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日本の政治思想家や「リベラル知識人」はなぜダメなのか

今日は特に書きたいことも無いので、別ブログに載せた私の文章を転載しておく。


(以下転載)




「抑圧移譲の原理」?
昭和以降の知識人には漢文の素養が決定的に欠けているから、言葉の使い方がジャーゴン(専門用語)的で、その言葉が大衆の心に響いてこない。
「抑圧移譲の原理」という生硬な言葉が一般に知られないのは当然だろう。念のために言うが、私は丸山真男の思想は詳しくは知らないが、仄聞する限りでは彼は日本人の政治思想や政治姿勢、ひいては日本人の精神構造を、余人の及ばないレベルで分析している稀有な政治学者だったと思っている。だが、残念ながら、彼の言説はあくまで知識人内部での言説にとどまり、日本を変える力にはなりえなかった。それは、彼の言説が知識人にしか理解しえない程度の狭い、堅苦しい用語に満ちていたからだ、というのが私の考えである。
たとえば、「抑圧移譲の原理」にしても、「移譲」とは譲り渡す意味であって、通常は自らの権利などを他人に譲り渡す、「自らを損し、他人を益する」行為とするのが普通人の感覚だろう。自分が他人から抑圧されてきた、という「マイナス」の価値を他人に「移譲する」という言葉の使い方に不自然なものを感じないところに私は昭和の知識人(欧米型知識人、あるいは植民地型知識人)の基本的な言葉づかいの欠陥を感じる。
要するに、昭和以降の知識人は誰に対して発言しているかと言えば、自らの属する狭い学者社会に対して発言しているのであり、実は一般大衆は眼中になく、一般大衆は自分の言葉など理解できなくても、いや、理解できないからこそその権威にひれ伏し、自分たちを崇拝していればいい、というのが心の内奥にある本心だった、と言うとあまりに彼らに対して情状酌量をしない物言いだろうか。しかし、彼らには日本を導く責任があったはずである。それが本来の政治思想家の任務ではないか。今の日本がこの有様になったのは、彼ら知識人がその責務を果たさなかったこともその原因の一つなのである。

(「世に倦む日々」ツィッターから転載。)

TBSの「風をよむ」でテーマになった、虐待で心に傷を受けた弱い者が、自分よりさらに弱い者に対して虐待をして問題の解決と精神の満足を図ろうとする心理メカニズム。丸山真男が「超国家主義の論理と心理」の中で論じた「抑圧移譲の原理」ですよね。コメンテーターはこれを言わないといけない。

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