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安倍演説によりついにTPP実現へ

大半が空疎な美辞麗句と米国へのゴマすりで読むのも辛いが、この中には「TPP受け入れ確約」という重大な発言などもあり、ここで安倍が言ったことはすべて米国への約束となることを考えると、重要な発言記録となるだろう。
日本国内での発言なら「言ってることとやっていることが正反対」でも通用するが、米国議会での発言だとそうはいかないのだから、安倍はTPP受け入れという売国行為を公式に決定してしまったわけである。
つまり、ユダ金、世界企業への日本政府の「経済的主権移譲」である。日本は米国の属国からさらに下がり、奴隷国家、ユダ金の草刈り場となるわけだ。


(以下引用)赤字部分は夢人による強調。



安倍首相米議会演説 全文[NHK]
4月30日 2時16分

安倍総理大臣は日本時間の30日未明、アメリカ議会上下両院の合同会議で、日本の総理大臣として初めて演説しました。演説の全文です。


議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。


私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人、寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だとずいぶん言われました。


私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。


先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星の一つ、ひとつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、私を戦慄が襲いました。金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。


みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。本当に、ありがとうございました。


戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。


こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。経済規模で、世界の4割、貿易額で、世界の3分の1を占める一円に、私たちの子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。


実は、いまだから言えることがあります。20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。


親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心からよかったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父のことばにあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。


私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本はオーストラリア、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は各段に安定します。日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私たちには、その責任があります。日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外務大臣、中谷防衛大臣と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。きのう、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に合意をしたのです。


1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまや私たちに、新しい自己像を与えてくれました。いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。


まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子どもたちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれました。――希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html

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安倍政権内部の「経産省VS外務省」バトル

「あいば達也の『世相を斬る』」に載っていた、山田厚史という人の文章である。
現在の政治状況を、その裏方であり演出者や脚本家である官僚の働きやその内部対立まで含めて実に簡潔明瞭に描いている文章力に感嘆した。こういう文章を書くのはよほど頭が良くないとできないだろう。しかも、書いている内容には、深い政治知識と、事実の冷徹な把握と、歯に衣着せない表現をするという論者としての誠実さがある。
政府内部での「経産省」と「外務省」の拮抗関係について書かれたネット上の文章は多くないと思うが、これは、安倍政権の中国への対応の千鳥足ぶりの根本原因を的確に示したものだと思う。
それにしても、「ダイアモンドオンライン」で「日本は属国だ」とはっきり書いた勇気にも驚く。こういう「ネット常識」が言えない場所というものがあり、「ダイアモンド」などもそうした雑誌だろうと私は思っていた。したがって、「ダイアモンドオンライン」も同様だろうと考えていたのである。これは筆者山田氏の「蛮勇」か、それとも、マスコミ全体の風向きが変わってきたのだろうか。

(念のために言うが、私は「ダイヤモンド」とは言うが、「ダイアモンド」という言い方はしない。「ダイヤ」とは言うが「ダイア」とは言わないからだ。しかし、下の記事では「ダイアモンド」となっているので、そう表記しておいた。もっとも、「ギリシャ」については「ギリシア」とも書く。これはどちらでもいいと思っている。)



(以下引用)


 ≪ 日米首脳会談を前にいら立つ「従米首相」
   国賓並み厚遇に支払った代償は何か

  日米首脳会談とは「属国日本」が「盟主アメリカ」に方針と成果を報告するイベント、と考えると分かりやすい。
 属国の首相が期待するのは「お褒めの言葉」。今回の貢物は「安全保障法制の整備」だった。御盟主のかねてからのご所望である。
 宿題はもう一つあった。「近隣を刺激する発言は控えるように」という御指示である。戦後70年の節目に首相が何を言うか、世界が注目している。言いたいことを封じられる首相は、面白くない。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、右派勢力の熱い期待を背負っているからだ。
 支持者にはいい顔をしたい、ご盟主様には逆らえない。いら立つ首相の脇で、困惑するのは舞台設営に奔走する従者たち。役者がセリフを間違えば、日米首脳会談は台無しになり、盟主様を不快にするからである。

■「首相動静」が暗示する
 首脳会談での“振り付け”

 新聞に載る「首相動静」。首脳会談に向け首相の振り付けに忙しい官僚の姿が浮かぶ。
 21日は7時58分から財務省の香川次官や浅川国際局長が官邸に。閣議で10分間中断されたがご進講は9時35分まで続いた。替わって入ったのは甘利明TPP担当相。大江主席交渉官が同席。10時28分からケネディー駐日大使が訪れている。
 財務省のご進講は、顔ぶれから見るとアジアインフラ投資銀行(AIIB)が話し合われたようだ。アメリカにとってAIIBは、IMF・世銀体制と呼ばれる米国支配の国際体制への挑戦だ。日本は米国の意に沿って「不参加」を決めたが、英国・ドイツ・フランスまで中国になびいてしまった。
 日本の産業界は焦る。アジアのインフラ市場は大切な商機、中国に主導権を握られたくない。EUに先を越されるのも困る。
 財務省は「参加の機会を探る」へと軌道を修正中だ。それには米国の「承認」がいる。その前に首相に軌道修正を納得させなけれがならない。
 属国と盟主の「利害関係の調整」は官僚の大事な役目でもある。日本にとって中国はいまや米国を超える貿易相手国だ。そしてアジアは日本にとって死活市場。中南米を抱えるアメリカとは条件が違う。欧州勢がAIIBに参加しアジアへの食い込みを狙う今、米国との共同歩調は決して日本の利益にならない。 ところが首相自身が参加に乗り気ではない。中国が面白くない首相をまず説得しなければ前に進まない。役人はそんな厄介ごとを抱えている。

