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異常犯罪の増加と「想像力」欠如時代



実に陰惨で衝撃的な事件で、多くのヤフーコメントが付いているが、その中で、下のコメントが一番的確かな、と思うのでそれも引用する。
情報化時代というのは、情報があまりに多すぎてその享受が皮相的で、それを内面的に咀嚼しておらず、「想像力」が育っていないと思う。道徳性というのは、そういう、他者への想像力が基盤なのである。
殴ったら相手を殺す可能性もある、殺したら、自分の一生はほとんど終わりだ、というのが当たり前の想像力である。それ以前に、「殴られたら痛い」、男と女では「暴力能力」に差があるから女性を殴ってはいけない、というのが男としての大前提だろう。
ところが、女性は暴力的な男を「強い」と思い、惚れる傾向もあるように思う。暴力団の男で情婦を持たない男のほうが少ないようだ。そして、お定まりのDVとなるが、DVというのは警察は介入しにくいので、警察に訴えても門前払いになる。つまり、この事件のように、女性被害者が殺されてから警察は動くのである。そうなると、死人に口無しだから、加害者側の言い分しか有効性は無く、弁護側は、あらゆる手を尽くして加害者を助けるわけだ。被害者は殺され損。
恋愛や同棲というのは、或る意味、女性にとっては死の可能性を前提とした冒険だなあ、と思う。男の中には聖人もいれば怪物もいる。(怪物も見かけは同じ人間で、暴力を否定する聖人君子と違って力を誇示するから、聖人よりは怪物のほうが表面的魅力があったりするww)頼れるのは自分の判断力だけであり、それもまた冒頭に書いたように「想像力」が前提だ。

(以下引用)

【独自】「1時間くらい殴り続けた」大阪・泉佐野で女性が死亡した事件 交際相手の男が供述


配信

読売テレビ

読売テレビ





自分を制御できない。 相手がどうなってしまうのか先の想像が出来ない。 殺してしまえば自分もどうなるか想像出来ない。 最近、短絡的な犯罪が多いですね。 普通は仮に良からぬ思いがよぎってもあらゆる展開を考えて抑制するとか諦めるものですが、そこが抜け落ちてる。 先が想像出来ないのかそこまで自分自身の人生など大したことないからどうなってもいいと思ってるのか。そして他者を巻き込む行動や思考に至ってしまうのだろうか。 理性の欠如、制御できないならば人間として社会で生きるのはかなり厳しい。 短絡的な強盗や殺人。動物を痛めつけたり物損や放火、食テロなども然り。先のことも相手のことも考えることが出来ない人間。 このような人間を見ると退化してると感じざるを得ない。 このような人間の割合が仮に増えてるならば人類のここまでの歩み、社会の在り方などは失敗ということになる。


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