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広瀬隆の現在

この前から、「最近広瀬隆の名前を聞かないが、もしかして亡くなっているのだろうか」と気になっていたので、調べると、少し前に脳出血を起こしたらしいが存命であり、著作も出しているようだ。
脳出血で一時は半身不随だったが、現在は完治している、というのが疑問で、脳出血で失われた身体機能が元に戻ることが可能だとしたら、素晴らしいことではある。私の兄のひとりも脳出血で半身が麻痺しているが、それが回復可能だとしたら大きな福音だ。しかし、どのようにして「完治」できるのか、その詳細が知りたいところである。
まあ、脳出血の内容や、その発症直後のケアなども千差万別だろうから、広瀬氏の場合には幸運も重なって「完治」したのかもしれない。

(以下引用)

広瀬隆さんが「わが家の罪業」を告発!


日本の植民地政策とわが家の歴史



 反原発活動家として知られ、『東京に原発を!』、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』などのロングセラーもある著述家の広瀬隆さん。近現代史の裏面や暗部をテーマにした著作が多いが、本書『日本の植民地政策とわが家の歴史』(八月書館)は多少趣向を変えている。「広瀬家」の歴史そのものをまな板に載せ、手厳しく批判しているのだ。

脳出血で一時は半身不随

 1943年生まれの広瀬さんは今年77歳。東日本大震災の時は、あちこちで引っ張りだこだった。最近ちょっと見かけないな、と思っていたら、2年前に脳出血になり、1か月ほど半身不随だったそうだ。現在はほぼ完治したというが、心境の変化もあったようだ。


 広瀬家の歴史を書こうと思ったのは、20年近く前、高齢の母親の散歩を付き合うようになったのがきっかけだという。1時間ほど歩きながら、朝鮮生まれの母親の昔話を聞く。身近なところに「民衆史」があることに気づいた。自分が日本史や世界史をテーマに著作を続けてきたのに、自分の家の歴史については深い関心を持たずに生きてきたということを痛感したそうだ。


 本書の骨子は、「私自身が、日本の植民地政策の犯罪者的な系譜から出た人間だという、読者が卒倒するような実話である」。


 さらに広瀬さんは続ける。

 「だからと言って、小生がわが家の罪業を隠そうと思ったことは、天に誓って金輪際ない・・・これまで、その秘密のファミリー・ヒストリーを書籍に記述する機会がなかった。しかし面汚しな秘密だからと言って、もはや語らずにはいられない心境に達したので、読者も覚悟して、富豪の家に生まれたその人間が、いかにして今日まで読者と共に活動する役割を演じてきたか、この奇想天外な『広瀬隆の人生の一部始終』に耳を傾けて戴きたい」

日露戦争のころに朝鮮へ

 本書は三部構成。概略は以下。

 第1部
 第1章 日本の商人が軍隊を引き連れて朝鮮半島に進出し、日清・日露戦争を起こす
 第2章 わが家の野々村家が朝鮮に渡る
 第3章 いよいよ朝鮮を正式に植民地統治する時代に突入した
 第5章 朝鮮人の強制連行がスタートした
 第6章 日中戦争が勃発して、日本は泥沼にはまりこんでいった など
 第2部
 第12章 翻訳者・小説家として第三の人生に踏み出す
 第13章 反原発運動に飛びこみ、新しい運動をめざして市民と共に活動する
 第25章 青森県六ヶ所村の核燃反対運動
 第27章 政争の具にされた原発反対運動 など
 第3部
 第33章 大事故を予告する狼少年が全国を回る
 第36章 自然エネルギーが自然を破壊する
 第41章 『黒い雨』上映と沖縄体験の衝撃 など

 この章立てを見てもわかるように、「広瀬家の歴史」については第1部に詳述されている。具体的に何をして「富豪」になったのか。それを書いてしまうと、種明かしになるので、実際に手に取ってご確認いただければと思う。


 ごく一部をお伝えすると、広瀬さんの母方は野々村家。ご先祖はすでに明治期に関西の貿易業界の重鎮だった。日露戦争の直後には、曾祖父が朝鮮に渡っている。祖父の野々村謙三は事業を拡大して京城で商工会議所会員にトップ当選、戦後に「野々村謙三・思ひ出の記」を残している。母方のもう一人の曾祖父は、中林思孝。明治初期に東京の大学南校(東大の前身)を卒業した英才だ。日露戦争のころの外相だった小村寿太郎の同期。朝鮮で税関長などを務め、多数の土地を持ち、権力を握っていた人物だという。

ほとんどの日本人に共通する

 広瀬さんは本書で、こうしたご先祖の「ある種の"罪業"」のような史実を記述する。当初は、本のタイトルを『わが家の罪業』にしようと思っていたという。「この世に起こった、そうした動かしようもない家族の史実を、ほかの人に知られることを恥じる、それが人間の最も犯しやすい間違いなのである」という信念からだ。


 しかし、そのタイトルは止めた。広瀬さんが戦後に知る野々村家の人々はみな心やさしい、愛すべき人たちであった。むろん、日本人が朝鮮を植民地とした行為を、悪事だったと語ることはなかったが、広島の原爆では、4人が戦死し、一族は戦争被害者という一面もあった。


 タイトルを変えたのは、いろいろと調べるうちに、これは野々村家だけの話ではなく、ほとんどすべての日本人に共通することが分かってきたからだ。

 「なぜなら、この時代の大日本帝国による軍事侵略は、朝鮮半島だけではなかった。満州においても、フィリピンにおいても、インドネシアにおいても、台湾、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、太平洋諸島においても、同じように展開された蛮行だからである」
 「読者が『潔癖なわが家は違う。無実だ』と信じているなら、あなたの先祖がそれを隠して、語らなかっただけだ」

反原発の檄を飛ばす

 こうして広瀬さんは、本のタイトルを『日本の植民地政策とわが家の歴史』という、どの日本人にも当てはまるものに変える。そして日清・日露戦争を起点に、日本の近現代とご先祖のファミリー・ヒストリーを絡ませながら朝鮮で起きたことを辿っていく。


 後半は、自身が深く関わることになった原発反対運動に多くのページを割いている。2016年10月、広瀬さんが、「これから講演会で、韓国のソウルへ行くよ」と、99歳で寝たきりの母親に告げたら、「私は京城(現ソウル)生まれよ。京城の小学校を出たのよ」という返事が返ってきた。その時は極めてしっかりした記憶と意識があったが、約二か月後に亡くなった。反原発運動の広瀬さんの人生が、晩年になって一族の故郷・朝鮮と重なった瞬間だった。


 母が亡くなったということもあり、本書をまとめることにしたという。本書の最後では、反原発運動で関わった有名・無名の故人たちの名を挙げながら、「この精鋭たちの遺志を、生きている我々が継がなくてどうする!」と檄を飛ばしている。


 BOOKウォッチは関連書を多数紹介している。『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)はスポーツを通して「内鮮一体」「皇民化」が図られた歴史を振り返る。『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』(幻冬舎新書)は明治天皇と日清戦争、昭和天皇と戦前の朝鮮への思い、平成の天皇の古代史にさかのぼる発言などが掲載されている。『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)は父方も母方も古くに朝鮮に渡り、「植民者三代目」として朝鮮で生まれ、戦争に負けて21歳で「帰国」するまで日本を知らなかったという村松武司さんの懐旧記だ。『従軍慰安婦と公娼制度』(共栄書房)は慰安婦問題の歴史的背景を記す。『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)は戦争を金銭面から徹底総括している。


 原発関係では『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)、『ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版)なども紹介している。

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