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名づけること、言語化することの意味

「播州武侯祠偏照院」より、抜粋転載。


「だから、宗教の次元における、言語化、特に、固有名化は、物質化なのである。これは、当然、排他的になるのである。形而上学的次元に形而下的次元を持ち込んで、前者の秩序を破壊すると言えよう。」

は、非常に面白い指摘だと思う。言語化が物質化だというのはかなり大胆すぎる言い方だし、言語化が形而下的次元だという考えも少し首をひねるが、言語化することで概念操作が可能になり、概念操作から現実が動き出す、という意味では言語化は物質化であり、形而下的次元の出発点だ、と言える。(「悟り」は直観、あるいは無意識的思考の結果であり、概念操作の結果で生じるものではない。概念操作は常に概念要素自体で縛られている。)あるいは言語は形而上的次元と形而下的次元の接点であり、真の形而上学的次元は言語表現不能なもの、と考えてもいいのかもしれない。いわゆる「不立文字」であり、「言語道断」(これは、俗に使われている不道徳性への非難の意味ではなく、「言語で道(い)うことが断たれている」こと。)である。
この一節から想起したのが、「参照」に書かれているような、「神の名をみだりに唱えてはならない」という旧約聖書の禁忌であるが、これには、「参照」記事の言うような、神の名の呪文化や嘘の引き合いに神の名を出すことへの懸念よりも、神という存在を形而下的次元に引きずり下ろすことを禁止し、それによって神を「手の届かない」存在にするという、「神を作った人々」の高度な戦略があったのではないだろうか。
それはともかく、言語こそが現実化への出発点だ、という意味では、私は「形而上学的次元を形而下的次元に引きずり下ろす」ことに必ずしも反対ではない。しかし、言語化には絶望的なまでの限界というものがあることもまた事実であり、言語化できないものにこそあるいは至高の価値があるのかもしれない、という視点は持つべきだと思う。
これはサン・テグジュペリの「見えないものにこそ価値がある」と似ているようだ。


(以下引用)



でも、哲学的に、名をなくすことの意味は何だろうか。
 たとえば、こころに感ずるなんらかの形而上学的なものを、
国之常立神 (くにのとこたちのかみ)

と呼ぶのと、なにも名をもたない存在とするのとでは、どう違うのか。
 当然、名をつければ、その存在は限定される。特定される。哲学用語があったが忘れた。(追記:言葉は現実、物質界を指すことが大半である。だから、言葉の分節化は、いわば、物質的実体化である。だから、宗教の次元における、言語化、特に、固有名化は、物質化なのである。これは、当然、排他的になるのである。形而上学的次元に形而下的次元を持ち込んで、前者の秩序を破壊すると言えよう。)
 有神化と一応言えようが、名をもたない場合は、無神ではなく、非神である。非神非仏的前宗教である。そう、プレ宗教である。
 そう、どうやら、このプレ宗教という視点が大事ではないだろうか。


(参照)ウィキペディアより。

消失の経緯[編集]

#主のセクションにも言及したアドナイ(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay][15])の語には、「主 (Lord)[16]」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、もともと「私の御主人様 (my master)[17]」即ち奴隷の雇用主など主一般を指す意味がある。


さて、前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム(הַשֵּׁם [haš Šēm])などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。


理由のひとつとして、出エジプト記申命記などにみられるモーセの十戒のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている。(同一の箇所である。また、ヱホバとはヤハウェのことである)

汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし


あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。


これは本来その名をみだりに唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある[誰によって?]一方で、西暦1世紀にはすでに発音は禁じられており、当時成立した福音書によれば、神の子イエスもこれをはばかって「天の父」などと表現したという。


古くはこの名は自由に口にされていたようである。南ユダ王国崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。


それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には分からない。


しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書』では、原語のヘブライ語での יהוה が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味するキュリオス (Κύριος) と訳されている。


このことから、この頃にはこの名がアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することが禁忌とされるようになったと考えられる[誰によって?]

