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ブラック官兵衛

「紙屋研究所」から一部転載。
省略した最初の部分は、NHKの「黒田官兵衛」が視聴率的に苦戦しているという話から始まって、そもそもなぜ黒田官兵衛レベルの人物をなぜ大河ドラマの主人公に選んだのか、という疑問を呈している。そのあたりも面白いのだが、おそらくプロの書き手である管理人氏の文章を全文コピーするわけにもいかないので、後半だけ転載した。
吉川英治の「黒田官兵衛」(題名もこうだったかは忘れた)を少し前に読んだ(NHKがドラマ化するというニュースを知る前である)ために、黒田官兵衛の名前は私には親しいものとなっていたので、NHKのドラマ化の結果がどうなるかにも関心はあったのだが、最初のあたりを瞥見すると、意味不明の色事(恋愛沙汰)に長々と時間を使っているようで、まったく見る興味を無くしたものである。ドラマというと色事(恋愛)を入れないと成立しないという、ハリウッド映画式、あるいはアメリカテレビドラマ式の思想が、日本の時代劇や歴史ドラマまでいかに毒しているか、ということである。アメリカのドラマ(たとえば「ユーレカ」など)は、地球が破滅するかという危急の際でも、それに立ち向かうべき主人公の男と女がいちゃいちゃしたり、痴話喧嘩ばかりしているので、見ているこちらは腹が立つばかりである。私はかつて、「スーパーマン」のテレビ放映を友人たちと見ていて、地球の危機を前にして自分の恋愛だけにかまけているスーパーマンにあきれ、「愛は地球を滅ぼす」と言って、友人たちに大うけしたものだ。(これは、当時の「24時間テレビ」の「愛は地球を救う」というキャッチコピーへの皮肉。)
いや、興奮してつい話が逸れた。とにかく、アメリカドラマの恋愛病、色情狂ぶりは、日本のドラマも汚染している、ということである。日本の歴史ドラマに「政略結婚」はあっても、「恋愛」などあってはおかしいのである。それが歴史に忠実な描き方だろう。壬申の乱だって、べつに額田王をめぐる三角関係からの戦争ではない。そうだったら、トロイ戦争みたいで面白いが。
さて、駄弁が長くなったが、紙屋研究所管理人氏が見落としている漫画がある。
それは平田弘史の「黒田三十六計」で、コンビニで買える。「ブラック官兵衛」を描いている点では、これに勝るものは無いのではないか。平田弘史の作品の中では最上というわけではないが、官兵衛がNHKドラマの主人公にいかに不適であるかはありありと分かるだろう。


(以下引用)






「生涯の汚点」としての宇都宮鎮房暗殺

 さて、こうした「官兵衛」本、あるいは「官兵衛」マンガが中心な中で、ぼくが驚いたのは中津市(大分県)が監修している屋代尚宣『マンガ 戦国の世を生きる 黒田官兵衛と宇都宮鎮房』(梓書院)である。


 何が驚いたといって、まさか宇都宮鎮房(しげふさ)の謀殺をこんなに正面から描くなんて思いもしなかったからである。


 秀吉の九州平定後、官兵衛は豊前(大分県)に領土を与えられるが、秀吉に協力した土豪・宇都宮鎮房は伊予(愛媛県)に領地を移すよう秀吉に求められる。また、太閤検地によって兵農分離がすすめられ、中間搾取者としての地付きの小勢力の武士(国人)は農民になるか俸録(給料)制の家臣になることを迫られた。

 これらの不満が一体となって、大規模な反乱となる。

 黒田は大苦戦を強いられ、最終的には和平とみせかけ、政略結婚まで用意しながら、城内に誘い入れ、謀殺。一族皆殺しにしてしまう。


 どこが不敗の軍師だよ、何が平和を願った男だよ、と言われてしまう官兵衛の「黒歴史」である。「あれは子の長政がやったことで、官兵衛の所業ではない」という言い訳もあるが、かなり苦しい。


 司馬遼太郎はこの一件を次のように評している。




留守居の官兵衛の嫡子の長政がこれらと戦い、とくに最大の土豪である宇都宮鎮房との戦いで惨敗した。宇都宮氏は城井(きい)谷を根拠地とし、鎌倉以来の地頭で土地の者からよく崇敬されていた。長政がこの鎮房をもてあまして陰惨な謀殺をやっているが、このことに官兵衛は無縁とはいえず、この男にとっては生涯の汚点といっていい。(司馬『新装版 播磨灘物語(四)』講談社文庫p.331、強調は引用者)


