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兵站軽視の民族

「zeraniumのブログ」から転載。
兵站を叩く、というのは戦略の初歩だが、日本人には昔からその思想があまり無い。というのは、長期戦の経験が少ないからで、あの関が原の戦いですらわずか一日で終わっている。上杉謙信など、「敵に塩を送る」ことまでしており、それは日本では美談なのだが、世界では通用しない。だから、第二次大戦で日本兵の大半は飢餓死と病死だった、という悲惨なことになる。これが兵站軽視の思想の結果であるのは言うまでもない。つまり、「どんなに不利な状況でも、気力で戦え」という思想であるが、これが上に立つ人間の無能を隠す言い訳にもなるわけだ。スポーツの世界でも、企業でも、精神主義の指導者ほど本人は無能なはずだ。負ければ部下のせいにできるのが、この精神主義というものだ。
さて、下記記事から話がかなり逸れたが、日本の水源地が外国資本に買われている、というのが事実ならば、これは憂慮すべき事態である。もっとも、水源地を買った後で、それをどのように金儲けにつなげるのか、それがまだ明確になっていないのだが。まあ、一種の「人質」のように水源地を使って、自治体を恐喝する、くらいしか想像できない。それはともかく、確かに、水を握られることは生命を握られる、ということだから、水源地を外国資本に渡さない、というのは国家としてやるべき基本事項だろう。ところが、それどころか、水道事業を外国資本(おそらく日本の事業者を装うだろうが)に叩き売ろうとしているのが大阪の橋下市長という売国奴である。

なお、常勝のナポレオンがロシア侵攻で惨めに敗れたのも、兵站軽視の思想のためとも言える。クトゥーゾフの「戦略的後退」により、ナポレオン軍はロシアの奥まで軍を移動せざるを得なくなり、食糧、軍装すべてに欠乏状態になり、自壊したのである。



(以下引用)


日本に住んでいられるのは、外国資本に土地を売らない人々のおかげ?

 
エランビタールのニュース [水][活性][浄化]   

危ない!日本の水源地が外国資本に買われている!




    これは何の地図でしょう? 分かりますか?

   赤く塗られた箇所は、中国資本によって買い占められた森林や水源地のある都道府県です。北から順に、北海道、青森、埼玉、東京、長野、山梨、三重、岡山、鳥取、愛媛、大分、宮崎、長崎の1都、1道、11県に及びます。

   さらに次の地図をご覧ください。



   北海道は中国以外にもイギリス、ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール(華僑?)に山林が買われています。中国が買い占めた場所は水源地だけでなく、自衛隊基地周辺の土地も含まれています。

   同様のケースは長崎でも見られます。
   海上自衛隊施設の隣接地を韓国資本が買収し、リゾートホテルを建てています。水源地はいわば国土・国民の心臓部です。それが安易に外国に売られていいものでしょうか!!

   許し難い行為です。
   こういう事態になってもまだ動きの鈍い政府に対して、15の自治体が立ち上がりました!



   3月26日付産経新聞に、上記の記事が載っていました。

   埼玉県久喜市、熊本市をはじめとする15の自治体が、国に水源地売買に関する規制強化を求める意見書を提出していたのです。北海道や埼玉県ではすでに取引監視強化の条例が成立しています。山形、群馬、長野の各県も条例を検討中です。

   ただ、今の日本ではそれ以上の規制は難しいようです。
   民法上、日本の土地所有権は絶対・不可侵が原則。所有者は地下水をいくらでも汲み上げる権利があるとのこと。これまで地下水の取水を包括的に制限する国の法律はなく、2年前に自民党側の議員立法として規制法案が提出されましたが、継続審議扱いのままで一向に前進していません。

   北海道ニセコ町の担当者は「水源地を整備したいときなど、外資にどうやって連絡取ったらいいのか。水源地を自分たちで管理できなくなるのは死活問題」と話しています。ニセコ町は町内の15ある水源地のうち2つがすでに外資の手に渡っています。

   そもそも水源地の水はその土地だけのものではありません。
   周囲の山林があってはじめてその地に水が湧いているのです。しかもその山林を懸命に維持管理してこそ良い水が得られるのです。そういう意味でも水はみんなのもの、国土全体のものです。決して水源地の所有者だけのものではありません。

   国民の生命と国益に直結する水源地買収問題。
   一刻も早く法整備をして欲しいものです。

                               sun

 エランビタールのニュースさんより転載させて戴きました。
   
http://news.elavita.jp/?eid=57

  実に信じられないことです。
  なぜ日本の国土にある山林や水源を、国を守るはずの林野庁や日本国政府が守らないのでしょうか? 一体何が起きているのでしょうか? なぜ日本政府は日本の国土を外国資本に売り渡すことを許しているのでしょうか? 日本政府の官僚たちはもしかすると、すでに日系中国人や日系韓国人に占められてしまっているのでしょうか? それとも買収されているのか? そうとしか考えられない事態が起きているようです。なぜなら日本人の心を持っている人であるならば、自らの国土が外国資本に売り渡されていくのを黙って見ているはずがないからです。

   国際条約があって外国資本の参入だけを規制するのは難しい、と日本政府は言っているそうです。そのような条約がいつ作られたのでしょうか? そうであればなおのこと、それに対抗できる条例を作らなければなりません。お金さえ手に入れば国土でも何でも売るし、日本なんかどうなってもいいと思っている人々を責めても仕方がありません。しかも自らが日本人として日本の国土に住んでいられるのは、実は外国資本に土地を売らない多くの人々のおかげであることなど、そのような人たちには思いもよらないし理解できないことなのです。

   政府があてにできないのであれば、各自治体でしっかり監視せねばなりません。
   外国資本は、特に中国資本はダミーの不動産会社を通してくるそうなので、出どころをしっかり見極める必要があります。
                                        zeranium