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グローバリズムが国家経済を破壊するメカニズム

「ギャラリー酔いどれ」経由で、「マスコミに載らない海外記事」のポール・クレイグ・ロバーツの記事を転載。(冒頭部を少しカット)
ギリシア、アメリカの経済危機(経済破綻)の現状を分かりやすく解明し、それはおのずと今の日本が進もうとしている危険な海域が何かをも説明している。
グローバリズムの背後にはグローバル企業がおり、それが世界を破滅に向かわせている、ということである。そして、言うまでもなく、グローバル企業の背後には世界的金融業者、つまりユダ金がいるわけだ。
いったい、この「進撃の巨人」的な不条理な状況を解決する「合法的な」手段というものはあるのだろうか。世界の国民はただこの人食い巨人たちに食われるしかない運命なのか。




(以下引用)



ヨーロッパの公的債務危機に対する経済政策においても、経済学は存在しなかった。

そもそも、危機の唯一の理由は、過去そうしていた様に、
それ以外の債権を支払えるようにする為、 返済が無理な一部債権を処理してしまうのでなく
かわりに、債権者達が、不可能なことを要求したせい、
つまり、全ての債権支払いを主張したせいなのだ。

不可能なことを実現する取り組みで、ギリシャ等、巨額の債務を抱えた国々は、
老齢年金引き下げ、公務員馘首、医療や教育などの社会福祉引き下げ、賃金引き下げ、
港、都市の水道会社、国営宝くじ等の公共財産売却を強いられた


こうした緊縮政策は、政府の歳入や、国民の購買力を奪う


結果的に、消費、投資や、政府支出等はみな下落し、経済は更に沈滞する。
経済が下落するにつれ、既存の負債は、GDP中での比率を増し、益々返済は困難になる。


ジョン・メイナード・ケインズが1930年代に、これを教えてくれて以来、
経済学者はこれを知っているのだ。
ところが、この基礎的経済学が、公的債務危機に対処する政策に適用されている様子は皆無だ。

経済学者は、地球上から消え去ってしまったもののようだ。
あるいは、多少は依然残っていても、声を失い、話すことができないのだ。

“グローバリズム”についてお考え願いたい。
全ての国が、グローバリズムは不可避で、“グローバル経済”の一環に加わらなければ、
経済的な死を意味すると説得された。

実際は、グローバル経済の一環に加わることこそ死を意味する

グローバリズムが、アメリカ合州国にもたらした経済破壊をお考え願いたい。
中流階級の何百万もの工場雇用や、ソフトウエア・エンジニアリングや、
情報テクノロジー等の専門職雇用は、アメリカ中流階級から奪い去られ、
アジアの人々に与えられた。

短期的には、これは労賃を引き下げ、雇用を海外移転したアメリカ企業の利益を増すが、
結果は、家庭を形成できるような雇用が、

家庭を形成できない、より低賃金の非常勤雇用に置き換えられてしまうことによる、
国内消費者市場の破壊なのだ。

もし、家庭が形成されなければ、住宅や、家電や家具への需要は減る。
大学卒業生は、帰郷して、両親と暮らすようになる。

非常勤雇用で、貯金する能力が失われる。
人々が自動車を購入できるのは、100パーセントの融資と、更に、
自動車下取り価額を超える既存自動車ローンを完済する、6年ものローンが得られるおかげだ。

こうしたローンが可能なのは、融資する側が、それを販売するせいだ。

ローンは証券化され、ゼロ金利の世界で利回りに飢えている人々に投資として販売される。
デリバティブは、こうした“投資”から生じ、新たなバブルが仕込まれる。

製造業雇用が海外移転されると、アメリカの工場は閉鎖し、
州政府や地方政府の税基盤も縮小する。
政府が累積債務の返済で苦慮する場合、年金債務を果たさなくなる傾向にある。

収入が既に、ゼロあるいはマイナスの金利のおかげで下がっている、
退職者収入をおしさげるのだ。

アメリカ経済の基盤である、この消費需要の解体は、
そもそも始めからわかりきったことだった。

ところが、ジャンク経済学者連中や、大企業お雇い評論家連中は、
アメリカ国民に、海外に移転された雇用に置き換わる、より良い、より高給な、
より清潔な雇用を実現する“新経済”を約束した。

十年以上、私が指摘しつづけている様に、経済に、こうした雇用の兆候は皆無だ。

アメリカ経済が海外に移転され、国内は捨てさられているのに、
経済学者は一体なぜ抗議の声を上げないのだろう?

