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「老醜」という言葉は死語になったのか?

「さとう内科循環器科医院」というお医者さんのHPから転載。
私はよく医療業界の悪口を書いているが、それはほとんど癌治療と延命治療に関してである。どちらも、無意味な治療であり、医者の金儲け、薬品業界の金儲けのためにだけ存在しているようなものだ。
患者の方にも騙された責任というものはある。そもそも、50年も60年もこの世に生きてきた人間が難病になったからと言って、なぜじたばた騒ぐのか。いったい、何年生きれば十分だと言うのか。
「私、千年も万年も生きたいわ」とは『不如帰』という昔のメロドラマ小説の浪子とかいうヒロインのセリフだったと思うが、千年も万年も生きた婆さん(いや、もはや得体の知れない怪物だろう。スイフトの『ガリバー旅行記』に、そうした不死人間の醜い姿が見事に描かれている。)に誰が用があるもんか。死んで惜しいのは、若者と子供、幼児だけである。彼らはまだ人生を十分に味わっていないから、彼らの未来を病気などで失わせるべきではない。だが、老人には、日常生活を快適に過ごすための医療は必要だが、延命治療など馬鹿げた行為である。癌治療も同様だ。癌とは、広い視野で見れば、「生物的役割が終わった」事の宣告だと私は考えている。もちろん、化学薬品や放射能による若年性の癌はまた別の話である。
さて、下記記事は、珍しく医者の立場から子宮頸がん(なぜ、「癌」と書かないで「がん」とひらがな書きする習慣なのだろうか?)検診と子宮頸がんワクチンの有効性を否定した小論である。文中の「実は子宮頸がん検診がXXXXだということを自ら示しているのです」の「XXXX」は、もちろん「インチキ」という文字が入る。
少し長いが、資料的な価値もあるかと思うので、省略無しで全文転載しておく。

言うまでも無いが、私はすべての老人や「老いること」を否定しているのではない。私自身、他人から見れば爺ィかもしれない。ただ、老人には老人にふさわしい身の処し方があるだろう、と言っているだけだ。特に政界や経済界には、老醜をさらし、世間に害毒を流す老人が多すぎる。そういう人間は早く死んでくれる方が世のため人のためである。
「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどで死ぬこそめやすかるべけれ(感じがいいだろう)」と兼好法師も言っている。もっとも、その当人は四十をはるかに超えて生きていたが。(笑)



(以下引用)*グラフなどは転載できていないので、元記事参照。



子宮頸がん検診で、「がん」患者が「つくられる」

さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市 (2012年8月 6日 17:57)


グラクソ・スミスクライン(サーバリックス)、MSD(ガーダシル)が、子宮頸がんワクチンのコマーシャルを流しています。
特にGSKは、某女性タレントを使い、「20代の女性に子宮頸がんが増えている」と言わせています....ウソです。
「健診」によって、「がん」患者が「作られて」しまうのです。

「作られて」いるというといかにも人聞きがわるく、「意図的」にそうしているようにとられますが、そうではありません。まず、もともと「がんはあいまいなもの」(下に紹介した福島氏の表現です。とてもいい表現と思います)であるということから始まらなければなりません。「あいまいなもの」に、不適切な方法で無理やり線を引くものだから、「沢山の過剰な診断が生まれる」、ということなのです。

一応、「がんとは何だろうか」という議論から始めなければなりません。マクロ的には「塊」が起こす機能障害と考えます。しかし、一方では「異形」に対する恐怖と不安、というような気がします。
ここに体細胞が一個あって、核の形がおかしいとしても、これを「がん」と決められるでしょうか。組織レベルでは、細胞がある機能を果たす目的に配列しているときは正常、これはいいのですが、そのように見え ないときは「がん」とはならないのです。がんは意外にマクロ的なものなのです。さらに細胞内部の仕組みでは「全くわからないもの」です。がん細胞が生きた細胞であること、体の一部として、10~20年も経過しますから、ますます定義ができなくなります。やはりがんとは、「あいまいなもの」なのです。

「がんはあいまいなもの」というとき、癌細胞と正常細胞をウイルスを使って細胞融合させると、癌細胞の性質を失うという実験を思いだします。逆ではないのです。

皮膚がん、胃がんのような固形がんの診断は、まず肉眼的に異常と思われる塊を認識して、生検といって、その一部を採取して顕微鏡で観察し、がんの診断に至ります。肉眼的に"腫瘍"を確認する作業は、数学的な表現を使えば、あいまいさ(分散)を小さくしているのです。それでも、「あいまいなもの」という "呪い"(もともと持っているの分散の大きさ)からは、根本的に逃れられません。

胃がん検診では、あくまで肉眼的に異常と思われる塊を見出すことに終始します。顕微鏡によるがんの診断(組織診断)が確実に思われますがそうではありませ ん。炎症性の腫瘍を排除し、胃がんにもいくつかの種類があり、細胞の形、並びより、過去にがんと診断された範疇に入ることを確認しているに過ぎません。が んと診断しても、それが将来大きくなるのか、浸潤したり転移したりする質の悪いものかどうかも、案外決められないのです。胃がんの診断過程に細胞診はありません。

子宮頸がん検診の場合は、触診、視診と、細胞診からなります。細胞診は無条件にすべての対象者の子宮頸部の粘膜を拭い取って細胞を採取し、染色して顕微鏡で観察し「がん疑い」をつけるものです。せっかく視診、触診をしておきながら、細胞診に主役を明け渡します。肉眼的に異常と思われる塊が無ければそこで止めるべきなのです。細胞診を行うために混乱に入っていくように見えます。

ここに奇妙な点があることに気がつかなければなりまあせん。子宮頚がんの悪性度CIN1~CIN3は細胞診の場合、核の大きさ形で決めらえます。もう一方では、下の図で示されているように深達度を表すものとされています。さて、細胞の核の形で深達度が決められるものでしょうか。また、擦過細胞診で標本を採取する場合、上を擦って取るのですから、下の図のCIN2とCIN3のような場合、うまく採取されるのでしょうか。










ヒトパピローマウイルスの感染で細胞の形、核の形が変わります。細胞診に拘りますと、これらの変化を悪性ととらえますから、診断が混乱します。数学的な表現を使えば、さらに分散を大きくする要素を取り込んでいる、ということになります。HPV感染が起こって核の形が変わってしまっていても、実際にがん化するのが2%だとすると、細胞診の段階で50倍の過剰診断が生まれることになります。


(ここでのがん化というのは細胞診、組織診断のレベルである。2%という数字は、下の論文の表の Oncogenic(発がん性) HPV: CIN3 to Cancer 0.002-0,017 を多めに2%として利用した。この論文はGSKの賛助のサーバリックス拡販が目的のものである。しかし、がん化の確率はかなり小さく、HPVががん化させるというのはおぼつかない状況に見える。Non Oncogenic HPV: CIN3 to Cancer 0.008 となっていて、発がん率がOncogenic HPV のそれと重なっているのだから、発がん性と非発がん性を分けられないはずである。HPVはがん化と関係ないとする論文もいくつかある。肺結核が結核菌でおこることには、今は誰も疑問をはさまない。しかし、HPVと子宮頸がんの関係はそうではない。)

Br J Cancer. 2007 Jan 15;96(1):143-50. Epub 2006 Dec 5. Estimating the long-term impact of a prophylactic human papillomavirus 16/18 vaccine on the burden of cervical cancer in the UK. Kohli M, Ferko N, Martin A, Franco EL, Jenkins D, Gallivan S, Sherlaw-Johnson C, Drummond M.