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仏とは自分自身である。

「バカ国民帝国日本の滅亡」から、記事の一部を抜粋転載。
キリスト教やイスラム教が、仏教の影響下で生まれた、というのは面白い想像だと思う。実際、これらの宗教には、エゴイズムの否定、という共通点がある。つまり、「我」の否定だ。仏教は宗教と言うよりは哲学だから、それが形を変えて宗教化したのがキリスト教だ、と言えるのではないか。
つまり、宗教とは、崇拝の対象としての何かの(他者としての)「神」を前提とするが、仏教には崇拝の対象としての他者なる「神」は存在せず、悟りを得れば、その人自身が「仏」になるという点で、キリスト教などとは異なるわけだ。ここが神と仏の根本的相違だ。
大日如来だとか、何とか仏を「神」のように拝むというのは、仏教の精神に反した行為だと私は思っている。禅宗で言う、「祖師に遭えば祖師を殺し、仏に遭えば仏を殺せ(殺す)」というのは、そうした錯誤を戒めるものだろう。いわんや、商売としての新興宗教などが「仏」を神のように拝ませ、仏教の教義の一部を自分たちの教義として、仏教を利用して金儲けをしている現実は、仏教を辱め、貶めるものである。
ただし、多くの仏教で「他者としての仏」を神のような存在として拝むのは、それによって自我の放棄の機縁としているという面はあるだろう。しかし、それは仏教の本質を誤らせるものだ。



(以下引用)最初の一文の主語はもちろん、「仏教は」である。



宗教であって、宗教ではない…迷信やおまじないとはこれらの一線を画す教えなのです。




アショーカ王の尽力で、西はエジプト、シリア、ギリシャ、ペルシャ、アフガニスタンにまで伝わりました。




ただ、その地域には「仏教」として根付くことはなく、イスラム教、キリスト教と形を変えました。





いずれも、教義や戒律に類似点があり、質素な生活や所有の否定、己の善(良心)以外に頼らないといったところなどが共通しています。




西洋や中東の宗教、文化の底辺に、仏教の教えがあるのではないでしょうか?




1+1は、だれがどうしようとも、2にしかなりませんからね…





老荘思想の中心人物、荘子と”禅”にも共通点があります。




老荘思想にも、仏教が影響を与えている可能性がありますね…





イスラム教といえば、「偶像崇拝の禁止」…ですよね?




キリスト教も本来は、そうですし、一番古株の仏教が、そもそも「偶像崇拝の禁止」なのです。





ゴータマが生きていた間はもちろん、死んでからも百年間、仏教教団は崇拝の対象となるものを建造しない方針を貫いていました。




「仏法僧」の三つ以外を崇めることは、仏教の外部を崇めることだ…ということでした。





まあ、寺も、位牌も、墓もないみたいなもんですか…「私はそこにはいません。千の風になって…」w




もっとも、死者を祀るものでは本来、ないですからね…





葬式仏教は、まさに「仏教の外部」です。そんなものを熱心にやっても「成仏」はできません…




実際、行われているのは卑弥呼以来の呪術でしょうがwwww仏教の体裁をしてはいても…





別に八百万の神様を拝んでもいいのですが、そんなものに帰依し、頼りにしてはいけないってことです。




仏教は、宗教であって、宗教ではないのでね…




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他者への執着と、自我の放棄

「バカ国民帝国日本の滅亡」から転載。
記事も面白いが、コメント間の問答が面白い。
母親が、子供のために自分の死を忘れる、というのはいわば子供という存在に執着する執着心から、自分自身の死の恐怖を忘れることであり、君子が死を恐れないのは、この世の何物にも執着しないから死を恐れないのである。つまり、この二つは、まったく違う方向から、同じ結果になっている。
私の考える「宇宙の原理」は、「無限大はゼロに近づく」というものだが、他への愛着心の極限は自我の放棄に至るわけだ。逆に、自我を放棄すればするほど、この世界そのものへの愛(世界と自分は同一であるという思い)に至る、ということもあるだろう。表と思って進んでいたら、いつのまにか裏側に回っていた、というメビウスの輪のようなものである。

余談だが、「観念する」という言葉は面白い。「観念する」とは本来哲学的(仏教的)思索へ没頭することだが、それが「あきらめる」意味になるというのは、実はこの言葉の本質を見事に示している。また、「あきらめる」とは本来、「明らめる」、つまり「明らかにする」意味だったというが、「明らかにする」ことが「あきらめる」につながるというのも、日本人が仏教というものの本質を体感的に知っていたことを示しているのではないだろうか。



(以下引用)


”君子の自由”と”小人の自由”
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まったく内実の異なるものが、同じ「自由」ということばで呼ばれている…





奴隷や囚人にとっての「自由」とは何だろう?




喰えることであり、痛い目に遭わずに済むことであり、




いつかは、この境遇から脱することができると信じられる”希望”であろう…





自分が、自由でいられること、自由にできるモノがあること。




そして、自由な時間があることだろう。





欲望が満たされていること…




恐怖から逃れられていること…





それが、”奴隷の自由”、”囚人の自由”である。





日本人の多くが求めている「自由」はこれである。





ゆえに、彼らはたやすく権力に支配される…




権力に支配されて、「自分が自由である」と錯覚している…





豚舎でブタは腹いっぱい食えて、寒さもなく、天敵の襲来にも脅かされず、「自由」を満喫している。




だが、彼らはなにひとつ自分で決定できはしないし、生死も飼い主に委ねられている。





ブタどもにとって、欲望が満たされることが、「幸福」であり、「自由」なのである…




ブタどもにとって、「安全」を信じられ、恐怖のないことが「幸福」であり、「自由」なのだ。





喰われるために生きている者たち…





君子は、権力に支配されず、主体的な立場を維持しようとする。




だから、くだらぬ欲をそもそももたない…




偽りなく生きているので、怖いモノがない…




欲をもたず、恐怖しない…




だから、君子は権力から自由である。




権力に対して、常に主体的な立場を維持することができる。





そもそも権力とはなにか?…




欲で釣り、刑で脅すことである。





欲と恐怖によって、人間を支配することができる。




だが、君子は支配されることがない。





欲がないから釣られない。




死ぬことも怖くないから、脅しが通じない。





ゆえに、君子は常に”自由”である。





君子は力を求めない。いや…求めはするが、求め方が違うのだ…




何も支配しようとしない…ゆえに、万物が自分にしたがうようになる…





他力に寄り添うことで、他力を自力に変えてしまう…




相手や仲間の力を利用する…引き出す…それに乗る…





無欲恬淡、柔弱謙下不争の徳は、権力に支配されない自由な自分を維持する極意である。


 

