだまされてきたが、この差異など実は幻影だ。そもそもの発端から、発電用の核エネルギー開発は、核兵器製造という、非常に儲かるが全く不道徳な事業に対する偽装PRとなるよう設計されていた。実際今日に至るまで、爆弾製造業者は、大量破壊兵器用のトリチウム等の様な成分を、原子力発電所の稼働から得ている。


http://www.timesfreepress.com/news/2010/feb/03/sequoyah-to-produce-bomb-grade-material/


二重性といううわべが、福島で一体何が実際に起きているのかを困難にしている。発電という、一見無害な目的のために建設された設備が、強力な原爆の巨大武器庫より遥かに大規模な破壊の可能性を持った核分裂性物質が高く積み上がった固定兵器へと、突如変身するのを、我々は福島で目の当たりにしていのだ。


ゆっくりではあるが確実な大量破壊兵器として機能する放射能




福島で何が起きているかという厳しい現実に、正面から向き合うためには、様々な種類の核放射能が、生命の循環再生に与える強力な影響を多少理解する必要がある。放射能そのものは宇宙と同じくらい古いものだが、人類が核技術の力によって、この自然力を生み出すという能力は、太陽の下、新しいものなのだ。


神のような作用によりエネルギーを解放するという、人類の新たな方法で、生命の遺伝子の青写真、我々の生存のDNAそのものを変えてしまうというのは、アインシュタインが我々に警告していた変化の中でも最も重大な変化だ。福島の放射能放出に対する、これまでの日本と国際的対応の驚くべき失敗によって、いつ何時にも、本格的核戦争で放出されるであろう量を越えて、放射能放出が急増しかねないことは、アインシュタインの最悪の恐怖の悲劇的な立証になっている。福島の核大災害は、これまでのいかなる危機以上に、我々人類が、特に我々の指導者として出しゃばっている連中が、原子を分裂させることで解放された変化に適応すべく、古い思考方法を変え損ねたことを例証している。


生物学的変換に対する放射能の影響を測定、理解する科学は依然初期段階にある。ところが、1945年以来、生命再生の自然パターンに対する放射能の影響を否定し、否認し、実際よりも軽視するのが応用原子力を推進する人々の体質だ。この否定の文化の根源は、広島と長崎の爆撃による破壊の第一波を生き抜いた、あらゆる人間、植物と動物の放射能汚染に対するアメリカ政府幹部の公式対応にある。大規模な人間集団の健康に対する放射能の影響と取り組むことをいやがっている様子は、1945年9月13日のニューヨーク・タイムズの見出しに記録されている。見出しは“広島の廃墟には放射能皆無”と宣言していた。

http://japanfocus.org/-Gayle-Greene/3672



アメリカ政府による日本の民間人に対する原爆爆撃から始まった核時代以後、何十年にもわたって、官僚世界の正式な立場はほとんど全く変わっていない。業界が生み出した放射能の、公衆の健康に対する影響は、その源がなんであれ、ごくわずかだと、再三再四彼らは我々に請け合ってきた。例えば大気中核実験や、核物質の採鉱、処理と、核兵器を含めた核製品の製造や、核のエネルギー力を発電や船舶や潜水艦の推進力への利用は、全く恐れる必要などないと説得することに、再三再四、公的資金が使われてきた。


はたして、福島の核大惨事でも、非常事態の本当のひどさ奇怪さを現実の通りに描き出し損ねて、これと全く同じパターンの偽情報が悲劇的に繰り返されている。1945年以来の専門家連中による不正行為の体制は、自ら共犯者となることを放置してきた、原子力産業幹部や、政府や、マスコミや学界の連中による福島事故の隠蔽工作にも及んでいる。大衆の健康に対し、致命的な影響の可能性があるものから、自分や家族や地域社会を守るべく最善を尽くすのに必要な情報を与えずにいることの、法的意味合いはどうなのだろう?


核汚染の影響を実際より軽く扱うという、今も継続中の官僚世界の癖は、何十年も続いているタバコ産業のはぐらかしの歴史と似ている。喫煙が健康に大きな悪影響を与えることを証明する膨大な証拠を認めようとしないタバコ産業の取り組みが、まだ目に入らないような人などいるだろうか?


これに等しいより最近のものは、主要産物を莫大な規模で燃やしているのが、何世代にもわたって地球の大気に影響を及ぼしていることを否定する大手石油会社の、古くからの、凝り固まった、資金ふんだんなロビーによるキャンペーンだ。この同じコインの裏側は、原子力発電所を、化石燃料産業に対するグリーンな代替案のように見せようとして、地球温暖化という政治的風船を過度にふくらませるために、原子力産業の大口後援者の一部が密かに献金しているという疑惑だ。



福島第一原発から280キロ離れた場所で収穫されたこの奇形トマトは、放射能汚染の影響を受けている。この赤ん坊が、イラクにおけるアメリカ軍による劣化ウラン弾の大規模砲撃の放射能の影響で奇形になったことはほぼ確実だ。

一体誰が信じられる情報源なのか?


大手マスコミは福島の話題に関して、ほとんど無断欠勤状態にあるが、核エネルギー分野における良心的な権威者の多くがロシア・トゥデイのような舞台に進み出て、緊急事態を解説してくれた。これらの学識専門家達には、アーノルド・ガンダーソン、クリストファー・バズビー、ヘレン・カルディコット、カク・ミチオがいる。少なくとも二人の日本大使と天皇自身を含む他の高官達も現在進行中の福島危機の重大さと、それが改められてはいないことを指摘、主張している。例えば国連が支援する会議で日本を代表してきたことが多い松村昭雄氏は2012年6月11日付け報告書を公開している。松村氏は鳴らしている警鐘の中で、巷ではチャイナ・シンドロームとして知られている現象が、既に起きてはいないとしても間近に迫っている可能性に注意を促している。松村氏はこう述べている。


1. 1号、2号および3号原子炉では、完全な炉心メルトダウンが起きた。日本の当局は、燃料が原子炉格納容器の底を通して溶融している可能性を認めた。これは意図しない臨界(連鎖反応の再開)または、強力な蒸気爆発に至る可能性があると推測されている。いずれの場合も、環境への大量の放射能の新たな放出に至る可能性がある。


2. 1号と3号原子炉は、特に透過性放射線が強く、この地域には近づくことができない状態である。その結果、福島事故以来、補強工事は行われていない。これらの構造が強い余震に耐えられる能力は不明だ。




この福島第1第3号炉の残骸は核燃料メルトダウンと水素爆発の両方が起きた場所だ。プルトニウムを混入した核燃料棒が装填されている施設でもある。


http://akiomatsumura.com/2012/06/what-is-the-united-states-government-waiting-for.html


益々多くの非常に深刻な危機が日々明らかになる一方、第4号原子炉で起きようと構えている大惨事中の大惨事を指摘する声が益々高まりつつある。日本の元スイス大使、村田光平氏は、国連事務局長に対し、主要な切迫した危機と考えるものを率直に指摘した。村田氏はこう断言している。“日本と全世界の運命は4号原子炉にかかっていると言っても言い過ぎではない。














