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仕事と家庭生活の時間配分

「がま仙人のブログ」から転載。
まったく御説のとおり、であり、仕事のために家庭や家族を犠牲にする、というのは、本末転倒もいいところであって、家庭や家族を守るために仕事をするのが当たり前である。それを許さないような職場や、仕事のために自分の生活を犠牲にすることを強要するような職場をブラック企業と言うのである。
もちろん、ひとたび職務に入れば、全身全霊での努力を必要とする職場も当然あるだろうが、それとこれとは、話が別だ。
私は以前から、ワーク・シェアリングがもっと広がるべきだと提言しているが、それは、仕事と家庭生活(あるいは自分の時間)との比重が、今の日本では仕事に偏り過ぎている、と思うからだ。
勉強にせよ、仕事にせよ、1日のうち4時間ほどで十分だ。
後は、自由に遊ぶのが人間らしい生き方というものである。

「遊びをせんとや生まれけん。戯れせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ」




(以下引用)




2013年03月25日23:19

カテゴリ仙人的徒然草_IT・お仕事系

パート労働は素晴らしい


また一カ月以上間があいてしまった
ワシいったいどうなってしまったんだろうな

でもまあ、気が向いたときに書くというのが
いいのかもな

アルバイトは相変わらずだが
最近は接客とかも増えてきた
ワシは接客が大嫌いなんだよ
口を動かすより黙々と手足を動かしていたほうがいい
もともと接客業務ありなんて聞いてねえし

でもパートという気楽さがあるので
だいたい5時半ぐらいで上がれる
労働時間がきまっているというのがとてもうれしい
だから嫌いな接客とかでも気が楽だ

3月中は閉寮のため娘が帰ってきている
先日喘息気味だったので
寒気がするというので麻黄湯を煎じて飲ませ寝かしつかせた
翌日いつものように職場にはいったのだが
娘の容体が心配だったので職場に早上がりをお願いしてみたら
かなり忙しいのだがすんなりOKしてくれた
調子抜けするぐらいで
ちょっとびっくり、新鮮な感覚だった

日本の多くの職場で
「子供の具合が悪いときは休んでも早上がりでもよい。周りは文句いわない」
というルールがあったら人々のストレスはすごく軽減されるのではないかと、ふと思った
つまんないルールだけど世の中の働くお母さん、働くシングルな父だったら
これの意味がわかると思う

いずれにしても
子供の具合が悪いときはこれからも
遠慮なく休んだり、早上がりをしようと思っている
それで嫌み言われたり、文句言われたりしたら
どうぞどうぞクビにしてくださいと言えばいいんだしな
パート労働はそういうことができるからこそいいんだよ

どんなことがあっても絶対に休めない職場というのがあったとする
それはいくら収入があったとしても囚人とか奴隷とかと同じだよな
ワシは奴隷だけはなりたくないので
奴隷になるぐらいなら餓死を選ぶよ

ワシを誘ってくれた職場の社長が
接客に支障が出ると思ったのか
ワシの仙人髭を剃れといってきたことがある
間髪いれず、「気に入らなければクビにしてくれ」と言ったら
苦笑いして立ち去った
前にも言ったと思うが、茶髪はOKで仙人髭がダメというそういうセンスが全く理解できない
そういう奴に限って茶髪OKでチョンマゲはダメとかいうんだろうな
チョンマゲこそフォーマルな髪型だと思うのだがね

ところで
今度娘は高専3年生になる
あと、2年で卒業だ
それまでは、パート労働でもなんでもするさ
そのあとはワシ自身が餓死したとしてもワシは知ったこっちゃないがね





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地球は寒冷化に向かっている?

「ROCKWAY EXPRESS」から転載。
私はブログを始めた当初から、「地球温暖化」は嘘だ、詐欺だと言い続けてきたのだが、そろそろ世界的に「地球温暖化は間違いでした。テヘ」と科学者たちが言い始めるような気がする。
そもそも、地球が温暖化して何が悪い、冷帯や寒帯の人々が温かく暮らせるようになって万万歳ではないか、というのが私の考えなのだが、これは立川談志もプーチン大統領も言っていたことである。
人間、温かくて死ぬことはないが、寒いと簡単に死ぬのである。沖縄などは、冬でも凍死しないし、暖房費がほとんどかからないだけでも恵まれていると言える。京都などに住んでいると、冬のガス代、電気代の高さに、凍死よりも請求書を見てショック死しそうである。まあ、自分の意思で来たのだから、誰にも文句は言えないが、しかし他の人たちは、この電気料金やガス料金を妥当だと思っているのか、知りたいものである。
はやいところロシアから天然ガスが安価に輸入されるようになってほしいものだ。


(以下引用)



ガスが配給制に?:イギリスのガス備蓄は36時間

逼迫しているイギリスのエネルギー状況

◆3月25日

 日本ではお花見が例年より早めに出来たところが少なくないが、遠くイギリスでは極寒の気候が続いていて、家庭でもガスを暖房用に使用しているため、イギリス全体でのガスの備蓄がたったの36時間分にまで減少している。従って、ガスの配給制の可能性が浮上してきているようだ。

 2012年の5月9日号「地球は小氷河期に向かうのか?」で示したように、地球規模の変化が起き出している。その記事の中で、「『小氷河期(マウンダー・ダルトン)循環形式が出始めている。世界の寒冷化が早まっている』と天体物理学者のピアース・コルビンは語る」というところがある。つまり、地球はこれから寒い時代に入っていくということなのだ。

 エネルギーと食料というものが、人間生存の基本物資であるが、この両者とも輸入に大きく依存しているのが、日本である。今回のイギリスの状況は近未来の全人類の状況の予兆である、と捉えるべきである。従って、エネルギーと食料をなるべく自前で確保する政策を推進する必要性がある。しかも早急に。恐らく来年以降は寒冷化が顕著になり始める可能性があるからだ。

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●ガスが配給制に?:イギリスのガス備蓄は36時間
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2297296/British-gas-reserves-run-dry-36-HOURS-freezing-householders-turn-heating-up.html
【3月24日 MailOnline】

 凍えるような気候が続くイギリスでは、昨晩はかつてなかったようなガスの配給制の可能性が出てきたことが分かった。厳しい寒さとパイプラインの問題でエネルギー供給に問題が出てきたのだ。

 イギリスは36時間分のガス備蓄があるだけだ。あるエネルギー専門家は昨日、この厳しい寒さが続けば、配給制は「避けられない」、と警告した。

 そうなった場合、ビジネスと発電所が最初に規制されるが、世帯も暖房として使用しているガス消費を削減するよう指示されることになるだろう。

 イギリスのガスの備蓄は、気温が想定外に低い為、人々が暖房用に使用することで危険なまでに低くなっている。

 この危機的状況はイギリスとベルギーとを連結している海底パイプラインが警告無しに停止し、そのためガスの価格が50%値上がりし記録的な高値となった。

 カタールから液化天然ガスを運ぶ船舶は到着までまだ2日間待たねばならない。また悪天候のためにその予定も遅れる可能性がある。



 このエネルギー危機は低収入の世帯を更に追い込むことになりそうだ。

 政府はガスの供給が困難な状況にあることを認めたが、キャメロン首相は何とか持ち応える事ができる「自信」があると語った。しかしエネルギー・アナリストはこの凍える状況が来月にずれ込むようなことになれば、大変な事態になると心配している。・・・以下略





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「自由非自在論」

「つれづればな」というブログから転載。
野に遺賢あり、と言うが、ネット世界には恐るべき知識人、教養人がいる。この「つれづればな」管理人の尾崎文美氏もその一人で、文章から滲み出る教養と知性は、表マスコミでちやほやされる「知識人」たちを軽くしのいでいると私には感じられる。まあ、それはこちらに教養が無いからかもしれないが。(芸術や哲学における教養や知識という点では「壺斎閑話」管理人氏が、通常の大学教授レベルを軽く超えているように思われる。もっとも、もともと私は大学教授なるもののレベルをあまり信用していないのだが。)
下記文章は「自由」と「自在」を論じて日本の歴史や日本人論にまで及んでいる面白い文章である。
簡単に言えば、「自由」とは西洋的思想であり、実はそれは人間を「不自由」にするもので、「自在」こそが日本的思想であり、それは人間を本来あるべき姿にする、というものだろうか。
下記文章に書かれていないことを私が勝手に追加する。「自由」は「みずからに由る」こと、つまり、自我の発現を意味し、当然、それは他者との対立や対決を招くものである。まさしく西洋的な個人主義を象徴するのが、この「自由」である。
それに対し、「自在」は「おのずから在る」ことであり、自然そのままに存在すること、在るがままに在ることである。これが日本的霊性として尊ばれてきたものであることは言うまでもないだろう。たとえば良寛などをイメージすればよい。さらに言うならば、「おのずから在る」とは、自分だけではなく、自分を取り巻くすべてと共に、自然な姿で存在する、というニュアンスがあると私は思う。「自在」には自他の対立というのは無い、ということである。
くどく言うなら、「自由」と「自在」の「自」の意味は違っていて、前者は「みずから」、後者は「おのずから」だと私は考えているわけだ。
前説はこれくらいにして、尾崎氏(女性なので、女史とでも言おうか)の見事な考察を紹介しよう。




