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3行で分かるTPPの邪悪さ

「銀河英雄伝説」再アニメ化の記事を某掲示板で見ていたら、藪から棒に次のコメントが出てきて、それがTPPの問題点を超簡潔にまとめているので転載しておく。ただし、


★ISD条項(儲けを追求する多国籍企業が日本政府を相手取れる)


は「相手取れる」ではなく、「相手取って訴訟できる」がベター。


(以下引用)


58 名前:TPPにおける労働移動の自由は移民政策に相当 投稿日:2015年08月13日 23:18▽このコメントに返信




【TPPで奪われる日本の主権】

★ISD条項(儲けを追求する多国籍企業が日本政府を相手取れる)

★国際投資紛争解決センター(アメリカに常設、 NAFTAでも明らかなアメリカ企業の高勝率)

★ラチェット条項(医療や食品、雇用等の日本国民の安心や安全を守る規制が撤廃されても、元に戻せなくなる)

※詳しくは関連問題を扱ったブログや書籍などで

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仮城としての自衛隊

宇佐美保氏のブログより転載。
「仮城」という概念が気に入ったので転載した。
この場合の「城」は日本式の城ではなく、中国式の城、つまり町全体を城壁で囲んだ、いわば城塞都市を言うものだろう。周りが敵である、という状況の下で、民を守るために作られたのが「城塞都市」であり、町を囲む「城壁」である。
まさに自衛隊は城壁のようなものだ。城壁の役目は「防衛」にある。専守防衛をモットーとする自衛隊にふさわしいたとえだろう。
それがハウルの動く城みたいにノコノコ動いて、他国を攻撃しに行くのでは「自衛隊」の名前に背こうというものだ。他国攻撃をする組織を軍隊という。であるから、宇佐美氏が言うように、自衛隊は軍隊ではなく仮城なのである。
なぜ「仮」の名を付けるかと言えば、遠い未来にはすべての国で軍隊が無くなり、それとともに戦争もなくなるだろうからである。すなわち周り中が敵である、という状態ではなくなるから城壁の必要性もなくなる。それまでの仮の城なのである。
その時には自衛隊は、人を殺すための組織、つまり軍隊ではなく、これまでの自衛隊が主な任務としてきた「災害救助」専門隊となり、真に国民を救うためにのみ存在する組織になるだろう。いや、今でも自衛隊の実情はそうなのだが(そしてそこにのみ「世界で唯一、人を殺さない軍隊」である自衛隊の価値があるのだが)、その「非攻」(墨子)の精神を捻じ曲げて「攻撃用軍隊化」する、つまり「殺人組織」に変えようというのが「戦争法案」であり、「集団的自衛権」なのである。


(以下引用)




自衛隊は軍隊でなく仮城です

201546


宇佐美 保


 


 東京新聞(2015325日)に於いて次の記述を見ます。


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015032501001026.html


 


 



  菅義偉官房長官は25日の記者会見で、安倍晋三首相が自衛隊を「わが軍」と国会答弁したことに野党が批判を強めていることに関し、問題ないとの認識を示した。「自衛隊が軍隊であるかどうかは、定義いかんによるものだ。(答弁が)誤りとの見解は全く当たらない」と述べた。

 


 同時に「自衛隊は憲法上の制約が課されており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるが、自国防衛を主な任務とする組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊だ」と説明。首相の答弁は外国軍隊との共同訓練について言及したもので、一連の答弁で「自衛隊とも言っている」と強調した。


 


 相変わらず、詭弁を弄しての口先人間ぶりに呆れてしまします。


東京新聞は、「安倍晋三首相が自衛隊を「米軍」と国会答弁した」と書くべきだったのでないでしょうか?