上記四枚の第4号炉の建屋写真は、福島第一の、4,000トン以上の高放射性の使用済み核燃料棒を擁する7つの破損した冷却プールのうち一つの廃墟である。この構造物の残骸は、次ぎの大きな地震には耐えられないと想定されている。この分野の多数の専門家達は、もし次ぎの地震の衝撃で、既にすっかり破壊されたこの構造中にある放射性貨物が大気に漏出することになれば、放射性の巨大なかがり火が、スローモーション版の大規模核戦争を起こすと予言している。最初の3/11以前に撮影された4号原子炉上の冷却プールのものを含め、四枚の写真全てにある大きな丸い黄色の構造に注目願いたい。使用済み核燃料棒用冷却プールを空中30メートルという高さに置くという設計の愚劣さをお考え願いたい。


この元外交官は、もし次の地震が起きれば何トンもの放射性廃棄物もろとも崩壊しかねない、構造が吹き飛ばされてしまった、空中30メートルの高さにある使用済み燃料プールの不安定な状態についてコメントしている。既に激しく損傷している“冷却プール”の崩壊は、更に、科学上知られている最も有毒な放射性核種の数々を大気や海洋や地下水に放出しながら、恐らく一世紀は燃え続ける放射能の大火事をもたらすだろう。


アメリカ、オレゴン州選出上院議員のロン・ワイデンは、自ら福島の現場を視察した後、同様の感覚を表明した。彼は以下のように述べている。


原発と周辺地域に対する被害の規模は、私の想像を遥かに越えており、施設の所有者、日本政府と、地域住民に対する課題の規模は圧倒的だ。放射性物質や使用済み核燃料の膨大な在庫による福島第一原発と危険の不安定な状態は、更なる地震があった場合、その脅威は、全員に及び、より大規模な国際的支持と支援の焦点となるはずだ。


http://www.naturalnews.com/035813_Ron_Wyden_Fukushima_radiation.html#ixzz1xWqfblUu







危機の初日以来、アレクサンダー・ヒギンズは、最も粘り強く、正確で、気配りの良いブロガーの一人で、何か非常にまずいことが福島第一で起きているという増大してゆく証拠をかみ砕き、定期的に報告している。彼の記事の見出しの一つは、福島大惨事が、命にかかわる放射性セシウムを、既に広島原爆攻撃による放射性降下物の4023倍もの量、大気、海と地下水に放出したことを報じている。別の見出しはこうだ。“福島は絶えず我々全員を高レベルのセシウム、ストロンチウムとプルトニウムで攻撃しており、今後何百年もにわたり、何百万人もの人々をゆっくりと殺してゆく。”



http://blog.alexanderhiggins.com/2011/06/16/scientific-experts-fukushima-potentially-worse-20-chernobyl-governments-hiding-truth-28221/


http://blog.alexanderhiggins.com/2012/05/25/fukushima-cesium-nuclear-fallout-equals-4023-hiroshima-bombs-138001


http://blog.alexanderhiggins.com/2011/09/01/fukushima-continually-blasting-high-levels-cesium-strontium-plutonium-slowly-kill-millions-years-66941


人類に対する放射性核種の脅威には、肺、骨、筋肉や血液の中に入りこみかねない、飛散して、α線を放出する核微粒子が含まれる。我々を襲っている核汚染の一部は、我々が食べている植物や動物も一斉に攻撃している。より大きな生物がより小さな生き物を食べる過程で、人間という雑食性動物が暮らす最高位に至るまで、食物連鎖でより上位にある生物ほど、核汚染を含め、毒物汚染の濃度が酷くなる傾向にある。


福島大災害によって私たちに与えられた打撃の中では、太平洋の大規模核汚染が、恐らく最も重要な鍵を握っている。太平洋の水中生物は、日本、中国、インドシナ、オーストラリア、ニュージランド、近くの南太平洋の島々、そして西半球を含む、地球上で最も人口密度の高い地域にとって、とりわけ莫大で豊富な食料源だ。アラスカのアザラシやセイウチに現われつつある奇妙な病気は言うまでもなく、放射能で汚染されたマグロや放射能で汚染された昆布がカリフォルニアで発見されており、これは疑うべくもなく、今後起きるはずのより大規模で、よりひどい出来事のささやかな兆しだ。


近頃の最前線における必要な調査の大半同様、生態系に対して忍び寄る福島の影響の不都合な真実の大半の発見は、政府当局者ではなく、一般市民達。概して、我がカナダ政府を含め、大半の政府の福島大災害への対応は、測定プログラムを停止し、正常だという偽りの見せかけを維持できるよう、最低基準のハードルを引き下げることだった。


海における汚染は、ミルク、卵、肉、野菜や果物中で放射性核種の存在が発見されているのと軌を一にしている。優しい雨さえもが汚染されている。春の雨や夜明けのもや中での清められる散歩という癒しの力を、もはや何の懸念もなく楽しむことができなくなった場合、我々の内的資源の精神的再生は一体どうなるのだろう?



ヒギンズは、特に、東京電力が自ら以前の報告書中で公開したデータを改訂している多くの事実に対しても素早く注目している。そうした改訂は、ほとんど常に、相互につながっている大惨事の規模を、東京電力が当初故意に低く評価していたことを明らかにしている。


3/11大災害までは、東京電力が福島第一の“所有者”だった。多数のあらゆる文書で十分に裏付けられた、福島大惨事に至るまでの数々の不正行為や違法行為にもかかわらず、被災した施設での修復作業とされるものを、東京電力は不可解にも依然担当している。これまでの所、東京電力は、第三者の科学的観察者が現場で何がなされているか、あるいは何がなされていないかを監視することを禁じたままだ。同社はそのような観察者が、福島第一の本当の様子を独自に独立して研究をすることを認めようとしていない。


意味深いことに、3/11直後、この災害によって被害を受けた国民や企業に対する東京電力の法的責任のレベルが、わずか21億ドル、こうした恐ろしい状況のもとではスズメの涙だとブルームバーグ・ニューズは報じた。この金額も、もし東京電力が大災害は不可抗力で起きたものだと日本の裁判官を説得できれば、ゼロに引き下げ得るのだ。


http://www.bloomberg.com/news/2011-03-23/nuclear-cleanup-cost-goes-to-japan-s-taxpayers-may-spur-liability-shift.html


利益は私有化しながら、危険な産業・軍事活動のリスクは社会化するという話になると、保険会社が原子力発電所運営する企業を保険で保証したがらない為、原発受入国政府や国民が、核分裂による発電に伴う膨大なリスクを引き受ける本当の保険者になってしまうことが多い。


科学的合理性と、精神病院の不合理な行動との出会い


ヒギンズが指摘している初期の訂正の一つ、東京電力の福島には1,760トンの未使用と使用済みの核燃料があると指摘した推計は200%以上はずれていた。東京電力が後に発表した数値は、福島第一には4,277トンの核燃料棒があり、その大半の放射性廃棄物7つの冷却プールに保管されていることを示している。これらの冷却プールの全てが、大なり小なり損傷し、機能不全になった。地震と津波の後、福島第一での全ての産業大災害は、冷却水を使用済み核燃料棒プールにポンプで送り込むシステムの故障から始まった。この手順がなければ、これらの極めて放射能の高い棒は、核臨界の連鎖反応で過熱し、燃えだし、爆発する。こうした連鎖反応は既に、少なくとも、目の前のことに注意を払うのを怠らない人々にとっては、かなり進んでおり、起こりつつある..