■TPPをめぐり“経産省内閣”と
  外務省・米国が奏でる不協和音

  外務省がご進講したTPPも「同盟国の利害調整」が課題だ。多国籍企業の活動を自由にするTPPで日米は「推進」で一致する。経済的には「中国包囲網」で、先進国の大企業に都合のいいルールづくりだから。だが、業界によって勝ち組と負け組があり、国内調整が難しい。
 日本は農業で譲歩を重ねるが米国はまだ足らないという。コメ・牛肉・豚肉・乳製品など農産物交渉に注目されているが、交渉が進まないもう一つの要因は、自動車にある。
 米国は関税引き下げに抵抗している。とりわけ問題なのが自動車部品だ。米国で生産する日本車に日本製の部品を使わせたくない。米国の業者に市場を 与えたい、というのが米政府の大枠だ。それでは日本の部品メーカーが大打撃を受ける。縮む国内の自動車市場では生きていけない。米国で現地生産する日本メーカーは大事な納入先。自動車メーカーにとっても精度の高い国産部品は品質を維持するのに欠かせない。
 AIIBではインフラ輸出、TPPは自動車輸出が日米間の焦点。首相個人はどれほど深く考えているか分からないが、首相を取り巻く官邸の構造は、経済利害に敏感だ。首相の日程や面会者を差配する今井尚哉政務秘書官は資源エネルギー庁次長から転身した元経産官僚。新日鐵で社長・会長を務めた今井敬・ 元経団連会長の甥で産業界とのパイプは太い。 「安倍政権は経産省内閣」と霞が関で言われるほど官邸では経産官僚が重用されているが首脳会談への調整は外務省が仕切る。ここに安倍政権内部の不協和音の一因がある。
 外務省は「会談成功」を演出することが任務だ。そのために米国の意向を汲みたい。だが国内産業の利害を重視する経産省は譲れない。そのしわ寄せが 農業に押し寄せる、という構造になっている。農業団体は自民党の有力な支持基盤だったが、いまや「守旧派」とされ「改革を妨げる岩盤」に見立てられドリルで穴を開けられる存在となった。産業界の利益を守るため、農家と農業どこまで犠牲を強いるか、が焦点になっている。
 米国のアーネスト報道官は21日の記者会見で「日米首脳会談は首相と大統領が個人的信頼感を深める機会だ。TPP交渉がどこまで進展したかが大事だ」と語った。
 言わんとするところは「大統領の気に入ってもらいたいなら、自動車を諦め、コメなど農産物の輸入枠をもっと広げなさい」ということだ。
 首相が「貢物」として持参する「安保法制の改革」はすでに決着がついた。もう折り込み済みなのだ。「大統領はまだご不満だ。貢物を増やせ」という要求である。

 ■安保法制の国会提出が
   首脳会談後の本末転倒

「属国と盟主の関係」というと、「そこまで言うか」と立腹される人もいるだろう。日本は独立した民主主義国家だ、と。
 だが、今回の集団的自衛権を巡る憲法解釈の変更から安保法制の改変を巡る一連の動きは、「日本は独立国」とも「主権在民」とも言い難い。
 憲法の上位に首相が居て、その首相の顔はアメリカに向いている。そんな構図である。「安保法制」とここに書いたが、その内容は全く国民に示されていない。新聞などにいろいろ書かれているが、その内容は自民党と公明党の「与党協議」の場で示されたものだ。首相の息のかかった人たちで案が作られ、公明党が「この線で行きましょう」と了解した程度のものだ。
 日本国憲法は、国際紛争を武力で解決することを認めていない。戦争は武力を伴う国際紛争である。他国の戦争に参加できないのは当然のことで、歴代内閣は「集団的自衛権は憲法上許されない」としてきた。
 憲法は日本を統治する基本ルールである。首相は憲法に従って仕事をすることが義務とされている。これが立憲主義だ。ところが首相は憲法の制約で自 分がやりたいことができない。それならば憲法改正を手続きに沿って行えばいいのに、それが難しいと見て、憲法の解釈を変えて自分のしたいことを勝手にやろうとしている。それが集団的自衛権の閣議決定だ。
 これでアメリカの戦争に協力できる。海外での武力行使を禁じている様々な法令を手直しするのが「安保法制の整備」である。 「戦争しない国」だった日本を「戦争ができる国」に変える一連の改悪は、将来にわたって国民の運命に多大な影響を与える。少なくとも国民の代表である国会にその中身を示し、徹底した議論がなされるべきだ。
 ところが国会に法案を示すのは連休明けだという。その前に首相は訪米しオバマ大統領に「ご報告」する。本末転倒ではないか。
 極東に限定されていた自衛隊の活動範囲を世界に拡大する。後方支援で武器弾薬兵員の輸送も行えるようにする。そのつど国会の議決を必要としていた 海外派兵を「事前承認」だけで済ませる。平和維持活動(PKO)で武器の使用ができるようにする。こうした「自衛隊の規制緩和」はかねてからアメリカが求めていたことだ。 イラク進攻の時、「ショー・ザ・フラッグ」(旗幟鮮明にしろ)」とか「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(兵員を送れ)」と米国から言われながら、憲法の制約で自衛隊を戦闘地域に出すことができなかった。
 対米従属が身に染みている外務省には、アメリカの指示に従えなかったことが「トラウマ」となって残っているともいわれる。
 米国からは「アーミテージ・ナイ・レポート」が出された。共和党政権で国務次官を務めたリチャード・アーミテージ氏と民主党政権で安全保障担当 だったジョセフ・ナイ・ハーバード大学教授がまとめた日本の対する提言である。この提言に集団的自衛権や南シナ海での対中監視活動、ホルムズ海峡での機雷掃海などが盛り込まれている。安保法制の整備はこの提言書を教科書にしたと思えるほどの内容だ。安倍政権がしゃにむに進めた「海外で米軍と連携できる自衛隊」は米国の要請に配慮したものといえる。
 憲法にしたがって仕事するべき首相が憲法解釈を勝手に変え、米軍との連携強化を急ぎ、国会審議もないまま、訪米して大統領に約束する。対米従属ではなく、日本を思ってのことであるなら、憲法が定める手続きに沿って憲法改正を進めるべきだろう。
 首相は「押し付けられた憲法」というが、平和憲法がありながら自衛隊の前身である警察予備隊を創設したのもアメリカの要請だった。こんどもまたアメリカである。