 


 又、ジャーナリストの今井一氏は、「Hajime Imai〈今井 一〉 @WarszawaExpress」に於いて次のようにツイートされております。


 



 9条の会など護憲派は「自衛隊は違憲、自衛戦争も放棄」と明言してから抗議しないと説得力がないよ。


 


こちらは、四角四面に文章に拘られております。


 


 しかし、私は、拙文《奇跡と仮城の平和憲法》に於いて、「自衛隊」に関して、次のように記述しました。


 


 


 

「法華経」の中には「仮城」なる優れた喩えがあるではありませんか!?


 


 仮城(日本国語大辞典:小学館)


法華経に説く七喩の一つ


 


大乗の究極の悟りを宝所にたとえて、そこに達する途中の遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を仮作して人々を休ませ、疲労の去った後、更に目的の宝所に導いたというたとえ。


大乗の涅槃に達する前段階としての小乗の方便の涅槃をいう。


 


 


 私達の「目的の宝所」は、武器軍隊の放棄です。


 


でも、私達には、今すぐその目的までには一気に行き着けなくてモガイテいます。


 


この様な私達にとっては、「自衛隊」と云うのが、この「仮城」の一つではありませんか?!

 


 


(この「仮城」の件については拙文《自衛隊と軍隊 どっちが分かり易い?》をも御参照下さい。)


 


 『テロとの戦い』と大声を張り上げるとんでもない人がいますが、『テロとの戦い』に於いて、軍隊、武器が無益であることは、既に明らかです。


『テロとの戦い』を聲高に唱える人達は、戦いが続けば続くほど「武器が売れて商売繁盛」となる方々でしょう。


日本までも、その仲間入りをしようとするには驚きです。


 


 そこで、≪平和憲法は奇跡の憲法≫には、次のように記述しました。


 


 


  私は、常々、日本はこの「常不軽菩薩」たるべきだと思っています。

 


そして、日本(常不軽菩薩)は、世界各国に向けて“「菩薩の道(即ち、「平和憲法」:戦争放棄)」を行ずることによって「仏(即ち、平和)」になりますよ。”と説いて廻るべきだと思っています。


 


 そうすれば当然のこととして、世界各国はそれを聞いて、嘲笑したり、悪口を言ったり、ののしったり、あてこすりを言ったりしますが、日本(常不軽菩薩)はじっとそれを堪え忍ばなくてはならないのです。


 


そして、いつの日か、皆(世界各国)この菩薩(日本)の教化(即ち、戦争放棄)によって、正しい教えに入ることを成し遂げ、仏(平和)へとつながる道を歩むことができるようになりました。


 


となるべきだと思っているのです。


 


そして、その宿命を日本が負わされているのだと思っているのです。



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過去の自分を捨てることの困難さ


「ニューズウィーク」日本版ウェブから転載。
時間が無いので記事紹介のみ。
一言だけ言えば、「時代思潮は変わるが、個人の頭の内容(信条、狂信)はなかなか変わらない」ということだ。
要するに、自己否定ほど難しいものはない。なぜなら、自己保全は生物的本能だからである。




(以下引用)




アメリカ社会

原爆投下に対するアメリカ人の見方に変化が

ネットアンケートで30歳未満の約半数が原爆投下を「間違っていた」と回答

2015年8月6日(木)16時20分

ニューズウィーク日本版ウェブ編集部






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戦後70年の変化 これまでアメリカの世論は原爆投下を支持する意見が大半だった(写真は広島平和記念資料館の展示資料) Toru Hanai-REUTERS



 広島と長崎に原爆が投下されてから70年――。

 これまでアメリカでは、原爆投下は戦争を早く終わらせるために必要な「正しい」判断だったという見方が世論の大勢を占めていた。しかし70年の時を経て、その意識に変化が起こり始めている。

 インターネットマーケティングリサーチ会社の「YouGov(ユーガブ)」が先月発表したアメリカ人の意識調査によると、広島と長崎に原爆を投下した判断を「正しかった」と回答した人は全体の45%で、「間違っていた」と回答した人の29%を依然として上回っていた。

