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今の日本は「天皇制」国家か(国体論2)

「混沌堂主人雑記」で紹介されていたので、「天皇」という存在の意味や意義を考える参考として元記事を転載する。言うまでもなく「尊皇主義」の私とは正反対の思想だ。少し古い記事なので、明月飛鳥氏が今でも同じ思想かどうかは分からないが、同じ思想のままだと推測する。
一番の問題は、飛鳥氏その他が今の日本を「天皇制」国家だと主張していることで、憲法に明記されているとおり、今の天皇には政治的権力も政治的発言権も無い。その意味では一般日本人よりも政治権力から遠い存在だ、ということだ。(その潜在的可能性の大きさは別問題であり、私はそれを未来の日本の新しい政治システムに組み込むことを考えている。つまり、「象徴」の持つ大きな潜在力を政治に生かすという思想だ。)
私も昭和天皇の戦争責任は大きいと思うし、その「責任の取り方」も、ほかにも手段はあったと思うが、それと現在の「象徴天皇」制を同一視するのは極めて非論理的だろう。簡単に言えば、これらの論者が言う「天皇制」とは天皇に政治実権があるという幻想である。それと現在の「象徴天皇制」はまったく別物であり、現在の学校教育で

日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つ

というのも大嘘だろう。要するに、自分の恣意的な政治信条のための事実の捻じ曲げである。

私は夢想するが、たとえば、天皇がSNSで「日本の(米国からの)真の独立」を主張したら、どうなるだろうか、という夢想であるwww まあ、驚天動地の大騒ぎになるだろうし、それは今のDS支配下のマスコミ全体が束になってもかなわないかもしれない。しかし、それは最後の最後の手段だ。
それが天皇の持つ潜在力であり、天皇批判者たち(本心では米国支配に安住し、日本独立を嫌う者たち、あるいは日本をただ自分好みにしたいだけの無責任リベラル言論者たち)が怖れているものではないか。もちろん、私は「右翼支配」の日本を願っているわけではない。尊皇主義=右翼という馬鹿な単純化は拒否する。私は単に理想国家としての象徴天皇制国家(現在は象徴天皇の機能が不十分だということだ)を空想しているだけである。
ある意味ではプーチンのロシアが「哲人統治」に最も近いが、それはプーチンの個人的資質によるものなので、それをシステム化することは不可能か否かが私の思考課題なのである。天皇とは生まれつき国家と一心同体である、というのが、私の思想の土台である。そしてその「無答責」性(他者の批判から超越していること)こそが、その「判断」の正確さを保証するのではないか、とも思う。
ある意味では「天皇の無答責性」は一種の「超越性」において、ロールズの言う「無知のヴェール」にも少し似ているかもしれない。私の解釈では「無知のヴェール」とは、事件にまったく関与せず利害関係を持たないものだけが正義にかなう判断を下せる、というものだ。これは「天皇=国家」(天皇こそが国家問題の最大の利害関係者)という思想とまったく反対に見えるが、犯罪ではなくビジネスの問題として見るなら、最大の利害関係者こそが一番真剣に考える、という当たり前の話だ。そして自分を「正義」と思う存在はしばしば狂信化、非論理化するのである。正義よりも論理が正解を導く、という簡単な話だ。
裁判官が政治権力に動かされて意図的に誤判する、というのなどが正義の問題における「超越性」の欠如を示している。ロールズの「無知のヴェール」は単に判断方法だけの話で、実践性は欠如しているわけだ。つまり、裁判官には犯罪の利害関係者からの超越性はまったく無いのである。そこが「天皇=国家の最大の利害関係者」であり「他者からの影響(批判)を超越している」というのとの相違だ。しかも、「象徴天皇」の場合、生活の資を求めるための金銭獲得行動も不要だし、他国の王族のような有力貴族などとの関係による「行動制限」も悪行の必要性も無い。


(以下「反戦な家づくり」から引用)
2022-08-15(Mon)

あらためて天皇の戦争責任を問う

日本にあるもので、もっとも子どもの教育に悪いものは何かと聞かれれば、迷うことなく「天皇制」と答える。
「1人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄」を、まさに地で行ってるのが昭和天皇であり、象徴天皇制だ。
究極の無責任の象徴。
自殺したヒットラーのほうが、まだしも潔いといえるかもしれない。
日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つのだから、ひどい話だ。
天皇制には、もうひとつ際だった特徴がある。
「保身」である。
天皇や天皇制には、それ自体の思想性はない。
あるのは存続の意思と、そのためのきわめて柔軟(無節操)な「保身」である。
存続するためならば、どんな勢力とでも手を結ぶ。
処世術の鬼である。
軍部が強ければ軍につき、沖縄を初め国中が焼き尽くされ、自国民が何十万人も黒焦げにされても保身(国体護持)のためには意に介せず、負けたとたんにマッカーサーに擦り寄り、捨て石にした沖縄を、またしても米国に売り渡した。
手を携えて戦争を遂行した戦犯がまつられている靖国神社へも、自分だけは無関係化のように行かないという。
靖国神社は戦犯だけを葬って、戦犯の魂の牢獄にして、負の遺産として末代まで残すべきだと私は思っている。
その意味で、天皇は靖国神社に行くべきなのだが、自分だけはちゃっっかり「戦後民主主義」に乗っかってしまうところが、さすが処世術の鬼である。
これが「清く正しい」生き方だと、子どもたちに刷り込まれる。
私はこのブログでも何回も書いてきたが、「天皇の戦争責任」を曖昧にしたことが、戦後の日本をダメにした、と考えている。他にも要因はあるけれども、なんといってもダントツのナンバーワンである。
8月15日
私たちは、単に不戦の誓いをするだけでなく、戦争をやらかした奴らの責任を忘れない、その思いを新たにしたい。

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