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北一輝と日本国憲法

「阿修羅」に面白い記事が載っていたので、転載して紹介する。
まるで私自身が書きそうな内容だが、書いたのはもちろん私ではない。私にはこれほど明晰に、意を尽くして書く能力は無い。思想傾向が似ている、というだけだ。
私も北一輝の「国家社会主義」思想は(あるいは右翼社会主義とも言えるし、尊皇制民主主義とも言える。)、今の日本の政治経済を根本から改善する上で参考になるのではないか、と思っている。特に、「私有財産制限」については、それをどういう手段で行うかという点に極度の難しさはあるが、理念的には、それ以外には今の「残酷な資本主義(経済的自由主義・新自由主義)」から脱却する道は無い、と思っている。
下記記事では、北一輝の思想は今の日本国憲法の先取りだ、と言っている。実際、書かれた内容を見れば、なかなか頷ける。私自身、日本国憲法は、日本の、いや世界の宝だ、と思っているので、北一輝と日本国憲法が結びつく、という指摘は面白く思った。
駄弁が長くなった。下記記事は、今後の日本を考察する上で、非常に参考になると思う。


(以下引用)


北一輝、日本国憲法を護れ!?
http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/268.html
投稿者 安心革命 日時 2014 年 6 月 01 日 10:32:43: dhwFOFH76mN9w




南十字という人からメールが来た。あまりにも奇妙な名だから聞いてみた。

私 「南十字とは変な名ですね。地球の南には南十字星がある。北には北斗七星がある。もしや北一輝をもじったのではないでしょうか」

南十字 「北は北、南は南、一輝は一輝、十字は十字。関係ない。しかし鋭い。実は北一輝について話そうと思ってメールをした」

私 「北一輝といえば2・26事件で処刑された国家社会主義者。右翼の思想家ではないですか」

南 「歴史の教科書ではそういわれている。しかし実像はかなり違う。社会主義者といっても私有財産は認める。宗教も認める。本人は法華経を信じて読誦している。
右翼といっても、『国体論及び純正社会主義』という本で大日本帝国憲法を批判し特高からつけねらわれる。天皇は国民の一人であり、もと有力部族に過ぎないといって天皇の神聖性を否定している。
明治維新を市民革命とみる。ペリーの来航により幕府と藩に分かれていた日本人が日本国民として自覚し幕府を倒したからだ」

私 「そういえば坂本竜馬も、『幕府とか藩とか小さい、小さい。今からは日本人の時代だ』と言っていますね」

南 「その通り。開国を迫られて日本人を自覚し、革命を行った。これが明治維新だ。五箇条の誓文には『広く会議を興し万機公論に決すべし』とある。これは民主主義のことだ。だから市民革命という」

私 「なるほど。でも2・26事件のクーデターとどう結びつくのですか。民主主義的方法ではなく、武力革命と」

南 「本来は武力ではなく、選挙で実現すべきだが、2・26事件当時は世界恐慌後であまりにも格差がひどく、農村は疲弊し生活ができない。その悲惨な状況に政治家は救済の手を伸べず、財閥は私腹を肥やしている。そこで軍の将校がクーデターを起こしたのだ。貧しい東北出身の将校が多い。思想的には現人神として天皇を崇拝する将校たちと天皇を人間のひとりとみる北一輝とは異なるが、現実的には北の『日本改造法案大綱』が影響を与えている」

私 「どのようなことを書いているのですか。私は教科書程度しか知らないのですが」

南 「要点は次の通りだ。
 巻一 国民の天皇  天皇は国民の総代表である。
つまり国民主権の天皇だから、日本国憲法の「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)に近い。
華族制廃止。
日本国憲法第14条第2項「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」に一致する。
巻二 私有財産限度 
私有財産は認めるが限度があるということだ。日本国憲法第29条第2項「財産権の内容は、公共保福祉に適合するように、法律でこれを定める」というものだ。
巻五 労働者の権利
 争議権まで認めているから日本国憲法第28条の労働者の権利保障と同じだ。「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」
労働時間 幼年労働の禁止
労働時間は1日8時間、日曜祭日は休み。日本国憲法及び労働基準法と同じ内容だ。
 巻六 児童の権利  国家扶養の義務  義務教育
日本国憲法の生存権、社会権に当たる」

私 「ええー知りませんでした。日本国憲法と同じですね」

南 「もちろん平和主義はない。当時は帝国主義の時代だから、戦争放棄では列強から支配される。北は男女平等、婦人労働の保護までは書いているが、まだ男女平等選挙には至っていない。現代の目からは不十分だが、ほぼ日本国憲法を先取りしている。
マッカーサーの農地改革、財閥解体、労働組合育成は北の主張したところだ」

私 「ということは2・26事件では敗れたが、日本改造法案をさらに発展させ実現させたのはマッカーサーということになりますね」

南 「その通りだ。だから北一輝は言うだろう、『日本国憲法を護れ。なぜならそれは日本改造法案を120%実現しているからだ』と。
ところで、北は軍隊を『国民の軍』と考えていた。当時、国民が苦しんでいるのに政府は救済しない。そこで軍の力を借りて救済しようとした。しかし、反乱軍とされ敗れ去る。民間では北一輝ひとり処刑された。北の観点によると、帝国軍隊は国民の軍隊ではなかったということになる」