20歳代の女性に、40歳以降のがん年齢で生ずるような癌細胞が見つかることは少ないことを考えるならば、若い女性の子宮頸がん検診は、HPV感染による細胞の核の変化ばかりみていることになります。これが若い女性に子宮頸がんが増えているということの実態、と考えることができます。

細胞診で「がん疑い」とされた方には通知が行きます。コルポスコピーで腫瘍の有無の確認をし、細胞診を再度行うのだと思いますが、子宮頸部の円錐切除(一種の巨大な生検)を行い、顕微鏡による組織診断をします。これも、分散を小さくする過程です。しかし、組織診断も顕微鏡の細胞診に、細胞の配列という要素が加わっただけです。細胞診の混乱(分散の大きさ)はあまり小さくなりません。結局同じ混乱上にいることになります。
YouTubeに円錐切除のビデオがありましたが、私の目には全く悪性腫瘍の印象が無いのに、何故円錐切除をするのだろうと不思議に思っておりました。子宮頸部は胃と違って小さく丸いので、"治療"という意味も兼ねて一挙に切ってしまうのだろうと想像いたします。


* 要するに、顕微鏡で「がん」と診断してはいけない、必ず、肉眼で「異常と思われる塊」を認識してから、次の検査をすべきである、といことです。(研修医のころ、細胞診で悪性細胞と診断が出たために、患者さんに意味の無い手術を強いてしまった反省があります。)

細胞診はまず、臨床検査技師である臨床細胞検査士(cytotechnologist)が染色し、顕微鏡で悪性細胞かどうか決めます。基本的に核の大きさ、形で「がん疑い」の程度を決めるのです。「がん」か「正常」かではなく、「がん疑いの程度」を述べているものなのです。それは殆ど「核の形が変だ」という印象に基づいているものなのです。臨床病理部の医師が細胞診の結果を確認するところは無いと思います。医師はそういう仕事に向いていませんし、興味を持ちません。円錐切除の標本は臨床病理の医師が確認しています。簡単過ぎる言い方かもしれませんが、核の濃染度と細胞の配列で診断しているのです。それ以上の診断基準を挙げられるでしょうか。

こう言ったら言い過ぎかもしれませんが、臨床細胞検査士、臨床病理の医師が「がん」といったら「がん」なのです。ところが、ほとんどの場合、この二者は腫瘍を肉眼では見てはいないのです。一応、生検箇所が撮られたフィルム、あるいは医師のスケッチが仲介していますが。

(*に戻ってください。)

さらに悪いことに、臨床の場で、「がん」という言葉が発せられますと、医師も患者も冷静さを失い、処置、手術を急いでしまうのです。また、一度「がん」という言葉が発せられたら、それを否定するのは非常に困難なのです。

腫瘍を目で確認できる場合でも、癌の早期発見を目的に健診を行った場合、必ず過剰診断、過剰手術がおこるのです。肺癌、乳がん、胃がん、どの健診でも必ず起こります。

この辺の問題については、必ず、近藤 誠氏、岡田正彦氏、福島敬宣氏の著書をお読みください。



コバルト:罹患率

マゼンダ:死亡率

黄色:罹患率/死亡率











このグラフは、「20代の女性に子宮頸がんが増えている」と言って、ワクチン接種推進のためによく出てくるものです。GSKのパンフレットのグラフから数字を読み取り、Excelでつくりなおしたものです。

罹患率は子宮頸がん健診で「子宮がん」と診断されたものとおもいます。罹患率を死亡率で割り算したものは、子宮頸部がん検診の有効率の逆数みたいなものですが(過剰診断率?、誤診率?)、システムの一貫性をチェックするときの指標として使えると思います。
もともとこの2つの変数は密接に関連していますから、その比は一定であることが期待されます。値が小さいほど、検診が有効であることを示しています。

上の図をみれば、40歳を堺にシステムの一貫性が無いことがわかります。彼らが「20歳代の女性に子宮頸がんが増えている」という事を示すために出しているグラフは、実は子宮頸がん検診がXXXXだということを自ら示しているのです。(相武サキのコマーシャルでは、死亡率のカーブが消えています。)

XXXXな検診結果をもとに、社会に恐怖を流すことは罪が大きい。
XXXXな検診結果を示して、女性を脅し、ワクチンとは名ばかりの「毒」を注射するように誘導するのでしょうか。

さすがに、このような子宮頸がん検診の結果をもとに円錐切除をやったり、子宮を切除したりはしていないと期待しております。

日本人に子宮頸がんが増えている、20歳代に子宮頸がんが急増するといって脅し、ワクチンをさせようとします(2012年6月29日の一面広告の記事)。この言い方は非常におかしい。
まず、40歳代くらいまでは殆どがんにならないのです。40歳代以上を「がん年齢」という言い方は正しいと思います。
次に日本人女性では子宮頸がんによる死亡は減っているのです。下の図はファクトシートにあったものです。ファクトシートも見てないのでしょうか(黒の破線は私がひいたものです)。

20歳代に胃がんが急増する?、20歳代に肺癌が急増する?、20歳代に卵巣がんが急増する?
そんなことを言っている人は常識を疑われるのです。






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これほどの不合理が堂々と罷り通る理由

「志村建世のブログ」から転載。
徽宗皇帝のブログに書いた通り、日本の原発は「アメリカの軍事施設」だと考えれば、すべては明瞭になる。

「日本の未来のことも、経済のことさえ全然考えてない。」
「問題先送りの典型」

と言えばそうも言えるのだが、実は、日本政府にはそれ以外やりようが無い、ということだ。すべての権限はアメリカにあるのだから、当然の話である。
だが、アメリカには実は「アキレス腱」がある。
それは、アメリカは民主主義を標榜していることだ。
日本国民全体(あるいは過半数)の意思が原発反対、あるいは在日米軍基地反対であることを明瞭に示すことさえできれば、原発も即時停止、米軍基地も即時撤収可能だろう。つまり、選挙で隷米政治家を全員落選させればいいだけの話である。もっとも、電子投票や電子票読み機などを使った不正選挙への対策をどうするかは、また別の話である。
まあ、自民党を応援している連中にはまず、原発に起因する高額電気料金を彼らだけに負担してもらうべきだろう。


(以下引用)



2013.4.10


これでも原発やめないの?

