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所有権とは何か

「武田邦彦のブログ」から転載。
この世の罪悪はすべて「執着」から起こると私は思っているのだが、執着の最たるものが所有への執着だろう。だが、いったい、「所有」とは何か。「所有権」とは何か。
いったい、私が何かに対して、所有権を主張できるだろうか。すべては私がこの世に生まれる前から存在し、誰かが手を加えて付加価値を付けたものだ。我々が手にするすべてのものは、最初にそれを作った人間が「永遠の著作権や永遠の特許」を所有していれば、誰も手にすることはできないのである。茶碗一つにしても、「土を焼いて土器や陶磁器を作ること、茶碗形の形を作ること」を誰か一人の占有物としていれば、我々の手に入ることは無かったわけである。
発明者や発見者が「所有権」を放棄したからこそ、それは人類全体のものとなり、人類の文化と文明を発展させ、人類を幸福にする役に立ってきたのである。
だが、今の時代は、「所有」や「財産」が一部の人間によって特権的に占有され、その範囲がどんどん拡大されることで、相対的に人類全体の貧困化が進んでいる。著作権など、「新しい所有権」の設定はその一つだ。
我々は、「所有権」というものを自明の前提とせず、根本から考え直す時期に来ているのではないだろうか。それによって、人類全体の精神的・文明的次元上昇が起こるだろう、と私は考えている。


(以下引用)



五条川の桜・・・人間の活動と報酬





 



「20140404527527.mp3」をダウンロード



 


日本中、どこを歩いても見事な桜の時期になりました。多くの日本人が「ああ、日本に生まれてよかった」と思う時期でもあります。


 


そんな中、名古屋の少し北に、大口町、江南市、そして岩倉市を流れる五条川という川があります。そして、「五条川の桜」として知られる桜並木は、桜自身が見事であるとともに、桜が散り始めると川面いっぱいにピンクの葉が散り、それがゆったりと流れる風情は何とも言えず、中部地区で知らない人はいないほどの名所です。


 


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今から約60年ほど前、ある人が当時の村長に就任、次の年から「みんなが一緒に交流できるところがあるとよいのだが」と考え、五条川の堤に桜の苗木を植え始めた。


 


当時はまだ戦後間もないころなので、みんな、桜を楽しむような余裕はない。「日影ができる」とか「土手が弱くなる」などとお役所はなかなか苗木を植えるのを認めない中、嘆願を繰り返し、自費で苗木を買って、植えていった。


 


それが今では全長が実に27キロメートルに及び、3500本の桜が咲き誇る。


 


彼の名前は社本鋭郎。彼は、村が大口町になった時の初代町長だが、就任する時の条件は「無報酬」だった。そして後年、「なぜ、苦労して五条川に桜を植えたのですか?」と聞かれて、「川への恩返しです」と答えている。


 


今では、日本の桜の名所100選に選ばれ、見物人は数知れない。多くの人の心を癒し、桜の下で花見を楽しみ、観光業も潤っている。でも、それは「結果」にしか過ぎない。


 


人間の文化は誰でも生み出すことができ、それは人間共通の財産だ。決して、五条川の土手に社本さんの親族がロープで囲って、入場料を取っているわけではない。あんなに苦労し、自腹を切り、植え続けた桜がこうして多くの人に楽しみと人生を与えたとしても、それは無償なのだ。


 


人間の知が働く学問、心の活動がもたらす文化と芸術、そして鍛錬による素晴らしいスポーツ・・・それらはみな人間共通の財産であり、その作品を作ってくれた人に深い感謝の気持ちを持つ人が多くても、それがなにかの報酬と結びついたものではない。


 


社本さんの名前は五条川の桜とともに永遠に多くの人の心に刻まれ、尊敬される。それで、それだけで人間の活動は良いのだ。


 


振り返ると、私たち科学者は一所懸命、夜の夜中に寒いキャンパスの中で一人、かじかんだ手でグラフにプロットする。そして、仮にその成果が出ても、それは「こんなに楽しい時を与えてくれた自然への恩返し」だから、名誉も地位も何も求めない。


 


それこそが人生である。


 


(平成2644日)


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汚物的精神の一事例

2ちゃんねる系統の某サイトで、「人生で学んだ事書いてけ」というスレッドに、悪意の塊のようなコメントがあったので、こうした精神の持ち主も世界には存在する、という参考として転載しておく。吐き気を催す可能性もあるので、まともな精神の持ち主は読まない方がいいかもしれない。
しかし、19世紀から20世紀の歴史を振り返れば明らかだが、こういう精神は、西洋文明の、特に支配階級に属する人間には珍しいものではない。下記コメントの「低学歴」を「植民地の原住民」と置き換えれば、分かりやすいだろう。
もちろん、現在では形の上では植民地は解放されているが、こうした「選民意識(ユダヤ対他民族、白人対有色人種、王侯貴族対奴隷的国民、富裕階級対貧民)」は今ではすべての人種や民族に行き渡り、それぞれの社会を汚染しているわけである。
自分は上位にいると思い込んでいる家畜(白人富裕層などから見れば、である)が、下層にいる人間を見下し、自分は家畜ではないと錯覚しているのが下のコメントだが、逆に、社会の下層にこそ、精神的にはまったく家畜ではない、真の人間が多い、と私は思っている。むしろ、社会の上位にいる人間の中に、精神の貧困さや、低劣さを良く見てきた。金を稼ぐ能力が階層ピラミッドの基準となる社会では、それは当然の話だろう。
精神的美とはまったく懸け離れた、このコメント主のような人間こそ、人間のクズであり、世界の汚物だ、と私は思う。