私 「そうですか。知りませんでした」

南 「その後、国民から遊離した帝国陸海軍は戦争に突入し壊滅する。アメリカは日本に戦争放棄をさせた。ドイツも同じだ。当時、日本とドイツが軍備を持たなければ世界は平和だと思っていたのであろう。
しかし、現実はそう進展しない。すぐ米ソの対立が始まった。アメリカは日本に再軍備を要求する。共産国への砦にするためだ。アメリカ防衛の役割を日本に与えようとした。つまり日本の軍隊ではなく日本にアメリカの軍隊を作ろうとしたのだ。
しかし、その歯止めとなったのが日本国憲法の平和主義だ。戦争を放棄しているからすんなりと軍隊は作れない。そこで警察予備隊となった。これが保安隊になり、自衛隊になった。
自衛隊の任務は日本の防衛である。規模が拡大してもその原則を貫くことができたのは、日本国憲法第9条の存在だ。つまり北一輝のいう『国民の軍隊』を維持できたのは日本国憲法第9条があるからだ」

私 「そいうことになりますね」

 南 「確かに複雑な国際関係のなかでは一国で平和は護れない。集団的自衛権は国際社会の認めるところだが、これまで日本においては憲法の制約上その権利を行使できないという立場が維持されてきた。
 ところが最近、政府は集団的自衛権を認めようとしている。憲法改正でなく解釈によって変更しようとしている。これを認めるとアメリカの要請により日本の自衛隊が全世界に出かけることになる」

私 「日本の軍隊からアメリカの軍隊になるということですね」

南 「事情は複雑だが、簡単に言えばそういうことになる。
北一輝は帝国主義の時代、遅れた日本が欧米列強と戦い、平等な分け前を要求すべきだと言った。つまり欧米の世界支配に反対し、アジアなどの遅れた国の権利を勝ち取ろうした。そこには正義があった。
しかしいま、集団的自衛権を行使することは、アメリカの世界支配のために奉仕することになる。日本はアメリカの命令に逆らえないからだ。これまで経済政策についてはアメリカのいいなりであった。ただし国防に関してはそうではなかった。憲法の制約があったからだ。政府は今、その原則を変えようとしている。それも解釈によって。
北一輝は怒るだろう、「国民の軍隊でなくなる」と言って。
国民から遊離した軍隊がどういう末路をたどるかは第二次世界大戦で学んだはずだ。ひどい目にあったのは日本国民だ。たしかに国際情勢は時々刻々変わる。しかしその中にあって、戦争放棄から一転して再軍備に変わったマッカーサーの要求を退けたからこそ、戦後の日本の平和と繁栄が保たれたのだ。原則は守らねばならない。
ドイツは国民投票にかけて再軍備を選択した。これも筋を通している。現在、NATOの枠内にとどまり、集団的自衛権を認めている。かれらは国民に信を問いながら、つまり国民の軍隊を維持して行動している。
それに比べると日本はなんと卑怯なことか。憲法を改正という手続もふまず、内閣の判断で容認を進めている。
日本は国際情勢の変化に合わせる必要はない。情勢など利害打算でころころ変わる。原則を貫いた方が国際社会の信用を得る。日本国憲法の平和主義は護らねばならない。一歩譲っても卑劣な手段は認められない。堂々と国民に信を問え。もちろん不正でなく正当な選挙でなければならない」

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「国民を守るために」国民に死ねという論理

「長周新聞」より転載。
まさに、今の日本の政治について、表マスコミが絶対に言わないこと、そして真のマスコミが書くべきことがすべて書かれている。こうした文章を前にして、余計な前説は邪魔だろう。
私自身「憲法第九条の偉大な働き」について書こうと思っているが、それはまた稿を改めることにする。



(以下引用)引用部分が他の部分と重なって見づらいので、引用文をかなり下に下げてある。





































































































































国民の命差出す戦争動員
米国の国益守る鉄砲玉に
                集団的自衛権行使強行へ     2014年5月21日付


 安倍自民党政府が、改憲ではなく憲法解釈の変更を閣議決定することによって、集団的自衛権行使に道を開こうと強行突破をはかっている。首相みずからパネルを用いた会見では、米艦船に女子どもが乗船している等等の空想世界を披露し、「我々はこの船が攻撃されるのを黙って見ていてよいのか」などと持論を展開。「国民の命と暮らしを守るため」に、若者が血を流すであろう戦争に武力参戦するのだという矛盾した「解釈」を何度もくり返した。守るのは「国民の命」ではなく米国の国益であり、そのために日本人が地球の裏側まで肉弾戦に駆り出される。戦後六九年にわたって屈辱的な従属状態が強いられ、富はみな米国に食い物にされただけでなく、その海外権益を守るために命を差し出さなければならないところまできた。60年「安保」斗争をはるかに上回る規模で、売国政治との全面的な大衆斗争を挑まなければならない情勢が到来している。

 
 60年安保上回る斗争迫られる

 「福島は完全にコントロールされている」と発言したり、選挙前にはTPP反対といっていたのが参加表明したり、戦犯を奉っている靖国神社に参拝して「不戦の誓いをした」といったり、口先でいうこととその言動が意味することはいつも逆で、国民をペテンにかけていく政治が恥も外聞もなくやられている。今回の会見で際立ったのも「国民の命と暮らしを守るために」武力参戦を可能にするというもので、人人が唖然とするような相矛盾することを平然といってのける点に特徴がある。「お粗末」で片付けられないのは、こうした米国傀儡政府のエージェントが背後勢力に支えられて調子付き、米国の国益を守るための戦争に日本人の命を差し出し、戦争に放り込もうとしているからである。
 集団的自衛権の行使は自衛隊の武力参戦に道を開くもので、「アメリカのために死んでこい」というものである。日本列島を不沈空母といった中曽根や安倍晋三がその実行者として取り立てられ、歴史的に改憲なり解釈変更を試みてきた関係にほかならない。90年代のイラク戦争において「日本は同盟国なのだからカネだけではなく血の犠牲も払え」と要求したのがアメリカで、2000年代の戦闘では当時の小泉政府によって自衛隊がイラクに派遣され、実際上は米軍の下請軍隊としての部分運用が始まっている。アフリカ、中東、ウクライナをはじめとした欧州でも米国の軍事的な力が弱まっているなかで、その権益を死守するための軍事動員が求められ、属国に改憲を迫ってきたのが米国である。安倍政府に対しても、アーミテージ元国務副長官を筆頭にした米国側の戦争狂たちが、ことある事に指示を出してきた関係だ。
 日本にとって国益になるようなことは何一つなく、せいぜい「海外ボランティアに出かけている若者が武装勢力に襲われるかもしれない」「そのなかにお子さんやお孫さんがおられるかもしれない」という空想しか語ることができない。イラク人質事件のさいにあれほど「自己責任だ!」「政府に迷惑をかけてけしからん」といっていたはずの連中が、今度は「国民の命を守る!」「憲法が国民の命を守らなくてよいといっているとは思わない」というのだから、「国民の命」についても解釈はいかようにもできることをあらわしている。