 しかし調査結果を年齢別に見ると、18~29歳の若年層では、45%が「間違っていた」と回答し、「正しかった」と回答した41%を上回った。また30~44歳の中年層でも、36%が「間違っていた」と回答し、「正しかった」と回答した33%をわずかに上回った。

 それよりも上の年齢層では、やはり原爆投下を「正しかった」と考える人が多数を占め、45~65歳では約55%、65歳以上では65%が「正しかった」と回答した。

 今回の調査では、特に29歳以下の若年層で原爆投下に関する意識が大きく変化していることがわかった。これまでアメリカでは、原爆投下を肯定する意見が世論の大半を占め、世論調査機関ギャラップが戦後50年に実施した調査では59%が、戦後60年の調査では57%が原爆投下を支持していた。

 一方同じ調査で、アメリカ人全体の62%が「核兵器の発明」そのものを「悪い事」だった、と回答している。日米の戦争の記憶が薄れる中、アメリカの若い世代では、核兵器が絶対悪だという忌避感が強まり、さらに原爆投下を「間違っていた」と考える方向へ徐々に変化していることがうかがえる。





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政治のレベルは民度のレベル

汚職とか背任という言葉は、日本ではもはや死語になったのかな? というのは汚職や背任がお役所の「普通の仕事」になったから、というわけ。www
まあ、こういう市長を選んだ武雄市民が一番悪い、ということで、民衆はその民度相応の政治しか得られないのである。



(以下「ネットゲリラ」から引用)


武雄市図書館はツタヤのゴミ箱か?

| コメント(12)

佐賀県で図書館をTSUTAYAに任せたら、図書館にあっためぼしい本はみんなTSUTAYAに叩き売られ、その代わりに入って来たのが、何故か20年前のコンピュータ本とか、15年前のエクセル本とか、埼玉のラーメンガイドとか、浦和レッズ関連の本多数とかw ブックオフでも買い取り拒否しようかっていう、TSUTAYAの不良在庫を高値で仕入れさせられて、まぁ、お目出度い事だw これで、TSUTAYAを連れて来た市長はTSUTAYAの子会社社長として天下りという、これで犯罪にならず、市長も捕まらないという、美しい国・日本ですw

武雄市図書館にTSUTAYAの在庫が押しつけられる
図書館はゴミ捨て場ではありません。


[武雄市教育委員会] H27-07-13 武市教生第66号 初期蔵書入れ替え費で購入された資料一覧_01
drive.google.com/file/d/0B3OZKz...
#たけお問題 #takeolibrary #武雄市図書館 #公設ツタヤ問題

...これですけど、どうしてこんな酷いことになっているかと言うと、新古書店の在庫をそのまま持ってきたからじゃないかと思うんです。
CCC担当者も「新古書店から蔵書を仕入れる」と講演で発表していましたし。しかし、図書館の蔵書としてこれではひどいと思うのです。 #公設ツタヤ問題

@ksuoy 『初めてのPerl』は1995年の初版!
http://p.twipple.jp/BMAtu
KS @ksuoy
@ksuoy 『仕事に使えるExcelの便利ワザがマスターできる本』は「Excel2003/2002/2000対応」です。2012年4月オープンで敢えてこれ?
http://p.twipple.jp/b7Xrn

武雄市図書館の購入書籍一覧がすごすぎて噴いた。成功しようor幸せになろうor健康になろう等の非専門的な一般啓蒙書と旅行や飲食店のガイドブックなどが大多数。
よくこんなばかり「選書」したな twitter.com/keikuma/status... #たけお問題 #公設ツタヤ問題 #CCC

武雄市図書館がなぜか浦和レッズ関連書籍を大量購入したのは、埼玉で買い取りした本をコンテナごと購入したのだとと思う。埼玉のラーメン屋ガイドも大量にあるので。 #公設ツタヤ問題
まやこ @mayakoMAX 2015-08-08 00:18:18
武雄市図書館が2013年に初期蔵書入れ替え費で購入したとされる資料一覧の中身確認。
『公認会計士第2次試験 2001』(2001年2月発売)をおととし買ったの??(゜゜) pic.twitter.com/Q1QtI4W8eb