(以下引用)*僅かながら誤記と思われる部分があったので、それは無断で訂正した。




自由非自在 じゆうはじざいにあらず

• 2012/10/06 07:15
• よりわけ: 未分類
• かぎ: 近代思想脱原発


わが国において「自由」という言葉が湯水の如く使われているため、その語意について疑いの目が向けられることは少ない。必要さえ見当たらない。
おおよその解釈は、「自らの選択で行動あるいは思考することができる状態、しかしそれは他人に迷惑をかけない範囲でのこと」、または単に「束縛や強制を受けていない状態」である。

これは近代とともにわが国に定着した言葉であるが古来はほとんど使われた形跡がなく、あったにせよ今とはだいぶ違う意味で使われていた。古くは日本書紀に見られ後の徒然草にも現れる「自由」は、「傍若無人」「我儘勝手」といった悪い形容に使われるのみであった。


ひとまず話を近代以降に絞るとする。
「生」に対し「死」があるように、「天」に対し「地」があるように、「自由」の対極には「不自由」がある。つまり自由が存在するためには不自由がなければならない。

現実の不自由が支配や拘束や虐待などの形でまず存在し、そこからの脱却によってもたらされるのが自由である。

これとは別に他者に現実におこった「不自由」を見てしまうか、話に聞くか、学校で教わるか、テレビのCGに吸い込まれるかして疑似体験した「不自由」に恐怖、戦慄し、それから逃れることを「非・不自由」すなわち「自由」と定義してしまっている。
たとえば非民主主義国である某国には人権など存在せず非道が横行しているが民主国家である某某国国民は自由に生きている、結婚して子供ができると家庭生活に全てを注ぎ込むことになるが独身でいれば自由に生きられる、あるいは原発がなくなると景気が落ち込み身動きができなくなるが原発さえあればバブルの頃のような自由な暮らしがもう一度やってくる…

さまざまな権利が確立した(はずの)今日の日本では前者(不自由からの脱却)はもはや当然、いまさら「自由」などとは呼ばないほど軽んじられているかのように思える。むしろ日本を闊歩する「自由」とは後者(具現化された不自由から逃避)のほうではないか。


明治までの日本は封建制度と後に呼ばれる枠組みがあり人々はその枠組みの中で生きていた。武家に生まれたものは武士となり、職人の子は親の職を継ぎ、農村に生まれれば百姓となるのが普通だった。百姓の数が減ることは国の衰退につながる一大事、そのため公儀の許しなく農村を離れることは罪とされた。逆に武士として生まれた者がその身分を捨てることも武家社会の体面を傷つけるものとして制限されていた。身分の自由と呼べるものはなかった。
もちろん例外はある。江戸や大阪で労働力が必要になると農村の男たちが駆り出されそのまま人足や職人として都市に居つくこともあり、商才があれば商売をはじめることも稀ではなく中には豪商にのし上がる者まであった。貧農に生まれた河村瑞賢は江戸で人足をしながら商売を覚え材木商となり財を成した。そして後に幕府の公共工事に関わるようになるとさらにその才覚をあらわし多くの御用を預かった。淀川の治水工事、航路開拓など、その功績を以って晩年にはその名を旗本に列ねるまでとなった。吉原での豪遊ぶりも紀伊国屋文左衛門とともに今に語られている。
しかしこれは例外中の例外、多くの人にとって生まれを越えることなど夢にも勝る絵空事、それを受け入れて生きていた。

同じ頃の西洋。航海航路の開拓から通商がおこり流通業と金融業が発達した。当然生まれる摩擦により武器の需要も跳ね上がり、喉から手が出るほど兵器が欲しい王侯貴族たちにカネを貸付る金融業者は資本を確立し、現代に至るまで世界を支配する資本主義経済がここに芽生える。

キリスト教社会では金融につきものの「利息」はもともと禁忌でありカネを扱う金融業を忌み嫌う風潮が強かった。そのため銀行も両替商も「ベニスの商人」のシャイロックのような特殊な人種に任されていた。専横されていたとも言える。教会や王侯貴族たちは富をいつのまにか金融業者たちに吸い上げられやがて衰退していった。
しかし世の実権を誰が握ろうと民衆の暮らしは変わらずに困窮を極め、とうとう18世紀の終わりには革命の火がつき、炎となって専制制度を焼き落とした。虐げられる民衆が「自由」を手に入れつつあった。

われわれ日本人が学校で習う「自由」のお手本はフランス革命である。専制主君から政治を奪い取り議会を立ち上げ、憲法を作り、周辺諸国ともども産業革命の波に乗って近代社会を築いてゆく流れを自由と呼ばせている。ただし民衆からむしりとったものが王侯貴族を経由してどこに行ったのか、または欧州の奴隷や農奴を開放する傍らで新航路の果てにある国の肌の色の違う人々を捕まえ苦しめたことからは意図的に目を逸らし、産業革命がもたらしたのは軍事産業ではなく豊かで便利な暮らしと教えている。いずれも中世から近代に移行する折に浮き出た錆を覆い隠すに便利な言葉、それが「自由」であった。


本稿は「ほんとうの自由とは」などを熱く語るものではない。むしろそのようなものはどこにもないことを申し上げたい。


人は生まれながら自由などではない。空気と水がなければ一刻とて生きて入られない。生まれる国を、家を、親を選べない。男は男として、女は女として生きることを余儀なくされている。あめつちとわたつみの恵みに養われ、そしてあるひ必ず死ぬ。生まれたそのときに死の宣告をうける。これを覆そうとすれば必ず恐ろしい罪を犯すに至るであろうことは、われわれ日本人であればなぜが、教わらずとも知っている。それを忘れさせるために外からに押し付けられているのが「自由」なる言葉である。


日本人に「自由」をもたらしたのが明治維新、それに先行する「不自由」を因習ずくめの悪しき時代である江戸時代と見立ててのことである。しかし江戸時代がそんなに悪い時代だったかは評価が分かれる。そして明治から今に至る近現代がそんなに薔薇色の時代であるかどうかも然り。

黒い船に乗ってやってきた西洋人が我々に「自由」もたらしたのは親切心からではなくあくまで経済戦略である。日本の黄金、生産力と労働力、蒸気船を稼動するための豊富な森林資源を狙うもので、日本は世界の経済を牛耳るための重要な足がかりであった。特に日本人の器用な手指と勤勉さは工業生産の担い手として好都合と考えられ、また航海術にも武術にも秀でた日本人は武力で殲滅するより仲間として懐に抱えるべきと判断された。ともあれ日本には選択肢などなかった。黒船以前から日本に外国船が近寄っては通称を求められていがその都度やんわり拒んできた幕府であるが、とうとう江戸前に陣取る艦隊に大砲を構えられ、アヘン戦争後の清国の惨状を知ったうえでは「降伏」するしかなかった。

貿易の障害になるものを取り払い自由に取り引きできるようにすれば当然力の強いものが上に立つことになる。この場合の力とは競争力のことを指すのであろうが結局は腕力につながる。つまり武力を笠にきていくらでも弱いものいじめをすることができる。それを自由経済という。「鎖国」という障壁を取りはらわされた後、露骨な不平等条約を呑まされながらも勤勉に働き続けた日本人は条約改正にまで漕ぎ着けるが、そのころには完全な軍国となり常に欧米の切り込み役を買っていた。気がつけば極東の大悪党にされていた。

やや遅れて日本と似たような道を歩んだのがオスマントルコ帝国である。内から病み、外から攻められて崩壊しつつあった国を救ったとされるケマル・アタテュルクは「自由」の象徴として、逆に旧帝国は暗黒時代の象徴として定義された。第二次大戦後、欧州は足りなくなった労働力をトルコからの移民で補った。欧州の復興に大きな役割を果たしたトルコ人労働者が祖国に持ち帰ったのは外貨、そして欧州至上主義であった。「悪い皇帝を追っ払ったアタテュルク、自由をくれたアタテュルクばんざい」ほんの数年前まで子供たちはこんな歌を音楽の授業で歌わされていた。西欧列強は自らに都合のよい傀儡を送り込み古い政権を悪者に仕立て上げることでこの国の人心を改造した。

市井の人々を含む国民の識字率と書物の量、ともにずば抜けて高かったのが江戸時代の日本とオスマン帝国時代のトルコである。人々の闊達で明るい暮らしぶりは文学や絵画から知ることができフランス革命のころの欧州とは比較の余地はない。欧州で相次いだ革命の背景に似たものは日本にもトルコにもなかった。だがそれでも近代は、甘く芳しい「自由」という言葉をつれて訪れた。世界の中心を作り出すために。