 生きてゆけぬ収奪政治 「国民守る」のペテン

 むしろ「国民の命を守る」という安倍晋三なり自民党政府が、そのような政治を実行しているか? である。原発汚染や津波にさらされた東北の被災地は3年も経過しながら放置され、復興がまともに進まない。「花が咲く♪」と歌っている間に、ゼネコン利権のあだ花だけが咲いている始末である。大企業が法人減税される一方で中小企業には課税強化する方針をうち出したり、消費税で国民負担に転嫁したり、医療・福祉予算は限界まで切り捨てられ、労働分野では解雇特区や非正規雇用の具体化が竹中平蔵の采配で次次とうち出される。大企業はみな海外移転して、そのうえ外国人労働者を導入しようとしたり、国民が生きていけない政治ばかりが実行されている。
 それが証拠に人口は急激に減少し、人口すなわち国民の命の数は数十年後には半減するとか、地方都市では若年女性がいなくなって半数の自治体が消滅するとかの予想が真顔で論じられ、よその先進国では考えられないような衰退を招いている。戦争をするといっても人口が減って肉弾要員すらいない社会、TPPによってさらに食料すら自給できない社会にして、最終的には米国の盾になる戦争にみずから突っ込み、日本列島が標的にされても構わないという「後は野となれ山となれ」の無責任な植民地的社会運営がやられている。海外に出かけている日本人、米艦船に乗船している女子どもを守るといいながら、一方で圧倒的多数の日本人は生きていけないまで貧困にさらされ、ミサイル攻撃を受けかねないのだから、身勝手な「解釈」や屁理屈もいい加減にしなければならない。
 「積極的平和主義」は、イラクやアフガン、さらに中国や北朝鮮との関係を見ても、米軍や自衛隊に戦争をしかけられる国国にとっては決して「平和」ではない。かつて日中戦争、太平洋戦争に突き進んださいも、「アジアの平和のため」といって大東亜共栄圏や八紘一宇のスローガンを叫び、中国大陸への全面的な侵略を進めた。「平和」の捉え方も勝手なもので、「国際平和のため」「世界の警察官として」「イラクに大量破壊兵器がある」等等、難癖をつけては侵攻していくアメリカがもっともその模範を示している。「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した」などは、戦争犯罪人が平和主義者のように振る舞っていく最たる欺瞞で、その後の対日占領のインチキとも連なっている。
 「集団的自衛権」といっても、アメリカは第2次大戦後に一度として攻撃されたことはない。逆に他国の侵攻ばかりくり返してきた。自衛権を行使しなければならなかったのはベトナムにしても中東各国にしても侵攻された国国であった。さらにアメリカが1度でも日本のために血を流したり、防衛したことがあるか? も曖昧にすることはできない。原爆を投げつけ、全国空襲で無辜の命を奪い、血みどろの戦争によって日本を単独占領してから69年がたった。戦後は朝鮮戦争やベトナム戦争など、日本の米軍基地から侵略戦争に出撃し、日本側も銃後の手伝いに動員されてきた。世界覇権のためのアジアにおける重要な軍事拠点であり、「日本を守るため」に原爆を投げつけたり、居座ってきたわけではないことは、その後の歴史の全過程が証明している。経済や金融の世界を見ただけでも収奪されっ放しで、「核の傘」の下で溜め込んだ日本企業の利益は、株主である外資がみな海の向こうに持っていったり紙屑同然の米国債を大量に買わされたり、日米同盟が対等でないことは多くの人人が知るところとなった。

 市場原理行詰まり暴走 オール米国派の国会

 翼賛化した国会では「改憲しなければ認められない」といって、公明党がさも反発するような素振りをしつつ「議論を尽くして改憲せよ」というインチキで批判世論を煙に巻いている。維新の会やみんなの党といった第二自民党勢力、民主党も含めた野党の主要政党も手続き論に収斂させて実質賛成になびき、国会内だけ見ると何の抵抗力もない状況で、安倍暴走政治がまかり通っている。最近ではみんなの党の関係者が訪米したさいに、米政府高官から「集団的自衛権の行使を歓迎する」と褒められて帰ってきた。
 「(立憲主義について)王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と主張する者が首相をやり、石破茂・自民党幹事長になると「『国家の独立の為だ、出動せよ』といわれた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。従わなければ最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に逢うなら出動しようかとなる」(自衛隊を国防軍にした後、軍法会議を設置することを求めて)という発言もしてきた。命を守ろうとする者には懲役300年なり死刑をくらわせようと考えてきた者たちが、今さら「平和」や「国民の命」を語ったり、憲法を超越したような気になって、その時時で好きなことを主張している。終いには「アメリカの若者が血を流している時に、日本の若者は何もしないでよいのか」というまでになった。オマエが勝手に流してこい!といわれて然るべきで、日本の若者が米国の国益のため、海外権益をむさぼっている大企業や国際金融資本のために血を流さなければならない理由などない。
 大企業や金融資本の利潤追求のためには、世の中がどうなってもかまわないという市場原理社会の結末が戦争である。資本主義社会が行き詰まっているもとで、破壊によって相対的安定期をつくり出していった第2次大戦前後の経験とも酷似した情勢があらわれている。国民の生命や日本社会の未来に無責任をやる売国奴たちが、米国の後ろ盾があれば何でもできると思い上がって、日本人を鉄砲玉として差し出そうとしている。売国と亡国の政治に立ち向かう、反米愛国の巨大な政治斗争を巻き起こすことが急務の課題となっている。