■戦後70年談話でも鞘当て
  国賓並み厚遇の犠牲になるのは?

 集団的自衛権や安保法制の整備は、安倍首相の願いとアメリカの考えが同じ方向を向いている。だがアメリカは首相の本性を疑っている。その現れが2013年の首脳会談だ。
 政権に復帰した首相は真っ先の訪米を考えた。ところがアメリカは冷ややかだった。安倍首相の言動を問題視していたのだ。 「安倍は中国との関係を悪化させかねず、北東アジアの安定に問題を起こしかねない」(米国の政府関係者)と見ていた。
 象徴は尖閣諸島。安倍は総選挙にむけた自民党の政策集に「尖閣諸島に恒久施設を作りる」と謳った。中国が上陸しないよう海上保安庁か自衛隊の施設を設ける、という内容だ。「そんなことをしたら中国が黙っていない。武力紛争に発展する恐れがある」と米国は心配した。
 島を国有化しただけで強烈な対抗措置をとった中国である。島に恒久施設を作ったら火に油を注ぐ。紛争が起きたら日本に加勢しろという安倍政権にオバマは呆れた、といわれる。 前回の訪米は惨憺たるものだった。歓迎の晩餐会はなく、恒例の共同記者会見もやってもらえなかった。「オバマはアベを歓迎していない」という表明だった。
 安倍政権は国内では高い支持率を誇りながら同盟国アメリカの評価が低い。この不名誉を挽回する役割を担わされたのが内閣官房参与となった谷内正太郎元外務省次官である。元駐米大使としての人脈を頼りに対米関係の改善を託された。
 関係を良くするためにはアメリカが望むことを行うこと。大きな課題は3つある。
(1)アメリカへの軍事協力(集団的自衛権)、 (2)中国・韓国のと関係改善(70年談話問題)、 (3)TPPへの協力(二国間経済課題への譲歩)である。
 (1)は安倍政権が目指す道でもある。問題は(2)(3)だ。右翼バネを働かせて政権に就いた首相だ。中国・韓国への強い姿勢が売り物である。 2013年12月には周囲の制止を振り切って靖国神社に参拝した。これに対して米国政府は「失望した」と異例の声明を発表した。この姿勢は国内に留めて米国には低姿勢で臨む、しかない。米国も安倍が中国問題で面従腹背していることは承知だ。オバマは前回の首脳会談で安倍に「中国への発言は表現を慎め」と釘 を刺している。
 8月に予定される首相の「戦後70年談話」に米国は注目している。戦後50年の村山談話は「侵略」にふれ「謝罪」が、これを覆すのではないか、そうなれば周辺の国を刺激し、ひいては米国のアジア戦略にも影響が出る、と懸念している。
 その懸念を大きくしたのが20日、首相がBSフジで述べた言葉だ。
 村山談話で使った「植民地支配と侵略」「心からのお詫び」という表現について「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はなない」と語ったのだ。
 ケネディー駐日大使が官邸を訪ねたのは、その真意を問うため、と見られている。首脳会談に向けての準備作業では、日本は中国や韓国を刺激する表現は避ける、従来の考えを踏襲すると約束していた。それなのに首相は自分の思いを捨てきれない。
 安倍首相は今回、国賓に準ずる待遇で招待され、米国議会で演説する。アメリカでこれだけ厚遇された、日米関係は良好だ、と国内向けに成果を誇る段 取りだ。厚遇は、昨年のオバマ訪日が「国賓」だったので、その返礼である。議会演説で安倍が積極的平和主義を叫び、米国との軍事連携強化を表明すれば、オバマ政権の得点にもなる。日本の国会より先にアメリカ議会で表明するのは滑稽ではあるが。 「議会で演説するなら議会が望む市場開放をお忘れなく」
 そんなメッセージが届いているという。交渉でお疲れの甘利TPP担当相の渋顔がすべてを物語っている。厚遇を買ったコストは何なのか。いずれ明らかになるだろう。 

≫(ダイアモンドONLINE:国際・山田厚史の「世界かわら版」

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「ねじれの位置」の直線同士の議論

「ネットゲリラ」から抜粋転載。
コメントの一つにある「詭弁のガイドライン」は、これはネット上の議論だけでなく、実生活でも案外有効であり、議論というものに慣れていない人間(一般大衆のほとんど)は大人でも簡単に引っかかる。末尾のコメントにあるように「ハシゲのことじゃん!」とすぐに分かった人も多いだろう。
私が深くうなずいたコメントが、


