忍者ブログ

これからの老人を待つ社会

「シロクマの屑籠」というブログから転載。(記事の所在は「カマヤンの燻る日記」で知った。)
現在は高年齢独身の人間が増えていると思うから、老人のライフスタイルの変化は重要な社会問題になるだろう。老齢で、独身で、身寄りが無く、収入も無く、体も不自由という例が、けっして少なくはない数になるかと思う。
では、そういう層が今後拡大していくことに対して政府が何か考えてくれるだろうか。それは期待しない方がいい。福島や関東・東北で棄民している政府、格差社会の拡大に対し何ひとつ手を打たない(どころかそれを助長している)政府が、老人層に対し、今より悪い政策を取る以外は考えにくい。
となれば、これからの老人は自衛するしかないのだが、老人にはだいたい頭脳や身体のハンディがあるのだから、自活するのは難しい。私がたとえばコンビニの経営者なら、同じ給与で雇うなら、70歳の老人よりは絶対に20歳の若者を雇うだろう。コンビニの店員以上の体力や思考力を要する仕事(つまり、少し給与の高い仕事)ならなおさらだ。いや、これはコンビニの店員の仕事を軽視するわけではない。たとえば私には会社の社長や総理大臣は勤まっても、コンビニの店員の仕事は勤まらないだろう。そういうものだ。その仕事が要求する条件として、老人ではできない、という仕事が、仕事全体の9割くらいあるだろう、ということだ。
さて、老人でもできる数少ない仕事の一つが農業なのだが、農業への参入は極度に困難であり、しかも農業では固定収入を得るのが困難だ、と私は理解している。では、他に何があるのか。
私が多くの人に考えてほしいのが、
1)低学歴、特技無しの若者に、満足できる程度の収入を与えられる仕事
2)同様に、特に資格や特技の無い老人に、生きられるだけの収入を与えられる仕事
をこの社会に作り出すことである。
これは不毛の砂漠を緑の畑に変えるくらい価値のあることだと思う。

よく知らないが、下記記事の「スタンドアロン」は、「孤立して生きる」こと、略すれば「孤生」とでもいったところか。そして「ソフトヤンキー」は「(低学歴で、)論理的思考を好まず、仲間だけで群れて生きるのが好きな若者」くらいの意味かと思う。もっとも、ヤンキーの条件を過激さだとすれば、ソフトヤンキーという言葉は矛盾表現だ、という小田嶋隆の指摘もある。まあ、単に「馬鹿な若者」を指すだけの言葉だろう。そして、馬鹿でない若者など、若者ではない(精神的老人だ)とも言える。




(以下引用)


2014-04-12

「トイレ共同。風呂共同。」は夢か現実かAdd Staredopurplemhkj2mamezouyatiffany_queendokusyotyutsukiko-aemasuyounitsukiko-aemasuyounihonjo_hinataierowmoromorokokinakonakokinakonakoe_pyonpyon21


 


 ゆうべ、不思議な夢を見た。


 老人になった私が共同アパートに住んでいる夢だ。


 


 私は一人暮らしをしていて、向かいの部屋にはコロコロとした顔つきのおばあちゃんが――同級生の年老いた姿だと直感した――住んでいた。板の間の廊下を渡り、トイレへ向かう。自室の右隣には物音に敏感なおばあちゃんが住んでいたが、彼女はすぐに引っ越して行ったので無人になっている。トイレに行くにも気兼ねしなくて済むようになった。そういえば、洗濯機も回しておかないと……そこで夢から醒めた。 


 


 「老人になった自分が、トイレ共同、風呂共同で住む」。


 


 あり得ないことだろうか?あり得ないとは言えない。大家族が核家族になり、核家族が単身世帯へとなっていく一連の流れは、まだ止まりそうにない。少なくとも一定以上の世代では止めることが難しい。一方、日本社会はシュリンクしていく。その際、トイレや風呂はもとより、様々なものを共同化して効率を重視した住まいに回帰していく流れが主流になっても驚くべきことではない。そもそも、少し若い世代の間では「シェアハウス」というライフスタイルも出てきているわけで。


 


 省みて、90年代~00年代のスタンドアロンな生活は、なんと非効率だったのだろう。非効率と言って語弊があるなら、贅沢と言い直すべきか。。


 


 80年代、ワンルームマンションという若者の一人暮らしに訴えかける居住空間が登場し、トレンディになった。コンビニも普及して、そんな若者の一人暮らしをバックアップした。ウォークマンや携帯電話などの普及も相まって、スタンドアロンなライフスタイルが確立していく。スタンドアロンなライフスタイルは、若者自身が自分の時間と空間を好き勝手に過ごせるという点では素晴らしかった。けれども、金銭的には決して安上がりではなかった。その「自分の時間と空間を好き勝手に過ごせるカネのかかる空間」がある種のスタンダードとみなされていく。


 


 私が大学生活をスタートした1990年代前半は、まさにそういう時代の盛りだった。資料(下記グラフ参照)によれば、1990年代前半には大学生への仕送り金額は過去最高を記録している。バブル景気は終わっていたが、大学生が金銭的に最も恵まれていた時代だ。私の通っていた田舎の大学でさえ、トイレと風呂がセパレートな物件が流行っていて、ユニットバス形式のアパートがそれに続いていた。「共同住宅や大学寮は敬遠され気味」という話をよく耳にしたものだ。


