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放課後悪魔クラブwww

引用記事の最後の一段が面白い。アメリカ人にとって共産主義は悪魔と同じか、それ以上に悪い存在だという固定観念があることが分かる。社会的貧困や暴力や犯罪(言い方を換えれば、資本主義におけるあらゆる悪)は容認しても共産主義だけは絶対的に否定する、というのがアメリカ人の精神らしい。この精神がどのようにして形成されたか、興味深い。

(以下引用)

米カンザス州立高校で「放課後悪魔クラブ 」の部活動が承認される

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/satan-club-everywhere/
<転載開始>

2016年のイースターにアリゾナ州に出現した高さ170mの噴水のシルエット。indeep.jp
(今回の記事とは関係ないです)

全米の小中高に広がる「放課後悪魔クラブ」の承認

最近は、欧米などで、学校のプログラムに悪魔関係の授業や、課外活動プログラムといったものが増えていますが、カンザス州のオレイス・ノースウェスト高校というハイスクールで、


「悪魔クラブ(サタンクラブ)の放課後活動が承認された」


と報じられていました。


学校承認の正式な部外活動です。


日本でいう「部活」ですね。そこに、悪魔崇拝を奨励するようなイメージをいだかせるクラブが学校から承認されたという話です。


現在、米国では全国の学校に悪魔クラブの設置が進んでいることを、今回ご紹介するエポックタイムズは伝えていますが、イギリスでも、10月に、大学で「魔女、魔術、オカルト科学の修士号の授与を開始する」と報じられていたこともあります。


(記事)英国のエクセター大学等が「悪魔の魔術の修士号」を制定する見込み
BDW 2023年11月6日


12月には、米アイオワ州の州都デモインにある州議会議事堂に「悪魔の祭壇」が設置されたことが報じられていました。


(記事)米アイオワ州議会の議事堂に宗教団体「悪魔教会」により「悪魔の祭壇」が設置される
BDW 2023年12月12日



アイオワ州の州議会議事堂に設置された悪魔の祭壇

wnd.com


米国の宗教的団体である「悪魔教会」が設営したものです。担当者は、この悪魔の祭壇は「約 2週間設置される」と述べていましたので、クリスマスシーズンまで設置されていたのかもしれません。


そんなこんなで、悪魔崇拝的活動が活気づく状況となっている米国で、カンザス州において、子どもたちの「悪魔崇拝クラブ」が始動したようです。


シュタイナー学派などによれば、地上に受肉したアーリマンが登場するのは、2030年過ぎとされていまして、時期的にもうすくですし、いろいろ準備も必要な時期にきているのかもしれません。


(記事)シュタイナーが「悪魔的存在が人間の姿に化身して地球に生まれるのは2001年」と述べていたことを知り、そのアーリマンが表舞台に立つ2033年までの「地球が悪魔に支配されるまでの」道のりを大公開しまーす
In Deep 2020年9月23日


カンザス州の悪魔クラブについて、エポックタイムズの記事をご紹介させていただきます。

カンザス州立学校が、生徒と保護者の反対を押し切って「悪魔クラブ」を承認

Kansas School Approves ‘Satan Club’ Over Objections of Students, Parents
Epoch Times 2023/12/27



カンザス州のオレイス・ノースウェスト高等学校。


カンザス州オレイス学区が部の創設にゴーサインを出した後、「悪魔クラブ (Satan Club / サタン・クラブ)」が、州立オレイス・ノースウェスト高校の課外活動に組み込まれることになった。


このクラブの承認は、子どもたちが悪魔崇拝を奨励されることを懸念し、他の生徒や保護者からの反対が強まる中で行われた。


悪魔クラブの停止を求める嘆願書には、この記事の出版時点で 7,800 を超える署名が集まっていた。


「最近、オレイス・ノースウェスト高校に悪魔崇拝/悪魔テンリスト・クラブを設立する計画があることを知りました。学校は悪魔の教化や物議を醸す行為の場ではなく、教育と成長の場であるべきだと私たちは信じているので、このことは私と私たちのコミュニティの他の多くの人たちを深く悩ませています」と、オレイス・ノースウェストの学生であるドリュー・マクドナルドさんは請願書を作成する際に書いた。