 「生涯の汚点」。

 相当に厳しい言葉である。

 宇都宮氏はすでに一族としてのまとまりがないほどに分立していたが、少なくとも鎮房の本家に関しては、黒田によって根絶やしの凄惨な弾圧が行われる。政略結婚のために嫁ぐことになっていた13歳の鶴姫は磔(はりつけ)にされるのだ。


 NHKパンフの描き方にみられるように、大河ドラマの主人公が謀殺などをした男であってはならず、このエピソードがとりあげられることはまずない。特に何かにつけて教訓くさく大河ドラマの主人公を押し出したい行政などにとっては、タブーではないのか、とぼくは思っていた。


 ところが、である。


 このマンガは、中津市が「監修」にもかかわらず、このエピソードを取り扱う。いや扱うどころじゃねえ。タイトルがそもそも『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』であり、まさにド真正面から扱っているのだ。


異色のマンガ『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』

 職場でこういう話が好きな人と、「まさかあのエピソードは扱うまい」と話題にしていたので、こんなマンガを中津市が出したという新聞記事(読売新聞)を読んだとき、びっくりして「ぜひ読まねば」と思った。


 ところが、書店はおろか、Amazonでさえ入手できなさそうである。現地でお土産としてしか売ってないらしい。

 記事に、中津市教育委員会に電話しろとあったので、電話した。本体が700円、送料が740円もする(さらに少額小為替の換金手数料が200円かかった)。しかし、何としても手に入れたいと思い、郵送してもらった。

http://www.city-nakatsu.jp/docs/2014022000106/


 絵柄がすごいね。

 中津市のホームページには「親しみやすいマンガで」とあるのだが、全然親しみやすくねえ。まあ、マンガという表現形式が一般的に親しみやすいという意味だろうけど、一人残らず目が切れ長の劇画調。怖い。


 官兵衛の半生も手際よくまとめているが、中心は宇都宮と黒田の相克。

 ヤマ場は、やはり和睦の酒宴ということで入城した宇都宮鎮房を暗殺するシーンである。「官兵衛は謀殺に関係ありません」という立場をとらず、子・長政に実質的な指揮命令をして殺したのが、まさに当の官兵衛であるという考証に立っている。




再び一揆が起これば今度こそ黒田は詰め腹を斬らされる

喰うか喰われるか

これが世の中の流れじゃ


とミもフタもない弱肉強食の世界観を口にする官兵衛。

 いいねえ。リアル。

 いや、これがホントのところだと思うよ。

 正直。

 マンガにも書いてあるけど、同じ九州(熊本)で、佐々成政が過酷な圧政と検地を行ったために、同じように反乱がおき、秀吉に失政の責任を問われて文字通り詰め腹を切らされた。

 官兵衛は秀吉の怒りを恐れて、徹底した弾圧を決意していたとみるのがまあ正当なところだろう。太平の世を願って……とかそういう寝ぼけた主張はアレですわ。


「中世対近世」という解釈の正当性

 本書に「刊行にあたって」という中津市長の言葉が載っている。



敵を殺さず戦に勝つといわれた官兵衛も、この時ばかりはそうもいかず、鎮房と徹底的に交戦し、最後は謀殺という非情な手段をもってこれを鎮めました。新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです。(本書p.109)


 うむ、これだけではなかなか苦しい。

 観光の目玉としたい行政であるにもかかわらず、このテーマを正面から扱ったことには拍手を送りたいが、「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」とは「いい話」っぽくまとめすぎである。

 後述するように実はこの市長の述べた評価は妥当なのだが、肝心のロジックが抜けているので、「いい話」にまとめる横車を押している感じが否めない。


 この「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」というロジックは、本書の「おわりに」として市教委の一人(三谷紘平)が書いているのがより詳細に伝えている。


 三谷は、宇都宮対黒田は単なる一地方の勢力争いではなく、検地と兵農分離によって中間搾取者であった土着の小勢力を徹底的に排除し、封建革命を完成させようとする秀吉側と、それに抵抗する中世の旧権力との闘争であると見ている。中世対近世というわけである。



宇都宮鎮房については、滅びてまで自らの土地を守ろうとした、中世を代表する武士であったと、あらためて評価すべきではないでしょうか。(本書p.146)


 これは得心がいく。

 これに対する近世権力の代表、黒田の評価はどうか。




官兵衛の豊前平定は、この中津の地を豊前の中心に定め、戦国の世から平和の時代へ変えるための行動であったということができます。(同前)


