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「記憶にございません」

    記憶にございません


ロッキード事件で、小佐野賢治被告が、自分にとって都合の悪い事実について、「記憶にございません」と言ったのは、当時の流行語にもなったのだが、この発言は彼の鋭い言語感覚を示していると私は思う。そして、多くの人はそのことに気づいていない。気づいてはいないが、何かを感じた。だから、流行語にもなったのである。では、この言葉のどこが秀逸なのか。
分析のため、対比的にとらえてみよう。こうした場合に通常出てくる言葉は、「覚えておりません」だ。これをAとし、「記憶にございません」をBとしよう。
AとBの相違は、Aは「覚える」という行為に関わる動詞を用い、Bは「ある」という存在に関わる動詞を用いている点だ。
「覚える」は自分の意志、及び能力に関わる言葉であり、「ある」はそれらと無関係に何かが存在することを表す言葉である。
従って、仮に小佐野被告が「覚えておりません」と言ったならば、彼はその事実について覚える能力もしくは意志を有しなかったことになり、自らの公敵に対して非難の余地を与えることになる。
しかし、Bの場合はその事実の存在そのものが不確かなものとなり、彼の責任を問うことはできなくなる。記憶に無いもの、つまり存在しないと考えられるものについて、責任を問うことはできないからである。
簡潔に言えば、Aは「事実はあったが覚えていない」であり、Bは「事実そのものがあったとも無かったとも断言できない」と言っているのと同様なのである。
これで、私が小佐野被告の言語感覚が凄いと言った理由がわかるだろう。これにくらべれば最近の政治家の言語感覚は幼児並である。
こうした言語感覚は、すべて責任逃れを必要とする立場、つまり、官僚、政治家、犯罪者(この三つを並べるのは失礼ではあるが)にとって是非とも必要なものであると思われる。そこで、これからそういう立場を目指そうとする人々は、私のこの一文を参考にしていただきたいと思うのである。

追記。故大平正芳総理は言語不明瞭なことで知られたが、その理由はまさしく、言質をとられないためであった。しかし、彼がなかなか総理になれなかった理由もまたそこにあったと思われるから、政治家として一番いいのは、これもある政治家について言われた言葉だが、「言語明瞭・意味不明」であろう。もっとも、最近では、ワンフレーズポリティクスという手法も登場し、これも便利であることが知られるようになった。政治の世界も詐欺の世界も進化するものではある。

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