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日本操縦法

「ZERANIUMのブログ」から転載。
どこまで本当の話かは分からないが、公になった情報部分と、その内情部分(未確認情報)との整合性は十分にある。と言うより、ここに書かれたような内情だ、と解釈しないと、合理性が無い。こういうのは陰謀論とかトンデモ論と言うべきではないだろう。問題は、なぜ彼らはそういう内情が分かるのか、という部分が不明なことで、だからこそこうした論は陰謀論とされるのだろう。しかし、こうした発言者にとって、情報ソースを明かすことは、ポーカーで自分の手の内をさらして勝負するようなものだ、とも言える。表マスコミを握っている相手に対しては、最初から勝ち目の少ない勝負なのである。
とりあえず、こうした情報や見方が大正解である可能性もある、と頭の隅に入れておけばいいのではないだろうか。
なお、政治家などの「ホテルのドアノブで首吊り自殺」については、私は最初から、これらは暗殺以外の何物でもない、と信じている。どこの馬鹿が、そんな奇妙な死に方を選ぶものか。



(以下引用)

私たちは日常的に「電磁波暗示攻撃」を受けている


飛鳥   アメリカは今、日本でどういう奇形児が生まれているかを全部サーチしていて、そのデータは日本の一般市民には流されることなく、日本政府とアメリカにだけ流されるようになっている。アメリカはそういう貴重なデータを欲しがっているんです。彼らにすれば近代の大都市が被爆するのはめったにないチャンスであり、貴重なサンプルだからね。それが欲しいから東京オリンピックも全面的に支援するし、(放射能は)何も問題ないよとお墨付きを与えているわけ。本当のことを言うと都民が逃げ出しちゃうからね。

山口   黄色人種は放射能の害を受けにくいという話がありますね。
      白人だともっと致命的な影響を受けるとか、福島規模の事故だと白人ならもっと死んでいるはずで、それが、なのに日本人が死なないのはおかしいと言われているとか。

飛鳥   ただ日本は隠蔽体質があるから、本当の数字が出て来ないということもあるね。

山口   そうですね、特定秘密保護法案によってさらに分からなくなる。

飛鳥   特定秘密保護法はアメリカのために作ったんですよ。
      以前、自民党は防衛庁を防衛省に格上げして予算の枠を増やしましたね。その次に検察庁を検察省に格上げする予定だったんだけど、その前に衆議院選挙で霞ヶ関改革を掲げた民主党に負けた。ところが今回、アメリカの入れ知恵で選挙操作をやったおかげで自民党政権が復活して、これから自民党は100パーセント勝ち続ける。つまり何から何まで選挙から何から全部操作できるから、何をやっても勝つ。

   だから石破幹事長が、国会前の反原発デモをテロとみなす的な発言をしても解任されないし、麻生副総理がナチスに学ぼうと発言しても大丈夫なわけ。衆参両院で多数を占めたからね。これは戦前・戦中よりもひどくて最悪の状況。

   これから検察庁が検察省になるとどうなるか?
   これまでは予算が足りなくて企業のみを精査していたのが、これからは国民1人ひとりをチェックするようになる。そのための住基ネットワークなんです。私はこれを作った人間を知っていて、彼から直接聞きました。つまり住基ネットワークというのは、単に住民票をやり取りするだけのキャパじゃないという。個人がどこへ行ったか、何を買ったかというデータなんかを放り込んでもなお余りがある。

   つまりこれによって最終的に、国民総背番号制と連動させて国民を容易に管理できるようになるわけです。要は「特高警察」の復活なんです。戦前に戻したいんです、自民党のジジイたちは。特にN(元首相)がそれを求めているという。「昔はよかった。右向け右、と言えばみんな右を向いた」と。だからヤツは昔へ戻せと言っているそうで、自民党は絶対これをやりますよ。そしてアメリカが全面的にこれを利用する。

山口   そうなると自民党も世界統一支配に組み込まれていくしかない。

飛鳥   でも昔はアメリカに対して抵抗する人がたくさんいたんだ。
      田中角栄もそうだったけどやられたし、中川昭一もそうだった。アメリカに楯突く人間は潰される。

山口   ホテルで首吊りというのも本当に多いですよね。

飛鳥   そうそう、ホテルに泊まっている時点で自殺する可能性はないからね。

山口   わざわざ自殺するためにホテルに泊まるかという話ですよ。
      そういうこともあって最近は有名人は、「私は自殺しません宣言」をしている人が多いですね。

飛鳥   しないと危ない。
      それでそのやり方も必ず、ドアの取っ手に何かを引っ掛けての首吊りですよ。

山口   そんな死に方があるかという話ですよ。
      刺されても痛くない針をCIAが開発したというのは、ニュースにもなっていましたからね。そういうのを使って殺した後、タオルかひもを使った首吊りに偽装する。

飛鳥   アメリカはそういう技術には非常に長(た)けていますよ。
      たとえば、手の平に収まるくらいの小さい装置があって、これを敏太郎さんの後ろに回って作動させると、それだけで人格を変えることができる。つまり電磁波が脳に働きかけて一時的に人格を変えるわけだ。アメリカの実験映像では、大学のキャンパス内を歩いている現役の教授に、NSAの人間が近付いて装置を作動させ、耳元で「おまえはホームレスだ」とささやくと、とたんに人格が変わって物乞いをし始めるんです。わずか1秒でこんなに変わる。