「私たちはカンザス州オレイスの関連当局、学校管理者、地区職員、地元の代表者たちに対し、悪魔クラブ承認の決定を再考するよう強く求めます。私たちは、それが子どもたちや地域社会にとって最善の利益ではないと確信しています」


署名者の中には、クラブに反対する理由としてキリスト教の信仰を指摘する人もいたが、一般的な道徳的懸念を挙げた人たちもいた。それでも、クラブの存在は合衆国憲法修正第 1条によって保護される可能性が高いことを認める人もいた。


「私はそれ(悪魔クラブの承認)に同意しませんが、彼らが集まることは米国憲法の修正第 1条の権利の範囲内なのです」と地元の保護者グレゴリー・オースティン氏は書いた。「他の学区では、法廷でこの戦いに負けています」


オレイス公立学校の広報副部長エリン・シュルテ氏はエポックタイムズに対し、志願者が 10人異状おり、関心のある生徒のサポートなど、必要な基準をすべて満たしていることを確認したため、学区がクラブを承認したと語った。


シュルテ氏はまた、学区の決定を正当化する根拠として連邦政府の平等アクセス法を挙げた。この法律は、学校が宗教、政治、哲学、その他の言論に基づいて生徒の課外グループへの平等なアクセスを拒否することを禁止している。


この規定によれば、学校が授業時間外に学校敷地内で非学術的なグループの会合を許可する場合、他の同様のグループも許可する必要がある。


オレイス・ノースウェスト高校にはすでにクリスチャンクラブの部活動「AWAKE」があり、学生たちが放課後に集まっている。


 


悪魔崇拝が台頭している?


この新しい悪魔クラブは、悪魔の神殿の推進の一環として近年、全米の公立学校に誕生している他の米国放課後悪魔クラブ (ASSC) のリストに加わった。


先月、ペンシルベニア州のソーコンバレー学区は、ヘラータウンにあるソーコンバレー中学校での放課後悪魔クラブの承認を取り消すという決定を巡って、悪魔教会(サタニック・テンプル)が起こした訴訟で和解した。


一方、メンフィス・シェルビー郡学区は最近、テネシー州コルドバのチムニーロック小学校に別の放課後悪魔クラブを設立することを承認した。このプログラムは 1月10日に始まり、春学期まで続く予定だ。


無神論的な宗教であると主張する悪魔教会は、12月26日のフェイスブックへの投稿でカンザスの悪魔クラブの承認を祝った。


悪魔教会のウェブサイトによると、悪魔クラブの提携クラブは「永遠の滅びの脅威から解放され、子どもたちが自分の興味を探求し、創造性を伸ばすためのスペース」を提供していると述べている。


悪魔教会は、子どもたちを悪魔崇拝に改宗させることに興味はないと主張しているが、代わりにクラブの活動を「自由な探求と合理主義」に集中させることを選択している。


しかし、弁護士エミリー・ミムノー氏のような批評家たちは、こうした主張は欺瞞的だと主張し、以下のように述べる。


「これらのクラブの主催者からのメッセージの一つは、『私たちは実際には悪魔崇拝を奨励しているのではなく、信教の自由と思想の自由を奨励するためにここにいる』というものです」


「私の意見では、それは毛主席が共産主義を推進するためではなく、さまざまな経済理論を探求するために共産主義クラブを設立すると言っているようなものです。それはまったくナンセンスであり、私たちはそのことを認識する必要があります」