[ 政治・政党 ]

(熊さん)今年の夏は、節電の目標ってのがないそうですね。
(ご隠居)ああ、全国的にそのようだな。関西では大飯の原発が2基動いてるんだが、これが8月には定期点検で止める期限になる。その2基が止まっても、やりくりすれば大丈夫という計算になるそうだ。つまりは原発が全然動いてなくても、日本の電力は足りるということだ。
(熊)それなら早く原発はやめると決めちまえばいいのにね。福島では汚染水のプールが漏れてるとかで騒いでるじゃないですか。事故の始末もできない頼りなさで、よく再稼働だ、新しいのも作るなんて言えたもんだ。
(隠)原発やめても、それで汚染水漏れが止まるわけじゃないけどな。でも、ちょい漏れパンツじゃあるまいし、防水シートの穴が問題だなんて、みっともない話だ。トイレのないマンションと言われてたのを、地で行ってる感じになってきたよ。後の始末の悪さ、これが原発の命とりだな。
(熊)ちゃんと計算すると、原発を廃炉にするのも、えらく金がかかるんだってね。
(隠)うん、高木仁三郎さんの計算だと、全部の廃棄物を地層処分すると原発の建設費よりもずっと高くなるそうだ。低レベルは簡単に処理するとしても、それはそれで放射能を撒き散らすことになるから管理が必要になる。どこから見ても引き合う話じゃないんだな、経済的にもだ。
(熊)それなのに、使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すリサイクルの建前を、まだ続けてるって本当なんですか。
(隠)そうなんだ。先日も新聞に出てたが、イギリスの会社に頼んでた使用済み燃料の再処理費用が、先方もトラブル続きで、えらく値上がりしてるということだ。契約で引取りを拒否できないようだが、いずれは日本の電気料金に転嫁されると書いてあったよ。その後は日本の六ヶ所村の再処理工場で事業を続けるというんだが、これはもう正気の沙汰ではないな。どえらい金かけて、今でさえ使い道に困ってるプルトニウムを、もっと積み上げるってんだから。
(熊)そのプルトニウムの使い道が、MOX燃料ってことですよね。
(隠)それでMOX燃料(ウランとプルトニウムの混合)専用の大間の原発を作りたいってんで工事を進めてるわけだ。こりゃいったい全体何なんだ。原子力村の理屈を押し通してるだけじゃないか。日本の未来のことも、経済のことさえ全然考えてない。それくらい熊公にだってわかるだろう。
(熊)わかりますよ。とりあえず今さえよけりゃいい、問題先送りの典型ですね。

Posted by 志村 建世 at 16:58:10 | コメント (2) | トラックバック (2) | リンク (0)



(追記)


「日々坦々」資料ブログから転載。


(以下引用)




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電力会社ベラボー役員報酬リスト
それでも高い! 電力会社ベラボー役員報酬リスト
それでも高い!
電力会社ベラボー役員報酬リスト
(日刊ゲンダイ2013/4/4)

東電に続き関電、九電が値上げ

関電、九電が5月から電気料金を値上げする。家庭向け料金は関電で平均9・75%、九電で6・23%引き上げられる。すでに東電は昨年9月に値上げを実施済みで、東北電、四国電は経産省に申請中。北海道電も料金改定を表明している。



各社、値上げのオンパレードなのだが、ヤリ玉に挙げられている役員報酬は別表の通り。減額しても、相変わらずの高額報酬だから許せない。
関電は当初、役員1人当たり4100万円、九電は3300万円の報酬額を申請していた。さすがにこれは認められず、“国家公務員並み”に減額するよう要請されたが、それでも、官僚トップの事務次官級の報酬2000万円超なのだ。

「東北電は役員全体の報酬として6億円、四国電は5億円を申請しています。1人当たりにすると、やはり軽く2000万円を超える計算です。もちろん、査定で修正を求められるでしょうが、電力会社は、経産省が認可した役員報酬額を守らない。関電や九電は報酬額1800万円への減額を求められたが、実際は、これに200万円も上乗せしている。九電は、やらせメール問題で辞任した真部利応前社長ら顧問・相談役3人にも計約5000万円を払うとしています」(事情通)
なぜ、こんなデタラメがまかり通るのか。資源エネルギー庁によると、「電気料金の原価に含まれる人件費は認可された金額でなければいけないが、原価に含まれない部分での上乗せについてはルールで規定していない。法的拘束力もない」(電力市場整備課)という。とんでもない“ザル法”である。
結局、電力会社が都合良く帳尻合わせをすれば、いくらでも役員報酬に色をつけることができるわけだ。庶民には電気料金アップを押しつけておいて、自分たちは事務次官級の高額報酬で左うちわ。とことん感覚がズレている。
[電力会社]
[役員数]
[平均報酬]
[値上げ]
北海道電力
15人
2833万円
表明
東北電力
21人
2228万円
申請中
東京電力
22人
※1047万円
実施済
中部電力
17人
3747万円
北陸電力
12人
3308万円
関西電力
20人
※2100万円
認可
中国電力
18人
3144万円
四国電力
19人
3294万円
申請中
九州電力
17人
※2000万円
認可
沖縄電力
15人
2027万円

※は減額後の報酬。それ以外は12年3月期の有価証券報告書に基づく。東北電は報酬とは別に、平均7705万円の株式報酬型ストックオプションあり





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癌治療とQOL

「泉の波立ち」と、そこに言及されていた「女性自身」の記事を転載。
私自身は、抗癌剤(あるいは放射線治療)に延命効果があるという事に対しても懐疑的だし、むしろ生命を著しく縮める場合の方が多いと思っているが、抗癌剤や放射線治療にたとえ多少の延命効果があっても、QOLがはなはだしく悪化するという下記記事の主張はまったくその通りだと思う。また、それは私が自分のブログで何度も言ってきたことだ。はっきり言って、癌治療の半分以上(いや、8割以上)は医療業界の金儲け手段として悪用されている、と私は見ている。飯山一郎老人などの見方も同じであるようだ。もっとも、私は乳酸菌とやらで癌が無くなるとはどうも思えないのだが、まあ、詳しくは知らないので、そちらは何とも言えない。
で、下記記事は経済学が専門らしい南堂氏らしく、癌治療が医療費全体に及ぼす経済的悪影響にも言及している。こういう冷徹な発言は世間の非難を浴びがちであるから、それをあえて言った南堂氏を称賛したい。もっとも、こういう「骨太の方針(政策)」を政府などが言い出したら危険信号だが。(笑)


(注)「骨太の方針(政策)」とは、「国民に多大な犠牲を要求する政策」の意味であり、「そういう不人気政策でも堂々と言う俺って骨太政治家だろ?」の意味である。小泉時代と安倍政権の両方で用いられている、黒を白と言うマスコミ用言い換え言語だ。