山口   実験映像があるんですね。

飛鳥   私が持っています。
      この装置を使えば、アメリカに対して都合の悪いことを言うNHKのアナウンサーがいれば、近付いてその人物を操作して痴漢をさせることもできる。「お前は痴漢だ」とささやけばいいわけで、ありえない人がその小さな装置だけで人格が一時的に変わってそれをやっちゃう。そうやって痴漢をやらせて、一気に潰して追い出してしまう。

山口   ジョン・レノンが殺されたときも、犯人のマーク・チャップマンには、「『ライ麦畑でつかまえて』を読むとジョン・レノンを殺す」という暗示がかけられていたんでしたね。

飛鳥   よく催眠術で殺人を犯させることはできないと言ってるけど、実際にはあり得るんです。それについては弾の入っていない拳銃を使った実験をやっていて、殺人暗示をかけられた被験者が実際に発砲することがわかっています。そして又元へ戻す。そのままなら単におかしくなった人ということだけど、元へ戻すと本人も「魔がさして痴漢してしまいました」となって、それでアウトなんです。そういうことだからスノーデンのような曝露する人間はなかなか出て来ない。

山口   そういえば通信傍受施設のエシュロンについて、石原慎太郎さんが国会で質問してましたね。「三沢基地にエシュロンというものがあるが、これは我が国として放っておいていいのか?」と。小野寺防衛大臣の答えは、「それがエシュロンだとは確認していない」と。

飛鳥   それで官房長官が、「私ども日本は同盟国なので盗聴されるわけがない」とも言ってたけど、バカだね~。後になってアメリカが日本で情報収集していることが、スノーデンの曝露でバレたよね。バカなのか確信犯的な国賊なのか、どちらにしても話にならないよ。こういう人間が日本を治めているのかと思うとゾッとするね。


        book 『激ヤバ情報 曝露します』 飛鳥昭雄・山口敏太郎著 文芸社


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血圧の話

「Dr町田のホームページ」というサイトから転載。
医者にしては珍しく、血圧についての本音を書いている。
血圧について多くの医者は、医学の先輩や教科書から習ったことをオウム返しで一般人にも言っているだけだろう、と私は思っている。つまり、一般人がネットで知ることができるより、むしろ以下のことしか知っていない場合が多いだろうと皮肉に見ている。しかし、やはり「高血圧→脳梗塞」となるのが怖いから、お前は高血圧だ、と言われると、降圧剤など飲んだりするわけだ。もっとも、今は降圧剤を飲むのはやめている。それで最高血圧が160程度、最低血圧が115前後というのが今の平均だが、当然、通常の考えでは、これは降圧剤を飲むレベルである。飲めば、確かに血圧は下がるが、はたしてそれにどれだけの意味があるのか。というより、毎月、医者に払う金が、それだけで5、6千円にもなる、というのが馬鹿馬鹿しい。金は命には換えられないと思う人もいるだろうが、私は命もべつに惜しくはない。ただ、「脳梗塞→半身不随→要介護(下の世話まで他人任せ)」となるのだけは絶対にいやだから、私の場合は脳卒中(脳梗塞)で倒れたら、即座に殺処分にしてくれ、とここでリビングウィルを書き残しておく。なお、葬式も不要で、墓も不要である。遺体は山にでも海にでも棄ててくれればいい。衛生法上問題があれば、焼いてから灰を棄てればいい。

(追記)書いた後でアップロード(と言うのか)した掲載画面を見ると、引用記事が文字化け(?)していて記事が読めない状態だ。何かの規制がかかった記事かもしれない。(邪推か?)まあ、元記事のサイトに行けば読めるはずである。



(以下引用)






血圧の話
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「血圧神経症」

 よく〇〇さんが血圧で倒れたから自分も心配だから診て欲しい、と言って外来に来られる方がいる。
(当然お年寄りに多い) また丹念に自宅の自動血圧計で血圧を測ってノートに測定値をびっしり記入して持ってくる人もいる。(これもお年寄りの特に女性に多い) そしてちょっとした血圧の変動に一喜一憂している。

 少しでもいつもより血圧が高いと病院に飛んでくる。「先生、今日はいつもより血圧が30も高くて心配です。下げてください!」 こういう人を私は勝手に「血圧神経症」と呼んでいる。血圧が心配で心配で仕方がない、血圧は変動するものなのに高くなると気になって仕方がない、という人。

血圧は変動して当たり前
 そもそも血圧というのは身体の条件によっておどろくほど変化している。感情が高まった興奮状態ともなれば収縮期血圧は200mmHg近くになることもある。運動をしている時だって当然高くなる。マラソン選手などは走っている間はずっと高血圧状態であろう。
(もっとも選手になれば身体が運動状態に慣れているのでそれほど上がらないかもしれないが。一般の人がマラソンをすればまちがいなく血圧は上昇しているはずである)
 
 人間の身体は血圧によって必要な酸素補給を調整している。運動したりして必要酸素量が増大すれば、呼吸回数を増やすことにより取り入れる酸素の量をふやし、心拍数を増大させることにより血液の回転をよくして組織へ送る酸素の量をふやす。そして血圧を上げることによりこれらのことが効率よくおこなわれるようになるのである。だから血圧は変動して当たり前なのであって、必要な時に必要なだけの血圧が得られなければ人間は生きていけないのである。

一時的な血圧上昇は心配ない
 したがって一時的にかなり血圧が高くなっても、それは生理的なものなのであるから心配はない。死体を使った実験では収縮期血圧を300mmHg(血圧計の最高値)まで上げても血管は何ともなかったという。血管というのは一時的な血圧上昇には強いのである。私の経験でも、たとえば麻酔をかける時などは患者さんにはかなりのストレスになるとみえて、血圧が一時的に250mmHgくらいにまで上昇するのは珍しくないが、それで何か問題が起きたことはない。

高血圧は無症状
 よく血圧が高くてフラフラする、とか頭が痛いとか言う人がいるが、血圧が上昇しても何か症状がでることはほとんどない。実際、「フラフラするから血圧が上がっている」といって病院に来られた人の血圧を測ってみると正常のことの方が多い。こうした症状を訴えているときはいつもより多少血圧が高めの人もいるが、こういう人は血圧が高くて症状が出た、というよりはフラフラするなどの症状があって心配になり、そのために結果的に血圧が多少上昇しているにすぎない。

