「反戦な家づくり」から転載。
他人のブログ記事を引用する時に、その一部を省略するのは、失礼な行為ではあるが、話の焦点を明確にするためなので、許容してもらうしかない。
「反戦な家づくり」の明月氏ほど他人の痛みに対して敏感な人間は滅多にいないと思う(他には藤永茂博士くらいか)が、それは文章を読めば分かる。
文章ではいくらでも嘘がつけると思っている人も多いだろうが、そうでもないのである。枝野や橋下がいくら口達者でも、見る人が見ればそのインチキさが分かるのと同様に、文章でも書き手の本性が現れる(「顕れる」が適切か)ものだ。井口博士の皮肉とユーモア、山科恭介のダンディさ、東海アマの頑固さや偏屈さ(これはけっして悪いものではない)、飯山一郎の豪放磊落さなど、すべて文章に顕れている。
で、その明月氏は福島が今後核の墓場にされるであろうことを日本で一番早く見抜いた人物でもある。頭がいいのだ。
頭が良くて他人の痛みが分かるとなれば、これは辛い人生を送る可能性が高いのである。なぜなら、頭がいいから現実の不幸がありありと見え、さらに他人の不幸をすべて自分のものと感じてしまうからである。
この世では無神経で残忍な人間ほど成功しやすいというのが、世の真実である。橋下や枝野や菅や東電社長会長や経団連を見れば一目瞭然ではないか。
余談が長くなった。明月氏という「地の塩」のような存在が増えることが、これからの世界が幸福になるかどうかの鍵だろう。
本記事について触れる余裕がなくなったが、それは引用記事を読めば済むことである。
(以下引用)
細野環境相、中間貯蔵施設「理解得たい」
2012.3.10 日刊スポーツ
最大の被害地に、3カ所も核の墓場を作るのだそうだ。
そして、情けないことに、脱原発の勇士達までも、「仕方ない」と賛同している。
冗談ではない。原発を作ることはできても、世界の原発鬼が総力を結集しても核の墓場は作れなかった。フィンランドのオルキルオトのオンカロだけが例外だが、それもフィンランドの核廃棄物しか受け入れない。
世界の原発鬼の悲願は、何よりもかによりも、核の墓場の建設なのだ。
私は、地震とtunamiの日本沿岸に原発を並べたのは、最初から事故→核の墓場 を狙っていたと考えている
原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか
もし、計画的ではなかったとしても、すくなくとも、あの水素爆発を見ながら 「これでやっと廃棄物を処理できる」と胸をなで下ろしていた人間が、多数いたことは間違いない。
そんな馬鹿な と思うあなたは、お人好しにもほどがある。
これから進んでいくことは、「福島切り捨て」だ。
核の墓場を作り、膨大な健康被害を無視し、形ばかりの除染でお茶を濁して、あとは福島を棄民する。
続々と出てくる白血病やガンや、その他の病気は「心配しすぎ」が原因だ、と山下俊一大先生に診断される。
2300万トンのうち わずか400万トンを敢えて全国にばらまく、一見無意味なガレキ問題。
これは、まさに福島切り捨ての布石である。
当然ながら、ほとんどの住民は拒否する。それは当然だ。
だが、拒否したことによって住民には、桁違いに高い放射線の中で暮らす福島の人々に対すする負い目を感じるという仕掛けが隠されている。負い目を感じる人々は、それを感じさせる原因にたいして目をそらすようになる。
また、脱原発の運動を、福島支援ではなく、目先のガレキに釘付けにするというスピンオフ効果がある。
しかし、いま、最優先は福島とその周辺の子どもたちだ。
震災前は、飲み食いもしてはいけない放射線管理区域ですら、滅多に見ることのない放射能の中に暮らす子ども。
良くないと分かっていても、暮らしていくためには、そこにいるしかない親。
そのすべては、世界の核の墓場を作るために、犠牲になっている。棄民にされているのだ。
このブログを見てくれている人は、ほとんどの人が原発反対であり、福島の犠牲者にシンパシーを感じていると思う。
だから、伏してお願いしたい。福島から目をそらさないでいただきたい。
ガレキも、自分たちの食べるものも重要な問題には違いない。
でも、敢えて言う
ガレキより避難。
トンデモ無い環境で暮らし、さらに核の墓場を押しつけられている福島から、目をそらさず、子どもたちの避難を進めることと、理不尽な核の墓場建設に反対していただきたい。
東電勝俣の家は大量の警察が守っている。
しかし、放射能にさらされ続けている子どもたちは、かろうじて親が守ろうと心を砕きながら、それでも暮らしていくために守りきれない辛い思いに直面している。
政府にも、自治体にも頼ることのできない子どもたちを、少しでも守れるとしたら、それは日本中の人々の心と行動しかない。
