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エネルギーと世界の未来

エネルギーと世界の未来

 あと数十年で化石燃料が枯渇するだろうが、その時世界はどうなるか。
 まず、産業と日常生活においては、原子力発電でしばらくはまかなうことになる。つまり、定住的に使用する電気は現在の石油の位置を原子力が負担することになる。日本のように水力に恵まれている国では、水力発電も一部復活し、潮汐発電なども一部では進められるだろう。
 だが、最大の問題は、自動車である。石油燃料の代わりにバイオ燃料を用いるなどという方法は、コストパフォーマンス面から言って、問題にもならない不合理な解決策であり、これは、穀物販売値段値上げの手段の一つにすぎない。つまり、石油に代わる代替燃料は、自動車に関しては存在しない。長い未来には太陽電池搭載の自動車もある程度の実用化がされるかもしれないが、それもコスト的に、庶民が利用するのは無理だろう。つまり、自動車はハイソサィエティ専用の乗り物となり、庶民は自転車、乗馬などを利用する時代がくる。たとえば、現在1リットル150円のガソリンが、1リットル1000円になった時代を想像すれば良い。職場に通勤するのに毎日数千円を出せるだろうか。
 化石燃料の枯渇は、生活スタイルの変化をも生む。燃料が貴重になった時代には、職住接近が原則となり、人々は再び、自分の生まれ育った土地で一生を送るようになるだろう。だが、その一方で、電気は前と同じくあるのだから、知識と情報の上ではインターネットで広い世界とつながることができる。
 化石燃料の枯渇は、二十世紀型の軍事をも変えることになる。高価な石油を湯水のように使う飛行機や軍艦は、演習さえもできなくなり、結局は使用不能になり、長距離ミサイルだけが現実的な大量破壊兵器となるだろう。それ以外では、生物兵器や毒ガスなどが大量破壊の手段となる。しかし、戦争の主体は小火器による個別的戦闘になる。つまり、第一次世界大戦型の戦争に戻る。もちろん、一発逆転の手段としての原爆の使用の可能性は残るが、相手国の首都に対して原爆を落とす勇気のある指導者はいるかどうかである。というのは、戦争とは庶民同士を戦わせ、殺し合わせるのが大原則であり、お互いの戦争指導者を直接に殺すという戦争は近代戦争の歴史には存在しないからである。
 石油は燃料以外の用途もあり、その枯渇によってプラスチックなどもなくなることになる。もちろん完全にはなくならず、電化製品の一部に使用されることは残るだろうが、その値段は高騰する。すると、人々の生活から電化製品は次第に少なくなっていき、テレビ、クーラー、自動車がまだ珍しかった、「三丁目の夕日」的な昭和20年代頃の生活が普通になるだろう。
 結論を言えば、化石燃料の枯渇によって、我々の周りに自然が戻り、我々の生活もまたより不便だが人間的な自然さを取り戻すということになるだろう。

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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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