「議論が平行線ならまだいいけど
ここでの議論ってほとんどねじれの位置にあるんだもん」

である。この比喩には感心した。
平行線なら、まだ同じ方向を向いている議論だが、ねじれの位置だから、お互いあさっての方向を向いた、不毛の議論にしかならないわけだ。


(以下引用)



2ちゃん歴が短いお前らに論破のイロハを教えてやるわ 、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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勝利の定義変えていいならそりゃ勝つだろうけど
まさに「お前の中ではな」であって相手もギャラリーも勝ったと認めてはくれない
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最後にレスしたもん勝ち
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都合の悪い論点ははぐらかしたり無視して、ただひたすら相手を罵倒し続ければいい
あとはうまく自演すること
最後までレスをし続けたほうの勝ち
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年収1000万は軽く超えてるとか
起業してて年商ウン億とか
株で死ぬほど儲けた、やって無い奴は白痴とか

経済関連のスレで安倍竹中批判が入るとこれで大抵済ませる人が多い
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詭弁のガイドライン
1. 事実に対して仮定を持ち出す
2. ごくまれな反例をとりあげる
3. 自分に有利な将来像を予想する
4. 主観で決め付ける
5. 資料を示さず持論が支持されていると思わせる
6. 一見、関係がありそうで関係のない話を始める
7. 陰謀であると力説する
8. 知能障害を起こす
9. 自分の見解を述べずに人格批判をする
10. ありえない解決策を図る
11. レッテル貼りをする
12. 決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13. 勝利宣言をする
14. 細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15. 新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
16. 全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する
17. 勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する
18. 自分で話をずらしておいて、「話をずらすな」と相手を批難する
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「パチンコ屋の角を右だよ」
「あそこはパチスロ専門店だ!はいお前の負け」
こういう手合い多すぎ
議論にならんわけですよ(´・ω・`)
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議論が平行線ならまだいいけど
ここでの議論ってほとんどねじれの位置にあるんだもん
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2ちゃんで論破って無理だよ
例えば俺が韓国叩いてるスレに韓国の肯定的なカキコ(別に褒めちゃいない)した途端、

ようチョン
どうした在日

まずここから始まる。俺は日本人だからこれ否定する為の論破をしないといけないんだが、どうやっても出来ないよな?
俺が日本人であるソースを出せば済む話なんだろうが、それってパスポートとか免許とか、個人情報な上、何で勝手に決め付けてるそいつらの為にわざわざそこまでやってやらなきゃいけないんだ?って思いもあるから、そこまでやりたくもないし。んでID添付でパスポートの写真まで貼ったとしても、素直に認めるネトウヨは殆どいない(実際数回やった事ある)

あいつらが基地外なのは分かってるけど、でも2ちゃんの意見の殆どを独占してるのはあいつらネトウヨじゃん。
だから2ちゃんで論破は不可能だよ。匿名性の高い2ちゃんだからこそ論破されないから底辺共か嬉々として下らないカキコと意味不明なコピペ繰り返してんだろうけど
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コメント(12)


 

けっこうネトウヨ(^p^)安倍ちゃんにあてはまっててワロタ。
(・∀・)「日教組!日教組!革マル乙。はい論破。カエレ!!」


 

>ネットでは大声でワメくキチガイが最強ですw


リアルな世界では、


1.肩書きの有るキチガイが最強ですw(例:下痢壷晋三、モミ、小泉、竹中、カス公務員、元カス公務員、岸信介、軍人と言う名の公務員、法曹公務員…)


2.通院歴のある人殺しのキチガイが最強ですw



ハシゲの事じゃん!


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大阪都構想への民意は出た

住民投票を実施するまでもなく、民意は出た、と言えるのではないか。
そもそも、どこの都市だろうが、「あなたの都市を『都』にしますか」と聞かれれば、大多数は「おお、立派そうじゃないか。賛成!」としか思わないだろう。「都」と「首都」が同じとなればなおさらだ。「あなたの都市を『首都』にしますか」と言われれば、どこの田舎でも住民の9割までが賛成するに決まっている。そういうのが普通の民衆だろうから、「都構想」に賛成に誘導するのは(些細な利益を大げさに言って誤魔化せばいいのだから)簡単だが、反対の側の意見を納得させるのは(前述した心理面から言って)困難だろうし、選挙民のレベルアップが必要だ、ということだ。それを思うと、事前予測で「大阪都構想賛成者」がたしか6割程度でしかなかったと思うが、それなら大阪府民市民はなかなか健全である。
そして、現実の大阪府内3市長選挙ですべて「大阪都構想反対派」が勝ったのだから、完全に民意は出たと言えるわけだ。
だが、住民投票で過半数を取れば、大阪都構想への合意はできた、と橋下が言い出すに決まっているが、そんな住民投票に何の意義や意味や効力があるものか。たとえば、「住民全員に100万円ずつ差し上げます。賛成ですか、反対ですか」と投票にかけて、反対と言う人間がいたら、顔を見たいものである。これは基地や原発などの問題を住民投票にかけるのとは、話がまったく違うのである。


(以下引用)

大阪維新、府内の3市長選で敗北 自民など推薦候補に

朝日新聞デジタル 4月27日(月)0時2分配信

 第18回統一地方選挙の後半戦は26日、142市区町村長選と586市区町村議選で投票、一部を除いて即日開票された。大阪府内の3市長選では、大阪市をなくして五つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」で対立する大阪維新の会と自民党の推薦候補が激突し、いずれも自民党の推薦候補が勝った。