http://blog.alexanderhiggins.com/2011/03/19/the-amount-of-radioactive-fuel-at-fukushima-dwarfs-chernobyl-9281/


これらの施設が、核兵器より遥かに破壊的になる可能性があるのは、福島第一や他の多数の原子力発電所で保管されている放射性廃棄物の巨大なプールの規模の巨大さだ。福島のみならず、世界中の500基以上の原子力発電所の大半に保管されている何千トンもの核分裂性物質と比べれば、原子爆弾のいわゆる“弾頭の爆発物“ などささやかなものだ。大気や水中へのこの放射性廃棄物のごく少量の放出によって引き起こされる公衆の健康、実際には、あらゆる生物の健康に対する脅威を認識するには、人間の意識は科学的発見や科学技術上の転換における跳躍からは遥かに遅れたままであろうと、アインシュタインが正しく予言した通りの、世界には悲劇的なほど不足している類の理解が必要だ。


福島第一における、核燃料燃焼や、放射性廃棄物処理や、放射性廃棄物保管用のこれほど多くの個別施設の密集は、産業の最先端を大量虐殺にまで拡張しようという軍事的動因に根ざす産業の象徴である、科学的合理性と精神病院の不合理な行動との不気味な結婚を体現している。



人類が知っているものの中で最も危険な工業的手順の、この入り組んだマヒ状態は、核ホロコーストのしきい値で、連鎖反応をさせる処方だ。連鎖反応によって、小さな問題を大きな問題に変換するために、個別にしつらえられた福島第一の環境を生み出したものは、恐らく原子力産業が究極的に依拠している中核的現象を反映している。原子爆弾なり、原子力発電所なりで、核エネルギーを解放する鍵は、内なる世界の分子レベルで連鎖反応増殖を開始することにある。


福島第一の6基のGEマークI原子炉と、アメリカ合州国の23基の同様な施設の場合、この狂気は、放射性廃棄物を保管するための高所に作られた冷却プールの文字通り真下に、核燃料を燃焼させる装置を設置するに至っている。


原子力潜水艦のように極めて空間が限定されている状況においては、この設計思想にもある程度限定的な意味があった可能性はある。今にして思えば、1950年代にノーチラス原子力潜水艦用に開発された原子力発電装置の基本プロトタイプを、単純に大型化し、その設計を、核エネルギーを電力に転換する地上設置用装置に使用するというGEの決定は、確実に史上最もうさんくさい経費削減策の一つに位置づけられるに違いない。


福島大惨事が原子力潜水艦の技術を継承しているということは、より大規模な現象の構造を物語っている。いわゆる民生経済とてし通用しているものの大半は、その優位性が冷戦の間に定着し、今や“テロ”という万能のお化けと戦うという名目の下、社会の更なる軍事化を加速している、軍の政治経済に由来する単なる工業副産物に基づいている。



完全に避けられたはずの福島の大惨事は、不幸にも、現在人類が直面している最も破壊的な恐怖の真の原因解明に役立とう。福島第一を核兵器第一に転換するのに、発射装置は不要だ。風と海の自然の流れが、いかなるミサイル、潜水艦、秘密のスター・ウォーズ兵器よりも遥かに効率的に放射性毒物を広めている。


福島第一の放射性廃棄物のプールが、破損した核格納容器の吹き飛ばされた外郭上層階で、致命的に大気にさらされている衝撃的な画像が、知的、技術的、倫理的貧困から、業界が不必要なリスクを冒すマニアとなっていたことを公の場にさらしたのだ。これらの画像は、社会の主要な公益事業の民営化と結びついた、規制緩和の奇抜な行き過ぎの、恐るべき風刺画と見なすことができる。原子力の精霊がランタンから解放された後に、放出するものの狂気を予想する上で、アインシュタインさえ十分先まで考えていたのではないかも知れないことを示唆する仮借ない証拠なのだ。


放射性廃棄物: 核サイクルの“バックエンド”


原子炉内で原子力を生み出す過程で、使用済み核燃料棒がつくり出される。これらの棒には何百万年、何十億年にもわたって極めて高い放射能を持ち続けるものを含む多様な放射性同位元素が存在する何千ものペレットが入っている。最も有毒で長寿命のものの中には、セシウム、ストロンチウム、ウラン、アメリシウム、キュリウムやネプツニウム等の同位元素がある。そのような種類の放射性廃棄物を、記録に残されているあらゆる人類の歴史よりも遥かに長い期間にわたって、土壌、大気や、水という脆弱な生態系と触れ合わない様に隔離しておくことは、膨大な技術的問題を伴っているのは明らかだ。これら問題の絡み合い方は、長らく核エネルギー産業の、いわゆる弁慶の泣き所と見られてきた。


http://coto2.wordpress.com/2011/03/26/us-stores-spentnuclear-fuel-rods-at-4-times-pool-capacity/


原子力発電の場所を、放射性廃棄物、中でも最も危険な部類の使用済み核燃料棒の長期保管用に使う正当な理由など存在しない。実際、福島第一での恐ろしい大災害は、これらの機能を決して一緒にしてはならないという説得力のある理由をまざまざと立証してくれている。核燃料の産業サイクルにおいて、異なる段階のものを組み合わせておくというこの慣行は、適切に考え出された何らかの計画の結果として開発されたものではない。この慣行は、むしろ自分達の地域、社会や、近隣に、放射性廃棄物の永久貯蔵のための施設建設に反対する世論を結集するという、ほぼ避けがたい現地住民の性向に由来して、考え出されたその場しのぎの政治的方策なのだ。このおきまりのパターンは、原子力産業の幹部連中が軽蔑する、頻繁に使われる頭字語表現を生み出した。その言葉とは、NIMBY、Not In My Backyard、つまり「自宅の裏庭に出来るのはいや」だ。


明白に放射性廃棄物を永久保管するという課題に向けた施設を、設計し、設置場所を決め、建設するという取り組みを(恐らく中国を除く) 原子力産業が事実上放棄したことには、小生が考えるに、より根深い側面があったのだ。ほとんど常に、NIMBYの姿勢から始まる住民のあらゆる動員は拡大し、一般への啓蒙や、核兵器と原子力発電所の両方を製造している産業の、事実上あらゆる側面の、一連の広範な危険を取り上げることを狙った一般向け組織に焦点をあてるようになる。

四面楚歌の原子力産業にとって、知識ある市民達によって組織化された反対運動に対処するという問題を避ける方策の一つは、原子力発電所の見えない所、大衆の注意が及ばない所に、放射性廃棄物を集積させ、目立たないようにつとめることだった。放射性廃棄物処理の為の実行可能で安全な方法を見いだすことに対する、原子力産業内部の熱意の欠如は、軍事研究開発の副産物としての核エネルギー産業の起源にまでさかのぼる。アメリカ原子力委員会の初代事務局長キャロル・L・ウィルソンは、1979年の視点で産業の初期を振り返って、こう述べている。