 「平和の時代へ」というのは、「平和主義者である官兵衛」という解釈だといかにもとってつけた感じになるけども、この文脈でいうと「中世の分立する小勢力を整理・掃討して、近世権力をうちたて、強力な秩序をつくりだす」というふうに読めばさほど無理はなくなる。統治が混乱することを望む支配者はいないのだから。それを「平和の時代へ変えるための…」などというのは、ちょっと強引なように思われるけど、こういう流れの中であれば許されるだろう。

 じっさい、マンガとして、こういう場合、黒田は正義、宇都宮は悪、のような造形に描かれがちである(あるいは郷土的愛着からまったく逆にする)。しかし、さっきぼくが「怖い」と評した作者・屋代の、「どの人物も酷薄なフォルム」というタッチがここではプラスに生きている。読者はどちらにもあらかじめの正義を感じることなく、「喰うか喰われるか これが世の中の流れじゃ」的な感覚を味わうことができる。


 だから、この本をぼくは高く評価する。

 行政が主体でつくったにもかかわらず、大河ドラマの英雄の「汚点」に斬り込み、なおかつギリギリのリアルな解釈をしているからである。


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桜散る中で

「竹熊健太郎ツィッター」から転載。ツィッター特有の不要情報(連絡用の情報)をカットした結果、箇条書きが見づらいのはご容赦願いたい。



日本で生まれ、日本で育ち、日本語以外は満足に会話が出来ず、日本を愛し、日本で生活基盤を築いた人間


であるのはほとんどの人間がそうだろう。いくら「国際化」を叫んでも、ほとんどの人間は日本語で考えるしかなく、日本語しか本当には理解できないのである。そういう人間が外国で暮らす苦労や苦痛は容易に想像できる。
外国に脱出する、という選択ができるのはさまざまな意味で恵まれた人間(恵まれたと言うと語弊があるかもしれないが)だけだろう。もっとも、たとえ放射能に汚染された日本でも、この国の自然や文化は、少なくとも表面的にはまだ維持されるだろうから、残り少ない余生を外国で苦労して生きるよりは「少しずつ転落しながら」この桜の国で生きていく、という選択をするというのも愚かではないと思う。桜の花びらが落ちていく「秒速5センチメートル」くらいの落下速度で、「無為」によって不幸になることを選ぶという選択だ。




(以下引用)




竹熊健太郎《編集家》 @kentaro666 4月5日

  1. 今年に入って様々な局面で風雲が急を告げてますね。私の周囲は、既に3人、国外脱出を決行しました。準備中も掴んだ範囲で2人。とんでもない事態が、深く静かに進行しています。 私は、考え中です。
    1. 日本で生まれ、日本で育ち、日本語以外は満足に会話が出来ず、日本を愛し、日本で生活基盤を築いた人間が、私が知る範囲で、5人もこの国を見離す事を考え初めてます。 大変な事が起き始めていると私は思います。
    1. 私もできることなら脱出したいです。暮らしにくくてストレスたまります。でもな…。この国、そのままにすると世界中に迷惑かけそうで…。
     
    1. . もはや民主的な方法でこの国を良くする事は不可能だと私は思います。武力革命以外の方法を私は思いつきませんが、私は暴力が大嫌いです。
                              
  1.                           
    1. 直感ですが、そもそも日本から脱出した位で何とかなるとも思えないんですが。全世界的な崩壊過程で、早いか遅いかの違いだけでは?
     
    1. まぁ、そういう側面もあるかもしれませんが数年でも他の国に住んでみると日本の、特に東京の異常さを身にしみて感じます。生きにくい社会だなと思います。
                              
    1. はい。しかし日本よりマシな国はまだあるだろうと思いますよ。少なくとも私には、この国は最低最悪です。
                              
  1.                           
  2. だから、良い点だけを利用するっていうのが賢いやり方です。海外にも軸足を置いておくことは必要ですが、あくまで海外に本拠をおくといつ排斥的な運動に巻き込まれないともかぎりません。反日運動と嫌中韓運動はカードの表裏なのです。








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二つの自由

「春と修羅☆」から転載。
「アナと雪の女王」主題歌翻訳の一部である。(一箇所だけ、勝手に私が変えた。「全てのものをちっぽけなものに」を「全てのものをちっぽけなものにし」と変更。そうでないと、この部分が「恐怖」の修飾語でなく、語り手自身が「すべてのものをちっぽけなものにする」独裁者的存在であるかのようになる。もっとも原詩を知らないので、これは私の独断。歌詞は曲に乗らなければならないから、舌足らずな文になったのだろうと思ったわけだ。)

