私は、明治維新は本来は下級士族による権力簒奪革命だったと思っているが、そうすると「四民平等」というスローガンとこれは矛盾する。あなたが下級士族だったとして、「お前は今日から百姓たちと同じ身分だ」と言われて嬉しいか?つまり、革命によって身分が下落するのだから。
現実には、維新後もしばらくは変形的な身分制度が作られたが、名ばかりではあっても「四民平等」はある程度実行され、下級士族たちは不満を抱えることになり、それがその後の「自由民権運動」の核勢力になっていったわけだが、とにかく、明治政府が「四民平等」を打ち出しただけでも凄いとは思う。その当時、四民平等社会はアメリカ以外には無かったはずだ。
ということで、誰が明治政府に「四民平等」のスローガンを立てるべきだと推したのか、調べてみても、それが分からない。まあ、アメリカに詳しいと言えば、勝海舟くらいだが、あれほど自慢好きの勝海舟が、あれは自分の発案だ、と言っていないから、違うのだろう。これほど大きな「政治の鍵」(近現代日本の大きな軸)が発案者が不明であるのは異常だと思う。
(以下引用)
四民平等
しみんびょうどう
明治維新後、中央集権国家形成のため、旧来の士農工商(四民)の封建的身分制度が、新政府によって廃止されたこと。1870年(明治3)農民や町人が姓(苗字(みょうじ))を名のることを許され、また翌年、穢多(えた)・非人などの差別的呼称と身分を廃止して被差別民を「解放」するなどの措置がとられたのち、公卿(くぎょう)と諸藩藩主を華族、武士を士族、農工商三民を平民という呼称に改め、居住・職業・結婚などの自由も、華・士族、平民間で認められ、原則として、国民はすべて平等に扱われることになった。しかしこの四民平等の措置は、現実には国民の間の身分差別を解消しなかったうえ、実質的には、国家権力の確立の過程で、天皇を頂点とする新たな国民支配のための身分秩序の再編を意味する結果になった。
[石塚裕道]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
四民平等
しみんびょうどう
明治初期,士農工商(四民)の封建的身分制度の廃止
1869年,政府は身分制度を廃止し,上層公家・大名を華族,武士を士族,農・工・商を平民とした。'70年平民の苗字を許可,'71年穢多 (えた) ・非人の称を廃止し,平民に編入した。さらに'76年廃刀令を制定するなど,四民平等の名のもとに封建時代の身分制度は廃止されたが,身分意識はその後も長く残存した。
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