いわば「自由」とは軍事・経済用語のひとつである。それを芸術や思想や教育の世界に持ち込んでしまったのはこの言葉に幻想を抱いた我々の勝手な思い違いからである。


心の内側から迸るものを形や色彩で、旋律や調べ、時には文字をちりばめて外に訴える、それは何者からも制限を受けることのない思いのままの世界である。それを自由と言わずしてなんと言う、そう問われるだろう。あるいは世のしがらみから自らを解き放ち、裸足で波と戯れ、ひとり風に身を任せることができたのならばそれを自由と呼ばずして、いったい何と呼ぶべきか。

「自在」という日本語があったことを思い出そうではないか。辞書にある言葉の意味こそは「自由」とかわらぬものの本来はまるで別のことばである。






自在非自由 じざいはじゆうにあらず

• 2012/10/17 13:11
• よりわけ: 未分類
• かぎ: 近代思想脱原発

前回からつづく


「観自在」、それは三蔵法師がサンスクリット語のアヴァローキテーシュヴァラを観自在菩薩(観音様のこと)と意訳したことで生まれた漢語である。三蔵法師とはご存知西遊記にも描かれる玄奘三蔵のことで、天竺への苦しい旅の末に数々の経典を長安に持ち帰り残りの生涯をその翻訳に捧げた実在の人物である。大乗仏教の真髄をたったの三百字足らずで解く「般若心経」は「観自在菩薩」と唱えることから始まる。おそらくは天平の頃にわが国に伝わった般若心経を通して「自在」の言葉は日本語と化した。

万象を「自在」に「観る」ことができるのが観自在菩薩である。それは我々が自在にものを見ていないことを指摘している。


われわれの眼を曇らせているもの、それはいわずと知れた数々の「欲」である。見るものすべてが商売の種にしか見えないのも、あるいは値踏みをしてしまうのも、逆に値札を見てその価値を認識するのも、地位と収入が人生の価値を決めてしまうのも、またそれに沿った学校教育がなされるのも全ては「欲」、いや「強欲」のたまものである。画家が魂を刻み付けた絵画も投機の材料になり、海を命の源と思わずにゴミ捨て場としか見ず、危険極まりない原発も景気回復のためなら見ないふりができる。
物事を「在るがまま」に捉えることができない、「在るがまま」の自分でいられない。この「強欲」に目を塞がれているうちは「自在」な見方も生き方もできはしない。
逆に「欲」を断ち切り「在るがまま」を受け入れることができたのならば、その魂は自在といえよう。





一枚の紙を通して無限に広がる絵画の世界、あるいは舞台という時空を越えた世界、人間の耳に判別できる範囲の音を組み合わせて奏でる曲、文字に韻を抱き合わせた詩歌、そして彫刻、歌、物語、舞踊…われわれが「自由」と信じて疑わなかったものたちである。しかしこのどれもが厳粛な制約の元で成り立つことを忘れている。
絵であれば紙やカンバスという限られた面積の内で、演奏であればその楽器の独自の音域で、演劇であれば舞台、文学であればその言語の枠の中でのみ展開できる。環境芸術といえど地球の表面積を越えることはない。そこに使い得る材料、さらに表現者の「技巧」を掛け合わせるとさらに制限がかかる。恐ろしく窮屈な世界であるが、それを受け入れその中で心を研ぎ澄まして初めて生まれるのが「作品」であるはず、それは「自由「などではなく「自在」のなせる業でなければ何であろう。

ひむがしの のにかぎろひの たつみへて かへりみすれば つきかたぶきぬ

奈良時代の歌人・柿本人麻呂が軽皇子の狩りに同行しそのときに詠んだ歌である。この歌の背景から意味までを語ろうとすると一冊の本にしても足りない。幼少の軽皇子(後の文武帝)を日の出に、崩御した父(草壁皇子)を月の入りにたとえ、東を「生」、西を「死」ととらえ、狩りという通過儀礼によって立身する皇子を歌いつつも、夜明けに月が西に沈もうとしていることは満月あるいは十六夜であることを語りはるかなる天地の見せる一瞬の姿を鮮やかに捉え、今も色あせることがない。
和歌は五七五七七のたったの三十一音で、月も、日も、大地も、四季も色も香りも自在に歌うことができる。和歌には時に恋心をのせ、時にはこの世の別れを託した。和歌にみられる五七調の韻は日本人の祖語ともいえるやまとことばの独自の韻律である。遠い先祖が日本の地で自在に生きた証を、われわれは言語として託されている。

夏草や つわものどもが 夢の跡

江戸の俳人・松尾芭蕉が奥州平泉にて詠んだ句である。
俳句は和歌よりもさらに少ない五七五の十七音しか持たない。夏草の茂る荒れ野原はかつて奥州藤原氏や義経が夢を追いかけて自在に駆け抜けた地、茂れどもたったひと夏で枯れ行く夏草と、つわものどもが散らした儚い命を重ね合わせている。そしてこの句の後ろには大唐の詩人・杜甫による「國破山河在」が控えており、古今東西を問わぬ「無常」を説いている。

このように、制限の中にあるはずの「自在」は無限の広がりを内包することもできる。


鎌倉の武士たちはまだ幕府に縛られる前の古い生き方を貫いていた。野に馬を駆り、弓を引き、剣の鍛練に明け暮れていた。すわ戦がおこれば郎党をひき連れて馳せ参じ、運は天に預け、討てば祝着、討たれれば命を落とすまでのことと無我に戦う。これが彼らにとっての「自在」であった。義理に押しつぶされて自在でいられなくなることを嫌うゆえに身に余る褒章からは身を引いたという。

しかし御家人として幕府に抱えられ所領安堵が制度化するにつれ主従のつながりは精神から物質へとその重心を移した。頼朝の死とともに求心力を失った鎌倉幕府の混乱に乗じて実権を握った北条氏には誇りを重んじ自在を求める武士たちをまとめ上げる力はなく、ただ蒙古襲来のときに見せた一瞬の輝きを後に一味散々、その幕を閉じることになる。

この時代に庶民、武士たちを問わず新しい仏教がひろまった。それまでの仏教が貴族の保護下で興隆した祈祷や修験、学問を中心とするものであったに対し、富も学問もない人々をも含む人の内面を深めるものへとの変容である。法然や親鸞は念仏を、日蓮は題目を、道元は禅を衆生に説いた。

いかなる者も仏を信じ縋ることをすれば来世で救われる、学問もなく苦しい暮らしを強いられていた庶民たちの間に「念仏」が広まった。在るがままを求めるまでもなく在るがままでしかいられなかった庶民たちは、生まれた土地や身分に縛られながらも現世で多くを望まずに来世で救われると信じることで己の心を縛らぬ術を心得ていた。

うわべの麗しさ、豊かさに惑わされず、富や名声という時流の中にあってそれに流されず、己と対峙し、己の目で物事の内側を見ることが求められる「禅」の精神世界は常に背中合わせの「死」を見据えていなければならない武士たちにたちまち浸透していった。

大陸から伝わった仏教が年月を経て太古の先祖たちの生き方と邂逅しわが国独自の形を得た。この鎌倉新仏教とよばれる信仰は実は当時の日本人にとって「新しいもの」ではなく「懐かしいもの」であったとは言えまいか。それは誰かが意図して捻じ曲げられたのではなく、あたかも木々が芽吹き花を咲かせ実を結び、それをついばむ鳥たちが種を遠くに運びまた実を結ぶが如く、自然(じねん)の求めによりおのずと道が開けたのであろう。自在が、自在を呼ぶ。


「自由」は自らの外を取り巻く境遇に抵抗する外向きの精神活動である。
「自在」はいかなる境遇にあろうとみずからで在りづけるための心得であり、目的である。その方向は内側を向いている。


自由経済の名のもとに繰り広げられる競争のみの近代社会には「自由」という名の虚無があるのみ、そうなれば「自在」はない。逆にわれわれが自在であることを捨てさえしなければ競争社会などはもとよりない。ありえない。海や山を畏れ日々の糧に手を合わせ、在るがままを好み身に余る富を嫌うわが先祖たちの自在な気質は近代化、合理化、資本主義化とは反りが合うわけもなく、そのような国であった日本を近代の鋳型にはめるためには「自由」を与えて「自在」を忘れさせる必要があった。そしてあっけなく忘れさせられた。


「自由」とは先行する不自由と戦い、蹴破り、打ち負かして奪い取るものであるがそれを手にしたその瞬間、新たな「不自由」に生まれ変わり我々にまた挑みかかる。我々はさらなる自由を求め心に「欲」の炎をともしてその戦いに臨む。生きることが死ぬことを意味するように自由とは不自由をさす。自明である。