社会的には下層にいて、「負け組」であった「黒子のバスケ」事件被告人の陳述(徽宗皇帝のブログに転載した)と比較してみれば、その精神性の高下は明らかだろう。





(以下引用)



28 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:29  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する

1.低学歴は「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。
2.又、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。
3.だから、低学歴と付き合うのはとても厄介です。
4.アメリカの高学歴も低学歴とは関わりたくありません。
5.しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。
6.低学歴は「身の程」と言う概念を知りません。
7.低学歴は、劣等感のせいで、どちらが優位な立場に居るか?それが、最重要な関心事です。
8.個人主義のアメリカ人から見ても、異常性を感じる階層です。
9.このような日常に生きる低学歴は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。
10.従って、高学歴が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、低学歴は敗者の態度に見えてしまいます。
11.アメリカ人は低学歴の軽薄な精神性を良く理解していますが、日本人は低学歴をあまり理解していません。
12.日本人は低学歴を「まともな人間」だと思い対応しているので、問題が発生するのです。
13.アメリカ人から日本人に忠告します。「低学歴は別の種類の生き物だと思って付き合いなさい」それが低学歴のためでもあります。謝ってはいけません。
14.筋の通らない理屈を言ったら100倍制裁をしなさい。
15.感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
16.正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。
17.裏切りに対して、温情は絶対にいけません。
18.実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。
 
  • 30 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:30  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する
    ■低学歴と貧乏人とは隔離して暮らす

    価値の無い人間は時間と精神力の無駄なので1秒も相手にしてはならないし、関わったり交流してもならない。
    会話も当然ならず、そもそも同じ空間に居合わせてもならない。その為、馬鹿が多くいそうな場所にはできるだけ立ち寄らない。
    電車などはいつ何が起こるかも分からない危険な地獄である為、可能な限り車通勤を選んだり、貧乏人の住む集合住宅や住宅街では呆れるほど下らないトラブルが多発する為、高層マンションや高級住宅街に住むのは当然の対策。
    店なども、庶民が頻繁に利用するような大衆店は避ける。
    特権階級のものを好む傾向を持つ方が危険性が少なく安全に生活できる。
    庶民や、特に学力や財力の無い社会的弱者ほど決まって理性の欠落した蛮行に及び、周囲の人間に無差別に害を振りまくものだ。
    そこらを闊歩する弱者は全て害虫と看做していい。
    毒針を持つ毛虫か蜂、ムカデの類と同じ



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安藤昌益のこと

年をとって頭がボケてくると、最初に忘れるのが人名だと聞いたことがあるが、この前は、ジブリの映画音楽で有名な久石譲(被災史上ではない)の名前がなかなか出てこず、今朝は、寝床のなかで、江戸時代の日本の共産主義者、あるいはアナーキストともいうべき、ある偉人のことを考えながら、その名前がまるっきり出てこず、とうとう俺もボケてきたか、とがっかりした。幸い、先ほどその名前を思い出したので、忘れないうちにメモとしてこの文章を書いているわけだ。ついでに、ネット上から、その人物、「安藤昌益」について書かれたものを転載しておく。ウィキペディアなどの方が詳しいだろうが、あまり長い紹介文よりも、下のような短い文章の方が読むほうにとっては簡便だろう。
なお、私が安藤昌益の思想の中で一番好きなのは、「聖人ほどの悪党はいない」という思想である。なぜなら、聖人(堯舜など、古代の聖人・聖王や、孔子など)こそが、庶民から収奪して、王侯貴族が遊び暮らす社会システムを作り、それを強化するための思想を作ったからである、というわけだ。





(以下引用)赤字部分は夢人による強調。武士=官僚・支配階級、百姓町人=一般国民と言い換えれば、これは現在でもまったく同じ。







 「今の世の中は間違いだらけだ。少しも働かない武士が、働く百姓や町人から年貢や金をしぼりとって暮らしている。こんな世の中ではなく、みんな働き、みんなが助け合う世の中にしたいものだ。
 江戸の町の中で、こう書き続ける一人の町医者がいました。机のそばには、それまで書いたものがうず高く積み上げられています。
 この町医者こそ、30歳を過ぎた孫左衛門でした。彼は今では、安藤昌益と名乗る学者でした。
 
 --わしが今書いているものを読んだら、将軍や大名どもは、驚いて腰を抜かすだろて。次には、わしの首でも切れとでも言うかな--

 身分が高いもの、低いものなどという考えは間違っている。将軍も、武士も、百姓も、みんな同じ人間ではないか。わしは、人間に上も下もなく、みんなが額に汗して働く新しい世の中をつくりたい」(「おはなし歴史風土記」歴史教育者協議会編より抜粋)

 安藤昌益の研究は、秋田県出身の思想家・狩野亨吉(こうきち)により始められ、主著「自然真営道」の研究が世に出て、江戸中期における特異な思想家として注目された。(右の写真は、安藤昌益の墓。大館市仁井田の温泉寺に建つ)
 狩野亨吉と安藤昌益については、「秋田県散歩」(司馬遼太郎著、朝日新聞社)に詳しく記されている。その一部を抜粋してみる。

