私は、「天皇」という名称自体は、下のAI解説に書かれているように7世紀ごろに始まったものだと思っているし、また「万世一系」にしても、継体天皇以降だろうと思っている。
そういう立場から見ると、「天皇の治世」が2000有余年であるという説には私は否定的であるし、そもそもその大半では政治自体は武家(軍人)が支配していたのであるから、「武家と天皇の合同治世」と考えるべきだろう。むしろ、自分では基本的に武力組織を持たない天皇という存在がこれほど長期間にわたって政治の大きな柱になってきたこと自体が一種の奇跡だと思っている。そしてそれは日本文化の柱でもあり、日本人の国民性(和を以て尊しとなす)を形成してきたわけだ。
要は、天皇制の意義の有無であり、私はこれは素晴らしい意義を持っていると同時に、権力主義者(政治家や軍人)たちによるその神格化利用によって、最悪のファシズム政治になる可能性もあると思っている。明治からの日本の興隆も大正昭和(前期)での日本の敗亡も、それによる。
現在西田議員の発言が問題視されている「神道政治連盟」など、その種の「正真正銘の」極右団体による「天皇の悪しき利用」だろうし、それは日本を誤った方向に導くものだというのが私の考えであり、天皇は基本的に日本国憲法に示された「象徴天皇」であるべきだ。
だが、そこにさらに、「代議民主制」の根本的欠陥を補う、より進化した形態での機能(たとえば国家の命運を決める問題への「国会議決拒否権」もしくは「審議差し戻し権」)を持たせられないか、というのが私の夢想である。当然、そこには「諮問会議」のような機関も必要だろう。つまり、参議院は人数を大きく制限した一種の「賢人会議」と設定し、国家の命運にかかわる重要問題の場合はさらにその上に「天皇臨席の諮問会議」を必要に応じて置くわけだ。この諮問会議員は無給の名誉職とし、会議内容は発言者名とともに公開する。
なお、詩的立場から言えば、「天皇」という名称は素晴らしいセンスだと思う。単に「巨大権力」しかイメージされない「皇帝」よりずっといい。「天」ははるか上から地上のすべてを見そなわすのであり、まったく私心を持たないからだ。それでこそ天は長く、地は久しいのである。
(以下引用)
そういう立場から見ると、「天皇の治世」が2000有余年であるという説には私は否定的であるし、そもそもその大半では政治自体は武家(軍人)が支配していたのであるから、「武家と天皇の合同治世」と考えるべきだろう。むしろ、自分では基本的に武力組織を持たない天皇という存在がこれほど長期間にわたって政治の大きな柱になってきたこと自体が一種の奇跡だと思っている。そしてそれは日本文化の柱でもあり、日本人の国民性(和を以て尊しとなす)を形成してきたわけだ。
要は、天皇制の意義の有無であり、私はこれは素晴らしい意義を持っていると同時に、権力主義者(政治家や軍人)たちによるその神格化利用によって、最悪のファシズム政治になる可能性もあると思っている。明治からの日本の興隆も大正昭和(前期)での日本の敗亡も、それによる。
現在西田議員の発言が問題視されている「神道政治連盟」など、その種の「正真正銘の」極右団体による「天皇の悪しき利用」だろうし、それは日本を誤った方向に導くものだというのが私の考えであり、天皇は基本的に日本国憲法に示された「象徴天皇」であるべきだ。
だが、そこにさらに、「代議民主制」の根本的欠陥を補う、より進化した形態での機能(たとえば国家の命運を決める問題への「国会議決拒否権」もしくは「審議差し戻し権」)を持たせられないか、というのが私の夢想である。当然、そこには「諮問会議」のような機関も必要だろう。つまり、参議院は人数を大きく制限した一種の「賢人会議」と設定し、国家の命運にかかわる重要問題の場合はさらにその上に「天皇臨席の諮問会議」を必要に応じて置くわけだ。この諮問会議員は無給の名誉職とし、会議内容は発言者名とともに公開する。
なお、詩的立場から言えば、「天皇」という名称は素晴らしいセンスだと思う。単に「巨大権力」しかイメージされない「皇帝」よりずっといい。「天」ははるか上から地上のすべてを見そなわすのであり、まったく私心を持たないからだ。それでこそ天は長く、地は久しいのである。
(以下引用)
「天皇」という呼称が使われ始めたのは、7世紀頃と考えられています。それまでは、主に「大王」(おおきみ)という称号が使われていました。天武天皇の時代から、天皇という呼称が使われるようになったとする説が有力です。
詳細:
- 673年、天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位した際に、初めて「天皇」という称号が用いられたとする説があります。
- 奈良県の万葉文化館にある飛鳥池工房遺跡からは、「天皇」と書かれた木簡が出土しており、このことから天武天皇の時代に「天皇」という呼称が使われ始めたことが推測できます。
- 『日本書紀』にも、天武天皇の頃から「皇太子」などの呼称が出てきており、制度的にも整っていきます。
- 7世紀前半の推古朝に天皇号が成立したとする説もあり、推古朝の仏像の光背に天皇の称がみえることや、608年に日本から隋に送った国書に東天皇敬白西皇帝とあったと『日本書紀』に記されていることなどが根拠とされています。
- 明治維新直後の1868年(慶応4)正月の国書で天皇の称号を用いることとなり、明治政府は国際的に「天皇」という称号を確立しようとしました。
- 1936年(昭和11)4月、対外的称号は天皇に統一されました。
これらのことから、天皇という呼称は7世紀頃に使い始められ、明治維新以降に国際的に広く認められるようになったことがわかります。
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