 


f:id:p_shirokuma:20140412163236p:image


 グラフ:大学生の仕送り金額。『東京私大教連 2013年度 私立大学新入生の家計負担調査』より抜粋。1990年代前半をピークに、減少の一途を辿っている。


 


 それから二十年。グラフを見てのとおり、大学生への仕送り金額は、バブル景気が始まる1986年を下回るようになった。ワンルームマンションやコンビニが流行しはじめる以前の水準になったということだ。この数字が将来どうなるかはわからないが、とにかく、80年代後半~90年代にかけての盛時が戻ってくるのはかなり難しい、とは想像できる。


 


 少子高齢化の流れを考えるに、将来のお年寄りの一人暮らしは、金銭的なゆとりが一層なくなってくると想定される。大学生の頃にワンルームマンションに住んでいた人間が、二十年後もワンルームマンション的でスタンドアロンな生活ができるという保証はどこにもない。金銭面だけでなく健康面から考えても、一人暮らしで完結したシステムでお年寄りが生活するのは相当ハイコストになっているだろう*1


 


 その一方で、シェアハウス的なものに馴染む若者が増え、バブルの盛時を知らない人々、間近な仲間を大切にする人々――それこそ、いわゆる“マイルドヤンキー”と呼ばれるような、世代再生産を介して明日の日本を担っていく人々だ――が台頭してくれば、ライフスタイルのスタンダードは、スタンドアロンなものから種々のシェアを前提としたものにシフトすると想定される。そんな将来、ワンルームマンション的なフル装備の一人暮らしは今よりもずっと贅沢なもの、非効率なものとみなされているのではないか――時代の文脈が変われば、ライフスタイルの評価も当然変わってくる。かつて、ワンルームマンションが非常識から常識に変化したのと正反対に――。


 


 冒頭で、私は不思議な夢を見たと書いた。


 風呂共同、トイレ共同の住まい。


 でも、これって正夢になる可能性が高いんじゃないか。


 


 お互いに気を遣い合いながら、コストをシェアしあいながら生きていく、新しいようで古い、古いようで新しい生活に、きっと私達は向かっている。かつては結婚や家族といったシステムも、そうしたコストのシェアという側面を持っていたけれど、それを焼き直したような何かがやって来る。生きていくために人と人が身を寄せ合うための処世術やプロトコルが、たぶん見直されていく。そのために必要なコミュニケーションの一連の作法――あくまで作法であって、人をたらしこむような達人芸までではない――も、おそらく見直されていくと推定される。


 


 してみれば、90年代以来の、スタンドアロンなライフスタイルのほうが夢だったのかもしれない。親の代までに集積した経済力によって支えられてきたライフスタイルは、その経済的基盤が失われれば成立しなくなる。高度成長期~バブルの徒花のようなものだ。にも関わらず、そのような暮らしをスタンダードとみなし続けるのは、白昼夢に近い。もう、夢から醒めたっていい時期なんじゃないか。『笑っていいとも!』だって、もう終わったことだし。


 


 

昨日のスタンダードは今日の白昼夢

 


 この一件に限らず、1980~90年代にかけてつくられた諸々のスタンダードのなかには、経済的/人口動態的な存立条件が失われてきているものが少なくない。そういった、存立条件が崩れてきているスタンダードは、しばらくは惰性で持続するにせよ、やがて消えていくと考えられる。


 


 今、スタンダードとみなされている習慣やライフスタイルのうち、何が残り、何が消えていくのか?それらの存立条件を考えるだけでも、あるていど見通しが立つように思う。見通しが立てば、備える余地も、変わっていく余地もある。失われゆくものへの感傷だけはどうしようもない。


 





*1:金銭に不自由しない一握りの人間は、そのハイコストをおしてでもスタンドアロンに暮らし続けるだろうし、そういう上客狙いのサービスにも拍車はかかるだろうが




拍手

PR

ウクライナ・クーデター政権へ日本政府から借金返済要求?

久々に「ギャラリー酔いどれ」から転載。
「ロシアの声」も、時々見てはいるが、最近ご無沙汰なので、このニュースは初耳である。日本の表マスコミは報道しているのだろうか。まあ、日本のマスコミに期待するほうが馬鹿か。
さて、日本がウクライナ・クーデター政府に対して「借金返済を忘れるなよ」と闇金みたいに凄んだ、というのはなかなか面白い。向こうは案外「貰ったつもり」でいたのではないか。(二酸化炭素排出量規制など本気で考えている国は日本以外に無いだろう。地球温暖化問題自体が詐欺であることは世界の支配層は全員承知しているはずだ。)そんな金などどこかに消えている、と下記記事でも証言されている。さて、金を貸した相手がヤクザ(簒奪政権、ネオコン、ユダ金、NATO)である場合に、借金の取立ては可能か、という、これはなかなか面白いドラマである。
この借金返済要求(まだほのめかしの段階だが)は米政府から叱られることになる、と私は睨んでいるが、正当な要求をして叱られたら、何しろ安倍は子供だからかっとなって「日本の本当の独立」を決心したりして。まあ、それは夢物語か。



(以下引用)



◆http://japanese.ruvr.ru/2014_04_13/271152634/
ロシアの声 13日 4月 2014,
日本、ウクライナのために金を使うのが厭になった?