 「ともかくも大館の町を歩きつつ思うのは、狩野亨吉のことである。
 彼が、明治30年代、官を辞し、古本の山にうずもれつつ、幾人かの知られざる思想家を発見したことは、明治期の偉業のひとつである。
 そのなかでも、もっとも数奇だったのは、江戸中期の安藤昌益(1703-62)の発見といわねばならない。

 昌益は、在世中も無名の人だった。
 明治32年、狩野亨吉の手もとに筆写本の膨大な著作がやってくるまで、この名を知るものはだれひとりいなかった。
 いまでは、内外に昌益の研究者が多く、それに安藤昌益全集が2種類も出たりしている。また中・高校の教科書にも出ているらしく、日本史上の人物としては知名度が高い。・・・

 昌益はこの大館市でうまれたのである。仁井田という在所に生まれ、晩年、八戸から生家に戻って、病死した。墓は、仁井田の温泉寺にある。・・・

 昌益の著述は、すべて漢文で書かれている。
 それも悪文だった。用語なども典拠を踏まえない自家製のことばが多く、さらには漢文の初歩的な文法まで無視して書くという、いわば言語表現の上での無茶者だった。
 --これは、バカだ。
 と、魚屋(自然真営道の本を持っていた)の息子は思ったにちがいない。また古書籍商の朝倉屋も、この悪文を見て商品価値がないとみたに相違ない。・・・

 安藤昌益は、狩野亨吉ほどの人の眼力をくぐらねば、評価されなかったであろう。すでに評価されてしまった後世で、昌益はえらいというのは、コロンブスの卵と同様、簡単なことだが、はじめてナマの稿本を見、悪文と戦った人は、えらい。悪文の中からその思想を汲み上げ、評価するというのは、容易なことではない。・・・

 昌益の思想ははちきれるほどにふくらんで、噴火をつづけている。それを表現するのに、自分の言語的な陶冶(とうや)を待つなど、こういう天才にとっては無意味で、じれったく、どうでもよかったはずである。地殻を破って爆発しているのに、表層の整理整頓などかまっていられないという気持ちがあったのに相違なく、ここに徹底的な独創者としての爆発的なばかりの粗野さがある。・・・

 亨吉は昌益について
「不文なる昌益」とか「破格的人物」とかいう。さらには、
 安藤昌益は狂人ではなかったか。
 とも設問している。・・・

 昌益は「自然真営道」のなかで
 「百年のちの人に読んでもらう」
 という意味のことを何度も書いている。これも、計算と胆力から出た気配りに相違ない。そうなれば、昌益としてもはや憚るところがない。・・・

 いずれにしても、秋田県で「県北」といわれるやや僻地視されているこの山間の小盆地が安藤昌益と狩野亨吉という二つの大きな精神を生んだということに驚くのである。」




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「成功確率」を考えて「挑まない」ことの愚

「aproach to innovation」というブログに引用されていた為末大のツィートを転載する。
私は学校教育における体育やスポーツのあり方を批判することが多い。小さい頃、運動神経が鈍くて周囲に笑われた(と自分の心の中で想像した)ことで(勝手に)傷ついて、それ以来、スポーツへの努力などしたこともない。当然、運動音痴として半生を過ごした。学校生活では運動のできる者以外には存在価値は無いようなものだから、学校そのものも嫌で嫌で仕方がなかった。そのあたりから、「学校教育というのは、なぜ人を競わせ、人を序列化するのだろう」という無意識の疑問が生まれたような気もする。
誰であれ、頭の出来は、ふだんはあまり目立たない。テストの成績など、「俺はガリ勉しないから出来ないだけで、頭自体はいいのだ」と思っていれば済むことだ。冗談などがうまい人間は、「こいつは本当は頭がいいのではないか」と思われもする。しかし、スポーツでの「序列」はあまりに明瞭であり、言い訳もできない。そもそも、才能が最初から問題になる世界であり、生まれつき運動神経に欠陥のあるような人間にとっては別世界である。
というわけで、スポーツは、「見る対象」としては好きだが、「自分でやるもの」としては嫌悪の対象でしかなかったわけだ。まあ、一人で体を動かしていればいい、というなら嫌いではないが、他人の目の前でやらされるのは断然、お断りである。老人になることの利点は、そういう屈辱から逃れられたことであり、ヨイヨイの老人になるのも、そういう意味では悪くない。(笑)
さて、そういう人間が言うのも何だが、下の為末大の言葉は、実に素晴らしいものだ。
子供の頃の私がこの言葉を聴いていたら、人生そのものが変わったかもしれない。もちろん、才能の差はどうしようもないから、運動上手にはなれなかっただろうが、努力して人並み程度にはなれたかもしれない。そうすれば、女の子とも付き合う自信も生まれて、云々。
まあ、すでに大半が終わった人生を悔やむ気はないし、自分の気質から言えばそう悪くもない人生だったが、あるいは、まったく別の人生を歩むのも面白かったかもしれない。一般的に言えば、「努力しない人生」「逃げるだけの人生」よりは、努力する人生、チャレンジする人生のほうがいいだろうから、世の若者たちのために、下の言葉は学校教科書やサブテキストに載せるべき「黄金の言葉」だろう。


(以下引用)