地震や台風のおり、その被災者たちの毅然とした行動はよその国の人々を驚かせる。これは恐怖や絶望にあっても自らを失わないようつとめる「自在」の心得からくる。
そして崩壊間際の原発から漏れる放射能の存在をしりつつも騒然とならずに普段の生活を送ろうとするのもある意味で「自在」を求める気質の顕われであるかもしれない。

「放射能はいまさら騒いでも仕方ない。なるようにしかなるまいよ」筆者の父は言う。父ばかりでなく多くの日本人の気持ちではないかと思う。そして父たちの目には反原発を叫び、暮らしを守ろうと立ち上がる人々の姿も往生際が悪いとすら映るようだ。

こう思えてしまうのはいくつかの欠落があるためである。

ひとつは、原発というこの醜くも恐ろしい物がわれわれの「欲」に養われる家畜であることに気づいていない。戦中・戦後に生まれ自由経済とその成長を共にした世代となれば特に気づかない。仕方なしと受け入れるべきは天災であり放射能ではない。先の原発事故が百歩譲って天災によるものであったとしても原発が在ること自体が人災である。

次に、次世代に対する思いが歪んでいることを挙げたい。親たちは大変な苦労をして子供たちに教育を受けさせているのだが、それは教育機関に子供たちを丸投げし対価を貨幣で支払ったに過ぎないことに気がついていない。そしてその「教育」そのものも子供たちを自由経済の中で戦う兵士に仕立てるための「調教」でしかない。親たちには子供たちが競争社会から零れ落ちることを考えれば放射能など虫に刺されたほどにしか感じられず、そして学校や塾に遣ることで親としての義務を果たしていると安心してしまうためそこで思考が停止する。次世代を真に考えるのであれはどうするべきかはここに書くまでもない。

豊かに見える国であるが国民の殆どが借金を抱える。これは身の丈を超えた高価な商品でも誰もが手を出せるよう、その日に手に入るよう仕組まれているから起こる。かつて借金というものは親や知り合いに恥をしのんで頭を下げてするものであったのに今は「ご利用ありがとうございます」と向こうが礼を言うので後ろめたさが消えうせた。誰であろうと現金を一銭も持たずに「自由」に買い物ができる。「金融」はこうして人々を「自由」で縛り「負債者」として掌に握る。
需要なき消費に支えられる日本経済は「自在」とは無縁、しかし「自由」に縛られた者たちはそれに気づく筈もなく、原発を不可欠と信じ放射能もよしとする。



身に降りかかる難事に対し戦々恐々とせず、在るがままを受け入れる姿勢は自在であるが、常に長いものに巻かれてしまうことではない。巻かれる前に身をひるがえす術はいくらでもある。その術を心得た者は自在である。

しかしそうもいかないこともある。
国に降りかかる国難、一国民がこれをひるがえし自在であることは難しい。日本が在りし日の姿を失ったのは在りのままでいられなくなったからではあるが、これにはよその国との関わりが働いた。それでも日本という国が今も存続しているところを見れば今日までの国難を幾度も乗り越えてきたともいえる。が、どこまでか。よその国の主義主張を唱え、よその国が作った政府に政治をさせ、外来語なしでは会話さえ難しくなった。この国のどこまでを日本というのだろう。
「国境のない自由な貿易」を求め武力で世界を脅しつけているのはかつて浦賀に艦隊を引き連れて現れ、開国か砲撃かを迫った「自由の国」である。彼らが祀る女神は右手に邪悪な欲望の炎を掲げ、この世のことわりを鎖に喩えて踏みにじり、闊歩する。



「自由自在」とは意味不明な言葉である。
自由の女神と観自在菩薩を並べて拝む、それに似ている。




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マイナンバー制の危険性

「たんぽぽ日記」から転載。
安倍総理の「マイナンバー制(国民総背番号制)」については、まだ論じているブログをほとんど見ないが、この案は何度も提起されては「危険すぎる」として消滅してきた法案である。私自身、不勉強なので、何がどう危険なのかよく分からないのだが、自分の銀行預金が政府にすべて把握されるのも、図書館での自分の読書履歴が政府に把握されるのも、自分の病歴が政府に把握されるのも、すべて嫌である。私が「政府の敵」と見做された場合には、それらが私を陥れるのにいくらでも利用できることは想像できる。銀行口座の件で言えば、キプロスの「預金封鎖」の例が間近にあり、政府はそれも視野に入れている可能性もある。
とりあえずは、この「マイナンバー制」についての議論をネット上で喚起した方がいいかと思う。


(以下引用)


2013年03月22日


IBMとホロコースト―ナチスと手を結んだ大企業

安倍政権は国民総背番号制「マイナンバー」の導入を進めている。
全国民が囚人のように番号が振られて管理される。

その総背番号制で思い出されるのが、
エドウィン・ブラックの著書「IBMとホロコースト―ナチスと手を結んだ大企業 」である。

IBM社はナチスのユダヤ人迫害に手を貸し儲けていた。
ナチス帝国に飲み込まれた人々は、
IBMが作ったホレリス・パンチカードマシーンによって番号が振られた。

「8」番に穴が開くとユダヤ人とみなされ収容所に送られる。

アメリカ企業であるはずのIBMが、
ヒトラーに協力して稼ぎ、
ユダヤ人を殺す手伝いをしていた。

アメリカ政府もヒトラーはユダヤ人らから奪った財産を受け取っていた。
国際決済銀行を通じて。





(追記)先ほど読んだばかりだが、「スロウ忍」ブログの今日の記事が「マイナンバー制」についてのもので、その前にも3月2日時点で同じ件について書いている。3月2日の記事を参考までに引用しておく。


(以下引用)



2013年3月2日土曜日安倍政権が“国民総背番号制法案”(マイナンバー法案)を国会提出。国民の個人情報を末端の公務員に委ねる危険性。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/03/blog-post_2.html


安倍自公政権が昨日(2013年3月1日)、国民総背番号制に関する法案(マイナンバー法案)を国会に提出したとのことである。

今国会中の成立を目指し、2016年1月からの利用開始を見込んでいる様である。



2013年03月02日
政府がマイナンバー法案を閣議決定、1年遅れの2016年1月導入へ

 政府は2013年3月1日、社会保障と税の業務を効率化するための「マイナンバー法案」を閣議決定した。

此の制度は、国民一人一人の個人情報をユニークIDで一元管理し、個人の所得や年金、医療の受給実態を把握し、管理することを目指している。

“消費税増税”による低所得者層に対する負担を和らげるという大義名分のため、安倍首相含む民自公カルト保守勢力は年間1万円やそこらの「給付付き税額控除」なんぞを検討している様だが、其れが「マイナンバー法案」を押し通すための餌であることは容易に想像が付くわけである。


2013年3月2日
国民番号制「マイナンバー法案」提出 社会保障抑制狙う? - 東京新聞


 Q 行政事務の効率化という「お役所」の都合で、背番号をつけられるということか。

 A 全国民に番号を通知し、希望者には顔写真を載せたICカードを交付する。これまで国民が年金などを申請する場合、市区町村の役所や各地の年金事務所などを回って、手続きをしなければならなかったが、導入によって一つの窓口で申請できるようになると、政府は説明している。

 Q なぜ、いま国会に法案が提出されたのか。

 A 消費税増税との関連が指摘されている。もともと、この法案は民主党政権が昨年二月に国会に提出した(昨年末の衆院解散で廃案)。増税による国民の負担増を緩和するために低所得者に税金の一部を戻す「給付付き税額控除」を実施しようとし、その際、所得を正確に把握するために共通番号制度を導入しようとした。

 Q でも今の自民、公明両党による連立政権は「給付付き税額控除」には反対だよね。

 A その通り。それでも自公政権は導入を目指しているのは、社会保障の給付抑制が狙いともいわれている。


此の法案は、国民のための制度などでは断じて無い。其れは此れ迄の経緯を見ても分かる話である。“国民総背番号制”なんぞ所詮、官僚による官僚のための国民管理制度に過ぎないのだ。

安倍政権が何方(どちら)を向いて政権運営しているかがよく分かる事案である。

まぁ国民総背番号制が制度化されて行政手続が簡素化したところで、無駄な地方公務員は絶対に減らないだろうし、其れで国民の税負担が軽くなることは絶対に無いだろう。制度を新設する毎に焼け太りするのが官僚組織なのである。

コンプライアンスの“コ”の字も知らない末端の地方公務員なんぞに自分の個人情報を委ねる危険性も、国民はもう少し真剣に考えるべきだと思うよ。


2012年02月13日
国民監視手段としての「共通番号制度」法案を積極的に進める野田政権。情報を不正に提供した公務員等に対する罰則も甘々。
http://surouninja.seesaa.net/article/251963274.html

一部の蓄財大好きでセコい公務員共が、せっせと不正を行い、小遣い稼ぎに精を出しても何ら不思議ではあるまい。たった4年以下の懲役か200万円の罰金だけで、犯罪者にとって一生利用価値のある情報が手に入るわけだからな。