グローバリズムは新興経済諸国をも荒廃させる

自給自足の農業コミュニティーは、大規模単作農業の導入により破壊される。
住居を追われた人々は、都市に移動し、社会福祉をかさませ、政治的不安定の源となる。

グローバリズムは、ネオリベラル経済学同様、経済帝国主義の道具

労働は搾取され、国民も、文化も、環境も破壊される。
ところが、プロパガンダが余りに強力なので、人々は自ら首をしめるのだ


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安倍は米国大統領にこそふさわしい

今の日本国憲法は、日本人にはもったいないから、米国に輸出しよう。そうすれば、日本が米国の一州になってもいいんじゃない? 今でも属国だし。いやいや、今の米国に比べたら、日本のほうがマシか。あのキチガイ国家には、安部総理こそがぴったりでしょう。安倍とオバマを交換したら、米国軍産複合体も大喜び、日本もまあ、安部よりはマシと納得。


(以下引用)


小田嶋隆 @tako_ashi  ·  11時間前

きみたちは般若心経の改正案に賛成するのか?

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安倍総理礼賛(笑)

これはうまい。思わず、「座布団一枚!」と言いたくなった。(あ、「笑点」を見ていたのはかなり昔のことです。今でも、他のお笑い番組に比べればマシだとは思う。)



「ニッキョーソ!ニッキョーソ!」
「お前の母ちゃんデーベソ!」




(以下「東海アマ」ツィッターから引用。)



     アマちゃんださんがリツイート

" PM Abe was an outstanding prodigy. He was as intellectual as he is now at the age of 8"「安倍首相は神童だった。なにしろ八歳にして現在と同じ知的能力を備えていたのだ」


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「私に悪意がなければ、悪意として受け止めるあなたが悪い」論理

「温玉ブログ」というブログから転載。
長い記事だが、素晴らしく面白い。曽野綾子の例の文章を読んであきれかえったものの、そのどこがどうおかしいのか言語化できなかった私のような馬鹿には、こういう「リテラシーの達人」の書いたものは有り難い。
なお、カマヤンのツィッターの次の言葉も面白い。これが「温玉」氏の長文の見事なまとめになっている。

「ちょっと違う話書くけど、萩尾望都の姉と父が曾野綾子的キャラらしいんだよね。「私に悪意がなければ、悪意として受け止めるあなたが悪い」論理。それで萩尾望都は随分苦しんだようだ。 / “曽野綾子事件に見るコミュニケーション障害 - 温玉…” http://htn.to/FDmTZx


(以下引用)


曽野綾子事件に見るコミュニケーション障害

曽野綾子という人が産経新聞に寄せたアパルトヘイトを主張したコラムが話題になっている。日本ばかりか海外からも批判されているし、かつてアパルトヘイト政策をとっていた南アフリカからも抗議がくる有り様である。


 


曽野綾子は60年前に23歳で作家デビューした女流作家だ。僕は彼女の本は読んだことない。そしてどんな人なのかもよく知らない。今回の騒動で初めて知った。なんたる物知らずと思われるかもしれないけど、知らないものは知らないのでしょうがない。なにしろ日本には作家が死ぬほどいる。


 


だから慌ててウィキペディアで調べた。カトリック教徒。そして笹川良一の作った日本船舶振興会の会長を10年ほど務めている。「戸締まり用心火の用心」のCMソングで有名な(っていっても、今じゃ通用しなくなったかも)あのボートレースの協会だ。会長を務めている間に「日本財団」という通称を定めたそうだ。「日本財団」というネーミングはあまりにも凄すぎる。2009年からは日本郵政社外取締役に就任。そして2013年には安倍政権教育再生実行会議の委員にもなっている。なんか権力まみれのプロフィールだ。


 


僕は人を判断するときにいつも見ているのは、言葉よりも、やったことだ。だから権力まみれのプロフィールを見ると、権力とか名声が好きなんだなあと素直に判断する。


 


そんな曽野綾子だけど言ったこと(書いたこと)もすごかった。


 


いまさらだけど問題になった産経新聞のコラムを引用させてもらう。全文読んだことのない人もいるはずなので。


 