(引用1)

2013年04月10日
◆ 抗ガン剤の効果は無意味

 抗ガン剤については、1カ月または1割程度の延命効果が見られることが多い。しかし、このような延命効果というものは無意味だ、と私は考える。(常に、というわけではないが、たいていは。)

 ──

 抗ガン剤については、完全否定する見解もある。
  ・ 抗ガン剤はまったく延命効果がない
  ・ 抗ガン剤では寿命がかえって縮まる

 ま、そういう例もあるだろう。(薬剤によっては。)
 ただ、一般的には、1カ月または1割程度の効果が見られることが多い。その幅にはかなり変動があるが。より詳しくは下記。
  → 抗がん剤は延命治療!? (朝日)

 ──

 ただ、本項では、次のことを指摘したい。
 「単純に延命効果を測定しても、意味がない。なぜなら、生活の質(QOL)が悪化しているかもしれないからだ。副作用があったり、倦怠感があったり、病院から出られなかったり……というふうに、弊害が大きければ、生活の質(QOL)が悪化する。その場合、たとえ延命効果があっても、トータルとしての改善効果はあったとは言えない」

 原理的に言えば、こうだ。
   生命の量 = 生活の質 × 生存期間

 たとえば、次の二つを比較する。(ケース1)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 2年間の余命があって、生活の質は 50%
 後者では、生存期間は倍だが、生活の質は半分なので、たとえ生存期間が倍になっても、当たるの生命の量は変わらない。

 たとえば、次の二つを比較する。(ケース2)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 10年間の余命があって、生活の質は  0%
 後者は、10年間も生きられるのだが、その間、意識を失っており、ずっと昏睡状態である。この場合、たとえ生命は維持されていても、生活の質は 0% だから、生きていても死んでいるのと同様だ。このような形で長生きしても、何の意味もない。本人には「生きている」という実感がゼロだからだ。

 たとえば、次の二つを比較する。(ケース3)
  ・ 1年間の余命があって、生活の質は 100%
  ・ 1.1年間の余命があって、生活の質は 80%
 後者は、余命が1割延びたが、病院から抜け出せないし、副作用もいくらかあって、かなりつらい。差し引きして、生活の量は 1割程度、低下している。……こういう例は、けっこうあるだろう。とにかく1カ月か1割ぐらいは延命効果があるのだが、病院に閉じ込められて生きているだけで、生きている実感が大幅に減る。しかも、副作用のせいで、かなりつらい。
 ま、そのどちらを選ぶかは、個人の好みでいい。「生活レベルが大幅に低下しても、とにかく少しでも長生きしたい」と思う人があれば、それはそれでいい。それを「いけない」と非難するつもりはない。
 ただし、別の問題がある。

 ──

 別の問題とは、医療費の問題だ。やたらと高額の抗ガン剤(数百万円程度)が多用されるせいで、日本の医療財政は破綻の危機に瀕している。


  → 出典 (財務省) 


 たいして効果もない(延命効果はあっても、生活の質を低下させてしまう)ような薬剤を使うために、個人が自分の金を使うのは構わないが、国が莫大な金を援助する。そのせいで、国家の負担が莫大になる。
 こんなことでいいのだろうか? 

 ──

 これに対して、反対論もあるだろう。
 「金がいくらかかるとしても、人間の生命は大切だ。たとえわずかな延命効果しかないとしても、大金を負担するべきだ」
 というふうに。
 ま、こういう人は、「消費税が 30%でも 40%でも構わない」と思っているのだろう。それはそれでいい。400万円の年収に対して、消費税 40% と 所得税 で、合計して実質所得が 200万円に減ってしまうのでもいい、と思うのであれば、それはそれでいい。
 問題は、次のことだ。
 「延命治療の終末医療に医療資源を奪われるせいで、肝心の救急医療や普通の医療の資源が食いつぶされてしまって、死ななくてもいい人々が死んでしまう」
 ここにおける死因は、癌ではなくて、「医療崩壊」である。そして、医療崩壊をもたらすものは、「有限の医療資源を、ただの延命治療のために食いつぶすこと」である。

 つまり、ろくに効果もない終末期の患者を、自宅で自由に生きさせるかわりに、病院に閉じ込めることにして、そのせいで、肝心の病院に普通の病人を収容することができなくなる。そのせいで死者が次々と出る。

 これが現状の日本の医療だ。そして、そこにあるのは、
 「延命治療によって延命効果を追及することが大切だ」
 という姿勢だ。ここでは、
 「延命治療を追及することで、普通の病人の生命そのものが奪われる(救えなくなる)」
 ということが起こっている。
 こんなことでいいのだろうか? 

(以下略)





(引用2)

がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由
女性自身 3月30日(土)7時0分配信


「誰にも言っていませんが、余命は1年もないでしょう」と自らの余命を語るのは、神戸市「新須磨リハビリテーション病院」院長の神代尚芳医師(67)。これまで約200人のがん患者を看取ってきたという神代医師。そんな彼が今、末期の肺がんに侵されているという。

がんが見つかったのは、昨年5月のこと。手術は、親友の医師により7月に行われた。だが現在、神代医師は抗癌剤や放射線治療などの治療を行なっていないという。「『大細胞型』のがんは抗がん剤が効きにくく、放射線治療も効果がないんです。だから、もう対応のしようがない。飲んでいるのも胃腸薬ぐらいです。もちろん、自分がこれまで患者に言ってきたことと違うことをするわけにはいかないという思いもあります」

これまで彼は患者への治療を必要最小限にとどめてきた。それは延命ではなく“自分らしい人生”を送ることに重点を置いた治療だった。神代医師によると、今の医療はやるべき治療を行なっていない一方で、やり過ぎだと思うことも多いという。「もちろん何でも放置すればいいというわけではないですよ。でも手遅れなのに手術を重ね、辛い治療を続けることで“最期の時間”を犠牲にしている人も多いんです」

そんな彼が20年間に渡り提唱してきたのが『完成期医療福祉』という考え方だ。「『死ぬことはこの世から消えてしまうこと』だと考えると耐えられないほど恐ろしい。でも『死は人生を完成させるもの』と思えば、怖くなくなる。つまり充実した最期をもって人生を完成させるということです。そのためには、管理された病院で死ぬのではなく、自宅などの自由でいられる場所で最期をすごす必要があるんです」

患者のために人生を捧げてきた神代医師の考える“人生の完成”。それは、独居老人が自宅に戻って充実した最期を迎えるにはどうすればいいのか。どんなサポートが必要なのかという答えを見つけることだった。「幸か不幸か、私はがんになりました。だから自らが実験台となり、それらを見極めたいと思うようになりました」