今週、日本はウクライナと結んだ京都議定書に関する合意を破棄し、
この合意の枠内で提供された資金の返還を求める可能性がある、
との報道がなされた



ウクライナ新政権の政治的自尊心を突如打撃したこのニュース、
もしかしたら同国の財政へも深刻な打撃となるかも知れない


今回の革命の後、ウクライナの財政状態は逼迫している。
欧米諸国はキエフに対し借款の供与を約束しはするが、実現は霧の中である。

そこへ泣き面に蜂、日本がウクライナの未払い金8億ドルのことを思い出した。
無論小さくない数字だ。

資金返還要求

これは、日本のキエフ現政権に対する信頼の欠如を物語るものだ。

モスクワ国際関係大学ドミートリイ・ストレリツォフ氏は以下のように語っている。


「日本政府は現状、キエフ現政権を一定程度慎重に見ており、
少なくとも完全な政府が形成されるまでは、
パートナーとしての相手としては取るには足りないものと考えている。

今回の要求は、察するに、キエフ政権が先行政府の負った債務の全てに
責任を持つことを求めたもの
である。

つまり、前政権からの法的承継性を保障し、
国際債務の全額について責任を負うことを求めたものである。

実のところ、ウクライナ企業がCO2排出量を減らせるようにと日本が供与したその資金は、
どこかへ逸失してしまっている
のである」


あるいは日本は、ウクライナの新政権に対し、
革命的言辞によって先行政権の過失を清算しようとしても、それは無理だ、
と分からせようとしているのかも知れない。

いみじくも先日、日本の麻生財相が、
日本はG20の枠内でウクライナに財政支援を行う問題について議論する用意があるが、
ただし、現状、どのような決断が下されうるかについては分からない、と語った。

京都議定書に関する日本・ウクライナ合意の問題。

あるいはこれは、ウクライナ政府への警告ということを超えて、
ロシアと米国に間接的なシグナルを送ったものかも知れない。

日本専門家ヴィクトル・パヴリャチェンコ氏は次のように語っている。

「もしかしたら、日本の資金返還要求は、安倍政権発足以来
獲得されてきたポイントを失ってしまわないよう、
ロシアはウクライナ問題に関する立場を見直してほしい、
という東京の願望の表れかも知れない。
露日関係には良好な雰囲気が形成され始め、領土問題解決のための環境が整いつつある、
と東京では評価されていた


あるいはロシアも、このことに関して、東京との対話と協力を考えているかも知れない。

米国の目には、日本側の今回のアクションは、日米の伝統的同盟関係に鑑みれば、
相当に思いがけないものであったかも知れない。

日本はいま、国際社会において、より独立した存在になることを願っている

再びストレリツォフ氏に聞く。

「米国が政治的利害を抱える地域に対し、東京がスポンサーとなり、
経済支援を提供してきた、あの米国と日本の古い分業は、もはや今日性を持たない」



もはや米国の地政学的野心の無言の支援者にはならない、

と日本は宣言したのかも知れない


日本にも国際社会における自らの利害を持つのである



                      by エヴゲーニヤ  モイセーエワ



だといいのですがねぇw




拍手

馬鹿に全権を与える国

こういう記事は他人事としか思わない人も多いだろうが、他人事はやがて自分にもはねかえってくるものである。医療、農業、教育などの話も同様だ。
建設業の現在の苦境(豊作貧乏のような話だ)は、為政者の相続いた近視眼的政策の結果である。建設業界の人減らしは、それをやらないと立ち行かなかったのだから、仕方の無いことだろう。しかし、3.11が起こった時点で、こうなることは予測できたのではないか。政府には、あれから3年の余裕はあったわけである。建設業界自体には金がまだ回ってこなかったのだから、人を雇う余裕などあったはずはない。ならば、政府がやるべきことは、「資金の前渡し」しかないのではないか。米国債を買ったり、外国に多額の援助をやる余裕があるならば、その金を国内の必要な部分への手当てに使うべきだろう。その金は国内に循環する金だから、景気回復にも好影響を与えるはずである。これこそが政府がやるべきことだ。
ところが、安倍政府が自らの「功績」として得々と語っている「円安」はどういう効果をもたらしたか。建設業界での資材高騰は一例でしかない。エネルギーや資材関係を中心に、すべての物価が上昇し、国民をどんどん窮地に追い込んでいるだけである。それに消費税増税が輪をかけて、売る側、買う側、すべてを苦しめているのである。笑いが止まらないのは、輸出戻し税のある輸出業者だけである。
安倍総理という「お子様政治家」は、宗純氏の言葉を借りれば、「全能感細胞」で頭がいっぱいになって、まともな判断ができないのである。彼のお仲間も同様だ。「労働者が足りない? ならば移民すりゃいいじゃない」は、「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と同レベルの「高貴な身分の馬鹿」の発想だ。
私は、安倍総理は悪党だとは思わない。ただ、無知無学で馬鹿なだけだ。行動力はなかなかあるし、ブッシュジュニア同様、他人の台本で動く分には操り人形としても使える素材だと思う。であるから、安倍総理を適切に動かす人間さえいれば問題は無いのだが、もしも彼が自分で判断して行動するならば、日本は最悪な状態になるだろう。もっとも、そういう状態が来ることで、日本国民が、さすがにこれではいけないと行動するならば、それも悪くはない。



(以下引用)

好況なのに苦境 アベノミクス効果ねじれる建設業

カナロコ by 神奈川新聞 4月12日(土)15時0分配信

 長らく低迷が続いてきた建設業界に「春」が訪れている。アベノミクスによる公共事業増に不動産市場の回復、2020年の東京五輪開催に向けた特需と好条件が重なった。なのに業界は苦境にあるという。資材高騰と人材不足という二重苦が原因だ。好況なのに苦境-。その内実からは、蛇口を開け閉めするかのような政策に翻弄(ほんろう)される業界の苦悩が浮かび上がってくる。