2011年12月16日
“社会保障のために消費税増税が必要”などという大嘘が、政府の内部文書でバレた野田首相。必死の街頭パフォーマンスへ。
http://surouninja.seesaa.net/article/240765485.html

2011年01月31日
政府が社会保障・税番号制度の基本方針を決定。民主党マニフェストでこの制度の前提となっている“給付付き税額控除制度”はスルーか。
http://surouninja.seesaa.net/article/183428284.html


harunecox

あっさり国民総背番号制とか、TPPとか、再稼働とか、何でもあり内閣よのぅ。

2013年3月2日 13:45:55
sonomarcoda

銀行口座、クレジットカード、電子マネー、SUICA、ETCカード、携帯電話が特定され、個人の経済活動の内容から行動まで国家が物理的に把握できるようになる。憲法21条の検閲禁止、通信の秘密の保障が最後の砦となる。@potchietheshiba 国民総背番号制が実施される

2013年3月2日 13:38:44
akugyouzanmai

TPP参加に原発再稼動と総理。マイナンバー制。なんだかなぁー。

2013年3月2日 14:54:21
osada_tatsuji

マイナンバー法案が国会に提出された。個人情報を国が管理する。通知カードが国民に15年中に送られ、市役所などでこのカードと引き換えに番号情報入りのICチップを搭載した顔写真付きカードを受け取る。16年1月から使用開始。17年1月から税・年金当局の相互利用開始。地方は17年7月から。

2013年3月2日 14:48:22
uramatz

@nak4680 @luca215 マイナンバーは実質的には出来上がっていますよね。ただ、法律的な裏付けができなかったので実用しなかっただけ。マイナンバーの狙いは徴税と徴兵。

2013年3月2日 14:22:14
usagidenpa

「マイナンバー制度」はゾッとする。管理するためのもの。取り扱う側の人達に本気で個人情報を守る意識があるとは思えない。どんなことでも、国の決めることだから、国が国民の困ることをするはずはない、と「モノワカリの良い国民」でいるのは、もうそろそろ、やめませんか?大変なことになりますよ。

2013年3月2日 14:08:05
bilderberg54

IIJ社長に勝前財務次官  :日本経済新聞 http://t.co/1lS1NYvkpn 。IIJは1993年に国内初の商用インターネット接続サービスを始め、官公庁や大企業向けサービスに強みがある。※国民総背番号制シフトだろう

2013年3月2日 7:31:14
junks5

直接税に偏重すれば、国民総背番号制の徹底は必至。スターリンもビックリの超管理・超監視社会の到来だ。 QT @Kiyoshi_IWATA:その通り、消費税は大企業優遇無所得者冷遇の悪税であり、撤廃を目指す努力をしてこそ真の為政者だと言い得ます。 #shouhizei

2013年3月2日 4:27:38
recreationcoach

安倍首相ってば、http://t.co/bMh0PLrtbw 「○○が確保できなければやらないとか言い出すと3週間後に「確保できる一定のめどが立ったからやるお」と言い出す。参院選前にTPP参加、原発再稼動、国民総背番号制を明言するとは。それで参院選勝つもりなんだ・・・。

2013年3月2日 2:25:21
nofu78

個人番号制度導入決定、国民総背番号制は、国家にとって弾圧ー管理のツール。すべての個人情報が弾圧機構のてに管理のされるだけ、またそこからだだ漏れして悪徳業者のデータベースに使われるだけ。地名総監、逮捕履歴、全部ダダ漏れ。職場や地域にこんな奴がいると流すのは公安ですから。

2013年3月1日 23:16:31
porarisupo

マイナンバー法(国民総背番号制)の問題点 個人情報ダダ漏れの国家監視・管理社会http://t.co/EQU0Z1RazK ①個人の情報コントロール権の侵害②個人情報流出の危険性、公務員による情報漏えい⇒個人情報を一挙に集約させれば悪用された時の被害も甚大。国家に管理されたくない

2013年3月2日 13:39:06
aman826

@moai9119 どんな事にも言えるかも知れませんが、特にマイナンバー制などは運用如何で良くも悪くもなる典型だと思います。官僚公務員が自身の怠慢を棚上げして、安易に導入しようとする事には疑問を感じます。またそれによる国民の不利益は報道されないと考えるのが妥当だと思います。

2013年3月2日 13:38:07
kisyatokawa

マイナンバーで行政が簡素化されるという ではその結果公務員は何人必要なくなりどの位予算に反映出来るのか試算を示して欲しいものだ また自営業に比べサラリーマンは所得を捕捉され不公平というが 健保や年金の半額負担 3号被保険など優遇されていることも事実だ

2013年3月2日 13:22:07
w_masayuki

マイナンバー制導入と同時に公務員の削減をしないといけないだろう。出先機関の削減も重要。どうせ、マイナンバーの管理機関とかの天下りのところが、各省庁の外郭に作られるんだろうな。アホくさ

2013年3月2日 8:41:45
akihikoyoshitom

高地のシロバイ事件とかの幼稚を放置したままマイナンバーかよ?個人情報ダダモレじゃね。こんな毎日公務員の犯罪起こしてる国でヨーーー!で、マスコミが3か月に一度ずつ警察ガンバレドキュメンタリーだか捏造ドラマだか流して・・・!

2013年3月1日 20:39:45
vidrocat

国家公務員の管理力の無さを露見させて、また都合の良い方法を押し付け。さて、この導入費はどこからでるんでしょう?(#^ω^)ピキピキ 国民全員に番号、マイナンバー法案を閣議決定 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://t.co/8HjGqmMxa5

2013年3月1日 12:14:39
halt_haru

マイナンバーの懸念は、住基ネットと同様に公務員の私的利用が起きること。公務員が小遣い稼ぎに、マイナンバーがらみの情報を抜き取ろうとする事件は、当然起きると思うしね

2013年2月25日 17:18:21
bonetrom

話は戻って、国勢調査での人口水増し事案。町長が訴えられるという話になっているけど、公文書を偽造した町職員(公務員)が訴追されるという話にはならないのか? 社保庁同様に無罪放免となるならマイナンバー制度には反対する。 #komuin #seifu #seiji #kokkai

2013年2月23日 11:17:27









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ユニクロ批判はネット検閲に引っ掛かるか?

「阿修羅」掲載の下記記事をもとにしてユニクロを論じた(批判した)記事を書いて投稿しようとしたら、「インターネットエクスプローラーではこの記事の投稿はできません」とか何とかいう文面が画面に出て、仕方なしに元に戻そうとしたら、書いた記事そのものが消えて(消されて)いた。
ネットではユニクロ批判記事に対する検閲があるのか、それとも何かの「検閲キーワード」に引っかかったのか、まあ、幾つかの語句が入った記事は自動的に「ネット掲載不可」となるような仕組みが出来上がっているような気がする。
書いた記事はなかなかの力作だったので残念だが、実験のために、もう一度、元記事だけを転載しておく。
ネット検閲は、着々進行中のようだ。阿修羅の有名人「ポスト米英時代」氏も、投稿禁止になったとかいう噂もある。



(以下引用)




ユニクロ 疲弊する職場[拡大版]サービス残業が常態化、うつ病の罹患率も高い  東洋経済  背景に物言えぬ社風が
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/403.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 3 月 20 日 13:02:57: mY9T/8MdR98ug


「ユニクロの服を着ている人はスタンドアップ。こういう人が、選考の第1候補だ」
2月8日、東京・六本木のミッドタウン・タワー。カジュアル衣料大手のユニクロやジーユーを傘下に持つファーストリテイリングの東京本部で、新卒採用イベント「ユニクロ・ジーユー希望塾」が開かれた。同社の柳井正会長兼社長が開口一番こう語りかけると、800人弱の学生たちで埋め尽くされた会場は、どっと沸いた。

「世界一へ。グローバルリーダー募集」と大書された採用パンフレットには、多くの社員たちの笑顔が並ぶ。「入社1年半でフランスに赴任」「バングラデシュでソーシャルビジネスを起業」といった内容に、学生たちは目を輝かす。
だがこの日のイベントでも、採用パンフレットでも、決して明かされなかった事実がある。この数年間、ユニクロの新卒社員の3年内離職率は実に5割前後で推移している。数百人単位で新卒社員を採用する大企業としては、極めて異例の高水準だ。日本を代表する急成長企業の裏側で、いったい何が起きているのか。


終わらぬ膨大な作業 ユニクロ一色の生活

「日曜日は毎週徹夜でしたね。店を閉めてから、朝までレイアウトの作業計画を作っていました」。元社員(20代女性、以下Aさん)は話す。別の元社員(20代女性、以下Bさん)も言う。「とにかくマニュアルを覚えることと、大量の業務に追われていた。ひたすら品出し(陳列作業)と商品整理の毎日だった」。

