寝床でうつらうつらと寝ている時に、なぜか「午後の時間割」という言葉が浮かんできて、それはたぶんJKふたりが何やらわけのわからない行動をしていちゃついている映画だったと思うが、最後は覚えていない。ふたりで飛び降り自殺をするのだったか。途中は、お互いがビデオの撮りっこをしたりして、その中にはJKのヌードもあったと思うが、一向にエロくも何ともなかった記憶がある。
で、調べると「午後の時間割」ではなく「午前中の時間割」が正しいタイトルだった。いわゆるATG映画、低予算で実験的な映画を撮るという試みのひとつである。
なぜこの映画を若いころの私が見たかというと、私は国木田独歩の熱烈なファンだったからで、映画予告の写真で見た国木田吾子さんもなかなかの美少女に思え、興味を持ったからである。
まあ、寝起きの頭というのは色々な妄想が浮かんでは消えるもので、今覚えているのは、西洋音階のミとファの間とシとドの間には半音が無いが、そこに半音を入れて作った10音階の音楽はどう聞こえるだろうか、ということと、三原色の赤と黄色の混合色は単調な色しかないが、それだけで描いた絵は、天才が描いても駄作にしかならないのではないか、ということと、寝床の中で読んでいたドストエフスキーの「死の家の記録」に出て来た「囚人中隊」という言葉について、「中隊」あるいは「小隊」や「大隊」の人数規模はどのくらいか、ということなどである。
今思いついたが、あの映画は「午前中の時間割」ではなく「放課後の時間割」とするのが正しかったのではないか。まあ、他のJKたちが勉強をしている午前中に別の「勉強」(人生勉強)をする話だから、「午前中の時間割」でいいのかもしれない。
監督は羽仁進である。
(以下引用)
【婦人画報史】国木田吾子さん・彩良さん母娘共演!初代編集長・国木田独歩の創刊メッセージ
2017年新年号には、国木田独歩の曾孫で現在フランスに暮らす国木田吾子さんと、玄孫の国木田彩良さんが登場しました。
曾孫・国木田吾子さんからみた曽祖父、国木田独歩
「国木田独歩という人は、女性のことがたいへん好きな人物でした。華やかだったといわれる恋愛対象というだけではなく、女性という存在自体に相当なリスペクトがあった人だと聞かされています」
そう語るのは、国木田独歩の曾孫にあたる国木田吾子さんです。吾子さんは映画監督、羽仁 進の作品に出演するなど日本で女優として活動した後に渡英。現在はパリに暮らしています。
「当時、日本で月刊の女性誌を出すということは、相当な勇気とエネルギーが必要だっただろうと、今あらためて思います。時代は、フランスはもちろんイギリスでもまだ女性の参政権が認められていなかったとき。世界的に女性の社会的立場がまだまだ確立されていなかった時代に、皇室のファッションをウォッチしたり、海外のおしゃれや文化的最新情報を発信して女性たちの嗜好をサポートする雑誌は、日本人女性にどんなに夢をあたえたことでしょう」
玄孫・国木田彩良さんからみた、高祖父“DOPPOさん”
イタリア人を父に持つ国木田彩良さんは英国・ロンドン生まれ、フランス・パリ育ち。服飾の名門校、スタジオ・ベルソーで服飾デザインを学びました。二十歳を機に、ルーツである日本を訪れ、東京を生活の本拠地として選択。2015年からは『婦人画報』の巻頭ファッションストーリーでモデルを務め、本格的にモデルとして活動を開始しました。
「DOPPOさんは時代を読むのがとても上手な人だった。雑誌をスタートさせたのは、まさに女性が声をもち、自身を表現していくべきタイミングだったと思います。物質的な豊かさだけではなく、時代性を物語る装いや情報によって、女性たちに多くの選択肢を与え、美意識を養った。それはとても価値あること。そのベースには、女性という存在へのリスペクトがあったことに、とても感銘を受けています」
カメラの前に立つときは高祖父・独歩が抱いた「女性に夢を届け、応援していく」という意志を胸に留め、同じ思いで立っているといいます。そして「いつの日か新たな時代の女性たちに夢を届ける編集者になる」ことが、彩良さんの新たな目標となっているそうです。
〈右・吾子さん〉ドレス/880,000円 ベルト/ 72,000円(ともにディオール) 時計[黒真珠母貝×ダイヤモンド]822,000円(ディオール タイムピーシズ) 〈彩良さん〉ドレス/660,000円(ともにディオール)[すべてクリスチャン ディオール]
撮影=伊藤彰紀(aosora) ヘア=TAKAYUKI SHIBATAメイク=ITSUKI スタイリング=伊藤美佐季
『婦人画報』の誕生
日露戦争が終わった1905年、まさに「この時勢に促されて、生まれたるなり」と国木田独歩は『婦人画報』を誕生させました。「我が国の婦人の活動、殊に目覚ましく……」と、当時、社会活動や教育、嗜好、流行などに興味を抱き活動的になってきた女性を、「情報を発信する」という形で応援する雑誌に。
写真提供=国立国会図書館蔵国木田独歩
『婦人画報』を創刊し、初代編集長を務めた国木田独歩。当時まだ、女性の社会進出をタブー視する風潮が残るなかで、雑誌を通して女性を応援し続けました。
国木田彩良さんの“エディター デビュー”は、2016年11月号の『婦人画報』!
いつの日か編集者になるという夢をもっている彩良さんが、エディターとしてプチ・デビューを果たしたのは昨年の秋、2016年11月号の『婦人画報』でした。イタリア・ローマで開催された「ヴァレンティノ」のオートクチュールメゾンが衣装を手掛けて話題となったオペラ、『椿姫』の取材でした。自身のルーツとなるローマの地でのリポート記事がこちらです。
かつて国木田吾子さんも『婦人画報』でワインの連載を担当!
1997年1月号から、国木田吾子さんは『婦人画報』で連載「葡萄酒をもう一杯」を担当されていました。
まだまだ異国の食文化として捉えられていたワインを、日常の食卓の相棒となれる存在として、四季折々の味や楽しみ方をフランス・パリから届けるという、今読んでも興味深い内容です。うんちくではなく、五感と生活から美味しいと感じられるワイン情報が人気でした。その記念すべき初回の記事がこちらです。

PR