私は「新自由主義」ひいては「自由主義」が大嫌いなのだが、それは、そうした思想が現実には「一部の特権階級の自由」だけを拡張する装置として働いているからであり、その結果、99%の人間は自由どころか奴隷的境遇にどんどん押し込められていっているからだ。
しかし、下の歌詞に言うように「正解も間違いもルールもなく」「空や風と共に生きる」という(内面的)自由は、人間の生き方の理想であり、禅で言う「随所に主となる」生き方だと思うので、ここに紹介したわけである。
まさに、生きることには本来、正解も間違いもルールも無いのである。
ただ、社会を形成し、社会の中で生きるために、さまざまな正解や間違いやルールが作られ、人を縛り、あるいは自律的にそのルールに従うだけのことだ。
その「正解」やら「ルール」が過大視され(「小保方事件」などもその一例か)、それが社会的精神病になったために、多くの人にとって「生き難い」社会が作られてきたのが近代文明の大きな特質だろう。つまり「行為」に対する罰や褒賞が異常に偏向し、あまりに過大であるため、社会全体が神経症的になり、やたらに攻撃的になるか、あるいは何をするにも怯えて生きているわけだ。
ところで、その「ルール」を作り、これが「正解」だとしている連中は誰なのだ、その「ルール」で得をしているのは誰なのだ、と考えれば、我々は少なくとも、そのルールや正解の虚妄性を知り、少なくとも精神的には「自由」になることができる。そして、精神的な自由は、あるいはそれを得ることで物質的・社会的な犠牲を払うにしても、それに値するものなのかもしれないのである。





(以下引用)



全てのものを
ちっぽけな物にし、 そして、以前は私を 抑圧していた恐怖も
今では私に届かないのよ

 


私が出来ることを 理解する時よ 限界を知り それを乗り越える


 


正解も、間違いも無く ルールも無いわ


 


私は自由なの なすがままに ありのままで
私は空と風と 共にある者よ


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春風馬堤曲

「小さな資料室」から転載。
ようやく春になったこの頃の気候にふさわしいか、と思っての転載である。コピーの際に注の部分が見づらくなってしまったが、高校で古文を学んだ人なら原文で十分に理解できるだろう。
これは、俳句と散文と漢詩などをコラージュした詩(漱石の「猫」では、明治時代に流行した「新体詩」の先駆けのようなもの、としている。)であり、江戸時代にこのような作品を作った蕪村の独創性に驚かされる。最後の一句は蕪村の知人であった太祇のものであるが、他人の句で自分の「詩」の最後を飾るという、現代の詩人ではまず考えられない離れ業だ。(もっとも、西脇順三郎がキーツの詩の一節を自分の詩に引用した例はある。「『覆された宝石』のような朝」というフレーズがそうだという。)
長柄川に沿う、馬堤の上を春風に吹かれながら故郷に帰る若い娘の浮き浮きとした気分、故郷で自分を待つ母親の姿を見た喜びが、時間と風景の流れの中でさりげないドラマとなっていく。しかし、よく読むと、最後のクライマックスに至る布石が見事に敷かれているのである。「親鳥と雛」「たんぽぽの『乳』」そして、最後に待ち受ける


嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春



その夜は、この薮入りの娘は老いた母と枕を並べて寝て、幼い頃に帰っただろう。





(以下引用)



資料335 与謝蕪村「春風馬堤曲」





 


        春風馬堤曲   
                
謝  蕪  邨





 


    余一日問耆老於故園。渡澱水
    過馬堤。偶逢女歸省郷者。先
    後行數里。相顧語。容姿嬋娟。
    癡情可憐。因製歌曲十八首。
    代女述意。題曰春風馬堤曲。


   
春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤
ヨリ摘芳草  荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情    裂裙且傷股
○溪流石點々   踏石撮香芹
 多謝水上石   敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客   能解江南語
 酒錢擲三緡   迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄   籬外草滿地
 雛飛欲越籬   籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側



 


 


 




(書き下し文・読み仮名付き本文)

   春 風 馬 堤 曲 

  余、一日
(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。
  澱水
(でんすい)を渡り馬堤(ばてい)を過ぐ。偶(たま
   たま)
(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。
  先後して行
(ゆ)くこと數里、相(あひ)顧みて語る。
  容姿嬋娟
(せんけん)として、癡情(ちじやう)(あはれ)
   
むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)
  に代はりて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰
(い)
   