やすけりゃいい、質は問わず、というのが入札制度なので、結果としてこうなる。TSUTAYAとゆうせんについては、色々とアレな噂もあるんで以前調べたんだが、シッポつかむには至らずw まぁ、でも、怪しいモノは怪しいとしか言いようがないですねぇw

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原爆投下の目的

(「徽宗皇帝のブログ」に載せようとした記事だが、なぜか掲載できないので、こちらで掲載できるかどうか試してみる。あちらの方にも載っていたら重複になるが、まあ、どうせ一日に複数の記事を書くことも多いのだから、そのうちの一つくらい無視してくれればいいだけのことだ。)


「大摩邇」から転載。
私は、そのうち「戦争・革命・テロ」という題名の小論文、あるいはエッセイを書こうかと思っているが、戦争も革命もテロの中に包摂される、というのが私の考えだ。(ただし、「無血(非暴力)革命」というものも稀に存在するが。)そして、テロとは、「政治的目的を達成するために使用される暴力」というのが私の定義である。ただし、暴力とは何か、という定義も必要かもしれない。それについて「力・権力・暴力」というエッセイでも書こうかな、と思っている。
昨日は広島と長崎への核攻撃を正当化するウォールストリートジャーナル紙の記事に対し、私はカッとなって感情的な文章を書いたが、もともと戦争自体が、「政治的目的を達成するための暴力の使用」である以上、どこで歯止めをかけようが被害者は必然的に出る。その度合いが、核攻撃では度外れに大きいというだけで、元来、戦争そのものが「絶対に起こってはならない」ものなのである。そのためには最終的には「絶対非暴力」つまり、軍隊の存在しない世界を作るしかないかもしれないと私は今のところ考えている。そんなのは空想だ、と言う人がいるかもしれないが、EUだって空想だったのである。EUによって少なくとも欧州内部の戦争は(内乱を鎮圧するためという名目の軍事攻撃以外は)無くなった。その代わり、経済的不平等が加速したが、それは別の話だ。そしてEU内の軍事産業はEU以外に対する戦争(対ロシアの軍備や「テロとの戦争」への軍事品供給)に活路を見出したのである。つまり、軍隊が存在する限り、戦争は「作り出される」ということである。
さて、広島・長崎は人類最大の非人間的行為であったと私は考えている。それが「戦争終結のために必要な行為であった」という米国で作られた「米国の常識」がナンセンスなものであることは、少し考えれば誰でも分かると思うが、「信じたいものを信じる」のが人間である以上、米国人はこの「米国の常識」への反論を絶対に受け付けないだろう。しかし、米国内部でも、この「常識」に異論を出す人が出てきている、というのは朗報だろう。もっとも、この種の異論は原爆投下時からあったはずであり、定期的に噴出してはすぐに立ち消えてしまうものだろう。私は、「原爆投下への謝罪」無しに、日米同盟は不可能だ、と考える者である。

補足記事として、私自身の昔の文章の一部を転載しておく。これは、原爆投下が「戦争終結」のためではなく、その後の冷戦の布石であった、つまり冷酷な政治的意図の下の大量殺人であったということは、日本人なら誰でも(私のような中学生頭脳の人間でも)直感的に理解できる、ということである。


(以下引用)



09:55

広島原爆投下に関するアメリカの残酷な論理は70年続いている

マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/70-d618.html
<転載開始>

Finian Cunningham


2015年8月4日
"SCF"


日本の迅速な降伏をもたらし、太平洋戦争を終わらせる為、原子爆弾の広島と長崎への投下についての、もっともらしい軍事的必要性を、たとえ受け入れたにせよ、無警告空爆を受けた二都市における一般市民死亡者数の恐怖は、「目的の達成は手段を正当化する」とされるものに関する気掛かりな疑問を思いおこさせる。