 吹田市長選は自民、公明両党が推薦する新顔の後藤圭二氏(57)が、維新推薦で現職の井上哲也氏(58)ら3氏を破った。後藤氏は選挙戦で「行政レベルが下がる危険性がある」と都構想批判を展開。当選後には「(反対派の)堺市長、八尾市長とともに都構想の防波堤になる」と語った。前回、公認で維新ブームの象徴となった井上氏は、今回も維新色を前面に出したが、及ばなかった。

 3人の新顔が争った寝屋川市長選でも「都構想と連携した市政を推進する」と訴えた維新推薦候補が敗れ、自民党推薦の元同党府議が初当選。八尾市長選では自民、民主、公明、社民の各党が推薦した現職が、維新と次世代の党推薦の新顔を退けた。こうした結果に、自民党の竹本直一府連会長は「住民投票で反対の後押しになる」と語った。


朝日新聞社


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企業経営者はレミング集団か

「阿修羅」から転載。
これを転載した理由はコメント3にある。まさにその通りであり、なぜそういう会社が出ないのかと言えば、実はこれが闇カルテルだからだろう。つまり、携帯電話メーカーすべてが合意の上で、ガラケー生産中止を決定したわけだ。これは独占禁止法に明らかに違反する事態だが、政府がこれを処罰することも無いはずだ。原発問題と同じ。政府とはそういうものである。
だが、大手端末メーカーとは独立した立場で、ガラケーを作れる会社があれば、これは事業を飛躍的に拡大できるチャンスである。何しろ、全携帯の4割以上のシェアがあり、実は潜在的需要はもっとある(ガラケーに戻りたいと希望する人々がたくさんいる)と思われるからである。
日本の大企業は、時々こういう愚行をする。「他社と同じことをやっていれば、失敗しても責任を問われない」と企業経営者や企業幹部が考えるからである。
携帯各社は、顧客需要をまったく考慮せずに自社利益だけを追及する「合理化」を進めて滅亡しかかっているマクドナルド社の愚行を繰り返そうとしている。


(以下引用)


<悲報>ガラケー完全終了!従来型のパカパカ携帯電話、2017年以降の生産は全て終了へ!ネットには惜しむ声が相次ぐ!
http://www.asyura2.com/15/hasan95/msg/693.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 4 月 25 日 14:05:05: igsppGRN/E9PQ
   
 
【悲報】ガラケー完全終了!従来型のパカパカ携帯電話、2017年以降の生産は全て終了へ!ネットには惜しむ声が相次ぐ!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6278.html
2015.04.25 13:26 真実を探すブログ


日本独自の携帯電話として知られている従来型の「ガラケー(ガラパゴス携帯)」の生産が2017年で全て終了することが判明しました。パナソニック等の大手携帯端末メーカーはスマートフォンの普及が進んだ事から、日本の携帯端末メーカーが独自の基本ソフト(OS)を載せた従来型携帯電話の生産を中止すると発表。


コスト削減のために2017年以降は全ての端末をグーグルのアンドロイドに統一する方針です。かつては日本の携帯電話の9割近くがガラパゴス携帯だった時期があっただけに、ネット上ではガラケーの終了報告に騒然としています。


多くの方は「スマートフォンは無駄が多くて使い難い」「困る」「続けて欲しい」というコメントを投稿しており、携帯電話の生産中止に反対していました。


日本の携帯電話はスマートフォンの契約者が約6割ほどとなっていますが、今もガラケー利用者は4~5割ほど居ると見られています。特に高齢者世帯の利用は多く、ガラケーが無くなることで困る方が続出する可能性が高いです。


ただ、スマートフォンに搭載しているアンドロイドOSに統一すると発表されていることから、「OSがアンドロイドに変わるだけで形は従来型と同じ携帯電話も出る」と見ている方も居ます。


☆従来型携帯の生産終了 国内各社、17年以降に  NECは端末完全撤退
URL http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ21H8H_T20C15A4MM8000/?dg=1
引用:
パナソニックなど日本の携帯端末メーカーが独自の基本ソフト(OS)を載せた従来型携帯電話、通称「ガラケー」の生産を2017年以降に中止する。スマートフォン(スマホ)の普及が進み、ほぼ日本だけで通用する従来型携帯は開発が重荷になっていた。コスト削減のため、開発する全端末のOSをスマホの標準である米グーグルのアンドロイドに統一する。日本がかつてけん引した従来型携帯の基幹技術がその役割を終える。
:引用終了




03. 2015年4月25日 22:59:26 : rLBhiuudmU

どこか一社でもガラケーを作り続けてくれたら


その会社は、ガラケー欲しい人を独占できるのに…。


どっか、作り続けてよ~~!!

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他者を道具か家畜か敵としか見ない連中

「馬鹿国民帝国日本の滅亡」から転載。
マクドナルドの凋落は、ユダ金式ビジネスの終焉の予兆かもしれない。
ユダ金と言うより、白人の思想、西洋思想の根幹には「バイキング」的な征服と略奪と奴隷支配の思想があると私は思っている。西洋による植民地拡大は、まさにそれであった。その思想は現在でも西洋人の思想の根幹にあるのではないか。
それがビジネスの面に表れたのがユダ金式のビジネスである。この思想は、自分たち以外の人間を「道具(労働者・下僕)か家畜(客・貢納者)か敵(商売仇や人権活動家など)」と見做すというものだ。客は「貢納者(家畜)」であり、自分たちに利益をもたらすという意味しかない。であるから、「合理化」によって家畜の待遇を悪くし、餌の質を落とせば自分たちの利益が増すと思ったから、日本マクドナルドは米本社から原田泳幸を送り込まれ、サラ・カサノバを送り込まれたわけだ。ところが、その「家畜たち(客)」は、餌が悪くなったことに反発して、家畜小屋から逃げ出した、というのが日本マクドナルドの凋落の意味するところである。
つまり、これはアメリカ式ビジネスモデル、ユダヤ式ビジネスモデルの終焉であり、西洋思想(支配と被支配の思想)の没落を意味するのではないか、と私は思う。
なお、道具(労働者・下僕)を酷使し、使い捨てにするのがいわゆるブラック企業であり、日本政府は「残業代ゼロ法案」によって日本企業総ブラック企業化を進めている。