化学者と化学エンジニア達は放射性廃棄物には興味がなかった。それは魅力的ではなかった。それでの出世は見込めなかった。それは厄介なことだった。誰も放射性廃棄物の面倒を見て名声を得ようとはしなかった… 核燃料サイクルのバックエンドに取り組むことについては、本当の興味も利益も皆無だった。


(キャロル・L・ウィルソン、“核エネルギー: 何がまずかったのか?” Bulletin of Atomic Scientists(原子力科学者会報)、第35巻、1979年6月15日)


核エネルギーのフロンティアを拡張する


原子炉稼働の場所を、常時冷却が必要な、使用済み核燃料棒を含めた放射性廃棄物の貯蔵施設を兼ねさせることによる、この危険の増殖と複合の中心地は、アメリカ合州国内、とりわけカリフォルニアの地震/津波地域なのだ。福島第一で、危険な放出が一触即発状態にあることから、原子力発電所が最も危険な種類の放射性廃棄物の貯蔵施設も兼ねている、フランスやオンタリオの様な極めて原発の多い他の国々にも関心が集まっている。






インディアン・ポイント原子力発電所は福島第一より古く、遥かに骨董品だ。約20,000,000人のニューヨークっ子が施設から半径80キロ以内で暮している。サイトに貯蔵されている放射性廃棄物は、アメリカ原子力産業にとって重大な影響を持った訴訟の主題になっている。

70,000トン以上の使用済み核燃料棒の保管が、アメリカ合州国内104の“民生用”原子力発電所に広がっていることを当局者は認めている。放射性廃棄物を無期限に、原子力発電所に保管するというこのパターンの継続は、ニューヨークでの最近の裁定で疑問視された。ニューヨーク市を囲む巨大都市のど真ん中でのインディアン・ポイント原子力発電所の操業に対する住民の敵意が増大したことから、この訴訟が起きた。ほぼ2000万人が福島第一より更に古いこのポンコツ核施設から半径80キロ以内に暮している。



アメリカ合州国において、原子力産業のいわゆる民生部門の軍事的背景は極めて明らかだ。世界最大の放射性廃棄物の集積の一つは、広島と長崎に投下されたファット・マンとリトル・ボーイ原爆の組み立てが行われたワシントン州のハノーバー軍保有地だ。ハンフォード保留地は少なくとも2億リットルの高レベル放射性廃棄物の保管施設サイトだ。


核エネルギーに関する進行中の実験は、米軍と軍事契約企業という特権業者連中によって続けられている。この実験と、時にそうした成果の秘密裏の応用が、ほとんど認められていないにせよ、世界中の多数の人々、特にユーラシアの人々の健康に対し、大きな影響をもたらすことは確実だ。核エネルギー業界の軍事部門のおかげで、人類に現れた癌罹患率と奇形の増加は、イラクの劣化ウラン攻撃犠牲者の間で最も明らかだ。イラクの人々や他の戦災を受けた人々に負わせられた悲劇は、まもなく健康にたいする福島大惨事の短期的、長期的な影響として、より規則的に現れ、日本、東アジア、北米、北半球中、そして世界中で、より規則的に出現し始めるだろう。


国家安全保障国家の最も秘密の部門に振り向けられた莫大な秘密予算が、まだ公表されていない新たな科学原理の発見をもたらしたと考えている人々もいる。こうした発見のなかには、より対象を絞った、秘密なやり方で、核エネルギーを使用する新たな方法もあるかも知れない。そうしたものからもたらされる、こうした新たな原理と応用技術の多くが、例えば9/11で、鉄骨骨組みのツイン・タワーをほぼ瞬間的に、蒸気と細かい塵埃粒子に変換させた一つの要素だった可能性もある。冷戦の過程で合体した特権と権力の古くからの団結に、新たな生命を吹き込むのを手助けするにあたり、9/11の出来事についてのもっともらしい公式説明は明らかに役に立った。


チェルノブイリ、福島と帝国の崩壊


1986年のチェルノブイリの核大惨事が、冷戦の終焉に貢献した要素であることは疑うべくもない。大惨事は、ソ連支配者の資格に対する、国民の信頼を内部崩壊させるのに大きく貢献した幾つかの要素の一つだった。この信頼と威信の喪失は、国際社会においても、ソ連の評判と生存能力を失墜させることになった。その上、チェルノブイリの核爆発は、ヘーゲルとカール・マルクスが人類史の主要な活力と見なしていた、弁証法的唯物論を体現する科学的理性のとりでたるソ連という国家、という自己正当化神話を弱体化させた。ソ連政府内部でさえ原発事故はソ連体制に対する強烈な告発だと認識していた。


“自由世界”の指導者ぶっていた連中の視点からすれば、ソ連という国家の崩壊は、第一の敵とともに、(アメリカという)安全保障国家と、それに付随する軍産複合体の活動を監督する連中の膨大な力、影響力、富の正当化の、突然の消滅を引き起こすものだった。公式9/11説明は、新エリートが、現地の敵を、いわゆる“西欧”の包括的な敵へと転換する手段さえ与えてくれるグローバルな敵をつくり出し、戦うというあらゆる利点を、古いエリートに素早く返還したのだ。


チェルノブイリと福島の原子力発電所の崩壊への対応を比較するのは有益だ。徹底的な破壊に、まさに文字通り蓋をする為、ウクライナ穀倉地帯中心部において行われた、軍隊内外から800,000人のソ連国民動員は、ソ連最高の時間の一つとして屹立している。恐らく今よりも何百万人も多くの人々に広がっていたであろう放射能による恐ろしい病、死亡や、奇形を防ぐ為、放射能が一番高いサイト上に、何らかの障害を構築すべく、巨大石棺が建設された。もし石棺が建設されていなかったなら、一体更に何百万あるいは何千万人が汚染されていただろう?



1986年のチェルノブイリ原子炉の突然の爆発に対するソ連の対応は堂々としたものだった。ソ連という国家は危機に対応するため、軍隊の内外から800,000人の労働者を動員した。対応の一部は、損なわれた猛毒の建物を、ここに示す巨大な石棺で覆うことだった。何億人もの潜在的犠牲者の健康に対する未曾有の脅威を閉じ込めようとする大規模な取り組みは、日本における核の大惨事への生ぬるい対応とは薄気味悪いほど対照的だ。



これまでの所、福島大災害に対する対応は全く異なっている。3/11以降の日々、原子力産業の情報操作専門家連中による即座の診断は、事故は“スリーマイル・アイランド以上だが、チェルノブイリ以下だ”というものだった。別の情報操作はある程度の“部分的メルトダウン”が起きている可能性がある。部分的メルトダウンという考え方など、部分的な妊娠という考え方と同じ程度の意味しかあるまいと思ったことを思い出す。福島第一は2011年12月頃“冷温停止”になったという日本政府の偽情報をオウム返しにするほとんどの媒体、大半の大手マスコミは、福島の話題を報道の隅へと追いやった。


既に述べた通り、代替メディア報道の幾つかの部分は、実に確かで、福島大惨事の巨大さに匹敵する。そうした場所における言説では、福島がチェルノブイリ大災害の規模を遥かに越える大変異的破壊となる可能性が、次第に、一層確実になりつつある。福島の危機をこれ程まで脅威的なものにしている原因の一部に、悪化する危機への公式対応で、少なくとも公的には、東京電力を最前線にたたせている連中の、とるにたらない、無能で、脅えた様なやり方がある。一部の人々の、押し寄せる大惨事を食い止めようとする、勇気、知性、革新や自己犠牲の様々な英雄的行為がなかったと言いたいわけではない。彼らと同じ体験をするというのが一体どういうことなのかは想像することすら困難だ。