■二重苦
 大量の鉄筋が積み上げられた横浜市港北区の建設現場。10人余りの職人が黙々と溶接や掘削を進めていた。
 
 請負先の市内の建設会社幹部がため息をついた。
 
 「大幅なんてもんじゃない。この鉄筋だって1トン当たり4万円程度だったものが、いまや7万円台だ」
 
 わずか1年余りで1・5倍を超える高騰。「採算ぎりぎりの価格で落札している。資材が高騰し、見込んでいたわずかな利益も消えていく」。増収減益の構図に幹部は「世間で言われているような好況ではない」と表情を曇らせる。
 
 別の県内ゼネコンは人材不足が悩みの種。最近も高齢者施設の完成が職人の手が足りず、3月末の納期に間に合わなくなるところだった。
 
 最終工程の壁紙や床面を仕上げる職人を割高な賃金で大量に雇い入れ、何とか切り抜けた。積算担当者は「赤字こそ避けられたが、見込んでいた利益が大幅に食われた」とこぼす。
 
 人材の奪い合いのリスクを抱え、特にマンション開発では大手不動産の物件しか受注しない方針に切り替えたという。「自転車操業で成り立っている新興デベロッパーは施工費の見通しが甘いケースが多く、見込みを上回っても補填(ほてん)してもらえない可能性が高いからだ」
 
 こうして消費税増税を見据えた駆け込み需要の恩恵も限定的に終わった。


■翻弄
 資材高騰と人材不足の原因はアベノミクス-。
 
 現場の悲鳴からは、そんな皮肉な側面も浮き彫りになる。
 
 安倍政権は災害に強い国づくりを目指す「国土強靱(きょうじん)化」を掲げ、削減が続いてきた公共事業の復活に転じた。東日本大震災の復興事業も本格化し、資材の供給は不足気味に。アベノミクスによる円安が輸入材の仕入れ値を押し上げているという二重の皮肉もある。
 
 一方、人材不足には公共事業が減らされてきた経緯が背景にある。
 
 建設投資は1990年代半ばから減り始め、2010年はピーク時から半減の40兆円。仕事が少なくなれば企業も人材を抱え続けていられない。1997年に685万人だった建設業の就業者は2013年に499万人と3割減った。
 
 「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げた民主党政権では、一層の削減が進められた代わりに介護分野や農業など異業種への参入までもが奨励された。そこから一転しての「国土強靱化」-。
 
 「つい数年前に55歳以上の有力なベテラン社員をリストラしたばかり。今後数年は投資増が続くだろうが、その先が見通せない以上、おいそれと人を増やすわけにはいかない」
 
 県内ゼネコンの幹部の嘆きは、場当たり的にも映る政策のしわ寄せを食ってきた中小建設業者の思いを代弁している。


■悪循環
 人手が足りず、コストに見合った仕事が取れないというひずみは全国で相次ぐ公共事業の入札不調という形でも現れ始めている。
 
 県内の建設業界に詳しい浜銀総合研究所の湯口勉主任研究員は「現場はかなり混乱している。経済は生き物。公共事業は市場を注視し、タイミングを計らなければ奏功しない」と、公共投資による景気浮揚策の空回りを懸念する。
 
 人材不足解消のため、政府は外国人労働者を活用する方針を決めたが、県内のゼネコン幹部は「リスクは大きい。言葉が通じなければ事故の可能性だって高い」と不安を隠さない。
 
 そもそも人材確保の難しさには構造的な問題がある。きつい仕事の割に賃金が安く、社会保障に未加入の下請け業者も少なくない。技術を持ったベテランが減り、厳しい労働条件を敬遠する若手の採用も進まない。特に深刻なのは型枠工や鉄筋工といった技能労働者の不足で、それを外国人で賄うのは難しい。
 
 みずほ総合研究所の大和香織エコノミストは「外国人活用のための緩和策も限定的になる見込みで、不足を補うほどの効果はない。今後想定される建設投資の増加に対応するには単純な人材増だけでなく、下請け構造の整理など労働生産性を高める工夫が欠かせない」と指摘する。
 
 県内自治体の公共建築部門担当者は言う。
 
 「五輪まで増加が続く建設投資に応じて人材を補えば、その後も工事が必要になる。早期に『ポスト五輪事業』の計画を示さないと、いまの人材不足は解決できないだろう」
 
 その先行きにも不透明感がつきまとう。4月からの消費税率アップで消費の冷え込みが見込まれ、短期的には、駆け込みで膨らんだ発注の落ち込みは避けられそうにない。年末には再増税の判断も迫る。アベノミクス「第3の矢」である成長戦略も企業を後押しするだけの具体性を持ったものにはなっていない。
 
 みずほ総研の大和エコノミストは「民間投資は17年くらいから増え、20年以降も続く」との見立てを示す一方で、こう付け加えた。「ただ、アベノミクスが成功した場合に限っての話だ」