ふ。
  


   春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入
(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)
○春風や堤長うして家遠し
○堤より下りて芳草を摘めば 荊
(けい)と蕀(きよく)と路を塞(ふさ)
 荊蕀何ぞ妬情
(とじやう)なる 裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
○溪流石點々 石を踏んで香芹
(こうきん)を撮(と)
 多謝す水上の石 儂
(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ
○一軒の茶見世の柳老
(おい)にけり
○茶店の老婆子
(らうばす)(われ)を見て慇懃に
 無恙
(ぶやう)を賀し且(かつ)(わ)が春衣を美(ほ)
○店中二客有り 能
(よく)解す江南の語
 酒錢三緡
(さんびん)(なげう)ち 我を迎へ榻(たふ)を讓つて去る
○古驛三兩家
(さんりやうけ)猫兒(びやうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず
○雛
(ひな)を呼ぶ籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外草(くさ)地に滿つ
 雛飛びて籬
(かき)を越えんと欲す 籬高うして墮(おつること)三四
○春艸
(しゅんさう)(みち)三叉(さんさ)中に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲
(さけ)り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得
(きとく)す去年此路(このみち)よりす
○憐
(あはれ)みとる蒲公(たんぽぽ)莖短(みじかう)して乳を浥(あませり)
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍
(くわいはう)別に春あり
○春あり成長して浪花
(なには)にあり
 梅は白し浪花橋邊
(なにはきやうへん)財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
(なにはぶり)
○郷
(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)
 本
(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅
○故郷春深し行々
(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
 楊柳
(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
○嬌首
(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)
 戸に倚
(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
 待
(まつ)春又春
○君不見
(みずや)古人太祇(たいぎ)が句
  藪入の寢
(ぬ)るやひとりの親の側(そば)


 


 


 


 


 


 


 


 


 




    (注) 1. 上記の与謝蕪村「春風馬堤曲」の本文は、講談社版『蕪村全集 第四巻』(1994
          年8月25日第1刷発行)によりました。ただし、本文の振り仮名は省き、漢字は新字
          体を旧漢字に改めました。
         2.  本文の平仮名の「こ」を縦に潰した形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあり
          ます(點々、三々五々、行々)。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符
          号は、普通の平仮名に置き換えてあります(むかしむかし)。
         3. 「荊蕀何妬情」については、全集の頭注に、「「妬情」はやきもち。寺村家本に蕪村
          自筆で「無情」(つれない)と朱で訂正する(頴原ノート)」とあります。従って、「荊蕀
          何無情」としてある本文もあります。
           全集の本文には、「妬」の右に「(無)」としてあります。 
         4. 「春風馬堤曲」の読み方は、「しゅんぷうばていきょく」「しゅんぷうばていのきょく」
          の両方の読みがあります。手元の書物では、
           「しゅんぷうばていきょく」と読んでいるもの
             揖斐 高 校注・訳『蕪村集 一茶集』
(日本の文学 古典編、ほるぷ出版、1986年) 
             尾形仂・校注『蕪村俳句集』
(岩波文庫、1989年) 
             尾形仂 山下一海・校注『蕪村全集 第四巻』
(講談社、1994年)
           「しゅんぷうばていのきょく」と読んでいるもの
             清水孝之・校注『与謝蕪村集』
(新潮日本古典集成、1979年)
         5. 与謝蕪村(よさ・ぶそん)=江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、のち
              に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼時から絵画に長じ、文人画
              で大成するかたわら、早野巴人
(はじん)に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を
              唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「た
              まも集」など。(1716-1783)            
 (『広辞苑』第6版による。)
         6. 春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)=俳詩。与謝蕪村作。「夜半楽」(1777年
              (安永6)刊)所収。藪入りで帰郷する少女に仮託して、毛馬堤(現、大阪市)の
              春景色を叙した、抒情性豊かな郷愁の詩。      
(『広辞苑』第6版による。)
            
春風馬堤曲(夜半楽)=蕪村が安永6年の春興帖として出した俳諧撰集「夜半楽」
              (半紙本1冊)に、正月の夜半亭歌仙1巻、春興雑題43首、澱河歌などととも
              に収められている。小冊子でありながらこの書が知られているのは、実は「馬
              堤曲」と「澱河歌」のあるがためである。「馬堤曲」の制作は同年正月と推定さ
              れ、帰郷の藪入娘に仮託して、蕪村みずからがその郷愁をうたったものであ
              る。俳句と漢詩とが見事にとけあい、和詩として最高の地位を占めるものとい
              っても過言ではない。          
(日本古典文学大系の「出典解題」による。)

         7. 資料334に、与謝蕪村「北寿老仙をいたむ」があります。




(追記)前説に書いた、「覆された宝石のような朝」は、これ全体ではなく、「覆された宝石」の部分が引用だったと思う。つまり、「『覆された宝石』のような朝」という詩句だったと記憶している。紛らわしい文章を書いて済まない。手元に何の本も無く、記憶だけで書くことが多いので、こういうドジをよくやる。