しかし、福島第一における最上級の緊急救援隊員達に対するこの称賛も、危機に対する東京電力の企業としての対応は、そもそも大災害の条件を生み出したのと同じ不正行為を証明しているという、私の主張を決して実質的に和らげるものではない。しかし、この未曾有の危機は、東京電力の企業としての無能さより遥かに重大だ。


アメリカの行政機関幹部を含め、アメリカを本拠とする原子力産業の最高幹部連中に対する最も断固たる、狙いを定めた批判を私は最後に残しておいた。のどかながら、地震が起きやすい島国に暮らす国民は決してそうするよう説得されるべきではなかったのに、こうした政府・企業幹部は、アメリカの最も従順な、公式、やがては非公式な植民地となった国に、アメリカの軍事技術の核エネルギー副産物を受け入れるよう、冷笑的に誘導したのだ。この大激変の責任は、こうした帝国権力集団の中にこそあり、まさにこの権力の中枢から、大惨事を封じ込めるための本格的取り組みが始まるべきだったのだ。


チェルノブイリ危機に対するソ連の対応と、福島の危機に対する企業本位の対応との対照はそれゆえ、非常に大きく、また多くを物語っており、究極的には、人類文明の将来にとって、地球上のすべての生命の将来にとって、甚だしい脅威である。ささやかな慰めは、我々の指導者と自称する連中による、公共の利益に対するあらゆる責任放棄のひどさから、教訓を学ぶことができるということだ。


福島第一の悪化しつつある大混乱とメルトダウンは、不振にあえぐアメリカ帝国のチェルノブイリの瞬間を具現化するものなのだろうか?


アインシュタイン対リッコーヴァー


日本全国で焼却するため、放射性廃棄物を福島地域から搬出するという政府の決定に関し、日本の内外で大きな論議が起きている。一体なぜこのようなことが起きているのかについては幾つか説がある。一つは、非常に多くの訴訟が行く手に立ちはだかるのを政府が見て取り、最も被害を受けた地域の癌や他の多くの病気の率を、それほど被害を受けなかった地域の率と比較する将来の科学的研究を複雑にさせようとして今のうちに動いているというものだ。


この馬鹿げた決定は、次から次へと続く大規模な崩壊の重みで、日本社会全体が機能停止していることに帰するものだというのが私の考えだ。日本国民は大規模な天災によって心に痛手を負っているのだ。日本の外部にいる我々は、常に天災が国民全員に加えたストレスと重圧に思いをはせるべきなのだ。福島大惨事に適切に対応し損ねた日本政府の重大な失敗は、こうしたことを配慮したレンズを通して検討されなければならない。



問題の大きな部分は、福島大災害への対処は、規模の上で、国際的であるべきだったことだ。あるいは、危機は主に日本の内政問題として扱われるべきではなかったのだ。原発内で起きることの影響が、実際は国境を越えることが余りに明白であるのに、この原子力発電所管理が国内化されていることで、大半の人間は、原子を分裂させることから生じる巨大な変化に積極的に適応することはできまいという、アルベルト・アインシュタインの恐怖にぐるり巡ってしまう。


ロバート・オッペンハイマーやマンハッタン計画に採用された他の多数の科学者達同様、アインシュタインは原子力を解放することにおいて、各国の主権の管轄内でこの分野の研究が行われるの認めるには、余りに多くの未知の要素があるという意見だった。アインシュタインは、核の秘密しっかりと守り、同時に核科学の進歩を入念に管理するような新しい形の国際機関を設立する必要性を想定していた。アインシュタイン派は核科学の原理を技術変化に応用するのは特に問題だと譲らなかった。それぞれの技術革新のあらゆる影響が徹底的に研究され、適切に理解されるまでは、そのような応用は厳格に禁じられるべきなのだと。


福島の大惨事と、国際的・共同的取り組みが皆無だったことは、誹謗者連中による、アインシュタイン派に対する先制攻撃の指標だ。 第二次世界大戦直後、原子力潜水艦開発担当者となったアメリカ海軍技術者ハイマン・G・リッコーヴァー海軍大将は、反アインシュタイン派のリーダーだった。ノーチラス潜水艦用の原子力発電装置を開発した後、リッコーヴァーは地上用原子力発電装置の開発に取り掛かった。


1954年から1957年の間に、リッコーヴァーはペンシルバニア積み出し港で“民生用”核エネルギーのモデル・プラントを開発した。彼はそのサイトを、原子力を取り出すための知識と専門技術の民主化と見なすプロセスの教育の場として利用した。彼の尽力は、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がしかけた宣伝攻勢と合流した。“平和のための原子力”を推進するに当たり、アイゼンハワーは、益々巨大化する大気中核兵器実験がエスカレートする過程が、核戦争による核ホロコーストに向かっているようだという、冷戦の双方の側にいる大衆の、増大する恐怖を和らげようとした。


「平和のための原子力」イニシアチブは、広島と長崎で耐え忍んだ攻撃からすれば、原子力に関連するあらゆるものを拒否する有り余る理由が国民にあったし、今でもある国、日本において、特に積極的に推進された。これらの障害はアメリカ合州国帝国の公式、非公式、両方の辺境地の住民達によって克服された。アメリカによる、発電手段としての核エネルギー推進は、アメリカの為政者や、当時のGEのような、為政者達にとっての法人顧客が没頭していた反共産主義の中に深く組み込まれることとなった。計画通り、日本は中国の毛沢東主義の影響を払いのけるための封じ込めの稜堡へと作り上げられた。元GEのマスコミ代弁者ロナルド・レーガンが大統領になったことと、福島第一の6基のGE原子炉は、この年代記の自然の結果だった。



何年も後、リッコーヴァー海軍大将は、原子力発電所は平和と進歩の為の良好な手段だという見解を根本的に変えた。職業生活の最後にこの話題について質問された際、この技術者は答えた。


放射線を創り出す毎に、特定の半減期、場合によっては何十億年のものを生み出しているのです。人類は自滅すると思いますし、この恐ろしい力を制御し、廃絶しようとすることが重要です.. 放射性物質を生み出す以上、原子力にそれだけの価値があるとは思いません。



記事原文のurl:www.veteranstoday.com/2012/06/13/fukushima-daiichi-from-nuclear-power-plant-to-nuclear-weapon-1/


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工員様、どうかうちの娘(医者・親は大学教授)を嫁に貰ってください