しかし、今年2月に脳への転移が発覚。“独居闘病生活”の試みは、断念せざるをえなくなったという。理想と現実の間で揺れ動く神代医師は、しみじみとこう語る。「今回、私は2度の手術をしましたが、これでよかったのかなと思うこともあります。でもそれは最期にならないと誰にもわかりません。医者といっても神や仏じゃなく、人間ですから。何がよかったかなんて最期までわからない。そんなもんです」

そんな神代医師を支えているのは、家族の存在だ。妻の実津子さん(58)がこう振り返る。「今回の独居をいちばん反対したのは、27歳になるひとり娘でした。『なんで最期なのにパパと一緒にいられないの!最期はパパと一緒にいたい』と強く反対したんです。主人は子煩悩でしたからね。その言葉も心に響いたようです」

夫を元気づけようと、実津子さんは日本舞踏の仕事を辞め、夫の介護に専念することを決意。神代医師はいま、妻の作ってくれる手料理を何よりの楽しみにしているという。実津子が続ける。「普段は毎日料理をつくるのなんて疲れると思うはずですけど、今は不思議と楽しいんです。体調がいいときは一緒にお酒も飲んだりするんですよ。もちろん、ほんの少しですけど(笑)。こんな生活は、病院だとできないでしょうね」

神代医師は『いざとなっても救急車を呼ぶな』と実津子さんに言い聞かせているという。実津子さんは、笑顔でこう語る。「実は24時間ずっと主人が家にいる生活なんて、結婚して30年で初めてのことなんです。がんになったのは残念ですが、その反面、いま初めて主人がいつも家にいる。娘にすれば『パパがいる』生活なんです。きっと神様が最期に幸せな時間を与えてくださったんじゃないでしょうか。そう思うようにしています」

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公教育の死と、再生の可能性

「BLOGOS」所載、内田樹の「学校教育の終わり」という文章の最後の部分を転載。

「だが、日本の場合、東大や京大の卒業者の中に「ノブレス・オブリージュ」を自覚している者はほとんどいない。

彼らは子どもの頃から、自分の学習努力の成果はすべて独占すべきであると教えられてきた人たちである。公益より私利を優先し、国富を私財に転移することに熱心で、私事のために公務員を利用しようとするものの方が出世するように制度設計されている社会で公共心の高いエリートが育つはずがない。」

という言葉は、国民全部がよく考えるべき大事な問題を提示しているのではないだろうか。
この内田樹の言葉が事実であること、つまり今の日本の政治経済のすべてが官僚自身への利益誘導のために利用されていることは、少しでも見る目のある人間なら誰でも分かることだ。それを一目瞭然に示しているのが東電と原子力村、そして政府の福島原発事故の処理の仕方すべてである。原発事故被害者はそっちのけで、東電を救済すること(つまり官僚の利益を守ること)に全精力を傾けている、あの原発事故処理の仕方を見れば、この日本が官僚による「私物国家」であることは歴然としている。
そして、官僚のそのようなエゴイズムがどこに胚胎しているかと言えば、東大を頂点とする受験ヒエラルキーの中での勝者となるために彼らが費やした努力に彼らが自ら報酬を与えている、ということなのである。すなわち、内田樹が言うように、彼らが「公共心の高いエリート」に育つはずはない。
ならば、この「制度」をどうすれば変えられるか。
内田樹は、公教育を変えるのは不可能だ、と見ているようだ。その代わり私塾が新たな、社会の牽引者となる真のエリートを作るのではないか、としている。
さて、その私塾が今の私立大学に類するものならば、これはまったく期待はできないだろう。また、それが企業の金で作られた「松下政経塾」のようなおぞましいものになるとしたら、これはむしろ害悪の方が大きそうだ。そうなると、その「私塾」はどのようなものが考えられるか。
確かに「適塾」や「松下村塾」のような私塾を誰か篤志者が作るのなら、それが理想的ではあるが、しかし、そうした「無資格校」卒業者が日本社会の指導層の中に入っていくことは、現在の世の中では不可能に近いのではないだろうか。
まあ、この問題は、宿題としておいおい考えていきたい。


(以下引用)

残念ながら今の日本の支配層の過半はすでにグローバリストであり、彼らは「次世代の日本を担う成熟した市民を育てる」という目的をもう持っていない。

ご本人たち自身が子弟を外国の学校に通わせており、国内での雇用創出にも地域経済の振興にも興味がなく、所得税も法人税もできれば納めずに済ませたく、彼らがその収益を最優先に配慮する企業の株主も社員もすでに過半が外国人なら、それも当然である。

だが、不思議なことだが、「正直なところ、日本なんかどうなってもいい」と思っている人間しか社会的上昇が遂げられないように今の社会の仕組みそのものが再編されつつあるのである。

だから、まことに絶望的なことを申し上げなければならないのだが、今の日本では学校教育を再生させるために打つ手はないのである。

教育改革をうるさく言い立てる政治家やメディア知識人はいまだに「勉強すれば報償を与え、しなければ処罰する」という「人参と鞭」戦術で子どもたちの学びを動機づけられると信じているようだが、それがもう破綻していることにいい加減に気づいたらどうかと思う。

利益誘導は、高い学歴や社会的地位や高い年収といった「人参」に魅力を感じない子どもたち、「欲望を持たない子どもたち」には何の効果も持たない。「そんなもの、欲しくないね。僕は家に引きこもって、ゲームをしている方がいいよ」と言う子どもに利益誘導はまったく無効である。

同じように、あまりにスマートであるために、学校に通って付加価値を高めるというような遠回りを「かったるい」と思う子どもたちにも利益誘導は無効である。彼らは学校に通う時間があったら、起業したり、ネットで株を売買したりして、若くして巨富を積む生き方を選ぶだろう。学校に通う目的が最終的に「金をたくさん手に入れるため」であるなら、自分の才覚で今すぐ金が手にできる子どもがどうして学校に通うだろう。  

「人参と鞭」で子どもたちを学校に誘導しようとする戦略はこうして破綻する。「欲望のない子ども」たちと「あまりにスマートな子どもたち」が学校から立ち去ることをそれはむしろ推進することになる。

引きこもりや不登校の子どもたちは別に「反社会的」なわけではない。むしろ「過剰に社会的」なのである。現在の教育イデオロギーをあまりに素直に内面化したために、学校教育の無意味さに耐えられなくなっているのである。

だから、ひどい言い方をすれば、今学校に通っている子どもたちは「なぜ学校に通うのか?」という問いを突き詰めたことのない子どもたちなのである。「みんなが行くから、私も行く」という程度の動機の子どもたちだけがぼんやり学校に通っているのである。
欧米の学校教育は、まだ日本の学校ほど激しく劣化していない。「何のために学校教育を受けるのか」について、とりあえずエリートたちには自分たちには「公共的な使命」が託されているという「ノブレス・オブリージュ」の感覚がまだ生きているからである。パブリックスクールからオックスフォードやケンブリッジに進学するエリートの少なくとも一部は、大英帝国を担うという公的義務の負荷を自分の肩に感じている。そういうエリートを育成するために学校が存在している。