だが、もし、アメリカのハリー・トルーマン大統領や彼の政権が喧伝した公式の軍事的論拠が、でっちあげであることが分かったらどうだろう? つまり、70年前の1945年8月6日と9日、広島と長崎に原子爆弾を投下した本当の理由が、大日本帝国を打ち破り、アメリカ軍兵士の命を救うこととほとんど関係がなかったら? 本当の理由が、アメリカによる戦後の世界覇権画定をソ連に警告する為の、ワシントンによる、計画的かつ冷酷な、むき出しの軍事力の実演だったとしたらどうだろう?


そうなれば、アメリカ公式説明が我々に信じ込ませようとしてきた結論より、遥かに酷い、極めて恐ろしい結論に到ることになる。なぜなら、それは、200,000人もの日本人一般市民を絶滅させる行為が、ひたすら政治的な狙いの周到に準備された大量虐殺事件であることを意味するからだ。あるいは言い換えれば、アメリカ合州国がおかした言語に絶する国家テロ行為だ。


アメリカによる対日本原子爆弾投下の本当の狙いに関して長年憶測がされてきた。1995年1月、ニューヨーク・タイムズはこう報じた。“実際、歴史学者達の中には、原爆投下は、戦時の敵日本を狙ったものというより、戦時の同盟国ソ連を狙って、戦後の対立関係に対する警告として行われたのだと主張する人々がいる”。


無頓着な曖昧な表現で、ニューヨーク・タイムズは、一体なぜ原子爆弾が投下されたのかについて、自ら一部認めた身の毛もよだつ意味あいを徹底的に追求することはしなかった。もし公式のアメリカの計算が、実際、ソ連に対する“戦後の対立関係に対する警告”だったならば、行為は、速やかに戦争を終わらせるという道徳的要請とは無関係な、弁解の余地のない政治的決断となる。それは上述の通り、究極のテロ行為だったことになる。



ガー・アルペロビッツ教授は、トルーマン政権は、実際 ソ連に対する政治的兵器として、原子爆弾を使用する決断をしたのだという説得力のある主張を、何十年間もかけて、まとめ上げたアメリカ人歴史学者の一人だ。


‘原子爆弾使用の決定’の筆者は、こう書いている。“大半のアメリカ国民は、事実を知らずにいるが、益々多くの歴史学者が、今や、アメリカ合州国は、1945年に日本に対する戦争を終わらせる為に、原子爆弾を使用する必要はなかったことを認識している。しかも、この根本的判断を、陸軍、海軍と、陸軍航空隊、三軍すべてのアメリカ軍部幹部指導者達の圧倒的多数が、戦争が終わった後、長年表明してきた”。


当時のアメリカ陸軍大臣ヘンリー・L・スティムソンや、ドワイト・アイゼンハワー将軍や、統合参謀本部のウィリアム・D・リーヒ提督等の軍指導者達は、日本に対する原子爆弾の使用に、はっきりと反対していたことをアルペロビッツはあげている。アイゼンハワーは、それは”全く不必要”だと述べる一方、リーヒこう言っていた。“広島と長崎におけるこの残酷な兵器の使用は、日本に対する我々の戦争において何の物質的支援にもならなかった。日本は既に敗北し、降伏しようとしている”。


これは、極めて重要なポツダム会談(1945年7月17日-8月2日)から、日本への原子爆弾投下までの三週間における、秘密の政治的意思決定を暗示している。その期間中に、トルーマンと側近達は、秘密裏に、当時は戦争同盟国だったソ連を、これ以降、戦後の、敵にすると決めた様に思われる。冷戦が形成されつつあったのだ。