ユニクロは多くのアパレルとは異なり、在庫があるかぎり、商品は全色・全サイズを店頭に並べている。そのため、「店舗での作業量はほかのアパレルとはまったく異なる多さ」と、元店長(20代男性、以下Cさん)は断言する。

「ユニクロ一色の生活だった」。Bさんは当時を振り返る。その実情は、「長いときは、開店から閉店業務までずっと店舗にいる。それは正社員ならザラですね」(Bさん)。「最初に配属された大型店のときはそうでもなかったが、社員数の少ない小型店では、毎日14時間拘束が普通だった」(Aさん)。


新人店長は「名ばかり」管理職の可能性も

同社は現在、社員の月間労働時間を最長240時間と定めている。これは月80時間程度の残業を前提にした数字だ。「上限240時間」は、繁忙期だろうと新店オープンだろうと絶対破ってはならない「鉄の掟」とされている。

社員の間でも、もしこの上限を超過したら出勤停止処分となり、厳しく指導されると認識されている。現役店長のDさんは、昨年の12月、1日12時間で23日間勤務し、276時間ほど働いたという。Dさんは、「そのまま報告すれば、出勤停止となり降格処分も受けかねないので、240時間内で打刻している。残りはサービス残業だ」と打ち明ける。






ユニクロが文芸春秋との訴訟で裁判所に提出した、2010年11月の全店長の月間労働時間一覧(下画像参照)によれば、新人店長の労働時間は、ほぼ240時間の上限ギリギリだ。

240時間以内で業務が終わらない場合、処分を回避するためには、必然的にDさんのように、サービス残業でこなすしかない。ただ同社では、サービス残業も厳しく禁じられている。サービス残業が発覚した場合には、降格、店長資格剥奪など人事による懲戒処分が行われる。実際、長期間にわたりサービス残業を強要・黙認していた店長には退職勧奨が行われた。

仕事は多いが、残業には上限がある。こうした矛盾を一身に背負うのが店長だ。同社は店長を「独立自尊の商売人」であるとして、労働時間管理を不要とする労働基準法上の「管理監督者」として一律に扱っている。そのため、そもそも店長にはサービス残業うんぬん以前に、残業代そのものがいっさい支払われていない。

だが店長の役割を見ると、いわゆる「名ばかり管理職」である疑いが消せない。同社が示す店長の「月次・週次モデルスケジュール」によれば、店長が責任を負う「管理業務」は週60時間超が課されている。会社は、部下やスタッフ(準社員やパート、アルバイト)への権限委譲を進めれば十分こなせる水準だというが、そもそも小型店だと、「管理業務を行える部下がおらず、委譲しようにもできない」(Cさん)。

さらに店長の仕事のうち、モデルスケジュールの示す管理業務はほんの一部だ。Cさんは「管理業務と現場業務の比率は大体4対6で、現場業務のほうが大きい」と語る。

そのうえ店長の権限は決して大きくない。什器の設置や商品の陳列の方法などは色の並び順まですべて決まっており、店長の裁量権はせいぜい在庫の発注とスタッフの採用ぐらいだ。ただし募集時の時給額も本部が決めている。あとは本部の指示、直属の上司で複数店舗を統括するスーパーバイザー(SV)の指示、そしてマニュアルに従って働く。


新人店長の給与は18ランク中下から4番目

管理・現場業務にフル稼働する一方で、給料については「店長になっても年収400万円程度だった」(Cさん)。新人店長の給与グレードは、採用パンフレットにある18ランク中、下から4番目にすぎない。

同社のような多店舗展開する小売企業の店長が管理監督者だと認められるのは、法律的には簡単でない。店長が管理監督者に当たるのかに関して争われた 先行事例が、「日本マクドナルド事件」だ。同社でも店長はユニクロ同様にアルバイトの採用や勤務シフトの作成を行っていた。だが裁判所は、店長は営業時間 や商品の種類、価格などについては本社の方針に従っており、企業全体の経営方針にも関与していないとして、管理監督者とは認められないとした。

同事件で原告側代理人を務めた棗一郎弁護士は、ユニクロの店長に関しても、「プレーヤーとしての現場業務の比率も高く、同社内で比較して十分に高い 報酬を得ていたともいえない。管理監督者とは認められないケースだろう」と語る。大阪市立大学の西谷敏名誉教授(労働法)も、「仮に店長が管理業務だけに 従事していたとしても、管理監督者であることを否定される例は多い。ましてや現場業務の比重が大きいのだとしたら、行政解釈、判例、学説どれに照らして も、管理監督者としては認められない」と評する。

元店長のCさんは、「マクドナルド裁判で示された基準で管理監督者といえるのは、新人店長の2ランク上のSVからではないか」と言う。ちなみに日本マクドナルドはこの事件後、店長と、ユニクロのSVに当たる、店長の直属上司まで、管理監督者からは外している。


3年内離職は5割超も うつ病罹患も深刻化

いま就職希望の学生が最も注目する「3年内離職率」。ユニクロの採用パンフレットには、そのデータの記載はない。『就職四季報』(小社刊)のアンケートでも、05年12月発刊号の「36.6%」を最後に、無回答が続いている。

ユニクロは今回、本誌の取材に対してそのデータを初めて開示した。07年新卒入社社員の37.9%が入社3年内に離職している。以下同様に、08年入社46.3%、09年入社53.0%、10年入社47.4%、11年入社が2年間で41.6%である。09年入社では5割を超えており、これは同業の中でもかなりの高率だ(下図)。

それと歩調を合わせるように、ユニクロ店舗ではうつ病など精神疾患にかかる社員が続出している。12年8月期にはユニクロの店舗正社員における休業者のうち、42.9%がうつ病などの精神疾患となっている。産休・育休の取得者と同率で、店舗正社員全体の約3%が精神疾患で休職している計算になるとい う。

民間調査機関の労務行政研究所が行った「企業のメンタルヘルス対策に関する実態調査」(10年)によれば、メンタルヘルス不調のため1カ月以上休職している正社員の割合は、平均約0.5%だ。大企業に限ればさらに低くなる。

入社後半年で店長になったCさんも、うつ病に罹患し退職したうちの一人だ。彼のような「半年店長」の急増とともに、離職率も高まっている(下図)。





なぜ、そこまで追い込まれるのか。本誌が取材した現役社員や元社員は一様に、ユニクロの「できないとは言えない社風」「言い訳を許さない文化」の影響を指摘する。

グローバル経営を唱え、海外開拓や英語必修化で注目される同社の人間関係は、外資系企業のようにビジネスライクなものだと思われがちだ。だが内実を探ると、同社の労働環境や人材育成手法は、いわゆる「体育会系」の性格が強い。

外国語に堪能で、海外にかかわる仕事をしたいとユニクロを志望したBさんは、入社してみて外からのイメージとのギャップに愕然とした。「入社直後、 来店したSVに開口一番、『あいさつがなってない』と大声で怒鳴りつけられた。店舗裏の休憩室に入るときは必ず直立不動で『失礼します』と大きな声であいさつするなど、異様な感じがした」。

部下への指導の行き過ぎも、跡を絶たない。08年に名古屋高裁は、ユニクロで店長代行として勤務していた原告が、店長から顔面に頭突きされるなど暴行を受けたうえ、本部の管理部長からも「ぶち殺そうか、おまえ」と言われた件の違法性を認め、1000万円近い損害額を認めた。
本誌が入手した同社の社内資料によれば、昨年2月と3月にも部下への「辞めれば、死ねば」「バカ、死ね、使えない奴」といった暴言による懲戒処分が複数下されている。


上限240時間を 190時間に短縮検討

労働環境の改善に向け、同社も手をこまぬいているわけではない。最近まで人事担当役員を務めていたユニクロ日本COO(最高執行責任者)の若林隆広グループ執行役員は、長時間労働の抑制とサービス残業の撲滅に関しては、「できる努力は最大限やっている」と語る。

現在は月間労働時間の上限を、現行の240時間から社員の労働時間平均に近い190時間へと減らすことを検討中だ。またサービス残業の撲滅についても、「社内の相談窓口、内部監査の強化に加え、商業施設の入退館管理や機械警備のデータとの突き合わせも徹底したい」(同)。

こうした仕組みづくりの背景にあるのは、店舗での作業量は240時間以内で十分こなせるという認識だ。だが、こうした現状認識は、同社の現役社員、元社員の語る現実とはまるで異なる。そして目下、全国の店長を悩ませているのが、昨年末に始まった週末セールの拡大だ。これまでは土曜日、日曜日の2日間だけだった週末セールが、金曜日と月曜日にも行われるようになった。