曽野綾子の透明な歳月の光

「適度な距離」保ち受け入れを

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。


特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。


どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。


しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。


ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。


爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。しかし、居住だけは別にした方がいい」


僕はこれを読んで、曽野綾子さんという人が、外国人と同じところに住みたくない気持ちがものすごく伝わってきた。それと同時に、これを個人的な感情として主張しているのではなく「そういう気持ちを持つのが当たり前!皆も持つべき!」という主義の持ち主であることもビンビン伝わってきた。


 


コラムの構成として、最後に、黒人と白人のマンションの話までわざわざ例に挙げて「人種差別の撤廃がこういうトラブルを生んだんだぜ!」と持論の正当性を主張するという念の入りよう。


 


あとでインタビューに答えたところ、このマンションの話は「誰かから伝え聞いた話」らしい。


 


昔よく大阪なんかでも広まっていた「在日朝鮮人に鼻に割り箸を刺された話」に似ている。僕らが子供のころ、「在日朝鮮人と喧嘩したら鼻に割り箸を刺されて死ぬから怖い」という話が実しやかにされていた。この話が実話かどうかは未だによくわかってない。大阪以外でも語られていたのだろうか。でもこれは決まって「友達の友達の話」としてよく展開されていた。完璧に都市伝説である。


 


「あいつら怒らせると鼻に割り箸を入れられるから。」


「へぇ朝鮮人はやっぱり怖いし残酷やねんなあ。近寄ったらあかんね。」


 


曽野綾子の書いたマンションの話は基本的にはこれと同じノリを感じる。


 


そして忘れてはいけないのが前半の介護の話。


 


僕がこれを読んで思ったのは、この人は外国人労働者をめちゃめちゃ見下しているやないかということ。


 


「出稼ぎにくるのだから法的に多少厳しくされるのは当たり前!」


「それを飲めないのなら来なくて良いよ!」


 


こういう偉ぶった態度にしか受け取れない。円も下がってきて、経済も破綻してきて、労働力も不足してるから来てくださいって話なのに、この自信の根拠はどこにあるのか。日本郵政社外取締役という圧倒的自信か。


 


ふと平均年収2500万という長野のレタス村の話が頭をよぎったりする。


 


もうひとつ伝わてきたのは、介護に呼ぶ外国人労働者だけではなく、「今現在、介護に従事している労働者を、圧倒的に見下している」ということだ。


 


特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。


 


 


まるで介護従事者が、日本人ということと資格のバリアで守られて既得権益に預かっているみたいな言い草である。そのせいで介護が立ち行かないみたいな言い草である。


 


介護従事者はものすごい待遇が悪いということで度々話題になっているのに。そんな国にだれがしたのか。


 


バリアで守られているものがいるとしたら介護事業者だけである。そして外国人労働者を介護従事者として雇入れて得をするのは、バリアで守られた介護事業者ではないか。


 


どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
しかし、優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。 


 

介護をなめとんのか!と言いたい。

 


「おばあちゃん、これ食べれるか?」しか言えない専門知識もない外国人の娘さんが介護するのは、貧乏人の家庭のおばあちゃんだけである。それが曽野綾子の理想とする近未来SF社会なのだろう。


 


きっと自分がヨイヨイになった時は、医学専門知識も万全で、日本語も喋りまくれる人に介護してもらいたいと考えているはずだ。


 



貧困ビジネス化する日本の介護 - あたまがいっぱい


 


介護といえばもてらじ村民のハヤカワ氏である。ハヤカワ氏に曽野綾子を叱ってもらいたい。


 


しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。


 


非人道的なことを主張しておいて「非人道的なことではないのである」と展開する。これは誠に便利というか、あまりにも最強すぎる論理展開であるとしか言い様がない。これが将棋か何かだと「参りました!」と投了を宣言してしまいたくなる。そしてそんな人とは二度とゲームなんかしたくないと思わせる破壊力がある。


 


アパルトヘイトを主張しておいて「アパルトヘイトではないのである」とか。


 


区別という言い方で差別しておいて「差別ではないのである」とか。


 


安倍政権教育再生実行会議の委員をしておいて「安倍首相個人へアドバイスしたことないのでアドバイザーではないのである」とか。


 