まあ、こんな暇つぶしみたいにNHKの朝ドラの感想を追うのも馬鹿みたいだが、ドラマよりも感想の方が面白いのだから、仕方がない。その感想を見て理解するためには糞みたいなドラマの方も見る必要があるわけで、まったく逆立ちしている。
で、今日も見ました、「梅ちゃん先生」。
ああ、鳥肌が立った。昨日のラブシーンにも鳥肌が立ったけど。とにかく、気持ち悪さ満載のドラマになってしまった。
どこが気持ち悪いかというと、ノブが下村安岡両家族の前で梅子と結婚する了解を取ろうとするのだが、その時、安岡家は梅子が料理ができないことに難色を示し、下村家は、「こんな娘で済みませんが」と頭を下げるのである。
あのねえ、お医者様と、貧乏な町工場の後継ぎだよ。べつに、これからホンダやソニーに発展することが予言されているわけでもない、従業員3人、うち家族2名の家内工業だよ。
何を偉そうに! それに、下村家も、なぜそんなに下手に出るのだ? たかが貧乏工員に、大事なうちの娘はやれません、と拒否するのが自然だろう。そもそも、下村親父と安岡親父は犬猿の仲であり、両家の境界線を巡って法的な争いまでしようかという天敵だったではないか。親父くらいは拒否するかと思っていたら、「どうかよろしく頼む」だって。えーっ、あんた、ノブのこと、そんなに買っていたっけ。この二人の交流など、これまでまったく描写されていませんが? 天下の帝国大教授が、自分の娘を貧乏工員の嫁にやろうとは、何と言うリベラル、素晴らしい!(笑) でも、確かあんた、頑固親父キャラだったはずだけど? 
いったい、この下村家の人々は、苦労して医者になった娘を町工場のおかみさんにさせて、料理や掃除洗濯をさせるつもりなのかな。それとも梅子は医者も続けながら、ノブやらその両親の面倒やらも見るのかな。それともノブが工場をやめて主夫(ヒモ)になるのかな。さっぱり分かりませ~ん。
まあ、このドラマの脚本家にまともな神経、合理的頭脳を要求してはいけないことは分かっているのだが、少なくとも最初の間はまともだっただけに、途中からのこのハチャメチャぶりは、やはり昨日の記事に出てきた総合プロデューサーの女に一番の原因があるようだ。つまり、「恋バナ」好きな自分の嗜好を勝手に持ち込んで、ドラマを滅茶苦茶にしたらしい。(「恋バナ」というのは「恋愛話」のようだが、嫌な言葉だ。などと言いながら私も使ってしまったが)
そのあたりの事情が「梅ちゃん先生」感想板に書いてあったので、それを(引用1)とし、ドラマの欠点分析については、「梅ちゃん先生」批判ブログの雄、「えみりーの鈴木先生的神経症ブログ。」を(引用2)とする。(ただし、絵文字の多い文章なので、転載すると読みにくくなるかもしれない。)
「厭なら見なければいい」というのが作り手側の常套句だが、実は「下手なドラマ」は、反面教師として、ドラマ作りのいい勉強になるので、そういうことに興味があるなら、見て損はない。ただし、愚劣なドラマの気持ち悪さが我慢できる人に限定されるが。

注:私自身は貧乏人だし、世間の金持ちはどちらかと言うと嫌いなので、上の記事や今回のタイトルはこのドラマのあまりの非現実性を批判しただけである。


(引用1)


終わりましょう49人がこの感想に票を入れています。採点:
投稿者:pum*****さん投稿日時:2012/8/4 1:56
少し前のこと、
「行き方(夢人注:「生き方」の意か?)ばかり描いてもつまらないしみなさん恋愛話が好きでしょう?」
というようなことをCPがどこかで話したらしい・・・笑いながら。
こんなぺらっぺらな作りでこんなこと言われると、
すごく○鹿にされた気分。
ナレーションとセリフで全部はしょって説明して
明日終わってもいいでしょう。


(引用2)

それよりあれだよな、この2人を無理矢理くっつける為に、松岡がアメリカに追いやられ、ノブカノが排除され、坂田が殺され、おじさんが逮捕され、お見合い相手が謝罪させられたんだよな


ラブストーリーの王道としては、周りの人達を多少傷つけるってのはあるっちゃーあるけれど、ハートに火がつかない2人の為にどれだけ酷いエピソードを積み上げるんだよ


しかも、そんだけ積み上げても盛り上がらない2人


「みんな恋愛が見たいでしょ」とか言っているらしいプロデューサーに、是非とも「Yahoo!みんなの感想G」をご覧になって頂きたいものですよ


別にYahoo!が世間の評価と必ずしも一致するとは思わないけれど。


だって真剣に見てわざわざ意見を投稿するには、それなりの強い愛情がなければ出来ない訳で、そこまで力の入っていない「時計代わり」「習慣だから」「ながら見」視聴者が大多数を占めているだろうって事も想像がつくから。


でもそんな人達も何らかの「違和感」を感じているだろうと思うし、そう願いたい





お父さんとおじさんの確執も、結局よく分からなかった


お父さんは頭が良かったから、金持ち下村家に引き取られた?


それは梅婆がお父さんを忌み嫌う理由にはなっていないよね?


梅婆は、頭が良くて小生意気なクソガキ(←お父さん)よりも、調子がいい陽造おじさんの方がかわいらしかった?


「息子が出来たみたいで嬉しかった」とか言っていたけれど、お父さんも息子 だよね?


ヒドイハナシダナーヽ(´ー`)ノ


陽造おじさんが度々梅婆にお金をせびるから、お父さんは弟に厳しくしていた?


それって今思い付いた「確執」じゃないの?




弟は貧乏な中で頑張って生きてきたんだからさ、自分だけ優遇されて来たお父さんが援助するのは当たり前じゃないの?


弟を深く思いやるって感じがないよね


松竹梅の兄弟もそうだけどさ


昨日も、ノブの所に行く松子と竹夫の行動は、本当に梅ちゃんの事を考えている様には見えなかった。


からかっているみたいだったし、小中学生の行動だったよね。


まぁ梅ちゃんとノブが小学生なんだから仕方ないけれど





あと警察に梅ちゃんだけしか行かないのも不自然だった。


昨日はおじさんをかばいまくった竹夫や梅母はどうしたんだよ


梅あげする為に、下村ファミリーの冷たさを強調してしまったよ


みんなおじさんの事は信じる癖に、お父さんの事は信用ないのね




しかもノブに言わせると、梅ちゃんはまるで天使の様な子


みんなの事を思っている


その中の一人じゃイヤだぁ


そんな無理矢理エピをねじ込んで来るなぁあぁあ


梅ちゃんは単なるゴシップ好きでしょーが


みんなの事を思ってる優しい子なら、マメにお父さんのお見舞いに行き、ギランバレー症候群の女子高生をフォローし、ノブカノの知り合いのおじいさんの事も気にかけるだろうがよ


医者としての仕事も地域に貢献している様子もほとんど描かれず、流れに身を任せて「がんばらない」梅ちゃんを誰が応援したいと思えるかっつーの


あーあ、ついつい言葉が荒くなってしまったえみりーでした

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ゴミ拾いの聖者

「ロケットニュース」というサイトから転載。記事の存在は「ネットゲリラ」で知った。

聖者である。
こういう人間が存在する一方で、人類など50億人ほど削減すべきだと主張する大金持ちもいる。自分たちの高給を確保するために従業員を何千名も首にする経営陣もいる。他国に戦争を輸出し、他国の人民を殺して平然としている国家指導者もいる。自分の生んだ子供を虐待し、死に追いやる若い母親たちがいる。


(以下引用)