(以下引用)



日本マックの凋落
NEW !
テーマ:

『紙の爆弾』5月号、西田健さんの記事をネタに編集してお届けいたします…





アメリカ企業の大半は、自滅するんじゃないですかね~




日本マクドナルドの凋落をみると、ヤンキーってつくづくバカだな~と…





世界のマクドナルドの1割が、なんと日本にあって、アメリカに次ぐ店舗数と売り上げで成功していたんですよ。2000年代までハンバーガーチェーンの7割を牛耳っていましたしね…





ところがね…アメリカ本部は満足しなかった。売り上げに比べて利益率が半分で、上納金が少なかった。




(´0ノ`*)b 株主よりも顧客や社員に利益を与えていたっつーことでしょ?





それで、本部は創業者の藤田田を強引にクビにして、原田泳幸、通称「ミスターマック」を新社長に据えたのです…




そして、徹底的な合理化と含み資産の売却で利益率を世界水準へ引き上げました…





( ̄0 ̄# しか~し!…




(ノ゚ο゚)ノ 売却する含み資産は、いずれ枯渇します…




(゙ `-´)/ しかも、合理化で質とサービスは低下、売り上げはどんどん低下していきます…




こうして、原田は”お手上げ”になりました…(/_;)/~~三 (/ ^^)/





そこで、アメリカ本部は、切り札を切ってきました…期待のエース…




それが、現社長…サラ・カサノバ女史でございます…




(´0ノ`*) TPPを睨んで「本場グローバリズム」の経営者を一刻も早く送り込みたかったんでしょうw





実際、このお方…冷戦期のロシア・ウクライナ、最近では東南アジアの統括マネージャーとして辣腕をふるってきた、”アメリカングローバリズムの権化”みたいな人なんです…





しかし、赴任早々に、原田泳幸の”置き土産”が炸裂…これがケチのつき始め…




中国産消費期限切れチキンナゲット騒動(14年7月)なんですね…





原田は、利益率を上げるべく、安い食材に切り換えて、腐った肉でも平気で使いました。





しかし、カサノバも原田と同類の人間であることが、すぐに露呈するのです…




この騒動で、カサノバは一切の謝罪を拒否




「これのどこが悪いのか、わかんないっ」って態度だったんですからね~





マックなんて「ブタのエサを人間に売る商売」、腐った肉くらい使うでしょ、でなきゃ儲からない!…




彼女の肉体言語が、そう言ってました…少なくとも多くの人が、そう受け取りました…





そりゃ、法にふれなきゃ腐った肉を使おうが、「マックの自由」でしょう…




しかし、そんなマックに行かないのも「客の自由」です。





なのに、客足が遠のいた理由がカサノバにはわからなかった…このままじゃマズイ!!…





そこで14年末の店長会議で、彼女はこう言い放ちます…




「チキンナゲットの件は忘れましょう!」\(_ _*)/どてっ…o(^^o)(o^^)o





都合の悪いことは「なかったこと」にするアメリカンスタンダード…




タリバンを支援したのも、サダム・フセインを支援したのも「なかったこと」のようにふるまってきたのが、アメリカという国ですからね~





”グローバリズムの権化”っちゅうても、オツムの中身は、”この程度”なんですよw…




サービスも味も悪く、汚い店のとなりに、サービスと味がよく、こぎれいな店があったら、どっちに入りますか?っていうだけの話なのに、なぜカサノバにはわからないのでしょうね?





アメリカ人って、こういうときにサービスや味をよくすることは考えない。アコギに稼ぎ出したカネで、サービスのいい、ライバルのチェーンを買収してしまう…ハゲタカ商法ですよ…





ライバル店を潰してしまえば、サービスが悪くても、客は来るだろう…って~態度なんですね…





こうした”ビジネスモデル”の原点が、「フォードシステム」ですよ。




自動車産業の勃興期の会社の悩みは”腕のよい職人の確保”でした。




職人の数で生産台数は決まるので、給料は上がるわ、ライバルに引き抜かれるわで大変でした。





そこで、ヘンリー・フォードが、逆転の発想をする…




「100の工程をひとりの職人がするのであれば、ひとつの工程を百人でやればいいじゃないか」と…





この「フォード・システム」を初めて飲食店に応用したのが元祖マクドナルドで、だから…




”ファストフード”って言うんですよ…





シロウトでも、簡単なトレーニングで一定品質の商品をつくるっていうシステムですよ。




すると、「大量生産、大量消費」が前提となるんですね~





それで、コストをどんどん下げていき…ライバル店を潰していって…それを吸収して拡大…




こうして外食産業全体を支配下におき、流通、加工、生産の全分野に影響力を及ぼし、政治にもはたらきかけて、莫大な利益を得る…




「自由競争」な~んて言ってますがね…産業の”乗っ取り”なんですよ…”やったもんがち”のね…





「ビジネス」っちゃあ、最近はこういう「フォード・システム」型を意味してますわね~





ですがね…日本の外食産業は30兆円の規模で、そのなかでもマックの占有率は1%ですよ…




この日本市場を”支配”できると思っているところが、愚かなんです…





みな、「ハンバーガーがダメなら牛丼があるさ…」みたいなもんで、”選択の自由”があるんです。




産業乗っ取りは、顧客の”選択の自由”を奪うことですからね~





日本の政治も”選択の自由”がなくなっているから、あべしんぞうでも、総理大臣になれるんでしょ?