為末 大         @daijapan

スポーツをやっていると、結果が全てだと強く思っている人に時々会う。基本的にはそれは動機の強さにつながっていい効果が多いのだけれど、あまりにも結果に潔癖になりすぎると、皮肉な事に結果にこだわりすぎて結果が出なくなったりする。


結果に潔癖な人は成功するというより、成功しそうな事しかやらない。だからチャレンジの数が人生で少なくなっていく。チャレンジは自分に限界を超えさせて、成長を促す。そのチャレンジが不足するという事は長く見ると成長が滞り、結局結果が出なくなっていく。


為末 大         @daijapan


絶対負けない方法がある、それは戦わない事。やるからには結果を出さないという価値観が強すぎる人は、いずれやらなくなる。やらないから経験がなく、全て頭で考えた世界で生きる。プライドが肥大化し、そして現実とどんどん剥離する。

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政治は弱者を守るのが最大の使命

「カマヤンの燻る日記」から転載。
「霊告」というくらいだから、何かの「預言」(「予言」ではない)だろう。まあ、お告げをしたのが狐か狸ではないか、という疑いもある(筆者はかなりの田舎に住んでいるようだし)のだが、幸福の科学の総統の馬鹿預言よりはマシだろう。(あの阿呆面や言動を見て、その正体が分からない信者たちは、まったくのガイキチである。)
さて、私は共産主義は実現不可能なファンタジーだと何度も言っているが、日本共産党は応援している。何でも反対の永遠の野党であり、その存在そのものが自民党政治を温存させており、自民党の補完勢力だ、とかいう俗論にはまったく賛同しない。だが、指導部の一部には教条主義者が多分多いのだろうなあ、とは思っている。マルキストという連中は教条主義を宿命的体質として持っているのではないか。
それはともかく、現在の日本の政党の中で唯一、野党らしい活動をしてきたのが日本共産党ではないか、と私は思っており、選挙でもしばしばこの政党に投票した。これまで何度も生まれては消滅してきた偽野党に投票したことはほとんど無いし、その点では自分の投票への後悔は一度も無い。世間の多くの人々が、選挙のたびに生まれる偽野党に騙されるのを見ては、日本国民はまったく学習しないなあ、とあきれている。
もちろん、日本共産党を全面的に肯定しているわけではないし、何よりもその選挙戦術やマスコミ対策のへたくそさは目に余る(まあ、マスコミ自体が保守政党と同じ穴のムジナだから仕方が無いのだが)とは思うが、その真面目な政治姿勢だけは本物だ、と思っている。何より、世間から「アカ」だとして爪弾きにされる危険を冒して、共産党政治家として活動しているその勇気と、社会的弱者への愛は尊敬する。昔なら、小林多喜二の例を見るまでもなく、政府や右翼の手で殺されかねない活動だし、それは共産党シンパも同様だろう。
私が共産党ファンであるのは、あるいはただの「弱いものファン」であるだけのことかもしれない。何しろ、大昔の(「赤ヘル」以前の万年最下位時代の)広島カープ、今の横浜DeNAなどを応援するような人間なのである。もちろん、パリーグは全体が「弱いもの」だから、パリーグは全体として応援している。
ということで、記事とはまったく無関係な駄弁を書いたが、「強いものを応援して、それが勝つと、自分まで強くなったような気分になる」というのも精神衛生的にはいいかもしれないが、本来の日本人ならば「判官びいき」こそが普通だったのではないだろうか。
まあ、今の日本人は精神そのものが日本人ではなくなっているのではないか、ということだ。
政治は弱者を守るのが最大の使命、などと書くと、弱者がやたらと権利を主張してウザイと思う人もいるだろうが、国民の99%までは本当は弱者なのである。一見強者に見える「勝ち組」も、本物の強者にとって都合がいいから、当座だけ強者の下っ端として扱われているだけだ。それは、猪瀬や渡辺(こちらはまだ事件渦中だが)などの政治家や、ホリエモンなどの新進企業家が簡単にその地位を追われることを見ても分かるだろう。ユダ金が本当に認める「道具」は失脚することは無いのである。いきなり日本で飛躍的な発展をしてその分野でナンバーワンになった企業の経営者などはそれだろう。政治家の場合は、安倍だろうが麻生だろうが、彼らの都合次第で切り捨てである。




(以下引用)

2014-03-30

[][][]次の衆院選の予言など 23:49 次の衆院選の予言などを含むブックマーク 次の衆院選の予言などのブックマークコメントAdd Starshigeto2006