<転載終了> 

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生活保護支給停止という「殺人未遂」行為

9か月分で32万円少しというのはひと月で4万円にも満たない金額で、それでどのように生きていけるのだろうか。おそらく、家族からの援助が無いからこそ生活保護受給になっているかと思われ、他に収入があったとも思われない。で、そのわずかなカネを支給停止したのは、ほとんど「殺人未遂」であると言っていいのではないか。
まあ、これは、記事に書かれた内容からの推測にすぎない(たとえば、今年5月から9か月分だと、来年1月分まで含まれ、少しおかしいようだ。)が、「生活保護受給者は裕福な暮らしをしている」という、ネトウヨ的ゴシップが完全に嘘だというのは、この記事だけでも分かるようだ。



(以下引用)


生活保護費9カ月分支給せず 市職員、男性の洗濯物で同居人の存在疑う


配信毎日新聞


三重県桑名市



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職場を楽しく

エロ週刊誌みたいな記事だが、それはそれで面白い。こういう「秘書」なら私が政治家でも雇いたいかもしれないwww べつに、顔や体型が好みというわけではないが、事務所がキャバクラ(イメクラ?)になるのだから、仕事が少しは楽しくなるのではないか。どんな「仕事」をするのか知らないが。
どうでもいいが、西村の顔の老けぶり(特に歯が汚い)と、髪の黒さ、豊富さが対照的だ。カツラか?

(以下「鳶の羽」から転載)細字だが、画像内の記事も読むことをお勧めする。凄い女性のようだ。これも女の生きる道、か。問題は、西村の方だ。頭が悪すぎるのか、「恋は盲目」なのか。


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黒ビキニ秘書官の謎
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秘書官のはずが、経産官僚は「大臣室で見たことない」
 「突然、西村経産大臣の秘書となりました。彼女の経歴を知った上で採用しているのでしょうか」
 西村氏の秘書を務める女性に関する、こんな怪文書が永田町関係者に届いたのは、12月中旬のこと。怪文書には、女性秘書がSNSにアップしたとみられる、黒ビキニを着た写真や露出度の高いコスプレ風写真が載っており、女性の経歴やプライベートを問題視する内容が書かれていた。
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経産官僚があきれる。
 「この女性の前任の秘書官は、よく西村氏のレクにも出席していました。前任者は西村氏と経産省時代に同期だった官僚ですが、西村氏の度重なるパワハラなどに耐えかねたのか、いつの間にか退任。
 その後任になった女性秘書官は、大臣室で見かけたこともないですね。秘書官に就けたとはいえ、仕事らしい仕事はしていなかったのではないでしょうか。総理になりたい割には、カネと女でつまずくなんて、わきが甘いですね」
集英社オンライン
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現代倫理学(1)

私の別ブログに書いた記事だが、私の頭脳がこれから劣化する可能性が高いので、ここにも載せておく。


現代倫理学(1)神の倫理

(1)神の倫理

或る随筆というか、イギリス文学評論集のような本で読んだのだが、イブリン・ウォーの「ブライズヘッドふたたび」の中で、登場人物の一人である女性がこういうことを言うらしい。

「私はこれからも悪いことをして神に許されながら生きていくのでしょう」

これは、倫理の根幹に深く関わる問題だと思うので、これを考察の出発点にしてみる。
まず、いくつかの命題や考察ポイントを立ててみる。

1:倫理には「神(創造神)を前提とする倫理」と「神を前提としない倫理」がある。
2:絶対的な強制力を持つ倫理は「神を前提とする倫理」である。
3:「仏」、あるいは「非創造神」を前提とする倫理は「来世」が必須条件である。
4:「神仏を前提としない倫理」の「強制力」は「法律」より弱い。
5:「法律」は「倫理」とは別の強制力があるが、その強制力の前提は「暴力」である。
6:「神仏」は、その存在証明が不可能であるために、「宗教」なのである。
7:存在が証明された神仏は、信仰の対象ではなく、ただの「暴力装置」である。
8:神仏以外でも反抗が絶対不可能な倫理もまた「暴力装置」であるかもしれない。