ポツダム会談前の何カ月もの間、アメリカとイギリスが、ロシア指導者ヨセフ・スターリンに、ナチス・ドイツ打倒後、すぐに太平洋戦争に参戦するよう訴えていたことを銘記しよう。第三帝国が、1945年5月に打ち負かされてから、二カ月後、三大連合国間のポツダム会談で、赤軍を日本に向けて移転させるという、スターリンによる待望の確約を勝ち取った。ソ連は、8月15日に、太平洋戦争に公式に参戦する予定だった。後で分かったことだが、スターリンは予定されていた攻勢より一週間早く8月8日に、赤軍に満州進撃を命じていた。


ポツダム会談中に、ハリー・トルーマンが私信で上機嫌で書いた通り、ソ連のこの約束は“ジャップは、おしまいである”ことを意味していた。


ところが、ポツダム会談開始のわずか一日前、7月16日のニュー・メキシコ州の砂漠における、アメリカ合州国による最初の原子爆弾実験成功は、引き返し限界点だった。このすさまじい新兵器で、ソ連の太平洋戦域への参戦無しに、原子爆弾投下によって、対日戦争を終わらせられることを、アメリカの立案者達は速やかに理解したに違いない。


しかし、アメリカの主要目的は、太平洋戦争それ自体を終わらせることではなかった。アメリカとイギリス軍幹部と諜報部隊は、ロシアが対日戦争に参戦するだけで、日本の降伏を促進するだろうと確信していた。しかも、アメリカの日本本土上陸は、1945年11月まで実施しない予定だった。


当時、アジア-太平洋におけるソ連のいかなる前進を制限することが、この政権の懸念だったので、トルーマン政権が日本に対する新たな核兵器使用を急いでいたことは明らかに思える。赤軍は満州と朝鮮半島のみならず、日本本土をも占領しようとしていた。


軍事的価値の無い、二つの大都市、広島と長崎は、かくして、完膚無きまで打ちのめされていた日本に対してではなく、ソ連に対する、最もうっとりとするようなテロ行為を実演する現場として選ばれたのだ。日本への原爆投下は、それゆえ、アメリカの公式説明が主張するように、太平洋戦争の最後の行為ではなく、むしろ、発生期冷戦における、ソ連に対する、アメリカによる最初の残虐行為だったのだ。


これにより、恐ろしい出来事の、全く違う犯罪的側面を明らかにすることになる。原子爆弾攻撃は、地政学的ライバルとなる恐れがあるモスクワを恫喝するというひたすら戦略的な理由による意図的な大量虐殺行為と見なすことができるためだ。


70年後、アメリカ支配エリートのこの残酷な論理が、いまだに続いていることを、歴史が示している。ほぼ四半世紀前に冷戦が公式に終焉した後も、ワシントンが、核兵器備蓄を捨てる意図は明らかに皆無だ。実際、バラク・オバマ大統領の下で、アメリカ政府は、それぞれが、最初に日本に投下された原子爆弾の何倍も強力な、約5,000発の核弾頭備蓄の性能を高める為に、今後十年間で、3550億ドルを費やす予定だ。


しかも、ワシントンは、つい今月ペンタゴン幹部を通して、ロシアと中国は戦略上最高の敵だと公式に宣言した。


2002年の、弾道弾迎撃ミサイル制限条約からのアメリカの一方的離脱と、続行しているアメリカ・ミサイル・システムのロシア国境と太平洋への拡張と、中国に対する挑発的な言辞は、ワシントンに内在する生来の好戦的意図の証明だ。


70年前の最初で、しかもたった一度の核兵器使用で、広島と長崎でのホロコーストを引き起こしたアメリカの論理は、今日まで続く残虐な論理だ。核兵器は、70年前と同様、いまだにロシアに向けられている。


平和な国際関係は、このアメリカ独自の残酷な論理を完全に暴き出し、根絶することによってしか実現されまい。


Strategic Culture Foundation


記事原文のurl:http://www.strategic-culture.org/news/2015/08/02/america-barbaric-logic-hiroshima-70-years-on.html