南アフリカアパルトヘイトはどう思うかと訊かれて「アパルトヘイトとか知らない。見たこと無い。本気でわからない」とか。


 



荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし - さかなの目


 


 


「こんなこと書いてどういうつもりだ!!」


「だってそんなこと書いたつもりは無いもん。。。」


 


モノスゴイ平行線。


 


その平行線ぶりときたら、大阪から広島まで行こうとしているときに、東京から宮城県あたりまで行こうとしている人に「道中で会えたら会おうな!」って言われるくらいの絶望感はある。少なくとも。


 


そしてトドメの一文。


 


 不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。


 


唐突に不法滞在!?何の話をしているのか本気でわからない。


 


日本人と差別されて厳重な管理下に置かれるのだけが合法の滞在だと言いたいのかこの人は……?


 


世界にどんな風にとられても「そう取られるなら仕方ないけど違う」で押し通すとか、強烈な自分世界がある人なのだろうけど、作家としては自分の世界は強固にある人の方が向いているのだろうけど、そういう方が、客観性や公平性が求められるはずの社会や政府の要職に就いているっていう実態はどうなのか。それが日本におけるスタンダードなのか。


 


「世界とか、お前とか、どう言われても知らない。偏った人が要職に就いているという意識はない」


 


偉い人にそう言われてしまいそう。それがニッポン。


 


なんか曽野綾子さん個人にどうこうなって欲しいとかは無いけど、あまりにも興味深かったので追いかけてしまった。人間というのは恐ろしいものだ。ついうっかり気を抜くと自分の世界に入り込んで出てこれなくなる。回りをイエスマンで固めてしまう人がよく陥る迷宮。歳をとって脳が硬くなることでも迷い込む。しかし元からそうだった人もおる。社会がそれを強要することもある。


 


従軍慰安婦とは認識してない」


 


今回の事件とは直接に関係はしないけど、なんか唐突にこういうフレーズが頭に浮かんでしまった!!!


 


やっぱり、日本て、世界基準でいうと、コミュニケーションに障害のあるような……。


 



対話もせずに戦争しか頭にない日本政府に誰が納得できるのか? - 温玉ブログ


 


これなんか「宣戦布告なんかしてない」だしなあ。


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もう、総理も米政府からの出向でいいんじゃね?

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」から転載。
サッカーの話が、面白い日本人論になっている。日本人の「羊的習性」をうまく動かすには、羊を統率者にしても無理で、シープドッグか羊飼いの「人間」が必要だ、ということである。(笑)日産のカルロス・ゴーンはその成功例、ソニーの何とか(名前失念)は失敗例か。要するに、相手が外人では仕方がない、と卑屈かつ長いものには巻かれろ主義の日本人は考えるということだ。
そのうち日本の総理大臣は外国人にしよう、となるのではないか。あ、「本物の外国人」、つまり白人のことね。日本人が自分より上だと無条件に思うのは白人だけだしwww
つまり、マッカーサーのようなのが米国から来れば、話はとても簡単で、日本がまだ占領下である事実が可視化される、ということである。


(以下引用)

日本代表監督に譲れない条件

>>バックナンバー


2015年2月13日(金)


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 サッカーの日本代表監督だったハビエル・アギーレさんが解任されて以来、サッカーの世界では、後任監督をめぐる話題が行ったり来たりしている。


 この件(代表監督の選任)についての私の意見は、5年前(←南アフリカW杯の直前のタイミング)の当欄で既に書いている


 つまり
「代表監督は、外国人でさえあればある程度誰でも良い」
 ということだ。


 この見解は、いま現在でも基本的には変わっていない。
 理由は、リンク先を読みに行ってもらえばおわかりになっていただけると思う。が、なにぶん古い原稿でもあるので、補足も含めて、あらためて概要を以下に書き起こしておく。