これ以外の考察ポイントは適宜追加することにして、最初の出発点に戻る。
この女性は「神を信じている」。にも関わらず、「悪いことをして生きている」。そして、それが「神に許される」と思っている。
では、
1:そのような神(悪を許す神、つまり悪を許容する神)とは何なのだろうか。
2:また、その「悪いこと」がなぜ「悪い」と判断する(できる)のだろうか。

この女性の宗教はカトリック(カソリック)であるらしい。その前提で上記2点を考察する。
カトリックの教義はローマ教会の教義であり、それは原始キリスト教、つまりキリスト本来の教えとは別だろう。新約聖書の中でキリストは「これこれの行為は罪である」という発言は特にしていないと私はかすかに記憶しているが、要は「父なる神を信じない」ことが罪なのであり、「父なる神の意思を曲解する宗教者は大きな罪を犯している」としているようだが、キリスト自身の「倫理概念」は旧約聖書の教え(ユダヤ教)に則っていると思われる。しかし、旧約聖書の十戒の厳密な適用には反対であったらしい。イエスの神(自分の父)は、愛と寛容の神だったと言っていいのではないか。そうなると、カソリックの教えでは何が罪とされているのか。おそらく、ユダヤ教(旧約聖書の十戒)が踏襲されていると思われる。
しかし、ユダヤ教の神、つまり十戒という倫理の根幹の存在は、非常に厳しい、恐ろしい神であり、その戒律に違反することは現実に死罪に相当することもある。たとえば、安息日に働いたということですら重罪なのである。これは「神の言葉をないがしろにした」からである。それが「神を前提とする倫理」としては普通なのであり、神自身が「自分の戒律の運用は適当でいいよ」とするはずはないのである。それでは戒律の意味など無くなるはずではないか。
とすれば、冒頭の女性の言葉は、「私は神の教えを裏切るが、神はそれを許すだろう」ということになる。これは、カソリック的には許容される思想なのだろうか。
ここで思い出すのは「第三の男」のハリー・ライムである。語り手(狂言回し)のホリーがハリー・ライムに「君は昔は神を信じていたはずだが」と言うと、この悪党は「今でも信じているよ」と言うのである。その宗教はカソリックである。
ここで注意したいのが、カソリックの「告解」である。
罪を犯しても、神父(教父?)の前で告解したら、その罪は許されるという、不思議な儀式である。これがカソリック教徒の社会的精神安定剤であるらしい。
つまり、一週間悪の限りを尽くしていても、日曜日に教会で告解をすれば、その犯した罪はすべて許されるということだ、と私は理解しているが、そのような都合のいい宗教があるというのが不思議そのものである。もちろん、神父(教父?)は聞いた内容については守秘義務がある。
まあ、私はカソリックに詳しくはないので、誤解もあるだろうが、「神の倫理」の抜け穴としてこういうものがあると理解しないと、冒頭の女性の言葉はまったく不可解なものになるだろう。

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癌治療と新コロワクチンにおける推進派医師の異常性

私は抗癌剤治療への不信感を何度も書いているが、それは身近な職場の人間が癌治療(抗癌剤治療だったかどうかは分からない。放射線治療かもしれない。)であっという間に死んだのを見た経験からの私の直感にすぎない。要するに、癌部位だけを退治して、それ以外の部位が何の影響も受けない抗癌剤は不可能だろうという直感だ。と同時に、癌治療(主として抗癌剤治療)を受けた患者の生存率が著しく低いというのが、私の知ったマスコミ情報のほとんどから分かる。抗癌剤治療でむしろ寿命が短くなったとしか思えないのである。下の記事の赤字と下線にした部分は私による強調だが、その一例ではないか。
(癌部位切除以外の)癌治療は、治療自体が著しく苦痛を与え、効果が判然としないどころか、むしろ命を縮める可能性が高い、つまり、医者の儲け以外の理由がないのである。近藤誠以外の医者がそれを言わないのは、医者仲間の「仁義」あるいは「紳士協定」という、仲間同士のかばい合いだろう。あるいは、医者自身が不勉強で、大学で習ったことを盲信し、それ以外のことを知らないのだろう。これは新型コロナワクチン推進派の医師にも言える。