最終更新:4月12日(土)15時0分

拍手

咲く桜 残る桜も散る桜

下の、最後の引用は「東海アマツィッター」に出ていたもの。
一部業界では大きな人手不足が起きており、それに伴う賃金上昇もあるだろうが、自分で働く能力の無い老人・病人というのもこの社会にはたくさんいる。そういう人々に対する福祉予算はどんどん切り詰められ、社会から排除されている現実を前に「給料の上がりし春は 八重桜」などと浮かれている有様は、「消費税が5%から8%に上がりました。つまり、100円の商品は105円から105.8円になったってこと。ごめんね。(笑)」という感覚そのままだ。要するに、小学3年生である。俳句どころか百分率も小数の意味も分からない人間が総理をしているのがこの国だ。
いや、俳句が下手なのは大いに結構。下手なりに俳句を自ら詠む、その意気や壮なり、である。しかし、この句を総理大臣が詠み、それを公開するのは困る。今頃、公開したことを後悔しているならいいが、前の「105.8円」から何も学んでいないではないか。一国の総理ともあろうものが自己認識ができていない、というのは困るのである。
まあ、総理の俳句は俳句というよりは狂句である。季重なりは、小学校の授業なら叱られるが、別に憲法違反にはならない。だが、「一事が万事」という言葉もある。社会のトップに立つ人々の自己認識の欠如と無知無教養、恥知らずさ、無道徳性が今、日本を過去最低なレベルで品性下劣な国、国民にとっての地獄にしつつあるから問題なのである。

などと偉そうな事を書いたが、今回の記事のタイトル「咲く桜 残る桜も散る桜」は「散る桜 残る桜も散る桜」の誤りかもしれない。論理的にはそちらが正しそうだ。作者は誰か知らない。音調の点で「咲く」と「桜」が重なるのをいいと思うか、うるさいと思うか、意味の点で「散る桜」が二度出るのをいいと思うか、うるさいと思うか、で判断は分かれるだろう。こういうのはべつに季重なりという性質のものではない。わざと「桜」の語を重ねているのである。



(以下引用)



小田嶋隆 @tako_ashi 1時間

  1. 税金の 上がりし春は 自棄錯乱

 

    1. こういうことが起こってみると、皇室の人々の教養の確かさにあらためて感じ入る。 ということはもしかして、安倍ちゃんはあえて自分が泥にまみれることで、皇室に光を当てようとした……わけはないよな。
    1. 給料の 上がりし春は 八重桜  散りて残るは ゴミノミクスか
    1. これ、中学1年生でも先生に叱られる作句だぞ。
    1. 桜がいずれ散るものであることを踏まえた皮肉だというのなら、まあ、わからないでもないけど。
    1. 八重桜と 春が 季重なりなのはまあご愛嬌としても、こういう席のいわばハレの句に「給料」の話題を詠み込む感覚はいくらなんでも日本人として恥ずかしいレベルだと思う。
    1. 「桜を見る会」で、ホスト役の安部首相が披露したという俳句→「給料の 上がりし春は 八重桜」 ただただ唖然。 誰もアドバイスする人がいないということなのか 首相「咲き誇る日本に」 桜を見る会で - 47NEWS(よんななニュース)

(引用2)


はなまま @hanamama58 4月11日

「もう3日間何も食べていない」。日本の「餓死」は特殊なことではなくなりつつある。11年の国内の餓死者は栄養失調と食料不足で1746人。およそ5時間に1人が餓死している。 追いつめる政策で…さらに悪化する「アベノミクス餓死」(女性自身)







(追記)ついでに、某サイトから転載。給料の上がりし春ってどこの世界?


ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレ

小飼弾のツィッターから転載。
終わりの部分が弱いが、力作なので、マル。「解雇 解雇 解雇」はなかなか見事。パイポパイポのグーリンガイ。



(以下引用)



Dan Kogai         @dankogai


ああ寿限無常<@istch: ブラック企業に就職した寿限無 「激務 激務 心は擦り切れ 退社時過ぎても 感情無く 未来無く 将来無く 食う寝るだけの 住むところ パワハラ上司の 糞上司 解雇 解雇 解雇で少人数 少人数の愚民達 愚民からの暴言有りの暴力での病休からの無職へ」





(あのにます追記)調子をつけて読むならこんな感じか。「少人数の愚民たち」は、加害者より被害者を馬鹿にしていて不適なので、「少人数のフル稼働」でどうか。


激務 激務 心は擦り切れ
退社時過ぎても 感情無ーく 未ー来無ーく 将来無ーく
食う寝るだけの 住むところ
パワハラ上司の 糞上司
解雇 解雇
解雇で少人数 ー
少人数ーのフール稼動ー
愚ー民かーらの暴言有ーりの
暴力でーの   *(暴力有-りの)がいいか。
病休かーらの
無ー職へー







拍手

玄人は信頼できるか? (4月13日追記)

井口博士のブログから転載。
念のために言うが、私はSTAP細胞の件では否定派擁護派どちらの陣営にも与しない。どちらかと言うと小保方さんのような「素人の挑戦」のほうに同情的だが、彼女自身は自分を素人だなどと言われたら怒るだろう。しかし、この案件は「素人対玄人」という観点で見るのが正しいと思う。
彼女の論文でのミスは「不正」として扱うべきではないし、不正ならば、むしろ小保方さんを利用しようとして、それに失敗したらトカゲの尻尾切りで小保方さん一人を犠牲にしようとした理研側の方がよほど悪辣だと思っている。
要するに、「専門家」ギルドが利益集団でしかないことから派生した問題である。つまり、下の井口博士と私は同意見だ、ということだ。井口博士は一応は専門家でありながら、専門家ギルドに対して常々批判的な意見を述べてきた。専門家である以上は、「科学の素人」である小保方さんにも厳しいことを言っているが、素人玄人両側に対して厳しいのだから、それは公正な態度だとも言えるだろう。「フルメタル・ジャケット」で、新兵を鍛える指導教官が、「俺はニガーもユダ公も※人も※人も差別しない。みんな同様に無価値だ」と言うが、その教官みたいなものである。(笑)
それはさておき、「標準科学」で市民権を得ている「ブラックホール」「ダークマター」「ビッグバン」「超ひも理論」etcは仮説でしかないのに、いかにも真理であるかのように扱われ、大きな顔をしているのが私には馬鹿馬鹿しく思われる。その中にiPS細胞やSTAP細胞を入れるかどうかはまだ判定する時期ではないだろうが、いまだ検証されたわけでもない「ダークマター」や「ブラックホール」などは平気で受け入れながら、小保方事件にはあれほど厳しい世間というものも「専門家ギルド」への盲目の信頼で頭を毒されているのではないか。