「金曜日と月曜日の客数増加による業務量の増加が月80~100時間分ほど、セール準備のための業務量は月60時間分ほど増えた」。現役店長のDさんはため息交じりに話す。年末限定だった4日連続セールの継続が急に決まったため、思うようにスタッフが集まらないのだ。
だが、本部やSVの経験があるなど、本部と丁々発止のやり取りができるベテラン店長ならともかく、入社3年内の若手からそうした現場の声が発せられることは、同社においては極めてまれだ。

店長の最大の使命は「店舗売り上げ・利益の最大化」。そのためには本部に人件費の積み増しを求めるなどもってのほかである、という意識が強いためだ。

店長代行だった元社員のEさん(20代男性)は、店長試験の面接まで進んだ際、今の人件費計画では店舗運営が厳しい旨を率直に告げた。結果不合格だったのは「あれが言い訳に聞こえたためだ」とのフィードバックを、上司から受けた。

現役店長のDさんは話す。「上司に店舗の現実を伝えても、『成長意欲がない』と低い評価をつけられるだけだ。完全実力主義をうたい、評価が収入に直結するだけに、現場からは不満の声が上がらない構造になっている」。もしそうだとすれば、企業の風土そのものが、過酷な労働環境を生んでいることになる。


教育はしてきたがケアはしてこなかった

ユニクロの経営陣は、自社における離職率の高さなどをどうとらえているのか。「われわれも苦悩している。これまで教育はしてきたが、ケアはしてこなかったかもしれない。そこは直したい」と語る若林執行役員は、戦略のグローバル化が大量離職の原因だと分析する。経営陣は、まず国内で店長を務め、仕事を体得した社員が海外に行くというキャリアプランを描いていた。ところが、これがまったく違う方向に作用した。一つは、グローバル企業の下で、すぐ海外で働 きたいという人が国内勤務に失望するというパターン。もう一つは逆に、国内で転勤のない仕事をしたいという理由で辞めるというパターンだという。 

さらに、「半年店長」の政策にもマイナス面があったと認める。「店長になれず、今後のキャリア形成が難しいと判断して辞める人も非常に多い。若いうちに世界で活躍する機会を作ろうとした取り組みの裏で、退職者も増えてしまった」(若林執行役員)。

その対策は、入社希望者とのミスマッチ解消だという。「グローバル企業となっても、われわれの仕事はお客様に何をできるのに尽きる。そうした泥臭い部分もしっかり伝えたい」(同)。12年の新卒採用では、入社半年での離職率は3.9%。入社1年でも10%程度だと予想しており、「半年店長」政策開始前の通常ペースに戻る見込みだという。

ただ、労働環境の厳しさの根に「物言えぬ社風」があることは見てきたとおりだ。そこが変わらなければ、今後も長時間労働は続くだろう。発覚した場合のみ、個人の不始末として処分されるという、いびつな構造が残りかねない。

冒頭の採用イベントで、ユニクロ経営陣は「当社は人材採用・育成産業だと考えている」と語った。人材が命のはずの同社で、今後も大量離職が続くようでは、20年での売上高5兆円、「日本発世界一」の夢もむなしくなる。グローバル戦略の足元で、現場の苦悩が続いている


http://toyokeizai.net/articles/-/13101


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黒い白鳥(昨日の続き)

「スロウ忍ブログ」から転載。
キプロスでの預金封鎖という驚天動地の経済的事件について、痒いところに手が届くような「背景説明」になっている。昨日の拙ブログ(もちろん、私のブログの意味だが、現代人にこの手の言葉が通じるかどうか不安である。)の続編として掲載する。
なるほど、キプロスはタックスヘブンであったのか。だが、通常の民間人の預金との区別はできないだろうから、そば杖を食ったのは一般人である。いきなり、自分の預金から6.75%を強奪されたのだから。
世の中、何が起きるか分からない、ということである。そのうち白鳥とは黒いものだという認識が一般化しないとも限らない。(笑)


(以下引用)



2013年3月18日月曜日キプロスが預金封鎖。欧米(EU, IMF)からロシアへの金融制裁か。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/03/eu-imf.html
ロシア投資の中継地点となっていたキプロスで、電撃的な“預金封鎖”と一回限りの“預金課税”が行われたとのことである。

此れはEUとIMFによるキプロスへの財政支援プログラムの一部とのことだが、此れにより、キプロスの銀行口座保有者の半数近くを占めるロシア人に総額で凡そ15億ユーロの損失が発生するとのことである。



2013.3.16 23:19
キプロス、預金を封鎖 口座引き出し凍結 - 産経

 欧州連合(EU)ユーロ圏財務相会合がキプロスへの財政支援と引き換えに全ての銀行預金への課税を決めたことを受け、キプロス政府は16日、全銀行口座からの引き出しを制限する預金封鎖を開始した。ロイター通信などが報じた。

17.03.2013, 11:01
キプロス預金封鎖 ロシア人預金者の損失は約15億ユーロ - ロシアの声

欧州連合(EU)ユーロ圏財務相会合がキプロスへの財政支援と引き換えに、10万ユーロまでの銀行預金へは6,75%、それ以上の預金へは9,9%の課税を決めたが、この措置はキプロスに大きな動揺を呼び起こした。
キプロスの銀行口座保有者の半数近くはロシア人と見られているが、その損失額は、およそ15億ユーロになる見込みだ。

新しい税金は、EU及びIMFによるキプロスへの財政支援プログラムの一部で、口座保有者から約58億ユーロの資金を強制徴収する事により、EUとIMFはキプロスに対する自分達の財政支援額を100億ユーロ程度縮小する事ができた。

2013年03月18日
口座引き出し凍結!キプロス政府が預金を封鎖、混乱する現地の様子 - NAVER まとめ

ただし、一般の方々にも影響はありますが、預金の大半は「大半はロシアからの税金逃れのおカネ」だそうです。

"キプロスの場合は通常の国民の預金とは違います。むしろケイマン、バハマ、マン島などのオフショア・タックス・ヘイヴンだと思って下さい。GDPの8倍もの預金残高が過去数年の間に積み上がってしまったという特殊事情があるのです。その大半はロシアからの税金逃れのおカネです。EUの他の国々で、これほど預金内容が短期間に変貌を遂げた国はありません。だから今回は例外中の例外。"

出典 http://markethack.net/archives/51867091.html
国際的なタックスへイブン(租税回避地)として有名だったこの国は、2004年のEU加盟に際し、4.25%だった法人税率を10%まで上げて、欧州委員会に歩み寄った。税率は上がったものの、EU加盟国の中では最も低い税率であり、しかもロシアなどと結んだ租税条約に投資家に有利な条項がある。そのため、キプロスに持ち株会社を作ったうえで、ロシアやウクライナに投資する欧米企業が非常に多い。
出典キプロス:低税率が魅了、EUのロシア投資拠点に:日経ビジネスオンライン

2013年 3月 17日 12:47 JST
キプロスの銀行預金者に課税―100億ユーロ支援の条件 - WSJ

【ブリュッセル】キプロス政府はユーロ圏と国際通貨基金(IMF)から100億ユーロ(約1兆2500億円)の金融支援を受けることで合意した。金融支援の一環として、キプロス国内の銀行の預金者から税金を徴収する。課税は1回のみ。

2013年3月17日日曜日
国家倒産キプロスで銀行預金封鎖の理由 - 粉飾決算 脱税と倒産

キプロスの国家倒産回避のために、銀行預金が没収されますが、管理人は証券会社のMMFなどに言及がないことが気になっています。管理人の推測ですが、銀行預金と異なりMMFは債券で運用しており、お金を没収すると金融市場に混乱が予想されるためできなかったのではないでしょうか。

幾つかのメディアは、此の預金封鎖を“キプロス・ショック”などと喧伝しており、其の影響かユーロは現在、1ユーロ122円台前半と急激に安くなっている。“ユーロの信任が揺らいでいる”と多くの者達が判断しているからだろう。

だが俺の見方は“逆”である。

此のニュースはどちらかと言うと、寧ろユーロの信任を強化するものではないかということである。何故なら、預金封鎖と徴税強化というのは、“インフレ抑制政策=デフレ政策”以外の何物でもないからだ。

日本円は一時的に円高方向へと反発しているが、日銀の黒田新総裁の積極緩和姿勢や安倍政権による“アベノミクス”がG20で了承されたことから考えても、長期的には(少なくとも今夏2013年7月28日の参院選迄は)円安路線は変わらないと俺は見ている。


2013年3月8日金曜日
ドラギECB総裁が追加緩和の実施に否定的な見方を示す。円安、アベノミクスに追い風か。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/03/ecb.html

2013年2月23日土曜日
日銀新総裁に黒田東彦・アジア開発銀行総裁との情報。米露の綱引きと東アジア共同体への布石。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/02/blog-post_23.html

2013年2月18日月曜日
モスクワで開かれたG20で予想通り“円安”が容認された様だが。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/02/g20.html

2013年2月12日火曜日
米財務省のブレイナード次官が“アベノミクス”を支持。地固めする円安路線。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/02/blog-post_12.html