(以下引用)

倉田真由美さん 夫と同じステージ4「すい臓がん」公表の森永卓郎さんへの思い綴る   「森永さんとは仕事で浅からぬ縁があった」「今はまだまとまらない」


配信

TBS NEWS DIG Powered by JNN

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「オーバーロード」と「組織悪」

まだ、帰着点のはっきりしない未熟な思想というか、浮遊思考だが、私がいずれ書きたいと思っている「組織悪」の原点のひとつとしての「組織と自分の同一化」ということに関係するかと思うので、書いてみる。
ちなみに、ここで言う「組織」とは、自分と他者の結合体で、小は夫婦や家族や友人から、大は学校や会社、さらには国家まで含む。極端に言えば人類全体も入れてもいいが、さすがに人類は組織化されていない。(NWOが究極の組織で、そこで組織悪も最大になるかと思う。つまり、個々人が単なる細胞の小部分、末端、あるいは分子となり、意思と意志を失う、いや、持つことを許されなくなるのである。)

最初に気楽な話から書いてみる。
私が最近再視聴しているアニメに「オーバーロード」という作品がある。なかなか面白いアニメだが、見る人によってはこの上なく不愉快なアニメだろう。これが欧米で受け入れられない(人気にならない)のは、これが「キリスト的人類愛」の対極にあるからだろう。つまり、「人類否定」思想と言えそうな作品なのである。まあ、簡単に言えば、「世界は設定がすべて」という、ゲーム的人生観だ。つまり、「弱者がいくら道徳や倫理を振り回しても、力の前には無意味である。そして、その『力』は最初の設定で決まっている」という思想だ。ある意味では資本主義の「カネがすべて」あるいは封建社会の「身分がすべて」という思想に近く、人間の尊厳や人間愛という「お題目」など馬鹿にした思想ではないか、と私は見ている。
ストーリーや絵作りや音楽などは非常に優れた作品の部類だと私は思っているが、その根底にある「ゲーム的人生観」というのは、非常な危険性を持っており、それは、その思想が「ヒューマニズム」の対極にあると思うからだ。(私自身、テレビゲームが大好きだが、それが「人生観」になるのは非常に危険だと思うわけだ。)
これが「組織悪」とどう結びつくかというと、主人公の青年はブラック企業に勤め、ブラック労働に疲労困憊した人間として最初に登場するが、彼が「自分が最愛するゲーム内世界」に転生し、「オーバーロード(上主)」となった時、彼は自分の組織防衛のために、あらゆるものを問答無用で踏みにじるのである。それが顕著なのは、彼の居城を単なる廃墟だと思って侵入した盗賊(下級冒険者)一味の人間像を、素晴らしい人間性として描きながら、主人公のアインズは、問答無用で殺戮する、その描写の「人間性の完全否定」「人類憎悪」にある。
つまり、ブラック企業という組織の「組織悪」に疲労困憊しながら、いざ、自分が組織の長になると、その組織の防衛のために他者を殺戮するという、その有様に、まさに組織悪の本性が顕現しており、組織悪とは「自分の悪を拡大したもの」でもあるというわけだ。

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「感傷性」への称揚

講談社が発行している「赤の謎」「青の謎」「白の謎」「黒の謎」という、4冊シリーズの江戸川乱歩賞受賞作家の中短編を集めた作品集があり、さすがに作家それぞれ達者なものである。乱歩賞自体は推理小説作家の登竜門的なものだろうが、その後ベストセラー作家や中堅作家になった人が多い。つまり、乱歩賞選定委員の鑑識眼が確かだということだろう。そういう意味では、作家歴が長いだけの作家への「功労賞」的な受賞が時々ある直木賞や、一発屋(特に、既に他のジャンルで名を成している有名人への、「宣伝効果」目当ての授賞)が多い芥川賞よりまともかもしれない。