(以下引用)



さて、そこで本当の問題はなにか?

というと、実は、その科学者の方に問題があるのである。あまりこのことは知らされていない。日本でも世界でもこういう問題をあからさまに批判してきたのが、私を含む若干名程度のものだが、最近では、例のフランスのJPプティ博士もその1人である。

つまり、科学者が増えすぎて、競争が激しくなりすぎて、研究職や大学職を得たかったり、有名になりたかったりするにつれ、一種の「売名行為」や「はでな命名」の言葉や概念を弄するようになったということである。

たとえば、いわゆる表の科学の「標準科学」の分野ではこんな感じ。

宇宙論では、ブラックホール、ダークマター、ビッグバン、。。。。。。
素粒子論では、超ひも理論、万物理論、隠れた次元、10次元、。。。。。
物性では、量子コンピュータ、光コンピュータ、。。。。。
分子生物学では、iPS細胞、STAP細胞、不老不死、。。。。。

などなど、ジャーナリスティックなウリナラファンタジーのような美辞麗句が続くわけである。

かたや、我々かなりアウトサイダーの研究分野ではこんな感じである。

反重力、テスラ波、フリーエネルギー発電機、空飛ぶ円盤、UFO、放射能除去装置、。。。。。。


実は、一見すると、どれもが「夢の様な科学」の雰囲気を持っている。方や、下の方の私が研究中の分野はオカルト的な怪しい空気を醸し出す。

なぜか?

ここが問題なのである。

上の標準理論の世界では、儲かるのは大企業。下の系列では損するのが大企業だからである。だから、わざわざそういうふうに一般人を「洗脳」しているのである。大企業や学会が認めないものは、事実無根のオカルトだよってナ。

ところがどっこい。

実際には、上で上げたものでは、iPS細胞以外はどれひとつ完成していないのである。本当の意味で証明されたものは何もないのである。iPS細胞とて、同様。人に施してみるには問題が山積みなのである。あくまで可能性の世界に過ぎない。

つまり、何をいいたいかというと、「可能性の世界に過ぎない」ものがあたかもすでにそれがそこに本当にあるかのように思っているということなのである。嘘も百回言えば真実になる、というどこかでよく聞く話と同じなのである。

物事は、ある言葉とその定義によって解釈する。だから、さまざまな解釈があり得る。が、その中で自分に都合いい解釈だけを認めて、それを金と権力でゴリ押しする。そういう傾向がひどくなったということなのである。

ブラックホールはあくまでアインシュタイン理論の解にすぎない。これは単なる数学式だから、この元のアインシュタイン方程式が間違っていれば、もちろんブラックホールはもともこもない。アインシュタイン方程式は、特殊相対性理論の延長だから、エーテルが存在しないということが前提になっている。だから、もしこの宇宙にエーテルが希薄であっても存在すれば、それで終わりである。

なぜかこういうことを言わない。

同様に、ひも理論はそのアインシュタイン理論を前提にしている。だから、結論は、以下同文であろう。

逆に、今度は、私が研究しているようなものは、エーテルがあれば、すべて正しくなる。つまり、標準理論とは裏腹の関係にある。いわば、カウンターサイエンスなのである。だから、オカルトではない。双対的なのである。

したがって、可能性の世界で考える限りでは、どちらにも分があるのである。

さて、STAP細胞も同様である。これは、韓国のウリナラファンタジーのようなもの。偽ユダヤのシオニックファンタジーの一種なのである。嘘も百ぺんつけば真実になる。京都に「百万遍」というところがあるが、百万回も嘘をつけば、もう真実のようにマスゴミ世界では振る舞うのである。我々は偽ユダヤ人のついた嘘や共産支那人のついた南京大虐殺捏造や韓国人のついた従軍慰安婦捏造のうそで懲りているはずであろう。

しかしながら、これが科学の世界でも同じだということは、「2つの文化」の平凡人の文化に住む人にはなかなかわからないのである。

ダークマターなんていうものは、STAP細胞と同じで、あったらいいなというような仮説に過ぎない。

だから、それを証明するのである。

元来科学者ほど「保守的人種」はいないもので、実験的に証明されず、理論的論理的にも証明されず、ましてや計算も出来ず、再現もされず、というような言説は一笑に付されてしまうのである。バカにされて終わりである。見向きもされない。