もうすっかり政治の世界のことなんて判らなくなっているけど、霊告が耳元でガンガンと囁くのでここにメモしておくけど。

1

次の衆院選では、少なくとも得票数で野党第一党は共産党になると思う。


で、与党第一党、当然自民党なんだが、自民党は前回よりもっと得票を減らすと思う。


共産党は得票数ではけっこう行くんだけど、選挙制度上議席数自体はそれほどじゃなくて、他の野党を全部まとめあげたらどうにか政権党が狙える、くらいの議席で。

2

民主党と共産党の協議が山になるんだが、民主党党首はその時、「共産党とだけは組むわけにはいない」という信条なタイプで。


で、共産党の方も、若手はマトモなんだけど、老齢な人々がお馬鹿で国民を失望させる選択をしまくって、そういう共産党内部のなんかアレな指導体制が色々露わになって。

3

国民が全く関心を持っていない政党助成金是か非かみたいな、んなもん共産党貰えよ的なことがムダに政治争点になって。


みたいな。

4

第二次麻生内閣か(第三次安倍晋三内閣の可能性も少しだけある)、共産党連立内閣か、が日本人の選択肢、みたいな。


共産党連立内閣になった場合、自民党党首はまた谷垣禎一になって。

5

こんな霊告を得ました。


とりあえず共産党若手は今から真剣にその時に向けて布石を打っておくことを願う。年寄りはきっとバカだ。


そういう俺は熱烈な枝野幸男支持者なんだが、民主党は解党寸前な程度にまでその時議席を減らしている。


共産党との連立をすれば政権党入りが狙えてもきっと共産党との連立に対して民主党はゴネる。そのゴネは自民党政権樹立をアシストする。




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金儲け主義の食い物にされる被災地

「長周新聞」から転載。
少しお堅い記事だが、こういう真面目な記事で、しかも大マスコミがけっして触れない真実を書いた記事は大事である。「長周新聞」は、貴重なネット媒体だ。
色字部分は私が強調したものである。
記事の中で、海岸を砂浜のままに残すべきだ、というボランティアグループの言い分は、勝手なものだが、一般論としては正しいと私は思うので、何とも判断できない。確かに、よそ者が勝手なことを言っている、という感じはあるのだが、海岸(砂浜)に所有権などあるべきではないだろう。そして、護岸工事などで固められた海岸線の醜さは、大きな問題の一つである。まあ、詳しい状況がこの記事だけでは分からないのだが、住民側の言い分だけを全面的に信じる必要はないだろう。そもそもインタビューに答えた「住民」が漁師なら、漁師としてのポジショントークしかしないだろうし、すべての住民が同じ意見であるということもないだろう。
細部について、そうした疑問も少々あるが、全体としては非常に素晴らしい記事だと思う。なお、これも一般論として言えば、私は環境保護団体とかNPOとかNGOとかボランティアグループという存在については、非常に胡散臭いものと見ている。社会に必要な存在ならば、ボランティアの形ではなく、ちゃんと金銭の出し入れを明確にした利益組織(もちろん、利益ゼロでいいが、働く人間への給与や雇用期限はきちんとするべきだ。)にするか、政府が責任を持った組織にすべきだ、というのが私の基本的な考えだ。


(以下引用)*画面が重なって見にくいので、記事をかなり下に移動してあります。











































































































































3年たっても更地のままの被災地
東北現地取材
             国民守らぬ政治の姿を象徴    2014年3月14日付


 3年前の地震・津波によって、宮城県では人的被害と同時に基幹産業である水産業も壊滅的な被害をこうむった。あれから3年の歳月が流れたが、いまだ厳しい復興の途上にある。当初から建築規制がかけられて住民が戻れないことや、水産業復興特区をはじめとした漁業復興のあり方を巡って大きな矛盾が生じてきたが、今なお多くの漁港が壊れたままの状態で、市街地もまるで復旧が進んでおらず、がれきが撤去されただけにすぎない。復興庁を頂点にして県や基礎自治体がその補助金を受ける形で復興の旗を振ってきたものの、巨大防潮堤や新規の市街地開発など、ゼネコンや住宅メーカー、新規参入企業のビジネスチャンスをつくることばかりが優先的に進められ、肝心な住宅再建や水産業復興が後回しにされた結末をまざまざと突きつけている。誰のためのなんのための復興なのかが転倒し、住民不在できわめて冷酷な放置状態が続いている。


 
 風評被害でワカメの値暴落

 宮城県の沿岸では今月に入ってワカメ漁が始まった。牡鹿半島の小渕浜では、復旧工事の終わらない浜で賑やかに収穫作業がおこなわれていた。沖からとってきたワカメをメカブと葉に分け、さらにボイルして塩蔵ワカメにしていく作業が同時におこなわれ浜は活気に満ちていた。
 しかし、生産者の努力によって漁業生産を再開し、品薄で単価も良かった1年目と比べて、昨年、そして今年と浜値が下がっており、「先を考えたときに喜べない…」と不安が語られていた。福島原発事故による風評被害で、買い手から敬遠されているのも心配の種になっていた。震災前3年間の平均価格と価格下落分の差額を東電が補償することも先月決まったばかりだった。
 生産者の男性は「誰がこんな補償を望むだろうか。問題は生業としてなりたたなくなることだ」と語気を強めていた。震災後、被災地が三陸ワカメの養殖に手がつけられなかった間に、商社を通じて中国産ワカメが大量に国内市場に流入し、シェアを奪った。そのうえ風評被害までが加わって値が戻らない。震災前に1㌔700円台で取引されていたのが現在は600円台まで下がっており、550円が採算ラインといわれている。純利益に換算すると微微たるもので、とても生活再建できるようなものではない。
 今期も仲買から「去年の在庫があるから今年は安い」といわれ、漁がはじまる前から布石を打たれていること、このような現象が来年、再来年に落ち着くとも思えず、見通しがたたないことが漁師たちのなかで語られていた。風評被害だから安いのではなく、むしろ福島事故を逆手にとってメーカーが買い叩いている構造や、取引先の切り替えを指摘する関係者もいる。安く買い叩いておきながら、スーパーの店頭には通常の価格で並んでいくといわれていた