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所有権とは何か

「武田邦彦のブログ」から転載。
この世の罪悪はすべて「執着」から起こると私は思っているのだが、執着の最たるものが所有への執着だろう。だが、いったい、「所有」とは何か。「所有権」とは何か。
いったい、私が何かに対して、所有権を主張できるだろうか。すべては私がこの世に生まれる前から存在し、誰かが手を加えて付加価値を付けたものだ。我々が手にするすべてのものは、最初にそれを作った人間が「永遠の著作権や永遠の特許」を所有していれば、誰も手にすることはできないのである。茶碗一つにしても、「土を焼いて土器や陶磁器を作ること、茶碗形の形を作ること」を誰か一人の占有物としていれば、我々の手に入ることは無かったわけである。
発明者や発見者が「所有権」を放棄したからこそ、それは人類全体のものとなり、人類の文化と文明を発展させ、人類を幸福にする役に立ってきたのである。
だが、今の時代は、「所有」や「財産」が一部の人間によって特権的に占有され、その範囲がどんどん拡大されることで、相対的に人類全体の貧困化が進んでいる。著作権など、「新しい所有権」の設定はその一つだ。
我々は、「所有権」というものを自明の前提とせず、根本から考え直す時期に来ているのではないだろうか。それによって、人類全体の精神的・文明的次元上昇が起こるだろう、と私は考えている。


(以下引用)



五条川の桜・・・人間の活動と報酬





 



「20140404527527.mp3」をダウンロード



 


日本中、どこを歩いても見事な桜の時期になりました。多くの日本人が「ああ、日本に生まれてよかった」と思う時期でもあります。


 


そんな中、名古屋の少し北に、大口町、江南市、そして岩倉市を流れる五条川という川があります。そして、「五条川の桜」として知られる桜並木は、桜自身が見事であるとともに、桜が散り始めると川面いっぱいにピンクの葉が散り、それがゆったりと流れる風情は何とも言えず、中部地区で知らない人はいないほどの名所です。


 


Goj05


 


今から約60年ほど前、ある人が当時の村長に就任、次の年から「みんなが一緒に交流できるところがあるとよいのだが」と考え、五条川の堤に桜の苗木を植え始めた。


 


当時はまだ戦後間もないころなので、みんな、桜を楽しむような余裕はない。「日影ができる」とか「土手が弱くなる」などとお役所はなかなか苗木を植えるのを認めない中、嘆願を繰り返し、自費で苗木を買って、植えていった。


 


それが今では全長が実に27キロメートルに及び、3500本の桜が咲き誇る。


 


彼の名前は社本鋭郎。彼は、村が大口町になった時の初代町長だが、就任する時の条件は「無報酬」だった。そして後年、「なぜ、苦労して五条川に桜を植えたのですか?」と聞かれて、「川への恩返しです」と答えている。


 


今では、日本の桜の名所100選に選ばれ、見物人は数知れない。多くの人の心を癒し、桜の下で花見を楽しみ、観光業も潤っている。でも、それは「結果」にしか過ぎない。


 


人間の文化は誰でも生み出すことができ、それは人間共通の財産だ。決して、五条川の土手に社本さんの親族がロープで囲って、入場料を取っているわけではない。あんなに苦労し、自腹を切り、植え続けた桜がこうして多くの人に楽しみと人生を与えたとしても、それは無償なのだ。


 


人間の知が働く学問、心の活動がもたらす文化と芸術、そして鍛錬による素晴らしいスポーツ・・・それらはみな人間共通の財産であり、その作品を作ってくれた人に深い感謝の気持ちを持つ人が多くても、それがなにかの報酬と結びついたものではない。


 


社本さんの名前は五条川の桜とともに永遠に多くの人の心に刻まれ、尊敬される。それで、それだけで人間の活動は良いのだ。


 


振り返ると、私たち科学者は一所懸命、夜の夜中に寒いキャンパスの中で一人、かじかんだ手でグラフにプロットする。そして、仮にその成果が出ても、それは「こんなに楽しい時を与えてくれた自然への恩返し」だから、名誉も地位も何も求めない。


 


それこそが人生である。


 


(平成2644日)