日本マックの創業者である藤田田は、そこをきちんと理解していました。




「ブタのエサを人間に売りつける」のではなくって…




「人間の食べ物を人間に買ってもらう」というまっとうなビジネスでした…





当時の日本のマックは…




店員のサービスがよく…店が清潔で…おいしい…ことで知られていました…




それは、「マックとは思えないほど」と、世界的に有名だったことなんです…





それを”アメリカン・スタイル”にしたばっかりに…





TPPで、日本の産業を破壊して、その”乗っ取り”を狙うアメリカ企業…





しかし、日本マックの例を見て、それが”自滅”への道だって、わからないのでしょうかね~(θωθ)/~


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保守主義とは何か

「播州武侯祠遍照院」より記事の一部を転載。
この後に載っていた「リテラ」の、村上春樹が「反原発論」を語っているという記事も面白いのだが、ここでは「保守思想」というものに新たな光を当てたと思われる、中島岳志氏の文章について考えたい。

 「保守主義者は理性や知性の限界に謙虚に向き合い、人間の能力に対する過信を諌めます。だから、保守派は人間の理性を超えた存在に対する関心を抱きます。神のような絶対者、そして歴史的に構成されてきた伝統や慣習、良識。保守派は、多くの人間が蓄積してきた社会的経験知を重視し、漸進的な改革を志向します。革命のような極端な変化を志向する背景には、必ず人間の理性・知性に対する驕り・傲慢が潜んでいるため、保守派はそのような立場を賢明に避けようとします。

「保守主義者は理性や知性の限界に謙虚に向き合い、人間の能力に対する過信を諌めます」という言葉は、保守主義というものの、これまで語られなかった一面を指摘している重要な言葉だと思う。
ただ、その後の文章が曖昧模糊としており、「だから保守派は人間の理性を超えた存在に対する関心を抱きます。」という言葉の後に「神のような絶対者」と「歴史的に構成されてきた伝統や慣習、良識」が並列されているのは奇妙である。「歴史的に構成されてきた伝統や慣習、良識」は「人間の理性を超えた存在」なのか?
「多くの人間が蓄積してきた社会的経験知」には個々の人間の賢しらな理性を超えたものがある、という意味ならば、「歴史的に構成されてきた伝統や慣習、良識」は「人間の理性を超えた存在」と言えるかもしれないが、これはかなり舌足らずな文章なのではないか。
だが、そうした文章細部への疑問はともかく、保守主義が「理性や知性の限界に謙虚に向き合い、人間の能力に対する過信を諌めます」というものであるという指摘は、保守主義とは何か、という問題についての重要な指摘だと思う。
保守主義というものには確かにそういうところがある。私もそういう意味では保守主義者かもしれない。私の場合は体質的にケチだから、古いものをどんどん捨てていく消費文明、すなわち資本主義を嫌悪しているのかもしれないが、伝統や過去の遺産で育ちながら、それをあっさり捨てていくことは、自分自身の否定なのではないだろうか? それが平気でできる世間の人間のほうが私には奇妙である。それならば、毎朝起きるたびに、別の記憶を持った、別の人間に生まれ変わってもいい、ということになりはしないか。古女房(古旦那)や家族などいつでも捨てて、新しく結婚して新しい家族を作ればいい、とならないか。
まあ、正直なところを言えば、「新しいものへの本能的危惧」あるいは「新しいものへの適応は面倒くさい」というのが保守主義の正体だろう。
そもそも「新しいもの」は「古いもの」にとっては敵である。「伝統」や「慣習」から利益を得ている人々が保守主義になるのは理の当然、かつ「利の当然」だろう。しかしまた、「新しいもの」を武器として社会に出てくる連中も自分たちの利益のためにその「新しいもの」を引っ提げて出てくるのだから、これは利益相反の戦いとなるのも当然で、社会上層部がその「新しいもの」をうまく操縦して利益を吸収し、そのうちに「新しいもの」が伝統となり、慣習となるわけだ。
だが、そういう皮肉はともかく、「人間の能力に対する過信」が現代社会の悲惨の原因の一つであり、新しいことのもたらす害悪は、伝統や慣習のもたらす害悪よりも大きくなっている、というのが科学文明の特徴ではあるだろう。
まさに「一利を興すは一害を除くに如かず」である。
その「一害」の最大のものが原発である。


(以下引用)



マガジン9 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
中島岳志の 希望は商店街 

保守派の私が原発に反対してきた理由

世界は普遍的に「想定外」なもの

 福島第一原発の問題が起こってから、何人かのメディア関係者の方から原発についての取材を受けました。それは、私がこれまでに原発に対して批判的なコメントを行なってきたからです。しかし、一方で私は保守派を自認しています。保守思想に基づいて、物事を考え、自分が保守の立場に立っていることを公言しています。この立場と原発反対の言論が、世の中では奇妙なものに映るようです。

 メディアの皆さんは一様に「なぜ中島さんは、保守派なのに原発を批判してきたのですか?」と質問されます。「原発批判は左派の占有物」という発想からなのか、保守派に原発を批判する人が極めて少ないからなのか、私の姿勢は不可解なものに見えるようです。しかし、私としては「保守思想を重視するがゆえに原発には批判的」なのです。保守主義者として思考すると、どうしても原発に懐疑的にならざるを得ないというのが、私の立場です。