だから、寝食削ってまでして、計算や数学的証明に明け暮れるのである。実験家なら実験的証明に明け暮れるわけですナ。

きっとこの時の努力の様や集中力の様をみれば、人はクリスチャン・ロナウドの高等サッカー技術を見た以上の感銘を受けるに違いない。それほどに集中するのである。

岡潔博士に至っては、3日寝ずで考えたというほどである。こんなことが、ロナウドにできるか?私には出来ない芸当である。

本当に真実を見つけた人なら、あらゆる質問や疑問に対して、簡単明瞭に過不足無く瞬時に答えられるものである。

泣きわめいて感情に訴えたり、怒ったり、そういうことをする必要はないのである。

センセーショナルな美辞麗句は詐欺の十八番、常套手段である。同様に科学においても、あまりにファンタスティックな美辞麗句のついた概念には要注意なのである。それは、標準科学であろうが、オカルトであろうが、カウンター科学であろうが、同じことである。

しかしながら、科学者の科学者たることは

我々は歴史に学ばない

ということなのである。いつの日か空飛ぶ円盤を作ってみましょう、という心意気である。

そのためにこそ、地道に証明や再現実験が必要なのである。そういうことを一つ一つ積み重ねていく以外に道はないのである。

俺はそう思うがナ。まあ、俺にはどうでもいいことだがナ。






(4月13日追記)「五十嵐仁の転成仁語」から転載。大学にいた人間からの指摘であるだけに、他の論者には無い、鋭い視点であると思う。つまり、「小保方事件」は、現在の大学や研究施設が政府に依存した経営をしている限り、繰り返される問題だ、ということだ。

4月12日(土) 小保方さんの問題は大学政策の歪みによって生じたのではないか [教育]

 小保方晴子さんの問題というのは、新型万能細胞「STAP細胞」についての論文をねつ造したのではないかという疑惑を招いている件です。いずれこのような問題が生ずるのではないかという心配は、大学関係者であれば以前からあったのではないでしょうか。
 というのは、大学政策の大きな変化によって任期制や競争の激化、成果や業績による研究費の配分、そのための事務手続きの煩雑さなどの問題が生じ、研究テーマや研究内容、研究者の処遇などが大きな影響を受けてきたからです。

 小保方さんも任期制の職に就いているといいます。この間に研究成果を上げなければ、次の職に就けません。
 このような状況に置かれている研究者は、短期間に論文などを書いて業績を上げなければならず、それを考慮してテーマなどを選択することになります。長期的で基礎的な研究が手薄になり、研究面でも焦りが生ずることは避けられません。
 今回の問題でも、以前書いた論文や写真の使い回し、コピーの貼り付けなどの問題が指摘され、そのような不備があったことは小保方さん自身も認めています。それは故意ではなかったというのが小保方さんの弁明ですが、そのような不備を生じさせた暗黙の圧力はこのような研究環境から生じたように思われます。

 同じようなことは、理化学研究所についても言えます。競争を勝ち抜いて評価されるためには、成果と業績を上げることが要求されるからです。
 多額の研究費の配分を受け有利な研究環境を獲得するためには、世間をあっと言わせるような研究成果を上げなければなりません。小保方さんのSTAP細胞についての研究は注目を集めている再生医療の分野での業績であり、政府が後押ししている成長戦略にも合致し、格好の研究成果だと考えられたことでしょう。
 しかし、これは今回の問題によって裏目に出てしまいました。昨日、下村文科相は閣議のあとの記者会見で、理化学研究所を「特定国立研究開発法人」に指定するのに必要な法案について、不正防止策の内容が不十分な場合は今の国会への提出が見送られる可能性もあるという認識を示したからです。

 今日の大学と研究所、研究者のすべてが、このような厳しい競争にさらされています。それは研究を促進させ、業績と成果を高める目的で導入されたものですが、実際には逆効果を生み出しました。
 科学研究費補助金をどれだけ申請し、どれほど獲得できたかが評価の対象になり、それによってどのような研究が発展し、どれほど成果が上がっているかはさして問題にされなくなったからです。そうなると、短期間に成果が上がり、注目を集めるようなテーマを選択しがちになるも当然でしょう。
 研究内容を評価することは簡単ではなく、論文の数だけで測ることはできません。しかし、だれにでもわかる尺度が必要ですから、そのような形で成果が比較されがちになるのも避けられません。

 このような環境の下では落ち着いた基礎的な研究は軽視されるようになります。アカデミズムの世界で評価対象とされることの少ない社会的な活動は敬遠されがちになるのも当然でしょう。
 論文を書くよりも、研究計画を立てたり科学研究費補助金の申請書を作成したりすることの方に時間と精力を取られるなどという倒錯も生じます。研究者自身がこれらの事務作業に忙殺され、しかも激しい競争にさらされていれば、若手研究者に対する指導がおろそかになります。
 このような問題の積み重ねのなかで、今回のような問題が生じたのではないでしょうか。それは偶然ではなく、以前から問題点が指摘されていた大学政策の歪みが具体的な形をもって発現したということになるでしょう。

 今回の問題については理研と小保方さんの双方の主張が対立しています。それを判断する材料を私は持っていませんが、疑惑を晴らすための最善の道はSTAP細胞を再現することであるように思われます。
 すでに「私自身、STAP細胞の作製に200回以上成功している」というのであれば、あと1回、このような細胞を生み出すことは簡単でしょう。そもそも、STAP細胞の特性とは、これまでのものより作製法が格段に容易であるという点にあったのですから……。