(引用2「酔生夢人のブログ」所載「高校生のための『現代世界』4」より)


1943年、イタリアは降伏し、45年5月にドイツも降伏し、日本の降伏も目前になってきた同年8月、アメリカは日本に原爆を投下します。この行為は、今にもノックアウト負け寸前のボクサーの頭をピストルで打ち抜くような残虐な、そして表面的には無意味な行為であり、その真意は、新しく発明された原爆の威力を実験することにありました。原爆の威力はすでに予測されていましたが、それを世界に知らしめるためには、実際の戦争でそれを使ってみせる必要があったのです。それが戦後のアメリカの世界経営にとって必要だという判断によるものでしょう。さすがに、白人の国を相手には原爆を使うことはできなかったので、東洋の猿どもを相手にためしてみようということです。では、なぜ東京ではなく地方都市がその対象として選ばれたか。それは、たとえ敵国でも、そのエスタブリッシュメント(支配層)まで絶滅させた場合、それが歴史的な先例となり、自分たちが別の機会に同じことをされる可能性があるからでしょう。あるいは、政治経済的支配層やその配下を残しておいたほうが、占領後に彼らを自分の手足として使うことができるという計算かもしれません。あるいは、東京のお偉方とアメリカのお偉方の間に秘密の約束があったのかもしれません。どうせなら、東京に原爆を落としてくれていたほうが、日本を悲惨な戦争に追いやった張本人たちが掃除されて、日本はもっと良くなっていたかもしれませんが。


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中曽根元総理「先のアジアとの戦争は侵略戦争」と発言(読売に寄稿)

歴史的価値がある、とまで言えば大げさだが、右翼の目からは驚天動地の発言だろうから、記録をここに残しておく。
さて、大方の目からは右翼の親玉の一人と見られていた中曽根が、これでネット右翼などからどういうバッシングを受けるか、それともこの発言と安倍右翼路線の所業の間にどういう折り合いをつけ、どういうインチキな合理化・正当化を図るか見ものである。
なお、マスコミが安倍批判解禁に向かった(らしい)のは、ナベツネの意向のようだ、とカマヤンのツィートで書かれていたが、読売新聞に中曽根がわざわざこういう寄稿をした、というのを見ると、その可能性はあるのかもしれない。私はナベツネは大嫌いだが、ナベツネも「戦争嫌い」ではあるという話である。もしそうならば、その点では彼を認めたい。


(以下「読売オンライン」から引用)

対アジア「侵略だった」…中曽根元首相が寄稿


 戦後70年にあたり、中曽根康弘元首相(97)は読売新聞に寄稿した。



 アジアとの戦争は「侵略戦争だった」と認め、先の大戦を「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」と総括した。こうした否定的な歴史を直視しなければ、近隣諸国から信頼を得ることはできないと指摘した。


 戦時中は海軍に所属し、1982~87年に首相を務めた中曽根氏は、戦後政治とともに歩んできた宰相経験者として、寄稿の中でこの70年間を振り返った。


 先の大戦を「帝国主義的な資源や国家、民族の在り方をめぐる戦い」と評する一方、アジア諸国の国民に対しては「侵略戦争でもあった」と言及した。特に対中国では、大隈内閣が日本の権益拡大を求めた1915年の「対華21か条要求」以降、侵略的要素が強くなったとし、「中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない」と記した。

2015年08月07日 03時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

中曽根元首相、終戦70年寄稿の詳報


 ◆先の大戦



 まもなく戦後70年を迎える。巡り来る季節の中で、我々は戦没者の御霊みたまに深い鎮魂の祈りをささげ、平和への誓いを新たにする。戦争はその悲劇性とともに人間の尊厳や国家の在り方を教えた。戦後復興と今日の繁栄は、我々がその教訓を心に刻みながら、尊い犠牲に応えようとした日本人の良心と責任が成し得た結果でもある。この70年は、その成果の上に立って国の歩みを検証し、未来を展望する節目でもある。