  1.  日本人のサッカー選手(ならびに日本人全般)について毎度のように言われる「没個性」「事なかれ主義」「リスク回避傾向」「横並び志向」といったアンチサッカー的な諸傾向は、実は、われら日本人の「国民性」の問題というよりは、わたくしども日本人が集団として振る舞う時の「マナー」の問題であると考えた方が理解しやすい。
  2.  事実、個々の選手(あるいは個人としての日本人)を個別に観察してみると、十分に個性的で、それぞれにトンがっていたり素っ頓狂だったりする。一人ひとりを見れば、決して海外のサッカー選手と比べて見劣りするものではない。ただ、その個性的であるはずの選手たちがひとつのチームとして動く段になると、やはり、お互いの顔色をうかがい、突出することを避けるようになる点は否定しがたい。
  3.  この傾向(集団内からの逸脱を回避しがちな傾向)は、小学校に入学するや最初の鉄則として、「教室内でのマナー」(具体的には「起立・礼・着席」)と、「校庭での整列の仕方」(「気をつけ」「前へならえ」)を叩き込まれる教育のあり方に起因するものでもあれば、わが国の社会全体に蔓延する「ヒトサマに迷惑をかけてはいけない」「場の雰囲気をかき乱してはならない」といった同調圧力がもたらしているものでもある。ゆえに、一朝一夕には解毒できない。
  4.  そこで、集団が自縄自縛の相互監視統一行動に陥ることからの抜け穴として、「外国人のボスを招聘する」(外圧を利用する)というソリューションがある。
  5.  古来、われわれは、明治時代のお雇い外国人(シーボルトとかコンドルとか)をはじめ、外国からやってきた異文化の伝導者の力を借りてブレイクスルーを果たしてきた。実際に、外資系企業に勤務する日本人社員や、海外で暮らす日本人留学生を見ても明らかな通り、われわれは、ボスが外国人だったり、住んでいる場所が異国だったりすると、おどろくほどすんなりと「外国人のマナー」に追随することができる人々でもある。
  6.  であるからして、外国人監督に率いられた日本人選手は、リスクを取ることを恐れなくなり、チャレンジングなパスや、自己責任のドリブル突破に果敢に挑む傾向を高める。
  7.  この際、監督自身の有能さや手腕の問題とは別に、監督が「外国人であること」がとりわけ重要になる。というのも、相手が外国人であれば、われわれは、その意図を先回りして忖度することをしなくなるし、悪い意味での日本人らしい従順さから解放されるからだ。

(以下略)

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飼い猫の死とフクシマ

「山崎淑子の「生き抜く!」ジャーナル」というサイトから転載。
これを転載したのは、私にはある疑惑があるからだ。
実は、うちの飼い猫が先日死んだのだが、死ぬ少し前に動物病院で見てもらったところ、診断は「腎不全、肝不全、白血病、猫エイズ」となっていたのである。
下の記事に出てくる放射能による病状とほとんど一致しているわけだ。
この「猫エイズ」を「チェルノブイリエイズ」(おそらく放射能内部被曝に由来する免疫不全症候群だろう。)と読み替えれば、これはフクシマや関東地域発の食材がペットフードに使われ、猫のような小動物は人間より早く放射能被害を受けて病死していっているのではないか、というのが私の疑惑なのである。
この猫はまったくの家猫で、家の外には出したこともほとんど無かったので、ペットフード以外には彼(雄猫であった)があのような状態になる原因は考えにくい。
たかが飼い猫の死だ、と思う人も多いだろうが、仮にフクシマや関東発の食材が様々な形で全国に配送され、販売されているならば、他地域の人々もとっくの昔に内部被曝している、ということだ。人間は体が大きいからその影響が犬や猫よりも遅いというだけのことである。
まあ、これは私の妄想かもしれないが、ペットフードの原料にはどうせ最安値の食材を使っているだろうから、放射能で病死した牛や豚の肉など、使われていて不思議はない、と私は思っている。


(以下引用)

【静かな死-癌だけではない、あらゆる病気で人々は死んでいく】『チェルノブイリ・エイズ』腎臓不全、肝不全。2~4歳の子供達が、20歳,25歳,30歳の若者が、急性心不全で死んで行く。なぜ日本の責任者が女性や子供の移住を実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。2011/3/19チェルノブイリ救援活動を行っているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさん


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◆ Das leise Sterben 静かな死


CANARD PLUS


Entelchen Quakelmann


 


 