だが、日本の場合、東大や京大の卒業者の中に「ノブレス・オブリージュ」を自覚している者はほとんどいない。

彼らは子どもの頃から、自分の学習努力の成果はすべて独占すべきであると教えられてきた人たちである。公益より私利を優先し、国富を私財に転移することに熱心で、私事のために公務員を利用しようとするものの方が出世するように制度設計されている社会で公共心の高いエリートが育つはずがない。

 

結論を述べる。

日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。

唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。

学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。
もう一つだけ救いがある。それは崩壊しているのが「公教育」だということである。国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。

もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂や適塾や松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。

このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。

それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。







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社会事象には完全な正解など無い

「武田邦彦のブログ」から転載。
武田邦彦は学者と言うよりは科学ジャーナリストに近い立ち位置の人間だと思う。彼は、いわゆる「陰謀論」と呼ばれる考え方をも否定していないところが、アカデミックな人間には嫌われ、また考え方が穏健で常識的なところが、戦闘的原発否定論者などからは嫌われる、という風に、なかなか敵の多い人間なのだが、どうも世間の人間は、「味方であったはずの人間が少しでも敵に有利な言動をすると、その人間を全否定し、敵陣営の仲間と見做す」という性向があり、それが、社会改革運動がほとんど常に内部分裂する原因になるようだ。
私などのように「テーゲー主義(いい加減主義)」の人間だと、味方を減らすよりはむしろ「敵の中から味方を増やしていく」ことが大事だと思うし、「多少の欠点や失敗があっても、仲間は仲間」として付かず離れずで付き合う方が好みである。
どうも世間の人間は愛憎の念が強すぎるという印象がある。私が心から嫌うのは橋下や石原や前原など、ごく少数の人間だけである。その連中にしても、ある種の才能のある人間だという評価はしている。ただ、その存在自体が明らかに日本国民にとって害悪になるから、彼らに関してははっきりと「日本国民の敵」と見ているのである。はっきり言えば、彼らはこの世にいない方が日本のためであり、彼らが一日でも長く生きれば生きるほど、日本の害になる。もちろん、小泉・竹中も同様であるが、彼らは今は第一線にいないから無視できるというだけだ。
さて、話が長くなったが、下記記事は私好みの文章である。
私は、「思考することについて思考する」というテーマの文章が大好きなのだ。
で、下の文章にはレトリックとしても私好みの部分がある。それは、「『正しいこと』をしたら、その結果は(一部の人にとって)最悪だった」という逆説である。
社会全体の衛生状態を良くするのは「正しいこと」だ。しかし、その結果はアレルギー症状の社会への蔓延である。花粉症などもその一つであるようだ。昔の、埃やバイキンだらけの社会で育った人間はアレルギーへの耐性があるが、衛生的な社会で育った人間は容易にアレルギー症状になる、というわけである。
これを敷衍すれば、「すべての面で完全な解決策は無い」と考えるのがほとんどあらゆる問題において我々が持つべき基本姿勢ではないだろうか。
我々が学校教育から得た悪影響の一つが、「完全な解答はある」という幻想だろう。これは本当は、数学のような「数学的仮定を前提とした場合」には完全な解答があるというだけだのに、それ以外の、たとえば社会的問題にまで完全な解答があるとつい考えてしまう悪癖を、社会の成員の大半が持ってしまったということだ。
これを、うまく最初の話にこじつけるならば、人間の評価についても同じことが言えるわけで、映画「お熱いのがお好き」のラストシーンで大口ブラウンが言う名言「完全な人間はいないさ」ということである。



(以下引用)



「正しい」とはなにか?横糸編(2) スギ花粉症



「tadashii02_kafuntdyno.109-(12:28).mp3」をダウンロード

スギ花粉症、アレルギー性鼻炎、アトピーなどが増え始めたのは、1970年代からです。この理由は「スギ花粉症」については二つあります. 一つは高度成長によって日本の家庭生活が格段に衛生的になり、「体内異物濃度」が下がったので、体内の免疫系が崩れて、少しの異物が入っても激しく反応する人が出てきたことです。
もともと人間は土ほこり、田畑の蒔いた汚穢が乾燥して飛んでくる異物、土の中の微生物やミミズの排泄物が舞い上がって入る異物など多種多様の異物が体内に入る「汚い環境」で生活するようにできていました。
ところが、水洗トイレ、下水道、舗装道路、冷蔵庫などが完備して衛生的になると、「医学的に衛生的にすることはアレルギー疾患を増やすことだということがわからず、さらにはその治療法も不明」という状態に陥ったのです.
人間の知恵は浅はかで、「衛生的な環境」というのが人間にとって全体として良いことがわかっても、それをすることによってどのような副作用が起きるかまでは「わからない」か「考えない」ものです。だから、「衛生的にする」というのは誰もが賛成しますが、そのことによってアトピーになって困る子どもの事まで心配する人はいないのです.
つまり、アトピーで苦しんだ人はある意味では「衛生的な環境が良い」と主張した医師の被害者ということがわかります。この考え方(全体が正しければ、一部の被害者は無視するのが正義)はかなり根強く、今回の福島の原発や原発再開問題でも顕著に見られます.
また「正しい」というのはかなりいい加減で、人間は「現在正しいこと」を追求しがちであり、「正しいことが行われた後でも、それは正しいか」などとは考えないということもわかります。
・・・・・・・・・
スギ花粉症はさらにもう一つの原因がありました。それは「環境団体が森林を破壊した」ということです。マイ箸運動や紙のリサイクルが森林を破壊する原因を作りました. 植林したスギは適切に伐採して利用しないと30年から40年経つと子孫を残すために花粉を出します.
また、森林は1平方キロメートルあたり、1年に150立方メートルの「樹木」が育ちます、育つ樹木のほとんどが間引き、枝打ち、枝、材木を取るときに樹木は丸いけれど材木は四角などの原因で「材木としては使えないもの」で、それは120立方メートルにも及びます.
つまり、森林に植える樹木の利用率は20%しかないので、森林を破壊しないためには以下にして80%の「端材や枝など」を利用するかにかかっています.それが割り箸、紙、合板だったのです。
将来、遺伝子の操作によって「間引かなくても良いスギ」というのができるかも知れませんが、自然の状態のスギは小さい頃は過密に植えて、それを徐々に間引いていかないと太いスギができず、従って材木がとれません。
また時々枝打ちをしないと節ばかりの木材になってしまいます。このような森林の実体を全く考えず、利権や天下りのために環境団体が「伐採するな」と叫んだことが日本の森林の破壊につながったのです.環境団体による犯罪と言えます.
1960年には日本人が使用する紙は100%、すべて日本の森林から取っていたのですが、今では10%しか利用されていません。つまり日本の環境団体は日本の森林を破壊したばかりで無く、外国の発展途上国の森林の乱伐にも手を貸したのです.
比較的良心的な人が多い環境団体がなぜこのような環境破壊と犯罪を起こしたのでしょうか? この場合の「正しさ」とはなんなのでしょうか? 
「環境を守る事は正しい」ということは、百歩譲れば正しいかも知れませんが、「環境を守るとはどういうことか?」を考えなければならず、「日本の森林はどうあるべきか?」も必要です。
ところが「環境を守る事は正しい」までは良かったかも知れないのですが、「俺たちが正しいと思うことは正しいのだ。だって、環境を守るという正しいことをしているからだ」という循環論法に陥っていたのが環境団体だったと言うことになります。
環境を大切にしたいという人は「良い人」が多いので、「環境運動は悪だ」とは言いにくいところがあります。しかしそれが落とし穴になることがあり、「地獄への道は善意で舗装されている」ということも思い出す必要があります。
・・・・・・・・
スギ花粉症は「人知の及ばざることが起こった」のでは無く、「シッカリ考えて議論すればわかったことを強引にやったから多くの人を苦しめた」問うことであり、明らかな「悪」が存在します。次のことを厳しく考えることでしょう。