他人のブログ記事を引用する時に、その一部を省略するのは、失礼な行為ではあるが、話の焦点を明確にするためなので、許容してもらうしかない。
「反戦な家づくり」の明月氏ほど他人の痛みに対して敏感な人間は滅多にいないと思う(他には藤永茂博士くらいか)が、それは文章を読めば分かる。
文章ではいくらでも嘘がつけると思っている人も多いだろうが、そうでもないのである。枝野や橋下がいくら口達者でも、見る人が見ればそのインチキさが分かるのと同様に、文章でも書き手の本性が現れる(「顕れる」が適切か)ものだ。井口博士の皮肉とユーモア、山科恭介のダンディさ、東海アマの頑固さや偏屈さ(これはけっして悪いものではない)、飯山一郎の豪放磊落さなど、すべて文章に顕れている。
で、その明月氏は福島が今後核の墓場にされるであろうことを日本で一番早く見抜いた人物でもある。頭がいいのだ。
頭が良くて他人の痛みが分かるとなれば、これは辛い人生を送る可能性が高いのである。なぜなら、頭がいいから現実の不幸がありありと見え、さらに他人の不幸をすべて自分のものと感じてしまうからである。
この世では無神経で残忍な人間ほど成功しやすいというのが、世の真実である。橋下や枝野や菅や東電社長会長や経団連を見れば一目瞭然ではないか。
余談が長くなった。明月氏という「地の塩」のような存在が増えることが、これからの世界が幸福になるかどうかの鍵だろう。
本記事について触れる余裕がなくなったが、それは引用記事を読めば済むことである。
(以下引用)
細野環境相、中間貯蔵施設「理解得たい」
2012.3.10 日刊スポーツ
最大の被害地に、3カ所も核の墓場を作るのだそうだ。
そして、情けないことに、脱原発の勇士達までも、「仕方ない」と賛同している。
冗談ではない。原発を作ることはできても、世界の原発鬼が総力を結集しても核の墓場は作れなかった。フィンランドのオルキルオトのオンカロだけが例外だが、それもフィンランドの核廃棄物しか受け入れない。
世界の原発鬼の悲願は、何よりもかによりも、核の墓場の建設なのだ。
私は、地震とtunamiの日本沿岸に原発を並べたのは、最初から事故→核の墓場 を狙っていたと考えている
原発推進の正体は「日本列島を核の墓場にする計画」だったのではないか
もし、計画的ではなかったとしても、すくなくとも、あの水素爆発を見ながら 「これでやっと廃棄物を処理できる」と胸をなで下ろしていた人間が、多数いたことは間違いない。
そんな馬鹿な と思うあなたは、お人好しにもほどがある。
これから進んでいくことは、「福島切り捨て」だ。
核の墓場を作り、膨大な健康被害を無視し、形ばかりの除染でお茶を濁して、あとは福島を棄民する。
続々と出てくる白血病やガンや、その他の病気は「心配しすぎ」が原因だ、と山下俊一大先生に診断される。
2300万トンのうち わずか400万トンを敢えて全国にばらまく、一見無意味なガレキ問題。
これは、まさに福島切り捨ての布石である。
当然ながら、ほとんどの住民は拒否する。それは当然だ。
だが、拒否したことによって住民には、桁違いに高い放射線の中で暮らす福島の人々に対すする負い目を感じるという仕掛けが隠されている。負い目を感じる人々は、それを感じさせる原因にたいして目をそらすようになる。
また、脱原発の運動を、福島支援ではなく、目先のガレキに釘付けにするというスピンオフ効果がある。
しかし、いま、最優先は福島とその周辺の子どもたちだ。
震災前は、飲み食いもしてはいけない放射線管理区域ですら、滅多に見ることのない放射能の中に暮らす子ども。
良くないと分かっていても、暮らしていくためには、そこにいるしかない親。
そのすべては、世界の核の墓場を作るために、犠牲になっている。棄民にされているのだ。
このブログを見てくれている人は、ほとんどの人が原発反対であり、福島の犠牲者にシンパシーを感じていると思う。
だから、伏してお願いしたい。福島から目をそらさないでいただきたい。
ガレキも、自分たちの食べるものも重要な問題には違いない。
でも、敢えて言う
ガレキより避難。
トンデモ無い環境で暮らし、さらに核の墓場を押しつけられている福島から、目をそらさず、子どもたちの避難を進めることと、理不尽な核の墓場建設に反対していただきたい。
東電勝俣の家は大量の警察が守っている。
しかし、放射能にさらされ続けている子どもたちは、かろうじて親が守ろうと心を砕きながら、それでも暮らしていくために守りきれない辛い思いに直面している。
政府にも、自治体にも頼ることのできない子どもたちを、少しでも守れるとしたら、それは日本中の人々の心と行動しかない。
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