 保守思想は「理性万能主義に対する懐疑」からスタートします。人間はこれまでも、これからも永遠に不完全な存在で、その人間の理性には決定的な限界があります。どれほど人間が努力しても、永遠に理想社会の構築は難しく、世界の理想的なクライマックスなど出現しないという諦念を保守主義者は共有します。

 保守主義者は理性や知性の限界に謙虚に向き合い、人間の能力に対する過信を諌めます。だから、保守派は人間の理性を超えた存在に対する関心を抱きます。神のような絶対者、そして歴史的に構成されてきた伝統や慣習、良識。保守派は、多くの人間が蓄積してきた社会的経験知を重視し、漸進的な改革を志向します。革命のような極端な変化を志向する背景には、必ず人間の理性・知性に対する驕り・傲慢が潜んでいるため、保守派はそのような立場を賢明に避けようとします。

 保守派が疑っているのは、設計主義的な合理主義です。一部の人間の合理的な知性によって、完成された社会を設計することができるという発想を根源的に疑います。人間が不完全な存在である以上、人間によって構成される社会は永遠に不完全で、人間の作り出すものにも絶対的な限界が存在します。

 そのため、真の保守主義者は科学技術に対する妄信に冷水をかけようとします。人間が設計するものは普遍的に不完全です。人間の技術と想定には絶対的な限界が存在するため、「100%壊れない」ものなど存在しようがありません。そのようなものは神の領域にのみ存在しうるものです。人間は絶対者ではありません。科学技術の領域で「絶対」を語ることは、人間を絶対者と取り違える危険な思考です。

 世界は想定外のもので満ち溢れています。すべてを理知的に把握し、制御することなどできません。世界は普遍的に想定外の存在です。だからこそ人間は、この世界に夢をもって生きることができます。すべてが想定された世界で、果たして人間は喜びを持って生きることができるでしょうか。すべてが理知的に把握され、完全な存在にのみ囲まれて生きることなどできるでしょうか。

 間違いなく、不可能です。人間が人間である以上、そのような社会に投げ込まれると、精神の変調をきたすでしょう。すべてが理解され、あらゆる事象があらかじめ規定されている世界では、生きることの意味は究極的に剥奪されます。人間はそんな世界に耐えることができません。私たちは「想定外」内存在だからこそ、希望を持って生きることができるのです。少なくとも保守思想に依拠する人間は、そのような世界観を共有します。

「安全な原発」などありえない

 さて、原発です。原発を作るのは、もちろん人間です。そのためあらゆる原発は、未来永劫、不完全な存在です。すべての原発は、「想定外」内存在です。だから今回のような事故は、必ず起こります。普遍的に起こりえます。人間が完全でない以上、完全な原発など存在しようがありません。

 しかし、このような認識に立つと、ありとあらゆる科学技術に対する不信が生まれてきます。この不信にのみ立脚すると、すべての技術は停止され、世界は滞ります。

 重要なのは、事故や故障が起こることを前提に、その利便性とリスクを天秤にかけて利用する英知とバランス感覚です。例えば、自動車は普遍的に事故を起こし続けます。日本だけでも年間約5000人の命が失われ、多数の負傷者が出続けています。また、いくら技術革新が続いても、飛行機事故はなくなりません。飛行機に乗ることは、常に墜落事故のリスクを背負うことになります。しかし、私たちは自動車や飛行機を放棄しません。それは、リスクの存在を前提として、そのリスクよりも利便性のほうが上回るという認識を共有しているからです。

 原発も、同様の前提の下で考える必要があります。原発のリスクと利便性を天秤にかけたとき、どのような判断をするべきかを考える必要があります。

 自動車も飛行機も、確かにリスクのある存在です。しかし、原発のリスクはそれらをはるかに上回ります。一旦事故が起こると(事故の規模にもよりますが)、相当程度の国土が汚染され、人間が中長期間にわたって住むことができなくなります。また、周囲はかなり広範囲にわたって放射能の危険にさらされ続け、水や食品に影響が出続けます。長い年月をかけて構成されてきた歴史的景観、人間の営み、農地の土壌。そういったものを一気に放棄しなければならない事態が生じてしまいます。直接的な被害だけでなく、その不安や精神的圧迫感なども考慮すると、そのリスクはあまりにも大きすぎるというのが実情でしょう。少なくとも、原発事故はこの国土を手間隙かけて整備し、守ってきた無名の先祖に対する冒涜であり、歴史を無礙にする暴挙です。

 「安全な原発には賛成」という専門家がいますが、そのような前提は人間が人間である以上、成り立ちません。原発は事故が起こることを前提に考えなければなりません。その時に、私はリスクの高すぎる原発には批判的にならざるを得ません。人間の不完全性を冷徹に見つめる保守思想に依拠する以上、原発という存在には真っ向から反対するのが、保守主義者のつとめだと思っています。

 もう一度繰り前します。私は保守主義者なのに原発に反対なのではありません。私は保守主義者であるがゆえに原発に反対なのです。保守派はいい加減「アンチ左翼」という思考法から脱却する必要があります。「左派の市民派が原発に反対だから、現実主義的な保守は原発に賛成」なんていう稚拙な思考法を共有する限り、日本における「保守の不在」は継続します。そろそろ日本の保守派は左派への逆説的なパラサイトから脱却して、冷静な思考を取り戻すべきです。

 今こそ保守派は、原発に根源的な批判を向けるべきです。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

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