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汚物的精神の一事例

2ちゃんねる系統の某サイトで、「人生で学んだ事書いてけ」というスレッドに、悪意の塊のようなコメントがあったので、こうした精神の持ち主も世界には存在する、という参考として転載しておく。吐き気を催す可能性もあるので、まともな精神の持ち主は読まない方がいいかもしれない。
しかし、19世紀から20世紀の歴史を振り返れば明らかだが、こういう精神は、西洋文明の、特に支配階級に属する人間には珍しいものではない。下記コメントの「低学歴」を「植民地の原住民」と置き換えれば、分かりやすいだろう。
もちろん、現在では形の上では植民地は解放されているが、こうした「選民意識(ユダヤ対他民族、白人対有色人種、王侯貴族対奴隷的国民、富裕階級対貧民)」は今ではすべての人種や民族に行き渡り、それぞれの社会を汚染しているわけである。
自分は上位にいると思い込んでいる家畜(白人富裕層などから見れば、である)が、下層にいる人間を見下し、自分は家畜ではないと錯覚しているのが下のコメントだが、逆に、社会の下層にこそ、精神的にはまったく家畜ではない、真の人間が多い、と私は思っている。むしろ、社会の上位にいる人間の中に、精神の貧困さや、低劣さを良く見てきた。金を稼ぐ能力が階層ピラミッドの基準となる社会では、それは当然の話だろう。
精神的美とはまったく懸け離れた、このコメント主のような人間こそ、人間のクズであり、世界の汚物だ、と私は思う。


社会的には下層にいて、「負け組」であった「黒子のバスケ」事件被告人の陳述(徽宗皇帝のブログに転載した)と比較してみれば、その精神性の高下は明らかだろう。





(以下引用)



28 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:29  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する

1.低学歴は「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。
2.又、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。
3.だから、低学歴と付き合うのはとても厄介です。
4.アメリカの高学歴も低学歴とは関わりたくありません。
5.しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。
6.低学歴は「身の程」と言う概念を知りません。
7.低学歴は、劣等感のせいで、どちらが優位な立場に居るか?それが、最重要な関心事です。
8.個人主義のアメリカ人から見ても、異常性を感じる階層です。
9.このような日常に生きる低学歴は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。
10.従って、高学歴が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、低学歴は敗者の態度に見えてしまいます。
11.アメリカ人は低学歴の軽薄な精神性を良く理解していますが、日本人は低学歴をあまり理解していません。
12.日本人は低学歴を「まともな人間」だと思い対応しているので、問題が発生するのです。
13.アメリカ人から日本人に忠告します。「低学歴は別の種類の生き物だと思って付き合いなさい」それが低学歴のためでもあります。謝ってはいけません。
14.筋の通らない理屈を言ったら100倍制裁をしなさい。
15.感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
16.正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。
17.裏切りに対して、温情は絶対にいけません。
18.実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。
 
  • 30 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:30  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する
    ■低学歴と貧乏人とは隔離して暮らす

    価値の無い人間は時間と精神力の無駄なので1秒も相手にしてはならないし、関わったり交流してもならない。
    会話も当然ならず、そもそも同じ空間に居合わせてもならない。その為、馬鹿が多くいそうな場所にはできるだけ立ち寄らない。
    電車などはいつ何が起こるかも分からない危険な地獄である為、可能な限り車通勤を選んだり、貧乏人の住む集合住宅や住宅街では呆れるほど下らないトラブルが多発する為、高層マンションや高級住宅街に住むのは当然の対策。
    店なども、庶民が頻繁に利用するような大衆店は避ける。
    特権階級のものを好む傾向を持つ方が危険性が少なく安全に生活できる。
    庶民や、特に学力や財力の無い社会的弱者ほど決まって理性の欠落した蛮行に及び、周囲の人間に無差別に害を振りまくものだ。
    そこらを闊歩する弱者は全て害虫と看做していい。
    毒針を持つ毛虫か蜂、ムカデの類と同じ



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安藤昌益のこと

年をとって頭がボケてくると、最初に忘れるのが人名だと聞いたことがあるが、この前は、ジブリの映画音楽で有名な久石譲(被災史上ではない)の名前がなかなか出てこず、今朝は、寝床のなかで、江戸時代の日本の共産主義者、あるいはアナーキストともいうべき、ある偉人のことを考えながら、その名前がまるっきり出てこず、とうとう俺もボケてきたか、とがっかりした。幸い、先ほどその名前を思い出したので、忘れないうちにメモとしてこの文章を書いているわけだ。ついでに、ネット上から、その人物、「安藤昌益」について書かれたものを転載しておく。ウィキペディアなどの方が詳しいだろうが、あまり長い紹介文よりも、下のような短い文章の方が読むほうにとっては簡便だろう。
なお、私が安藤昌益の思想の中で一番好きなのは、「聖人ほどの悪党はいない」という思想である。なぜなら、聖人(堯舜など、古代の聖人・聖王や、孔子など)こそが、庶民から収奪して、王侯貴族が遊び暮らす社会システムを作り、それを強化するための思想を作ったからである、というわけだ。