まぁ今回の預金封鎖は、ロシアへの投資と経済発展に水を差すことになりそうな悪寒である。

ロシアの富裕層やマフィアが今後、何らかの報復に出ても何ら不思議ではあるまい。


2013-03-18 03:20:48
ユーロ不安その2 キプロスの預金封鎖は、ロシアへの攻撃も目的? - 天野統康のブログ 金融システムから見る経済社会論

つまりEU諸国による、ロシアへの攻撃である。

何故なら、キプロスの預金者の半分はロシア人なのだ。

ロシア人が地中海の島国であるキプロスにこれだけ多く預金しているのは、キプロスが同じ東方正教会であり、文明を同じくしているためだろう。

ちなみにギリシャも同じ東方正教会であり、ロシアとはつながりが深い。

Asano1983

RT @UponTheThames: それにしても、預金保険の対象となる口座にもヘアカットを適用するとは、やることがひどい。結局、キプロス金融機関の預金者の37%がロシアの富裕層であり、また一部の口座は資金洗浄が疑われることもあって、ドイツ納税者の税金でロシアの金持ちを救済することに拒否反応を示したことが背景。

2013年3月18日 10:42:49
J_Tphoto

RT @yoshisatose: (続6) また、これまでマネーロンダリングを認めていたキプロスの金融機関に対する支援に、オランダやフィンランドも反発していた。ちなみに、EUはこれがキプロスだけに限った解決策であり、財政危機に陥る他の国では同様の預金課税を要求することはないと強調。取り付け騒ぎを防ぎたい考え

2013年3月18日 10:36:28



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黒い白鳥

「in deep」から転載。(途中、少しカット)
日本でも全財産を銀行預金している人が多いと思うが、「預金封鎖」となった場合、それは命取りになるわけだ。自宅に現金を置いておけば、今度は泥棒に入られる危険性があり、金の安全な保管方法はほとんど無いのかもしれないが、ある程度は財産を分割して保管する方がいいだろう。財産のある人なら、不動産などに変えておくのもお勧めだ。もちろん、不動産には課税されるが、それは「財産保管費用」と思えばいい。
財産のほとんど無い人でも、そのなけなしの金を銀行に預けているというのが現代人の生活だろうが、さて、預金封鎖となればそのわずかな金も引き出せないことになる。まして、国が個人の銀行口座から強制的に税金を引きだす、ということが可能であることが下記記事から分かったのだから、今後は銀行に金を置くことは必要最低限度にするのが賢いやり方だろう。
TPP参加の後は、何が起こるかまったく予測できないのである。まさかそんな事は起こるまい、という気持ちでいると、突然「黒い白鳥」が足元から飛び立つことになるわけだ。





(以下引用)





さて、話は変わって、今日は軽い話題で。

キプロスという国で突然、政府が預金封鎖を事前の通告なしに実施し、人々の銀行口座から強制的にお金を徴収して、怒った人々がブルドーザーで銀行に突入したりと、大変な騒ぎとなっているというものです(重い話題じゃん)。






なぜ ATM での引き出し額には限度があるのか?




▲ キプロスの突然の「銀行口座からの税金の強制徴収」に腹を立てた市民がブルトーザーで銀行前に乗り付けて抗議した光景。3月15日。 BBC より。
--


キプロスで3月15日に「突然の預金封鎖」がありました。

このキプロスの件に関しては、多くの日本語の記事にもなっていますので、まず、昨日の産経新聞の記事を抜粋しておきます。




キプロス、預金を封鎖 口座引き出し凍結
msn 産経ニュース 2013.03.16

欧州連合(EU)ユーロ圏財務相会合がキプロスへの財政支援と引き換えに全ての銀行預金への課税を決めたことを受け、キプロス政府は16日、全銀行口座からの引き出しを制限する預金封鎖を開始した。

通常は土曜日も開店している小口金融機関が閉店しているほか、現金自動預払機(ATM)からの引き出しやインターネット上での資金移動も制限されている。一部銀行店舗では、早朝から預金を引き出すため預金者が列をつくる騒ぎもあった。

18日はキプロスの休日で、同国議会は銀行が営業を再開する19日までに必要な法律を可決し、課税を完了する。

預金封鎖は全預金のうち、課税対象となる10%弱の部分が対象。預金への課税はこれまでギリシャなどでも行われなかった異例の措置だ。





上の報道にある「早朝から預金を引き出すため預金者が列をつくる騒ぎ」については、下のような感じだったようです。



▲ カタールのアルジャジーラのテレビ報道より。



ところで、「キプロス」と言われてもどこにあるのだかよくわからない場合もあるかと思いますので、地図を載せておきます。私も「地中海のあたり」というようなイメージしかなく、よくわかりませんでした。



トルコ、レバノン、イスラエルなど最近、話題が多い場所に囲まれた海の中にある小さな国のようです。



今回のキプロスの記事を読みながら、「日本で ATM の引き出し限度額が下げられていったのはいつくらいからのことだったかなあ」と私は思っていました。

私は大金を下ろす機会がないのでよくわからないのですが、下の住友銀行のサイトを見ると、「平成18年より」と書かれていましたので、6年くらい前からのことですかね。




引き出し限度額が下げられた理由というのは、私にはよくわからなかったのですが、「大きな金額を一気に ATM でおろすことができない理由のひとつ」を、今回のキプロスの出来事を見て納得できました。もちろん、理由は他にもいろいろとあるのでしょうけれど、そのうちの「推定される」ひとつの理由という意味です。

それは「何かの時に全額引き下ろされることがないように」だと。

なぜかというと、今回のキプロスの預金封鎖では、




政府は金曜の夜に、銀行の預金者から一斉に課徴金を徴収する措置を発表し、それを月曜日までに実施すると発表したので、土曜と日曜は銀行は開いておらず、つまり、預金者は ATM でしか現金を下ろすことができない。




という事態になったのです。

「お金をおろせない時に強制的に徴収する」ということですね。
上の写真のように、ブルドーザーまで使うように怒った人々が多い理由はここにあります。

「どうやっても、勝手にお金が政府に引き抜かれる」と。

しかもその率は高額預金者は約 10パーセント。

たとえば、1億円預金している人は、月曜の朝にそこから 1000万円勝手に徴収されているということになるわけです。

同じことが、もし現在の日本で起きた場合(起きないでしょうけれど・・・多分)、たとえ、貯金が1億円あっても、1000億円あっても、土日で下ろせるのは 100万円程度ということになるのかもしれません。


まあそれでですね。
このキプロスの報道を見て、一般的な人々がどう思うか、あるいは明日からどういう行動に出るかということに興味を持った次第です。

特にキプロスと同じような環境下にあるかもしれないと思われるようなヨーロッパなどの国々の人たちはどう考えるだろうかと考えるのです。


普通に考えると、

「よくわかんないけど、危なそうだからお金下ろしておこうか」

と思う人がヨーロッパの各国でドドドッ、と出現するのではないかと。


今回はタイトルに「ブラックスワン」などと書いたのですけれど、そういうような方向を誘発する出来事だったりしないのかな、と思った次第なのでした。

もともと、欧州各国は預金の流出は問題となっていて、過去記事でも、

・「銀行崩壊の不安」に駆られた人々による大規模な預金の引き上げが続くギリシャ銀行
 2011年12月07日

のようなものをご紹介したことがあります。


明日月曜にキプロスがどのような状態になるのかはまだわからないですが、当事国のキプロスだけではなく、周辺国の状態も含めて、少なくとも一時的には混乱すると思われます。




さて、こんなことが現実として起きる時代ですが、世界の他の国は・・・いや、将来的にも日本だってどうなるでしょうね。

私は経済のことは詳しくないので、予測はできないですが、しかし今回のキプロスのような方法で実施されたら、「ひとたまりもない」ということはわかります。


海外の報道もご紹介しようと思いましたが、報道内容は日本で報道されているものとほぼ同じですので、むしろ、明日以降に注目したいと思います。

それより、長らく自分でも使っていなかった「ブラックスワン」という言葉が今回出てきましたので、お忘れの方もあるかと思いますし「ブラックスワンとは何かということを記しておきます。


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ブラック・スワン
iFinance - 金融経済用語集

ブラック・スワンは、マーケットにおいて、事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のことをいう。

また、認識論学者で元ヘッジファンド運用者としての経験を持つナシーム・ニコラス・タレブが、2006年に刊行した著書「ブラック・スワン」で説明している考え方を「ブラック・スワン理論(Black swan theory)」という。

これは、従来、全ての白鳥が白色と信じられていたのが、オーストラリアで黒い白鳥が発見されたことにより、鳥類学者の常識が大きく崩れることになった出来事から名付けられ、確率論や従来からの知識や経験からでは予測できない極端な現象・事象が発生し、その事象が人々に多大な影響を与えることを総称したものである。





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