 勝手に「砂浜再生」 ボランティアへ苛立ち

 宮城県の沿岸部では漁港の復旧がほとんど進んでいない。漁港復旧の進捗率を見ても福島県30%、岩手県59%なのに対して、宮城県は12%で遅れが際立っている。沿岸部を回っても、応急で積み上げられた土嚢が海との境界線を仕切っているだけであったり、まるで手つかずの状態だ。
 宮城県は全国でも有数の漁港数を誇り、その多くが被災した。震災後、村井知事が漁港集約を打ち出し、その後反発を受けて4港を除いて残りのすべての漁港は復旧すると方針転換したものの、岩手県側とは明らかに違いが出てきている。自治体関係者に尋ねたところ、業者数も、生コンをはじめとした資材も圧倒的に不足しており、苦労していることが語られていた。石巻市では漁港を一つ一つ入札していては技術者も足りないため、いくつかの浜をまとめて発注し、そのなかで順番に復旧工事がおこなわれているが、円安などによって資材が高騰し、予定価格と実費に大きな差額が生じることとなり、入札不調もあいついでいる語られていた。今後はさらにオリンピック関連の仕事が東京で発注されることが疑いなく、東北の復旧はさらに後回しになると危惧されていた。
 沿岸部でも水産業復興特区の先進地に指定された牡鹿半島の桃浦地区などは、漁港の復旧も早かった。しかし同じように小さな浜である近隣の十八成浜に行くと、まるで放置されている。「選択と集中」によって切り捨てられた浜は、いつになったら元の姿に戻れるのかすらわからない。
 十八成浜は集落の中心部が津波で失われた。住んでいた人人は少し高台にある仮設住宅で3年間住んでいるが、かつての居住地は建築規制がかかったままなにも手が付けられない。人の姿も業者の姿も見えない。近隣の浜や他の地域の宅地造成に向かうダンプが行き交うが、この浜の復旧のために足を止める者はいない。異様な静けさが浜を覆っていた。
 このなかで震災後、十八成浜に乗り込んだボランティアが勝手に復興計画をつくりあげ、現地住民の要望とはかけ離れた砂浜(ビーチ)再生事業を動かし始め、反発が強まっている。ボランティアグループが呼び込んできた「カタールフレンド基金」なる資金の運用は却下されたものの現在でも砂浜再生事業は動いており、津波によって押し寄せた砂浜のまま残すこと、「砂浜のままでいいじゃないか」と身勝手な環境保護活動を展開していることに住民は苛立っていた。
 道路沿いの防波堤も黒い土嚢が積まれたまま放置され、道路も整備されないまま放置。建築規制によって居住空間の再建にも手が出せず、「砂浜再生」のおかげで復興計画が前に進まない。そのうち住む人がいなくなってしまうことが危惧されていた。外来種が乗り込んできて、「東南海地震が起きたときの訓練」をしたり、被災地を弄んでいることについて強烈な批判が出ている。住民が望む復興が否定されて、なぜよそ者が望むビーチにされなければならないのか、である。

 雄勝町 住民のおよそ9割離散

 復旧に手が付けられない現状は雄勝町でも同じだ。雄勝町と女川町を結ぶ道路はほとんど工事も終わって整備されているが、雄勝町の中心部は2年たっても3年たっても変化がなく、広大な更地のままだ。破壊された漁港にもまったく手が付けられていない。震災後多かった県内外からのボランティアやマスコミ、「観光客」の姿もがた減りしており、仮設商店街や仮設診療所がぽつんとあるのみ。地場商店・企業がわずかに建物を建てているだけで、家の基礎を残した更地が広がっている。4000人いた人口のうち、町がおこなった調査で「戻りたい」と応えたのは1割といわれ、放置すればするほど人口流出を招いている。防潮堤の建設も進んでおらず、学校の修復も手つかず。宅地造成の山を切り開く工事もまったく始まっておらず、「今後1、2年ではどうにもならない…」と話されている。若者は他の土地で生活を再建し、故郷への帰還を望んできた高齢者さえ戻れない状態だ。
 仮設商店街で店舗を再開した男性は、「市も大変だというのはわかっているが、それにしても進んでない。年寄りにとっては、生きている間に戻れるだろうか…という感じだ。雄勝はもともと人口も少なく、重要な施設もなかったので後回しになっているのだと感じている」「もとの場所で商売をしてもいいなら戻りたいが、みんながここで暮らさないのなら商売は成り立たない。動くに動けない状態だ」と話した。「人がいて、コミュニティがあって初めてそれを守る防潮堤も道路も必要になってくる。人が住むことを否定して町の再生もあったものではない。26万人がいまだに戻れないという非常時に、あまりに責任がない復興策だ」と語っていた。
 建築規制がかかったままの浸水区域について、石巻市では駅前整備、商業施設用地整備、学校、医療機関の整備、公園の整備が計画されている。公園の整備は市街地では南浜公園、中瀬公園などが計画され、牡鹿半島部にも、鮎川浜地区、雄勝地区、北上地区を拠点にした公園などの整備が復興計画にあげられている。浸水区域は住民を追い出した後、みな公園だらけにする構想で、住宅再建よりも公園作りの方が優先順位が高いという、言葉を失うような「復興」が進められている。
 漁業者を含め、多くの被災者が3年間も仮設住宅や借り上げ住宅で暮らし、先の見えない生活をしているなかで、宙に浮いた復興計画ばかりが出され、住民の意見に聞く耳を持たない。初めは行政に対して意見をあげていた住民のなかでも、あきらめに似たような心境が語られていた。
 ある漁業関係者は、「これまで“町を元気にしよう”“みんなで盛り上げましょう”といわれてきた。しかし“町から出て行かないでください”といいながら何も進まない。国の制度に合わせた復興ではなく、被災地の復興に合わせた制度をつくるべきだ。今後も工事は遅れて、6年、7年、10年かけてコンクリートの立派な漁港ができたとして、そこで誰が漁をするのだろうか。人を住ませないようにして六㍍もの防潮堤をたてて、いったい何を守るのだろうか」と語った。
 「コンクリートから人間へ」どころか、「人間よりもコンクリート」が目前で繰り広げられる。国が責任を持って被災地を立て直すと思ったらまるで被災者には関心がなく、「創造的復興」といって、いつまでも創造や空想、妄想で街作りの夢を思い描き、事態はなんら前に進まない。なぜ産業を復興し、住民が元に戻って生活することをさせないのかという矛盾が極点に達している。