(以下引用)赤字部分は夢人による強調。武士=官僚・支配階級、百姓町人=一般国民と言い換えれば、これは現在でもまったく同じ。







 「今の世の中は間違いだらけだ。少しも働かない武士が、働く百姓や町人から年貢や金をしぼりとって暮らしている。こんな世の中ではなく、みんな働き、みんなが助け合う世の中にしたいものだ。
 江戸の町の中で、こう書き続ける一人の町医者がいました。机のそばには、それまで書いたものがうず高く積み上げられています。
 この町医者こそ、30歳を過ぎた孫左衛門でした。彼は今では、安藤昌益と名乗る学者でした。
 
 --わしが今書いているものを読んだら、将軍や大名どもは、驚いて腰を抜かすだろて。次には、わしの首でも切れとでも言うかな--

 身分が高いもの、低いものなどという考えは間違っている。将軍も、武士も、百姓も、みんな同じ人間ではないか。わしは、人間に上も下もなく、みんなが額に汗して働く新しい世の中をつくりたい」(「おはなし歴史風土記」歴史教育者協議会編より抜粋)

 安藤昌益の研究は、秋田県出身の思想家・狩野亨吉(こうきち)により始められ、主著「自然真営道」の研究が世に出て、江戸中期における特異な思想家として注目された。(右の写真は、安藤昌益の墓。大館市仁井田の温泉寺に建つ)
 狩野亨吉と安藤昌益については、「秋田県散歩」(司馬遼太郎著、朝日新聞社)に詳しく記されている。その一部を抜粋してみる。

 「ともかくも大館の町を歩きつつ思うのは、狩野亨吉のことである。
 彼が、明治30年代、官を辞し、古本の山にうずもれつつ、幾人かの知られざる思想家を発見したことは、明治期の偉業のひとつである。
 そのなかでも、もっとも数奇だったのは、江戸中期の安藤昌益(1703-62)の発見といわねばならない。

 昌益は、在世中も無名の人だった。
 明治32年、狩野亨吉の手もとに筆写本の膨大な著作がやってくるまで、この名を知るものはだれひとりいなかった。
 いまでは、内外に昌益の研究者が多く、それに安藤昌益全集が2種類も出たりしている。また中・高校の教科書にも出ているらしく、日本史上の人物としては知名度が高い。・・・

 昌益はこの大館市でうまれたのである。仁井田という在所に生まれ、晩年、八戸から生家に戻って、病死した。墓は、仁井田の温泉寺にある。・・・

 昌益の著述は、すべて漢文で書かれている。
 それも悪文だった。用語なども典拠を踏まえない自家製のことばが多く、さらには漢文の初歩的な文法まで無視して書くという、いわば言語表現の上での無茶者だった。
 --これは、バカだ。
 と、魚屋(自然真営道の本を持っていた)の息子は思ったにちがいない。また古書籍商の朝倉屋も、この悪文を見て商品価値がないとみたに相違ない。・・・

 安藤昌益は、狩野亨吉ほどの人の眼力をくぐらねば、評価されなかったであろう。すでに評価されてしまった後世で、昌益はえらいというのは、コロンブスの卵と同様、簡単なことだが、はじめてナマの稿本を見、悪文と戦った人は、えらい。悪文の中からその思想を汲み上げ、評価するというのは、容易なことではない。・・・

 昌益の思想ははちきれるほどにふくらんで、噴火をつづけている。それを表現するのに、自分の言語的な陶冶(とうや)を待つなど、こういう天才にとっては無意味で、じれったく、どうでもよかったはずである。地殻を破って爆発しているのに、表層の整理整頓などかまっていられないという気持ちがあったのに相違なく、ここに徹底的な独創者としての爆発的なばかりの粗野さがある。・・・

 亨吉は昌益について
「不文なる昌益」とか「破格的人物」とかいう。さらには、
 安藤昌益は狂人ではなかったか。
 とも設問している。・・・

 昌益は「自然真営道」のなかで
 「百年のちの人に読んでもらう」
 という意味のことを何度も書いている。これも、計算と胆力から出た気配りに相違ない。そうなれば、昌益としてもはや憚るところがない。・・・

 いずれにしても、秋田県で「県北」といわれるやや僻地視されているこの山間の小盆地が安藤昌益と狩野亨吉という二つの大きな精神を生んだということに驚くのである。」




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