【無償の愛】40年かけて35人の道に捨てられた子どもを拾い救ってきた中国の女性が世界中に感動を与える



現在ある一人の女性に隠されたストーリーが、世界中に感動を与えている。

その女性とは、中国の楼小英(ロウ シャオイン)という88歳の女性で、現在腎不全(じんふぜん)のため入院生活を送っている。彼女は、浙江省の金華市(きんかし)というところで道に捨てられているゴミを拾い、それをリサイクルすることでなんとか生計を立ててきた。

しかし貧困のなかで生きてきた彼女が、道で拾っていたものはゴミだけではない。なんと40年かけて35人もの子どもを拾い、そして救ってきたのだ。

17年前に夫に先立たれた楼さんは、拾った子どもたちのうち4人を自分のもとに置き、残りの子どもたちは友人や親戚のところに預け、面倒を見てもらった。

そして82歳の時、今の楼さんの最も幼い子ども張麒麟くんをゴミ箱の中で見つけることとなる。現在7歳になる麒麟くんを見つけた時のことを、楼さんは次のように話している。
 
「私はすでに歳をとっていましたが、その赤ちゃんを無視し、ゴミの中で死なせることなんできませんでした。その子はとても可愛らしく、そしてとても苦しそうでした。私はその赤ちゃんを家に連れて帰らなければと思ったのです」

「田舎にある小さな質素な家にその子を連れて帰り、元気になるよう面倒を見ました。そして今その男の子は、幸せで健康なやんちゃ坊主に成長しています」

「張麒麟より年上の私の子どもたちは皆、彼の世話を手伝ってくれました。麒麟は私たち全員にとって、とても特別な存在なのです。私は中国語で “貴重で大切なもの” を意味する単語を、彼の名前として選びました」

「1972年私がゴミ拾いに出かけた時に、小さな女の子を見つけたことが全ての始まりです。その女の子は、道のゴミの中に埋もれており、捨てられていました。もし私たちがあの時その子を助けていなかったら、彼女はきっと死んでいたことでしょう」

「その子が成長していく様子を見るのが、私たちの幸せでした。そして気づいたのです。子どもの世話をすることが、私が本当に大好きなことだということを」

「また、こうも思いました。もし私たちにゴミを集めるだけの力があるのなら、人の命のような大切なものを “再生” できる力もあるはずだと。道に捨てられた子どもたちは、愛情と保護を必要としています。彼らはみんな大切な命なのです。どうしたらこんなか弱い赤ん坊たちを道に捨てられるのか、私には理解できません」
 
血のつながった実の娘・張彩英さん(現在49歳)を育てながら、道で拾った子どもたちも我が子のように愛してきた楼さん。その楼さんのもとで育った子どもの一人・張晶晶さん(33歳)は、楼さんがどんな母親だったかをあるテレビ局のインタビューのなかで、次のように話している。(張晶晶さんがインタビューに答えている様子は、記事下の動画で見ることができます)
 
「あの頃、母は何も食べることができませんでした。母はゴミを拾うため、真夜中に出かけなければいけなかったのです。私たちが寝た後に、母は出かけていました。そして明け方、まだ明るくなる前に家に帰ってくるのです。当時私たちは、ろくに食べることができず、大根、かぼちゃ、それからサツマイモなどが、その当時食べていたものです」

「私たちにお腹いっぱいになるまで先に食べさせて、その後やっと母が食べます。私たち子どもが、満腹になるまで食べたのを見て、母は心の中で『これで安心して自分も食べられる』と思っていたのでしょう」

「例えば12個のアメを3人の子どもに分ける時、母はなにがあっても均等にそのアメを、子どもたちに分け与えます。母は血のつながった実の子どもがいるのですが、拾ってきた子どもと分け隔てなく接するのです。えこひいきなんてしません。自分の子どもだけいいものを着せようとか、たくさん食べさせようとか、そういうことは決してしませんでした」

「母がこのように病気にかかってしまうとは、誰も想像していませんでした。私たちは今でも母が100歳まで生きられると思っています。母がもっと長く生きしてくれれば、私たちも母ともっと同じ時間を過ごすことができます。もし本当に母がいなくなってしまったら、 “お母さん” と呼べる人が本当にいなくなってしまうのです」
 
そして楼さんの行動を支持してきた人は、地元における楼さんの存在についてこう話している。
 
「彼女は、捨てられた子どもたちに何もしない政府、学校、人々に恥を思い知らせています。彼女にはお金も権力もありません。しかし彼女は死のふちから子どもたちを救ってきたのです。地元では、彼女のことはよく知られており、捨てられた子どもたちを救ってきた人としてとても尊敬されています。彼女は常に最善を尽くす人物であり、地元の英雄です。しかし残念ながら、中国には数え切れないほどの子どもたちが道に捨てられており、彼らには生き残る希望がありません」
 
この話の通り、つい先日、中国の鞍山市(あんざんし)で、ビニール袋に入れられた女の子の赤ちゃんがゴミ箱で発見された。その女の子の喉(のど)は、残酷にも切り裂かれていたが、幸いにも無事に救助され、一命をなんとかとりとめた。

この女の子は、中国の一人っ子政策の犠牲者だと考えられている。なぜなら一人っ子政策により「女の子よりも男の子を好む」考え方が生まれてしまったからだ。

そんな利己的な社会に捨てられた子どもを救ってきた楼さんは、現在腎不全のため入院しており、話すことも動くこともままならないほど身体が弱っているという。しかしそんな状態になっても楼さんは、自分が愛した子どもたちのことを気にかけており、病院のベッドの中から次のようなことを語っている。
 
「私に残された人生はあと少しです。そして私が今、最も望んでいることは、7歳の麒麟が学校に行くことです。もしそれが実現すれば、私の人生にもう悔いはありません」
 
実は楼さんは、これまで2人の娘を中学まで行かせることができたが、それより年上の3人の子どもたちを学校へ行かせてやることができなかった。それがとても心残りのようで、麒麟くんをなんとしても学校に行かせてやりたいのだろう。

そんな愛情深い楼さんの人生が、中国で大々的に報じられると、ネット上で楼さんの入院費をカンパしようという動きが生まれ、募金を募るサイトまで登場した。

そしてついに公的機関まで動いた。楼さんが学校の進学を望んでいた麒麟くんには、戸籍がないため、小学校へは入学できないとされていた。しかし今回の楼さんのニュースが中国で話題になったことで、戸籍の管理をしている地元の公的機関が、麒麟くんが入学できるよう戸籍問題解決へと動いてくれたのだ。

それに呼応して、金華市の小学校も麒麟くんの入学を認めており、楼さんの話に感銘を受けたという校長先生は「これは楼さんの人生最後の望みであり、我々はそれを叶える手助けをしなければいけません」とその熱い気持ちを語っている。

世界中の人の胸を打つ、楼さんが見せた子どもたちへの “無償の愛” 。確かにこれまで楼さんは、質素で貧しい生活を送ってきたのかもしれない。しかし自分を「お母さん」 と呼ぶ子どもたちの愛らしい声、そしてその子どもたちが見せる無邪気な笑顔で満ちあふれたその人生は、誰にも負けないくらい幸せな人生だったに違いない。

楼さんの人生を明るく照らすこの無償の愛の素晴らしさ・美しさが世界中の人の心に伝わり、道で捨てられる子どもが一人でも減ることを切に願いたい。

(文=田代大一朗)

参照元:Daily Mail, Huffington Post, Digital Times(英文), video.sina.com.cn


▼楼さん(左)とその旦那さん(右)、そして4人の拾ってきた子どもを写した1988年の写真

▼どんな貧しい生活を送ろうとも、子どもたちの笑顔を優先した楼さん

▼こちらが今の楼さんの最も幼い子ども・張麒麟くん(7歳)。とってもやんちゃそうだ!