@Entelchen Deutschland さんのサイト


VENDREDI 21 OCTOBRE 2011 (10/21)


http://vogelgarten.blogspot.com/2011/10/das-leise-sterben.html


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【引用開始】


これは3月、福島原発が爆発した直後にドイツのニュース専門チャンネルn-tv オンライン版に掲載された記事です。・・・略・・・福島から遠く離れた横浜でもストロンチウムの検出された今、翻訳してみることにしました。


ここでインタビューに答えているドイツの女医ドルテ・ズィーデントプフさんは同じ時期、ドイツ第一テレビARD局の『遺伝子の中で荒れ狂うチェルノブイリ』 にも登場されていました。


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ソース:Das leise Sterben


n-tv
SPEZIAL


Samstag, 19. März 2011


Das leise SterbenHorrorszenario wartet aufJapan


http://www.n-tv.de/Spezial/Horrorszenario-wartet-auf-Japan-article2887296.html


 


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Slow death


Fukushima Diary


Posted by Mochizuki on November 6th, 2011 ·


http://fukushima-diary.com/2011/11/slow-death/


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ドルテ・ズィーデントプフさんは20年来チェルノブイリ近郊の汚染地域を訪れ、現地とドイツとで、放射能の被害者達の救援活動を行っています。ズィーデントプフさんは核戦争防止国際医師会議 IPPNWのメンバーでもあります。n-tvとのインタビューでは

白ロシアの村の人々の悲しみに満ちた生活とその静かな死について

そして原発事故の起こった福島を待ち受けている将来について語ってくださいました。

n-tv:20年間チェルノブイリの放射能犠牲者をご覧になっていらっしゃる経験から、日本人を待ち受けている将来についてどのようにお考えになりますか?

急性放射線障害に脅かされている原発作業員達の運命については誰しも想像がつくでしょうけれども、

低線量被曝に晒される何千人、何万人もの人間にも着目しなければなりません。

事故のおぞましい映像や、遅かれ早かれ死に見舞われ、あるいは病に倒れるだろう作業員達の運命にも関わらず、私達はあまりにあっさりと、低量被曝を受けた人々の間に長い年月に渡って広がっていくことになる病気を忘れてしまいます。

n-tv:福島原発周辺地域の放射能汚染に関する具体的な報告はありますか?

残念ながら信頼できる情報はほとんどありません。セシウムが環境に放出されたとらしいというのが私が最近耳にした情報です。そこでセシウムを例にとって説明しましょう。セシウムは生物学的にカリウムと似ており、人間の体は良性のカリウムとセシウムとを区別出来ません。

セシウムは呼吸と食物を通して人体に侵入します。

セシウムの身体への侵入を防ぐことは出来ません。人間の体に入ったセシウムは独立して細胞に取り付き、細胞のエネルギー源を破壊します。肝臓であろうと膵臓または脳細胞であろうと問題ではありません。セシウムに取り付かれた細胞は、隣接する細胞を同様の状態にした後、死亡します。こうやって不気味な悪循環が始まるのです。生命は細胞から誕生しますが、この場合、細胞は死の出発点となるのです。

n-tv:細胞に取り付いたセシウムの潜伏期間はどれくらいですか?

それはセシウムを取り込んだ人の年齢によります。子供は細胞分裂を絶え間なく行っていますから、より大きな危険にさらされています。成長期にある子供は常にエネルギーを必要とし、常に傷ついた細胞と共存していかなければならないのです。すでに臓器の成長が終わり、細胞分裂の総数が少ない成人は、即座には脅かされません。そう言う訳で、

子供の方がずっと早い時期に悪性の疾患に見舞われます

チェルノブイリの経験から早ければ一年後から四年後とわかっています。成人の潜伏期間は20年から25年です。

n-tv:つまりチェルノブイリ事故から25年を経た今、当時いわゆる低線量被曝を受けた人間が発病しているということなのですか?

その通りです。当時の大人は25年間生き延び、今病気になっています。


私達はそれを”静かな死”と呼んでいます。

当時の子供達はもうとっくに発病しています。そして多くが死んでしまいました。

n-tv:人間の生殖活動にはどのような影響があるのでしょうか?