 石巻の水産加工 2年後には借入れ償還

 石巻市の水産加工団地では、以前と比較しても再建した企業は増えているように見える。ただ、自治体関係者によると震災前にあった207社の企業のうち、再建したのは54・1%の112社。あくまでも再建した企業数であって、その経営内容については明らかでない。昨年、政府のおこなった売上高調査では、東北被災地で復興した中小企業の回復率は37%と低く、なかでも回復がもっとも遅れているのが水産・食品加工業で、その回復率は14%にとどまっている。国、県、事業者負担の各種補助金を請けながら、多くの企業が再建してきたが、内実は厳しいことが語られていた。
 従業員を多く雇ってきた企業では、従業員が集まらないことが経営者たちの悩みになっている。津波への恐ろしさが頭から離れず、海の近くでの仕事を嫌う流れもあったり、莫大な補償を手にして働く意欲を失った人たちがいることも話されていた。
 再建し、工場内の機能を100%稼働して、経営的に安定しているところは1割に満たないといわれ、それは津波保険に入っていたからだという。国や県からの補助金を受けて立て直した企業にとっては、2年後から借り入れの償還がはじまるため気が気でない心境が語られていた。過剰投資している企業も複数あり、それらの支払いが困難になることも話題にされていた。
 「3年たった今よりももっと状況は悪くなると思う。水産会社だけでなく、基幹産業がだめになれば石巻市が破綻してしまいかねない。二次災害だ」と危機感を語る経営者もいた。別の経営者は、「テレビでいう復興は表面的なもので、再建といっても箱の部分だけ。みんな内実は大変だ。水揚げがあって市場が動き、加工、資材、トラックが動き、働く人がいてはじめて食堂や出前も成り立つ。今は運送業者も魚が半分、土木が半分で仕事をしていると聞く。とにかくできることをはやくしてほしい。かさ上げ道路も着工は来年で、完成がいつになるのかわからない。町づくり云云といった次元の話ではないんです」と話していた。
 補助率の低い小さな企業や商店、また震災前は賃貸だったことで補助金を受けられず、店舗や土地を抵当に借金をして再建した会社など、業種や規模によってさまざまな困難を抱えながら懸命な営業がやられている。津波がなにもかも奪っていったなかで、被災者の多くが再び起き上がり、郷土の立て直しに全力を注いでいる。「これで潰れたなどといったら、応援してくれる全国の人人に恥ずかしい」「東北は食糧基地。一生懸命おいしいものをつくって、全国の人に食べてもらう。そのために頑張る」と語る食品加工業者もいた。
 市街地では、浸水区域の地価が下落したことで、住宅メーカーや不動産関係者が土地を買いあさってきたことも語られていた。


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ところで、エイズって何だったの?

「るいネット」から転載。
ふと、そういえば、一昔かふた昔前にエイズで世間が大騒ぎしていたが、最近、まったく聞かないなあ、と思って、ネットで調べると、この記事が見つかった。
我々はいつも前のめりになって生きているから、過去の出来事をすぐに忘れ、こうした世界的詐欺事件の犯人たちも、少し古い事件では「事実上の時効」になって咎められることが無い。時には、心を落ち着けて、過去の出来事を振り返るべきだろう。
下記記事にもあるように、それで人生を狂わされ、不幸のどん底に陥った人もたくさんいたはずである。




(以下引用)



医者って、どうなん?
285934驚愕!エイズは嘘だった
 
田中直人 ( 壮年 越前町 あれこれ兼業 )14/01/07 PM07 【印刷用へ

心に青雲 リンク より引用させていただきます。



【引用開始】

エイズはすべてインチキだった、と。フランス人医師エチエンヌ・ド・アルヴァン氏が説明している。

 もう一つ、『エイズウイルスのウソ』。こちらはオーストリアの生物学者クリスタル・マイヤー女史のインタビュー。

「HIVウィルスは実際には存在せず、エイズはウィルスによるものではなく、ワクチンによるジェノサイド」だと断言している。
 HIVのテストはでたらめでアフリカの人が特定の遺伝的素因をもつことにより、HIVのテストが陽性になると。ホモセクシャルの方たちとの関連性もないと。インフルエンザワクチンがHIVテスト陽性の原因となる。