▼楼さんは腎不全で現在入院しており、きちんと話したり動いたりできないほど体が弱っている

▼しかし病室は、楼さんのことを想う子どもたちの笑顔でいっぱい!左にいるのは麒麟くん
張晶晶さん(中央)の腕には、楼さんの孫にあたる晶晶さんの子どもの姿が

▼きっと楼さんの人生は、幸せと愛で満ちあふれた最高の人生だったに違いない


▼楼さんとその子どもたちを映し出した動画


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「梅ちゃん先生」ヤシガニ化のバックステージ

例によって「梅ちゃん先生」感想板で批判コメントをにやにやしながら読んでいたら、私のような存在が他にも沢山いるようである。そちらを(引用1)としておこう。
さて、(引用2)は、とある「梅ちゃん先生」批判ブログから転載。
このグラマティコという人、絶対に脚本家の才能がある。「梅ちゃん先生」の脚本家の百倍くらいね。
いや、実際、このプロデューサーと脚本家の企みで、このドラマの方向が完全にねじ曲がったのではないか、と私は思っている。どちらも低俗な恋愛ドラマが大好きで、「真面目な復興支援ドラマ? かったるいなあ」と思いながらやっているうちに、視聴率が上がらないのを偉い人に責められて、「じゃあ、テコ入れすっか。方針変更! ラブコメで行きま~す」となったものだろう。
もともと大好きな路線だし、「まどか☆マギカ」などのような、「視聴者を驚かせる展開」を一度はやってみたかった脚本家が、頭悪いのに、それに挑戦して大失敗。(「運命の人・松岡」のアメリカ追放で確かに視聴者はびっくり!)でも、その奇怪な支離滅裂さが逆に話題を呼んで、視聴率アップ。NHKの評価が下がろうと、真面目な視聴者を怒らせようと、視聴率高ければ文句言わせないもんね、というところではないか。と言ってもたかだか20%ちょいだと思うのだが。
(注)「ヤシガニ」とはシリーズ物のアニメ番組が放映途中で作画崩壊を起こすこと。作画ではなく、ドラマ崩壊は、実は名作と言われている「エヴァンゲリオン」のラストがそうである。いわば、まとめきれなくなった作家による「ちゃぶ台返し」。しかし、NHKの朝ドラで、中盤でのこれほどのドラマ崩壊は史上初だろう。



(引用1)

高視聴率のわけが…17人がこの感想に票を入れています。採点:
投稿者:mar*****さん投稿日時:2012/8/3 13:23
わかりました!
毎朝せっせとドラマの細部にわたるまで注意深く視聴し、
ここで批判する!さぞすっきりするでしょうなあ。
朝の連ドラ、新しい楽しみ方です。


(引用2)

『これはフィクションです。実在の個人、団体とは一切関係ありません』




【あるドラマ制作の現場】


脚本には、「変な人」を描くのが持ち味の毛ガニを起用。
ヒロインには、若手人気女優のマミを抜擢。

柿ピー(プロデューサー)と毛ガニ氏は、「コメディータッチのホームドラマ」にすることを決める。時代は、「Abnormal~四丁目の暗闇」と同じ昭和三十年代の東京。マミちゃんのイメージにぴったり合うからだ。

脚本が出来上がった頃、大地震が起こった。
被災地の住民は逃げ惑い、悲しみに暮れ、多くの国民が衝撃を受ける中、別の場所で、ほくそ笑む人間たちがいた。
そう、柿ピーと毛ガニ氏だ。


---打ち合わせ---

「ニュースでやってた被災地の医療活動、あれドラマで使えないかしら」

「もうだいぶ書きあがってるけど・・・」

「何言ってるの!そんな子供だましみたいな脚本で!」

「すまん。これが俺の持ち味なんだが・・・で、医療ネタをねじ込むの?」

「そう。ヒロインを『医者』にするのよ!」

「おお!じゃ、マミちゃんに医者コスプレ も着せられるな!ムフフ」

「あんたみたいなスケベなおっさんにもウケるわね」

「おおぉ!妄想が膨らんできたぞーー! 」

「ついでに『復興支援』を絡めようかしら。宣伝部から押しが弱いって言われてるのよ」

「じゃ、時代設定、『戦後』にしとく?がれきの山作っとけばそれっぽく見えるよ」

「いいわね。美術スタッフも喜ぶわ。予算たくさん使えるし 」

「戦後か~、ドラム缶風呂 とかあったよね?確か」

「多分あったと思う。もしかしてお色気シーン 入れちゃうわけ?」

「もちろん 」

「あんたも好きねぇ。まあいいわ。視聴率も上がりそうね 」

「グフフ。あんたも出世できるじゃねーか。お互いさまだよ」


---製作開始---

男優A:この台詞、ちょっとおかしくないッスか?
毛ガニ:いいんだよ、それで。書き直すのめんどくせーし。
男優A:でも・・・
女優B:私もおかしいと思います。視聴者から反発が来そうな・・・
毛ガニ:視聴者?視聴者ってあほばっかだよ?これくらいでいいって。
女優B:そんな・・・私は納得できません!
柿ピー:あなたたち、大事なことを忘れてるわね。このドラマに出ればハクがつくでしょ。それに他番組にも出られることになってるんだし。よく考えなさい。
男優A、女優B:・・・・・・

---内覧会---

幹部A:これは一体・・・
幹部B:マミちゃん可愛いね!
幹部C:がれき、よく出来てるね。マミちゃんのもんぺ姿もイイね!
毛ガニ:でしょでしょ?ウヒヒ
幹部A:視聴者の反応が心配だが・・・
幹部B:そうかな~可愛いからいいんじゃないの?
幹部C:柿君、そのへんどうなの?
柿ピー:ちゃんと手は打ってあります。
幹部A:というと?
柿ピー:マスコミにはあげあげ記事を書くよう根回ししております。
  今のところ朝●だけが拒否してますが。あと、ネット対策も万全です。
幹部B:マミちゃんを前面に出せばウケそうだな~
毛ガニ:でしょでしょ。ウヒヒ
幹部C:大阪には絶対負けられないからね。制作費じゃんじゃん使っていいよ。
柿ピー:ええ。今スマッ●にテーマ曲を依頼してるところです。
幹部A:ほほぅ。さすが柿君、抜け目ないな。でも、視聴者からクレーム来そうだな。
幹部B:そのくらい何とでもなるよ。
幹部C:ああ。窓口職員に言い含めておけば問題ないな。
柿ピー:公式サイトの加工も依頼済みです。ちゃんともみ消しますから。

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あくまで「フィクション」です。
こんな会話がホントにあったら怖すぎる。(・Θ・;)

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