セシウムは遺伝細胞にも存在します。厄介なのはセシウムが女性の卵巣や卵細胞にも取り付くことです。これらは再生しない細胞なので、生涯傷つくことになります。


男性の精子は再生しますが、生殖活動の中で、傷ついた情報が伝達されていきます。そうなるとまったく子供が生まれなくなるか、または生まれても、父親と母親から傷ついた情報を受け継いでいるのです。その結果はとても想像できません。

日本の責任者達はとっくに女性や子供を南に移住させていなければなりません。何故彼らがそれを実行しないのか、私には皆目理解が出来ません。

将来大量の白血病が出現するでしょう。今回のセシウム雲は日本人にとって大変な惨劇です。しかもその他の放射性核種についてはまだ何もわかっていないのです。


n-tv:
ヨウ素とストロンチウムも話題に上っています。 

ヨウ素というのは放射性ヨウ素のことで、子供の甲状腺に様々な影響を与えます。子供達は成長途上にありますから、甲状腺は大人よりも多くの放射性ヨウ素を取り込んでしまいます。チェルノブイリの経験から、子供達の甲状腺癌が飛躍的に増加することが予測されます。残念ながら日本の方々は覚悟をしていなければなりません。

 n-tv:ストロンチウムは?

ストロンチウムもセシウムに似て、厄介極まりない核種です。人間の体はストロンチウムも区別することが出来ず、

食物に含まれていれば吸収してしまいます。ストロンチウムは骨と歯に取り付いて放射を続け、

血液(つまり赤血球や白血球、血小板と言った基本細胞)を製造する器官のある骨髄を攻撃

します。これらの血液細胞はストロンチウムによって傷つけられます。それも生涯に渡ってです。というのは

ストロンチウムは一度取り付いた場所を離れることは決してなく、そこで短いベータ線を放射し続ける

からです。

n-tv:事故を起こした原子炉の周辺地域がどれくらいの時間で再び清浄になったと言うことが出来るデータは存在しますか?

半減期というのは放射線の半分が消滅する期間を指すだけです。生物環境から放射性核種が完全に消滅する時期を想像するには、それぞれの半減期に10を掛けなければなりません。ストロンチウムとセシウムの場合はだいたい400年ということになります。つまり想像しうるあらゆる生物環境いたるところに低量の放射線が存在すると言うことです。もちろん地下水にも。

n-tv:汚染地域で生きること言うことを、どのように想像したらいいのでしょうか? 

生きるですって? 何よりも人々は死んで行くのです。

静かに死んでいきます。

主に癌が原因ですが、あらゆる病気で人々は死んでいきます。


ストロンチウムも大きく起因しています。例えばエネルギー交換が不可能となって心筋がやられます。ベラルーシーで行った診察は、

子供達が2歳、3歳、4歳にして急性心不全で死んで行くことを証明しています。

癌だけではないのです。

腎臓不全、肝不全や多くは血液製造障害が原因で人々は死んでいきます。これらは「チェルノブイリ・エイズ」という名称で知られ、生き延びられるチャンスはほとんどありません。

n-tv:事故との共存が社会的に受け入れられることが最終的にあるのでしょうか?

外見上はあります。私はかれこれ20年に渡って定期的にチェルノブイリの周辺地域を訪れていますが、今でも現地の人々は事故のこと、自分達の将来のことについて語るのを嫌います。彼らは身を小さくして、死と共に生きています。死人を出さない家族はありません。若い人々、うんと若い人々が本来は老人にしかありえない病に侵されています。チェルノブイリでは、家を出た途端倒れて死ぬ若者がいます。


急性の心不全です。20歳,25歳,30歳での心不全は決して珍しくありません。

n-tv: プルトニウムについてまだ話をしていません。もしも大爆発が起こったら環境に放出される可能性がありますね。

万一原子炉のひとつでも本当に爆発することになったら、私には想像したくもない惨事になるでしょう。プルトニウムはこの世で一番恐ろしい毒物です。福島の原子炉の燃料の半分はプルトニウムを含んでいるという話です。

ほんの少量でもプルトニウムが体内に侵入すると肺癌に発展します。

これに対して人間の体はまったく無防備です。そしてこれは不治です。何十万という人々が命を落とすことになるかもしれません。


(Peter Poprawa によるインタビュー)


【引用終了】


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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