 なぜなら、いかさまのHIV検査は、ただ血液中の抗体を見つけるだけなのだ。だからインフルエンザのワクチンを接種すれば抗体ができる。それを検査で見つけているだけだと、ド・アルヴァン医師も説いている。動画から少し書き起こしてみた。

* *

 医学において、ある何らかの病気の原因がウイルスであると断言されるとします。この仮定に基づいて25年間、この病気に関してあらゆる研究が行われ、25年間の研究の結果いかなる治療法も見出されず、疫学的予言も実現していません。効果的なワクチンは1つも作られていません。この3つの状況で、最初の仮定が間違っていたとは思えませんか? エイズを別の見方でとらえるべきです。

 HIV陽性とは患者の体内の抗体の割合の推定です。人々の頭から注意深く消させるべき考えは、「HIV 陽性」があの有名なレトロウイルスの存在を示すという考えです。それは全くの間違いです。エイズ検査はELISAテストで行います。抗体の割合を測る検査です。何の抗体の量か? それはあらゆるものに対する抗体です。

 HIVと呼ばれるレトロウイルスと主張されるものに対する特異的な抗体の割合ではないのです。ですから公衆の頭にある巨大な誤りを訂正する必要があります。この措置でウイルスの存在が証明されるという考えです。これは全くの嘘です。単に抗体の存在を示すだけです。
 これらの抗体は極めて多様な異種タンパク質の存在への反応です。

* *

 これって何さ? である。
 エチエンヌ・ド・アルヴァン氏は、エイズは伝染病ではないと断言している。
 そもそもウイルスが存在しない。研究者の誰もHIVウイルスを見たことがないというのだ。
 エイズが話題になりはじめたころ、同性愛者や麻薬常習者が主にかかるとされたが。これは性感染症だから、やがて誰でも感染し、治療法がないから世界中の人がエイズになるとまで脅された。実はそんな証拠は一つもなかった。

 私も、まさかHIVウイルスがないとは思わなかったので、エイズが感染症なのだろうが、ならばなぜ世界中にごまんといる娼婦たちが感染しないのだろうかと疑問に思っていた。エイズが本当に怖かったら、娼婦は商売をやっていられまい。だから今もこの人類最古の商売は続いている。ますます繁盛と言っていいだろう。つまり、このことからもエイズは性交渉を通じて感染しないのだ。

 HIV検査で陽性反応が出る条件はなんと70以上もあるのだそうだ。じゃあ検査の体をなさんじゃないかと思うのに、医者ども、製薬会社ども、役人ども、マスゴミの記者どもは、平然とこれがHIVの確かな検査だと世界中に嘘をついたのだ。

 HIV検査(ELISAテスト)で陽性反応が出る「病気」には、結核、ハンセン病、マラリヤ、ヘルペスのほかに、インフルエンザ予防接種などのワクチン接種、輸血によっても起きるのだ。輸血とは、多くの異種タンパク質にさらされることだから、当然体内に抗体が作られる。それに陽性反応する。
 それでその人はHIVウイルスに感染したことにされる。

 その結果、つくられたエイズ患者は、精神的にショックを受けるのみならず、実体的にもAZT(抗ウイルス化学療法剤)やアシッドチミジンのような極めて毒性の強い抗ウイルス治療にさらすことになる。DNAを阻害してしまう。
 このAZTの毒性によって、エイズによってでなく殺されていくのである。
 1987~1992年ごろにはこの抗ウイルス治療が強制された。 今は毒性の弱い薬もあるそうだが、そもそも対応するウイルスがいないのだから、いかさまである。

 性感染の結果だと言われ、多くの人がいらざる疑いをかけられ、友人関係が壊れ、離婚にさえいたった。それらに、マスゴミも医師も看護婦も、製薬会社も加担した。

 ド・アルヴァン氏は「健康で偏りのない生活をし、正しい食事を取れば免疫不全から立ち直ることができる」と言い切っている。
 そのとおりである。
 たとえ、エイズが性感染症だったとしても、彼が言うように健康な生活、正しい食事をしていれば防げる話でしかなかった。

 同性愛者とか麻薬患者とかは、往々にして生活がデタラメで、ちゃんとした食事をとらないバカが多い。だからそんなありもしないウイルスに感染していなくても、免疫不全などの病気になるだけのことだ。
 これは放射線の被害でも同様、インフルエンザのような感染でも、糖尿病や癌も同じ、すべては原則、生活のありようから発症するのであって、遺伝なんかではない。

 それでは医師や製薬会社、厚生労働省などの役人どもがオマンマの食い上げになるから、真実は隠蔽される。そして、強い毒性を持った薬や副作用のある薬を我々は買わされ、投与されて、体を壊されて死んで行く。

 製薬会社が科学分野の最高機関を支配しているからだと、ド・アルヴァン氏は説く。世界中の医療機関が従属している上層の医療機関、ノーベル委員会、ジュネーブの世界保健機関の委員会は、大手製薬会社の重役が潜入し、差配をふるう。そして真実の隠蔽に、マスゴミも役人も加担する。政治家や官僚にも、献金やら天下りやらで手なづける。

 エイズという幻想、イカサマで大掛かりに世界中の罪もない人たちを混乱させ、殺し、家族や友人の絆を破壊した。これがユダヤのやり口であった。

【引用ここまで】
 
 
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