 このように高血圧というのは無症状なのであり、だからこそ測らなければわからないのである。体温などは上昇すればたいていは発熱感を感じたり、悪寒があったりするから測定しなくても「熱があるね」ということがだいたいわかるが、血圧は測ってみなければ高いかどうかはわからないのである。

今すぐこわいのは低血圧
 以前、訪問看護を受けている患者さんが急に意識がボーっとしておかしくなった、といって呼ばれたことがある。この人は朝からフラフラするとのことで自分で勝手に血圧が上昇していると思い込んで、なんと夫が服用している降圧剤の舌下錠
(こういったクスリが家に置いてあることがそもそもヘンなのだが)を自分で口に含んでしまったという。とたんに血圧がドーンと下降し、低血圧で意識がおかしくなったのである。私が測ったときはたしか70mmHgくらいしかなかったと思う。さいわいすぐに血圧は回復して、意識も戻り、大事には至らなかったのであるが、とにかく他の人に処方された薬は絶対に自己判断で勝手に飲まないように患者さんに申し上げた。

 高血圧の場合は症状がでないが、低血圧ではこのように冷や汗をかいたり、ボーっとしてきたりといった症状がでる。低血圧状態が持続すれば不可逆性の脳障害を起こす可能性もあり、死亡することもある。本当にこわいのは高血圧ではなくて低血圧なのである。

 人間の血圧には個人差があり、ふだんの血圧が高めの人もいれば低めの人もいる。それでうまくバランスしているのであり、いつもの血圧よりも一過性に高くなるぶんには心配ないが、何らかの原因で低くなるときは命の危険も伴うのである。

高血圧症とは何か。
 以上のことでおわかりだと思うが一過性に血圧が上昇した状態では高血圧症とはいわない。高血圧症というのは安静時(血圧が高くてはいけない時)でも血圧が高い状態のことをいうのである。

 
総人口のある一定の人がそういう状態にある。その原因はほとんどが不明である。そのために、原因不明の高血圧症のことをもっともらしく
本態性高血圧症という。(この「本態性」というのがくせもので、医学においては要するに原因がよくわからない病気にこのもっともらしい言葉をつけている)

 一過性の血圧上昇と異なり、高血圧症の人では常にある一定以上の負荷が血管にかかっている。そのために高血圧症でない人とくらべて一般的に血管がモロくなっているといわれている。血管がモロくなると切れたりつまりやすくなる。そのために脳梗塞、脳出血、心筋梗塞などの病気となるリスクが高くなるといわれている。統計をとれば高血圧症の人の方がこうした病気になりやすいという結果がでている

血圧で倒れることはない
 高血圧症の人はクスリなどで血圧を下げなければならない、とされているのはしたがっていろいろな血管の病気になるリスクが高いという統計が出ているからである。

 以上のことを読んでいただければおわかりのように、高血圧そのものでは特に症状はでないのである。そして、高血圧症の人はそのために血管の病気になるリスクが高いがゆえに、血圧を下げる必要があるのだ。したがって、「血圧神経症」の人が心配するような「血圧で倒れる」ということはないのである。「〇〇さんが血圧で倒れた」などというのは高血圧そのものではなく、おそらく脳出血や脳梗塞などを起こして倒れたのである。高血圧症もあったのかもしれないが、それが倒れた直接原因ではない。

 血管の強さには血圧には関係なく、個人差がある。私の印象では高血圧であるか否かよりももともと遺伝的に血管が強いかそうでないかの方が、血管の病気に関しては重要なような気がする。しかし遺伝的素因ばかりはどうしょうもないから、測定ができてクスリもある血圧管理の方で少しで血管の病気を予防しよう、というのが現代医学の発想なのである。したがって高血圧症をきちんとクスリなどでコントロールしたからといってすべての血管の病気を防げるわけではない。あくまで統計学的なものである。

血圧は下げればよいのか
 実際、私の限られた経験ではいわゆる脳卒中や心筋梗塞などを起こした人のすべてが高血圧症といわれていたわけではない。まったく血圧に異常を認めていなかった人でも上記の病気になった人はたくさんいるし、高血圧症を放置していても特に何の病気にもならない人もいる。

 つまり統計と個人個人とはあくまでも区別して考えなければならないのだ。統計学的には確かに高血圧症の人の方が血管の病気を起こしやすいという結果になっているが、個人個人の血管の質はだれにもわからない。そもそも上記のように、高血圧の人のほとんどはその原因が不明であり、単にクスリでそれを下げているにすぎない。現在のところはそれしかやりようがないから。現在のお年寄りはかなりの割合の人が降圧剤を服用しているように思うが、それがはたして本当に血管病変を減らしているのかどうか、個人単位で見た場合、なんともいえない。

 ところでときどき30~40代くらいの若い人でもいわゆる脳卒中や心筋梗塞などを起こす人がいるが、こういった人たちは高血圧、糖尿病、高コレステロール血症など何らかの病気が基礎疾患としてあることがほとんどである。本来この年齢では生理的には血管に病変がくることはあまりないから、やはり血管を侵すような何らかの病気がなければこうした病気にはなりにくいのである。しかし70~80代以上の高齢者となると、高血圧症のような後天的な病気よりも本来持っている遺伝的生命力の方がこうした血管病変を起こす原因としては大きくなるように思う。(高血圧も遺伝的素因ではあるが) ところが実際には血圧に関心を持っているのは主としてこの年齢層なので、この辺に医学の限界を感じるのである。

 すなわち、医学が役に立つ年齢層(中高年層)は医学を利用とせず、あまり役には立たないと思われる年齢層(老人)が医学を積極的に利用しようとしている、という矛盾があるのである。(検診と年齢についてのページも参照のこと) 

 要するに言えることは、あまりにも血圧の上下に一気一憂する必要などはない、ということであります。



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