拍手

魔子への歌

大杉栄の「日本脱出記」は、洒脱な名文で、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」を思わせる風情がある。ぜひ、文庫本化して、多くの人に読ませたい文章である。もっとも、すでに文庫本化されているかもしれないが。
その中では、パリの牢屋の中でのノンシャランな物思いを書いた「牢屋の歌」の部分が面白いが、長くなるので、同じく牢屋の中で、自分の6歳の娘、魔子(この命名も凄いね。緑魔子という女優もいたが)に宛てて書いた詩だけ引用する。(「スパスパ」の後半は繰り返し記号、つまり踊り字だが、ワードには該当する踊り字が無いので、表記を変えた。)
なお、パリの牢屋ではこの詩の通り、料理の差し入れが許され、酒、タバコも自由であったようだ。日本の牢屋とは大違いのようである。




魔子よ、魔子
パパは今
世界に名高い
パリの牢やラ・サンテに。

だが、魔子よ、心配するな
西洋料理の御馳走たべて
チョコレトなめて
葉巻スパスパ ソファの上に。

そして此の
牢やのお陰で
喜べ、魔子よ
パパは直ぐ帰る。

おみやげどっさり、うんとこしょ
お菓子におべべにキスにキス
踊って待てよ
待てよ、魔子、魔子。









拍手

淘汰される職業、されない職業

「think outside the box」から転載。
英語で書かれた職業のほとんどは私には分からないが、自分で調べれば、若い人には役に立つこともあるだろう。もっとも、アメリカと日本では国情がだいぶ違う。
アメリカで起こったことは10年後に日本でも起こる、と言われた時代もあったが、たとえばセラピストのような職業は日本では成り立たないような気がする。そもそも、ああいう商売がアメリカで成り立っていること自体が私には理解し難いのだ。だいたい、テレビドラマに描かれるセラピストの治療場面を見ても、患者の不平不満や愚痴を聞くだけで金を貰っている商売だ、としか思えない。おそらくアメリカ社会の中ではセラピストにかかること自体がファッションであり、ステータスシンボルの一つとして成り立っているのだろう。もちろん、セラピストにかかるのは高い給与を貰っている連中だけに許された贅沢だ。日本のように、大半が貧乏人という社会ではどうなのだろうか。まあ、戦略次第では可能性があるかもしれないし、世間のほとんどの人間がキチガイという社会(311以降の社会状況を見ていれば、そうとしか言えないだろう。)では潜在的需要自体は大いにあるとは言える。

べつに、下のリストは読まなくても、

機械化や海外移転*1が困難(不可能)な対人サービスは残る

という基準で判断すれば、日本の仕事の中で何が残るかは自分で分かるだろう。
たとえば、自動車自体は海外生産されるが、自動車を操縦する人間は、日本の運転免許を取らねばならないから、まだまだ日本人の需要があるわけだ。それが特殊自動車になればなおさらだ。
これからは、頭脳労働(詐欺師とかね)ではなく、肉体労働の時代ですよ。若者よ、体を鍛えておけ。まあ、「頭を使う人間は人を使い、体を使う人間は人に使われる」というところが難点ではあるのだが、社会の最上層にいないかぎり、人に頭を下げるのは結局はどの仕事でも同じことだ。




(以下引用)



2014-04-08

コンピュータ化時代の職業選択




【ドローン革命と「第四惑星の悪夢」】では、コンピュータが人間の仕事を奪う状況について見ましたが、その関連として、仕事がコンピュータ化される確率を推計した論文を紹介します。
•The Future of Employment: How susceptible are jobs to computerisation? (Oxford Martin School, University of Oxford)

アメリカの雇用の47%に、コンピュータに取って代わられるリスクがあると推計されています。特にリスクが高いのが、運輸・物流、事務・管理の補助業務、生産の分野だということです。下は、椅子取りゲームに勝ち残るアドバイスです。


For workers to win the race, however, they will have to acquire creative and social skills.

機械化や海外移転*1が困難(不可能)な対人サービスは残るので、いわゆる「コミュニケーション力」の重要性がますます高まるということでしょうか。「内向的な男」には辛いことになりそうです。
•非婚化・少子化とローリスク・ローリターン志向
•先進国を立ち枯れさせる「若者が成長できない症候群」
•「無敵の人」が増加する脅威

APPENDIXから、コンピュータ化されにくい低確率グループと、されやすい高確率グループを引用します。これからも長く働かなければならない人の、職業選択の参考になるかもしれません。

低確率12職種:ヘルスケア関連職が目立ちます。
•0.0028 Recreational Therapists
•0.003 First-Line Supervisors of Mechanics, Installers, and Repairers
•0.003 Emergency Management Directors
•0.0031 Mental Health and Substance Abuse Social Workers
•0.0033 Audiologists
•0.0035 Occupational Therapists
•0.0035 Orthotists and Prosthetists
•0.0035 Healthcare Social Workers
•0.0036 Oral and Maxillofacial Surgeons
•0.0036 First-Line Supervisors of Fire Fighting and Prevention Workers
•0.0039 Dietitians and Nutritionists
•0.0039 Lodging Managers

高確率12職種 :数字やデータを扱う仕事が目立ちます。
•0.99 Data Entry Keyers
•0.99 Library Technicians
•0.99 New Accounts Clerks
•0.99 Photographic Process Workers and Processing Machine Operators
•0.99 Tax Preparers
•0.99 Cargo and Freight Agents
•0.99 Watch Repairers
•0.99 Insurance Underwriters
•0.99 Mathematical Technicians
•0.99 Sewers, Hand
•0.99 Title Examiners, Abstractors, and Searchers
•0.99 Telemarketers

ちなみに、economistsは0.43で282位でした。



拍手

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析