1.大勢の人にとって良ければ少数の人は犠牲になっても良い(野蛮)、
2.子供のような力の弱い人が苦しんでも無視すれば良い(野蛮)、
3.科学的なことは考えずに好き嫌いでやれば良い(野蛮)、
4.人が言っていたらその空気に従っておいた方が良い(野蛮)

そしてみんなで首からマイ箸をぶら下げ、森林を破壊しました。そして今まだ「花粉が爆発する」(花粉が普通にはじけること)などと不適切な発言をする専門家とそれを報道する情けないメディアが手を貸したことも不幸でした。
日本のような森林国家の場合、子どもや孫の時代も含めて森林とどう生活するかは大切な問題です。そのためには、

1)森林の所有権を統合する、
2)公共物としての森林を合意する、
3)人間と自然が共存できるように地形を変える、
4)植物が生育し、人間が利用するという原則を確認する、
5)山奥の自然林と麓の人工林を区別する、

などのあたり前の「正しさ」をまずは議論する必要があり、それでこそ始めて「花粉症の被害を食い止める」ということができると考えられます。正しさに到達する道は時として遠回りです。金網の向こうにバナナがあるからと言って金網から直接、手を伸ばす下等哺乳類のような行動(花粉の少ないスギ)では無く、金網を回って取りに行くこと(森林の利用)が到達ルートというわけです。

(平成25年3月17日)









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「純と愛」総括

NHK朝ドラの「純と愛」は、私も途中から見るのをあきらめた口だ。脚本の遊川和彦は私のごひいき脚本家だから、最初は熱心に見て、応援もしていたのだが、途中からはドラマのあまりの「痛さ」に、見るのが苦痛になって、見るのをやめたのである。
NHKの朝ドラは、前回の「梅ちゃん先生」もそうだったが、脚本書きがドラマの進行とほぼ並行して行われているように思われる。せいぜいが数週間ほど脚本が先行しているくらい、あるいは数日程度かと思われるのだが、その結果、脚本は常に「行き当たりばったり」になるわけだ。「梅」の前の「カーネーション」は各方面から絶賛されていたから、あれは違うやり方だったのだろうか?
しかし、15分間のドラマの脚本を毎日仕上げるというのは、これは並の作家には無理な作業だろう。いくら「引き出し」の多い作家でも、それができるだけの「天性の物語作家」は滅多にいない。書いた量と書く速度で言えば、デュマと並ぶくらいの栗本薫くらいしか、15分間のドラマを毎日仕上げることはできないと思う。遊川和彦も、自分の能力を過信してこの仕事を引き受け、こういう結果になったのだろう。
おそらく、「心の読める人間」「心と行動が完全に一致した裏表の無い人間」「面白い個性を持った周囲の人物」をキャラクターとして最初に考えておけば、後はキャラクター自体が物語を生みだすだろう、という甘い想定で作品を書きだしたのではないか。
その結果は、「陳腐な小芝居的コント」の延々たる連続、不快なキャラクターたちの毎回の無駄騒ぎ、「試練、解決、新たな試練」の延々たる連続になってしまったわけである。
その過程で分かったのは、脚本家の「コント」センスの無さ、喜劇センスの無さ、キャラの在庫の薄さであった。
もともと、「女王の教室」や「家政婦のミタ」などの黒いドラマこそが彼の持ち味であり、明るい喜劇性は彼のレパートリーには無かったのではないか。つまり、NHK朝ドラの脚本家としてはもっとも不向きなタイプであったわけだ。
だが、遊川和彦を起用したことのミスよりも、NHK朝ドラを「オリジナル脚本」でやることに根本的な間違いがある、と私は思う。毎日毎日「行き当たりばったり脚本」のドラマを見せられる身にもなってもらいたい。どうしてもオリジナル脚本でやるなら、1年分、最後まで完結した脚本を準備してからやることだ。
それよりも、世界名作文学のアレンジをすればいいではないか。たとえば、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」を現代日本、あるいは明治時代の日本に舞台を変えれば、すぐに1年分の朝ドラの出来上がりである。もっと波乱万丈のドラマが欲しければ、黒岩涙香の「鉄仮面」(デュマの「鉄仮面」ではなく、ボアゴベーの「二羽のつぐみ」の翻案らしい。)など、ドラマ進展の論理性や読者(視聴者)の興味を先へ先へと掻き立てるサスペンス性など、最高の素材である。あるいはユーゴーの「レ・ミゼラブル」(これも黒岩涙香訳の「ああ無情」がある)なども、日本を舞台にして作れば面白い。(これは昔、山形勲主演でテレビドラマ化されたが、何度作っても面白いものは面白いのである。)
要するに、今どきの底の浅い作家の「オリジナル」などに期待するよりも、古典の中にこそ最高の素材はある、ということだ。



(以下引用)



1分で分かるNHKドラマ「純と愛」(1の動画は省略)

1:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:25:36.28 ID:lFbnq5vk

http://www.youtube.com/watch?v=MM6167vVHdU

2:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:26:58.19 ID:1OI+wYy7
振り返らなくていいから(良心)

3:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:28:26.92 ID:ueN9BM7M
ごめん正直ワロタ

5:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:30:45.47 ID:+ad+qtZc
不幸
おしまい

ということでええんか?

13:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:33:54.33 ID:H3LPZcLx
糞と糞

14:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:34:08.32 ID:Z4EOvFYj
あまちゃんが正統派で面白い分余計にクソさが際立つ

15:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:34:31.20 ID:1W6V3fHl
マジでこんなんだから笑える

18:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:35:04.88 ID:aphQogOT
なんだかんだとかいう魔法の言葉

19:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:35:25.70 ID:lT8QBwjj
疫病神とクズの物語

22:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:36:27.90 ID:/mMEGv4n
何がしたかったんや

24:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:37:32.38 ID:f3rLdgcF
深夜なら問題なかった
朝ドラとして半年もやったのが悪い

27:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:38:22.64 ID:JvF4Gbgt
本当にこれだから困る

30:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:39:03.12 ID:1ID5t+WK
夢の国は作れましたか・・・?(小声)

33:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:39:27.51 ID:tErq/r5M
今回!なんと!ホテルを!オープンすることが!なんと!

34:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:40:04.93 ID:9pDuP8e+
>>33
できませんでしたー

35:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:40:06.86 ID:5HRgNVJW
>>33
できませんでしたー

44:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:42:08.37 ID:YkajN+Rr
あってて笑った

46:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:42:14.65 ID:9UAXAslO
両親が朝ドラで初めて途中で見るの止めたって言っとったな

42:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:41:23.04 ID:V+VtssyA
最初から最後までひたすら不幸やった

53:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:43:27.25 ID:H3LPZcLx
不幸っていうか池沼
あらゆる場面での主人公の言動や下す判断が人の道を踏み外している

58:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:46:17.70 ID:trajOTwG
歴代最糞朝ドラだからしゃーない

59:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:46:27.83 ID:MtDexIPf
主人公の「頑張ってるのに報われない」演出がやりすぎ

61:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:46:49.68 ID:vAw4mpyR
沖縄をからめといてこれやるあたりNHKらしいといえばらしい

町興しとか地元の子等に撮影参加させてドラマみてね~とか宣伝してたよな
これ見せたかったんか

63:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:47:01.93 ID:O60u6rTo
何かどっかのスレで仙台は視聴率一桁とかって見たな
そらそう(なる)よ

68:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:48:12.10 ID:HSRoCoHQ
おいおい、意識が戻らないだけで植物状態ではないぞwwwwwwwwwwwwwwww

71:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:48:41.39 ID:5SWQHjVE
むしろ脚本家が朝から不幸の連続を見せたら視聴者がいらつくのわかっててやってそうなのがむかついた
意味なしの最終回もこんなの最後まで見てバカだろというメッセージかと思った

73:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:49:04.16 ID:4SxY2dub
ヒロインじゃない子が可愛かった(小並感)
名前は知らん

75:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:49:44.56 ID:HSRoCoHQ
>>73
朝倉あきか

90:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:54:28.71 ID:4SxY2dub
>>75
サンキュー
かわE


http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/michinao/20110209/20110209223658.jpg

78:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:51:40.69 ID:h7mTSGOw
池沼系主人公は有りだと思うけど行き過ぎだった

82:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:52:41.16 ID:KimMKyyZ
たまにしか見てないけど毎回ホテル潰れてるイメージ

83:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:52:55.38 ID:iIqKDmjd
なんで金払ってるのに半年も脚本家のオナニー見せられなアカンねん
うちの祖母の楽しみ奪うなよ

86:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:53:48.95 ID:CP75BK4h
何で朝ドラでやる必要があるんですか

105:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:58:24.61 ID:kb35sINY
BGMに草生える

111:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:59:46.68 ID:7uihLOSj
近年稀に見るクソドラマ

115:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:00:04.90 ID:SgCtDaPn
恵まれた主題歌から糞みたいな内容

120:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:01:14.73 ID:GJuwNg8l
打ち切り漫画でもないのに何であんな終わり方になったの?

123:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:02:06.30 ID:yDWwIZNa
ミタの脚本家だからしょうがないね

136:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:05:20.10 ID:krH3qz/b
遊川は受信料かえせよ

130:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:03:48.83 ID:h7mTSGOw
朝ドラなんてかわいい女の子が嬉しそうにしてればいいんじゃ

138:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:06:06.53 ID:kshjek5r
>>130
わかる
それで元気でるよな

134:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:04:30.67 ID:4sBg+OVO
なぜ、朝からこんな不幸自慢をミないといけないのか

148:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:10:15.83 ID:YkajN+Rr
純と愛は
不幸や…クッソ!○○の出番や! → やったぜ。 → 不幸「よろしくニキーwwwwwwww」
の繰り返しみたいなドラマ

151:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 13:10:59.94 ID:Vvh8QBWd
昼ドラならありな内容だったかもな
牡丹と薔薇を朝ドラでやるようなもん

54:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:43:40.98 ID:CA45rvaz
何がしたかったんやろな

106:風吹けば名無し:2013/04/05(金) 12:58:37.29 ID:NGaCfc27
沖縄の地元の人たちが最終回を見守る会みたいなの開いててかわいそうだった
どんな空気になったんですかねぇ・・・





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白血病の症状

「東海アマ」ツィッターから転載。
昔は、白血病は稀な病気だったはずだが、福島原発事故以降はかなり身近な病気になっているように思う。で、その症状を知っておくのは有益かと思って転載したのだが、問題は、白血病は治療可能なのか、ということだ。
確か「目ざましテレビ」の、好人物めいたアナウンサー(名前は失念)が(福島産野菜を番組中で食べたことと関係があるかどうかは知らないが)白血病にかかり、一時回復したがまた再発したという記事を読んだ記憶がある。
白血病が実は治療不可能な病気ならば、自分がそれにかかっていることを知ったところで、かえって絶望するだけかもしれない。
まあ、根本的な治療は不可能でも、症状を軽減させ、日常生活への適応がしやすくなるのなら、それだけでも通院の意義はあるだろう。
しかし、仮に関東地方での白血病患者数が増えているとしたら、明らかに福島原発事故が原因のはずだが、それに対して医療の側からの声は聞こえない。「東海アマ」に寄せられた情報では、子供の甲状腺異常は激増しているようだし、放射能による様々な人体被害ははっきりとしていると思うのだが、マスコミでは報じられない。まあ、東電と政府は一心同体だから、それも当然か。東電も政府もいかにして原発事故の補償をせずに済ませるかに頭を絞っているのだから。


(以下引用)


1. The daily olive news‏@olivenews8時間
【白血病の主な症状】①貧血症状:顔面蒼白、身体がだるい、疲れやすい、ちょっとした動作での動悸・息切れ②感染症状:発熱、のどの痛みや腫れ、咳、下痢③出血症状:内出血による青あざ、鼻出血、歯肉出血、怪我をした時に血が止まりにくい 。④その他:骨の痛み、リンパ節の腫れ、頭痛、嘔気や嘔吐




(追記)「東海アマ」経由で知った情報である。



kumiko sekioka #脱被曝 @kumiko_sekioka12時間

【経産省対話集会】福島集団疎開裁判の柳原弁護士「郡山市の女子高生が急性白血病で亡くなりました。医者は福島第一原発の事故は関係ないと言っていますが、関係ないという証拠はなにもありません。みなさんの支持の声が裁判を動かします。よろしくお願いします」

 

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