で、ここで妄想的考察をしたいのは、藤原伊織の「ダナエ」という作品を読んでの感想だ。それは、彼の作品は他の推理小説作家の作品群との違いがあるのではないか、という説である。そして、それは「センチメンタリズム」だ、というのが私の考えである。これは悪い意味ではなく、それを「詩情」と言ってもいい。
他の作家の作品は、「上手く虚構を作れましたね」と感心はするが、感動はあまりない。まあ、推理小説に感動を求めるのが間違いで、あくまで娯楽だ、というのが本当だろうが、そこに推理小説(あるいはSF小説、あるいはホラー小説)が「文学」より一段下に見られるところがあると思う。(これは世間的評価の意味で、私は優れた娯楽小説は「文学」より貴重だという考えだ。そもそも、私も含め、大衆は「文学」など読みもしない。)
で、「ダナエ」を読んで私は不覚にも涙を浮かべたのだが、それがあきらかに「センチメンタリズム」の涙だ、というのも意識していた。いや、人間は、感動で涙するよりも、感傷によってこそ涙するのではないか、というのが私の主張である。
まあ、感動と感傷は何が違うかと言えば、それは独断的に言えば「詩情の有無」だと言っておく。
ついでに言えば、「ダナエ」は、推理小説として完璧な構成を持っており、細部の破綻がまったくと言っていいほど無い。特に「ダナエ」というタイトルが、完全に小説の主題を暗示しているのが最後に分かるのが見事である。で、小説の最後に至って、読者に涙を浮かばせるのであるが、それは「推理小説」としての感動ではまったく無い。それを私は「センチメンタリズム」と言っている。それは演歌の中にも学校唱歌の中にもポップスの中にもある。
私は俗流ハードボイルド小説(ピストルと拳骨とセックス)が大嫌いなのだが、一流のハードボイルド小説には詩情がある。その詩情を「センチメンタリズム」と私は言っている。 


ちなみに、リラダンの短編、「センチメタリズム(サンチマンタリズム)」は、まさしくハードボイルド小説である。ハードボイルドとは、「声を上げて鳴く虫よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」ということだ。けっして「男のハーレクインロマンス」ではない。もちろん、「ハーレクインロマンス」を軽蔑する女流作家が、それ以上の作品を書いているとは限らない。少なくとも売れていない。


(追記)「隠居爺の世迷言」を読んでいたら、末尾にこのような部分があったので転載する。若手小説家の作品に情緒が欠けているのは、「合理主義」優先の世相の反映かもしれない。感性がアメリカ式にドライになり、「恋愛=即セックス」「嫌悪感=即殺人」では、情緒も何もあったもんではない。

 最近の世の中には、情緒が無くなっているような気がする。人はもちろんそうだけれども、建物などの人造物からも情緒的なものを取り除いていっているような。アメリカナイズってそういうことなのかな。情緒はおしゃれじゃないから?

 本来の自然な情緒が取り除かれている一方で、コロナ怖いとか、ウクライナかわいそうなどという、金儲けのために作られた情緒に人々が簡単に乗せられてしまうというか、洗脳されるというか。LGBT推進法などというのもその手のものだよね。

 情緒的ではなくなったように見えるけれど、実は原始的で単純な情緒しか持つことが許されなくなってきたということかな。要するに官製情緒だね。つまらない世の中になってきたものだ。岸田総理お勧めのグレートリセット、そしてその後の世界というのも、官が一人一人の情緒をコントロールしようとするものなんだろうなあ。これ以上ない基本的人権の侵害であるように思うな。ていうか、人を人とも思わぬ所業だよね。

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酔生夢人
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男性
職業:
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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