 第2次世界大戦は、帝国主義的な資源や国家、民族の在り方をめぐる戦いであり、欧米諸国との間の戦争もそのような性格を持ったものであった。


 他方、アジア諸国に対しては侵略戦争でもあった。特に中国に対しては、1915年の「対華21か条要求」以降、侵略性が非常に強くなった。軍部による中国国内への事変の拡大は、中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない。資源獲得のための東南アジア諸国への進出も、現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だった。

2015年08月07日 03時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun






(追記)「カマヤンのツィッター」から転載。


カマヤン1192 @kamayan1192  
  1. ナベツネ一人の意志で今まで日本国皇帝様扱いだった安倍晋三がこれだけ叩かれるようになるのは、日本はどんだけ統制しやすい国なんだと思う

 


 


  1. どの雑誌だったか忘れたが週刊誌記事で読んだんだけど、「安倍叩き」の発信源は、戦争嫌いのナベツネだそうだ。ありそうな話だが、ナベツネも不思議な人間だ。


 

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エアコンの経済的使用法

「ライブドアニュース」から転載。
エアコンは、起動時に大量の電気が流れるという話である。つまり、つけたり消したりは経済的には良くないわけだが、古い型のエアコンだとつけっぱなしもどうなのか、という疑問は残る。最近のエアコンは自動的に「送風・送風停止」をするエコ運転機能があるから、つけっぱなしの方がコストは低くなるのではないか。(送風停止は、電気そのものの停止とは別だろう。)
まあ、エアコンの使用法で少し悩んでいる人もいるだろうから、こんな記事も時にはいいか、というわけである。だが、こういう情報は、家電の説明書に載せておくべきかと思う。私自身は家電の説明書は読まない人間だから、書かれてもどうせ読まないが。(笑)



(以下引用)


「つけたり消したり」or「連続運転」?エアコンの使い方、どっちが正解?


エアコンはこまめにつけたり消したりか、連続運転か。どっちが省エネ?

写真拡大



毎日暑い日が続きますね。今住んでいるところの最高気温をネットの記録から調べてみたところ、

8月1日:35度
8月2日:35度
8月3日:35度

でした。室温だと31度~32度くらいです。頭痛がするので、エアコンはこの際我慢しないことにしました。

冷房はとても快適ですが、吹き出し口からの冷気が直接体にあたると寒く感じることもあります。

冷え過ぎ→エアコン停止→やっぱり暑い→冷房運転→冷え過ぎ

というような繰り返しになりがち。暑くなってエアコンのスイッチを入れると、かなり運転音が大きい=負荷がかかっている様子です。

そこで、寒すぎないように設定温度を27度→28度に上げ、連続運転をしてみました。

8月3日(連続運転)、8月2日(運転―停止の繰り返し)で、大体午前10時過ぎから夜10時ごろまでと、夜中暑い時に短時間運転しています。使用電力量は、

8月2日:19.7kWh
8月3日:16.7kWh

でした。おお! 連続運転のほうが減っています。

ちなみに、どちらも運転―停止をしていた8月1日と8月2日の使用電力量は、

8月1日:21.0kWh
8月2日:19.7kWh

でした。8月はおそらく1年で一番エアコンを使う月なので、しばらく連続運転を試してみます。1日だけではまだよくわかりません。

それにしても、30分ごとの電力使用量がわかるこのシステム(スマートメーター)、なかなか便利です。やはり目に見えると、電気製品の使い方を工夫しようと思うようになります。

1人しか家にいないのにエアコン使えないよーという場合は、図書館などの公共施設や、商業施設、カフェなどに避難する「クールシェア」もいいですね。

夏休みということもあり、近所のスーパーのフードコートも賑わっているようです。健康第一、あまりガマンはしないようにしましょうね。

(小池 富美江)

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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