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いじめ根絶の画期的な「南堂アイデア」

「泉の波立ち」が久々に素晴らしい記事を書いているので(南堂氏は「いつも素晴らしい記事を書いているよ」と怒るだろうが)転載させてもらう。いや、これは本当に素晴らしいアイデアなのだ。ただ、実現可能性がどうかという問題はあるのだが。
私はよく、「いじめ被害者は自殺するくらいなら、いじめの首謀者を殺してから死ね」と言っている。もちろん、言うのは私の家族の前でだけだが。
いじめ被害者がなぜいじめの相手を殺さないで自分が死ぬのかというと、もちろん、日本という国では殺人をすると自分の家族に大きな迷惑がかかるからだ。個人が家族と分離され、個人として扱われる欧米では、家族までが社会的に非難され、迫害されることは少ない(と思う)。いじめ被害者も家族が被る迷惑を知っているから、何も言わずに自分だけが死んでいくのである。その心情を思うと、哀れであると同時に、そのような社会に対して情けない思いがする。この社会全体が実はいじめを助長しているのである。
で、下記記事は画期的アイデアである。これは本気で社会全体として実現化を考えていいと思う。
ただ、半分は冗談だが、学校の生徒の大半がいじめる側という場合は学校そのものが消滅することになるが、その場合は? まあ、その方が社会の利益か。


(以下引用)*言うまでもなく、記事の一部だけの引用なので、この案が面白いと思った人は元記事を確認なさるのがよい。



 ところが、そういう困難さがあるにもかかわらず、「いじめをなくすのは教師の責任だ」という風潮が強い。
 なるほど、「この方法でいじめを解消できる」という方法があるのであれば、いじめを解消できなかったのは、教師の責任だろう。世の中にあるいじめはすべて、解消できなかった教師が悪いことになる。
 それゆえに、いじめを見つけた教師は、解決を迫られるし、解決できなければ、大非難を浴びることになる。それはいわば、「打者ならば3割を打つのが当然だ」というプレッシャーをかけられたプロ野球選手みたいなものだ。できもしないことを要請されれている。そうなれば、逃げたくなって当然だ。
 とすれば、できないことを「やれ」というプレッシャーを浴びた教師が、「見て見ぬフリ」をしたくなるのも当然だろう。
 教師が「見て見ぬフリ」をするのは、世間の風潮にも一因があるのだ。

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そこで、本項では、まったく別の方法を示す。次の二点が目的だ。
  ・ いじめ解決を、教師の責務とは見なさない。
  ・ 現実に、いじめを完全になくす。

 そのための方法は? あるか? ある。それは、「転校」だ。
 転校によって、「いじめる側」と「いじめられる側」を、距離で引き離す。こうすれば、もはや、いじめは起こるはずがない。別々の学校にいるのだから、もはや物理的に不可能だ。かくて、いじめは完全に解決する。

 ただし、注意する点がある。この「転校」は、よくあるように、「いじめられた側の転校」ではなくて、「いじめる側の転校」だ。
 のび太とジャイアンの例で言えば、のび太が転校するのではなく、ジャイアンが転校する。ここがポイントだ。

 その理由は、次のことだ。
 (1) のび太が転校するのでは、(のび太でない)別のクラスメートがいじめに遭う可能性が高い。
 (2) 転校は不便さをともなうので罰だ。だが、ジャイアンに罰がなく、のび太に罰があるのでは、話が逆である。
 (3) ジャイアンがそのまま残るのでは、他の生徒がいじめの証言をしなくなる。一方、ジャイアンが転校するのならば、他の生徒がいじめの証言をする。

 このうち、最後の (3) が重要だ。理由は後述の ¶ 。

 ──

 さて。ジャイアンが転校するとして、転校先の学校で、ジャイアンがまたいじめをしたら、どうするか? 
 その場合は、またしても転校させればいい。2度目の転校だ。
 そこでもまたいじめをしたら、またしても転校させればいい。3度目の転校だ。
 そこでもまたいじめをしたら? 4度目の転校をするか? いや、そうではない。仏の顔も三度までだ。4度目は、少年院に転校させる。つまり、少年院に収容することはないが、少年院の教室に通学させる。(通いで少年院に入れるわけだ。)
 そこでもまたいじめをしたら? そのときは、家裁送りにして、正式に少年院に収容する。少年院にいる非行少年を相手にいじめにするような生徒は、よほどの悪党だろうから、少年院に収容する方がいい。
 それでもまだ、いじめをしたら? それは特級の悪党だろうから、独房に入れる。これで、物理的に、いじめは不可能となる。かくて、いじめはなくなる。完全に。 (^^)v
  
 この方針は、かなり厳しい。とはいえ、「仏の顔も三度」だし、三度も憐れみをかけているのだから、かなり大甘でもある。「一度でもやったら、ただちに少年院へ」という厳しい方針に比べると、かなり甘い。

 ──

 結論。
 いじめを完全になくす方法。それは「いじめっ子」を転校させることだ。こうして物理的に隔離することで、いじめを原理的になくすことができる。

( ※ ただし、いじめが発生したあとの解決が目的である。いじめが もともと発生しないようにすることは、対象外だ。仮にそれを狙うとしたら、いじめっ子の「人格改造」が必要だが、そういう「人格操作」「洗脳」みたいなことは、しない方がいいだろう。)
( ※ いじめは、「事後で是正する」だけで十分だ。大切なのは、「ちょっとでも起こったら、すぐに通知して、いじめをすぐに解消する」というシステムを用意することだ。それが、本項の案だ。 ¶ )
________________________________________

 [ 付記1 ]
 この方針は、「いじめっ子の説得」という、教育的効果は狙っていない。
 教育的効果を狙うのが、世の中の「善良なる人々」の意識なのだろうが、それはもともと不可能なことが多い、というのが私の立場だ。
 そして、できもしない「説得による解決」を求めたあげく、現実には、対処不能のまま、いじめられる子が次々と死んでいく。……そういうことはあってはならない、というのが私の立場だ。簡単に言えば、
 「いじめっ子の矯正よりは、いじめられる子の生命の方が大切だ」
 という立場だ。
 例によって、「生命が一番大切だ」というのが、私の立場だ。(教育効果よりも)

 [ 付記2 ]
 いじめっ子の「説得による教育」は、教師の役割の範囲を超えている。それはむしろ、「社会的なカウンセラー」などの役割だろう。
 いじめっ子がいじめをするのは、「いじめて喜ぶこと」が目的ではなく、「いじめて発散すること」が目的であることが多い。その理由は、心の闇だ。そして、心の闇の理由は、たいていは家庭にある。「離婚して片親の家庭」「家庭崩壊した家族」「食事も取れない貧困家庭」などの例が多い。いじめられっ子に金を要求するのも、「そうしないと昼食や夕飯が食べられないから」という例がかなりあるようだ。
 こういう問題は、公的な権限をもつ「社会的なカウンセラー」が必要となる。場合によっては生活保護司との連携が必要だろう。いずれにせよ、教師の手に余る。教師ばかりに頼ってはならない。

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