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脇役こそが作品の底力となる

映画というものは、脇役がいいと輝きが増すもので、主演はむしろ大根(スター)でいいくらいだ。スターというのは、そのオーラで観客を惹きつけるものであり、演技など大根でいい。演技がうまくても、むしろそのうまさを隠すくらいがいいのである。ゲーリー・クーパーもジョン・ウェインもみな大根と言われていた。そういうスターがいなくなって、ハリウッド映画はつまらなくなったのである。
脇役の話にもどると、いい脇役は主演俳優よりも観客を惹きつけることがある。たとえば「シェーン」におけるジャック・パランスがそれで、私はアラン・ラッドよりも先にジャック・パランスという名前を覚えたほどだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などは、脇役がみな魅力的だから、あそこまで楽しい映画になったのである。
「真田丸」は、脚本を書いた三谷幸喜が、役者に対する愛情に溢れた人間だから、登場人物のひとりひとりを輝かせるような脚本を書いた。だからあれほど面白い作品になったのだ。
日本にもいい役者はたくさんいるのだが、脇役に至るまで輝くような脚本を描ける脚本家や、そう演出する演出家・監督が少ないのである。





             さんがリツイート

これは非常に示唆に富んだコメント。酒を飲まない演者ほど酔っぱらいの演技がうまく、「母さん役者」と呼ばれる女優に私生活が幸せな人は少なく、悪役で名をなした人には底抜けの善人が多い。演技というものの本質が「批評」であり、自分以外のものになりたい、という願望がその根底にあるからだろう。


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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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