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悪意と悲惨に溢れた現世への慰藉としてのフィクション

「ネットテレビ」のひとつであるアマゾンプライムには無料で見られる(らしい)作品がたくさんあり、特に、昔の映画がわりと豊富なのが他のネットテレビとの違いである。
私は現代の映画は洋画も邦画もさほど興味はなく、好きな監督や俳優が出ているか、漏れ聞いた内容が興味を惹くもの以外はほとんど見ていない。大ヒット映画でも見ていないもの、見る気のしないものはゴマンとある。見る気のしなかった「タイタニック」は、かなり後になって半分くらい見て途中でやめたし、同じく気乗りのしなかった「アバター」は後で見て、うっかり最初から最後まで見てしまったが、なぜ最後まで見たのか、後悔した。そういう勘は割と当たるほうで、評判になった作品をかなり後になってから見て「時間の無駄だった」ということは結構ある。
見て面白い映画でも、「面白いけど、でも、見る必要は無かったな」というのが、最近の映画の大半であるが、これは私が年寄りになり時代遅れになったためだとは思わない。たとえば、「アメリカンヒストリーX」などは、傑作だと理解できるし、見て良かったと思う。しかし、映画の本道は娯楽性にあり、それも見ていて気分が良くなる性質の娯楽性が一番だ。テレビのお笑い番組のように弱者をいじめて笑うというのは「残酷ショー」でしかない。
現在の邦画にはそういう「明るく楽しい映画」というのがほとんど無い。カネを払ってまで見る価値があるとは思えないものがほとんどだ。むしろテレビドラマの方に優れた脚本家や演出家が集まっているのではないか。ここ数年で言えば、「逃げるは恥だが役に立つ」「重版出来!」「あまちゃん」「真田丸」、そして最近の「チャンネルはそのまま!」などは、実に面白く、それらの作品の特徴は「明るい気持ちで、楽しく見られる」ということである。暗い時代の中で、なぜテレビドラマや映画まで暗い内容や暴力的内容のものを見て落ち込む必要があるのか、ということだ。
アニメで言えば、一見幼児アニメにすら見える「けものフレンズ」が大ヒットしたのは、あの明るく平和で優しさとユーモアに満ちた世界が、現代の社会に痛めつけられた若者に深い慰藉を与えたわけである。
さて、話を最初に戻すが、私はアマゾンプライムで昔の洋画(50年代以前の白黒作品が多い)を見ることが多いが、その出来の素晴らしさにいつも感心する。「ああ、これは見る人を傷つけないように最大の配慮をしながら、しかも面白いものを作ろうとしている」というのが良く分かる。笑いの質、泣かせの質が実に良質で、それは人道性への配慮があるからだろう。
実は、この記事を書いたのは、深夜にアマゾンプライムで見た「オーケストラの少女」(原題は「100人の男と一人の少女」)が素晴らしかったからで、この作品は日本公開当時、大ヒットしたのだが、私は、「それは当時の日本人の映画鑑賞レベルが低かったからだろう」と思っていたのである。だが、実は作品自体がまさに「アメリカ的な良さ」の塊とも言える内容で、人間の善意や人情というものが人々を幸福へ導くこと、そして絶望的状況でもチャレンジすることの大切さというのが、御伽噺的な「上手く行きすぎる話」の連続の中で描かれるのだが、シニカルになった現代人にはもはや描けない世界だろう。まあ、一見をお勧めする。
あらゆるジャンルで今のものは昔のものよりいいというのは大間違いで、世界は進歩する一方では、何かの点で退歩するのである。






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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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